あなたのおじい様の戦争体験を教えて その16at ARMY
あなたのおじい様の戦争体験を教えて その16 - 暇つぶし2ch550:名無し三等兵
07/09/23 19:42:24
ところが子供の頃の貧乏が祟ったのか、体が弱かったそうで肋膜炎を
患ったりしていて、同僚や上官はコイツは長生き出来そうに無いから、
早く恩給を受けられるように外地勤務にしてやろう、ということになったらしい。
(親父から聞いた話だが、当時は外地勤務1年は国内勤務3年に換算されたそうだ)

そこにちょうど尼港事件が起き、北樺太を保障占領するため東京の第1師団が派遣
されることになり(間違っていたら訂正して下さい)、じいちゃんは田舎の連隊から
第1師団に転属し、北樺太へ出征した。周囲は病弱なじいちゃんが厳しい樺太の気候に
耐えられるか心配したらしいが、数年過ごす内、逆に鍛えられて健康になって、師団の
撤退と一緒に帰国。そのまま東京の第1師団の主計として勤務することになった。

続く


551:名無し三等兵
07/09/23 20:02:07
予めテキストに書いておいてから投下しろよw

552:名無し三等兵
07/09/23 20:06:17
祖父は暁部隊でニューギニアへ行き帰って来なかった
母の産まれる直前に出兵した祖父宛てに
出産後、家族写真を送り、しばらくして、
祖父から写真が届いたと返事がきたとの事。
戦地に送ったのと同じ家族写真が家にもあるが、祖父が
どんな気持ちで眺めていたのか思うと切ない
携帯からスマソ



553:名無し三等兵
07/09/23 21:11:40
訂正。今改めてじいちゃんが晩年に書いた自伝メモを見直したら、北樺太から帰ってきて
すぐに働きぶりが認められたのか近衛師団に転属にした。
>>539,545のような基準があったかどうか分らないけど、貧乏農家でしかも田舎の連隊の
叩き上げ主計兵でも配属されることはあったんだね。
ちなみにじいちゃんの性格は超クソ真面目、倹約家、表裏の無い人で、世話好きでもあった。
そういうところが評価されたのかもしれない。

昭和8年に主計少尉に任官と同時に予備役になったが、昭和13年10月に召集を受け、
支那事変に従軍、上海、徐州、天津、北京、済南、青島と従軍。14年9月主計中尉。
昭和16年4月召集解除。
同年7月召集、満州で関特演参加後台湾に移動し、開戦と同時にフィリピンへ転戦。
リンガエン上陸戦参加後各地転戦し昭和18年9月召集解除で帰国。命拾いする。
昭和19年7月三度目の召集。東京の陸軍造兵廠勤務。昭和20年4月主計大尉。

二等兵から叩き上げて大尉と言うのは結構凄いよね。

孫の俺には基本的に優しいじいちゃんだったが、小1の頃、冬にしては暖かい日でジャンパーの
前を開けて着ていたら、「その愚連隊のような服装はなんだぁ!」といきなり鉄拳制裁する、
恐いじいちゃんでもあった。


554:名無し三等兵
07/09/23 21:26:27
近衛を騙るスレ?

555:名無し三等兵
07/09/23 22:20:29 wLq7JuH8
知らないじいさんが
「歴史上どれほどの停戦協定.条約がむすばれたでしょう?
またそれらはどのくらいで破られたでしょう?
いままでどれくらい戦争があったでしょう?」
とか演説してたがそんなの数えられるのか?


556:名無し三等兵
07/09/23 22:36:33
タイムマシンでもあれば数えられるかもしれんが、
それ以前に戦争体験じゃないだろw

557:名無し三等兵
07/09/23 23:34:00 bFymu8Cy
うちの爺ちゃん、陸軍の2等兵だったんだが、過去2度赤紙で戦地へ赴いたそうだ。
もっとも爺ちゃん、旧家の出だったので(単なる豪農だけどな)直接戦闘には
参加せなんだらしい。
その爺さんが、2度目の除隊で郷里に帰った時、熱烈歓迎を受けたらしい。
そして、地区の班長さんから講演を頼まれたそうだ。
勿論お調子者の爺さん、講演を受けた。題目は「戦時の心得」だったそうな。
まあ、最初は勇ましく、戦闘経験も無いのにシナで戦友に聞いた話を面白おかしく話して、
検閲憲兵もニコニコ顔だったそうな、が、根が間抜けなうちの爺ちゃん
質疑応答で、空襲時の心得で「逃げろ!逃げろ!兎に角逃げろ!」
「竹やりでは飛行機は落ちん」とか「バケツ消火は無駄」とか、今考えると
もっともらしい事を言ったものだから、一斉に「非国民」の嵐だったらしい。
 流石に地域の名士だから逮捕はなかったらしいが、その後は、ほぼ
隠居&謹慎状態が続いたらしいw
そしてうちの地区にも米軍の空襲があった、その時真っ先に逃げ出したのが
班長や「非国民」と罵った連中だったらしい。
戦後はその連中、爺ちゃんに頭が上がらんかったようです。




558:uaa
07/09/23 23:38:11 WhEkfOr6
>>537
麻布連隊=近歩3連隊かな?歩3も麻布にあった。
戦争が始まって、近衛師団も予備役をかき集めて3個師団に増えたから、新編部隊に振り分けられたんだろう。
近衛輜重兵は南方でめざましい活躍をしてるが、満州に行った部隊があるとは聞いたことがなかった。

近衛兵ってことは、村でも名士の家だったんだね。

>>538
”丸”でもその話を書いてる元近衛兵がいた。動機は上等兵になりたかったかららしい。


559:名無し三等兵
07/09/23 23:39:05
>>539
ありゃ、私も左翼から敵対視されないといけないのかな。

560:uaa
07/09/23 23:47:45 WhEkfOr6
>>557
母方の祖父さんが高級官僚だたんだけど、戦争が激しくなった頃は退職して田舎に疎開してた。
夜になると地元の人たちが集まって、「戦争はどうなるんだ?」と聞きに来た。
祖父さんが「この戦争は負ける」と言い切ると、みんな納得したそうだ。

我々が想像するより多くの人が勝てるわけ無いと思ってたと思う。

561:名無し三等兵
07/09/23 23:54:16
まあ自分ちの金物回収されて勝てると思うやつはそうおらんわな

562:名無し三等兵
07/09/24 00:23:52
地元や親戚から出征した人の戦死の知らせが続々と届くようになり、
転進・玉砕なんて言葉を目にしたら、いやでも不利な戦況を察する
ようになる

563:名無し三等兵
07/09/24 00:27:44
頭の上をB-29が我が物顔で飛び回って、日本の反撃はほとんど見られない状況だしねえ

564:名無し三等兵
07/09/24 00:35:13
本音と建前は違いますから
実際は口には出せなかったはずです
>>560氏のような高級官僚ならいざ知らず
市井の庶民では、当時負けるなんて言えませんって
ましてや、情報の無い閉鎖的な田舎ではね。

565:名無し三等兵
07/09/24 00:46:13
>558

近衛の輜重兵なら北支でテロリストに襲われて全滅した事件がありましたぁ。
今だにそのテロリスト改め人民解放軍が大勝利したと宣伝しとりますがな。

566:名無し三等兵
07/09/24 01:10:30
東条英樹は、終戦時にもあと半年戦い続ければ勝てると言ってた。

567:名無し三等兵
07/09/24 01:12:11
うちの祖父さんは海軍で
人間魚雷の訓練を受けてういるときに、終戦になったそうなんだが
特攻部隊への配属の選抜基準ってあったのか?
いらないやつを配属したとか・・・・・・

568:名無し三等兵
07/09/24 01:15:17
適性検査に拘ってたパイロットさえ次から次へと
使い捨てしてたのに

もう選別してる余裕なんてとっくに無くしてた


569:名無し三等兵
07/09/24 01:19:18
予科練を大量採用したが、昭和19年後半になると飛行機も燃料もなくなり、
飛行訓練もできないというか、無意味になったので、
回天や伏龍などに転換された者が多いようだ。
三菱の史料館の担当者さんも、16歳で琵琶湖で伏龍の訓練受けてたと言ってた。

570:名無し三等兵
07/09/24 01:36:55
>>567

うちの故じいさん(大和の電気技師から回天)の手記によると、定期的に試験があって、転属したい人や技術を学びたい人はその試験を受け、受かれば帰国して兵学校に行けてたらしい。んで、志願とかでなく課程を修了したら何時の間にやら何処いらの職務に就かされたそうな。
その一つが回天、つまりはP基地。
ちなみにじいさんは「いよいよ死ぬのか」と思ったそうな。

571:名無し三等兵
07/09/24 01:38:27
俺のじいちゃん伏龍の訓練してたそうな
学徒動員で工場勤務→海軍の砲術?→伏龍って流れで
砲術といっても、対空射撃の訓練ばかりだったと言ってたな
伏龍は野比浜分隊とか言ってたかなぁ…まあ実戦はなかったけど
訓練で死人続出、毎晩お通夜状態だったそうな

ちなみに、じいちゃんは終戦してからおばあちゃんと結婚したから、
訓練で死んでたら俺居なかったんだよなぁ…
もう1人のじいちゃんは、出兵→病気で輸送船降りる→船は潜水艦に…
という、まあ運の良い生き残り方だったらしい…

572:名無し三等兵
07/09/24 01:47:34 zTsgs7+B
>>571

うちの片方のじいさんとかなり似てる。
じいさん、台湾に行くこと決まってから数日後に手を負傷、内地に残る。
仲間の乗った輸送船は沈められ、殆ど帰らず。でもじいさんは死ぬまで戦争のことは一つも言わんかった。なんか寂しいな

573:名無し三等兵
07/09/24 02:45:30 CUtSEmUV
うちのおやじは、呉で学徒動員してたから、戦争が激しくなるに連れて、
白い箱かかえた海軍さんが帰ってくるのが増えて、軍艦も少なくなるし、
こりゃ、負けるな、と思ってた、と言ってたよ。そりゃ、現実、船がなくなる
んだから、そう思っても不思議はないよなあ。何か、砲弾の中にうるしを塗る
作業があって、おやじはうるしにかぶれて、他の少し楽な電気溶接をしてた
そうな。潜水艦の内部儀装だったらしい。小学校(国民学校?)の国旗掲揚
のポールは、なんかの軍艦のマストだった、って言ってたな。

574:名無し三等兵
07/09/24 02:57:47
砲弾にウルシ

防水加工・・・?

575:戦争を変な名前で予防会
07/09/24 03:31:54 T3EBOFXx
 スレ違いですが。「戦争」の新呼称を募集します。良い名前があれば書きこんでください。
 人が戦争を起こすのは「戦争」という単語がかっこいいからかもしれません。
「暴走族」を「珍走団」と呼ぶように、戦争にも変な名前をつければ、この世から戦争が消える遠因になるでしょう。
 戦争が人の心に忍び込む前に、脱力感に満ちた新呼称を流通させ、戦争を無邪気に予防しましょう。
 戦争を変な名前で予防(よぼう)!  以下はこれまで挙がった新呼称です。
「戦争」改め・・・・・・ ・「痴争」(ちそう)・「珍攻」(ちんこう)・「珍略」(ちんりゃく)
 ・「珍闘」(ちんとう)・「珍国際」(ちんこくさい)・「恥乱」(ちらん)
 ・「国家間ウハウハ珍騒動」(こっかかんうはうはちんそうどう)
 ・「キレた大人のハッスルタイム」(きれたおとなのはっするたいむ)
 ・「暴れお国のナマ本番」(あばれおくにのなまほんばん)
 ・「愛国ドクドクどっぴゅん騒動」(あいこくどくどくどっぴゅんそうどう)
 ・「ガチンコ変態バトル」(がちんこへんたいばとる)
 どうでしょう。もっと良い案がありましょうから、是非お書き込みください。
「戦争」の新呼称は甚だしく下品で無様かつ不魅力であればあるほど世界平和に寄与するものと思われます。
このスレを読むと戦争は派手ではなく冷たく重く寂しくけだるいものなのだと感じました。
                     戦争を変な名前で予防会

576:名無し三等兵
07/09/24 03:34:43
祖父は生前、戦争の話は滅多にしなかった。
酒に酔った時だけ、泣きながら話してくれたが、
食料が尽きて、虫や蛇を食った話、
仲が良かった戦友が、マラリヤにかかり、「故郷に帰りたいよ」と言いながら骸骨みたいにやせ細って死んだ事、
米軍に追い詰められ、弾が無いのに部隊最後の総攻撃を敢行、砲弾で片腕を失った事など、一つも武勇伝など聞いた事が無い。

辛い体験ばかりの過酷な戦場だったから、わざわざ思い出して、たやすく口にしたくなかったんだろな…。
生きて帰って来てくれた祖父に、俺は心から感謝してます。

577:名無し三等兵
07/09/24 11:54:31 4fbtwEAc
>>160
まじか…

578:名無し三等兵
07/09/24 12:08:33 LTIXBnVi
>>576戦場への従軍経験を持つ人は口をつぐむ人が多いようだね。苛烈な戦地ならなおさら。思い出すのも嫌な壮絶な体験だからだろうけど、後世の為にもどうか勇気を出して語って欲しいと願う戦後産まれです。



自分の大伯父は関東軍のソ満国境警備隊にいましたが、ひたすら無人の原野で冬は鼻毛が凍る寒さだったと言ってました。対米英開戦前から既に前線部隊は弾薬不足だったようで、ノモンハンでサイダー瓶を利用した火炎瓶で応戦したのは実話だそうですよ。

579:名無し三等兵
07/09/24 12:14:55
URLリンク(vista.undo.jp)
さあ感想を聞こうか


580:名無し三等兵
07/09/24 16:48:15
>>579
なんで全裸なん?

581:名無し三等兵
07/09/24 17:18:26
生きて虜囚の辱めを受けず。

582:名無し三等兵
07/09/24 21:49:07
>>574
日本海海戦で大活躍した、下瀬火薬等の強力な炸薬には
主にピクリン酸が使われてんだが、ピクリン酸は金属と接触すると
即座に反応して、極めて不安定で爆発性の高いピクリン酸塩となって自然爆発する可能性がある。

なので、弾殻内面に漆を塗って保護膜を作り
さらに弾殻と炸薬の間にグリースを緩衝材として封入して安定化してたそうだ。


第二次大戦時に海軍が下瀬火薬を現役で使っていたかは知らん。

583:名無し三等兵
07/09/25 00:41:08
陸奥は使ってたらしいね。
陸奥爆沈時の爆発煙が三式弾のものではなく、下瀬火薬特有の黄色であったということが、
陸奥の隣に碇泊していた扶桑の艦長であった鶴岡信道大佐以下目撃者が語っているから。

584:名無し三等兵
07/09/25 01:54:13 vuPE02y1
>>545 >>547
その手の調査があるのは近衛兵と憲兵だけだっけ

585:名無し三等兵
07/09/25 06:16:57 ZRplliww
俺の父方の祖父の太平洋戦争の話。
祖父は戦闘員じゃなくて、機械の整備員みたいなもんだったらしい。
船の整備専門なのかもしれない。
フィリピン沖で祖父の乗る戦艦がアメリカの戦艦と遭遇し、戦闘が起こった。
敵艦の攻撃を受け船体に穴が空き、どんどん海水が浸入してきた。
沈没はもはや時間の問題だったそうだ。
甲板に出て戦っていた多くの兵隊が負傷したり死亡した。
祖父と生き残った整備員他、数名の兵隊は船が沈む前に海へ飛び込んだ。
甲板で生き残った乗組員が「天皇万歳~!」と叫びながら沈みゆく戦艦とともに海中へと消えた。
なんとか、脱出した祖父たちは一箇所に集まって
互いに手を繋ぎあって輪を作りそのまま数日の間漂流し続けた。
しばらくして、遠くの海面に立つ奇妙な一本の棒が見えた。
それは、一定の速度で徐々にこちらに近づいてくる。
先端が直角に曲がり、レンズのようなものがついていたことから
それが潜水艦であることが分かった。
おそらく、アメリカの潜水艦だ。自分たちを殺しに来たのだろう。
そう思った祖父らは、せめて道連れにしてやろうと、
ポケットに忍ばせていたメスを強く握り締めた。
しかし、彼らがそれを使うことは無かった。潜水艦は日本軍のものだったのだ。
こうして、祖父たちは助かった。
だが、無事生還した彼らに新たな出動命令がくだった。
この時、長い間、漂流していたせいか祖父はひどく風邪をこじらせてしまっていた。
祖父も当然、出動するつもりでいたが上官に止められてしまった。
なんでも祖父の病気は風邪ではなく流行の伝染病である可能性が
あったからだそうだ(後の医師の診断でただの風邪であることが判明)。
祖父以外の助かった整備員は再び沖に出て、
その全員がアメリカの戦艦と遭遇し戦死した。
そして、祖父が病気の療養中に太平洋戦争は終結した。

俺の父親はそのあとに生まれてるからなぁ。
じいさんが風邪引いてなかったら、俺この世にいなかったな(汗)


586:名無し三等兵
07/09/25 06:26:56
うちの祖父は農家の次男坊で、職業軍人ではなく召集兵、
それでも、約20年軍隊にいた。
台湾、満州、上海、蘭印など転々としていたが、うちでは戦争や軍隊の話は殆どしなかった。
戦後民主主義教育を受けた父は、祖父を軍国主義だとか人殺しだとか言って、
いつも馬鹿にしていた。
祖父は戦争や軍隊の体験話は殆どしなかった。
しかし、祖父が亡くなって、葬儀のときに祖父の戦友から、祖父の戦時中の話、
激戦で多くの戦友が亡くなったことなどを聞かされ、
大泣きしていた姿が今でも忘れられん。

587:名無し三等兵
07/09/25 11:48:24 iJwqjSLd
秋田大学の鉱山の学部にいたジーさんは、徴兵を除外させられておった
そうな。 山師に石油かレアメタルを採掘する仕事に就かされたそうな。

588:名無し三等兵
07/09/25 11:49:10
さすが団塊

589:名無し三等兵
07/09/25 15:58:54
召集兵で20年もか

590:名無し三等兵
07/09/25 18:23:31
近所の爺さんがトラック島に出征していたみたいだが、降伏して武装解除の時、米軍の将校に譲った軍刀が、戦後数十年経って本人の手元に返ってきた。

地元の新聞とテレビにも写ったよ

591:名無し三等兵
07/09/25 19:47:28
俺の爺さんは戦争中は工場で戦闘機(ゼロ戦とか)の製作に関わってたんだが
なんでも末期には材料が足りなくて、本来は金属を使わなくちゃいけない部分を木材で作らされたそうだ
作ってる自分たちもそれでちゃんと戦場まで辿り着けるのか疑問だったけどなんとかなったらしい



592:名無し三等兵
07/09/25 20:52:17
>>590
そういう話たまに聞くけど、米国人は刀の手入れなんてしてない(できない)だろうから、
還ってきても錆だらけとかひどい有様なんだろうな。

593:名無し三等兵
07/09/26 05:12:12
軍隊は、貧しい農家など、ロクな収入のない世帯には、貴重な働き先だったんだよ。
自分が死んでも、家族には、恩給当たるから…
うちのおじいちゃん、戦後教育受けた父から、思いっきりボロクソだったが、
それでも、一切反論せず、軍隊の話は殆どしなかった。
戦時中、何があったんだろう?
具体的に知りたかったし、もっと聞きたかった。
でも何も答えてくれなかった。
結局殆ど何も語らず、亡くなった。

594:名無し三等兵
07/09/26 07:21:09 4BvDvV5J
そうして歴史は忘れ去られまた繰り返すのさ

595:名無し三等兵
07/09/26 07:23:51
戦争中、女学生だった婆ちゃんは、勤労動員で風船爆弾の製造工場で働いてた。
爺ちゃんは百里ケ原基地って所で、飛行訓練してる最中に終戦。

596:ラプター ◆muRbTeyo.o
07/09/26 08:11:33
>>595
今の茨城にある空自の百里基地だな

597:名無し三等兵
07/09/26 12:45:29
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アサヒ・る【朝日る】
(動ラ五[四])
(1)事実を捏造して悪く言ったり笑ったりする。嘘をつくこと。
「堂々と―・る」「一国の首相を―・る」
(2)自分の利益のために、なりふり構わないこと。
「君は少しー・り過ぎる」
(3)売国をする。国を売る。
「今度の首相はー・るつもりか?」

□まれに親韓派、親中派の行動を指して使われることもある。
「あの人、最近ー・ってるよね」
□朝日(朝鮮在日)が動詞化したもの。

598:名無し三等兵
07/09/26 13:25:53 0F6EI1s6
じいちゃんの話

芦屋飛行場の一時期守備隊?か何かに配属されてて、敵の航空攻撃に備えて航空機を擬装していた。
まだ全ての航空機の擬装が済む前に、敵機が来襲。
爆撃が終わり航空機の損害を確認しに行った所、擬装した航空機は洩れる事無く全機撃破されていた。
しかし、擬装もせず放置していた航空機は攻撃もされず残っていた。
じいちゃんは思った
「一生懸命擬装したのに・・・馬鹿らしかw」

じいちゃんは爆撃機が接近していると聞いた。
すると、戦闘機が次々に大空へと舞い上がってゆく。
じいちゃんは近くにいた兵に聞いた。
じいちゃん「おっ。迎撃に行くとね?」
兵隊「いえ、爆撃されて破壊されないように非難しよるとです。」
じいちゃん「馬鹿らしかw」

戦闘機乗りの人が戦闘機で着陸したときに、照準機で頭を強打して記憶に障害を起こすことが度々あったらしい。
パイロット「ここはどこね?」
じいちゃん「なんばいよっとねw」
そんな時は、あまーい羊羹を食べさせるとか言ってた。

599:名無し三等兵
07/09/26 13:39:10 0F6EI1s6
じいちゃんの話2

戦闘機はしょっちゅう落ちていたらしい。
離陸したかと思うと突然田んぼに突っ込んだり・・・。

これは、どこにいたときの話かは聞いてないけど・・・福岡城辺りに居たときだっけ。
じいちゃんの所属していた舞台の近くには、おばけが出ると噂のお屋敷があった。
近くの道で人魂を見たとか噂も色々・・・。
じいちゃんも見たことあるらしい。
上官の馬を連れて(連れてる理由は忘れた)その館の近くを通ったとき、やけに寒かった。
そしたら、道の近くに生えた木の辺りが「ボー」と、明るくなっているのが見えた。
「そんなはずは無い」みたいに思いながら横を通ったとき、横目でチラッと見たら、何も無いところに青白い火の玉があった。
大急ぎで馬引っ張って逃げたらしいw
ちびったとか言ってたような気がする。



600:名無し三等兵
07/09/26 15:47:57
ばあさんから聞いた話だけど(じいさんはもう居ない)
じいさんは戦時中の夢を見て良く魘されてたそうだ。
中国人をむしろに巻いて生きたまま川に流したり、
井戸に放り込んだりした時のことが、何度も夢にでてきたんだそうな。
(殺した相手が捕虜なのか、ゲリラなのか、民間人なのかはしらん)
じいさんは戦争の話はほとんど絶対と言っていいほどしない人だった。

601:名無し三等兵
07/09/26 18:30:57
俺の住んでる所は、東北の小さな港町だが、戦前、伊号第十二潜水艦の艦長になった人がいる。

地元のお寺に、潜水艦乗組員の慰霊碑があり、不思議に思って祖父に聞いてみた所、この艦長さんの存在を知った。
米軍の輸送任務に就いていたドイツ製の帆船を発見したが、あまりの美しい姿に感動し、
「貴艦の無事な航海を祈る」
みたいな電文を送って、撃沈しなかった逸話や、
艦長が休暇で地元へ帰省した時に見た、真っ白で凛々しい軍服姿がとても格好良かったと、祖父は言っていた。

その艦長さんが乗った潜水艦は、昭和19年11月13日、ハワイ北東沖でアメリカ軍艦の攻撃を受け沈没、全員戦死したそうだ。

602:名無し三等兵
07/09/26 18:57:03
>>601
>撃沈しなかった逸話
利敵行為だな…

603:名無し三等兵
07/09/26 22:24:17
爺さんの徴兵話ではないのだが、終戦ちょっと前に、
実家の上空でB29に飛燕が特攻して撃墜したことが
あったらしい。戦後に実家の持ち山に飛燕の翼が刺
さっているのを確認したとか。
ウソだと思って自分で調べたら、地元の郷土資料館に
似たような話の展示を見つけたときは、ゾッとした。。。

604:名無し三等兵
07/09/26 23:27:14 yNo4D686
戦時中は陸軍士官の御用達だったという近所の高級料亭が廃業。
取り壊された物置から大量の新品の航空眼鏡がでできた。

605:はげ
07/09/27 01:59:09
埼玉の川越市なんだけど
行きがけの近所にある接骨院の院長の実父が語る馬鹿げた実話

存命のその爺さんはもう91歳、終戦時は台湾(のどこかは聞いてない)で当時陸軍航空隊大尉

時すでに爺さんの部隊にはまともに飛ぶ(乗れる)飛行機が全く無く終戦になった、

しかし終戦翌日にはどこからともなくまともな飛行機がぞろぞろと滑走路上に集められていた
見ただけでも雑多な種類で50機以上、あるはずなの光景が心底不思議に思い、
試しに燃料を入れさせ目の前の3機のエンジンをかけて(かけさせて)みたら
なんとみんな快調に回り、さらにそのうちの一機(飛燕らしい)で上がってみたところ
今まで自分が操縦していたどれよりも快適だった
それに心底憤した爺さんはその日部下全員を伴って
まともな機体を温存していた軍司令部に殴り込んで(マジで殴り合い)大喧嘩したと。
白状した参謀が言うには決戦に備えた極秘のえんたい壕があったらしい

騒ぎが収まったあとは、戦争に負けた悔しさ以上に
情けなさと悔しさで立ち直れなかったと。

606:名無し三等兵
07/09/27 02:07:50
父親から聞いた話だが
北海道のじいちゃんは出陣するも病気で送り返されたそうな
北海道だからか、戦後の混乱でも食べ物とかは全然困らなかったようだ
あと、米軍から落下傘を全部焼き捨てろって命令があって、
軍の人(戦争終わったから軍じゃないか…役人?よくわからん)が、
「もったいないから…」って、落下傘をあちこちの家に配って歩いたらしい
米軍は空から飛行機で確認するだけなので、燃やしたのは空箱だけw
丈夫な絹製だったから、いろんな用途に役立ったといってた
紐の部分で網を作って川で魚取ったとか…
全然戦争の話じゃないなw

607:名無し三等兵
07/09/27 02:18:28
>>606
本州程ではないけど北海道でも食糧難はあったんだよ
終戦の年とその翌年は記録的な冷害で
農作物は滅的打撃をうけて、ひどい所では餓死者まで出たからね

608:名無し三等兵
07/09/27 02:23:10
>>607
そうなのか…知らなかった
父親もまだ小さかったろうから、その辺あんま当てにならないなw
本当はじいちゃん自身にも話聞きたかったけど、
俺が軍事に興味持つより前に死んじゃったからなぁ…

609:名無し三等兵
07/09/27 20:13:13
死んだ爺さんが、駆逐艦だかに乗ってたんだが、初の航海なのに船酔いひとつ
しなかかったらしい。で、飯時でもガツガツ食べたあげくに、船酔いでご飯食べれ
ない人の分も貰って食べたらしい。それが原因でボコボコにされた。そのあと、ボコボコ
にした上官が、「―だが、船酔いもものともせず飯を食えるのは偉い」と、誉めてくれた
そうだ。夜に夜食?が出て、お汁粉を4杯も飲んでみんなを驚かせたらしい。

おかげで、色んな上官に可愛がられて、「大食いのクラ(倉吉という名前だった)」
と呼ばれていた。と、爺さんが生きてるときに聞いた。

610:名無し三等兵
07/09/27 20:16:30
別にボコボコにするとこじゃねぇだろそれ・・・
軍隊ってよくわからんな

611:名無し三等兵
07/09/27 20:23:02
とりあえず殴るんだよ

612:uaa
07/09/27 20:48:22 cVYMB3cg
俺が大学生の頃、祖父さんが外出するときは車で送り迎えしてた。
戦前、戦中、戦後と自動車に関係してただけあって、自動車に乗ると機嫌がよかった。
(ここで書いてるネタの殆どはそういう時に聞いた話だ)

ある日、昼飯を食いにビックリドンキーに入った。
祖父さんは戦後貿易関係の仕事で海外を飛び回ってたから、洋食が好きだった。
俺はハンバーグを注文したんだが、祖父さんは別のものを頼んだ。
その時話してくれた。

祖父さんは海南島を出発して、マレーに向かう船上で開戦を迎えた。
船は徴用された商船で、士官食堂で出されたその日の夕食は特大ハンバーグだった。
揺れる船上で無理に食べてため気分が悪くなり、それ以来ハンバーグだけは嫌いになったそうだ。



613:名無し三等兵
07/09/27 20:51:57
>>611
>とりあえず殴る
その時の擬音は『ビビビビ』

614:名無し三等兵
07/09/28 02:26:58
>>613
ラバウル戦記ww

彼は片腕失ったことを親に伝えるために片腕の無い自画像を描いて送ったらしい。

615:名無し三等兵
07/09/28 10:22:50
彼の会ったぬりかべの正体とは一体…

616:名無し三等兵
07/09/28 10:45:04
URLリンク(info.linkclub.or.jp)より
「ある日、見張りをしていた時、敵が後ろから攻めてきて
部隊が全滅したことがありました。私ひとりだけ生き残った。
夜の間に敵は我々を包囲していて、私が皆を起こしに行くのを待っていた。
だけど私は、オウムが面白いので望遠鏡で見ていたんです。
オウムは時間がきても面白さをやめないじゃないですか。
そのうちに日が昇って、しびれをきらした敵が撃ってきたんです」


ちゃんと見張りしてください。゚(゚´Д`゚)゚。

617:名無し三等兵
07/09/28 16:40:30 y/oo2HTZ
漏れの爺は軍人では無いので申し訳無いが、爺は旧国鉄に居て電車の運転手だった。
戦争が始まると運行中、空襲サイレンが聞こえたら次の駅に全速力で滑り込めと言われていたそうだ。

最初に経験した空襲の時は、電車の轟音か?意識して無かったのか,
空襲サイレンがまったく聞き取れなかったみたで、
血相変えて走って来た車掌から言われて空襲だと気づいたと笑って言ってた。

次の停車駅は近いので慌てて速度を上げ向ったと。
駅に入ると慌てて走って来た陸軍の警備兵から急かされてホームを繋ぐ地下道に逃げたそうな。
で、上役からドえらく説教されたので車掌が告げ口したろと思ったし、
次は絶対に聞き逃さないぞと決めたそうな。

二回目の空襲にあった時は神経張り巡らして運転してせいか?
電車の轟音の中にかすかに聞こえた空襲サイレンを逃さず、次の停車駅に全速力で向うが、
電車が全速力なると縦横揺れが激しくなり、今にも電車が脱線してしまうかと思ったと言ってた。

敵の弾に当って死ぬより、脱線して死んでしまうと心底、思ったと。

次の停車駅までが途方も無く長い時間に感じたと言ってた。
空に飛行機が見え始めると通過する鶴見山からは高射砲の煙が立ち上がっているが焼け石に水。
海側の工場地帯に黒い点や火が降注いで煙があっちこっちから上がっていたし、
横浜駅の手前、東神奈川駅は火に包まれていたのを見たと。
そして次の停車駅、横浜駅に入ろうにも駅は火と煙に包まれていたので手前で停車して
乗客を下ろして横浜駅の火を消しに行ったそうな。
火を消しに行ってもロクに火を消す物が無いから物で火を叩いて消そうとしてる内に
次の焼夷弾が降注いで来たので逃げ惑うだけだったと。
結局は焼けて行くだけを見てるだけだったとも言っていた。
火の勢いは凄くて近寄れないし、何しろ熱くて肌が焼かれているようだったと。
下火になり始めた頃に消火が始まったのだが正直、遅いと思ったけど口には出さなかったと。

後にも先にも勤務中に死ぬ、本当に死ぬと思ったのは、あの全速力の時だけと!
何しろ揺れが地震より凄かったし何度も席から浮き上がったと言ってた。

618:名無し三等兵
07/09/28 21:11:05
週末、晩飯を喰いながら聞いた話し。

1.漢口の航空隊で整備兵をしていた。
  と言っても計器類が担当なんで列線での整備は無かった。
  飛行場は物凄く暑く(昭和19年夏の話しと思われる)
  列線の整備兵は暑さで大変だった。
  漢口の暑さは「インド人も逃げ出す」と言われていた。

2.基本的には営外に出る事は禁止されていたが、管理が甘
  かったので、地元の飯屋で飯を食べに良く外出した。
  水餃子、蒸し餃子を良く食べた、そんなに美味しく感じ
  無かったが、戦争が終わったら日本国内でも餃子は流行
  るだろうと思った、但し、焼餃子は見なかった。

  料金の支払いは、隊内で配給されるタバコを持ち出し
  裏通りで闇で、現地の通貨と交換して使用した。
  現地通貨はインフレがすごく、札束をヒモで縛りぶら
  下げて歩くような状況だった。
  日本のタバコは人気が高く、一箱で一回の食事分位に
  成った。

続きます。



619:618
07/09/28 21:12:15
3.漢口から水原に撤退する時、隊内に有った色々な物を
  売り(私物?)、地元通貨を日本円に両替し、持って
  行った、水原は、内地と同じ円が使えた。撤退は昭和
  20年に入ってからだと思う。
  
 *陸軍の航空兵力を水原に集結させ本土決戦に備えた
  移動。

4.水原では、当初は米軍機の攻撃が有ると戦闘機が迎撃
  に出ていたが、じきに、接近の知らせが有ると離陸し
  基地の外で隠れていた。

5.水原の列線には、ベニア製の飛行機を並べて居たが、
  敵はデコイと見抜き、攻撃する事は無かった。

続きます。

620:618
07/09/28 21:12:56
6.8月15日に敗戦の知らせを受け、武装解除の命令で
  基地の保有する機体を全部並べた、最新鋭の四式戦、
  四式重爆がずらりと並び、全部呉れてやるのはとても
  勿体なく感じた。

7.復員帰国し、博多で船を降り、東京まで貨車で移動した
  が、外地と内地の貨幣価値が違って居るので驚いた。

8.広島を通過したとき、ホントに一面何も残っておらず
  新型爆弾の威力に驚いた。  
  広島に新型爆弾が落とされ被害が甚大との噂は部隊で
  聞いたそうです。

9.京浜工業地帯も焼け野原になっており、こりゃ復興は
  大変だと思った。

こんな話しでした。


621:名無し三等兵
07/09/28 23:13:09 E6uaTsAz
>>472
泣きそうになった…

622:名無し三等兵
07/09/30 00:53:01
伯父が海軍志願兵で巡洋艦に乗っていた。(艦名不詳)
ある日乗艦が撃沈され、共に脱出した乗組員達と数日間漂流するハメになった。
幸いにも近くを通りかかった友軍に救助されるのだが、長時間の漂流で皆疲れ切っており、
投げ込まれたロープに掴って引き上げてもらう際に力尽きて落ちる者が多かったそうだ。
そして落ちた者のほとんどは二度と海面に浮かんでこなかったと。
それを見ていた伯父は「腕なんて折れても構わん!」と、ロープを腕にがんじがらめに
巻き付けて引き上げてもらったそうだ。
艦上に引き上げられた後は、玉を思い切り蹴り上げられたと言っていた。

これは幼少の頃に聞いた話なのだが、自分が軍事に興味を持つようになって
「いつか詳しく話を聞きたいな」と思っているまま会う機会もなく亡くなって
しまったのが残念。

623:名無し三等兵
07/09/30 10:18:54
>>622
玉を蹴り上げられたのは気付けのためかな?
救助された直後or直前に気が緩んでそのまま死んでしまうってのはよく聞くよな・・・
切ない

624:名無し三等兵
07/09/30 13:07:52
>>623
呪われた潜水艦・伊-33の事故の時も、
救助されたのは3名だけど、助け揚げられた直後に1人死んだらしい・・・


625:名無し三等兵
07/09/30 17:36:04
>>624
金蹴りで?

626:名無し三等兵
07/09/30 22:31:39
>>625
60mの水中から奇跡的に浮かび上がって、
さらに、海流の早い水域に揉まれながら十数時間漂流、
あげくせっかく助けられたのに、その場で力尽きて絶命してしまう、
そんな人もいると思えば、
お前みたいな糞馬鹿は生きているんだな、
まさしく神様は堅気じゃない

627:名無し三等兵
07/09/30 22:34:58
死にそうな奴かどうかを判定するのに玉を蹴るとかあったような。

628:名無し三等兵
07/09/30 22:42:38
ちなみに、
その時浮上に成功したのは10数人はいたようだが、
その場に少尉がいたにもかわらず、
「若造が。」と侮ったのか、ベテランの兵曹がそのうち9~8人と勝手に泳いで行ってしまい、
取り残された少尉とその場の2人だけが、反対方向に向けて泳ぎ出したそうだ
十数時間の漂流のち助けられた少尉は、
「やっぱり、俺が選んだ方向は失敗か、1人死なせてしまった・・・ベテラン兵曹らはとっくに救出されてるだろうな・・・」
と後悔したそうだが、「いや、救助されたのはあなた方だけですよ?」と言われ、
改めて運命の不思議さを噛み締めたそうだ

629:名無し三等兵
07/10/03 08:11:27
>>627
助かった事にホットして、死んじゃうからキンタマ蹴るんじゃなかったっけ?

630:名無し三等兵
07/10/03 08:22:07
>>629
キンタ負けるな!

631:名無し三等兵
07/10/03 09:54:10
キンタ負けが多い 

632:名無し三等兵
07/10/03 11:14:06
キンタマカオに着いた

633:名無し三等兵
07/10/03 13:02:29 g83YDPy9
「金太の大冒険」よりも「極付けお万の方」のほうがマニアックだぎゃ。
URLリンク(homepage3.nifty.com)

634:名無し三等兵
07/10/03 13:50:41
よく海に何日もつかってた話を聞くけど、
低体温症は、大丈夫なの?
南方の海では大丈夫そうだけど、本州近くだとやばい?

635:名無し三等兵
07/10/03 16:41:50
お万~子鹿に触る~♪

636:名無し三等兵
07/10/03 20:59:42
>>634
本州近くといっても場所と季節で大違いじゃない。
冷たい海では「海に落ちたら何分も持たずにアウト」だそうだし。

637:名無し三等兵
07/10/03 21:55:42
アッツ燈沖で酔って落っこちた潜水艦の艦長さんがですね

638:名無し三等兵
07/10/03 23:41:20
>>643
赤道付近の表面海水温度は
温水プールの温度とほぼ同じ
まあ、全身ふやけるだろうがな

639:名無し三等兵
07/10/04 02:16:48 tKZEtc3m
>>633-635
「金太の大冒険」は発売後二十日で放送禁止になったが、
「極付けお万の方」は六日で放送禁止になった。

640:名無し三等兵
07/10/04 21:32:45
>>637
板倉光馬艦長かw

「酔って海に落ちて死ぬ奴が多いから気をつけろよ」と言ったその晩に
自分自身が泥酔状態で落ちて心肺停止するも、普通に蘇生した人だからなぁ…
常人ならば四肢の血管が収縮して逆流、そして心不全起こして死ぬはずが
洒落にならんくらいに飲んでたおかげで血管が限界まで拡張していたから助かったんだっけか

641:名無し三等兵
07/10/04 22:02:47
昔伯父に聞いた話だが、彼は軍艦(艦名は聞いてなかった)の機銃撃ってたみたい。
で、豪州に行ってたと聞いた。

敵機群が機銃掃射しながら海面スレスレでこちらに迫ってくるらしい。
機銃手が撃たれたら新たに人が替わって撃つんだけど交代する者も次々と撃たれ
て艦上は悲惨な状態だったって。

艦名とか詳しく聞いておけばよかったな。
豪州の海戦ってソロモンの海戦とかかな?

642:名無し三等兵
07/10/04 23:14:26
珊瑚海だったりして・・・

643:名無し三等兵
07/10/05 03:16:02
まさに「戦艦武蔵の最期」状態だな

644:名無し三等兵
07/10/05 07:42:01
俺の曾祖父は、久留米の菊部隊だった。

中国大陸で数々の戦闘に参加するも、ビルマで戦死。確か部隊も壊滅状態になったと聞いた。

実家に軍服姿の遺影が飾ってあるけど、
当時の日本人にしては体格が良く屈強そうな若者だった。

645:名無し三等兵
07/10/06 02:31:39
世界最強と言われたという久留米の竜兵団の方のお話は無いですか?

646:uaa
07/10/06 04:46:20 ZKf07L81
>>644
うちの祖父さんは自動車部隊でビルマにいた。
インパール作戦の時は参加部隊を運んだそうだ。
戦争中の事をいろいろ話してくれたが、インパールの話はあまりしたがらなかった。

647:名無し三等兵
07/10/06 05:44:04
ばぁさんの話でもいいか?

うちのばぁさん、大陸からの引き上げ者なんだけどさ、やっぱりロスケが攻めてきたとき、軍人さんに手りゅう弾渡されたってさ。

幸いにして使わずにすんだから、俺が生まれてるわけなんだけど。



648:名無し三等兵
07/10/06 06:04:03 ZhW8Onp3
父方の祖父は大陸に従軍した。
中国人は優しかった。
飯も酒も旨かったし、特に女がなぁwとよく言っていた。
ロシア人の姉ちゃんとデキてたらしく、未だに写真を眺めてたりする。

砲兵で観測員?だったらしく、戦闘は極めて楽で、38を敵に撃った事は一回もなかったらしい。

しかしそんなじいちゃんにもピンチが訪れた。

ある日いつものように「だんちゃーくよーしへいよーそろー…あー髪伸ばしたい軍団ヤダヤダ」とグダっていたと。

しかしよく双眼鏡を見ると中国兵が恐ろしい数で突撃してきていた。
前線は崩壊し、友軍は凄い勢いで砲兵隊の方に撤退していた。

そこで我が祖父は塹壕?で死んだフリをした。
頭の上を中国兵が走り去って行き生きた心地がしなかったそう。
その後友軍が盛り返して助かったとか。
未だに「みんぱーいwww」とか怪しい中国語を話す90歳です。

ちなみに祖父はヘタリアのハーフです。

母方の方はエジプト人と混じってたので顔つきで二人共軍では嫌な目にあったみたい。
長崎出身の人は結構混じってる人多いと思う。

まぁ話しが逸れたが、そのおかげか、当時の日本に染まらず戦争で死ぬのは真っ平ゴメン精神を発揮してくれて、俺が今いる訳だから感謝してます。

649:名無し三等兵
07/10/06 06:04:43


650:名無し三等兵
07/10/06 09:33:39 Ia15YzxB
俺の爺ちゃんは天津で軍用犬の訓練をしてたぐらいw
友達の爺ちゃんは大和が出来た時に艦内に乗ったことがあるらしい。
その時にどっかの部品を取って持って帰ったって聞いた。
別の友達のじいちゃんはジャングルで友人が米兵に頭をナイフで刺されて殺されるのを目撃したらしい。
そのまた別の友達のじいちゃんは海軍だったけどお前若いから乗らなくていいと言われて、結局乗らなかったけど
その後その船は敵に沈められたらしい。

651:名無し三等兵
07/10/06 09:41:14 oeZFXZfp
開戦時からパイロット。写真も残っている。
○鶴の搭乗員だが何の飛行機に乗ってたのかは聞いてなかった。
大戦末期は予科練で教官をしていた。

652:名無し三等兵
07/10/06 13:52:19 Y4XHLdWs
【技術】兵科以外の軍科スレッド【主計】
スレリンク(army板)

「技術」「主計」「衛生」「軍楽」「法務」などなど、兵科以外に
所属していたおじいさまがいる人はこっちにも書き込みどーぞ。


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