07/09/15 00:57:21
ちょっとご免なさいよ。
特攻は、「戦術としての特攻」と「日本の歴史上の出来事としての
特攻」のどちらを語るかで意味が変わって来ると思うんですよ結局。
戦術としての特攻、これはもうありえない。もちろん日本の神風
以外にも生きて帰るなと言う命令は戦争史上いろいろとあったわけ
ですが、だいたい命令を出す中央がパニックを起こして正常な判断が
出来なくなっているとされるわけです。戦争指導者が戦争目的、
戦略との整合性を確認できる戦術をもはや策定できなくなって
パニックになって「死守」「玉砕」「特攻」を命じるわけですね。
戦争末期の日本軍中央にまともな合理的判断がまったく出来て
いなかったという事実は皆さん周知の事実だと思います。
特攻は戦術ではありません。
一方、良く指摘されるように日本が特攻、玉砕までやって本土
決戦ギリギリまで戦ったことが戦後の連合軍(米軍)の占領政策に
大きな影響を与え、それが戦後の日本に良い影響を与えたことは
厳然たる事実です。さらに、本土決戦以前にあそこまで徹底的に
戦ったからこそ本土決戦前にポツダム宣言が出たとも言えるでしょう。
ドイツ、イタリアの本土に戦線が侵入する前に連合軍はこれらの国に
降伏の機会を与える努力をしていません。これと日本の場合との違い
は非常に重要であると思います。ドイツにはポツダム宣言は与えられ
ませんでした。
結論として、日本軍部の中央が決めた特攻は戦術としては認められない
愚作でしたが、日本が実際に特攻(と玉砕)を重ねたことを日本史上の
重要で特異な、有効な出来事であったことは認めなければならないと
思います。