日中戦争(支那事変)9 参謀本部第二部支那課at ARMY
日中戦争(支那事変)9 参謀本部第二部支那課 - 暇つぶし2ch2:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/26 00:47:29 JfwFza7r
初代スレ 「 日  中  戦  争  ( 支 那 事 変 ) 」
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2代目スレ「日中戦争(支那事変) 被害担当艦@サドンデス! 」
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3代目スレ「日中戦争(支那事変)3 参謀本部第二部支那課」
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4代目スレ「日中戦争(支那事変)4 参謀本部第二部支那課」
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5代目スレ「日中戦争(支那事変)5 参謀本部第二部支那課」
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6代目スレ「日中戦争(支那事変)6 参謀本部第二部支那課」
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7代目スレ「日中戦争(支那事変)7 参謀本部第二部支那課」
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8代目スレ「日中戦争(支那事変)7 参謀本部第二部支那課」
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過去ログ(ue少将閣下作成)
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3:楽園の最高裁判長 四季映姫・ヤマザナドゥ ◆FU/OcfTlfM
07/05/26 00:48:47

     ,r---、.       
   _ソヽ/`、シi.
   _>=ヘ 山/=<, 
.  ((ん'ノノルレム))
   _ソレリ ゚ ヮ゚ノリ(_     状況開始!
   ),k'ヲ:::::::::つ   
    (ン::::/:::l::ヽ 
    `~i,ンT,ノ~´.

4:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/26 01:13:57 JfwFza7r
前スレ>>861 の続き。盧溝橋事件と劉少奇の関連ですが、前出の益井康一氏の
『日本はなぜ戦争を始めたのか』には、筆者独自の取材としてこうあります。
ちなみにこの本は雑誌『丸』での昔の連載をまとめたものですね。

盧溝橋事件が起きたのは1937年7月7日ですが、それ以降も「謎の銃声」が
北平近辺で続発します。実はその正体は『爆竹』な訳ですが、こんな感じです。

「まず7月12日午前2時ごろ、北平の永定門の近くで突然、銃砲声が轟いた。
 深夜の夢を破られた人々が、びっくりして戸外に飛び出してみると、路上で
 爆竹を鳴らした跡があった」

テレビなどでよく見るように、支那の爆竹は日本のそれとはケタが違います。
旧正月ですと「爆竹の暴発で頭が吹っ飛び25歳の男性が死亡」などと事故の
ニュースが流されるほどですw。

平時ならともかく、盧溝橋事件の解決(ケジメのつけ方)をめぐって一触即発な
この時期ですと、爆竹が銃声と間違えられて紛らわしい事、この上ありません。

5:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/26 01:41:21 JfwFza7r
これは明らかに爆竹を鳴らすことで「日支間の混乱」を惹起しようという謀略
ですが、そもそも北京では「盧溝橋事件」が起こる遥か以前の1933年12月に、
『爆竹禁止』の条例が出ています。

あまりに火災や負傷者が増え過ぎたためで、前記の「頭が吹っ飛ぶ」までは逝かなく
ても「眼球摘出手術」を受けて失明する人間はザラにいました。翌年1934年2月に
警官が押収した爆竹、花火類は18万7千発におよび、北京のほか支那全土23都市が
同様に「爆竹禁止」に踏み切っています。

ですので「建前上」は本来無いはずの爆竹が、銃声と非常に紛らわしい訳ですw。
>>4 と同じく7月12日の夜、八宝山(盧溝橋のすぐ北側)や日支両軍が対峙
し合う他の場所でも「爆竹騒ぎ」が続発して、お互いが不法射撃だと責め合う
結果となります。

それ以降も毎日「爆竹騒ぎ」が続いたため、7月21日の夜に日本軍の北平特務
機関補佐官・寺平忠輔大尉と支那第29軍参謀・周思靖が相談して、支那の便衣
(民間服)を着て変装した日本軍の憲兵数人を翌晩、市内に張り込ませました。

6:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/26 01:56:01 JfwFza7r
すると案の定、怪しい人影が現れたため捕まえてみると「支那人学生の群れ」でした。
彼らは日本軍の憲兵(便衣姿)を同じ中国人と思ったらしく、居丈高になって

●「われわれは北方局の『劉少奇』の命令でやっているのだ。お前達は同じ中国人で
  ありながら、なぜ邪魔をするのだ?」

と逆ギレしますw。憲兵隊長の赤藤庄次少佐と前出の寺平大尉はこの報告を聞きますが、
ふたりとも中国共産党の組織の中味はほとんど知らず、北方局や劉少奇と言われても
ピンと来ないため深くは追及しなかったと云います。

以上は、益井康一氏が「今井武夫少佐」に直接取材して聞いた話です。ちなみに
北方局とは、北支の抗日を指導する中国共産党の組織で、劉少奇は党の第一書記
で北方局の最高指揮官でしたが、表向きは北京大学で図書館員となって勤務して
いました。なので、日本軍指揮官が「劉少奇」の名前を出されてサパーリ分から
なくても不思議ないかもしれませんw。

7:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/26 02:20:32 JfwFza7r
要するに「劉少奇」は学生や抗日団体の地下工作を指導していた訳です。

盧溝橋事件以後、日支間の「現地解決」を妨害するために学生を動員して
「爆竹騒ぎ」を劉少奇が煽動していたのは、ほぼ間違いなさそうですが、
7月7日の「謎の銃弾」まで劉少奇の仕業かというと、そこまでは断言
できないと思います。

ただ、この「盧溝橋事件」を機に劉少奇の中共党内での地位が格段にアップし、
ライバルの周恩来を飛び越えて、毛沢東に次ぐナンバー2の地位に躍進した
(益井康一談:名実共にナンバー2になったのは、第2次大戦後の1945年
第7会党大会)のも「中共謀略説」を支える根拠の1つでもあります。

さらに言うならば、盧溝橋事件の翌日(1937年7月8日)、まだ真相不明の時点で
中共中央委員会が●「日本軍盧溝橋進攻」の電報を関係各所に発したり、●「中国は
全国の陸海軍を動員して、日本軍を撃退せよ」と呼びかけるなどの『手回しの良さ』
もまた、中共謀略説の有力な裏付けの1つとなっている訳です。

8:名無し三等兵
07/05/26 02:35:41 LExzqEN6
名無し三等兵:2007/05/26(土) 01:43:19 ID:???
損害額は高い順ね。

違法コピー率の高い国は、アルメニア(95%)、モルドバ(94%)、アゼルバイジャン(94%)など。
逆に違法コピー率の低い国は、米国(21%)、ニュージーランド(22%)、日本(25%)、デンマーク(25%)など。
違法コピーによる損害額の多い国は、米国(72億8,900万ドル)、中国(54億2,900万ドル)、フランス(26億7,600万ドル)、ロシア(21億9,7000万ドル)



230 :名無し三等兵:2007/05/26(土) 01:52:42 ID:???
ちなみに韓国は45%で圏外。損害額は16位。

中国は82%でワースト17位。
2003年に比べると10%低下してる。


231 :名無し三等兵:2007/05/26(土) 01:59:47 ID:???
日本は所得水準が高いんだから、違法コピー率は低く見えて当然だろう。
それを考慮に入れれば、日本は3倍程度で見るのが妥当な計算だ。
つまり日本の違法コピー率(違法コピーに対する抵抗の無さ)は厳密には75%以上で、
世界でも極めて悪い部類となる。


9:名無し三等兵
07/05/26 02:37:51 LExzqEN6
233 :名無し三等兵:2007/05/26(土) 02:06:39 ID:???
日本の国民一人当たりのGDPは、中国の32倍。
だから3倍で計算するのは日本に有利すぎ、甘すぎるほどだな。
そこまで有利な条件で計算してすら、中国より遥かに悪い水準となるのだから、
日本人の法に対する意識レベルというのは世界でも最低ランクだ。


234 :名無し三等兵:2007/05/26(土) 02:17:36 ID:???
GDP比を合わせて計算すると、日本の違法コピー率は中国の11倍(!)となる。
この事実をどう見るかだな。
日本が世界中からコピー国家と糾弾され続ける理由も自ずから明らかだろう。

10:名無し三等兵
07/05/26 02:38:42 LExzqEN6
236 :名無し三等兵:2007/05/26(土) 02:23:15 ID:???
ソースとかなくたって、ネット回り見れば
日本人の著作権意識の低さはひどいもんだろ
もちろん外国もひどい
そういう時代にこういう話はアナクロな感じがする

JAPm9(^Д^) プギャー

11:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/26 02:41:45 JfwFza7r
まあ、グダグダ述べてきまして何が言いたかったと云いますと、

自分の予想では、劉少奇は盧溝橋事件後の「爆竹騒ぎ」を起こしたついでに、
『謎の銃弾』まで自分の手柄として主張(吹聴)したのではないでしょうかw。

ほんで、中共兵士向けのパンフレット『政治課程読本』に繋がると。まあ、
ひょっとしたら劉少奇自身の意思ではないかもしれませんが。お前がやった
ことにしておけ、などとw。

まあ、何度も言うとおり「真相は闇の中」です。第一次大戦のきっかけとなった
サラエボ事件のように何か劇的なものに考えたい気持ちは分かりますが、実際は
もっと地味だったと思います。

それにしても盧溝橋事件は、このように少し触れただけでも複雑怪奇ですw。
マトモにやったら「北支の治安戦」並みの大テーマ(文量)になるでしょう(藁)。

12:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/26 02:46:47
ちとミスったので「過去ログ」をもう一度、張り直させてくらさいw。

13:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/26 02:47:59
初代スレ 「 日  中  戦  争  ( 支 那 事 変 ) 」
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2代目スレ「日中戦争(支那事変) 被害担当艦@サドンデス! 」
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3代目スレ「日中戦争(支那事変)3 参謀本部第二部支那課」
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4代目スレ「日中戦争(支那事変)4 参謀本部第二部支那課」
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5代目スレ「日中戦争(支那事変)5 参謀本部第二部支那課」
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6代目スレ「日中戦争(支那事変)6 参謀本部第二部支那課」
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7代目スレ「日中戦争(支那事変)7 参謀本部第二部支那課」
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8代目スレ「日中戦争(支那事変)8 参謀本部第二部支那課」
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過去ログ(ue少将閣下作成)
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14:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/26 03:00:51 JfwFza7r
前スレ>>851 >>優秀なドイツ陸戦兵器とドイツ軍事顧問団があれば
>>日本恐るるに足らずと

良いでしょう。『上海航空決戦』をやっていて、イタリアとアメリカは
出てくるのに、ドイツは一体どこに逝った?と思っている人はきっと多い
はずです。

まあ、空軍顧問はイタリアとアメリカで、陸軍顧問はドイツ人と結果的に
「棲み分け」が出来ていた訳なのですが、『上海航空決戦』が終わりましたら
小テーマで『ドイツ軍事顧問団』の話をやりませう。

内容的には、兵器云々の話ではなくて、ドイツ軍事顧問団(とドイツ本国)の
グチャグチャした内実が中心になりますが。ひたすら地味ですw。

15:だつお
07/05/26 10:53:11 kQ7xCv5y
>優秀なドイツ陸戦兵器とドイツ軍事顧問団があれば日本恐るるに足らずと

「なぜ、韓国人にはナチスドイツ軍崇拝者が多いのか」

韓国では李承晩政権以来ずっと、北は同胞であり悪いのは共産主義、
そして日本の植民地支配は全面否定されるべきものと教えられてきた。
反共だけど旧日本軍は大嫌い。だから彼らにとっての第二次世界大戦は、
ナチスドイツこそが最大のヒーロー。チョッパリは惨敗して当然であるが、
東部戦線でドイツ軍が共産主義ソ連を壊滅させる可能性はあったはずだと。
それはちょうど山田昌弘の言う「夢見る使い捨てフリーター労働者」と同じで、
自分の置かれた人生の現実に希望が持てないことの裏返しだ。 だが現実のところ、
ドイツはアメリカ参戦抜きでもモスクワ戦で敗退しておりまたアメリカが送った
レンドリースはイギリスよりもかなり遅れてしかも総額で3分の1にすぎない。

           1941    1942   1943   1944    1945    Total
        (Mar. to Dec.)                (Jan. to Aug.)
Total aid to British
Commonwealth  1,082  4,757   9,376  10,766   4,437    30,073
Aid to Russia    20   1,376   2,436?  4,074   2,764    10,670
Aid to other countries                             2,872
Total lend-lease aid                              43,615
       
URLリンク(www.ibiblio.org)
United States Lend-Lease Aid to the British Commonwealth ($ million)

URLリンク(p2.chbox.jp)
スレリンク(army板)
大日本帝国VSドイツ第三帝国  ラウンド4

16:だつお
07/05/26 14:54:27 kQ7xCv5y
From a primitive barnstorming enterprise the air service from India
to China had burgeoned into a large-scale operation, far beyond the
wildest dreams of the men who assisted at its beginnings. First and
last a grand total of some 650,000 tons of gasoline, munitions, other
commodities, and men traveled the air route over the Hump into
China, rather more than half of the total in the first nine months
of 1945. One must ask in conclusion what this all meant. The tonnage
could have been hauled in approximately 70 Liberty ships, if the
requisite ports had only been available, or in 6,500 American freight
cars, if only a railroad had existed. The Hump airline was born of
an emergency, though in the end its size made it difficult for the
men who operated it to remember that it was still properly an
emergency communication system.
But a fundamental question remains: What good end was served by the
emergency delivery of 650,000 tons of this and that into China?
Certainly little went directly to the aid of the Chinese people and
relatively little to the Chinese armies, though it can be urged that
the regime of Chiang Kai-shek would have collapsed without the
support of General Chennault's command and that Chennault's
men were wholly dependent upon the Hump lift.

URLリンク(www.ibiblio.org)
AIRLINE TO CHINA

17:だつお
07/05/26 15:00:04 kQ7xCv5y
>But a fundamental question remains: What good end was served by the
>emergency delivery of 650,000 tons of this and that into China?

しかしながら本質的に疑問が残る。いったいこれらあれら650,000 tons
の中国への緊急援助は、いかなる成果を残したのかと?

チンピラゴロツキには何を援助しても、チンピラゴロツキはチンピラゴロツキ。
中国人という中国人は、みんなみんなチンピラゴロツキ。

18:だつお
07/05/26 15:36:46 kQ7xCv5y
URLリンク(kamisato2.hp.infoseek.co.jp)
URLリンク(kamisato2.hp.infoseek.co.jp)
URLリンク(kamisato2.hp.infoseek.co.jp)
URLリンク(kamisato2.hp.infoseek.co.jp)
URLリンク(kamisato2.hp.infoseek.co.jp)
URLリンク(kamisato2.hp.infoseek.co.jp)
URLリンク(kamisato2.hp.infoseek.co.jp)
URLリンク(kamisato2.hp.infoseek.co.jp)
URLリンク(kamisato2.hp.infoseek.co.jp)
日中戦争(支那事変)1~9 参謀本部第二部支那課

こうしてリンク張っときゃわかりやすいだろ。

19:だつお
07/05/26 22:11:55 rpQN4eOk
《 一九四四年七月にアメリカはその後の中米関係に深刻な影響を及ぼすこと
になった重大な選択をした。それは中国共産党の毛沢東が蒋介石の妨害にも
かかわらず長征を経て、堅固な拠点を築いていた陝西省延安へのアメリカ
軍事視察団(United States Army Observer Group)の派遣であった。それが
遠因になって、五年後に毛率いる中国共産党軍(以下、中共軍と略称)は蒋の
中国国民政府軍(以下、国府軍と略称)を中国大陸から放逐することになった。
 ミッション派遣の頃、アメリカ軍は日本軍を太平洋上や南西アジア戦域で
敗退させ、日本本土に近づきつつあったが、中国戦域では日本軍は点と線と
はいえ中国の主要地域の支配を継続していた。米軍の援蒋ルートの開拓など
必死のテコ入れにもかかわらず、国府軍は奥地の重慶を脱出して、揚子江を
下る見込みが立たなかった。アメリカ空軍基地の破壊のために、華北、華南
をとぎれなく支配する強気の作戦(打通作戦)を日本軍が敢行しているのが、
一九四四年前後の状況であった。とくに桂林など華南での攻防が激化し、
アメリカ軍の拠点がある雲南省昆明、さらには重慶までもが緊張感につつま
れていた。アメリカ援助の近代装備を施されているにもかかわらず、国府軍
は各地で制空権のない日本陸軍に敗退していたからである。

20:だつお
07/05/26 22:14:34 rpQN4eOk
 一方、延安を中心に山西省、河北省、山東省などの華北では、中共軍の
主力八路軍が遊撃戦を通じて日本軍を追いつめる健闘を示していた。とくに
アメリカ軍のスティルウェル将軍や国務省派遣の大使館若手キャリアは、
中共軍と国府軍の軍事上の協力関係、すなわち国共合作を再度行い、共同で
日本軍と戦うべしとの声を高めていた。とくに国府軍に比し、中共軍の規律
やモラールは高いとの情報が、延安を訪ねるアメリカ系ジャーナリストに
よって伝えられていた。だが一方、アメリカ側でも、国共合作は短期的に
日本軍に打撃を与えるが、長期的に見れば、中共軍の大陸支配を促すとの
危機感が根強くあり、アメリカ軍による中共軍支援に猛反対する蒋介石の
主張に耳を傾ける幹部が少なくなかった。
 そうした状況のなか、一九四四年六月にウォーレス副大統領が重慶を訪問
し、蒋を説得して延安へのミッション派遣の許可を得ることになった。つまり
ルーズベルト大統領が、毛沢東の力量をある程度認知し、国府軍に圧力をか
け八路軍との共闘を行わせるという方向へシフトしたのである。
 南北戦争の際、ルイジアナなど南部諸州をディキシーなる反乱地域と北部
側が呼んだのにちなんで、アメリカは重慶から見て反乱地域である延安への
アメリカ軍事視察団にディキシー・ミッションなるコードネームをつけた。》

『延安リポート/アメリカ戦時情報局の対日軍事工作』
山本武利「延安リポートの性格/一. アメリカ軍事視察団の派遣」より
URLリンク(www.kanshin.jp)

21:名無し三等兵
07/05/26 22:16:18 R6xzHCsA
中国人>>>>>>道徳の壁>>>>>JAP>>>>>人類の壁>>>>イナゾウ

22:元32(予備役少佐)
07/05/26 23:27:12
>>1
新スレ乙
イナゾウ中佐、がんばれー

23:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/26 23:57:49 7duLaVZc
>>前スレ849 >>近衛内閣に佐藤も留任して米内と協調していればどうなったかも

米内が固執していたのは「船津工作」でしたが、どうなっていたでしょうか。船津
工作自体は、『上海航空決戦』(8月14日~)直前の8月初旬より動き出して
いますが、蒋介石が7月下旬に「動員令」をかけていることを考えると、最初から
望み薄だったとも云えます。

念のため「船津工作」とは当時、作戦部長だったカンジ(石原莞爾)が外務省
東亜局長の石井射太郎とともに、蒋介石に「日本の妥協案」を示して和平を
図った私的外交を指します。

参考までに昭和天皇の「船津工作」に対する感想を挙げておくと以下の通り。
1937年8月6日、軍令部総長(伏見宮博恭王)が支那沿岸および揚子江に
おける海軍用兵について上奏した時のことです。(嶋田繁太郎大将無題備忘録)

24:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/27 00:02:03
>>元32(予備役少佐)殿

どうもでございます。いつもいつも恐縮です。何とか地道に続けて
逝きたいと思いまふw。

25:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/27 00:11:09 Td1CdP5Z
【昭和天皇】

「近衛首相の話によれば、『船津』か上海にて内面交渉を行なうようだ。
 うまく行けば宜しいが、もしこの条件で支那が同意しないようなら
 むしろこれを公表して、日本がかくも公明正大な条件を出したにも
 関わらず支那が同意しなかったとすれば、各国の世論も日本に同情
 するだろう。

 出来るだけ交渉を行い、まとまらなければ止むを得ず戦うほかない。
 先日の参謀本部の話によると、長引く場合はソ連を考慮する必要上、
 支那に大兵力を用いることは出来ないとのことだが、やれるだけやる
 しか方法は無い。

 陸軍も困ったものだが、海軍だけでもしっかりやるように」

26:名無し三等兵
07/05/27 00:16:29 /08UaYBa
8 :名無し三等兵:2007/05/26(土) 02:35:41 ID:LExzqEN6
名無し三等兵:2007/05/26(土) 01:43:19 ID:???
損害額は高い順ね。

違法コピー率の高い国は、アルメニア(95%)、モルドバ(94%)、アゼルバイジャン(94%)など。
逆に違法コピー率の低い国は、米国(21%)、ニュージーランド(22%)、日本(25%)、デンマーク(25%)など。
違法コピーによる損害額の多い国は、米国(72億8,900万ドル)、中国(54億2,900万ドル)、フランス(26億7,600万ドル)、ロシア(21億9,7000万ドル)



230 :名無し三等兵:2007/05/26(土) 01:52:42 ID:???
ちなみに韓国は45%で圏外。損害額は16位。

中国は82%でワースト17位。
2003年に比べると10%低下してる。


231 :名無し三等兵:2007/05/26(土) 01:59:47 ID:???
日本は所得水準が高いんだから、違法コピー率は低く見えて当然だろう。
それを考慮に入れれば、日本は3倍程度で見るのが妥当な計算だ。
つまり日本の違法コピー率(違法コピーに対する抵抗の無さ)は厳密には75%以上で、
世界でも極めて悪い部類となる。


27:名無し三等兵
07/05/27 00:19:30 /08UaYBa
9 :名無し三等兵:2007/05/26(土) 02:37:51 ID:LExzqEN6
233 :名無し三等兵:2007/05/26(土) 02:06:39 ID:???
日本の国民一人当たりのGDPは、中国の32倍。
だから3倍で計算するのは日本に有利すぎ、甘すぎるほどだな。
そこまで有利な条件で計算してすら、中国より遥かに悪い水準となるのだから、
日本人の法に対する意識レベルというのは世界でも最低ランクだ。


234 :名無し三等兵:2007/05/26(土) 02:17:36 ID:???
GDP比を合わせて計算すると、日本の違法コピー率は中国の11倍(!)となる。
この事実をどう見るかだな。
日本が世界中からコピー国家と糾弾され続ける理由も自ずから明らかだろう。


10 :名無し三等兵:2007/05/26(土) 02:38:42 ID:LExzqEN6
236 :名無し三等兵:2007/05/26(土) 02:23:15 ID:???
ソースとかなくたって、ネット回り見れば
日本人の著作権意識の低さはひどいもんだろ
もちろん外国もひどい
そういう時代にこういう話はアナクロな感じがする

JAPm9(^Д^) プギャー

28:名無し三等兵
07/05/27 00:23:52 /08UaYBa
中国人>>>>>>道徳の壁>>>>>JAP>>>>>人類の壁>>>>イナゾウ

29:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/27 00:27:34 Td1CdP5Z
昭和天皇は近衛首相から「船津工作」の概要を聞いています。昭和天皇の
カンジ嫌いは云うまでもありませんが、石井射太郎→広田弘毅(外相)→
近衛首相→昭和天皇という経由で、カンジの介在は聞かなかったのでしょう。
もし知っていれば「船津工作」に、また違った感想を述べたかもしれません。

昭和天皇のカンジ嫌いは、言うまでもなく満州事変(つづく第一次上海事変、
国際連盟脱退)に因るものですw。2.26事件の対応で多少持ち直しましたが…。

また>>25 を見ても分かるとおり、昭和天皇は「船津工作」にほとんど期待
していません。蒋介石の開戦決意が固いことを見抜いていたようです。要するに
日本は支那に対して交渉する意志はあったが蒋介石が拒絶したという体裁を
整えたかった訳です。外相の広田や近衛首相はこの辺を理解していた様ですが、
工作当事者の石井・カンジは、皮肉も全く大真面目だったようです。

この背景には、蒋介石との信頼関係が作れるとの錯覚があった訳ですが、
あとで述べるように米内光政にも大いに共通するところです。

30:名無し三等兵
07/05/27 00:31:39
>>28
延々と荒らされるのも困るから言っとくけど

経済規模で考えるなら日本は損害額も驚くほど少ないんだが?

著作権に対する意識が薄れてるのも確かだが。

31:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/27 00:36:21 Td1CdP5Z
>>25 >>先日の参謀本部の話によると、長引く場合はソ連を考慮する必要上、
>>支那に大兵力を用いることは出来ないとのことだが、やれるだけやるしか
>>方法は無い。陸軍も困ったものだが、海軍だけでもしっかりやるように

言うまでもなく上記の参謀本部の説明とは、カンジ(作戦部長)によるものですw。
こういうので昭和天皇の信頼を無くしていく訳ですが、後のヒデキと対照的で
何だか歴史の皮肉を感じます。とりあえずどこかの火葬戦記にあるような、カンジが
首相になるお話は、現実には絶対あり得ませんw。


32:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/27 00:50:57
>>18 >>日中戦争(支那事変)1~9 参謀本部第二部支那課
>>こうしてリンク張っときゃわかりやすいだろ。

ちょっ、おまw。気持ちは有り難いですが、直リンはまずいんでないかいw。

33:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/27 01:13:50 NoM+uzQZ
さて『上海航空決戦』のインターリュード(間奏)が長引いていますが、テーマを
補完する大事なところなのでもう少し続けて行きます。

上海航空決戦が始まるまで米内光政(海相)は、対支政策の強硬路線にずっと反対
し続けてきたことは前スレで既に述べました。盧溝橋事件が起こってからも、船津
工作に期待をかけていた(作戦準備を遅らせる結果に)ことからも明らかです。

支那警備の第3艦隊司令官時代(1932年)、米内は海軍次官から「対支時局処理方針」
(強硬論)を聞かされると明確に反対の態度を取ります。

●「対支政策に関する(海軍)次官の書きっぷりは、南京政権(蒋介石の国民党政府)をば
 逐次孤立せしめ、これを駆逐せんとするようでもあり、南京政府に対しては峻厳一方に
 やろーというようにも見られ、多分に『陸臭』(陸軍臭)を有する」

ものとして批判しています。

34:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/27 01:41:20 NoM+uzQZ
米内はその後、佐世保鎮守府司令長官(1933年1月)、第二艦隊司令長官
(1934年11月)、横須賀鎮守府司令長官(1935年12月)、連合艦隊司令
長官(1936年11月)などと、出世街道をバク進するなかでも、海軍の対支
強硬路線に対して●「どうしても変更の要あり」と態度を変えることなく、
●「海軍当局の意見とは未だ隔たりがある」状態が続きます。

米内の経歴を見ると「シナ屋」に片足以上を突っ込んでいるようなものですが、
どうしてここまで蒋介石政権を擁護するのか?という疑問が当然湧いてきます。

実は、米内は第一遣外艦隊司令官時代の1929年4月~5月、南京と漢口で当時、
国民政府主席かつ陸海空軍総司令だった蒋介石と会見しています。

この会見は米内に蒋介石に対する好印象を与えたようで、以後の米内の対支観、
対蒋観に与える影響は大きかった訳です。

35:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/27 01:57:55 NoM+uzQZ
米内は1936年6月(横須賀鎮守府司令長官)、蒋介石との会見を
回想して次のように述べています(※『岩手日報』1936年6月12日付、
米内車中談)。

●「蒋介石はえらい奴だ。昭和4年(1929)に漢口で4ヵ月間共産軍に
 包囲されて糧道および交通路を断たれた事がある。そのとき3ヵ月
 ばかりたって蒋がやって来たが、支那の第一人者だよ。広西で何か
 し出かしているが、蚊に刺された位なものだろう。

 財力もあり兵もあるからだ。北支は支那の勢力範囲位に考えている
 のではないか、支那問題は何とかして蒋介石を引っ張ってくるんだね」

日支間の問題がますます混迷化する1930年代半ばにおいて、米内の考えは
中央政府である国民政権(蒋介石)を「あくまで相手」としていくものでした。

36:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/27 02:04:06
まあ結局、初めの方で述べたように、米内の蒋介石に対する『過剰評価』
というか『片思い』は、物の見事に裏切られる事になりますがw(続く)。

37:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/27 02:22:39
『涼宮ハルヒの驚愕』の発売延期を今日知りました。発売日をデカデカと
告知したから、前作の時点でもう原稿は出来上がっているものとばかり…w。

どうでもいい話ですが、『らき☆すた』アニメのOPを見て「ネ申の存在」を
信じるようになりました。CDも衝動買い。DVD早く発売されないかしらん(藁)。

38:名無し三等兵
07/05/27 03:01:49
イナゾウ・・・
らきすたのOPの作画か楽曲かどちらに衝撃を受けたのかは知らんが
ああいうのにハマルのは20前に済ましておくのがマナー

39:名無し三等兵
07/05/27 03:35:34 p/52ncvw
イナゾウ先生こんばんわ。
ところで「東方~」ってなんですか?
教えてクンですいません( ・∀・)

40:名無し三等兵
07/05/27 05:46:44
外地に出征した日本兵の給料の支給方法についてお尋ねします。

1)給料はどうやって渡されたのでしょうか?

2)小野田寛郎しによれば、1/3が家族への送金、1/3が貯金、1/3が慰安所通い、だそうですが、
軍票と軍事郵便貯金の役割について教えてください。

3)軍票支払いだと兵隊たちはその内地に残した家族も含めて、もろに外地のインフレに巻き込まれてしまいます。
そうならない措置についてお尋ねします。

4)慰安所の料金はインフレがあっても殆ど動かなかったそうですが、軍票決済でなぜそれが可能だったのか、
それは多分慰安所のやりくりが外部のインフレ経済に晒されない内部経済だったからではないかと、
私はおもうのですがいかがでしょうか。

5)また軍票を集めた朝鮮人慰安婦が、現地の実勢レートではなく公称レートで軍事郵便貯金ができたのは、
送金や引出しの厳しい制限のもとに軍人軍属の特例がみとめられたからではないかと推察するのですが、いかがでしょうか?

どなたか教えてくだされば幸いです。


41:名無し三等兵
07/05/27 09:20:26
>>867(前スレの)

>ホウヘイ前へ!

んな、落語みたいな話を信用できるか!

42:だつお
07/05/27 12:14:50 yDaHdYso
>しかしながら本質的に疑問が残る。いったいこれらあれら650,000 tons
>の中国への緊急援助は、いかなる成果を残したのかと?

1944年度の大東亜戦争は、中国戦線の大勝と太平洋戦線の大敗が並存する。
それでも大東亜戦争を続行する値打ちがあったか否かであるが、中国と太平洋
ではどちらが国際的にみて重要なのかということを考えてみてはと思う。
「国際的にみて」といっても観点がそれぞれで混乱するがそれも史実の
ホワイトハウスで論じられたことだ。スチルウェルなどは中国戦線を「無価値」
と日誌にそう書いているくらいだが、全員が全員その認識であったとは限らない。
旧日本軍を強いとみるか弱いとみるかも、この辺の事情で混乱しているのだろう。
また工業能力や技術水準についても、皇軍を列強標準以下とみるのならば、
中国は動物以下なのかということにもなるだろう。

43:名無し三等兵
07/05/27 15:37:00
産経新聞で23日から、蒋介石日記についての連載記事が載ってる。

44:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/27 21:46:29
>>41 >>んな、落語みたいな話を信用できるか!
いや、何かの本で自分も読んだ事があります。記憶が…w。

>>38 >>らきすたのOPの作画か楽曲かどちらに衝撃を受けたのかは知らんが
いやーあの原作からここまで持ってくるとは作った人は凄いなーと。つーか、
地域の関係でアニメはまだ未見ですよw。

45:名無し三等兵
07/05/27 21:50:40
報道戦線から見た「日中戦争」―陸軍報道部長馬淵逸雄の足跡 (西岡 香織)
はこのスレ的に駄目っすか

46:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/27 23:07:02
>>36 >>米内の蒋介石に対する『過剰評価』というか『片思い』は、物の見事に
>>裏切られる事になりますが

蒋介石の支那空軍への攻撃命令は、1937年8月13日午後2時に「空軍命令第1号」が、
8月14日早朝に「第2号」が出されます。日本海軍の第3艦隊旗艦「出雲」の爆撃には、
支那空軍・第2大隊第11中隊(中隊長・襲款澄)が充てられ、ノースロップ2E型単発
複座軽爆撃機が実施しました。

また支那では8月14日の空軍の戦闘を記念して、この日を「空軍節」としています。
蒋介石の8月15日の日記には、●「倭寇(日本軍)の空軍の技術が拙劣なこと、これ
ならば彼らの心胆を寒からしめる事ができる」と記すほど初日の奇襲に興奮していました。

かつて第3艦隊司令長官として「出雲」に座上指揮していた米内にとっては、非常に
ショッキングな出来事です。「船津工作」の交渉継続に期待していた中での支那空軍の
攻撃は、後にアメリカが受けた「パールハーバー奇襲」に等しい衝撃を与えたのでした。

47:ue ◆WomMV0C2P.
07/05/27 23:37:48
遅れましたが、過去ログ倉庫を更新しました。
このスレも後40日程度で2周年といった所ですね。
中佐と諸氏の努力もあってか、「支那事変」で検索すれば、グークルの1~2ページ目に来るくらいになった模様です。
まとめスレの日々のユニークアクセス数は4~5人程度ですが(w
アクセス解析の結果をもうちょっとばらすと、サイトのグークル検索ワードトップはズバリ、「イナゾウ中佐」です。

48:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/28 21:27:32
ue少将閣下、いつもながらご助力ありがとうございます。何時まで続くか
分からないと言いつつも、もう直ぐ2年とは月日が経つのは早いものですね。

>>まとめスレの日々のユニークアクセス数は4~5人程度ですが(w
自分もどれぐらいカウンターが回るんだろうか?と気になっておりましたが、
もっと気合入れて頑張りますw。

5代目スレ辺りからお世話になっていたと思いますが、過去ログを作って頂いた
お陰で自分も調べ物するのに重宝しています。過去に自分で書いたことを忘れたり
しておりますので……w。話題によっては昔の自分の方が詳しいということがママ
ありますw。ん? ということは、アクセス4~5人のうち1人は自分ですか??(核藁)

>>サイトのグークル検索ワードトップはズバリ、「イナゾウ中佐」です。

牛乳吹きましたw。ちょっと色々試してみましたら、「支那課」でも上位に
過去ログが引っかかって来るようでふ。

49:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/28 21:42:35
>>40 ちょっと話が専門的過ぎて自分の手に余ります。そこまで問題点を整理できている
のなら貴官の方がずっと詳しいでしょう。自力で頑張ってくらさいw。戦記などを読むと、
終戦間際に今まで貰ってなかった1年分の給料が支給された云々の話はよく聞きますがw。

>>45 >>報道戦線から見た「日中戦争」―陸軍報道部長馬淵逸雄の足跡 (西岡 香織)
>>はこのスレ的に駄目っすか

未読なので何とも言えませんw。ただ芙蓉書房のサイトでカバー写真と目次を見ましたら
なかなか面白そうな内容だと思いました。アマゾンの古書だと1200円前後と安かった
ので、早速取り寄せて読んでみませふ。ちょうど『フェイト/ゼロ』にうっかり手を出し
2巻まで一気読みして呆けていましたのでw。

何か『例大祭』が終わって以来、緊張の糸がプツンと切れて仕事が手に付きませんw。
完全に5月病ですw。

50:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/28 22:12:55 DtdPa+rS
>>46 の続き。支那空軍の「奇襲攻撃」を受けて、当日の8月14日夕方には
日本海軍が反撃の矢を放ちます。台湾の基地から支那の航空基地へ96式陸上
攻撃機を発進させましたが、天候不良もあり活動不十分のまま、多くの損害を
出していました。

当時、軍令部部員だった高松宮宣仁親王(海軍少佐)は日記にこの損害について、
●「中攻6機、その他9機、人員計54名の損失」「遺憾なり」と書いています。

空母部隊も取り上げる必要がありますが、先に「陸攻部隊」をまとめてみましょう。
1937年8月14日~30日にかけて行なわれた海軍中攻による『渡洋爆撃』は
「世界初の戦略爆撃」とも称されるものです。しかし―、

長崎県の大村・朝鮮半島のすぐ下にある済州島・台湾から、支那の主要都市を爆撃
した訳ですが、主役になったのは先に述べたとおり、38機の96式陸上攻撃機です。
トータルでの攻撃の損害は、喪失14機、大破13機という甚大なものでした。

51:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/28 22:39:18 DtdPa+rS
支那事変勃発直後に「陸海軍航空協定」が結ばれた(北支の敵航空勢力の
撃滅を陸軍が、中支・南支のそれを海軍が担当)ことは既に述べましたが、
これを受けて7月11日に、海軍で「特設航空部隊」(戦時事変に際して
特設される)が編成されました。その中でも陸攻を中心とした

●第一連合航空隊の司令官は、戸塚道太郎少将
●主要部隊は、木更津航空隊(陸攻20機:大村・済州島へ)。鹿屋航空隊
 (陸攻18機・95式艦戦12機:台北へ)

でした。日付順に出撃作戦を追ってみると以下の通り。

8月14日:台湾(台北)から9機が広徳を、別の9機が杭州を爆撃。
8月15日:台湾(台北)から14機が出撃、うち8機が南昌(江西省)を空襲。
      大村(長崎県)から20機が南京を空襲【4機撃墜・6機被弾】
8月16日:台湾(台北)から13機が南京と揚州などを空襲【3機が未帰還】
      済州島から9機が蘇州(江蘇省)を空襲。

52:名無し三等兵
07/05/28 22:44:17
しつもーん 
第三艦隊攻撃時に支那空軍が上海のフランス租界地に誤爆って
数千名の死傷者が出たのは本当ですか?


53:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/28 22:57:29 DtdPa+rS
8月19日:台湾(台北)から7機、済州島から14機が南京を空襲。
8月21日:済州島から9機が揚州を空襲、同じく済州島から6機が浦口
      (南京の揚子江対岸)を空襲【1機撃墜・3機未帰還】
      台湾(台北)から3機が考感(湖北省)を爆撃。

8月22日:済州島から6機が南京を爆撃(夜半空襲)。
8月24日:済州島から2機が南京を空襲(23日出撃→24日夜半に空襲)
      済州島から6機が南京を空襲。
8月26日:台湾(台北)から6機が南昌を爆撃(夜半空襲)

8月27日:済州島から8機が南京を爆撃(夜半空襲)。台湾(台北)から6機が
      南京を爆撃(黎明空襲)。
8月30日:済州島から6機が徐州を爆撃。

以上が「渡洋爆撃」の全貌です。損害の余りの大きさに、8月30日の
徐州に対する空襲を最後に打ち切られることになります。

54:名無し三等兵
07/05/28 23:08:06
>>49
なかなか面白いです 火野葦平氏の話も出てますし オヌヌメです

55:zaqd37c4442.zaq.ne.jp
07/05/28 23:21:05
∧_∧
ピュ.ー ( ^^) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎―◎                      山崎渉


56:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/28 23:27:35 DtdPa+rS
何故ここまで「陸攻」の損害が増えたかと言えば、対空砲火を除くと
護衛の戦闘機が付けられなかった事に尽きます。念のため8月15日の
「爆撃コース」を検証してみましょう。

まず台湾にいた鹿屋部隊は、台北を朝6時50分に出撃して南昌を爆撃、
夕方16時30分に同じく台北に帰還します。台北―南昌間は710キロ
ですから、往復1420キロの長丁場です。

そして長崎県大村にいた木更津部隊は、朝9時10分に出撃して上海の横を
通って南京を爆撃、夜19時20分に朝鮮半島の下にある済州島に帰還です。
大村―南京間が1100キロ、南京―済州島間が770キロですから、合計
1870キロにもなります。

96式陸攻の航続距離(4000キロ)からすれば全く問題ない距離ですが、
護衛の戦闘機が全く追随できません。95式艦戦で航続距離が850キロ、
当時最新鋭だった96式艦戦でも1200キロです。

57:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/28 23:37:48 DtdPa+rS
前スレで述べました『戦闘機無用論』を思い出してください。爆撃機の
性能向上によって戦闘機による迎撃は不可能になるとする『信仰』です。

この爆撃機に対する過度な期待が、爆撃機単独の長距離爆撃を推し進め、
結果は甚大な物的・人的損害を招くことになります。

96式陸攻とて「全金属機」を理由に、後方からの7.7ミリによる追い撃ち
では撃墜困難だと予想されていました(藁)。

こうした戦闘機無用論の破綻により、長距離爆撃の護衛戦闘機という設定で
ゼロ戦が後に開発される事になりますが、また別の話でしょう―。

まあ、何でこんなに日本軍を叩くようなことを書くのかと云えば、支那空軍も
全く同じような失敗をやっているからです(爆撃偏重)w。

58:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/28 23:56:22
>>52 >>第三艦隊攻撃時に支那空軍が上海のフランス租界地に誤爆って
>>数千名の死傷者が出たのは本当ですか?

駐日大使のエドウィン・ライシャワーのお兄さんのロバート・ライシャワー
(東洋学者)もキャセイ・パレス両ホテルの損壊に巻き込まれて死んでますよw。

ちなみにE.ライシャワーは、原爆投下地のリストから京都を外すように
泣いて上司に頼み込んだという逸話がある人ですね。1961年から66年まで
駐日大使でした。

59:名無し三等兵
07/05/28 23:58:34
ほぉう! 勉強になりました お答えありがとうございました

60:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/29 22:40:04 k8A621+P
>>52 >>第三艦隊攻撃時に支那空軍が上海のフランス租界地に誤爆って
>>数千名の死傷者が出たのは本当ですか?

テーマにも関係しますし、せっかくなのでもう少し詳しく触れておきましょう。
この誤爆が起きたのは1937年8月14日、今テーマ『上海航空決戦』の
初日でもあります。

犠牲者の数は諸説ありますが、手元にある『一億人の昭和史:日中戦争1』では
租界で外国人など約1千人が死傷したとあります。キャセイ・パレス両ホテルが
誤爆で損壊し、ロバート・ライシャワーが死亡したことは既に述べました。

『一億人の昭和史』にはホテルの現場写真も載っていますが、その直ぐ上には
支那空軍機の攻撃で猛煙を吹き上げるアジア石油のタンクもあります。ちなみに
アジア石油は、シェルとロイヤルダッチの合弁会社で、本社はロンドンにあり
ました。もう見境無しですw。

61:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/29 23:04:27 k8A621+P
さて、この「支那空軍の誤爆」について最も詳しい資料は、松本重治の
『上海時代』が挙げられます。つーか、目撃証言w。

松本重治を知らない人のために補足しておきますと松本は1937年当時、
「同盟通信社」の上海支局長でした。一言で云えば、支那方面に通じた
大物ジャーナリストで、西安事件をスクープして世界に衝撃を与えたと
書けば、一体どれ程のものか容易に想像できるでしょう。

ちなみに1930年の京都における第3回太平洋会議以来、新渡戸稲造の
薫陶も受けていますw。汪兆銘工作にも松本の名前が挙がりますし、後に
『阿片王』と名高い里見甫を手伝って「満州国通信社」も設立しています。
また近衛文麿とも親友であり、年譜を見ると東京帝国大学法学部から、
1年ごとにイェール・ウィスコンシン・ジュネーブと海外留学するなど、
溜息が出るくらい日本人離れした『華麗なる経歴』の持ち主です。

62:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/29 23:13:39 k8A621+P
その松本の『上海時代』に「中国空軍による租界盲爆」という項目が
ありまして以下、長くなりますが要約してみましょう。

「戦争が始まった以上、『同盟(通信社)』支社は、それより報道の方針を
 完全に切り換えざるを得ず、戦況の刻々の打電に全力投球することになった。

 8月14日午後4時少し過ぎ、私が『同盟』支社にいると、中国空軍の編隊が
 上手から黄浦江上空に進んで来て、(第3艦隊)旗艦『出雲』の高射砲や機関銃が
 反撃しているようだと、記者の一人が急いで駈けよって知らせてくれた。

 すぐ窓側に行き、黄浦江の上空を眺めると、マーチン爆撃機の5機編隊で、
『出雲』めがけて進んでいるではないか。私の肉眼では、編隊の高度は大体
 6~700メートルとみた。

『出雲』その他の高射砲がパーン 、パパーンと鳴り響いている。ふと見ると、
 5機のうち1機の急所に高射砲の弾が命中したらしい」

63:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/29 23:19:30 k8A621+P
「その1機が隊伍を乱すかと見ると、中国空軍の射手らしいものが、真っ逆さまに
 降ってきて黄浦江にじゃぶんw。すると、編隊は『出雲』の方向からやや左旋回
 し始めたと思うと、1つ、2つ、3つと大型の爆弾を落しつつ、租界上空を通って
 飛び去った―。

 爆弾が落ちていくのが手にとるように判ったが、爆弾が惰性のためか、飛行機の
 進む方向に、1つは愛多亜路の上空に達し、『同盟』支社のあるビルの頭をかすめて、
 約300メートルほど先の愛多亜路の十字街の舗装道路上で昨裂した。

 その十字街の一角には、大衆歓楽センターである『大世界』という4、5階のビルが
 あり、十字街上と『大世界』内にいた1000人余りが、爆風と破片とで死亡した。
 あとで聞くと、爆弾は250キロのものであった。

 第2弾は南京路のキャセイ・ホテルの玄関先で昨裂し、数百枚の窓ガラスが破壊された。
 そのため、通行中の中国人約200名、外人8名が死んだ。その外人のうちには、ライ
 シャワー元大使の兄に当るロバート・ライシャワー(有名な日本古代史の学者)も
 含まれていた」

64:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/29 23:35:35 k8A621+P
 第3弾は南京路を隔ててキャセイ・ホテルの向い側のパレス・ホテルの
 屋根を貫いて地階に達し、数十人の死傷者を出した。その第2弾、第3の
 音響も、支社に聞えた―」

以上が、松本の目撃証言ですが「ジャーナリスト」であることも考えると、
信憑性は非常に高いと言えるでしょう。死者の総数は1200人余り―。
いかに密集していたとはいえ、250キロ爆弾1発で1000人も死ぬのか、
甚だ疑問ですけどw。

松本の話を信じるならば、支那空軍機は「出雲」を爆撃しようとしましたが、
1機が対空砲火によって撃墜。残りの機体が退避しつつ爆弾を捨てた直下に
租界があった(誤爆・盲爆)という話になります。まあ、この辺はあとで
詳しく言及します。

65:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/29 23:50:23 k8A621+P
松本重治の『上海時代』の他にもう1つよく取り上げられるのが、『シブミ』
という早川書房が発行した小説です。作者はトレヴェニアンという外国人で、
訳者は菊池光(英文学翻訳者)ですが、その上巻に「上海―193?年」なる
話がありまして、1937年当時の上海の状況を詳しく述べています。

●「8月14日にアメリカ製ノースロップ機に乗った中国軍パイロット(注:
 アメリカ人義勇軍パイロットだったのかもしれない)達が上海を盲爆した。
 高性能爆弾の一弾がパレス・ホテルの屋根を貫いた。べつの一弾がカフェ・
 ホテルの表の路上で爆発した。729名が死に、861名が負傷した。
 
 31分後に別の中国機が女性と子供の避難所になっていた大世界娯楽
 センターを爆撃した。1012名が死に、1007名が負傷した―」

この小説の下敷きになっているのが、当時の「英字新聞資料」であると云われ、
当時の実情をよく表しているのではないかと取り上げられます。

66:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/30 00:16:25 OTN/tzGm
こちらですと死者だけで1700人以上、負傷者で1800人以上、
合計3500人以上の死傷者という数字になります。

>>64 >>250キロ爆弾1発で1000人も死ぬのか、甚だ疑問ですけどw。

「大世界娯楽センター」が >>65 で見られるように避難所になっていて、
そこに神の采配のような『絶妙のタイミング』で爆弾が誤爆してきたと
するならば、やはり1000人以上が一度に死ぬのでしょうかw。

ちなみに湾岸戦争のアメリア・シェルター(多国籍軍の誤爆)を思い出し
ましたが、トマホークとナパーム弾の2回の攻撃でほぼ全員の400人が
死亡でしたっけ?w あともう少しだけ補足します。

67:名無し三等兵
07/05/30 21:56:12
戦後も日本軍が遺棄した化学兵器で苦しんでいる人もいるですけどね

68:名無し三等兵
07/05/30 22:05:20
だからどうしたというのですか?

69:騒霊 プリズムリバー三姉妹 ◆FU/OcfTlfM
07/05/30 22:06:46
>>67 >>日本が遺棄した化学兵器で酷い目あわされている人もいるのにね

          Σ>☆、    ..      *、             ,.⊃、
           ,.'- ─ `'-、 .      ,.'- ─`'-、 .        ,.'- ─`'-、
          く ,. - ─'- 、!       く ,. - ─'-、!.      . く ,. - ─'-、!  
          i゙ ルノノハノノリ       i゙ ルノイノハ(         i゙ イノノハノ)リ
          ゝ,ゝ.゚ ヮ゚ノリ       ハyイ゚ ヮ゚ノイ      .  Li リ.゚ ヮ゚ノリ  
           ,iヘ) `:´i7        ).7Y)`:´lフ          ,イ_〉`:´i.〉
           (ン/`〒´ij         (ン/`ハ'ヘ!       .  (ン/' ゙̄「i 
           `゙'i'_ィ',ァ┘        `'-i'_ィ,ァ┘         `゙'i'_ィ,ァ'┘

♪リデュース! ぜん~ぶ使おう。 リユース! くり~かえ~し使おう。
 リサイクル! 資源を大切に。  リデュース、リユース、リサイクル!!♪ 

(明日のために、今日始めよう―。第8課・公共広告機構)

70:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/30 22:33:33 SvW9LDSP
>>52 >>第三艦隊攻撃時に支那空軍が上海のフランス租界地に誤爆って
>>数千名の死傷者が出たのは本当ですか?

さて縷々述べてきましたが事の顛末はこんな感じです。支那空軍の「誤爆(盲爆)」は
『確信犯』とも言われて論争になっています。松本重治の回想(>>62)によると、
第3艦隊「出雲」を爆撃しようとした支那空軍5機編隊のうち1機が対空砲火に被弾し、
残りの4機が離脱する際に爆弾を落としたとあります。

とても突っ込めないと遁走した4機が「攻撃したフリ」だけでも残そうとして
爆弾を落としたが、風と慣性に流されて租界に落ちた可能性が1つ。アホです。

あるいは最初から租界に爆弾を落とすつもり(確信犯)で、いくらなんでも直接は
マズイので、第三艦隊「出雲」の爆撃を装った(アリバイ作り)可能性が2つ。

71:名無し三等兵
07/05/30 22:39:40
租界に落とすつもりだったとしても、旋回しながらの投下では照準はかなり適当だったということになる。
要するに『当たり所が悪かった』という話なのでは・・・。

72:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/30 22:46:50 SvW9LDSP
そもそも蒋介石は、欧米列強の介入(注目)を集めるために『上海決戦』を
始めていますので動機としては十分に成り立ちます。

>>65 で取り上げた「上海―193?年」にも、冒頭で以下のようにあります。

●「1937年7月7日に、『ノース・チャイナ・デイリイ・ニューズ』が、北京の
 近くの盧溝橋で日本軍と中国軍が銃撃を交わした、と報じた。バンドでは、上海
 クラブにいたイギリスの経営者達が、『東洋人同士の無意味な闘争』における
 この出来事は、迅速に手を打たないと収集不能になる可能性がある、ということで
 意見が一致した。

 彼らは自分達の商館を『迷惑な戦争』から守るために、(国府軍に)北支へ急行
 して上海に直接影響の無い地域で日本軍と交戦してもらいたいと蒋介石総統に
 伝えた。しかし総統は、『共同租界を危険に晒す』ことによって自分の側に有利な
 外国の介入が行われることを期待して、上海で日本軍を迎撃することにした―」

73:名無し三等兵
07/05/30 22:47:27
いやはやお粗末な質問にここまで丁寧に答えていただいて恐縮です
ありがとうございました

74:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/30 23:08:47 SvW9LDSP
支那人の『脳の構造』は想像を絶しますので、自分達に有利な外国の介入を
欲するために、当の外国人を大量に殺してでも支那事変に対する注目を集める
ぐらいの事はするでしょう。蒋介石が何よりも怖れたのは『列強の無関心』なのです。

>>71 >>要するに『当たり所が悪かった』という話なのでは・・・。

もちろん『誤爆』の後に、日本軍の仕業だと宣伝するのも忘れてはいませんw。
ただし爆撃されたキャセイ・パレス両ホテルは国際社交場として、またイギリス人
経営なので安全であると噂が流れており、避難民でごったがえしていました。

そこに都合よく偶然に爆弾が落ちるなんて、という不自然さは否めない訳です。しかし
同時に、支那空軍パイロットにそんな技量があるのか?という疑問も湧いてきますw。
少なくとも1000人以上の死傷者が出た爆撃なので、堂々巡りです。

75:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/30 23:25:40 SvW9LDSP
>>73 まあ『上海航空決戦』テーマの一環なので、どういたしましてです。

また支那空軍の誤爆は、開戦初日の8月14日だけではありません。8月16日には
別の爆弾が租界の大通りを襲い、数名の外国人と支那人が死亡しています。

8月23日には、支那空軍機が再び国際租界を爆撃しましたが、この時は
上海で最大の支那人の商業施設であるシンシア、ウィン・オンの両デパートを
直撃して200人以上が死亡、負傷者も200人に達しました。そして、この
負傷者の中には、ニューヨークタイムズの特派員が2人混じっていました。

さらに8月30日、支那空軍機がアメリカの大型定期船「プレジデント・
フーバー号」を攻撃し、5人の水夫と2人の乗客が負傷し、その内の1名が
数日後に死亡しました。

76:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/30 23:41:24 SvW9LDSP
このように支那空軍の爆撃の影響があまりに深刻だったため、ニューヨーク
タイムズの特派員が8月27日付で次のような声明を出しています。

●「中国軍が無責任に空爆を行なって、上海の国際租界とフランス特権区域の
 無力な民間人を殺すのを防ぐための、武力手段あるいは他の抑制措置を取る
 ことに、外国の領事館員および陸海空軍の軍人が合意するならば、何らかの
 国際的措置をとることを決議しなければならない―」

さらに支那は一連の爆撃を「日本軍の仕業」と宣伝をかけています。8月15日の
キャセイ・パレス両ホテルの爆撃について支那政府の宣伝広報局は、●「この爆撃機は
日本軍のものである」とニュースを流しました。

しかし『ワシントンポスト』の上海特派員:マーク・ジンボーグによれば、自分達の
完璧な調査により、この爆撃機が日本軍機ではなく支那軍機であることを突き止め、
「重大な訂正」を発表させたとありますw。

77:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/30 23:50:28 SvW9LDSP
同様に8月23日のシンシア、ウィン・ウォン両デパートの爆撃も、支那宣伝
広報局は、●「日本軍の爆撃機から投下された爆弾である」と発表しています。

こうした宣伝がまかり通る背景には、支那政府による外国メディアの『検閲』が
あったようで、こうした検閲を免れるために特派員は、長躯、香港まで足を伸ばして
特電を発しています。例えば、以下の記事は、支那による検閲に対して以下のように
不満を漏らしています。

●「中国の検閲官は、発信された外電やラジオ通信から前述の事実や意見を削除した。
 そして場合によっては、外電のニュースそのものを変えてしまいさえもした。その
 目的は、現地の外国人たちがあたかも心の中で、この爆弾は恐らく日本軍の飛行機から
 投下されたものかもしれない、と疑っているかのように見せかけるためだったのである。
 だがしかし、これは明らかに真実ではない―」

78:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/31 00:00:22 SvW9LDSP
さらに追い討ちをかけるように、1937年9月6日付の『香港』発信
ニューヨークタイムズ特電は、支那空軍機の爆撃について以下のように
述べています。

●「中国軍は、この爆弾は日本軍の飛行機から投下されたものである、と
 宣言することによって責任を拒否した。しかしながら今や、これらの爆弾は
 両方とも中国がイタリアから購入した『イタリア製』のものであることが
 判明している。

 この判明した事実について、アメリカとイギリスの現地の海軍調査官の意見は
 一致している。そしてイタリア当局もこの爆弾が自国製であることを認めている。
 これは決定的な証拠であるように思える。何故ならばイタリアは、日本がイタリア
 からそのような軍需物資を購入したことは一度もない、と証言しているからだ」

このように直ぐ化けの皮が剥がれる嘘をつく(爆弾がイタリア製で露見)のは、
昨今の北朝鮮の拉致問題(全く別人の遺骨など)にも一見似ているものがありますw。

79:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/31 00:11:43 dIUkpIcl
しかし、げに恐ろしきは支那人のメンタリティです。
どうやって外国メディアを『検閲』していたのか? 外国メディアはそれに
甘んじなければどうしても本国に発信できなかったのか? などなど疑問は
数々湧いてきますが、支那人の考えとしてはこうでしょう。

●現地の外国特派員から見れば一発で露見するようなウソでも、本国に
 そして世界に向けて『真相』を発信させなければいい。

更にもっと言えば、

●現地の特派員がどう思おうとも、こちらに都合のいい『真相』を
 国際社会に向けて発信できさえすればいい。

とこう来るのです。国際社会の注目を集めるために現地の外国人がいくら
死のうと知ったことかと。この(日本人から見れば)逆説こそが、支那人の
真骨頂とも言えます。

80:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/31 00:14:10
やはり同じ人間だと考えてはいけませんw。

81:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/31 00:22:08
今日はスピード優先で乱筆御免w。

82:名無し三等兵
07/05/31 13:53:50
なるほど支那人も日本人もDQNだったわけね。

83:名無し三等兵
07/05/31 20:04:58
 スティルウェル問題は、一九四四年、東部中国において、日本軍が「一号作戦」
[大陸打通作戦の一部]にのり出した直後にやま場を迎えることになった。
 日本軍のこの作戦は、一九三八年の武漢占領以降初めての大規模なものであったが、
それというのも、アメリカの潜水艦隊が日本の沿海水域に侵入して、東南アジアの
占領地域への物資の海上輸送ルートを切断したために、遠隔地にある日本の拠点は
物資が欠乏し、連合軍の攻撃に対する抵抗力を失いつつあったので、代替輸送ルート
として、以前はそれほど必要でなかった中国を南北に縦貫する鉄道の確保にのり出し
たものであった。同時に日本はこの作戦で、シェンノートの第一四航空軍が新しく
建設した前進基地を破壊することを計画していた。
 シェンノートはかねてルーズベルトに対して、もし自分に前進基地があり、飛行機
があり―そしてスティルウェルが軍需物資のいいところをみんな持っていってしまわ
なければ、日本本土を爆撃するB29もそこを使うことができる、というのが彼の主張だった。
 これに対してスティルウェルは、そんな基地をつくれば日本軍に破壊されるだけだ、
とまったく逆の立場に立った。そしていつものように、スティルウェルが正しかった。

「宋王朝 下」(スターリング・シーグレーブ サイマル出版会)

84:名無し三等兵
07/05/31 21:24:24
>>69
問題あった?

85:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/31 23:09:48 uCulTtH0
さて余談ですが、日本海軍の「第3艦隊」や揚子江にある上陸船団に襲いかかってきた
支那空軍の機種は、「カーチス・A12シュライク」や「ノースロップ2E」といった
軽爆撃機でした。

これを迎撃したのが、艦隊に搭載していた「95式水上偵察機」であり、果敢に空中戦を
挑んでアメリカ製の戦闘機(カーチス・ホークⅢ)を撃墜した猛者もいました。戦闘機と
水偵、空中戦でのハンデはあった訳ですが、とりあえず危急を凌ぐ役には立ちました。
支那側でさえ「95式水偵」に戦闘機としての評価を与えたくらいですから、日本海軍が
その気になっても不思議ありません。

こうして次期「新鋭水上機」には、本来の偵察任務よりも戦闘機的な性格の機体が
開発される事になります。それが零戦を水上機に改造した「二式水上戦闘機」であり、
のちには「強風」が生まれ、更にまた名機「紫電改」が登場していく訳です。

まあ話が脱線しましたが、支那事変で日本海軍が出した戦訓の1つが、艦隊上空は
「水上偵察機で守れる」という末恐ろしいものでしたw。支那にしか通用しないでしょうw。

86:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/31 23:32:35 uCulTtH0
また話を1937年8月14日に戻します。『上海航空決戦』開戦初日に
支那空軍から奇襲攻撃を受けた「第3艦隊」は翌日の8月15日、空母の
艦載機による反撃を計画しました―。

主力となったのが第3艦隊の指揮下にある「第2航空戦隊」の空母「加賀」です。
8月15日午前5時、上海沿岸に接近した「加賀」の甲板から、94式艦上爆撃機、
96式艦上爆撃機、89式艦上攻撃機が飛び立ちます。

その内訳は、94式艦爆が16機、96式艦爆が8機、89式艦攻が8機の
合計32機でした。いずれも複葉の旧式機がほとんどでしたが、特に旧式化が
激しい89式艦攻は、杭州の支那軍を爆撃する任務を帯びています。

一方の支那軍は、杭州近辺に約50機の「カーチス・ホークⅢ」戦闘機、「カーチス
A12シュライク」などを配備していました。

87:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/05/31 23:53:56 uCulTtH0
「ホークⅢ」も新鋭機とはとても言えませんが、それでも最大速度は362キロです。
「96式艦爆」こそ310キロですが、「94式艦爆」は280キロ、「89式艦攻」
に至っては213キロと半分近い劣速です。

また上海のお膝元の杭州だけあって、搭乗員も支那空軍のベテランパイロットが集中
していました。杭州上空に達した「89式艦攻」、そして遅れて到着した「94式
艦爆」は、優速の支那戦闘機によって次々と撃墜されていきます。

この短時間の戦闘で「89式艦攻」は8機中じつに7機が撃ち落とされ、「94式艦爆」
も2機を喪失しています。乗員の損失は、戦死・行方不明を含めまして29名にものぼり
ました。日本海軍はこの緒戦の大敗に衝撃を受け、さらに同時に行なわれていた「96式
陸攻」の大損害を合わせまして、運動性に劣る攻撃機がいかに戦闘機の迎撃に脆弱である
かが暴露された訳です。

支那事変の勃発前に陸海軍で支配的だった『戦闘機無用論』はあとかたも無く吹っ飛び、
単なる『幻想』として消え去ってしまったのでした―。

88:楽園の素敵な巫女 博麗霊夢 ◆FU/OcfTlfM
07/06/01 00:00:19
>>87 >>『戦闘機無用論』はあとかたも無く吹っ飛び、単なる『幻想』として
>>消え去ってしまったのでした―。

::::::::|\/ i
::::::::|´:::::::::ヽ        
::::::::|:::ノノリ::::〉 /[]   『戦闘機無用論』は幻想郷入りしているわ……w。
::::::::|!゚ ヮ゚ノリ / []] 
::::::::| i.Hi]つ/  [][] 
::::::::| _|j /  [] []
::::::::|し'ノ


89:右翼撲滅隊
07/06/01 01:39:12
戦後も日本軍が遺棄した化学兵器で苦しんでいる人もいるですけどね

90:名無し三等兵
07/06/01 03:48:29
だからどうしたというのですか?

91:名無し三等兵
07/06/01 14:59:35 Mo8nc4pI
日本軍が厳重安全に保管していた化学兵器も武装解除で支那人が手に入れ、最後は放り出して自国民犠牲とは・・・・

92:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/06/02 01:10:47 17u8Ts+k
>>87 >>『戦闘機無用論』はあとかたも無く吹っ飛び、

余談になりますが、山本五十六が航空本部技術部長(1930年12月~1933年10月)の
ときに、以下のようなエピソードが残っています。ちなみに少将の時代ですね。

山本五十六が着任して間も無いころ、戦闘機の開発担当者が技術部長室に呼ばれます。

山本少将は、●「海軍の戦闘機は、どうして遅いのか? 陸軍の飛行機はもっと早いのが
あるのに、海軍の戦闘機となると最大で175ノット(時速320キロ)ぐらいしか出せない
のは、一体どういう訳か?」と、いきなり初歩的な質問をしました。

開発担当者は、陸上の飛行場を基地とする陸軍機と違って、海軍の戦闘機は狭い
航空母艦を基地としなければならないのだから何を当たり前のことを? と一瞬、
面食らったのですが、山本少将は何か深い考えがあってのうえで尋ねているのだろう、
と率直に理由を説明しました。

93:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/06/02 01:19:47 17u8Ts+k
「海軍機は、航空母艦から発着するために、着艦離艦の速度制限から、
 そういうところに限られているのです。現にアメリカやイギリスの
 艦載機も大同小異であります」

「それは本末転倒ではないか?」と山本少将はすかさず反論しました。

「戦闘機は早くなければいかん。とにかくお前達は、200ノット(時速
 370キロ)以上の海軍の戦闘機を作ってみろ。

 そのためには母艦というものを考えなくてもよい。陸上から発着すると思えば
 良いのだ。200ノットの戦闘機が出来たら、それから「赤城」「加賀」の航空
 母艦を改装させる。これは自分が技術部長の責任においてやらせるのだから、
 お前達は航空母艦を忘れて、戦闘機の設計を進めて民間を指導すれば良いのだ」

94:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/06/02 01:52:41 17u8Ts+k
「そもそも航空母艦は、戦闘機あっての航空母艦であって、海上航空戦で
 戦闘機がやられてしまった「赤城」「加賀」というものは、何ら自分自身の
 運命を切り開いていく能力は無いのだ。要するに小さい戦闘機が主人公で、
 大きな3万トンの母艦はお供なのだ。そのお供に合わせて主人公が設計される
 ことは、もってのほかだ―」

 艦上戦闘機に対する従来の考え方を180度展開させた、山本少将の思想が
 七試艦戦に最高速度180~200ノットという要求を課し、さらに低翼単葉
 でもよいという条件を作ったのでした。

 山本五十六は口先だけでなく、何かにつけて航空本部と縄張り争いをしていた
 艦政本部に自ら乗り込んで「戦闘機あっての航空母艦」の思想を説き、新戦闘機
 開発の方向に活を入れていたのですが、のちに『戦闘機無用論』に大きく傾くの
 ですから皮肉としか言いようがありませんw。

95:名無し三等兵
07/06/02 08:39:53
日本軍がもっとも重慶に近づいた地点はどこになるの?

96:名無し三等兵
07/06/02 16:02:07
単発質問禁止 ウザイ☆

97:名無し三等兵
07/06/02 16:07:15
だまれ超チョッパリ

98:名無し三等兵
07/06/02 19:07:50
スーパーチョッパリって読むのかな

99:名無し三等兵
07/06/02 23:16:01
屁のチョッパリは要らんですよ。

100:名無し三等兵
07/06/03 01:07:30 NQHHtBvU
大日本人が千人いれば日本は勝った

101:名無し三等兵
07/06/03 01:25:29
てことは何かい、
アノ作品は支那人が使う蔑称「小日本人」への当て擦りで、
嫌中的愛国心を鼓舞する国威発揚映画だってコトかい?

102:名無し三等兵
07/06/03 01:55:39
肝異

103:名無し三等兵
07/06/03 01:56:32
誤爆

104:名無し三等兵
07/06/03 02:35:26
蕋江(しこう)作戦 昭和20年5月9日 作戦中止
蕋江(湖南省西部)は敵の首都重慶の370Km南東


105:名無し三等兵
07/06/03 05:50:53
チョッパリじゃなくてチョリッパ

超立派ってこと


106:名無し三等兵
07/06/03 08:25:37
>>104
ありがとう

107:名無し三等兵
07/06/03 09:35:48
>>105
寒杉www

108:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/06/03 21:54:23
>>94 >>のちに『戦闘機無用論』に大きく傾くのですから皮肉としか言いようがありませんw。

結論が唐突だったような気がするので補足ですが、別に源田実が独裁者であった訳でもなく、
『戦闘機無用論』が南無阿弥陀仏のように念仏を唱えていれば叶ったものでもありません。

戦闘機パイロットの「爆撃機への機種転換」や定員数の削減など人材育成にも
累は及びましたから、航空分野の実力者である山本五十六やあるいは大西瀧治郎
といった上級者の賛同がなければ実行に移せなかったからです。

もともと軍縮条約で「戦艦の保有」に制限がかかったことが、少しでも爆撃機の数を
増やして『漸減作戦』に役立てたい(そのためには戦闘機は軽視してもよい)という
深層心理からの発想によって生まれたものと云えるでしょう。

ちなみに『戦闘機無用論』(96式陸攻の開発前後)が猛威を振るったころの両者の
在職は、山本五十六が海軍航空本部長、大西瀧治郎が横須賀海軍航空隊副長~海軍
航空本部教育部長でモロに時期が重なります。

109:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/06/03 22:21:38
>>100-101 >>大日本人が千人いれば日本は勝った:てことは何かい、
>>アノ作品は支那人が使う蔑称「小日本人」への当て擦りで、
>>嫌中的愛国心を鼓舞する国威発揚映画だってコトかい?

『大日本人』よりは、普通に『300<スリーハンドレッド>』が見たいですね。

300人の武装参謀が、1,000,000人の支那兵と真っ向勝負!

『ディス!イズ!シナカァァァァァァァ!!!!』(これが支那課の力だ!!!w)

110:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/06/03 22:49:09 yC/b7QPw
>>95 >>日本軍がもっとも重慶に近づいた地点はどこになるの?

>>104 氏が述べているように最近地点は「し江」になりますが、長らく重慶に対して
日本軍の最前線だったのは『宜昌』です。『宜昌作戦』は1940年5月~6月にかけて
行なわれましたが、宜昌は武漢三鎮から西300キロで四川省の入り口に当たります。

宜昌も長江沿いにあり、1万トン級の船舶が遡行できるギリギリの地点で、いわば
重慶への表玄関です。

111:名無し三等兵
07/06/03 22:54:12
>>110
イナゾウ中佐もありがとう。
前に歴史群像でその両作戦のどちらか(おそらく宜昌?)に参加された方の
インタビューが載ってたものでずっと気になってた。

112:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/06/03 23:04:17 yC/b7QPw
>>95 >>日本軍がもっとも重慶に近づいた地点はどこになるの?

そういう質問をされるからには、『重慶攻略作戦』が念頭にあるのでしょう。
いわゆる「5号作戦」で重慶攻略ルートとして予定されたのは4本あります。

●北方ルート1:西安→宝鶏→天水→広元→順慶→『重慶』
 北方ルート2:芦氏→鎮安→鎮安→漢中→通江→広安→『重慶』

●中央ルート:『宜昌』→恩施→江口→『重慶』
●南方ルート:『し江』→貴陽→遵義→『重慶』

見ての通り、宜昌もし江も進攻ルートに含まれます。『重慶攻略作戦』は
重慶はおろか、その後方の成都すら占領するもので太平洋戦争劈頭の南方作戦
全体と同規模の兵力を必要とする壮大なものでした。史実の大陸打通作戦すら
上回るものです。

113:名無し三等兵
07/06/03 23:11:43

      ,.ィ , - 、._     、
.      ,イ/ l/       ̄ ̄`ヽ!__
     ト/ |' {              `ヽ.            ,ヘ
    N│ ヽ. `                 ヽ         /ヽ /  ∨
   N.ヽ.ヽ、            ,        }    l\/  `′
.  ヽヽ.\         ,.ィイハ       |   _|
   ヾニー __ _ -=_彡ソノ u_\ヽ、   |  \     日支事変が長引いた最大の原因は、
.      ゙̄r=<‐モミ、ニr;==ェ;ュ<_ゞ-=7´ヽ   >     SS艇の船団を長江を舟艇機動させて
.       l    ̄リーh ` ー‐‐' l‐''´冫)'./ ∠__     海上機動旅団で宜昌を攻略し、
       ゙iー- イ'__ ヽ、..___ノ   トr‐'    /    輸送船団を組んで大規模な攻略部隊を
       l   `___,.、     u ./│    /_    重慶に送り込まなかったからなんだよ!
.        ヽ.  }z‐r--|     /  ト,        |  ,、
           >、`ー-- '  ./  / |ヽ     l/ ヽ   ,ヘ
      _,./| ヽ`ー--‐ _´.. ‐''´   ./  \、       \/ ヽ/
-‐ '''"  ̄ /  :|   ,ゝ=<      /    | `'''‐- 、.._
     /   !./l;';';';';';';\    ./    │   _
      _,> '´|l. ミ:ゝ、;';';_/,´\  ./|._ , --、 | i´!⌒!l  r:,=i   
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114:名無し三等兵
07/06/03 23:16:13
な、なんだってー(棒読み)

>>112
ガ島絡みで中止の已む無きに至った五号作戦の成算や如何に?

115:95
07/06/03 23:21:31
重ね重ねありがとう。
「帝国陸軍の最後」で5号作戦を知って以来、興味が湧いてたんだけど
書いてる本が余り無くて困った。
進攻ルートは昔、三国時代に魏が蜀を攻めた道と同じになったと書いてあったけど
南方ルートまであったんだなぁ。
貴州省からも攻め上がるとは、16個師団も動員するだけはあるね。
「将兵は血をわかせた」のも無理はないな。
実行されなかったのが惜しい程だ。

116:名無し三等兵
07/06/03 23:26:29
ようするに支那に専念すればいいものを南方で攻勢かけた大本営が悪いってことで

117:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/06/03 23:38:17 yC/b7QPw
「上海航空決戦」の続き―。当時、第3艦隊の空母には「加賀」「龍驤」「鳳翔」の
3隻がいました(他の艦艇には、出雲・川内・鬼怒・名取・由良・神威・沖島など)。

「龍驤」「鳳翔」には95式艦上戦闘機が搭載されていましたが、「加賀」には
旧式の90式艦上戦闘機(最高速度293キロ)でしかありませんでした。しかし
搭乗員はいずれもベテランパイロット揃いです。

戦闘機隊は上海周辺の「制空権」をにぎるべく、陸戦隊本部や艦隊上空の哨戒任務に
あたっていましたが、初期の戦闘をいくつか追ってみましょう。

まず「加賀」の攻撃隊が大損害を被った(>>87 参照)翌日の8月16日、「加賀」
飛行分隊長の五十嵐大尉が率いる「90式艦戦」6機が、江湾上空で支那空軍機と
交戦してコルセア1、ダクラス2の合計3機を撃墜します。

さらに翌17日、同じく「加賀」の豊田飛曹長の指揮する「90式艦戦」4機が、
江湾上空で2機を落としました。

118:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/06/03 23:50:06 yC/b7QPw
「90式艦戦」がどんなものかは、以下のサイトを見ると手っ取り早いでしょう。
URLリンク(military.sakura.ne.jp)

この旧式機で敵機を叩き落とすのですから、当時の搭乗員の技量の高さが
うかがえます(後で取り上げる「96式艦戦」と比べて見て下さいw)

「加賀」は8月22日に、待望の新鋭機である「96式艦戦」(最高速度432キロ)
を受領します。それまでの複葉機ではなく単葉で、当初の要求性能を100キロ以上
上回る速度で「陸上戦闘機を上回る艦上機」と謳われたものです。

ただし、当時の航空機の加速度的な発達によって、数年後にはゼロ戦に主力機の座を
受け渡さざるを得なくなりますが、こう書くと「90式艦戦」で戦っていた搭乗員の
凄さが分かるでしょうw。

119:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/06/04 00:05:28 lvymPA5h
ちなみに「96式艦戦」がコレね。先の「90式艦戦」と比べてみて下さいw。
URLリンク(military.sakura.ne.jp)

加賀が受領した「96式艦戦」は僅かに6機でしたが、9月4日には飛行
分隊長・中島大尉が率いる2機がカーチス・ホークⅢを3機撃墜、9月7日
には五十嵐大尉の指揮する3機が、太湖上空で敵5機を叩き落としています。

「龍驤」の戦闘機隊の初陣は8月22日で、兼子中尉の指揮する「95式
艦戦」(最高速度352キロ)4機が、宝山上空を哨戒中のカーチス・ホークⅢ
18機を発見、6機を落としています。

さらに翌23日には、「龍驤」の鈴木中尉が率いる「95式艦戦」4機が宝山
上空を飛行中に、カーチス・ホークⅢとP26の戦闘機の混成部隊27機を発見、
激しい空中戦の後に、9機を撃墜しています。

120:名無し三等兵
07/06/04 06:12:33
私の支持率の前で 泣かないでください
心そこにありません キョドってなんかいません
千の捏造に
千の捏造によって
あの大きな数値を
吹きまくっています

五月には30%になって 地面にふりそそぐ
六月にはこのまま きらめく一桁になる
失態は光になって あなたを目覚めさせる
大臣は星になって あなたをプギャー

私の政策の前で 泣かないでください
そこに日本人はいません 経団連しかいません
銭の風に
銭の風になって
あの大きな額を
内部留保にしています

千の嘘に
千の嘘になって
あの大きな年金を
宙に浮かしています

あの大きな法螺を
吹きまくっています


121:右翼撲滅隊
07/06/04 06:57:22 tpuCHKGu
世界史板>>>>>>>>>>>軍板

122:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/06/04 22:38:19 JpciHOkr
>>115 >>「帝国陸軍の最後」で5号作戦を知って以来、興味が湧いてたんだけど
>>書いてる本が余り無くて困った。

体系的に書かれているのは『戦史叢書』ぐらいしかないですね。「昭和17、8年の
支那派遣軍」【55】に1章を割いて大きく取り上げられています。ザクッと触れた
本は他にも幾つかありますが、やはり「ザクッと」の域を出ませんw。

>>114 >>ガ島絡みで中止の已む無きに至った五号作戦の成算や如何に?

一応、『上海航空決戦』が終わった後は、小テーマ『支那とドイツ軍事顧問団』を
やって、その次に大テーマ『日本陸軍と阿片問題』を予定していましたけど、阿片
より『重慶攻略作戦』を前倒しに変更するのもアリです。ただし『北支の治安戦』
並みの大テーマになるかどうかは、自分がどの程度、戦史叢書などを咀嚼して
簡潔にまとめられるかに掛かっています(藁)。

どの道『重慶攻略作戦』はやる積もりで、戦史叢書は随分前に入手済みですし。

123:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/06/04 22:55:48 JpciHOkr
>>116 >>ようするに支那に専念すればいいものを南方で攻勢かけた大本営が
>>悪いってことで

南方攻略作戦がひと段落した後に「5号作戦」は計画された訳ですが、南方から
引き揚げた陸軍が「対ソ戦」をおっ始めるのを海軍は恐れたわけです。よって
陸軍を何とかして南方に引続き釘付けするために「北豪攻略」や「米豪遮断作戦
(FS:サモア・フィジー攻略作戦)」に血眼をあげたのです。

海軍とすれば、いかに自分が主導権を握って「陸軍を引きずり回すか」です。

まあ、ミッドウェー海戦敗北→FS作戦延期→作戦を支援する機動部隊の代わりに
ガダルカナル島に飛行場を建設→米軍にパッパラパーw→餓島戦況悪化→五号作戦
中止と繋がりますw。

124:名無し三等兵
07/06/04 23:03:13
イナゾウ中佐は戦史叢書の支那事変関連は全部持ってるの?
教えてもらった「昭和17、8年の 支那派遣軍」【55】はアマゾンで買えたよ。
ホントありがとう。

125:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/06/04 23:22:25 JpciHOkr
>>119 の続き。「鳳翔」隊は8月25日、岡本中尉の指揮する「95式艦戦」
3機が上海上空でマーティン重爆2機と交戦、1機を撃墜しています。

当時、第3艦隊の空母は馬鞍群島付近にあり、上海から70~100浬の距離に
ありました。「加賀」は9月下旬に佐世保に帰港して、戦闘機を「96式艦戦」に
ようやく更新します。10月下旬には南支方面で作戦し、その後は一時上海に移動
するも、1938年末に広東攻略作戦が終わるまで台湾を前進根拠地としていました。

一航戦(龍驤・鳳翔)は、9月20日~30日まで南支方面の作戦に従事します。
とくに9月21日の広東攻撃には、龍驤飛行隊長の「小園安名少佐」が指揮して、
第一波は15機の「95式艦戦」で、同数の15機の艦爆・艦攻を護衛して進攻。
迎撃にあがった支那空軍のカーチス・ホークⅢ十数機と交戦するも12機を撃墜。
第二波も同規模の編成で攻撃、敵11機を落としています。

加賀がいったん佐世保に引き揚げていることからも分かるとおり、9月下旬には
(開戦から1ヵ月程度で)上海上空の『制空権』を日本側が握っています。第3艦隊が
南支方面に移動するのもその表れですね。上海周辺に陸上航空基地も確保していますし。

126:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/06/04 23:46:15 JpciHOkr
>>124 >>教えてもらった「昭和17、8年の 支那派遣軍」【55】はアマゾンで買えたよ。

ゲゲッ、買っちゃったの?w 戦史叢書がどんなものかご存知なら良いですが、もしそうで
ないなら中味を見て驚かないように。「資料集」に近い内容ですから。「あのとき誰それが
こう言っていた」とかそんな感じですw。

>>イナゾウ中佐は戦史叢書の支那事変関連は全部持ってるの?

んな訳ないないw。他に自分が持っているのは「北支の治安戦」【1】【2】
だけです。過去スレの『北支の治安戦』テーマ(1スレ丸々使った)でも戦史
叢書は部分的に使っているに過ぎません。もし本格的に引用するならば、5倍
ぐらいに文量が膨れ上がっていたでしょうw。

127:名無し三等兵
07/06/04 23:50:27
防衛省の資料室(図書館だっけか)に行ったら閲覧できるんですかね
この夏時間とって行こうと思ってるんですが

128:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/06/04 23:52:21
【訂正】>>125

×9月下旬には上海上空の『制空権』を日本側が握っています。
◎9月上旬には上海上空の『制空権』を日本側が握っています。

129:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/06/05 00:00:05 JpciHOkr
>>127 >>防衛省の資料室(図書館だっけか)に行ったら閲覧できるんですかね

防衛省は知りませんが、神保町の軍事系古本屋(文華堂・篠村書店)に
逝けば、運よく棚に在庫があって立ち読みできるかもしれませんw。

つーか、県立図書館クラスでも戦史叢書は絶対に置いてあると思います。
試しに愛知県立図書館で蔵書検索したら、101件引っかかりまして
タイトル的にもほとんど網羅しています。

まず在住の県立図書館をググってHPで「蔵書検索」かけてみるのが吉。

130:名無し三等兵
07/06/05 00:03:48
了解です ありがとうございました

131:名無し三等兵
07/06/05 00:05:32
>>126
戦史叢書は大学の図書館で読んだことあるよw
近いけど行くのがめんどくさいんだ。

132:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/06/05 00:14:54 079hZdEv
さて、>>125 までのように航空戦を日にちで少し追ってみましたが
もちろんキリがありませんので、この辺で止めておきますw。
以降、一旦まとめに入ります。(日本爆撃など話はまだ続きますが)

また、お互いが主張する「戦果」を見ても当然、誇張されている可能性が
高い(確信犯か、単なる錯誤・思い込みかはともかく)ので、双方が
発表した「自軍の損耗機数」からも見てみたいと思います。

これも疑えば(特に支那側)最限ありませんが、戦果を鵜呑みにする
よりはまだマシですw。

133:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/06/05 23:14:58 T+PC67eS
支那空軍は「第3艦隊」へ執拗に攻撃を繰り返しましたが、その効果は上がり
ませんでした。最優先目標だった旗艦『出雲』には直撃弾が当たらず、逆に
対空砲火を受けて撃墜される割合が多かった訳です。また海軍陸戦隊本部の
爆撃も、建物の上部が破損した程度です。

その理由は、例えば支那空軍の攻撃機(軽爆撃機)「カーチスA12シュライク」は
小口径機銃(7.62ミリ×5【前方固定×4・後方旋廻×1】)で襲撃効果が薄く、
また肝心の「爆弾搭載量」も100ポンド(45キロ)×4、または30ポンド
(13.6キロ)×10などと、かなり見劣りする数字です。

またパイロットの技量の低さから『急降下爆撃』が取れず、「水平爆撃」あるいは
「緩降下爆撃」頼りだっために艦艇への直撃弾がほとんど無かったことが挙げられ
るでしょう。そして『上海航空決戦』後期には、本来「戦闘機」任務だったカーチス・
ホークⅢも艦船攻撃に動員された結果、かえって爆撃効果が低下します。戦闘機が
減った分、日本側の「迎撃機」の跳梁跋扈をまねき、支那空軍の損耗が加速化しました。

134:名無し三等兵
07/06/05 23:18:05
イナゾウよ。君がそれなりに博識なのは認めるが中国人のことを土人だのなんだの言うのはやめたまえ。

被害者に対しての礼を尽くせ。

君は酷使と同じになってしまうぞ。気をつけたまえ。

これは警告だからな。

135:名無し三等兵
07/06/05 23:24:54
>>134

君なに言ってるの?

136:名無し三等兵
07/06/05 23:27:17
何をいっとるんだ

137:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/06/05 23:35:22 T+PC67eS
これに反し「迎撃戦」に限れば、支那空軍はほぼ互角の戦果を上げています。

前述の「カーチス・ホークⅢ」にしても旧式機とはいえ、最高速度(362キロ)・
急降下速度の点で、日本側の同じく旧式機だった90式艦戦(293キロ)、89式
艦攻(213キロ)を遥かに上回っています。また95式艦戦(352キロ)に
対してでさえ、僅かながら優速でした。

また「ホークⅢ」は12.7ミリ機銃×1を搭載していたため、7.7ミリしか
持たない日本軍機に対してアドバンテージがあります。一方、日本側の爆撃機の
新鋭だった「96式陸攻」がワンショット・ライターよろしく、燃料タンクへの
被弾によって容易に引火墜落する脆弱性が―航続距離の不足で護衛機を付けられ
なかったことと合わせて―損害を拡大する要因となりました。

鹿屋・木更津の両航空隊が緒戦の『渡洋爆撃』で、あれよあれよという間に
可動機を半減させたことは既に述べました。

138:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/06/05 23:55:25 T+PC67eS
>>双方が発表した「自軍の損耗機数」からも見てみたいと思います。

支那事変(上海航空決戦)勃発以降、支那空軍の損耗機数・人員をみると
12月末までに148機・95人に対して、日本機は1937年9月中旬
から南京陥落までの3ヶ月間だけで「96式陸攻」18機を含む128機、
これに8月の損失機32機を合わせると160機に達します。

また日本側の戦死(行方不明)パイロットが9月中旬~12月中旬だけで
111人(数字が出てないが8月を含めればもっと多い)と、人員の損耗を
比べても日本側の方が多いのです。ややこしいですが、簡潔にまとめると

●日本側:被撃墜160機、戦死・行方不明111人(8月を含めればもっと多い)
●支那側:被撃墜148機、戦死・行方不明95人

という結果になります。

139:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/06/06 00:07:50 T+PC67eS
ちなみに双方が主張する戦果でいうと、以下のようになります。

日本側が、12月までに撃墜した支那空軍機は合計241機(その他、不確実が17機)。
(戦史叢書『海軍航空戦史』)

支那側が、同期間に撃墜した日本軍機は合計160機(うち空中戦が94機、地上からの
砲撃が66機)<何應欽『何上将抗戦期間軍事報告』>

意外なことに、日本側の申告する「被撃墜機数」と支那側が主張する「日本機の撃墜数」
がピタリ一致することになります。逆に大きな差が出ているのが、日本側が主張する
「支那機の撃墜数」と支那側が申告する「被撃墜数」です。→【241機:148機】

要するに、日本側が撃墜数を過剰に見積もっているか、支那側が過小に自軍の損害を
申告しているかのどちらかですw。まあ、上に挙げた数字が正しい保証もありません
ので、話半分に思っていて下さい。月別など、もう少し詳しい数字一覧は、後日
紹介します。

140:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/06/06 00:09:04
いずれにせよ『上海航空決戦』の緒戦では、支那空軍が日本側の予想を
上回る善戦をしたことは間違いないでしょう。

141:名無し三等兵
07/06/06 01:34:44
レイシストを慕う糞ウヨどもかw

142:名無し三等兵
07/06/06 12:09:40
ホームグラウンドでの防空戦とは言え
支那空軍は日本航空戦力に匹敵していたという事か。

そんな支那人を土人呼ばわりするならそれと大差ない大和民族もまた土人ということだなw


143:だつお
07/06/06 13:01:32
無敵皇軍にどつきまわされたチンピラごろつき

144:名無し三等兵
07/06/06 13:13:22
このクソ超チョッパリ共が

145:レイシスト撲滅隊
07/06/06 13:55:56
そんな支那人を土人呼ばわりするならそれと大差ない大和民族もまた土人ということだなw
そんな支那人を土人呼ばわりするならそれと大差ない大和民族もまた土人ということだなw
そんな支那人を土人呼ばわりするならそれと大差ない大和民族もまた土人ということだなw
そんな支那人を土人呼ばわりするならそれと大差ない大和民族もまた土人ということだなw
そんな支那人を土人呼ばわりするならそれと大差ない大和民族もまた土人ということだなw
そんな支那人を土人呼ばわりするならそれと大差ない大和民族もまた土人ということだなw

wwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

146:レイシスト撲滅隊
07/06/06 17:41:31
189 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2005/05/12(木) 01:06:06
基本的に信用してる人
日本古代史 岡田英弘(逆に中国史のほうが怪しい)
日本近代史・戦史 秦郁彦(この人こそ中道にして真の意味のリベラル)

190 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2005/05/14(土) 00:14:46
中近世無視てコヴァの特徴だね


国士アホスwwwwww

147:名無し三等兵
07/06/06 18:01:38 5uzgzQeQ
より良いと思う研究者をあげよ>>146

148:名無し三等兵
07/06/06 18:12:59
秦郁彦は右系のフィルターがかかっているが、研究手法は割りとまともな人だよ。
ただ、南京事件の研究でもわかるように日本軍に有利になるように数値を取り扱っているのは頂けない。
やっぱり研究者は客観性を徹底してほしいからね。


149:名無し三等兵
07/06/06 18:29:37
俺も南京での死者は四~五万人だと思うけど・・・

150:名無し三等兵
07/06/06 18:34:32
真に客観的な視点を持った学者は誰か

当然自分が読んでいて受け入れることのできる本を書く人ですね

151:レイシスト撲滅隊
07/06/06 18:37:25
馬鹿な学者秦

152:名無し三等兵
07/06/06 20:36:12
秦はたかじんの番組で慰安婦の時だけVTRで出演して
南京の時はスルーしたヘタレ

暴栄庁の資料室の連中まで南京の捏造派だから無理もないか・・・



153:名無し三等兵
07/06/06 21:14:26
まあ、南京でなにもなったはどうかと思うぞ

軍事詳しい人なら日本が化学兵器を遺棄したことは明白なんだけど

154:名無し三等兵
07/06/06 21:17:33
つまらん些事に自らのプライドを依存するのは、ホントにつまらんコトだ。
ロマンもメルヘンもおセンチも必要無い。
戦争の歓喜を楽しむ、マキアベリズムが重要だ。
政治力学の解釈で戦争の要素を除外しない、リアリズムが大切だ。
人類史の愚劣を嘲う、ある種の達観に至っては必須と言うべきだ。

ここは軍板だよ。
諸君、頭を冷やしたまえ。

155:名無し三等兵
07/06/06 21:26:37
>>153
連合軍に引き渡した分以外に大陸に遺棄した化学兵器ってあるの?

156:名無し三等兵
07/06/06 21:39:08 C7/OR/nu
北鮮ばりの言葉狩を繰返す変質者は思想信条良心言論の自由を侵害する基地外。
稲造、自由に書け。
以後狂人を対手とせずで往け。

157:名無し三等兵
07/06/06 22:00:09
>149
城内での明白な不法殺害数は秦の言うように3万~4万だろうよ。
だがな、中国側の言う南京事件の被害者数というのは城外も含めたものだし、
世界的にも城内外で線引きなんてしていない。
南京事件を人災として観るなら明白な不法殺害であるか否かの線引きも不要だ。
原爆の被害者から国民義勇隊隊員や兵隊を除いてカウントする事なんてしないだろ?

だから秦の線引きに学術的な合理性は無い上に
南京事件について秦は極一部についてのみしか述べていないわけで、
真っ向勝負をしようとしない秦には姑息さを感じるね。

それと秦本人とは関係無いが南京事件の総被害者数を問うならば
秦の研究の引用は不適切だし、それは意図的な歪曲と看做すべきだよ。
秦について思う点はそこだね。

158:名無し三等兵
07/06/06 22:14:43
 一九三八年の二月二日国際連盟理事会で中国代表の顧維鈞という人物が、演説を行い、
その中で、中国代表は、第三国の新聞記事等を引用する形で、南京における旧日本軍兵士に
よる殺害や略奪行為について二万人の虐殺と数千人の暴行と言及。

国際連盟理事会で中国代表の顧維鈞 :二万人の虐殺と数千人の暴行

159:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/06/06 22:30:15
>>141 >>レイシストを慕う糞ウヨどもかw

一体どこの誰に話しかけているか判っているのかね? 私がカーキ色の帝国陸軍軍装と
参謀肩章を吊っていれば良かったかな? 我々は参謀本部第二部支那課だぞ! 一体
何人*したと思っているのかね? 暴力と謀略を呼吸するかのように行なう『支那通』
の集団にかね? レイシスト? 何を今更! 60年ほど言うのが遅いぞ!!

よろしい、結構だ! ならば私を止めてみろ、自称健常者諸君!! しかし残念ながら
私の敵は君らなどではないね。少し黙っていてくれよ、土人の籠担ぎども。私の敵は、
重慶の蒋介石! 延安の毛沢東! いや! そこに嬉しそうにたたずんでいるお前だ!!

160:名無し三等兵
07/06/06 22:36:40
アジア歴史資料センター
1938年2月2日、国際連盟理事会第100会期第六会議室
中国国民政府外交官M. Wellington Kooの発言に以下の部分
国際連盟理事会関係一件 第十一巻 分割3の59ページ目
Another authentic of the atrocities ~ の部分に続いて
"The number of Chinese civillians slaughtered at Nanking by Japanese was estimated at20,000, while thousands of women including young girls, were outraged.”

161:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/06/06 22:38:31
>>147 >>より良いと思う研究者をあげよ>>146

まったく同感。他人の料理にケチを付けるばかりでなく、少しは自分の料理も
出してみてくださいよ。

162:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/06/06 22:49:13 xQAWtCZv
>>140 >>いずれにせよ『上海航空決戦』の緒戦では、支那空軍が日本側の予想を
>>上回る善戦をしたことは間違いないでしょう。

さて続きです。支那事変初期における「日本の損耗機数および搭乗員の戦死・行方
不明者数」をまとめてみましょう。一部資料が抜けていますが、1937年8月は
32機で、それ以降のものです。

◎1937年9月13日~10月12日
◆艦戦23 ◆艦爆16 ◆艦攻4 ◆陸攻2 ◆他11 合計56機 ◆戦死・不明42人

◎1937年10月13日~11月11日
◆艦戦8 ◆艦爆7 ◆艦攻0 ◆陸攻11 ◆他14 合計39機 ◆戦死・不明40人

◎1937年11月12日~12月11日
◆艦戦10 ◆艦爆4 ◆艦攻7 ◆陸攻6 ◆他6 合計33機 ◆戦死・不明29人

163:名無し三等兵
07/06/06 22:55:58
世界史版に有ったレスを貼るね。

>>12 :世界@名無史さん:2007/05/28(月) 00:36:57 0
>>○曖昧さの回避○

>>このページは曖昧さ回避のためのページです。
>>一つの言葉や名前が二つ以上の意味や物に用いられている場合の水先案内のために、
>>異なる用法を一覧にしてあります。お探しの用語に一番近い記事を選んで下さい。

>>1、三国呉・建業だったとき晋によって滅ぼされたときの南京大虐殺
>>2、南朝斉・廃帝宝巻(東昏侯)の南京大虐殺
>>3、南朝梁・宇宙大将軍侯景の乱の南京大虐殺
>>4、南朝陳が隋に滅ぼされたときの南京大虐殺
>>5、南宋が元に滅ぼされたときの南京大虐殺
>>6、明が清に滅ぼされたときの南京大虐殺
>>7、太平天国の乱のときの南京大虐殺
>>8、日中戦争のときの南京大虐殺
>>9、国共内戦のときの南京大虐殺
>>10、大躍進政策のときの南京大虐殺
>>11、文化大革命のときの南京大虐殺
>>12、その他の南京大虐殺

とにかく南京付近を俺に掘らせろ。明らかに青龍刀やAKで
虐殺された白骨が多すぎてマジで面白そうだ。長平ナンか目じゃねえ。

164:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/06/06 23:01:56 xQAWtCZv
◎1937年12月12日~1938年1月10日
◆艦戦3 ◆艦爆2 ◆艦攻2 ◆陸攻2 ◆他8 合計17機 ◆戦死・不明6人

◎1938年1月11日~2月9日
◆艦戦4 ◆艦爆2 ◆艦攻0 ◆陸攻0 ◆他7 合計13機 ◆戦死・不明10人

◎1938年2月10日~3月11日
◆艦戦7 ◆艦爆1 ◆艦攻0 ◆陸攻0 ◆他7 合計15機 ◆戦死・不明22人

◎1938年3月~12日~4月10日
◆艦戦1 ◆艦爆2 ◆艦戦0 ◆陸攻1 ◆他6 合計10機 ◆戦死・不明5人

◎1938年4月11日~5月10日
◆艦戦9 ◆艦爆8 ◆艦戦4 ◆陸攻4 ◆他2 合計27機 ◆戦死・不明37人

◎1938年5月11日~6月9日
◆艦戦5 ◆艦爆4 ◆艦攻5 ◆陸攻1 ◆他10 合計25機 ◆戦死・不明7人

◎1938年6月10日~7月9日
◆艦戦17 ◆艦爆6 ◆艦攻8 ◆陸攻3 ◆他3 合計37機 ◆戦死・不明29人

165:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/06/06 23:14:22 xQAWtCZv
ちなみに「損耗機数」には、撃墜だけでなく「修復不能機」を含みます。こうして
見ますと、上海から南京攻略戦まで、日本機もそれ相応の損害を被っていた事が
分かります。南京攻略(12月13日)以降は、支那空軍の壊滅もありまして
損害が目に見えて減っています。

1938年に入って4月以降に、日本機の損害が再び激増しているのは「徐州作戦」
のためでしょう。

続いて、支那空軍の損耗機数(原因別)および搭乗員の戦死・不明を見てみると以下の通り。
数字は『我国空軍軍官傷亡人数百分率比較表』の資料です。

166:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/06/06 23:27:20 xQAWtCZv
1937年8月 ◆撃墜18 ◆爆撃6 ◆事故10 合計34 ◆戦死・不明30人

1937年9月 ◆撃墜26 ◆爆撃4 ◆事故8 合計38 ◆戦死・不明20人

1937年10月 ◆撃墜16 ◆爆撃6 ◆事故7 合計29 ◆戦死・不明28人

1937年11月 ◆撃墜4 ◆爆撃7 ◆事故1 合計12 ◆戦死・不明8人

1937年12月 ◆撃墜20 ◆爆撃5 ◆事故10 合計35 ◆戦死・不明9人

1938年1月 ◆撃墜12 ◆爆撃13 ◆事故11 合計36 ◆戦死・不明6人

1938年2月 ◆撃墜16 ◆爆撃4 ◆事故5 合計25 ◆戦死・不明8人

1938年3月 ◆撃墜13 ◆爆撃14 ◆事故10 合計37 ◆戦死・不明16人

167:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/06/06 23:39:35 xQAWtCZv
1938年4月 ◆撃墜17 ◆爆撃1 ◆事故13 合計31 ◆戦死・不明13人

1938年5月 ◆撃墜10 ◆爆撃5 ◆事故10 合計25 ◆戦死・不明14人

1938年6月 ◆撃墜3 ◆爆撃0 ◆事故5 合計8 ◆戦死・不明7人

1938年7月 ◆撃墜20 ◆爆撃13 ◆事故11 合計44 ◆戦死・不明19人

1937年10月辺りまではいいですが、それ以降「損耗機数」に比べて「戦死・不明者」
の数が少な過ぎるのが気になります(いくら修復不能機を含めたとしても)。まるでお前等、
無人戦闘機でも飛ばしているのかよ?と突っ込みたくなるぐらいですw。まあ、単純に
過少申告でしょう。

また1937年11月に「損失機が激減」しているのは、この時点で支那事変勃発前に
保有していた旧来機の大半を喪失したためです。

168:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/06/06 23:57:31 xQAWtCZv
>>140 >>いずれにせよ『上海航空決戦』の緒戦では、支那空軍が日本側の予想を
>>上回る善戦をしたことは間違いないでしょう。

そこでよく言われるのが、支那空軍が「無理な爆撃」に拘泥せず「迎撃戦」に
集中していたら、史実のように開戦1ヵ月で日本側に『制空権』を渡すような
ことは無かったのではないかという批判です。

実際に支那の爆撃隊の指揮官は、あまりの損害の大きさに鑑みて、しばらく爆撃機の
出動を停止することを空軍上層部に求めていたと言います。また1937年末から
支那に派遣されるソ連軍事顧問もまた、敵艦への攻撃がいたずらに損害を増大させた
として、作戦を指示したシェンノートを非難しています。

さらに支那空軍の徐康良もまたシェンノートについて言及し、●「空軍の指揮経験が
足りず、彼を補佐する人材もおらず、作戦指揮が妥当でなかった」点を挙げて、これら
が無用の犠牲を招いたと報告しています。(『黄光鋭致蒋介石報告』1938年2月17日)

169:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
07/06/07 00:20:47
>>163 >>>>3、南朝梁・『宇宙大将軍』侯景の乱の南京大虐殺

どうでもいいですが、宇宙大将軍だけツボに嵌まりましたw。

170:名無し三等兵
07/06/07 00:32:54
南京事件についての秦氏は他の研究とくらべて、
明らかに結論有り気でおかしい。氏らしくない。

ハニートラップに引っかかったのか?

171:名無し三等兵
07/06/07 02:00:12 PEQVikxZ
度重なる反復攻撃にも関わらず、上海の日本側重要拠点は最後まで無傷。
支那空軍の地上攻撃能力は糞。

172:名無し三等兵
07/06/07 02:12:05
信じ難い事だが、対日爆撃調査レポートに
米軍による爆撃は無駄だったという結論した有名な報告がある。
米軍でそうなら、日本軍のそれなんて・・・

173:名無し三等兵
07/06/07 02:13:20
ああ、支那による空爆か。そりゃ無駄だわ。

174:名無し三等兵
07/06/07 02:27:02 PEQVikxZ
再三狙われた地上の固定目標である上海陸戦隊本部は
三ヶ月間戦闘に晒されて命中した爆弾はゼロ
建物のガラスにヒビが入った程度の損害しか蒙らなかった。
この有様では、艦船を攻撃して戦果をあげるなど絶望的なことだったろう。

175:名無し三等兵
07/06/07 02:27:50
荒らしてるのは以前旧字で書いてた馬鹿
キモすぎ

176:名無し三等兵
07/06/07 02:41:33
球児は知識はそれなりにあったから今荒らしてるのはもっと知能の低いキチガイだろ

177:名無し三等兵
07/06/07 02:45:59
自画自賛乙

178:名無し三等兵
07/06/07 13:46:03 D2kvYr+H
正字正假名の讀めない低腦兒が怪しい

179:右翼撲滅隊
07/06/07 16:07:21
346 :右翼撲滅隊:2007/06/07(木) 15:56:13 ID:???
982 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2007/06/06(水) 21:02:58 ID:???
人間になれたはずなのに
なぜ彼らは犬なのだろうか
それが哀しい
983 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2007/06/06(水) 21:06:57 ID:???
>>982
そういうレスがアジテーターっぽい。

339 :名無し三等兵:2007/06/07(木) 13:12:59 ID:???
なんの脈絡もなく酷使叩きを始める池沼よりはマシだけどな

wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww


180:名無し三等兵
07/06/07 16:22:48
レイシストは駆除された虫けらの数なんぞにはこだわらない

181:名無し三等兵
07/06/07 20:29:43
>>155
今でも出てくるよ
【人民網】 黒竜江省・斉斉哈爾市で旧日本軍の毒ガス弾2発を発見 [05/19]
スレリンク(news4plus板)

182:名無し三等兵
07/06/07 20:53:00
>>181
いや、それが日本軍が引き渡さず遺棄した物だという証拠があるのかなと。
又は人民中国や国民党軍・ソ連軍が埋めたものかもしれない。
リンク先でも専門家が鑑定とあるが、その根拠は挙げられていない。

183:名無し三等兵
07/06/07 21:13:28
>>182
中国大陸では化学兵器を引き渡した証拠がないからね



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