あなたのおじい様の戦争体験を教えて その16at ARMY
あなたのおじい様の戦争体験を教えて その16 - 暇つぶし2ch244:名無し三等兵
07/09/03 18:47:42
戦闘しない後方はだいぶ士気が下がってる部隊があったって聞いたことある
情けない話だからあまり話してくれないけど

245:名無し三等兵
07/09/03 20:53:42
>>244
水木しげる先生の戦争マンガ『総員玉砕せよ!』
でも、玉砕に走る若い連隊長を古参の中隊長がそんな事を言って諌めようとしてたね。
「なんでそんな奴らの為に俺ら死ななきゃならんの?」って。

これのTVドラマ版↓、ぜんぜん期待してなかったけれど戦闘場面とかけっこう良かった。
URLリンク(www.nhk.or.jp)

246:名無し三等兵
07/09/03 23:54:48
うちの爺さんは、朝鮮のとある街の警察署長だったらしい。
軍人じゃないけど、それっぽい制服を着て、軍刀(?)を突いて
椅子に座ってる写真が飾ってある。
終戦直後、爺さんは連行されたって。
ばあさんと子供(漏れの親+おばさん)たちは
復員船で舞鶴に命からがら引き上げてきたらしい。

もちろん、ウチの墓には爺さんの骨は入ってない。

247:名無し三等兵
07/09/04 05:15:15 kQvnTjUy
>>246ニダーの餌食になってしまったのだな……終戦直後の朝鮮も相当な騒乱だったらしいな。


近所の婆さんが朝鮮からの引き上げ者なんだが、避難の際集団で橋を渡った時前を行く人が川岸から狙撃された。皆荷物を捨てて腹這いになり、狙撃の銃弾の中を必死に渡ったと言ってたな。

248:名無し三等兵
07/09/04 05:48:03
近所のじいさんがようつべにある
戦前の東京のカラー映像見ていきなり発狂した。
これはワシの知り合いじゃ!!知り合いじゃ!!

どうせ勘違いだろwって思う。


249:名無し三等兵
07/09/04 08:29:10
爺ちゃんは壊疽で左足切ったんで戦争にはいかなかったんだが
戦後は街で傷痍軍人演じてた。けっこういい稼ぎになって家族楽々養えたらしい。
その頃使ったアコーデイオンをよく弾いて聞かせてくれたがうまいもんだった。

250:名無し三等兵
07/09/04 08:30:21
>246>247
親戚のばあ様から聞いたけど終戦直後、その様にチョンに殺された日本人は
1000人や2000人では済まないそうな。
強姦なんて、その何十、何百倍・・・

ぜひ、謝罪と賠償すべきだな。

251:名無し三等兵
07/09/04 11:25:01
戦後略奪した駅前などの一等地も返せよな。

もちろん借地料、賠償金、謝罪もセットでな。

252:uaa
07/09/04 17:03:06 Fq/2Uah6
>>249
アコーデイオン持った傷痍軍人って20年くらい前までいたよな。
戦争行って来たにしてはやけに若い奴www

253:名無し三等兵
07/09/04 18:31:04 0RqdW6k1
家のじいちゃんに聞いた話だが、戦争後半の時に特攻隊に志願して、訓練を受けていたら終戦してしまったらしい。

この時、ばぁちゃんと出会ってなかったらしいので、もう少し戦争が長続きしていたら、ここにレスすることも出来なかったと思う。

254:名無し三等兵
07/09/04 21:35:01
>>250 >>251
お気持ちはよ~くわかるんですが
そんなことを言ってはどこかの後ろ向きな人種と一緒になってしまいますよ。
「もう戦争は終わった」し、賠償も国家間で済んでるんですから前向きに生きましょう。

255:名無し三等兵
07/09/04 21:49:19
ばーちゃんの話によると、俺の大叔父にあたる人が満州の満鉄で
働いていたらしい。その人は満人の襲撃で殺され、首が杭の上に
置いてあり、体は線路の上に放置してあったらしい。

256:名無し三等兵
07/09/04 22:29:59
>>254

最低でも戦後61年間日本国が被った様々な不名誉と被害だけは
帳消しにしたいのだが・・・
もしかしてザパニーズさん?

257:名無し三等兵
07/09/04 22:37:23
>252

兵隊乞食て商売がありましてな・・。

258:名無し三等兵
07/09/04 22:47:29
>>256
ザパニーズなら「賠償も国家間で済んでるんですから」なんて書きませんよ(苦笑)
かの国は絶対に帳消しなどしてくれません。
不当な賠償請求が1つ通ればきっとまた別の要求を出してきますよ。
こちらが誠意を持って接しても裏で舌を出している。
哀れなことにそういう国民性のようですから・・・。

259:名無し三等兵
07/09/05 00:31:32
>256
ホント、不名誉と被害は帳消しにしたいと思う。
が、戦後、及び腰になってしまった日本人にげいいん(なry
があるのかもしれないね・・・

>254
ソソ、もう戦争も終わったし、賠償も済んでるんだから、
今更「従軍慰安婦」問題とか出してもらいたくないよね。
特別に永住の許可をもらってる人も、不満があるなら
帰国すりゃいいのに・・・。無理して日本に居て貰わなくても
いいと思うんだけど。

そもそも日本人じゃないんだから。
外国に行ったら、郷に従わないとねw

260:名無し三等兵
07/09/05 00:49:02
>>259

何より重要なのは向こうの国のは「ありもしない言いがかり」で
こちらは正当な抗議なんだよねw
日本人ならこの二つを同義と捉えられないはず

261:sage
07/09/05 01:04:50

2連投お疲れ様

げいいん=×
げんいん=○

次は日本語の復習をしてからだな

262:名無し三等兵
07/09/05 01:15:16
みなさんの先祖で、ナチスドイツのハニトラにかかって三国同盟に
賛成した海軍軍人はおられませんか?

(参考)
「昭和史の論点」坂本多加雄 他著 文芸春秋 2000
p127
保坂「ドイツでは、メイドの名目で若い女性を日本の武官と一緒に住まわせた
    といいます。これが実質的な現地妻だった。」







263:名無し三等兵
07/09/05 01:24:29
>>262
その頃から、日本人はメイドに弱かったんだね…

264:名無し三等兵
07/09/05 02:56:24
メイド・イン・ジャパ(ry

265:名無し三等兵
07/09/05 05:21:00
俺が幼稚園の頃、じいちゃんに戦争の話してっていったらこんな話をしてくれた。

外国のな、島にせめていったんだよ。
戦艦で、大砲いっぱい撃ってから、船で島に攻めるんだ。
そしたら、島から戦車がでてきてな、わしら動けんくなった。
そしたら、戦艦がきてくれて、また大砲を撃ってくれた。
戦車が壊れたので、どんどん先に進むと、敵も味方も入り乱れて
どっち向いても、敵も味方もいるんでな、どっちにも撃てなくなったんだ。
相手も撃ってこなかった。しょうがないから、みんなで(敵も味方も)呆れて笑ってたら
誰かに肩撃たれて(傷跡残ってる)な、そのまま船まで運ばれて
(家まで)帰ってきたから、その後のことは知らんw

この話はたぶん作り話だと思うけど
実際にそんなことあったのかなぁ

従軍はしていたらしいし、肩の傷も銃創みたいだったけど
本当はどこで何をしていたのか、墓の中までもっていった爺さんでした。



266:名無し三等兵
07/09/05 07:13:54
>>265
ハスキー作戦参加者乙

267:名無し三等兵
07/09/05 11:03:02
近所のご老人から聞いた話
玉音放送があった数日後、近所に住む少々仲の良かった半島の方が
人格が変わってしまったそうです。
それまでは、普通の日本人と変わらなかったのに、ある日を境に
ヤクザ以上の野蛮な人になってしまったそうです。

268:名無し三等兵
07/09/05 12:32:26
十年近く前だけど、祖父の葬式の時、沢山の戦友会の人達が来てくれた。
「今、私達がこうして生きているのも、隊長殿の決断のおかげです。本当に感謝しています。」
って、みんな口々に言っていた。

祖父の命日には、戦友会の人達が毎年訪れてくれていたが、年々少なくなり、遂に今年は誰も来なかった。
聞いた話だと、高齢化で戦友会も解散したらしい。

戦時中、祖父が率いた部隊はフィリピンにいたらしいが、詳しい話を聞いていなかったのが本当に悔やまれる。

269:名無し三等兵
07/09/05 12:38:40
某観光名所の近くの商店のおじいちゃんの話。

漏れ「(某観光名所)ってどうやって建てたんですか?
   昔のことですから大型クレーンもないでしょうし、
   昔の人はすごいですねぇ。」
店主「馬で材料を運んで全部人の手で作ったな。
   でも危険なところは朝鮮人か食い詰めた日本人が
   やったな。」
漏れ「え?え?」

詳しく聞いてみると朝鮮人や食い詰めた日本人が
タコ部屋みたいな感じで働かされてて、
とくに危険な箇所をやらされてた、とのこと。
今となってはその朝鮮の人たちは「強制労働ニダ!」
なんて言ってるんだろうか・・・。

戦争体験じゃなくてすまん。

270:名無し三等兵
07/09/05 13:27:27
「それでも当時は半島祖国にいるよりマシなくらしが出来たんだよ。」
って、そのじいさん言い忘れてるよ。

271:名無し三等兵
07/09/05 13:40:13
うちの爺様から十年以上前に聞いたはなしだが
関東大震災のとき火事場泥棒していた挑戦人を
とっつかまえて、皆でぼこぼこにしたそうだ。
やつらは死人の着物まで平気で持っていくとお
こっていた。
泥棒とかは挑戦人、日本人の差別無く皆ぼこぼこ
にされていたそうだ。

272:sage
07/09/05 13:57:47
その通りだね
スレ違いだが
一つごく普通の例を挙げれば
当時半島の人達の住居にはトイレが無かった
と言うか、トイレで用をたす概念が無かった
全て外(あたりかまわず)で用を足していて
だからどこへ行っても強烈な異臭がした


ついでにもう一つ
某国営放送で識者とゲストのユンソナの会話

ユンソナ
「日本の女性はなぜ肌を露出して街を歩いているのかが不思議」

識者
「当時韓国の既婚女性で子供がいる人は全員乳房をあらわにして、
私は既婚で子持ちと体で意志表示していたんですよ」

ユンソナ「、、、。」

273:名無し三等兵
07/09/05 14:10:20
このスレはあまり差別主義っぽくないので、
挑戦関係の話も本当っぽく感じる・・・というか
「偏見をなくそう」というバイアスを持っちゃうと
黒いとこをスルーしちゃったりとかあるし。

それにしても2ちゃんやるまで日本と韓国がこんなに
ややこしい関係だとは全然知らなかった。

274:名無し三等兵
07/09/05 14:30:16
>>268
万歳突撃を選ばず、降伏して沢山の部下の命を大事にしたんだろね

275:名無し三等兵
07/09/05 14:31:53
挑戦人のすべてが悪いやつではないんだろうけど
悪いやつが多いというのは事実だな。

276:sage
07/09/05 15:07:22
挑戦の反日教育は日本人が思っている以上
異常なくらい日本をコケ降ろしてから
本題の小中華思想に入るんだよ
ゴミみたいに見るのが当然と教えられるんだから
たまったもんじゃないぜ

277:名無し三等兵
07/09/05 15:15:16
>>275
悪く見えない奴が元凶。

278:名無し三等兵
07/09/05 16:19:31
親類のおばあさんから聞いたことあるけど
戦争が終わってしばらくは挑戦人が、「朝鮮進駐軍」
と名のって、やりたいほうだいしていたそうで
鉄道には無賃乗車、日本人から略奪した当時は貴重
な物資を闇市で売って大もうけ、警官でも集団で
襲われて殉職するしまつ、この朝鮮進駐軍は好んで
戦時中の特攻服(日本軍の飛行服?)を着ていたそ
うで、特攻服を見ると若い女性は直ぐに隠れた、
捕まると強姦されるからだって

当時、日本に残った挑戦人に良い人などいないそうだ
なぜなら、まともな挑戦人は皆、国へ帰ってしまった
からなんだって

あと、戦後大陸から引き上げて来る際、半島を通った
日本人は筆舌にしがたいほどの、あらゆる暴行を挑戦
人からうけたそうだよ。

279:名無し三等兵
07/09/05 16:38:18 1OyIlBjI
オイラの父ちゃんのジーちゃん、陸軍大学出て、中将までいった。
そいでもって、トーちゃんから大学進学するとき防衛大学受けろといわれた。
そのときの人脈ってまだ使えるとか言われた。
じゃが、トーちゃんが公安関係の仕事しとるから、まさかと思って受けなかった。


280:名無し三等兵
07/09/05 16:52:57
>父ちゃんのジーちゃん
ヒイじいちゃんかな?
その文章では、防大無理でしょw

281:名無し三等兵
07/09/05 17:11:42
>>269
貧しいとはこーゆーことだよな。

昨晩シルクロードをみてたら、石油マネーで潤うサウジに出稼ぎしている
外国人労働者が登場したのだが、まぁ・・・ですわ。

282:名無し三等兵
07/09/05 18:26:33
俺のオヤジは子供の頃、ある日突然家中の障子やふすまがカタカタ鳴りだした。「どこかが米軍にやられてんだろ?」とお袋が言った。次の日の新聞には「岩手県釜石に鑑砲射撃」との見出し。遠く離れた秋田の山の奥まで聞こえたとは…戦争恐るべし!

283:名無し三等兵
07/09/05 19:41:18
>>282
うちの親父は釜石で育ったそうだが、チンポコ出して川で泳いでたら、
釜石沖の空母から飛んで来た艦載機に、狙われたって言ってた。
あまりにも低空飛行だったから、爆笑してる米軍パイロットの顔まで見えたらしい。

284:sage
07/09/05 20:41:43

終戦間際は
ゲーム感覚で笑いながら無差別殺戮をしたんだよ
アメ公は

285:名無し三等兵
07/09/05 20:42:08
>>283
東北沖にまで空母来てたんだね
なんかスゴいな

286:名無し三等兵
07/09/05 20:49:23
>>285
それどころか白昼堂々艦砲射撃もやってる(つまり、大砲を撃ってる軍艦が陸地から肉眼で見える)
でも、日本は既に反撃する力がなかった

287:名無し三等兵
07/09/05 21:01:36
>>278

2年前親戚の子供達に
「何で総理が(靖国)神社に行くとテレビで怒られるの?」って聞かれて
ちょうど良いからいろんな事を教えてあげた、
そのとき日本のヤクザの大半は朝鮮半島の人で云々言った後
徴賎進駐軍の話をしたら家のばあさんが急に(((;゚Д゚)))ガクガクブルブルして
「徴賎進駐軍?ありゃあ本当に怖いよ」と一言だけ言った
大叔父さん(元警官)は会うといつも三国人がいかに恐ろしかったかの話
爺さんも帝都で補助憲兵で終戦を迎えたが9月半ばまで東京に居たため
徴賎の人を嫌ってた


288:名無し三等兵
07/09/05 22:01:41
岩手県の釜石って、当時は東洋最大の鉄の鉱山だっけか??


そりゃ標的になるわなぁ…

289:名無し三等兵
07/09/05 22:34:18
>>284
特にパイロットには覚醒剤(アンフェタミン)の服用をさせていたといいますから
ラリッたアメ公が「人間と思ってない日本人」を子供であれ何であれ撃ち殺したんですね。
その感覚あればこその「原爆」だったんでしょうね。

覚せい剤は日本でも特攻隊に使ってたとの話も有りますが、民間人相手じゃないしね~。
ちなみにアメリカでは今でも戦争の際に使ってるそうです・・・。

290:sage
07/09/05 23:04:46 a5zs6bCJ
>>289
米軍のアンフェタミン服用は今は許されていないよ
特攻隊員が飲んだと言われている麻薬も史実では確認されてはいない

当時アンフェタミンを飲んだ米軍パイロットが無抵抗の日本の一般人を
虫けらのように追いかけ回し「楽しがって」殺したのは>>284の通り確かな史実
大戦直後では撃墜されて生きて両手を上げている
日本のパイロットを体中蜂の巣のようにされて殺したくらいは沢山ある

291:名無し三等兵
07/09/05 23:07:07
>>特攻隊員が飲んだと言われている麻薬も史実では確認されてはいない

そりゃそうだ、飲んだのは覚せい剤だから。

292:名無し三等兵
07/09/05 23:40:23
>>291
飴玉?

293:名無し三等兵
07/09/05 23:42:49
sage間違うわ、麻薬と覚せい剤を間違えるわ・・・。
あと、大戦直後に撃墜??なんじゃそりゃ??
こりゃ信憑性無いなw

294:sage
07/09/06 00:08:20 WDXYHm9t
すまん訂正
戦争が終わった直ぐと解釈されても仕方がない

大戦直後=×
大戦開始直後=○

勘弁してくれや

295:名無し三等兵
07/09/06 00:27:15
↑ヲイ!

ダメだこりゃ('A`)

296:名無し三等兵
07/09/06 00:51:59
大戦中に、撃墜されて生きて両手を上げている
日本のパイロットを体中蜂の巣のようにされて殺したくらいは沢山ある

じゃないの?

297:名無し三等兵
07/09/06 01:18:19
昭和30年代に書かれた某小説が最近復刊されたんだが、三国人という表現がまずいというので、
そこが「アジア人」になっている。全く違うものだと思うが

298:名無し三等兵
07/09/06 10:05:15
マジでchonを頃したくなった。

299:名無し三等兵
07/09/06 11:16:58
>>291
夜戦パイロットが覚醒剤を「ブドウ糖」ということで軍医から投与されていた
って話が以前、航空ファンに載ってなかったっけ?

300:名無し三等兵
07/09/06 11:33:46
釜石で思い出したけど、近くの場所かどうか分からないが、「後藤野飛行場」ってゆう、日本で最も北から特攻機が飛び立った基地があったらしいね。

301:名無し三等兵
07/09/06 11:47:23
URLリンク(messages.yahoo.co.jp)
在日の本音です。 こわいね。

302:名無し三等兵
07/09/06 12:15:02 qNLYE3nx
スマトラへいってたじっちゃん、食料が尽きたので鳥を食べようとして撃ったら
バラバラになって食えんかった。おまけに敵に見つかりえらい目に遭った。と言ってた

ダムダム弾なんか使うわけないし、そんなにバラバラになるものなのかな。
貫通しそうな気がするけど。

303:名無し三等兵
07/09/06 13:13:45
>>302
そりゃ拳銃程度なら貫通で済むけどライフルならバラバラになるべ。
まして鳥なんて飛ぶために中身スカスカなんだから。

304:名無し三等兵
07/09/06 13:37:00
>>300
今の北上市後藤野にあったヤツだな

ちなみにその近くの山では、確か中島の飛行機工場も建設されてたりしたよ

305:名無し三等兵
07/09/06 14:46:48 DuwV5zOi
じいちゃん、町内会の防衛隊にかり出されて福山航空隊の警護をしたんだって。
基地には春嵐じ?パナマ運河を爆撃するための艦爆があったそうな。
町内のおじさんたちと銃の形をした木を持って歩哨に立ってたらしい。
当時17歳。
そしたらP38(双胴の悪魔)に機銃掃射されてチビッたそうだ。
グラマンやP51にも機銃掃射されたらしいがP38が一番怖かったらしい。
大火力だからな。
パイロットの顔はもちろん、ゴーグルの中の青目まで見えたそうだ。
まるで鬼に見えたそうだ。
それにしても艦載機でもないのに何処から飛んで来たのだろうか?
危険のない任務と言われいたけど、しょっちゅう空襲があるので
村長さんに頼んでもらって任務を解いてもらったそうだ。
あのでかい戦艦大和は秘密裏に建造されたのに、何処から春嵐の情報が漏れたのだろうか?

306:名無し三等兵
07/09/06 14:48:39
空気銃だって、スズメを撃つとき、4.5mmだときれいに貫通するが、5.5mmだとバラバラ
になってしまうことがある。

307:名無し三等兵
07/09/06 15:05:52
>>306
通報しますた

308:名無し三等兵
07/09/06 15:58:53
動物愛護団体の者ですが

309:名無し三等兵
07/09/06 15:59:48 K55Vt1oR
タンソニュット空港の端っこで、米軍のファントムをライフル銃で撃墜した
っていう、ジジイの自慢話がベトコンの間で流行ったことあったよな

あれって、マジなのかよ?

310:名無し三等兵
07/09/06 16:06:30
>>309
運転手に当たれば落ちるわな

311:名無し三等兵
07/09/06 16:36:31
>306-307
違法改造エアソフトガンじゃなくて狩猟用の空気銃のことだよ

312:名無し三等兵
07/09/06 16:39:44
>>306
動物愛護団体の方からきますた


313:名無し三等兵
07/09/06 16:50:49
スズメは、狩猟許可されているよ。

314:名無し三等兵
07/09/06 17:01:38
狩猟免許を持っていれば、猟期中(11月15日~2月15日)にスズメを撃つことに
何等問題は無い。


315:名無し三等兵
07/09/06 17:05:34
バラバラになってしまうかとがわかっていながら5.5を使うことに鬼畜性を感じる

316:名無し三等兵
07/09/06 17:09:18
だから、スズメ撃ちには4.5mmが適当だという主張だが?
何が問題なのか?

317:名無し三等兵
07/09/06 17:20:21
>>316
もういいよ変態

318:名無し三等兵
07/09/06 17:24:50
>>317
法律で認められているんだぞ!
何だ?その書き込みは?
真性の基地外か?

319:名無し三等兵
07/09/06 17:34:54
>>299
覚せい剤やコカインも広義では麻薬だが、麻酔などにはできず中毒性もないらしい。
気分が高揚し、常用すると錯乱状態になる。

余談だがアヘン、モルヒネ、ヘロインの三兄弟が痛みを消し新陳代謝を変調させる薬物。
ラリッたりはしないが中毒性があり、やる気を無くす。数年で危険な禁断症状に至る。

それぞれ原理は違うが劇薬で、過剰摂取すれば一発で死ぬ。常用すると睡眠や体調管理ができなくり廃人になる。

320:名無し三等兵
07/09/06 17:42:34
>>318
殺生してることを声高に主張するなバカ

321:名無し三等兵
07/09/06 18:44:59
>305
もともと機密保持の意識が低い。イージス艦の情報流出どころじゃない甘さ。

テスト部隊や会社の従業員から噂がながれでた。
前線は新型を心待ちにしてたから格好のネタになったわけ。

烈風もかなり正確な情報が流れてたな。

322:名無し三等兵
07/09/06 19:14:54
それが事実なら晴嵐だろう?

春嵐は架空戦記(紺碧の艦隊)

323:名無し三等兵
07/09/06 19:32:14
うちの裏の秋田犬のおじいちゃんが戦時中大陸で春麗をいっぱい犯したって言ってた。
太ももがボンレスハムみたいで重労働だったって言ってたよ。
もちろん犬だから獣姦で、戦争犯罪にはならないんだってさ。

324:名無し三等兵
07/09/06 19:41:17 Tlymvr0X
>>320
ベジタリアン?
植物にも命は有るんだ

325:uaa
07/09/06 19:45:37 mJ9WwEo7
>>323
栃ノ嵐の息子か?

326:名無し三等兵
07/09/06 19:54:00
いまのお菓子メーカーが
戦争中に飴でもうけた話を読んだキガス

327:名無し三等兵
07/09/06 20:04:58
>>320
お前さんは、何も食べることができず、飢え死にするのを待っているのか?

328:名無し三等兵
07/09/06 20:51:17
スルーしろよ

329:名無し三等兵
07/09/06 20:51:56
>>309
「イントルーダー怒りの翼」でその話のオマージュのような
シーンが冒頭にあるよね。

330:k
07/09/06 21:00:29 KH5jaeP7
人殺しの子孫が偉そうにしてるスレでつねw

331:名無し三等兵
07/09/06 21:18:46
>>330
朝鮮人は人間じゃないから殺しても殺生にならないよ。

332:名無し三等兵
07/09/06 21:22:37
スルーしろよ

333:名無し三等兵
07/09/06 22:09:25 +aH8wDhM
kinenkan-mikasa.or.jp/epi/matsuyama.html
 ↑四国の人間が好きになった!

334:名無し三等兵
07/09/07 00:00:33
>>333
これ↓を貼れと言われた気がした
URLリンク(nukkorosu.80code.com)

335:名無し三等兵
07/09/07 03:08:07 i8mlkFM8
間違ってハン板にかき込んじゃったw
マルチまがいスマソ


俺の父方のじいさまは、身長だか体重だかが足りなかったので乙種合格になってしまった。
そういう訳で、外国の戦地にはいかず、東京の局所防衛に回された。
じいさまは学は無いが、商人の家の生まれなので数字には強い。
そんな理由で任されたのが、高射砲の三番砲手。
じいさまの説明では良くは分からなかったが、どうやら
数字がいっぱい飛び交うポジションらしい。

当時血の気が多かったじい様は、鬼畜米英に一矢報いようと意気込んでいた。
しかしじいさまがそこで見たのは、敵機の墜落する姿ではなく、
戦闘になるたびに散っていく、高射砲前面に配置された一番砲手、二番砲手の姿。

飛び散る血しぶき、そして肉片。

そして次の戦闘までには、砲手が補充されてくる。
そしてまた、名前も覚えぬ間に散っていく。

そんなじいさまは運良く生き残り、未だ存命。
じいさまは最近、すこしボケてきた。
もうあの頃のことを話してくれることは無いだろう。

この話を聞いたとき、俺はまだ小学生だったが、
そんな人がいて、今の自分と日本があることを強く感じた。
本の上ではなく、リアルに感じられる「日本史」そのものであったからだと思う。

336:名無し三等兵
07/09/07 03:10:35
局所→局地
スマソ。どこ守ってんだw。

337:名無し三等兵
07/09/07 03:52:49
>>336
いい話なのに、噴いたじゃねぇか(w
局所を守るのも大事だぞ!ウン。

338:名無し三等兵
07/09/07 09:59:45
朝鮮進駐軍は殺人、暴行、強姦、略奪集団だった

怖いのは、今でも同じ町内に住んでいたりすることだね

339:名無し三等兵
07/09/07 11:53:39
俺の爺ちゃんは知覧の整備兵だったんだが、ある特攻隊員と親しくなって
いろいろ面倒を見ていたらしい。そして明日、出撃という日になって
自分は女性を知らないのでぜひ遊郭につれていって欲しいと頼まれた。
それではということで遊郭につれていきなじみの女郎に心づけを十分にわたしやさしく
教えてやってくれと頼んだ。それで彼は一晩過ごし
満ち足りた顔で返ってきた。爺さんはどうだったと聞いたら彼は「もう思い残すことはありません
本当にありがとうございました」と礼を言った。そして彼は出撃していった。
2、3日たって爺さんが遊郭に出かけ例のなじみの女郎を呼んだら、彼女は手に包帯をしていた。
どうしたんだと聞いたら、彼女は泣いて語り始めた。「自分は母を早く無くして女性に触れたことがない。
手を触らせてもらえませんか」と彼は頼んだらしい。そして彼女の手を握り、故郷のこと、友人のこと、学問のことを
とりとめもなくしゃべり、いつしか彼女の膝枕で眠ってしまたらしい。
「この手は一生誰にもふれさせない。それがあの子の思いに対し私ができること。」と彼女は語りながら泣き続け
爺さんも涙が止まらなかった。

こういう人の犠牲のおかげで今の日本があると本当に思います。



340:名無し三等兵
07/09/07 12:21:13 XktzAmfp
俺が泣いた。

341:名無し三等兵
07/09/07 12:45:20
漏れも泣いた

342:名無し三等兵
07/09/07 13:18:45 09+AH/dt
うちの母方のじーちゃん八路軍だったよ。
トンネル設計の仕事だってさ

343:名無し三等兵
07/09/07 13:51:49
>339
こ~ゆ~エエ話は
松本さんとかにパクラレないように
みいなよく覚えとけ

344:名無し三等兵
07/09/07 15:02:37
>>339
まじにコックピットの続編にできそうな話だ。
M本0痔さんなら飛びつくかも。

345:名無し三等兵
07/09/07 15:15:44
>>336
皇居じゃね?

346:名無し三等兵
07/09/07 15:15:47 ZXzonrP+
>うちの母方のじーちゃん八路軍だったよ。

つ~ことは、おまい、1/4ほど支那人かよ?

347:名無し三等兵
07/09/07 16:03:51 99bTa5Xd
>>339
昔読んだ本宮ひろ志のマンガに似た話しがあったような気がしたが。
あるいは本宮氏がその話しを取り入れて描いたのかもしれない。
どちらにしても切ない。

348:名無し三等兵
07/09/07 16:11:47 M+ITaMwb
>>343
もう漫画になってるよ…
本宮だったかな?

349:名無し三等兵
07/09/07 16:21:47 M+ITaMwb
かぶってた…orz


350:名無し三等兵
07/09/07 16:36:28
>>347>>348
多分、『ゼロの白鷹』だ。
歴戦のパイロットである主人公に、新品隊長の少尉が女郎屋に連れていってもらって、そんな展開になった。
その日、その姐さんは手に包帯を巻き、取った客に「何だその包帯」と言われたんだっけな?
そんな風に記憶してる。

351:名無し三等兵
07/09/07 17:38:46
今帰宅したんだがいきなり泣かされた

352:名無し三等兵
07/09/07 17:53:44
>>339のおじい様は>>350のモデルになった方なのかな?

353:名無し三等兵
07/09/07 17:59:43
>>350の話を>>339がアレンジした話しだったとしても俺の感動は変わらない

354:名無し三等兵
07/09/07 18:50:51
>>353
おまいは俺か
お主は拙者か
貴殿は磨呂か

355:名無し三等兵
07/09/07 21:40:26
中国に行ってた俺の爺ちゃん、一時帰国するとき何を思ったか
戦場に落ちてた頭蓋骨を拾ってみやげに持って帰ったそうだ。
それを果物かごに入れて実家の玄関に飾ったが、爺の親父が
見つけてぶったまげ、気味が悪いから捨ててこいと怒られた。
仕方がないので陸軍病院に持ってったら歯科医が喜んで引き取ったそうな。

356:名無し三等兵
07/09/07 22:18:08
十数年前に死んだうちの爺ちゃんは、片頬に変なくぼみがあった。
子供の頃、「なんで?」ってきいたら、「弾丸が頬を貫通して、(運良く?)開いていた口から出ていった。」と。弘前入営で、支那方面に行っていたらしい。
婆ちゃんは終戦の間際、ど田舎だから空襲もないしと畑仕事に行こうとしたら、グラマンに機銃掃射されたと。
倒れ込んだすくそばを、弾丸が掠めていって怖かったと。でも一回しかこなかったから、遊び半分で撃ったんだろうねと言っていた。

357:名無し三等兵
07/09/07 22:28:19
続いて
婆ちゃんが持っている写真に、若い婆ちゃんと、スゴく格好良くて綺麗な馬が写ったものがあった。
どうしたんだろうと思ったら、とても良い馬だから、偉い人が乗るようにと徴用されたそうだ。ホントかわからないけど。「どこに行ったかわからないけど…、きっと戦地で死んだんだろうね」
婆ちゃんは少し懐かしいような、悲しいような顔で話してくれた。

長くてかつ、微妙にスレ違いでスマン

358:ハゲ
07/09/08 01:42:03 VZkALNxm
久々の名作だな
つーか
爺さんを婆さんに置き換えたのを読んだが

359:名無し三等兵
07/09/08 06:38:45
あなたのお馬さんの戦争体験を教えて下さい!

360:名無し三等兵
07/09/08 06:40:28
親父の田舎には軍馬として徴用されて死んだ馬達の慰霊碑がある。


361:名無し三等兵
07/09/08 06:53:34
>>339
どっかで聞いた話のような…

362:名無し三等兵
07/09/08 08:15:43
>>356
あれ?弘前って空襲無かったっけ?
俺五所川原の近くのドがつく田舎だけど電車襲われたし、家から歩いて30分の駅にも掃射受けた話を聞くよ?
当時子供だったおばあちゃんも「子供心に飛行機の音が怖かった」って言ってたよ。
当時の田舎の人は老若男女畑仕事に精を出してたんだってね。
工場で生産労働とかしなかったんだろうか・・・;
地元の戦争話は知っておきたいんだけどな・・・なかなか聞く機会が無いよね。

363:名無し三等兵
07/09/08 09:34:00
俺の婆ちゃんは、戦争中に見たという、沖の方から数十機もの米軍機が飛んで来た話をよくしてくれた。

それまで飛行機なんて一度も見た事無かったらしく、轟音を響かせ、しかも一糸乱れずに編隊を組んで飛んで来る様子が、不気味で怖かったそうだ。

何レスか前に、釜石の話が出ていたけど、うちの婆ちゃんの家はそのさらに北にある街で、鉱山の工場や橋、さらには墓所まで機銃掃射や爆撃を受けたみたい。

釜石艦砲の時と時期が同じみたいなので、その時の米空母から発進して来たんだと思う。

364:名無し三等兵
07/09/08 09:55:23
戦争体験が後世に伝えられていくのは、本当いい事で大切な事なんだなと、このスレ読んでつくづくオモタ。

365:名無し三等兵
07/09/08 09:57:39 KIaRbQHH
>>362
356です。
弘前出身ではないのです。当時、青森出身者は青森5連隊に、それ以外、岩手出身者とかは弘前入営が多かったようです。
爺ちゃんは、地元が騎兵連隊とかしかなかったんで、弘前入営したみたいですね。



366:名無し三等兵
07/09/08 10:46:51
>>360
靖国神社にも、馬の慰霊碑あるよね
あと軍犬のも

367:名無し三等兵
07/09/08 12:18:32 HuEjtmqg
>>360>>366
当方、千葉県在住ですが
こちらにも沢山ありますよ
朽ち果ててとても読み取り難いのですが
徴用軍馬慰霊、馬頭観施音?と彫ってあったかな?
殆どが日露戦争当時の古いものですが
馬は当時の農家の貴重な労働力
家族の一員であったと思われます
その馬を徴用された人々の気持ち
察して知るべし、ですね・・・

368:名無し三等兵
07/09/08 12:31:45
茨城出身ですが自分のとこにも馬頭の慰霊碑よく見かけます

369:名無し三等兵
07/09/08 12:37:34
>>367
千葉は御料牧場もあったからな。
馬産はいまや北海道にかなり集中してしまっているが、
かつては御料牧場を中心に、千葉から茨城にかけては最良の馬産地だった。
馬頭観音が多いのもその名残と言える。

370:名無し三等兵
07/09/08 14:10:38 4Zq0pxOu
うちのじいちゃんが話してくれたんだけど、小学生のころ空襲で逃げてるとき目の前に焼夷弾が落ちてきたけど不発で助かったらしい…

371:名無し三等兵
07/09/08 20:17:07
>>365
失礼しました;なるほど、意外ですね。岩手出身者が弘前へと。。。
県は県で統制されているものだとばかり・・・;
自分自身まだ若くておばあちゃんの世代でも終戦近くで小学生だったので、
ましてやひいじいちゃんは神経関係の病気で赤紙免除(?)で戦争はやっていないのでなかなか知る機会がなく・・・
最近になってそのひいおじいちゃんの姉の息子が南で戦病死したのを知って興味を持ち始めたんです。
骨はもちろん遺品も帰ってこないらしく、国から勲章と戦死した場所と靖国に合祀されましたという通知のみ。
>>365さんのように近い身内に戦争体験者がいるのは、そういった話を聞けるという点においてとてもうらやましく思います。


372:名無し三等兵
07/09/08 20:19:25
>>370
「だから君がいる」
偶然って神秘的ですな。ほんと。

373:名無し三等兵
07/09/08 22:24:21 ExzW/Yxs
>>360>>366>>367
ノシ 仙台にもあります
けど地元でも知らない人が多いかも

うちは父方母方とも戦争のことは話してくれなかったなあ

374:名無し三等兵
07/09/09 00:39:30
米軍偵察機が爆弾落としてきたから慌てて伏せたが爆発せず
不発弾かと思いきやよく見たら増槽だったとか言ってたな

375:名無し三等兵
07/09/09 04:03:58
埼玉の浦和には空襲は無かったんだけれど
空襲任務の帰りがけに余った焼夷弾をよく落としていったそうだ。

ウチの隣の靴屋さんの大旦那が、えらい目にあったよ、
と生前よく話してくれた。

376:uaa
07/09/09 04:56:06 wzeMVWkT
うちの祖父さんが言ってたけど、
飛行機から落とされる爆弾は、落ちてくるのを見て伏せれば大丈夫だから怖くないけど、
榴弾砲は怖かったそうだ。
手の甲には死ぬまで砲弾の破片による傷跡があった。

377:書籍スレから。
07/09/09 05:33:27 KIyL56A4
412 ZII ◆RPvijAGt7k 2007/09/09(日) 05:19:48 ID:KIyL56A4
どこに書けば良いのか迷ったのですが、雑談スレだとすぐに流れてしまいますので、
ここに書きます。
私は比島戦遺族会「曙光会」に入っています。私の血縁者に比島戦での戦死者は
いないのですが、3年前、札幌駅前通りにあるアテネ書房で戦記を漁っていた
ところ、実父を比島戦で亡くされた方に声を掛けられ、入会したのです。
で、その曙光会の紹介で「戦場体験放映保存の会」から手紙が来ました。
今月21日に日比谷公会堂で集いを開くそうです。会では、15万人の大戦からの
生還者の証言をDVDに収めようと言う壮大な目論見を持っており、今回の集いを
その端緒にしようと言うものです。私は集いには参加できませんが、1000円の
カンパはするつもりです。もしこのDVDができたら当然買います。
手紙には8月6日付の東京新聞のコピーが添付されています。
関心のある方は是非どうぞ。

378:名無し三等兵
07/09/09 20:01:09
うちの爺様
最初の原隊が山形第32連隊から北部18部隊に転属になって
衛生兵兵長になる目前で、支那終戦を迎え
大陸からは、LSTで帰って来たって言ってました。
ちなみに、未だに健在!(婆さんが亡くなってから一寸衰えましたが)
今日、二人で飲んでていろんな事聞いたら
一番怖いのは、機銃掃射で
一発当たる、当たった部分が吹っ飛ぶって言ってました。
後、自分の目の前、約10m位まで小銃弾の弾道が
近くなってくると、命中弾が多くなるような事を言ってました。



379:名無し三等兵
07/09/09 20:25:30
みんなでごはん一口分出し合ってどぶろく作ってたそうです

380:名無し三等兵
07/09/10 00:36:06 0+Jc+knI
うちの死んだ爺様が昔、話してくれたんだが
プロペラが六つもある爆撃機でサイパンに爆撃しにいったそうな。
でも途中でトラブって海に不時着。運良く米軍に拾われて捕虜になって終戦。
その後どうなったか聞いたら、米国に連れて行かれたらしい。そこでなんかやっていたらしいが、詳しくは教えてくれなかった。
当時は退屈な話だと思っていたが、今考えると六発の爆撃機なんてないもんな。
もっと生きている間に聞いておけばよかった。

ちなみに遺物にはそれに関係しそうなものは無し。真相は闇の中。
親に言わせると捕虜になった後、米国に行って終戦後しばらく経つまで帰ってこなかったのはホント。
だけどなにやっていたかとか、爺様の階級とか所属とかは知らない。
でも少なくとも嘘をつくような人ではなかった。

381:名無し三等兵
07/09/10 00:39:01
>>380
三枚ペラの双発で六つ。
乗っていたのは銀河あたりじゃないの?

382:名無し三等兵
07/09/10 01:00:15
>>375
 そりゃ浦和は昭和9年まで県庁所在地なのに『町』だったし、鉄オタ的に言えば、1985年まで
特急が停まらない唯一の県庁所在地の駅だった。米軍にも華麗にスルーされたんだろう。

383:名無し三等兵
07/09/10 01:04:19
>>382
那覇なんて無粋なことを言う気はないが、
大津や奈良に停まる特急ってあったんだっけ?

384:名無し三等兵
07/09/10 02:17:58
>>383
堅いこというなよ、大津は一時期特急が停まってたし、奈良は近鉄がある。
浦和の場合、確か東北線・高崎線の普通列車にもラッシュ時以外は
スルーされ続けてた筈。

385:名無し三等兵
07/09/10 15:53:23
うちの爺様は岩手だけど、なぜか秋田の迫撃砲部隊に入隊したそうだ

386:名無し三等兵
07/09/10 18:13:19 hwy6suZC
うちの父方の祖父→昭和20年徴兵され海軍入隊、舞鶴で高射砲部隊に配属され、
         弾運びをしていた。舞鶴で終戦。

うちの母方の祖父→昭和20年徴兵され陸軍入隊、釜石の部隊に配属され、同地で終戦。

祖母の兄→陸軍の憲兵で少尉

母方の祖父の兄弟→海軍の水兵


387:名無し三等兵
07/09/11 21:45:42
うちの祖父は、引き上げて帰ってきたとき、祖父の兄(特攻隊?だったらしい)が死んで残された
その嫁さんと子供3人を不憫に思って結婚して養ったそうだ。

すごい人だなと思っていたが、最近日本一行軍した部隊に所属してたことを知り
ますます、すごいと思った。

ちなみにすごい元気に生きてます

388:名無し三等兵
07/09/13 02:16:33
曾祖父は関東軍の剣道指南役だったらしい
祖父は反抗して歯医者に
引き上げの時家族の歯の中に宝石を入れて帰国



389:名無し三等兵
07/09/14 12:23:01 k7Qskn0Q
下がりすぎ

390:名無し三等兵
07/09/14 17:35:35 s9ZFdeEG
親戚のおじいさまは、暗号手をしていたほどで頭がよかった。
戦後も、長年にわたり自分の日記を暗号で書いていた。

しかし、加齢と共にその日記が解読できなくなってしまった。
家族のものにも、何がなんだかワカランままである。

391:名無し三等兵
07/09/14 18:31:43
父方の曾祖父はビアクで玉砕。

母方の曾祖父はニューギニアで戦死。

392:名無し三等兵
07/09/14 18:34:27
>>390
ヴィオニッチ写本乙

393:名無し三等兵
07/09/14 18:36:31
>>391
岩手の人?

旧軍の中でも、東北の部隊は、粘り強く勇猛だったらしいですね。

394:名無し三等兵
07/09/14 20:14:19
母方の爺様は当時としては大柄で柔道の先生をしていた。
召集されて満州へ行ったそうだけど、
ある日、敵陣へ突撃し敵塹壕へ飛び込むと敵兵が3人うずくまって
死んだフリをしていたそうだ。 
こっちは、まさに真剣、必死に戦争しているのに、何たることと
頭にきて、1人づつ思いきり壕の外へ放り投げた。
その豪快さたるや、敵兵は数mも宙に舞ったそうで、
あたりの敵兵2~30名が一目散に逃げて行ったそうだ。



395:名無し三等兵
07/09/14 21:04:06
>>394
漫画みたいな光景が浮かびましたw
飛び散る青服w

396:名無し三等兵
07/09/14 23:45:29 uv6i+9CW
>>392
ピーターラビットのミス・ポターもそうだったよ。

397:名無し三等兵
07/09/14 23:56:59
>>396
ヘンリー・ダーガー乙

398:名無し三等兵
07/09/15 18:45:54
ゲリラに協力しているらしき村を焼き討ちし、老人から女子供まで一カ所に集めて、機銃射撃や銃剣で突き刺し皆殺しにしたそうだ。

399:名無し三等兵
07/09/15 20:47:42 xlPRVRCz
生前、大日本帝國軍人だった爺さんが前から来た高校生カップルを見て
  爺「なんだ!あの格好は?」
女のだらしなくズリ落ちた靴下、男のだらしなく垂れ下がったベルト
  俺「あれはルーズソックスって言うだよ」
  爺「それじゃ男はルーズベルトだな!」



400:名無し三等兵
07/09/15 21:38:51
わははははははは!!





と言って欲しかったのか?コリマに15年だ!!

401:名無し三等兵
07/09/16 02:45:07 I5Gza7lZ
高知出身のうちの祖父は鯨部隊?とやらにいたらしい、5人兄弟のうち3人はサイパン等で戦死しているそうだ。
爺ちゃんはもう亡くなっているのでこれ以上詳しくは分からないのですが、鯨部隊について何か知っている方はいませんか?

402:名無し三等兵
07/09/16 02:51:48
>>401
南国土佐を後にして 中支へ来てから幾歳ぞ 思い出します故郷の友が
  門出に歌ったよさこい節を “土佐の高知のはりまや橋で 坊さん
  かんざし買うをみた“ よさこい よさこい

 月の浜辺で焚き火をかこみ しばしの娯楽のひとときを わたしも自慢の
  声張りあげて 歌うよ土佐のよさこい節を “みませ見せましょ
  浦戸をあけて 月の名所は桂浜“ よさこい よさこい

 国の父さん室戸の沖で 鯨釣ったと言うたより わたしも負けずに励んだ
  あとで 歌うよ土佐のよさこい節を “言うたちいかんちや おらんくの
  池にゃ 塩吹く魚が泳ぎよる“ よさこい よさこい



403:名無し三等兵
07/09/16 03:02:43 I5Gza7lZ
402
主な歌とは歌詞が違いますね、戦地で兵隊さんが歌っていたのでしょうか?
祖父にもっと昔話しを聞いておくべきでした。


404:名無し三等兵
07/09/16 11:10:54
>401

たぶん日本で一番お金持ちの戦友会だろうなぁ・・。
印税のお陰で。



405:名無し三等兵
07/09/16 15:14:17 N8jgzX5z
名はあかせないが連合艦隊の将官でした。
1944年に某島にて玉砕しております。

406:名無し三等兵
07/09/16 15:33:15
>>405
南雲さんか。

407:名無し三等兵
07/09/16 19:10:10 k6ctpb3w
おかんの父親は第10師団所属で、満州事変・日中戦争を転戦していました。
まだ幼少だった頃に「中国でラクダに乗った事がある」「こっちは一発ずつなのに
敵さんは何発も撃ち返してくる」「中国は広い」を聞かせてくれた事がある。
その後満州駐留、昭和19年に帰国し除隊。

第10師団は昭和19年にルソン島に投入されているが、何故おじいさんが除隊に
なったのかは不明。もしルソンに行っていたら戦死していたと思う…。

漏れが小学生になる前に亡くなってしまったが、漏れが生まれるまで国民服を
着ていたらしい。

408:名無し三等兵
07/09/16 19:24:13
お前が生まれてからは人民服なわけだな?

409:名無し三等兵
07/09/16 19:28:51
本当は聞いた事も無い祖父の話だが、聞くに堪えない戦争犯罪を犯して、日本の名誉を汚したそうな。
本人はまったく反省したそぶりも無く(そりゃそうだ)お前等ミリヲタの気分を胸くそ悪くさせて
やろうかと思って書き込むよ藁

なんて奴が非常に多いんだな?

410:名無し三等兵
07/09/16 20:59:19 khkrFxBg
父方祖父、工兵部隊に居たらしく、支那からパプアニューギニアに転戦して、終戦迎える。ワニを見たと自慢している。今も元気。 母方祖父、海軍に居たとの事。駆逐艦に乗っていたらしく、二回撃沈されて、二回とも無事だった。でも今はいない。

411:名無し三等兵
07/09/16 21:35:24 0sFpsyPM
漏れの祖母が経験した戦争↓
北海道の田舎町で挺身隊として電話交換手の仕事をしていた。
隣接する郵便局の局長が隠居所として造ったはなれが軍の将校の宿舎に
なっていた。当時、祖母は「熊部隊の隊長様」と呼んでいたらしい。

終戦間際に田舎町に米海軍艦載機の空襲があり、祖母のいた電話交換所も
銃撃を受けた。祖母は命令でギリギリまで交換台を死守することを義務付け
られていた。銃弾が交換所のガラスを突き破る状況になって、祖母は電話線
を切断して郵便局の裏山の斜面にある防空壕へ退避。そこにはズラリと軍刀
を持った将校がいた。16歳の自分には死守命令を出し、いつも「鬼畜米英
なにするものぞ」と威張っていた将校たちがいち早く防空壕に逃げていることに
祖母は怒りがこみ上げてきたそうだ。そんな将校たちを祖母はキッとにらむと
恥ずかしそう「隊長様」以下みな目線をそらしたそうだ。この時に軍に対する
信頼は崩壊したそうな。

412:名無し三等兵
07/09/16 21:51:28
>>411
で、北海道のどこさ?管内でいいから言ってみ。

413:名無し三等兵
07/09/16 22:08:32
熊部隊なら、旭川では?

414:名無し三等兵
07/09/16 22:10:42
熊兵団のことか?師団だろ。
熊のトップなら中将だ。
なんだよ熊部隊隊長様って。

415:名無し三等兵
07/09/16 22:50:06
>>414
単に『熊兵団から派遣されて来ている隊長』って程度の意味でそう呼んでたんじゃね?
じいさま、ばあさまの昔話に突っ込んだってしょうがねぇだろ?

416:411
07/09/16 22:50:16 0sFpsyPM
>>412
根室管内の中標津町武佐(むさ)地区の武佐郵便局(現在は廃止?)だよ。
交換手の仕事以外にも近くの陸軍計根別飛行場の造成にも動員されたそうだよ。
>>413
終戦時の熊部隊(第七師団)本部は帯広。
>>414
師団長ではないはず。終戦後、山からゾロゾロと700~800人の兵隊が
下りてきたと祖母が言っていたから大隊規模で少佐くらいか?

417:名無し三等兵
07/09/16 23:32:32 8V75LvgQ
小学生の俺が「戦争について教えて」
って言うといつも慰安婦の話ばっかだったw
慰安婦は欲しがりません勝つまではとか関係なく
派手だったらしいよ
平気でとんでもない事とか言ってたし戦後もロクに働かずに風俗で遊びまくってたらしい。
性格はやたらすぐにキレるし
誰にでも怒鳴り散らすし
浪費が激しく贅沢で
口がわるくてわがままで
ひどいもんだったようだ。
それで家族はみんな軽蔑していたが
戦前は真面目で勤勉で極貧から陸軍士官になった程働き者だったようだ。
今思えばベトナム帰還兵で有名なPTSD
みたいな症状だが、日本ではあまり聞かない気がする。
こういう人ほかにもいませんか?

418:417
07/09/16 23:34:53 8V75LvgQ
スマン
携帯からだから文章めちゃくちゃだw
悪いが主語とかは脳内補充して読んでくれorz

419:名無し三等兵
07/09/16 23:41:04
>>417
PTSDよく聞くよ。
「あの人は戦争にいってから人が変わった」って。

420:名無し三等兵
07/09/17 02:25:07 V30cvkck
俺の親父は、戦争中呉で電気溶接を、学徒動員でしてたそうだ。もちろん、
大和も見たそうな。46Cm砲の砲身には、細い学生ならはいれたそうな。
何か、色の違う潜水艦も見たそうだ。ドイツの、らしい。日本のねずみ色より
明るい色で塗ってたらしい。呉は、爆撃と機銃掃射で大変だったらしい。
海に飛び込んで逃げたって言ってた。防空壕違いで皆、同級生が吹っ飛んで、
跡形もなかったとか、空襲のときは、電車道(路面電車ね)真ん中を歩いて
も、両端の家の火災で熱くてたまらなかったそうだ。空襲で沈んだ伊勢?型
戦艦には、戦後家を焼け出された人が住んでたって。
溶接で小型潜水艦(海竜?)の中の溶接もやってたそうだ。あと2年、戦争
が続いてたら、オイラは存在しなかったんだろうな。親父海軍で潜水艦で特攻
して。

421:uaa
07/09/17 03:02:40 OzYMZjGW
>>419
俺が知ってる祖父さんは信心深く、毎日朝晩の読経を欠かさなかった。
祖父さんが死んだ後、祖父さんの従弟と話をしていて、話題が祖父さんの若い頃の話になった。
戦争へ行く前は全く信仰心が無く、墓参りとか寺への挨拶となると従弟に押しつけて逃げ回っていたそうだ。


422:名無し三等兵
07/09/17 03:14:11
祖父から聞いた話。

戦前・戦中と町にあった大きな鉱山に、朝鮮半島から沢山の労働者が働きに来ていた。
ほとんどが家族連れだった。

朝鮮人の子供達や女性は、農家の仕事を手伝ってくれたので、野菜などの食料を分けてあげた。

戦後、鉱山が閉山になっても、地元が気に入ったのか、帰化して今もずっと住み続けている人達もいる。

祖父曰く、彼らは自由な生活だったようだし、ちゃんと給料も貰っていた。
しかも家族連れなので、戦後騒がれている強制連行な筈は絶対に無いとの事。

423:名無し三等兵
07/09/17 10:49:48
もうすぐお彼岸です。
仙台の在住の方、東北大病院裏の柏木や新坂町、北山周辺の古いお寺のお墓に
お参りして、墓誌を見て下さい。昭和17~18年に20代で亡くなった男性のお名前が
多いことに粛然とした気持ちになるでしょう。

東京在住の方、大江戸線・半蔵門線の清澄・白河駅からほど近い深川江戸資料館の
周辺は、お寺の団地?になっています。
墓地に入ると、割れたり欠けたりした墓石が多いのに気付かれると思います。墓石には
大抵建立年月日が刻まれているので、見て下さい。ほとんどが昭和20年3月10日以前
です。
B29が投下した焼夷弾の炎は、墓石まで焼いたのです。

424:名無し三等兵
07/09/17 12:01:06
>>423
わしらの地方では、
戦死した人は単独でオベリスク風の先の尖った墓を建てるのじゃが東京では違うのかね?
(一族墓には入らない/というか遺骨そのものが無い)
まず、正面には戒名、『○○義国居士』とか『□□忠烈院信士』、通常より1~2ランク上(本来なら高額)の戒名だ
おお、すごいなー、と右側を見ると、『陸軍歩兵伍長 勲△等 従□位 ○○○○』と叙勲/位階付きで本名、
ますますすげー、と左側を見ると戦死時の状況が書いてあり、
『・・・にて優勢なる敵を防戦中に腹部負傷、後方にて治療を受けるも戦死』
「あああああ、長い時間苦しんで死なれたんだなぁ...」と落ち込む、という按配だ

425:名無し三等兵
07/09/17 12:36:02
うちらんとこは正面に位階勲等氏名、横に戒名
裏面に功績だな・・。

ただし負けた後に立てたお墓は正面に軍人戒名、横に氏名
裏に建立者名かな。

426:名無し三等兵
07/09/17 12:36:33
父方母方ともに生まれる前に亡くなっているので両親に聞いた話

母方の祖父
警察官。戦中または戦後まもなく病死

父方の祖父
満州でハーレーに乗ってた?父親もうろ覚えなんでこのくらいしかわからなかった
ちなみに父親の本籍は横浜らしいです


427:名無し三等兵
07/09/17 13:41:50 9AbDXKAH
>>417

昔遊郭だった地域に住んでいるんだが、元慰安婦のばあちゃんがいるよ。
特アが騒いでいる性奴隷なんて聞いた事がないし、むしろ待遇は良かったとか。

幼心に一番強烈だったのは、「兵隊さんを一人一人相手していたら身がもたん。短時間で
兵隊さんの性欲を満たすテクニックをやるのが結構難しい(大意)」なんて言っていたなぁ。

今はお好み焼き屋を経営してる。

428:名無し三等兵
07/09/17 14:33:33
>>423
仙台に来て2年目ですけどそんなのあったんですね。
彼岸迎えたら行って見たいと思います。

429:名無し三等兵
07/09/17 16:50:47
>>424,425
母から聞いたところでは、太平洋戦争開戦前、大陸で戦死された方は、まだ日本も
余裕があり、戦死者の絶対数も少なかったためか、盛大な葬儀で立派なお墓が
作られたそうです。
戦争が激しくなるとそれどころではなくなったと聞きました。
多分>>424さんの書いたようなお墓は、建立年月か戦死年月を見ると開戦前なのでは
ないでしょうか?
更に東京の下町地区に限ると、江戸時代に方々の寺を集めて寺町にしたり、関東大震災後
の都市計画で同様のことがあったそうで、お寺の敷地は狭いのです。
したがって墓地も墓石がびっしり立ち並んでいる状況で、戦死者の立派なお墓はあまり
見かけません。(青山墓地のような広大な墓苑は別ですが。)

430:名無し三等兵
07/09/17 17:25:03
>>428
特別な記念碑が有る訳じゃないですよ。青葉城址の護国神社周辺に
忠魂碑ならありますが。
墓誌というのは墓石の脇の石碑や墓石そのものに、葬られている方の
お名前を刻んだものです。
仙台の北山は伊達政宗の仙台開府以来のお寺が多く、そのため
仙台に長く住んでいる家のお墓が多いのだと思われます。
したがって第2師団に従軍し、ガダルカナルで戦死された方のお墓が
多いのではないかと推測します。

431:424
07/09/17 17:31:49
>>429
インパール戦線でした・・・

あれから墓碑の事を良く考えたのですが、
「もう俺は腹を撃たれて駄目だからおまえらだけでも逃げろ・・・」
という様な状況だったのかも知れないです...


432:名無し三等兵
07/09/17 18:57:49
>>431
そうですか。
東京近郊都市の我が家が檀家になっている寺院(建立は江戸時代)の墓地の特等席に
戦死された方のお墓がありました。形は普通でしたが大きな立派な墓石で、五芒星の下に
『故 陸軍歩兵曹長 勲×等 ○○ ○○ 之墓』と彫ってあり、建立は昭和14年頃でした。
しかし何かの事情で無縁墓になっていたようで、寺院が墓地の整理をした時に撤去され、
他の無縁墓の墓石と一緒に墓地の一角に移されました。なんとも罰当たりな気がします。

433:名無し三等兵
07/09/17 19:03:56
上海で壊滅した101師団だろうか・・。

434:名無し三等兵
07/09/17 19:32:06
>何かの事情で無縁墓
3/10に残された家族全滅

435:名無し三等兵
07/09/17 20:04:24
>>434
あう(泣く)

436:名無し三等兵
07/09/17 20:48:06
>>434
頼む、よく読んでくれ。その寺があるのは東京近郊某市。当時は田舎町で空襲にも遭っていない。
下町の小さい寺院の墓地じゃ、巨大な墓石は無理。
下町の墓地には俺のお袋の実の母親(つまりは俺の実のばぁちゃん)が葬られている。
俺の母方のじぃちゃんとばぁちゃんは離婚して、直後にばぁちゃんは病死した(戦前のこと)。
その後じぃちゃんが再婚したこともあり、お袋はじぃちゃんと再婚したばぁちゃんが亡くなる
まで、離婚した実のばぁちゃんの墓がどこにあるか調べることも出来なかった。
やっと深川の寺に墓があることが分って、墓参りに行って驚いた。墓石は角が割れ、ヒビが
縦横に入ってボロボロ。そしてそういう風に傷んだ墓石がその墓地にはそこここにあった。
不思議に思って一つ一つ見て行くと、それらのお墓は全部戦前の建立。戦後のお墓には
傷んだ墓石は一つも無かった。
寺に確かめるとやっぱりその当たり一帯は空襲で火の海だったそうだ。
もちろんその墓地の墓の墓誌を見ていくと、命日が昭和20年3月10日の方がポロポロ見つかる。



437:名無し三等兵
07/09/17 22:01:53 BznfDHx/
墓石の文字を読んでいると、初期の戦線の頃は戦死した状況が詳しく書かれているけど、レイテとか、インパールとかになって来ると~方面にて戦死と言う風にしか書かれていない。



438:名無し三等兵
07/09/17 22:13:20
9年前に他界したウチのじーさまは
半島で衛生兵をやっていたそうだ

今なら面白い話が色々と聞けたかもしれないのに、惜しい
何はともあれ色々乙でした>じーさま

439:名無し三等兵
07/09/17 22:56:08 BSsqNrTT
>>432
日中戦争の初期に戦死して子孫は俺と俺の兄弟しかいない(らしい)先祖がいるんだが…
墓の場所知らないし出身地知らないし
名前しか知らないし昔「骨はない」と言われたくらいしか覚えてない
無縁仏として撤去されてる可能性大なんだが…
今時家が途絶えるなんて珍しいし、その無縁仏もうちみたいな理由じゃない?

440:名無し三等兵
07/09/17 23:21:31
>739
親の代までなら戦死の恩給あるだろう・・。
爺様の戸籍謄本でも請求してみやがれ。

441:名無し三等兵
07/09/17 23:22:59
ロングパス出ましたー

442:名無し三等兵
07/09/17 23:45:07
>>440
傍系だと恩給なんか出ないんだよね

443:名無し三等兵
07/09/17 23:48:11
父方の祖父の話
函館で空襲があった時、船がいくつか函館と海を挟んでいるうちの村の方向に逃げてきたらしい
祖父は消防団の団長?をしていて、海辺を見回っている最中に岩に激突した船を発見
中に倒れている、一見無傷そうな船員を介抱しようとして、声をかけながら仰向けにした
お腹にぽっかり穴が空いていたらしい
機関砲でやられた、と聞いた

自分が幼い頃死んでしまったので、うろ覚え
うちの村は潜水艦の分屯地だったらしい
戦後はそこを隔離病棟にしたそうで
だけど山が側にあり、住宅地は狭く細く風も強い土地柄のせいか、空襲は全く無かったそうだ

444:哀ー
07/09/18 00:58:34
哀しいかな
少子化で無縁墓は増えるばかりだろうな

弔う人も無くただ朽ち果てるのみか
無情だなー

445:名無し三等兵
07/09/18 01:16:22
>>278,>>287,>>338
遅レスだが俺は普段でも朝鮮人が大嫌いなので、TVニュースなどで
在日朝鮮人犯罪なんかが報道されると、思わず「チョン死ね!」とか言う。
すると、必ず母が真顔で「そんなこと言うもんじゃない!」とたしなめる。
差別がいかんという意味ではない。もし隣近所に在日がいて聞かれたら
どうするんだと、マジで恐ろしがっているのだ。

母は終戦当時まだほんの子供だったのだが、その時祖父母から在日朝鮮人の恐ろしさを
嫌というほど聞かされ、戦後60年以上たった今でもトラウマになっているそうだ。
話を聞いただけでこの有様なのだから、実際に朝鮮進駐軍の横暴ぶりを目撃した人は、
さぞかし恐ろしかったんだろうな。まして被害にあった人は...

446:名無し三等兵
07/09/18 06:26:28
まーた嫌韓厨か…

447:739
07/09/18 08:25:45 MdXQ3xjW
韓国じゃあ立場が逆でその話伝わってるよ
在米韓国人のおばんとかの殆どが「僕は日本人です」って言うと感情的に
日本人留学生にしつこく朝鮮人の暴走の逆ヴァージョンみたいな話するからイヤになる。
毎回みんな「にっていわるいねーれいぷはんのしそんでごめんねーぷぷぷwww」
って適当に答えてるが
時々本気で信じて変な知恵つけられて「帰国したら反天皇運動する」とか
おかしな事こと言い出すのもいるが…やはりFラン大でワロタwww


448:名無し三等兵
07/09/18 09:13:43 thzY9B1/
父の伯父が上海で憲兵を…終戦間際、戦死公報&遺品は木片と一枚の写真
何故か憲兵MPの腕章…ホルスターはどう見てもコルト・ガバメント…
国際都市ならではの装備?

449:名無し三等兵
07/09/18 11:23:05
>446
まーた在日乞食か…w


450:名無し三等兵
07/09/18 14:02:36
>>449
在日乙

451:名無し三等兵
07/09/18 15:51:32 GQLhk0X7
祖母の父は戦時中は通信兵だったらしい…終戦まで生き延びたんだけど、直ぐに病死。30代でなくなったそうだ。

452:名無し三等兵
07/09/18 17:58:04 ATuEonSI
アンパンマンの作者「やなせたかし」先生は元陸軍暗号兵だったらしいな。大陸で戦友の死を見取ってたらしい。

453:名無し三等兵
07/09/18 18:22:44
○○駅前の食堂は、空襲で一家全滅した友人家族の土地を
挑戦人がくすねた土地だと、爺様から聞いた。
友人の親戚が抗議にきたが挑戦進駐軍に半殺しにされたそ
うだ。

454:名無し三等兵
07/09/18 18:42:24
まーた嫌韓厨か…

455:名無し三等兵
07/09/18 18:45:25
オヤジが晩年の曽祖父から聞いた話。
曽祖父は陸軍の将官で南方で敵と遭遇
大した数じゃないと思って総攻撃を命じたら
とんでもない大軍&重火力で壊滅状態になった。
拙いと思って逃げて、曽祖父は助かったって笑ってたらしい。

456:名無し三等兵
07/09/18 18:56:40
>>456
そんなことヘラヘラ書き込むな

457:名無し三等兵
07/09/18 19:16:53
おまえがな~

458:名無し三等兵
07/09/18 19:19:00
>456




志村~

459:名無し三等兵
07/09/18 21:36:29
今は亡きじいちゃんの話だ。WWⅡ開戦の時の事だが、

上官「これより我が軍は、真珠湾攻撃によりアメリカ合衆国との戦争に突入する」

祖父「うはw 自由の国に勝てる訳ねぇwww 日本オワタwww」

上官「こらwww そんなこと言っちゃ駄目www」

みたいなやりとりがあったらしい。
じいちゃんは今で言うニートだったが、やればできる子だった。射撃大会で貰った賞が今もある。感想は、
「適当にやって帰ろうと思ったら、何か当たってた」

中国で通信兵をやることになったらしいが、一度だけ待ち伏せを食らって戦闘に巻き込まれた。
両軍とも、失禁して何か喚き散らしながら銃を乱射していたそうだ。
弾はまともに当たらないし、流弾で死ぬ者も居たらしい。
じいちゃんは隠れていたが、隣にいた友人が目の前で死んだと言っていた。

「映画みたいに撃てるわけねーよwww」だそうだ。

そして、俺はじいちゃんの若い頃の顔にそっくりらしい。若い頃のじいちゃんを知ってる人が驚いてた。
ニートにならんように気を付けようと思う。

460:uaa
07/09/19 02:01:14 Mbvqcycr
>>448
海外勤務の憲兵はMPの腕章も使ってた
URLリンク(moijan4.hp.infoseek.co.jp)

461:名無し三等兵
07/09/19 02:35:00
祖父は通信兵だった。そして亡くなった仲間を供養する為に、生前娘夫婦と一緒にサイパンへ行った。

もう一人は知り合いのおじさんで、既に亡くなっているが戦争に行きカタワだった。
南京大虐殺はあったみたいな話をチラッと漏らしていたが、奥さんに止められてしまい聞けなかった。

462:名無し三等兵
07/09/19 02:37:51
>>461
付け加えです。
そのカタワのおじさんは前にいた戦友が爆撃を受けてくれたから
自分は片腕を亡くしただけで済んだと言ってました。

463:名無し三等兵
07/09/19 04:17:20
そのおじさんはどこの戦地にいったんだ?
南京あたりか?

464:名無し三等兵
07/09/19 04:22:03
沖縄の観光ガイドの爺さんから聞いた話だけど、
米軍に包囲されて、絶望的な状況でも全く降伏する気配もなく、抵抗を続ける日本軍陣地に、
米軍の捕虜になった日本人が、フンドシだけの姿で投降を呼びかけに来たらしいが、

「おまえみたいな裏切り者がいるから、負け戦になったんだ!コノヤローッ!!」

って軍刀を持った日本軍将校達が怒り狂って、
数人がかりで、メッタ斬りにして殺したのを見たらしい。

465:名無し三等兵
07/09/19 04:34:00
>>464
たしか前スレでも、
基地外隊長が、投降を呼びかけにきた人を刀で切り捨てて、
双眼鏡で一部始終を見てた米軍の総攻撃を喰らって、部隊が壊滅し、自分は片腕を失ったってゆう爺さんの話を見た。

466:名無し三等兵
07/09/19 11:11:41
>>464
沖縄サヨクの言うこと信じるなよ
皇軍を悪者にしたいだけだ

467:名無し三等兵
07/09/19 11:51:06
皇軍w

468:名無し三等兵
07/09/19 13:44:26
>>463
その人は高知在住でした。
どこの部隊だったとか詳しい話は父が聞いてると思うので、
機会があったら聞いてみます。

469:名無し三等兵
07/09/19 15:01:45
うちの大婆さんは終戦の1ヶ月ほど前に大阪の近くで
空中戦を見たそうです。米も日本も同じような戦闘機
で日の丸がなければ、どっちが見方かわからないほど
だったそうです。
そのうち見方の戦闘機が煙を吹いてしまい、周りの皆
がパイロットの安否を気づかう中、 パッと落下傘が
開き、皆ほっとしたそうです。
しかし、卑怯極まりない敵機がわざわざ戻ってきて、
その落下傘を羽の先に引っ掛けたそうです。
そのため、パイロットは田んぼに落ちて戦死してし
まったそうです。

米兵は本当に卑怯だと言っていました。

470:名無し三等兵
07/09/19 15:18:38
>>464
観光ガイドは信用出来ないよ。
白梅学徒隊の追悼碑がひめゆり部隊より小さく祭られているのを
不思議に思って観光ガイドのばあちゃんに聞いたら、
「人身御供にされたから、マスコミでとりあげられない」と言っていた。
調べたら、現在も生きている人が多いのと、規模と死傷者の違いから
ひめゆりが取り上げられる事が多いだけだった。
学校の先生がそれを鵜呑みにして熱弁していたけど。


471:名無し三等兵
07/09/19 16:33:26
>470
白虎隊みたいなもんか。

472:名無し三等兵
07/09/19 17:19:05
パラオ旅行に行った時、海岸で出会った現地の爺ちゃんが「コンニチワ、日本人デスカ?」と流暢な日本語で話かけてきた事がある。

その爺ちゃんは、日本統治時代の懐かしい思い出話を沢山教えてくれた。
「マルヤマサン」という若い日本兵に、本当の弟みたいに大変可愛がってもらった事。

戦後ペリリュー島に戻ってみると、至る所に優しかった日本兵達の遺体が、無惨に放置されていて、しかも米軍は遺体があるのもおかまいなしで、ブルトーザーで漠然と整地していた。
そんな好景を見て、みんなで泣いた事。

自分は、今でも立派な日本人だと思っているし、
ペリリューを守る為に玉砕した、マルヤマサン達大勢の日本兵に感謝したいから、死ぬまでに一度靖国神社を訪れたい事など、涙を浮かべて話てくれました。

473:名無し三等兵
07/09/19 17:38:52
>>465
降伏呼びかけに来る裏切り者殺すのってそんなにヘンなことか?


抵抗を続ける敵陣地に捕虜を交渉役で送り込めばどうなるか…
捕虜が殺されても自分たちの負担が減るだけだし、
降伏に応じなくても敵は精神的に疲弊させられる。
そういう効果を狙ったんだろ。

474:名無し三等兵
07/09/19 17:57:24
>472
そのパラオのお爺さんに日本国籍をあげたいね。

糞挑戦よりどれだけ良いか。

475:名無し三等兵
07/09/19 21:43:39 8uqzI5i/
嫌いなら関わらなければいい話。朝鮮が嫌いなら心にしまっておけばいいじゃないか。
ネットで書いたらその朝鮮人と同じことしてるわけだし。
君が朝鮮系のヤミ金業者に不当額の返済を迫られてて
遠洋漁船乗せられたり内臓抜かれたりしていなければの話だがwww

476:名無し三等兵
07/09/19 21:46:57
丸山さん、14師団2連隊かな?
みとっぽ

477:名無し三等兵
07/09/19 22:13:52
>>473
国際法違反だし。

478:名無し三等兵
07/09/19 22:20:35
>>477
国際法典に「いけません」と書いてあって違反すると国際警察に逮捕されて国際裁判所で裁かれるのか?

479:名無し三等兵
07/09/19 22:22:49
>>478
アメリカ様に裁かれます

480:名無し三等兵
07/09/19 22:43:25
>>469
落下傘引っ掛けるのは日本もやってますので…。

481:名無し三等兵
07/09/19 23:26:59
この前テレビでやってた釣瓶の番組に出てきたお爺さんは
どえらい経験をしてたね。
が、聞き取りをしたスタッフが全く軍事を分かってないようで、
??な事柄ばかりだったのが残念だったなあ。

482:名無し三等兵
07/09/19 23:30:12
>>469
大阪府交野市にP51に落とされて落下傘降下中に
落下傘を切られて墜死した飛燕パイロットの碑がある。
中村少尉という。
道路工事で飛燕の残骸が発見されて新聞にも出た。

483:名無し三等兵
07/09/19 23:34:48 KP1UDK9M
海防艦乗りだった親父は2度撃沈されている。

1度目、朝鮮のどこかの河口付近で触雷。
親父は航海士で艦橋にいたらしいが、上から見張り兵が落ちてきた。
その見張り兵、手すりに手をついていたら衝撃で両腕複雑骨折。
触雷時の上下振動がすごいので、艦上では決して手をついてはいけないのだそうだ。
艦長は遁走。
浅瀬だったため着座して沈没を免れる。

輸送船にも乗った。
25mm連装機関砲をつけようというので土嚢で固定した。
案の定グラマンにみつかったので機関砲を撃ったら、3発撃ったところで反動で銃座が転倒。
グラマンは撃たれたことに気づかずに去っていったとか。

2度目は終戦後、復員者を満載して帰国寸前に原因不明の大爆発。
親父は艦橋ごと海中に落ちる。
鼻がもげたが助かる。
広島を通ったら焼け野原で呆然となったそうだ。
幸いにも鼻は2007年の今もついてる。


484:名無し三等兵
07/09/19 23:59:36
>>483
生えた?

485:名無し三等兵
07/09/20 00:19:10
>>472
たしかペリリュー上陸の時に米兵が沢山死んで、血で真っ赤に染まった浜辺が、
「オレンジビーチ」って呼ばれてたよね??

486:名無し三等兵
07/09/20 01:18:58 guOX4WNz
>>484
親父に新しいパン焼いてもらったんだろ

487:名無し三等兵
07/09/20 02:40:08
>>478
おいおい、そんな事言ったら便意兵も全然アリって事になるじゃねーかよ!

488:名無し三等兵
07/09/20 04:09:00
>>487
「便意兵」ってのは確かに汚いよね。敵対しないふりをするわけだから。

489:名無し三等兵
07/09/20 04:19:18
一人酒してたらこのスレに迷い込んで、
せっかくだから俺のじいちゃんの話でもする。

俺自身知識がないからひょっとするとおかしい所あるかもしれんけど、
そこんとこはてきとーに諸兄の脳内で補完して下さいませ。

490:名無し三等兵
07/09/20 04:21:53
じいちゃんは当時大学生で成績もわりに良かったとかで、
召集されたのは最後の方。

厳しい時代だったけど、家はそれなりに裕福だったみたいで、
親戚からお金を集めて餞別をかなりもらったらしい。

支度を整えて、皆で呑み遊んでもまだ1円程余ったってことで、
見つからないようにズボンの裏地に縫い付けて戦地に持っていったらしい。

やたら長い時間列車に乗って、着いた所はソ連との国境。
ホントに暇で、おかげで寄せ集めだった部隊の人とも仲良くなれた。
ある日いきなり、攻めて来ないハズだったソ連が攻め込んできて、
戦車やらで来るソ連軍にこっちは毎日誰かが指名されて、
手榴弾やらなにやら担いで戦車に踏まれにいってた。
運よく戦車がひっくり返れば突撃。それの繰り返し…
いつか指名されてもされなくても辛かったって言ってた。

491:名無し三等兵
07/09/20 04:24:15
続き。

結局あっという間に制圧されて、
どこに連れてかれるのかと思えば、そのままシベリアへ抑留…。
そこでの生活は本当に悲惨だったようで、多くは語ってくれなかったけど、
朝起きると隣の人が凍っていた話、壁に寄りかかってたら背中がくっついて皮膚が?げた話、
吹雪がやんだ後の日なた気持ち良さ、暖かいボルシチのおいしさ…。
断片的に聞かせてもらった。

時は流れて8年後。
船に乗って地元の港まで来たはいいけど、迎えがないと家まで帰れない状態。
港は市場で賑わってて、色んな屋台が出てた。
「せっかくやからうまいもんでも食らうて待っといたろう。」
ってことで、シワシワの1円札を持って歩き回ったけど、
物価が違いすぎてて何も買えない…
んで、無理矢理売ってもらった煙草をふかしながら迎えを待ってた。

そんな話をしながらロングピースに火を付けたじいちゃんがかっこよく見えた。

492:名無し三等兵
07/09/20 05:31:12
>>488
日本軍もやっちゃったのは汚点だったよね。
沖縄戦末期じゃ仕方なかったかもしんないけど

493:名無し三等兵
07/09/20 09:54:05
じいちゃんはフィリピン山中をさまよっているときに
味方の兵隊から見慣れない肉を・・・

494:名無し三等兵
07/09/20 11:05:01
>>487
ウンコしたいからちょっとタイム、とか言って油断させて攻撃してくるのは汚いな

495:名無し三等兵
07/09/20 11:48:45
>>488は「」まで付けてるけどわざとなの?

496:名無し三等兵
07/09/20 18:23:39
便衣兵だって言いたいんだろうけど、どうでもいいよなあw

497:名無し三等兵
07/09/20 18:34:34
そういやフィリピン戦線に出征してた祖父も、
住民に紛れ込んで攻撃して来るゲリラに、もの凄く悩まされたって言ってたなぁ…。

498:太平洋のアキレス腱
07/09/20 21:31:22 Ueq58K/J
曾祖父は大型貨物船の船長をしていた。家には帰れずとも外洋を駆け巡り、船乗りである事を誇りに思っていたそうだ。


昭和16年になり戦争の暗雲が立ち込めた頃、怪我か病気だかで陸上勤務を命じられた。ベテランの誇りを失いひどく落ち込み立ち直らすのに大変だったらしい。しかし、その後の日本商船隊の末路を見れば……いい時期に船を降りられたのかもしれない。


ロクな護衛もなくシーレーンは寸断され、日本が世界に誇った商船隊は壊滅した。かつての仲間達が海の藻屑となっていったのを曾祖父はどう思っただろうか。


戦後は多くを語らぬまま逝かれたが、復興した造船業を見ることができたのが唯一の救いか……



499:名無し三等兵
07/09/20 22:26:56 /7+41DmK
うちのじいちゃんは、中国東北部からラバウルに転戦した。
山本五十六が飛行場から前線視察に飛び立つのを見送ったそうだ。
その後、山本長官機が撃墜されたと聞いた時、「負けるかもしれない」と思ったと言ってた。
あと、飯を炊く「飯ごう」をなくした時、上官に死ぬ寸前まで殴られて悔しかったと言っていた。

500:名無し三等兵
07/09/20 22:30:56
500

501:名無し三等兵
07/09/20 22:36:56
土人と黒人の違いから教育する必要があるようだのー

502:名無し三等兵
07/09/21 00:11:45
飯盒なんて無くさねーだろ
虐めで同僚に捨てられたんだろうな

503:名無し三等兵
07/09/21 01:44:23
>>492
故意に人減らしをしようと企む国とは違うからね。

504:uaa
07/09/21 05:18:05 bcOV/C6g
>>502
無くしたら他人のを盗むのが日本軍の常識。
「蹴られたら蹴返せ」(蹴る=盗むの隠語)と言う諺が軍隊にはあった。
誰かが無くしたり破損したんで員数合せのために盗んだんだろう。

泥棒した話は”丸”とかの戦争体験談でよく出てくるが、面白いよ。
中国大陸で出張中に拳銃を盗まれた下士官が出張が終わるまでに何とか調達した話は、筆者の文章力もありワクワクした。
訓練中に銃剣鞘を破損てしまい、酒を飲んで寝ている古参兵の部屋に忍び込んですり替えた大胆な新兵にもワラタ。


505:名無し三等兵
07/09/21 12:40:52 8bAFBqcV
>曾祖父は大型貨物船の船長をしていた

そうか、俺のジーちゃんもそうだったが、船ごと徴用されて、海軍大尉に
なって、下士官の敬礼に照れていたそうだ。
終戦当時、関門海峡で機雷に引っかかり、爆発させることなく船ごと
座礁させて船から下りた。 下りて、バーちゃんのやっていた女郎屋の
亭主になったが、さすが現職を退いてボケが早まったらしいが、カーちゃん
に言わせると数学や英語が得意でおかげでカーちゃんは山口高等師範?
現山口大学に入学できたそうだ。
余談が多くてすまんがw

506:名無し三等兵
07/09/21 14:10:20 EX0jGDVt
農家の次男三男が大量に死んでさぞ農村は大変だっただろう
と思っていたら…



507:名無し三等兵
07/09/21 14:54:47 DLSqiC/a
うちの爺さん、憲兵軍曹で南京にいたらしい。終戦まで生き延びて帰ってきてからは
市会議員になって市長と対立ばかりしてて、結局辞職して、それからすぐにガンで死んだらしい。

508:名無し三等兵
07/09/21 18:33:46
>>504
『員数合わせ』は今でも大変
笠俊商店に買いに来る現役は絶えない

509:名無し三等兵
07/09/21 18:47:19
曾祖父は、とある藩の名家出身で海軍大佐でした。
駆逐艦だか戦艦か忘れたけど、艦長を勤めましたが、作戦行動中に、敵機の猛烈な攻撃を受け、沈みゆく艦と運命を共に。

今でも地元の人達から「艦長さん」と慕われ、お盆や命日になると沢山の方が、お墓参りに来て下さります。

510:名無し三等兵
07/09/21 18:59:35 pHC067n/
うちのばあちゃんから聞いた俺のひいじいちゃんの話。
ひいじいちゃんは舞鶴の海軍所属。陸で仕事していて、部下も結構持ってるちょっとした偉いさんだったそうです。あるとき部下の男性が事故で亡くなってしまい、残された家族の為に綺麗なお墓を建て、それがよい行いだということで当時の新聞に載ったらしい。
うちのばあちゃんはいつもこの話を嬉しそうにしてくれます

511:名無し三等兵
07/09/21 19:20:20
>>509
大佐なら戦艦か巡洋艦の艦長だろう。

512:名無し三等兵
07/09/22 06:10:02 7gUtJIEd
>>508
民間だって大変だぜ?
会社の車ぶつけて、ミラーやウインカーレンズ
何回部品共販にこっそり買いに(ry


513:名無し三等兵
07/09/22 06:34:36
>>512
運転が下手糞なだけだろ。

514:名無し三等兵
07/09/22 09:43:53 hyMMKP8H
よく免許とれたな

515:名無し三等兵
07/09/22 11:59:23
運転やめろ

516:名無し三等兵
07/09/22 12:50:09 +SmxXtXI
このスレ住民のお祖父さん達は皆偉いんだねwwww

二等兵のままあっけなく亡くなった人とかいないの?

517:名無し三等兵
07/09/22 13:03:57
名古屋の天龍閣という立派な料亭兼で士官の相手をしてたそうな。ばあちゃん。

518:名無し三等兵
07/09/22 14:38:53
>>516
あっけ無くかは知らないけど俺の祖父は満州で死んだ。
年数の関係で自動的に一等兵になっただけで普通に下っ端のまま死んだ。
遺品は現地?の石ころ。
それと感謝状みたいな木の札一枚。
亡くなった大多数の中の一人。

でも、俺へと血を繋げてくれた。俺にとっては偉大な人だ。
まだ若かったのに再婚もせずに親父とその兄妹を育て上げた祖母と共に。

519:名無し三等兵
07/09/22 15:42:13
>>518
全米が泣いた

520:名無し三等兵
07/09/22 19:26:38
すまそ・・
二等兵て一期の検閲すんだら全員一等兵じゃまいか・・。

521:名無し三等兵
07/09/22 19:54:56 O7gO6Y0x
>>516
家のばあちゃんの、兄ちゃんは、位牌ごちょう?(有ってるか知らない)となってるが

522:名無し三等兵
07/09/22 19:58:33 O7gO6Y0x
>>516
家のばあちゃんの、兄ちゃんは、位牌かではごちょう?(有ってるか知らない)で、満州で肺炎だかになって死んだらしい。

523:名無し三等兵
07/09/22 20:21:36 peG75XWR
俺のじいさんじゃないけど、友達のひいじいちゃんが
士官学校のエリートでスパイ教育を受けていたらしく、色々な国の言語を教えられていたらしい。
で、卒業間近に控えて戦争が終わったそうで・・・w
まぁスパイ教育のおかげで頭はかなりよかったらしいです。
その人は8年前に肺がんでお亡くなりになったそうです。

524:名無し三等兵
07/09/22 20:36:35
おばあちゃんの父さんつまり俺のひいじいちゃんが、
山城に乗っててレイテで戦死したとは前から聞かされてたんだが…
最近改めて聞いたら「砲術長だった」と言うんだ
砲術の前は中国で陸戦隊をやってたとか
陸戦隊から戦艦に乗るとか…しかも砲術長ってそれなりに偉いよな?
まあ所詮山城かもしれんけど…知識のない俺にはなんだか信じられんのだが
山城が沈んだときの砲術関係の人の名前とかわかる資料とかないかなぁ

あとおばあちゃんのお兄さんは特攻で駆逐艦沈めたとか、
夫つまりじいちゃんは伏龍だったとか…

525:名無し三等兵
07/09/22 22:04:36
>>524
>所詮山城
なに失礼なこと言うてんじゃ、
太平洋戦争で戦艦同士打ち合った日本海軍戦艦は、山城と霧島だけぞ

置いておいて、
横須賀のヴェルニー公園↓に
URLリンク(www.city.yokosuka.kanagawa.jp)
戦艦・山城の記念碑があるから、なんらかの手掛かりがあるかも


526:名無し三等兵
07/09/22 22:40:06
>>525
いやなんか一方的にフルボッコされて沈んだイメージが
まあ山城に罪はないか…サーセン

そういやおばあちゃん元は横須賀に住んでたらしい…今は川崎だが
今度会いに行くとき横須賀にも足伸ばしてみようかな
サンクス

527:名無し三等兵
07/09/22 22:45:13
俺の曾祖父は岩手の山奥の町から、はるばるニューギニアまで出征して二等兵で戦死。

仏壇に、「ラエにて機射中戦死」って書かれてある箱があり、中には現地の貝殻と砂が入ってます。

遺骨は未だにジャングルに眠っているのでしょうね…

528:名無し三等兵
07/09/22 23:51:49
>>526
>一方的にフルボッコ
開戦劈頭以降はずっとそうです。

529:名無し三等兵
07/09/23 00:36:33
>>511
「広瀬中佐」で通っているのと同じく、階級は戦死された後の話じゃろう。 (ー人ー)なむー。

530:名無し三等兵
07/09/23 00:44:22
>>516
引っ張られたタイミングとかで、あり得えないではないとは思うけど、一般的な年齢からいって、亡くなられたのなら、子がいる可能性が極端に低くなるんじゃない?
二等兵のままで亡くなったというと、漫画家の水木さんなんかの同年兵の多くがそのはずだけど。

531:名無し三等兵
07/09/23 01:11:59
>>530
納得。

532:uaa
07/09/23 01:20:04 WhEkfOr6
>>523
荒木久美子の祖父さんは上海特務で、上海でダンサーをやってた祖母さんと結婚したそうだ。
出来すぎた話だが、祖父さん本人が言ってたから・・・・

↓若い奴は荒木師匠を知らんだろうから

URLリンク(arakishishou.net)

533:名無し三等兵
07/09/23 03:26:21 yI1YkgI6
最新9.15 リチャード・コシミズ東京講演会 ダイジェスト版
URLリンク(video.google.com)
    9.15 東京講演会 全編版
URLリンク(video.google.com)

534:名無し三等兵
07/09/23 05:54:43 54bFOaRl
俺のお爺さんは近衛兵だった。
近衛師団近衛支長連隊2600部隊とか言ってましたね。
皇紀2600年に編成されたからとか言ってました。
豆満江に上陸して満州でソ連との国境線に配備されたようですね。
川の向こう(黒龍江?)にソ連軍のトーチカが沢山あったとか、巨大なナマズの話とか小休止してた時に爺さん耳元にプッて音がしたら、隣にいた戦友が狙撃されて戦死してしまったとか。歩哨に立つときは鉄砲の玉は一発も貰えなかったとかね。憲兵は凄く怖い存在だったとか。
コーリャン米で部隊が下痢する人が続出したとか。町を歩いていたら、凄い偉い階級の兵隊から敬礼されたんだって、訳を聞いたら近衛兵の帽章に対して敬礼したとか言われたそうです。
支長兵って調べてもあまりわかりずらいのですが、工兵と歩兵を兼ねたような兵種だったようです。


535:名無し三等兵
07/09/23 06:29:24
>>534
輜重?

536:名無し三等兵
07/09/23 07:08:27
輜重兵第2600連隊だと思うが…
支長兵や2600は部隊内の隠語?
いくつかの部隊の話を混同されてるのかなあ?

537:名無し三等兵
07/09/23 07:11:04 54bFOaRl
>>535
そちらの、しちょう、かもしれませんね。
二度召集を受けたみたいです。
春峰という馬(指揮官専用馬)を世話していたといってました。
一回の召集が麻布連隊とか言ってたと思います。
村で近衛兵はモテモテだったらしいですね。
階級は上等兵だったようです。
打たれ戦友は馬賊みたいなのにやられたらしいですね。

538:名無し三等兵
07/09/23 07:15:38
うちのじいちゃんは近衛兵で、皇居を守備していたそうだ。
今はその面影もないが、かつてはイケメンだったらしい。
何事もなくすごしていたが、ある日同僚が皇居で火事起こして自分で消して、特別休暇もらったが、彼はそれがバレて更迭されたって。

539:名無し三等兵
07/09/23 07:24:19 54bFOaRl
>>538
近衛兵は容姿端麗で甲種合格でないとなれないですからね。

爺さんが近衛兵だったって言うと、反応が両極端なんだよね。
皇室に好感のあるひとはやたらと親切にしてくれるんだけど、左翼からは目の敵にされる。
職場に左翼の後輩が来たときは、俺のこと睨みつけやがったよ。その後も仲良くはなれなかったね。それ以来俺も尊皇で生きなきゃいけないと目覚めたね。
だって、左翼は俺ら近衛兵の子孫を敵視してるんだからね。


540:名無し三等兵
07/09/23 07:31:08
>>539
俺けっこう左翼ww

541:名無し三等兵
07/09/23 08:27:40
うちのおじいちゃんは農家のせがれ、2回召集された。
1回目は台湾に駐留。
もう召集はないだろうと思ったら、次は支那事変に駆り出され上海へ。
それから蘭印(ジャワ)に送られ終戦。武装解除された後はそのまま抑留。
うちではもう戦死したんじゃないかと思われていたが、終戦から数年後に還ってきた。
うちの父は、生まれてから小学校5年生になるまで、一度も父親の顔を見たことがなかったそうだ。
いろんな話を聞きたかったが、時々思い出したようにポツリと語るだけで、
聞いても殆ど語ることがなかった。
葬儀には仲の良かった戦友も来ていた。そのときに、支那事変や蘭印で激戦だったこと、
仲間を助けたこと、戦友の乗った船が太平洋でかなり沈められたことを初めて聞いた。
戦争に参加した多くの人たちは、うちのおじいちゃんのように、
辛く苦しい経験を誰にも語ることもなく、亡くなっていったんだろうな。

542:名無し三等兵
07/09/23 09:55:02
俺の叔父は地方の村で役場に勤めていたのだが召集されることになった
村を出て高校などで勉強していた者も呼び戻されたうえに
警察官、消防士、役場の職員、個人で営業を営む商店などの店主学校の職員などなど…
500人ほどが召集された為に、村の若い男はほとんどいなくなってしまったそうだ
(ちなみにその出陣壮行会の映像が役場に残っているらしい)
村の者たちが入った部隊は南方へと出陣してどこかの島で玉砕したらしい
叔母が父を身篭るのがもう少し遅かったら俺はここにいなかったな

543:名無し三等兵
07/09/23 10:36:59
病弱で徴兵されなかった。勤労動員のみ。
おかげで、自分が居るわけだが、やはり病弱。

544:名無し三等兵
07/09/23 12:08:02
>>542
ちょ

545:名無し三等兵
07/09/23 16:20:12
>>539
かつ、思想的にも三代前と縁者調査して
左右両極端ではないと判断されなければ無理だったしな。

546:名無し三等兵
07/09/23 16:26:01
>叔母が父を身篭る

どういう関係?

547:名無し三等兵
07/09/23 19:00:25 2t8lbvNF
>>538
私の父方の祖父も近衛兵で、毎日サーベルを提げ馬に乗り
皇居を守っていたと言っていました。すでに他界していますが。

>>539>>545
普通の男では近衛師団に入る事なんて、出来なかったんだぞ!
って、自慢げに言ってましたが、そうゆう事だったんですか?
何となくですが納得出来ました。
しかし、三代前までの縁者調査なんて
何処かの親衛隊みたいだな!?
あっ!、あちらは六代前まででしたっけ?


548:名無し三等兵
07/09/23 19:16:40
俺のじいちゃんの家は貧乏農家で、父親(つまりひいじいちゃん)はじいちゃんが子供の頃に
死んでしまった。
兄ちゃん(つまり大叔父)当時海軍に入隊しており、不在(後に金剛をイギリスに受け取りに
行くクルーになったそうだが)。他の兄弟は商家に養子に出されたりしていて、母子家庭で
高等小学校を卒業した後は母親(ひいばあちゃん)を手伝って農業をしていた。

そして18歳になってすぐ陸軍に志願、地元の連隊に入隊した。最初の1年は歩兵としての
訓練を受けた後、志願して主計の試験を受けたそうだ。兵営で夜遅くまで勉強して、ライバルが
まだ起きているのを見ては、負けないぞ!と頑張ったそうだ。
その結果、16人中2番の成績で合格。晴れて主計兵になった。

続く


549:名無し三等兵
07/09/23 19:25:29
「おば」と「そぼ」を勘違いしてんだろ

爺さんが姉ちゃんを孕ませない限り、父ちゃんの姉ちゃんが父ちゃんを孕む事はないからな
流石に徴兵される年齢で娘孕ますのは無理だろ

550:名無し三等兵
07/09/23 19:42:24
ところが子供の頃の貧乏が祟ったのか、体が弱かったそうで肋膜炎を
患ったりしていて、同僚や上官はコイツは長生き出来そうに無いから、
早く恩給を受けられるように外地勤務にしてやろう、ということになったらしい。
(親父から聞いた話だが、当時は外地勤務1年は国内勤務3年に換算されたそうだ)

そこにちょうど尼港事件が起き、北樺太を保障占領するため東京の第1師団が派遣
されることになり(間違っていたら訂正して下さい)、じいちゃんは田舎の連隊から
第1師団に転属し、北樺太へ出征した。周囲は病弱なじいちゃんが厳しい樺太の気候に
耐えられるか心配したらしいが、数年過ごす内、逆に鍛えられて健康になって、師団の
撤退と一緒に帰国。そのまま東京の第1師団の主計として勤務することになった。

続く


551:名無し三等兵
07/09/23 20:02:07
予めテキストに書いておいてから投下しろよw

552:名無し三等兵
07/09/23 20:06:17
祖父は暁部隊でニューギニアへ行き帰って来なかった
母の産まれる直前に出兵した祖父宛てに
出産後、家族写真を送り、しばらくして、
祖父から写真が届いたと返事がきたとの事。
戦地に送ったのと同じ家族写真が家にもあるが、祖父が
どんな気持ちで眺めていたのか思うと切ない
携帯からスマソ



553:名無し三等兵
07/09/23 21:11:40
訂正。今改めてじいちゃんが晩年に書いた自伝メモを見直したら、北樺太から帰ってきて
すぐに働きぶりが認められたのか近衛師団に転属にした。
>>539,545のような基準があったかどうか分らないけど、貧乏農家でしかも田舎の連隊の
叩き上げ主計兵でも配属されることはあったんだね。
ちなみにじいちゃんの性格は超クソ真面目、倹約家、表裏の無い人で、世話好きでもあった。
そういうところが評価されたのかもしれない。

昭和8年に主計少尉に任官と同時に予備役になったが、昭和13年10月に召集を受け、
支那事変に従軍、上海、徐州、天津、北京、済南、青島と従軍。14年9月主計中尉。
昭和16年4月召集解除。
同年7月召集、満州で関特演参加後台湾に移動し、開戦と同時にフィリピンへ転戦。
リンガエン上陸戦参加後各地転戦し昭和18年9月召集解除で帰国。命拾いする。
昭和19年7月三度目の召集。東京の陸軍造兵廠勤務。昭和20年4月主計大尉。

二等兵から叩き上げて大尉と言うのは結構凄いよね。

孫の俺には基本的に優しいじいちゃんだったが、小1の頃、冬にしては暖かい日でジャンパーの
前を開けて着ていたら、「その愚連隊のような服装はなんだぁ!」といきなり鉄拳制裁する、
恐いじいちゃんでもあった。


554:名無し三等兵
07/09/23 21:26:27
近衛を騙るスレ?

555:名無し三等兵
07/09/23 22:20:29 wLq7JuH8
知らないじいさんが
「歴史上どれほどの停戦協定.条約がむすばれたでしょう?
またそれらはどのくらいで破られたでしょう?
いままでどれくらい戦争があったでしょう?」
とか演説してたがそんなの数えられるのか?


556:名無し三等兵
07/09/23 22:36:33
タイムマシンでもあれば数えられるかもしれんが、
それ以前に戦争体験じゃないだろw

557:名無し三等兵
07/09/23 23:34:00 bFymu8Cy
うちの爺ちゃん、陸軍の2等兵だったんだが、過去2度赤紙で戦地へ赴いたそうだ。
もっとも爺ちゃん、旧家の出だったので(単なる豪農だけどな)直接戦闘には
参加せなんだらしい。
その爺さんが、2度目の除隊で郷里に帰った時、熱烈歓迎を受けたらしい。
そして、地区の班長さんから講演を頼まれたそうだ。
勿論お調子者の爺さん、講演を受けた。題目は「戦時の心得」だったそうな。
まあ、最初は勇ましく、戦闘経験も無いのにシナで戦友に聞いた話を面白おかしく話して、
検閲憲兵もニコニコ顔だったそうな、が、根が間抜けなうちの爺ちゃん
質疑応答で、空襲時の心得で「逃げろ!逃げろ!兎に角逃げろ!」
「竹やりでは飛行機は落ちん」とか「バケツ消火は無駄」とか、今考えると
もっともらしい事を言ったものだから、一斉に「非国民」の嵐だったらしい。
 流石に地域の名士だから逮捕はなかったらしいが、その後は、ほぼ
隠居&謹慎状態が続いたらしいw
そしてうちの地区にも米軍の空襲があった、その時真っ先に逃げ出したのが
班長や「非国民」と罵った連中だったらしい。
戦後はその連中、爺ちゃんに頭が上がらんかったようです。




558:uaa
07/09/23 23:38:11 WhEkfOr6
>>537
麻布連隊=近歩3連隊かな?歩3も麻布にあった。
戦争が始まって、近衛師団も予備役をかき集めて3個師団に増えたから、新編部隊に振り分けられたんだろう。
近衛輜重兵は南方でめざましい活躍をしてるが、満州に行った部隊があるとは聞いたことがなかった。

近衛兵ってことは、村でも名士の家だったんだね。

>>538
”丸”でもその話を書いてる元近衛兵がいた。動機は上等兵になりたかったかららしい。


559:名無し三等兵
07/09/23 23:39:05
>>539
ありゃ、私も左翼から敵対視されないといけないのかな。

560:uaa
07/09/23 23:47:45 WhEkfOr6
>>557
母方の祖父さんが高級官僚だたんだけど、戦争が激しくなった頃は退職して田舎に疎開してた。
夜になると地元の人たちが集まって、「戦争はどうなるんだ?」と聞きに来た。
祖父さんが「この戦争は負ける」と言い切ると、みんな納得したそうだ。

我々が想像するより多くの人が勝てるわけ無いと思ってたと思う。

561:名無し三等兵
07/09/23 23:54:16
まあ自分ちの金物回収されて勝てると思うやつはそうおらんわな

562:名無し三等兵
07/09/24 00:23:52
地元や親戚から出征した人の戦死の知らせが続々と届くようになり、
転進・玉砕なんて言葉を目にしたら、いやでも不利な戦況を察する
ようになる

563:名無し三等兵
07/09/24 00:27:44
頭の上をB-29が我が物顔で飛び回って、日本の反撃はほとんど見られない状況だしねえ

564:名無し三等兵
07/09/24 00:35:13
本音と建前は違いますから
実際は口には出せなかったはずです
>>560氏のような高級官僚ならいざ知らず
市井の庶民では、当時負けるなんて言えませんって
ましてや、情報の無い閉鎖的な田舎ではね。

565:名無し三等兵
07/09/24 00:46:13
>558

近衛の輜重兵なら北支でテロリストに襲われて全滅した事件がありましたぁ。
今だにそのテロリスト改め人民解放軍が大勝利したと宣伝しとりますがな。

566:名無し三等兵
07/09/24 01:10:30
東条英樹は、終戦時にもあと半年戦い続ければ勝てると言ってた。

567:名無し三等兵
07/09/24 01:12:11
うちの祖父さんは海軍で
人間魚雷の訓練を受けてういるときに、終戦になったそうなんだが
特攻部隊への配属の選抜基準ってあったのか?
いらないやつを配属したとか・・・・・・

568:名無し三等兵
07/09/24 01:15:17
適性検査に拘ってたパイロットさえ次から次へと
使い捨てしてたのに

もう選別してる余裕なんてとっくに無くしてた


569:名無し三等兵
07/09/24 01:19:18
予科練を大量採用したが、昭和19年後半になると飛行機も燃料もなくなり、
飛行訓練もできないというか、無意味になったので、
回天や伏龍などに転換された者が多いようだ。
三菱の史料館の担当者さんも、16歳で琵琶湖で伏龍の訓練受けてたと言ってた。

570:名無し三等兵
07/09/24 01:36:55
>>567

うちの故じいさん(大和の電気技師から回天)の手記によると、定期的に試験があって、転属したい人や技術を学びたい人はその試験を受け、受かれば帰国して兵学校に行けてたらしい。んで、志願とかでなく課程を修了したら何時の間にやら何処いらの職務に就かされたそうな。
その一つが回天、つまりはP基地。
ちなみにじいさんは「いよいよ死ぬのか」と思ったそうな。

571:名無し三等兵
07/09/24 01:38:27
俺のじいちゃん伏龍の訓練してたそうな
学徒動員で工場勤務→海軍の砲術?→伏龍って流れで
砲術といっても、対空射撃の訓練ばかりだったと言ってたな
伏龍は野比浜分隊とか言ってたかなぁ…まあ実戦はなかったけど
訓練で死人続出、毎晩お通夜状態だったそうな

ちなみに、じいちゃんは終戦してからおばあちゃんと結婚したから、
訓練で死んでたら俺居なかったんだよなぁ…
もう1人のじいちゃんは、出兵→病気で輸送船降りる→船は潜水艦に…
という、まあ運の良い生き残り方だったらしい…

572:名無し三等兵
07/09/24 01:47:34 zTsgs7+B
>>571

うちの片方のじいさんとかなり似てる。
じいさん、台湾に行くこと決まってから数日後に手を負傷、内地に残る。
仲間の乗った輸送船は沈められ、殆ど帰らず。でもじいさんは死ぬまで戦争のことは一つも言わんかった。なんか寂しいな

573:名無し三等兵
07/09/24 02:45:30 CUtSEmUV
うちのおやじは、呉で学徒動員してたから、戦争が激しくなるに連れて、
白い箱かかえた海軍さんが帰ってくるのが増えて、軍艦も少なくなるし、
こりゃ、負けるな、と思ってた、と言ってたよ。そりゃ、現実、船がなくなる
んだから、そう思っても不思議はないよなあ。何か、砲弾の中にうるしを塗る
作業があって、おやじはうるしにかぶれて、他の少し楽な電気溶接をしてた
そうな。潜水艦の内部儀装だったらしい。小学校(国民学校?)の国旗掲揚
のポールは、なんかの軍艦のマストだった、って言ってたな。

574:名無し三等兵
07/09/24 02:57:47
砲弾にウルシ

防水加工・・・?

575:戦争を変な名前で予防会
07/09/24 03:31:54 T3EBOFXx
 スレ違いですが。「戦争」の新呼称を募集します。良い名前があれば書きこんでください。
 人が戦争を起こすのは「戦争」という単語がかっこいいからかもしれません。
「暴走族」を「珍走団」と呼ぶように、戦争にも変な名前をつければ、この世から戦争が消える遠因になるでしょう。
 戦争が人の心に忍び込む前に、脱力感に満ちた新呼称を流通させ、戦争を無邪気に予防しましょう。
 戦争を変な名前で予防(よぼう)!  以下はこれまで挙がった新呼称です。
「戦争」改め・・・・・・ ・「痴争」(ちそう)・「珍攻」(ちんこう)・「珍略」(ちんりゃく)
 ・「珍闘」(ちんとう)・「珍国際」(ちんこくさい)・「恥乱」(ちらん)
 ・「国家間ウハウハ珍騒動」(こっかかんうはうはちんそうどう)
 ・「キレた大人のハッスルタイム」(きれたおとなのはっするたいむ)
 ・「暴れお国のナマ本番」(あばれおくにのなまほんばん)
 ・「愛国ドクドクどっぴゅん騒動」(あいこくどくどくどっぴゅんそうどう)
 ・「ガチンコ変態バトル」(がちんこへんたいばとる)
 どうでしょう。もっと良い案がありましょうから、是非お書き込みください。
「戦争」の新呼称は甚だしく下品で無様かつ不魅力であればあるほど世界平和に寄与するものと思われます。
このスレを読むと戦争は派手ではなく冷たく重く寂しくけだるいものなのだと感じました。
                     戦争を変な名前で予防会

576:名無し三等兵
07/09/24 03:34:43
祖父は生前、戦争の話は滅多にしなかった。
酒に酔った時だけ、泣きながら話してくれたが、
食料が尽きて、虫や蛇を食った話、
仲が良かった戦友が、マラリヤにかかり、「故郷に帰りたいよ」と言いながら骸骨みたいにやせ細って死んだ事、
米軍に追い詰められ、弾が無いのに部隊最後の総攻撃を敢行、砲弾で片腕を失った事など、一つも武勇伝など聞いた事が無い。

辛い体験ばかりの過酷な戦場だったから、わざわざ思い出して、たやすく口にしたくなかったんだろな…。
生きて帰って来てくれた祖父に、俺は心から感謝してます。

577:名無し三等兵
07/09/24 11:54:31 4fbtwEAc
>>160
まじか…

578:名無し三等兵
07/09/24 12:08:33 LTIXBnVi
>>576戦場への従軍経験を持つ人は口をつぐむ人が多いようだね。苛烈な戦地ならなおさら。思い出すのも嫌な壮絶な体験だからだろうけど、後世の為にもどうか勇気を出して語って欲しいと願う戦後産まれです。



自分の大伯父は関東軍のソ満国境警備隊にいましたが、ひたすら無人の原野で冬は鼻毛が凍る寒さだったと言ってました。対米英開戦前から既に前線部隊は弾薬不足だったようで、ノモンハンでサイダー瓶を利用した火炎瓶で応戦したのは実話だそうですよ。

579:名無し三等兵
07/09/24 12:14:55
URLリンク(vista.undo.jp)
さあ感想を聞こうか


580:名無し三等兵
07/09/24 16:48:15
>>579
なんで全裸なん?

581:名無し三等兵
07/09/24 17:18:26
生きて虜囚の辱めを受けず。

582:名無し三等兵
07/09/24 21:49:07
>>574
日本海海戦で大活躍した、下瀬火薬等の強力な炸薬には
主にピクリン酸が使われてんだが、ピクリン酸は金属と接触すると
即座に反応して、極めて不安定で爆発性の高いピクリン酸塩となって自然爆発する可能性がある。

なので、弾殻内面に漆を塗って保護膜を作り
さらに弾殻と炸薬の間にグリースを緩衝材として封入して安定化してたそうだ。


第二次大戦時に海軍が下瀬火薬を現役で使っていたかは知らん。


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