秀吉による朝鮮役の軍事分析4【日本・明・朝鮮】at ARMY
秀吉による朝鮮役の軍事分析4【日本・明・朝鮮】 - 暇つぶし2ch85:名無し三等兵
07/06/16 16:27:38
その中身 

フロイスは、朝鮮に出兵した日本軍に二つの困難な問題が生じていたと報告している。

> その一つは、彼ら(日本軍)は、おのおの非常に遠隔の異なった地方に配置され、海岸から遠く離れているために、日本から海路輸送されて
> くる食糧を各地へ補給するのに、大多数の者がその運送にあたる必要があった。ところでその人手は不足していた
> 
>  中略
> 
>  日本軍が遭遇した第二の敷難辛苦は、朝鮮軍が、窮余の策として団結し、連合軍を編成し、多数の優秀な船に乗りこんで襲来したことであった。
> それらの船は堅固であり、堂々としており、彼らはそれに武器、弾薬、食糧を満載し、海賊となって洋上を彷捜しつつ、日本船を見つけると
> ただちに襲撃し掠奪した。
> 
> 朝鮮軍は日本軍よりも海戦に長じ馴れてもいたので、彼らに多大の損害を加え、この日本軍の災難はいつまでも継続した。
> 
>  中略
> 
> 多くの出来事(日本が海戦で苦戦した様子)については割愛するが、日本軍は海戦の知識に乏しく、敵を撃退するための火器が不足し、
> 海上ではつねに不利な状況に立たされていた。
> 
> ルイスフロイス 「日本史 5」中公文庫 P231-232

86:名無し三等兵
07/06/16 17:29:03
内海で戦うのがメインだった日本の水軍と、外海で戦うことが前提だった朝鮮
の水軍では朝鮮側が有利なのは仕方なかったんじゃないかな。

それまで海上戦で局面を打開する発想が朝鮮の将軍にはなかったから、李舜臣
の功績は持ち上げられすぎとはいえないね。

87:名無し三等兵
07/06/16 19:35:04
日本の船も朝鮮の船も内海航行が主で海洋で外洋航行は不安でしたが、何か?
当時の日本船と朝鮮船は推測航法も天測航法も出来ません。
陸地を見ながら追い風を待って航行するのが基本。
戦船は漕ぎ手を沢山載せて静水面で低速航行するのが関の山。

88:名無し三等兵
07/06/17 11:19:06
フロイスの記事って5月と6月の水軍に無防備な時期の被害と7月の閑山島・安骨浦の海戦の今年か書いていないようだね。
そのことと現地が貧しくて余剰食糧自体底をついていて現地調達が不調で手繰り陸送をしていた困難と、李舜臣襲撃は別の時期、別の場所の話し。
通説みたいに、わざと混同するなら別だが?

89:名無し三等兵
07/06/17 12:03:08 CvvxGAmL
一つ目は朝鮮が混乱しすぎて日本の支配地域となる前に奥地へ侵入してしまったための補給不全。
二つ目は水軍が負けたから何?って感じ必要なら注力して艦隊戦をしていたでしょうが水軍は軽視されても仕方がない重要度。

90:名無し三等兵
07/06/17 12:09:08 5sU2p7YA
日本最大の実力者である徳川家が渡鮮していない
当の秀吉も一度も渡鮮していない
本気で明を滅ぼす気があったとはとうてい思えん

91:名無し三等兵
07/06/17 12:52:34
>>89
>二つ目は水軍が負けたから何?って感じ必要なら注力して艦隊戦をしていたでしょうが水軍は軽視されても仕方がない重要度。

そう言う発想って補給軽視じゃないかな?

92:名無し三等兵
07/06/17 13:30:48
>91
>85 みれ
釜山までの海運は問題ないし、半島内陸部への補給では海上輸送は副次的だから、
朝鮮水軍対策は費用対効果が悪く優先順位が低い。

つか、>89 も艦隊戦とか妙なことを言っているが、当時の水軍は陸上部隊のおまけだぞ?
砦の守備隊みたいなもので、機動戦力ではないから海軍とは呼称されていないんだ。
海上輸送を安定させたければ、まず海岸部を制圧して水軍拠点を設けなければ無理。

93:名無し三等兵
07/06/17 14:23:29 HSG43JGc
当時の水軍は陸地を飛び石伝いに移動するから、途中の海岸を支配されると移動が制限されるんだな。
西進作戦がない以上は海戦で負けた後の秀吉の防御指令は理に適った支持だった。
以後、李舜臣以下の水軍の活躍の場は失われた。

94:名無し三等兵
07/06/17 20:41:08 N9aTkWxT
>>87  航法は大差なくても、戦法が違うよね。早船で取り囲んで戦う日本水軍に対し、
大船に火力を積んで叩く朝鮮水軍の戦法はやはり朝鮮側が有利だったのは否めない。
信長も同様な策で毛利水軍を破っているしね。

あと倭寇対策で徴兵制まで敷いていた朝鮮水軍と、海賊衆の寄せ集めで水軍指揮官さ
えいなかった日本水軍では組織力も違う。水戦の訓練もしてなかったというしね。
秀吉に海上戦の経験があればまた違ったのかもしれないけど。

結局>>93の策で損害は出なくなったけど、補給路を限定させたという点では李舜臣の
功は大きいと思うよ。日本側の進撃速度が速すぎちゃったというのもあるけど(何と
朝鮮戦争並みのスピードで平壌まで駆け上ってる)。


95:名無し三等兵
07/06/17 20:50:51
>>94補給路を限定させたって話は具体的にどういう事なんですか?
船戦で勝っても負けても戦争経過に殆ど影響など無いと思いますよ。

96:名無し三等兵
07/06/17 20:57:57
釜山までの海運に支障が無かったのは良いとして、できればソウルや平壌まで
船で物資を輸送したかったと思う。

97:名無し三等兵
07/06/17 21:04:40
朝鮮軍さえやっていない海上輸送による兵站確保なんか、
近代戦と勘違いした人の幻想でしょ?

98:名無し三等兵
07/06/17 21:07:15
日本列島も朝鮮半島も味細長い土地で似た面があるけど、一般に物資を運ぶのには船を利用するのが最も効率が良い。

大阪に集めた米などの物資を江戸に運ぶのに陸路使ったら大変な苦労をする。水運と陸運の輸送効率は100倍くらい
という話だから、もし仮に実行したとすれば江戸に届く物資は同じ労力を使っても1/100以下になるはず。

もちろん江戸の人口を養うのは不可能。だから現実は当然海運を利用してる。

日本列島も朝鮮半島も味細長い土地で似てる面がある。もちろん物資の輸送には船を利用するのが良い。
陸路を使って朝鮮半島南端から半島北部まで運ぼうとしたら大変な苦労をするはずだし、実際苦労したというわけ。

99:名無し三等兵
07/06/17 21:13:23
天下太平になって江戸で消費需要が発生して船体も航法も含めた海運が発達するのに何年かかったか分かっているのか?

100:名無し三等兵
07/06/17 21:21:38
朝鮮沿岸を泰平にして海路開拓をするよりも遼東まで進撃する方が楽そうだ。
それだと戦争終わらないが。

101:名無し三等兵
07/06/17 22:58:12 N9aTkWxT
>>95,>>97 いや、朝鮮の主要都市は海沿いにあるから >>96 >>98 のいうように海上輸送が使えると
結構長く拠点を保持できるよ。古代ではテュロスとか、戦国でも石山本願寺とかいくつか例がある。

実際秀吉軍も倭城を釜山周辺に作ったけど、最初から沿岸沿いに漢城あたりまで拠点を伸ばすよう
な計画があれば、戦いの展開は違ってたんじゃないかな。

102:名無し三等兵
07/06/18 02:27:45
制海権を確保できずに負けたと言うことか。

103:名無し三等兵
07/06/18 08:50:49
朝鮮がなー

104:名無し三等兵
07/06/18 08:54:58
>>103
おお、斬新な意見だ。朝鮮が倭国に橋頭堡を作ったが制海権を確保できずに負けたとは。

105:名無し三等兵
07/06/18 13:58:20
自国の制海権を奪われて負けただな。


106:名無し三等兵
07/06/18 14:52:20
>>99-100
何か勘違いしてる人が居るけど、古代から中世・近世・現代まで、人間の物流活動の
大部分は水運・船舶によって成り立っているんだよ。当然、戦国時代の日本も朝鮮も。

107:名無し三等兵
07/06/18 17:18:02
>106
何か勘違いしている人がいるけど、平時&後方の商業・戦略輸送と
前線での輸送は別物だからね。

108:名無し三等兵
07/06/18 18:53:24 OTnQnODm
戦国期の国取りレベルの進攻作戦で陸路より海路が優先された具体的事例の提示希望。
普通は海陸二路があっても陸路が主攻路で海路は助攻路だろ?余程自領として安定した海岸保持と地形海象が把握できてないと当時の戦争海運の実施は無理。

日本だけでなく朝鮮も明も陸伝いに進攻しているよな?

109:名無し三等兵
07/06/18 20:04:51
>>108
後方の物資輸送は海路中心

110:名無し三等兵
07/06/18 20:42:31 nidOfEFr
後方輸送の話じゃないから。
天候に妨げられず、敵の妨害を排除しながら必要な時に必要なだけ輸送のできないから非制圧地帯への海運は使えないんだよ。

111:名無し三等兵
07/06/18 21:52:01
>>110
非制圧地帯が長すぎ。
日本じゃ、領主が何処かに行ったら占領者に頭を下げる。
このノリで朝鮮に攻めていったのがそもそもの間違い。

112:名無し三等兵
07/06/18 22:11:49
>109
後方輸送=釜山までの輸送は問題なかっただろ。
そこまで含めるのなら、朝鮮水軍が日本の海上輸送に及ぼした影響は無いも同然でFA

113:名無し三等兵
07/06/18 22:19:35
朝鮮半島南端の釜山までしか補給路が確保できないのなら、朝鮮半島南端までしか占有・確保できないのも理の当然というか

114:名無し三等兵
07/06/18 22:26:16
制海権てのは、相手国の港および後背地まで確保して始めて「制海権を確保」できたと言うもの。

半島北部まで補給路を確保しようと思うなら、朝鮮半島沿岸の港を次々に占領し、併せて海戦に
勝利し、船舶による輸送路を確保しながら、半島を北上して行くしかなかった。

そうしないと陸戦ばかり強くて、突っ走っても後が続かない。

115:名無し三等兵
07/06/19 14:27:33
>>114
慶長の役はそうしてるね。

116:名無し三等兵
07/06/19 15:05:39
史実として平壌まで突っ走っているんだから、
手間のかかる海上輸送路の安定に拘らないってのもありだろ。
兵は迅速を尊ぶ。

朝鮮の役で問題なのは補給などではなく、戦略方針がはっきりしていないことだと思うのだな。
秀吉の要求と講話内容になんであんなに差があるんだか・・・

117:名無し三等兵
07/06/19 19:17:13
>>116
いや、拙速でOKなのは戦術レベルまでで、戦略以上は巧遅でなければならない

118:名無し三等兵
07/06/19 19:48:17
豊臣の城・徳川の城-戦争・政治と城郭

秀吉の軍令と大陸侵攻

軍事史学 通巻166号

119:名無し三等兵
07/06/19 21:37:03 dwClcWXw
文禄の役も慶長の役も常識のラインまで下げているが、何か、不満なんだ?

120:名無し三等兵
07/06/19 23:31:47
非常識な目的と、非常識なラインまで進んだ所

121:名無し三等兵
07/06/20 00:38:17
【韓国】 韓国の小学生2割「朝鮮戦争=日本が侵略した戦争」 [06/19]
スレリンク(news4plus板)

【ソウル=黒田勝弘】
韓国現代史の最大の悲劇といわれる朝鮮戦争(1950~53年)について、
韓国の小学生の5人に1人が「日本が韓国を侵略した戦争」と考えていることが明らかになった。
(中略)
その結果、朝鮮戦争が起きた時代について「現代」と正しく回答したのは46%で、
過半数が李朝時代(14世紀末~20世紀初)など、それ以前の出来事と答えている。

また「誰がどのように引き起こしたか」という質問には72%が
「北韓(北朝鮮)が南韓(韓国)を侵攻した」と正しく答えたが、
一方で「日本が韓国を侵攻した」という回答が22%もあった。
しかし北朝鮮や左翼勢力の主張である「南が北を侵攻した」は2%だった。

興味深いことは、朝鮮戦争は李朝時代に起きたと回答した児童の51%が「日本が韓国に侵攻」と答えている。
これは朝鮮戦争と、16世紀の豊臣秀吉軍による
朝鮮侵攻(日本では文禄・慶長の役、韓国では壬辰倭乱)とを混同しているためで、
子供たちの間では「とにかくわが国に攻めてきたのは日本」という漠然とした考え方があるためと、同誌は解説している。
(後略)
ソース 産経新聞
URLリンク(www.sankei.co.jp)

122:名無し三等兵
07/06/20 01:34:54
>>118
その内容(新説、目からうろこの部分)を教えてホスイ。

123:名無し三等兵
07/06/20 06:02:45
非常識だったのは貧弱な朝鮮政治、自壊する民衆自治、未開拓で不毛の大地。
うっかり朝鮮奥地まで攻め込んだのは歴史的に日本だけではない。

124:名無し三等兵
07/06/20 16:27:54
まともな国なら普通、元寇の時の日本みたいに上陸を必死に阻止するもんなんだけどな

125:名無し三等兵
07/06/20 18:51:15
>>123
>>124
そういう国という事をろくにリサーチしていない秀吉が悪い
まぁ、進攻時に朝鮮が従属していたと認識していた時点で、豊臣政権自体がアレではあるが

126:名無し三等兵
07/06/20 19:10:54
しかし、直接明に攻め入るのは無理だろ。

127:名無し三等兵
07/06/20 20:36:49
>>127
銭を輸入している国へ攻めようと考えるのも何か…
秀吉って経済観念があるとかいわれるけど、つくった貨幣がばら撒き用の
天正大判のみだったという時点で大した事ない様に感じる。

128:名無し三等兵
07/06/20 20:38:39
無限ループ開始

129:名無し三等兵
07/06/20 20:48:31
無限ループと言えば鳴梁海戦と李舜臣

130:名無し三等兵
07/06/21 07:23:54
一番リサーチ不足だったのが朝鮮だったわけで、一番被害が大きかった。

131:名無し三等兵
07/06/21 20:12:10 i3nG9X5J
どこの被害が大きかったかを考えれば簡単?

132:名無し三等兵
07/06/21 21:47:57
仕掛けた犯罪者と、仕掛けられた被害者を同列に語るのはなあ。

133:名無し三等兵
07/06/22 02:41:18
>>132
帰れチョン

134:名無し三等兵
07/06/22 18:50:53 AUBIvrnK
日本軍の侵略や明軍の略奪に目を背けているけど、でも一番大きな被害を出したのは朝鮮人同士の殺し合いだったんでしょ?

135:名無し三等兵
07/06/22 21:10:28
個人的には日本 という国は
あまり好きではない。韓国に対し、日本は卑劣なように思える。
日本政府は正しい 情報を国民に伝えるように願う

136:名無し三等兵
07/06/23 03:14:08
>>135
来年のNHK大河ドラマで主役を演じる女優と結婚した嫌日俳優の発言だっけか?

137:名無し三等兵
07/06/23 04:28:54
安宅船の大船団動画
URLリンク(jp.youtube.com)

138:名無し三等兵
07/06/26 15:01:01
弱い朝鮮軍が水軍に限ってよく整備されていたのは、過去に倭寇によって苦しめられて対策していたから。

139:名無し三等兵
07/06/27 07:49:47
>138
思いつきを垂れ流すだけなら朝鮮人にだってできるぞ?

140:名無し三等兵
07/06/28 22:11:46
>>139
史実だぞ?

141:名無し三等兵
07/06/30 06:11:53 l1GNNSpQ
朝鮮レベルではよく整備されていたのかもな。

教訓のための幻想を見てる奴はまだ多いな。

142:名無し三等兵
07/06/30 08:48:42
>140
船に乗ったことがない司令官が10人ぐらい整備されたたんだってな?

143:名無し三等兵
07/06/30 08:55:00
>>142
どうも倭寇対策のために朝鮮の軍船には、大砲などの装備が充実してたらしい。
直接チャンバラやると敵わないから、遠くから撃って和船を沈めてしまおうと。

大砲の製造・配備ともなると、国家規模の事業となるから、海賊レベルでは
対処しようもなかった

144:名無し三等兵
07/06/30 09:02:47
小説と現実の区別がつかないのは朝鮮人の宿痾だな。

145:名無し三等兵
07/06/30 09:07:01

> 火砲製造は李朝において特に発達していた技術で、それは朝鮮の火砲の威力によって秀吉の朝鮮出兵が失敗に終っていることからでもわかる。
> 朝鮮側は歩兵の鉄砲が少なく、当初日本軍は朝鮮半島の広い地域を席捲したが、大砲を持たないために、城や軍船に大砲をそなえた朝鮮軍に
> 攻守城戦や海戦でさんざんに悩まされた

> 棒火矢について有馬成甫氏は『火砲の起源とその伝流』のなかで、「銃筒より矢を発射する考案は、決して朝鮮独特のものではないが、これを
> 完成した型に進歩せしめた功は朝鮮人に帰さなければならぬ」と書いている。
URLリンク(www.pyongyangology.com)

146:名無し三等兵
07/06/30 19:42:58
古い本を読むのも大事だが新しい本も読まねえとな

147:名無し三等兵
07/07/01 02:31:54
つーか、このころの大砲なんて城攻めぐらいしか役にたたんだろ。
ネルソンの頃になっても最終的には乗り込みだし……。

148:名無し三等兵
07/07/01 07:58:02
火砲は多用されていないし。焼き討ち基本。

149:名無し三等兵
07/07/03 19:53:28
当時の大砲では撃沈は無理。

150:名無し三等兵
07/07/03 20:54:08
>>149
追い払えばいいんだから
それに射程外から一方的にボコられるというのは結構、士気に来るよ
大坂冬の陣が良い例

151:名無し三等兵
07/07/03 22:11:36
文禄の役で起きた日本と朝鮮との海戦

文禄元年
4月12日 日本は釜山を攻略する。

5月07日 玉浦、合浦、赤珍浦(李舜臣の水軍は藤堂高虎らが率いる日本軍船多数と交戦。日本は軍船計42隻が被害を受け李水軍は一隻を失う)
5月29日 泗川 (湾内の日本水軍は半数が上陸中、そこに李水軍26隻は亀船などで攻撃し戦果を挙げる。)
6月02日 唐浦 (李水軍48隻は日本船20隻余りを攻撃し撃破)
6月05日 唐項浦(李水軍は日本船26隻を湾外におびき寄せ、包囲して壊滅させる)
6月07日 栗浦 (日本船7隻を攻撃、撃破)
(日本は釜山から西進し朝鮮半島西海岸を確保しようとしたと思われるが海戦に敗れ失敗に終わる。これにより補給ルートの確保は困難となる。)

6月28日 秀吉は九鬼、加藤、脇坂らに一体となって朝鮮水軍に当たることを命じた。

7月07日 見乃梁 (李水軍57隻に対し、脇坂は水軍70隻余りを率い九鬼、加藤を待たず単独で突入したが63隻を撃破され敗れる)
7月10日 安骨浦 (李水軍は強行突入し加藤・九鬼水軍46隻と交戦。苦戦のため李水軍は退却。そのあと日本側も釜山まで戻る)

7月14日 秀吉は脇坂を叱責。

9月01日 釜山浦 (李水軍117隻は日本の拠点である釜山浦に総攻撃。釜山の日本軍船は500隻。日本は水軍および陸上に設置した捕獲大砲を使って反撃。)
(海戦と陸からの砲撃などにより李水軍は大損害を受け撃退される。李水軍の受けた多大な損害のため、この年は、これ以後海戦が起きなかった)

「戦国水軍の興亡」宇田川武久 平凡社新書 2002年刊

152:名無し三等兵
07/07/03 22:17:55
>>151
これ見ると文禄元年に全部で8回海戦が起きて、日本は6回負けてる。二勝六敗。

しかも勝ったと言える安骨浦と釜山浦の戦いでさえ、結局のところ日本は防戦に成功しただけで
常に攻勢を仕掛けてきてるのは李水軍の方。どうしても敵の方が優勢に見えてしまう。

153:名無し三等兵
07/07/04 06:51:51 9LosOKYW
海戦は閑山島だけであとは泊地攻撃やん。
何で日本水軍の泊地攻撃はノーカウントなんだよ?慶尚左水軍は壊滅、慶尚右水軍も半壊しているんだぞ。

154:名無し三等兵
07/07/04 10:22:18 YlApL8XQ
>>151>>152
直接的な損害は日本軍の方が多いけど、戦場に投入できる兵力がまるで違うから、(朝鮮117vs日本500)、
朝鮮水軍をほぼ殲滅し朝鮮半島への補給路を確保できたのなら、戦略目標は達成できたと判断するべき。
損害が大きくともこれ以降朝鮮水軍の蠢動を警戒しなくてよくなったのだから。

逆に朝鮮水軍側から見れば、日本軍の中小規模の船団に確実に勝てる時に攻撃を仕掛けて兵站線に負担をかけるという途中までの基本戦略はよし。
しかし9月1日の日本軍が待ちかまえている釜山への総攻撃はいただけない。
兵力に劣る側は、敵の本拠地に突っ込んだりせず、遊撃戦に徹するべきだ。



155:名無し三等兵
07/07/04 13:21:33
プサン以外に李舜臣の攻撃した日本の海上兵站線なんかないだろ?

156:名無し三等兵
07/07/04 18:06:54
李瞬臣(実在?)が有能かどうかは別にして、他国に国土の殆どを蹂躙され
その上他国に支援を仰ぎ講和会議も蚊帳の外におかれて勝手に話しをされ
太閤が長生きしてたら明と太閤に国土分割されてたあぼ~んな国なのは
間違い無い事実w
国民にとってはその方が幸せだったかも?明の辺境少数民族として朝鮮族
の存在は大きくなるし、南部の住民は藩幕政治のなかで大きな位置を占め
れたかも知れない。特に日明国境になる地域は重要な役割を果たしただろ
まあハングルを知ってるより北京語と日本語の方が使えるのは間違い無いw

157:名無し三等兵
07/07/04 18:31:46
>>151
何だ真面目に朝鮮役勉強したい奴が現れたのか?
しかしその安い本はいまいちなのよ
海戦のいい本はまだ入手してねえな
このスレにいい本持ってる奴がいたが朝鮮サイトで暴れてる頭おかしい奴で役に立たねえ

158:名無し三等兵
07/07/04 20:00:09
誰のなんて本だよ?

159:名無し三等兵
07/07/04 20:17:22
脳内で海戦を勝手に想像する前に誰がいつどのような状態で海戦に直面し、てどんな効果や影響があったのか考えてみろ。
李の脳内戦果を信じる前にな。

160:名無し三等兵
07/07/04 20:33:50
兵糧の現地調達が困難であることが判明した後の本土からの輸送において
釜山以北の漢城などへの兵糧輸送手段の一つとして、海路による輸送は
俎上にも上らなかったがこれは朝鮮水軍の活動で全羅道への進攻が
進まなかったのに一因があるのではなかろうか?

161:名無し三等兵
07/07/04 20:43:45
秀吉が陣頭指揮取っていたら、どうなっていただろうなぁ。
変な停戦はしなかったと思うが。

162:名無し三等兵
07/07/04 21:48:23
>160
それは当時の水軍を過大評価している。

陸地以上に地理気象の影響が大きい海上では、外地の水軍は侵攻側の主力になれない。
朝鮮西海岸で水上輸送路を確保しようとするなら、まず陸軍で沿岸部に拠点を確保し、
そこに水軍を配置という順序になる。
当時の水軍は陸上における砦の守備隊相当のものでしかない。

163:名無し三等兵
07/07/04 22:03:44
>>162
では全羅道攻略が遅々として進まなかった理由は何かと考えてしまう。
あそこは朝鮮でも随一の穀倉地帯であるから防備も厳重であったと思う。
権慄が小早川を撃退した名将である事を割り引いても、そこに朝鮮水軍
が何の役にも立っていないと考えるのはどうであろうか?

無論、水軍の力のみで全羅道防衛がなされたとは考えていないので、
そのつもりで

164:名無し三等兵
07/07/04 22:34:46
全羅道が穀倉地帯ってのも宣伝が生んだ幻想。
慶尚道と全羅道は同程度の収穫量、面積効率で言っても忠清道と同レベル。
百姓が治安悪化で農業放棄した社会を建て直すのに両陣営とも苦労している。
そして小早川は方面軍としての攻撃を始める前に明の攻撃対策として漢城に呼び戻されている。
どっちみち水軍が居た辺りでは日本軍の主要な侵攻作戦など存在していなかった。

165:名無し三等兵
07/07/04 22:36:27 ajuSZFoc
全羅道を主要攻撃作戦に繰り入れた慶長の役では予定通りに侵攻に成功した。
穀倉地帯と言うにはチンケ。

166:名無し三等兵
07/07/04 23:13:59
当初から慶尚、全羅に限定侵攻していたらどうなってたかな?
太閤の性格から無理だろうが、まず倭冦を装い済州島に侵攻し、朝鮮軍を誘き寄せ殲滅。
次に釜山へ上陸し南部限定で侵攻し明の介入を限定させる。


167:名無し三等兵
07/07/04 23:18:59
ループ下層戦記か
昔のスレでも嫁

168:名無し三等兵
07/07/04 23:28:16
とりあえず>>118でも読んだらどうよ
118の豊臣の城・徳川の城の伝えの城から仕置の城への推移とか

169:名無し三等兵
07/07/05 07:57:53
>>166
基本的には九州征伐と同じ作戦構想で文禄の役は戦っている

170:名無し三等兵
07/07/05 16:46:23
>>169
>九州征伐と同じ作戦構想

具体的に解説希望

171:名無し三等兵
07/07/05 17:56:46
過去スレで九州役他いろいろ脱線しているな

172:名無し三等兵
07/07/05 18:46:19
>>170
対処不可能な大軍をもって敵の士気を挫き、統治組織から離反させ、最後は服属させる。

173:名無し三等兵
07/07/05 19:51:01
ワロタ

174:名無し三等兵
07/07/05 20:59:38
朝鮮サイトってどこ?

175:名無し三等兵
07/07/05 21:08:14 xjb/BDMr

戦国武将人気投票だよ

スレリンク(sengoku板)

みんなも大好きな武将を投票してね


176:名無し三等兵
07/07/05 22:09:53
今は日本戦史九州役もネットで読めるな

177:名無し三等兵
07/07/05 22:57:46
>>172


178:名無し三等兵
07/07/06 02:31:25
徳川の関東転封を止めて、小田原征伐の報酬は伊豆一国にする。
当然、朝鮮派遣軍は全羅方面は徳川、伊達、長曽我部、堀らが主力。慶尚方面は毛利、上杉、島津、中村らが主力となる!
済州島などを小西、蜂須賀、浅野、山内らに攻めさせ陽動とし、本隊は木浦と釜山に上陸する。
前田、佐竹、最上、黒田らは第2陣として博多待機し全羅方面の後詰をする。
宇喜多、福島、加藤、大谷らは第3陣として小倉待機し慶尚方面の後詰をする。
九鬼、脇坂、村上、藤堂らは水軍を率いて黄海沿岸を北上して制海権を確保する。

179:名無し三等兵
07/07/06 03:58:17
>>151
それ、ほとんどは大勢の朝鮮船が、その辺にいた小数の日本船(空船だったりする)
を襲って挙げた戦果でしょう。

業を煮やした秀吉(?)が脇坂を呼んで本格的に征伐に乗り出したのが閑山島なわけ。
脇坂の抜駆けで負けたのは事実。李舜臣を最大に評価するとしたらこの時だね。

180:名無し三等兵
07/07/06 06:22:49
空船でも船を沈めるのは効果がある

181:名無し三等兵
07/07/06 06:33:56 guDwxE0k
どこで日本戦史読めるの?

182:名無し三等兵
07/07/07 02:27:41
朝鮮に攻め入る前に天正大判でガレオン船を100隻買込むw

183:名無し三等兵
07/07/07 02:31:16
俺、大明よりずっと肥沃な土地が手付かずで太平洋の向こうに転がっていると、
タイムマシンを発明したら太閤に教えてあげるのが夢なんだ。

184:名無し三等兵
07/07/07 02:31:47
信長が生きていりゃ、先に黒船作ったかもな。
鉄の船を造ったぐらいだし。

185:名無し三等兵
07/07/07 14:48:26
>>181
国立国会図書館ホームページで日本戦史を検索

186:名無し三等兵
07/07/07 16:12:44
>>179
戦力を集中して優勢な態勢を作って最小限の損害で大きな戦果を挙げたり
相手の失策に乗じたりするのは戦術の基本でしょう。

187:名無し三等兵
07/07/07 17:00:55
>>182
実際、秀吉は南蛮人から外洋船を買おうとしたんだが断られた。

ちなみに日本軍が悩んだ補給だが、仮に昔の大きな町が食料などの物資を四方の村々から
集めようとする場合、現代人なら沢山の車両使って道路を走り町へ・・・・と考えるけど昔は違う。

食料などの物資を一旦船に乗せて川を下り、海に出て海岸沿いに進み、町が港湾都市ならそのまま運び
また目的の町が内陸部にある場合でも、そこが大都市なら必ず大河に面している。海から大河を遡上して
物資を町に運ぶ。これが流通経路。

だから水軍が弱体で船舶を利用できないと、強力な陸軍が町を占領しても現地の物流をうまく利用できない。

188:名無し三等兵
07/07/07 19:25:08
まあ太閤が死んで撤退しなかったらAD1600年に半島分割朝鮮民族は日本と大明で分断され同化政策の結果消滅!
めでたしめでたしだったのにぃW
まだハングル文字も発明されていない民度の低い一地方だから全く問題無く同化出来ただろう
ズーズー弁や琉球、アイヌより同化早いかも
そうなってたら多くの南チョン人が幸せだったのにぃな。

189:名無し三等兵
07/07/07 19:31:38
いや、それから明を征服する計画なのだから”めでたし”で終わらないと思うよ

190:名無し三等兵
07/07/07 19:55:03
急度、言上致し奉り候、
一、番船唐島を居所に仕り、日々罷り出て、日本通船渡海一切罷りならざるに付いて、五人の者申し合わせ、
唐島へ押し寄せ、昨日十五日夜半より、明け未の刻まで相戦い、番船百六十余艘切り取り、
其の外津々浦々十五・六里の間、ふねとも残らず焼き捨て申し、唐人数千人海へ追いはめ、切り捨て申し候、
猶此の表の様子、御奉行衆より言上を遂げられるべきの条、申し上ぐるに及ばず候、右宜しく御披露仰する所に候

191:名無し三等兵
07/07/07 21:38:08
>>190
せっかく史料出すなら、
それが何という史料で、
何時の出来事について記されているのか
について明らかにしないと値打が無くなる。

192:名無し三等兵
07/07/07 21:42:07
読んで全く分からねえ奴はいらねえよw

193:名無し三等兵
07/07/07 22:21:22
>>191
島津家文書、慶長二年七月十六日付連署状(小西・藤堂・脇坂・加藤嘉・島津親子)
漆川梁海戦

194:名無し三等兵
07/07/07 23:00:57
体察副使韓孝純は1597年4月に朝鮮水軍の戦力を戦船134隻、格軍(軍卒)13200人と報告
(戦船一隻当たりおよそ100人?)

備辺司(朝鮮の政策決定機関)は同年5月中旬以後前線隻数を新たに建造されたものを含めて180余隻と把握

漆川梁海戦で慶尚右水使?楔と共に脱出した10余隻以外の朝鮮水軍戦船が焚滅、または奪取

195:名無し三等兵
07/07/07 23:03:35
>>193
グッジョブ!!

どうせなら最初から書いてくれればなお良かった。

196:名無し三等兵
07/07/07 23:25:27
>>195
なんでそんな偉そうなんだお前は

197:名無し三等兵
07/07/08 00:29:23
また、(平)調信が訳官李彦瑞に言うには
「朝鮮の水軍が水戦を良くして船舶も堅固であることから、互いが対抗して進退
しながら戦うならば、勝つのはとても無理であろう。
もし、闇夜に密かに出撃して襲撃すれば、朝鮮の大船一隻に対し日本は小舟五~六隻、あるいは
七~八隻で相手をし、矢石をかえりみず突進し、一気に接近して戦うならば、撃破できる」

198:名無し三等兵
07/07/08 21:39:35
兵站について関連記事

> もっとも信頼でき、かつ正確と思われる情報によれば、兵士と輸送員を含めて十五万人が朝鮮に渡ったと言われている。
> そのうち三分の一に当たる五万人が死亡した。しかも敵によって殺されたものは僅かであり、大部分のものは、まったく、
> 労苦、飢餓、寒気、および疾病によって死亡したのである。
> 
> 朝鮮人の死者については(正確には)知り得なかったが、死者と捕虜を含め、その数は日本のそれとは比較にならぬほど膨大であった。
> 
> ルイスフロイス 「日本史 5」中公文庫 P277

199:名無し三等兵
07/07/08 21:41:36
兵站

> 飢餓、寒気、疾病、その他、日本では想像も及ばないほどの艱難辛苦を忍んでいるこれらキリシタン(小西軍)の窮乏は、あまりに
> ひどすぎます。
> 関白(秀吉)殿は当地へ食糧を輸送してはいますものの、こちらに着く量はごくわずかであり、全軍を養うには程遠いものがあります。
> 
> 日本からの援軍は途絶えがちで、遅れが目立ち、ここ二ヶ月余りというものは、船舶は姿を見せていません。
> 他に渡航中に喪失した船舶もあると言うことです。
> 
> (朝鮮に渡ったグレゴリオ・デ・セスペデス師からフロイス当ての書簡)
> 
> ルイスフロイス 「日本史 5」中公文庫 P248

200:名無し三等兵
07/07/08 21:42:32
敵側の兵站

> 明国の運輸
> 
> 明の天津・山東などの糧食を朝鮮に輸送する場合、海運では民船を雇って使用したようである。
> 
> その航路は天津から大沽に下り、ここから海上を山東の海豊・青州・莱州の沿岸を辿り、登州から
> 廟島・弊磯島・皇城島の諸山を経て旅順に達し、ここから遼東の沿岸の三山島・広鹿島・長山島
> などを過ぎ鴨緑江口の弥串に至り、ここから朝鮮の船舶に委ねるものであった。
> 
> 旧参謀本部編「朝鮮の役」徳間文庫 P362

201:名無し三等兵
07/07/08 21:51:00
李水軍による日本軍の西進阻止と海上輸送の遮断

> 賊将の平〔小西〕行長は、平壌に到達するや、書簡を寄せて「日本の水師十余万が、また西海から到来する。
> 大王(朝鮮国王)の竜御(串輿)は、ここからどこへ行かれるというのか」といってきた。
> 
> (これにより日本軍の意図は)おもうに、賊はもともと水陸の軍勢を合わせて西下(西進)しようとしたのであるが、この一戦
> (文禄元年の5月から6月にかけての一連の海戦)によって遂に賊の片腎(水軍)を断ち切ったので、〔小西〕行長は、平壌城を
> 獲得はしたものの、その勢力は孤立しており、敢えてそれ以上前進しなかったのである。
> 
> 〔こうして我が〕国家は、全羅、忠清道ばかりでなく、さらに黄海、平安道沿岸二帯に及ぶまでを確保し、〔これによって〕軍糧を調達し、
> 命令を伝達させて、ふたたび勢力を興起させることができたのである。
> 
> そして遼東の金、復、海、蓋、さらに天津などの(中国の)地が騒動にまきこまれず、明の救援兵が陸路から来援して賊を
> 撃退することができたのも、みな〔李舜臣の〕この一戦の功績である。ああ、天の助けでなくて何であろう。
> 
> 〔李〕舜臣は、こうして〔慶尚、全羅、忠清の〕三道の水軍を率いて閑山島に駐屯し、賊が西方を侵犯する路を遮ったのである。
> 
> 〔懲比録〕 東洋文庫 P142

202:名無し三等兵
07/07/08 22:25:41
話が慶長の役に進んでいるところ悪いと思ったんだけど、文禄の役の水戦の区切りとして。

203:名無し三等兵
07/07/08 22:28:14
過去スレを嫁

204:名無し三等兵
07/07/08 22:33:17
このスレの住民は>>198-201の本は当然手元にあると思っている
>>190>>185の日本戦史朝鮮役で読める

205:名無し三等兵
07/07/08 23:00:33
>>118に追加
豊臣政権の対外侵略と太閤検地
補給戦


>>194 >>197
韓国の倭城と壬辰倭乱を参考に
(元は宣祖実録)

206:名無し三等兵
07/07/09 00:23:17
大軍で攻めるから補給に苦しむ
精鋭5万を上陸させ二ヶ月毎に半数交代させれば
補給も出来たのではないか?
此なら最大80000近い大軍を動員出来るし
戦線も短くせざるを得ないから慶尚道に限定作戦出来ただろ

207:名無し三等兵
07/07/09 00:33:11
>>206
それは目的を見失ってるんじゃない?
李朝相手に限定戦争やるくらいならそもそも出兵は行われなかっただろ
明の征服という目的があっての戦争だったわけだし、
戦術的な成果を確保するために目的を修正するのは本末転倒だよ
目的自体の妥当性が無いと言い切って良いほど微妙だからそこから議論し直すのは良いかもしれんが
勝つためだけの戦争を論じるのはどうかと思うな
戦争は戦術的な成果の上位に目的あっての手段でしょ

208:名無し三等兵
07/07/09 15:37:23
>>207
西国大名や有力大名の力を削ぐ意味が大きい
真の目的は国内問題だから海外領土で常に各地の大名にさきもりさせる意味はあるよ

209:名無し三等兵
07/07/09 17:30:10
>>208
そんな説もあるらしいが、仮にそうなら東国の有力大名・徳川家こそ朝鮮に出兵させるべきなんだが?

210:名無し三等兵
07/07/09 17:38:43
>>209
タヌキには上手いこと言って逃げられたんだよ!関東転封直後だから…
もしくは朝鮮攻略は豊臣恩顧の大名で攻略して海峡両岸の戦略地を確保し
苦戦が予想される大明侵攻作戦に東国勢を投入したら勝ち負けに関わらず太閤の思惑通りになる
深読みし過ぎかな?

211:名無し三等兵
07/07/09 17:42:04
想像とか妄想とかを語っても仕方ないな。意味無し。

212:名無し三等兵
07/07/09 17:43:16

いずれにせよ水軍の勝利無しに、朝鮮・明征伐が成功する可能性も無し。

213:名無し三等兵
07/07/09 18:13:33
朝鮮水軍なら壊滅させているな

214:名無し三等兵
07/07/09 18:19:03
つ 「李舜臣将軍」

215:名無し三等兵
07/07/09 18:27:41
李舜臣が出たー

216:名無し三等兵
07/07/09 18:53:05
島津義弘様、成敗してください!

217:名無し三等兵
07/07/09 19:56:04
だから当時の技術では朝鮮水軍が壊滅していたとしても沿岸の平穏と海象地形の把握で海路が開拓できるまで何年もかかるつーの。
朝鮮王を遼東に追放するより航路の全海岸の治安を回復するほうが困難。
それとも護衛を付けて低速かつ不確実な船団補給にするかね?

218:名無し三等兵
07/07/09 20:01:43
まるで沿岸に漁民がいないかのような…。

219:名無し三等兵
07/07/09 20:16:20
釜山からは手繰りで頼む

220:名無し三等兵
07/07/09 20:31:27
軍事史学 通巻166号 豊臣政権下での兵站整備とその限界-西欧との比較から-

221:名無し三等兵
07/07/09 20:33:57
アンカーくらい付けろよ。

222:名無し三等兵
07/07/09 20:36:32
返事いらねえから

223:名無し三等兵
07/07/09 20:39:10
独り言なら日記帳に書いてろ

224:名無し三等兵
07/07/09 20:40:14
豊臣の城・徳川の城-戦争・政治と城郭
第二章 文禄・慶長の役における秀吉の城郭戦略

225:名無し三等兵
07/07/09 20:41:26
相手によってはアンカーを付けている

226:名無し三等兵
07/07/09 20:58:37
朝鮮の役と日朝城郭史の研究 異文化の遭遇・受容・変容
第二部 倭城と朝鮮民衆
第四章 日本軍による朝鮮住民の還住政策
第五章 倭城の「城下」と「附逆」朝鮮人

227:名無し三等兵
07/07/10 01:57:19
慶尚、全羅、済州を確実に確保してから漢城へ攻めれば良かった

228:名無し三等兵
07/07/11 17:04:04
軍隊と水運

> 第一章 一六~一七世紀の略奪戦争  - 河川利用を知った者が勝つ -
> 
> (当時の軍隊の)戦略的機動性は河川の流れによって厳しく制約されていた。このことは通常、河川を渡るのが難しいということとは関係がない。
> 水路で運べるような補給物資は、陸上を引っ張るより船で運ぶほうが常にはるかに簡単だという事実のためである。
> 
> このような特殊な理由はすべての軍隊に等しく当てはまるが、逆説的に言えば、補給物資をうまく調達する司令官になればなる
> ほど水路に依存するようになるということであった。その原因は、船による運搬能力が荷馬車のそれに比べ大きかったことと、
> 前者だと自分自身のための補給品(大勢の輸送部隊自身の食料と馬の為に大量の飼料が要るため)

> (試算によると)100ラスト(1ラストは約二トン)の小麦粉と300ラストの飼料を詰め込むのに
> たった九隻の船で足りたが、陸上だと100ラストの小麦粉を運ぶだけで600台もの荷馬車が必要だとしている。
> (道路未整備のため馬車が使えず、人力、あるいは馬の背に積んで運ぶ場合、輸送は更に一層困難となる)
> 
> 「補給戦―何が勝敗を決定するのか」 (中公文庫) マーチン・ファン クレフェルト (著) P24

229:名無し三等兵
07/07/11 17:30:25
つ 角倉了以

大陸の大河川と朝鮮半島や日本の小河川を同じだと思ってる馬鹿がいる。

230:名無し三等兵
07/07/11 17:40:02

「水上交通の発達は、江戸・大坂 の2大都市を中心とした各地の経済発展と、陸上輸送に比べ安く大量の物資を運送できたことによる。」

「江戸も大坂も水路の都であり、日本は大小の川が網目ように走っている。現代人の多くが渋谷の街のど真ん中に川があることを知らない。」
URLリンク(www.0105.jp)

水の文化書誌16  《河川舟運》   古賀邦雄
URLリンク(www.mizu.gr.jp)

231:名無し三等兵
07/07/11 18:00:59

> 陸上交通が発達した現代では,湖上の交通,あるいは,河川の交通は,ともすれば忘れられがちなものとなっているかもしれません。
> しかし,水路は,物資や人を大量に,しかも安い運賃で運べる最良の手段だったものだと思います。


京都と地方を結ぶ水の道
-古代・中世の琵琶湖・淀川水運を中心として-
URLリンク(www.kunaicho.go.jp)

232:名無し三等兵
07/07/11 18:46:26
>>229
>>220 >>224

233:名無し三等兵
07/07/11 20:02:56
今度日本人、朝鮮に在陣せし間、海辺に異国の路程千余里の内に二十ヶ所御方より城郭をかまへ持ちかためける、
船付なくては往来運送の便なき故なり

234:名無し三等兵
07/07/11 20:17:33
朝鮮では戦役の開始以来数年に渡って戦闘の絶え間がなく
飢饉の連続と疫病の流行もあり、乱民の暴発も多く、土地が荒廃し
三南穀倉地帯も糧を敵に取る計画は成果をあげることができなかった

都体察使元翼は、都元帥権慄とはかり、清夜の計を行った

235:名無し三等兵
07/07/11 20:27:49
慶長の役の朝鮮が行った清野の計って後で自分達が困ったんじゃないの。
後で日本軍が沿岸部の倭城に篭ったら清野の計を行った地域に駐留する事になったのは
明と朝鮮軍なんだから。

236:名無し三等兵
07/07/11 20:40:53
朝鮮人が焦土作戦で国土を荒廃させていて、日本の侵略で人口が1/3になったと苦情を言われてもなー。

237:名無し三等兵
07/07/11 20:49:30
困っただろうなw
小西行長が清野の計を朝鮮に伝えてる(慶長二年六月)史料がよくわからん

238:名無し三等兵
07/07/11 20:52:28
>232
>220と>224をちゃんと読んだのなら、>228が朝鮮役に適用できないのが判るだろ?

239:名無し三等兵
07/07/11 20:57:36
小西行長は慶尚周辺は農作が盛んだと言っているな
作っても食えねえよと

240:名無し三等兵
07/07/11 20:58:33
>>238
持ってるのか

241:名無し三等兵
07/07/11 20:59:07
いずれにせよ半島西沿岸の制海権を確保して、航路・物流ルートを確立しない限り
明国どころか朝鮮も征することはできないな

242:名無し三等兵
07/07/11 21:05:29
>>238
>>220のP110の上の段の右端のカタカナは何と書いてある?

243:名無し三等兵
07/07/11 21:09:54
>>238
>>224のP238の一行目のアルファベットは?

244:名無し三等兵
07/07/11 21:31:20
>>238
>>220では適当な河川交通路が無いとあったが、洛東江はどうなのであろう?

245:名無し三等兵
07/07/11 21:42:33
平時から海運が発達していないんだから探検隊レベルの輸送はあてにならんのよ。

246:名無し三等兵
07/07/11 21:44:05
洛東江は郭再祐が倭船にテロ攻撃してるな。

247:名無し三等兵
07/07/11 21:44:41
どこを指して言ってるの?

248:名無し三等兵
07/07/11 21:44:52
>>245
失礼ですが、あなたはリビングストン氏ですか?

249:名無し三等兵
07/07/11 21:45:40
>>247
当該記事より

250:名無し三等兵
07/07/11 21:46:46
ではそれを貼って下さい

251:名無し三等兵
07/07/11 21:46:58
洛東江は日本軍も使おうとしたんたけどゲリラ攻撃を受けて安定しなかった。
経路が安定していたとしても長距離輸送は当時のスタイルではないし、
農民を勢力に組み入れて巡撫出来なきゃ意味無し。

252:名無し三等兵
07/07/12 15:53:59
> 郭再祐

コピペ

> 教授は「火旺山城の記憶」という論文を通じて「1597年、加藤清正の侵略を郭再祐将軍が
> 慶南昌寧火旺山城で塞いだという記録は実在より誇張されている」と主張した。
> 
> 彼は「もともと火旺山城は戦争がない疎開先にすぎなかった」とし「137年の歳月が経った
> 1734年に出版された『倡義録』を通じて火旺山城の記憶は誇張され始めた」と明らかにした。
> 
> 中央日報
> URLリンク(japanese.joins.com)

253:名無し三等兵
07/07/12 22:52:55
無限ループ

254:名無し三等兵
07/07/13 10:58:53
じっさいに朝鮮沿岸で海運補給をするには武装探検隊が必要だし、戦争継続のための安定した連絡は望めないだろう。
南岸に撤退して正解だったよ。

255:名無し三等兵
07/07/13 14:16:28
>>254
どうして李舜臣率いる水軍はソウルと釜山を普通に行ったり来たりできるのに、日本は「探検隊」が要るだろうか?

日本船の航海能力が非常に劣ってると思ってるのだろうが、倭寇とか普通に朝鮮半島沿岸から支那沿岸に
行き来してたのに。

256:名無し三等兵
07/07/13 17:07:13
>>255
民間の方が官僚より実務にたけているのは我が国古来からの伝統w

257:名無し三等兵
07/07/13 17:46:55
仮に航海能力が ↓ だったとしたら、それは主要な敗因の一つだな

 朝鮮水軍  >>> 日本水軍

258:名無し三等兵
07/07/13 19:04:25
李舜臣の水軍はソウルとプサンの間を行ったり来たりしていませんがなにか?

259:名無し三等兵
07/07/13 19:38:24
賊は私を士族と認めたのでしょうか、私と兄弟を同じく船楼に縛りつけ、船を回して務安県のとある島に至りました。
そこには、賊船六、七〇〇艘が数里ばかりにわたって満ち溢れており、それらの船にはわが国の男女が倭人と相半ばするほどいて
船ごとに哭き叫ぶ声が海や山を震わせるほどでありました。

順天の左水営についてから、賊将佐渡守は私と兄のジュン・ホアン、妻の父金ボンら、そして家属らを一船に載せ、倭国に押送させました。
船は順天を出て一昼夜で安骨浦に着き、翌日の暮れに対馬島に至り、風雨のため二日留まりました。
その翌日の暮れに壱岐島に着き、また翌日の暮れに肥前州に、次の日暮に長門州の下関に、更に翌日の暮に周防州の上関に着きました。
いわゆる赤間関であります。(誤記。赤間関は下関の別称)
更に翌日の暮に伊予州の大津県に到着し、そこに留置されました。

藤堂佐渡守高虎なる者の私邑は三城で、大津はその一つであります。
ここに着いて見ますに、わが国の男女で前後して捕らわれて来ている者が実に一〇〇〇余人にものぼり
新しく捕らわれて来た者は、朝晩巷に群をなして哭き叫んでいたのであります。
以前に捕らわれて来た者は、半ば倭人になってしまっていました。帰国しようという計画も絶えていたからでありましょう。
私がひそかに、身を挺して西の方(故国)に奔れ帰ろうとの一事をもって諭してみましたが、応じる者とてありませんでした。

260:名無し三等兵
07/07/13 19:43:30
普通に航海している

261:名無し三等兵
07/07/13 19:59:32
一方は加藤主計を先手として毛利秀元・黒田甲斐守・吉川廣家・毛利壱岐守等此外六萬騎にて
廣尚みちやくを押て南原に可向と定横目州三人宛一手に加既に打立んとする所に
七月上旬より毎日大雨降て平地も海の如く成けれは通路難叶て待居たり

262:名無し三等兵
07/07/13 20:29:38
航海能力が上だとしたら博多~釜山間が遮断されないのが不思議

263:名無し三等兵
07/07/13 21:04:47
劣っているのは航海能力ではなく戦闘力だろう

264:名無し三等兵
07/07/13 21:12:31
>>262
日本海海戦に於ける無電の活用以前は洋上で敵を捕捉することは困難の一言に尽きる。
よって大抵は湾口周辺で当時の海戦は行われた

265:名無し三等兵
07/07/13 21:50:33
>>264
それを置いても襲撃がほとんど行われていないのは朝鮮水軍の航洋能力の限界の表れだろう。
ましてルートを頻繁に変えて行き来していたわけじゃなし。

266:名無し三等兵
07/07/13 21:56:33
ゾンビ

267:名無し三等兵
07/07/13 22:14:30
開戦以降、李舜臣が漢城へ行ったこと無いし。

268:名無し三等兵
07/07/13 22:19:52
去月(七月)十六日之注進状、今月九日到来、加披見候
今度番船唐島在之、釜山表江節々取出、日本之通路相支候処に、
去十五日夜相働、彼番船百六十余艘伐捕、唐人数千人切捨、其外海へ追はめ、
先々津々浦々十六里之間之船共、悉焼捨之由、手柄之段無比類候
以来迄番船根切仕候事、御感不斜候
何も帰朝之?可被加御褒美候
尚徳善院、増田右衛門尉、石田治部少輔、長束大蔵大輔可令申者也

(慶長二年)八月九日

(御朱印)

藤堂佐渡どのへ

269:名無し三等兵
07/07/13 22:51:30
兵器と戦術の日本史
第七章 陸の鉄砲・海の大砲-朝鮮役
四 水軍の弱体暴露-軍事的観察

韓国の倭城と壬辰倭乱
第二部 戦役論
第六章 丁酉再乱期における漆川梁海戦の背景と主要経過
一 日本の再侵準備

270:名無し三等兵
07/07/13 23:00:13
>>265
そりゃない。元々、倭寇を撃退するために整備された沿岸海軍なのだから
というより当時の東アジアでそういうことのできる海上戦力を保有している国はあるの?

271:名無し三等兵
07/07/14 11:20:52
朝鮮に充分な戦力と水軍能力が備わっていたら、唯壱無弐の索源津である對馬を逆占領若しくは封鎖すればよいだけ
巨済、済州、對馬、壱岐無くしては慶尚どころか釜山すら維持出来ない
故に戦役全般に渡り朝鮮水軍が活躍していたのは事実だがその活動は限定的なモノに過ぎず、日本軍を駆逐するモノでは無かった。
明軍参戦後は一端戦線を押し戻したモノの日本側の戦略的後退の意もあり単純に優勢確保とは言えず
結局のところ太閤の病死が無ければ少なくとも李氏朝鮮は滅亡していただろう

272:名無し三等兵
07/07/14 11:55:24
洋上とか言ってるけど当時の航海は敵も味方も陸地が見える範囲でしか移動しないのが基本。
だから座礁しまくり。

よほど潮流や干満や追い風が期待できないと推測航法は死にに行くようなもの。

273:名無し三等兵
07/07/14 12:10:42
しかし対馬海峡は1000年近く前から行き来してるから未知の海域って訳でもないんだよな。
間に壱岐、対馬もあって陸地は見える。

274:名無し三等兵
07/07/14 13:39:29
風がいいときだけな

275:名無し三等兵
07/07/14 13:41:57
元寇のお返しだろ。秀吉公の朝鮮征伐って。

276:名無し三等兵
07/07/14 13:47:38
>>274
地文航法出来るでしょってこと。

277:名無し三等兵
07/07/14 14:18:23
海峡の三段飛び石は地形を把握していたし、名護屋と壱岐と対馬は陸を確保されていて釜山も開戦後は保持していたから可能だね。
それでも季節によって渡れる方向が制限されるわけだ。

陸を確保していないその先では安定した航海は無理。

278:名無し三等兵
07/07/14 14:36:00
その先がという話ではなくて、朝鮮水軍は何故この経路を攻撃しなかったのか?と

279:名無し三等兵
07/07/14 14:42:13
秀吉の船も座礁しているな

船に兵員を乗せて進出することは行っている

280:名無し三等兵
07/07/14 14:46:14
対馬以前に半島の拠点攻撃に失敗してるしな
朝鮮が対馬を占領したり維持できるのか?

281:名無し三等兵
07/07/14 14:53:00
明が水陸で包囲して攻撃しても端っこの順天が落ちない
未完成の蔚山を総攻撃しても落ちない

282:名無し三等兵
07/07/14 17:30:08
太閤が長命で慶尚道にしっかりした根拠地を築いたとしたら明は別としても朝鮮平定は出来たかな?
南は台湾までは行けたと思うが

283:名無し三等兵
07/07/14 18:27:33
昌原あたりから西側を日本が保持していたから。
日本が防備体制を取る前に一回だけ釜山が攻撃を受けたが一過性の実行力では効果なし。
それ以降の日本根拠地への侵入は困難だし隣接地が殆ど。
深く釜山へ攻撃を命令されたとき李舜臣は拒否して更迭されたし、渋々実行した元均の艦隊は航海もうまくいかずに壊滅した。

284:名無し三等兵
07/07/14 20:10:40
とは言え釜山攻略が戦争目的では無いからな~

285:名無し三等兵
07/07/14 20:50:04
明軍も朝鮮軍も朝鮮農民も飢えている。
日本軍だけの事情では戦況を評価できない。

286:名無し三等兵
07/07/14 21:51:17
野戦火力で当時の日本は世界有数!
大砲は無いがマスケット銃歩兵を万単位で投入出来た国のはほとんど無い
全天候型の戦力でないが拠点攻防戦や会戦なら明朝連合軍など問題外

287:名無し三等兵
07/07/14 21:51:54
2万もいない朝鮮水軍だけで釜山を攻めるのは無謀だな

釜山が深いという事はない
日本水軍が朝鮮水軍拠点を攻撃して壊滅させている

288:名無し三等兵
07/07/15 09:26:45
朝鮮水軍が対馬を攻撃しない・・・しないのではなく、できない。
釜山を押さえて風待ちや補給や連絡ができない状態での対馬への渡海は無理。

これは日本の西上海上輸送案が空論なのと同じ理由なんだな。


289:名無し三等兵
07/07/15 09:51:02
釜山から対馬と巨済島から対馬は距離的に変わらん

290:名無し三等兵
07/07/15 09:55:50
何も対馬を占領するだけが攻撃じゃない。
博多~釜山間で対馬水道の朝鮮側での船団攻撃も出来ないのは…。

291:名無し三等兵
07/07/15 09:56:38
>>288
西上海上輸送って空論か?

292:名無し三等兵
07/07/15 11:00:32
>>291
いまから700年前当時でも300年前の元冦の時は江南から直接西海道に来冦した
中継地としても済州島は機能していた。そのため対馬壱岐も本土侵攻の直前に占領したに過ぎない
古代からの海の道なのに中世の航海術を舐めすぎ
当時でも潮流と風に左右されるものの自由に航海出来たよ
あえて言うなら陸兵が船酔いするから長距離航海が難しいだけ。水軍だけなら天津でも攻めれるよw倭冦だから

293:名無し三等兵
07/07/15 12:23:17
敵地を航行するのは危険

航行は夜中でも行っている

元冦を当てはめるのはどうかと思う

294:名無し三等兵
07/07/15 12:44:40
そりゃ当然、沿岸泊地の確保と現地住民の水先案内が前提だろう。
不可能とも思えないけど。

295:名無し三等兵
07/07/15 12:56:13
>>294
それで不可能な訳ねえだろ

296:名無し三等兵
07/07/15 13:00:09
だから空論とまで言う理由は何よ

297:名無し三等兵
07/07/15 13:08:59
>>294
軍事作戦としては失敗してるからどうかと思うが
元冦は上陸先になんら調略せずに侵攻して来た
太閤の朝鮮征伐が国内大名の弱体化を主目的で無く
真に領土的野心からならもう少し頭使ってるだろう
倭冦よろしく乱取り目当てで先ずは沿岸部を強略
明や朝鮮に倭冦取締りの為と称して大陸と半島に番所を設置許可を要望
番所→砦→根城に拡大し来るべき侵攻作戦の拠点と侵攻先の調略拠点にする
太閤が信長公の下西美濃や北近江、播磨、吉備を攻略するときは事前にしていたのだから
他国への侵攻は国内以上に慎重にするだろう
力攻めダケなのは負けなければ目的達成な為と思う

298:名無し三等兵
07/07/15 13:19:31
日本の拠点は順天から蔚山までだな
現地の武将は更に縮小の案を出したが

299:名無し三等兵
07/07/15 13:50:00
>>298
そうだね現実的には先ずは慶尚道から一歩一歩だてすると先ずは釜山の安全根拠地化
だとすれば釜山防衛拠点の整備と前進

300:名無し三等兵
07/07/15 13:54:01
元寇も敵地補給に失敗しているよな?

301:名無し三等兵
07/07/15 13:54:50
>>299
後付の理屈ならそうだろうが当初はもっと簡単に勝てると思っていたのだよ。

慶長の役でも朝鮮水軍のほとんどを撃滅しているし、李某が居なければ
もっと有利だったはず。

302:名無し三等兵
07/07/15 13:59:54
敵味方入り乱れる朝鮮混乱のなかで長距離複雑な海岸を平定するのが空論。

303:名無し三等兵
07/07/15 14:02:18
そりゃもっと簡単に勝てると思ってなきゃ天竺とか言うはずないわな

304:名無し三等兵
07/07/15 14:02:43
敵を排除して簡単に征服できると思っていたのだよ。

305:名無し三等兵
07/07/15 14:03:18
実際、陸戦では楽勝だったのだが・・・・

306:名無し三等兵
07/07/15 14:09:38
最初は朝鮮を丸々頂くつもりだった

次は下半分の領有を認めさせようとした

下半分頂いたらこっちのもんだがそりゃくれんわな

307:名無し三等兵
07/07/15 14:12:32
順天の向こうに更に拠点を置くのはどうかと思うな

308:名無し三等兵
07/07/15 14:19:37
順天は離れすぎ

309:名無し三等兵
07/07/15 14:20:48
イ・ビョンホンのファンイベント武道館での写真
URLリンク(www.mainichi-msn.co.jp)

同じ写真、朝鮮日報では、日の丸が白く塗りつぶされている
URLリンク(file.chosunonline.com)

それに関する電凸

728 :相良 宗介:2007/07/14(土) 20:22:19 ID:QTFveSeR
おーい、おまいらw
日本武道館に電凸したぞ。
俺  :7月12日のイ・ビョンホンさんの誕生日イベントで、武道館の天井に掲揚されている
    日の丸が真っ白になっている写真が、朝鮮日報のHPにあがってました。
    真っ白な旗を掲揚するなんてことは、あるんですか?
武道館:え!?(正直驚いた様子)別の旗を掲揚するなんて、そんなことはありえませんが…。
    すみません、どこのウェブサイトですか?(かなり勢い込んで)
俺  :朝鮮日報の日本語版ページです。まだ載ってると思いますよ。
武道館:えーと…このページかな?(画像を探してる)あ!――何だこれ…(呆然とした様子)
    これは…(声が震える)明らかに写真を改ざんしてますね。(明らかに怒ってる)
俺  :やはりそうですか。MSN毎日の記事では、ちゃんと日の丸が揚がってたから
    おっかしいな~と思ったんですよ。
武道館:(明らかに、怒りで声が震えてる)掲揚してある日の丸は、武道館の誇りです。
    それをこんな形で改ざんするなんて、人として許される行為じゃありません…
    関係各所に調査の上、断固として抗議します。
俺  :抗議するとしたら、まずはイベントの主催者と朝鮮日報の日本支社でしょうね。
    神聖な場所に掲揚された国旗を穢した連中を、絶対に許さないで下さい。
武道館:もちろんです。わざわざのご連絡、ありがとうございました。
俺  :いえ、とんでもありません。お昼の時間にすみませんでした。


310:名無し三等兵
07/07/15 14:39:25
まあ今は後知恵で語るしか無いからね
仮に朝鮮征伐しなくて内向的な豊家政権が続いていたら
結局内乱になってるだろ
秀吉を評価し過ぎかもしれないが
朝鮮南岸に拠点を持てれば外敵を常に創造できる
対外戦争中の政権はある意味求心力が生まれる
故に幼い鶴松や秀頼が大きくなるまで時間が稼げると考えたのかと思ってた

311:名無し三等兵
07/07/15 16:13:06
>>302
海岸全部を平定する必要があるという前提が間違い

312:名無し三等兵
07/07/15 17:18:08
海岸沿いに航海と停泊を繰り返すのに敵や飢餓民が屯する未制圧海岸で襲われたらイチコロだよな?
それと気象と季節による航海の不確実性や自然消耗、それに修理や航海のための補給を考えてないだろお前?

313:名無し三等兵
07/07/15 17:31:36
>>302は陸路にも大いに当て嵌ることなんだがな。
むしろ、ゲリラ的な襲撃は陸路のほうが危険性が高い。
航海の不確実性や自然消耗、補給を考慮しても陸路よりは遥かにマシ。
海岸沿いに航海と停泊を繰り返す為に、朝鮮水軍自身も拠点を作ってる。
なんで、何もない海岸でいつも停泊するとか思うんだ?

314:名無し三等兵
07/07/15 17:43:35
どこまで進めるか不確実だからじゃないの?
戦国時代も孤立拠点を先において海路連絡で長期保持した例はないんじゃないか?
普通陸路連絡ができなきゃ本国へ帰るのが常識だろ。
遠征軍も政治的な交渉で漢城に留まったが、軍事的に常識的なラインへ戻っている。

315:名無し三等兵
07/07/15 17:47:38
海路補給するなら沿岸を押さえる必要がある
船だけでなく拠点も襲われる

316:名無し三等兵
07/07/15 17:48:30
プサンからソウルなら陸路の方が支配面積も連絡も確実だよね。
海岸制圧に何十万の大軍と時間を投じるつもりなんだか。

317:名無し三等兵
07/07/15 17:50:05
>>314
石山本願寺
紀伊根来寺


318:名無し三等兵
07/07/15 17:54:09
>>316
全羅ががら空きですが?

319:名無し三等兵
07/07/15 17:54:42
なんだまたおかしくなって来たなw

320:名無し三等兵
07/07/15 17:57:51
>>314
三崎城の例がある

321:名無し三等兵
07/07/15 17:58:58
漢城は維持出来ない
相手が降伏でもすれば別だが

322:名無し三等兵
07/07/15 17:59:55
実際に小荷駄隊が襲われまくってるからなぁ。

323:名無し三等兵
07/07/15 18:03:46
慶長の役は代官置いて駐屯せず沿岸に帰った

324:名無し三等兵
07/07/15 18:05:10
石山本願寺は信長の調略で連絡海岸を支配されて周囲の水軍が離反してから講和に応じたよね。
この場合、瀬戸内海は参考になるのか?

325:名無し三等兵
07/07/15 18:13:34
全羅道の打通は慶長の役を見ても可能。
でも津々浦々を制圧するには五年かけて作った水軍が同時呼応で並進しないとダメ。

順天の連絡が保てたのは日本が泗川や南海島、巨済島、固城、熊川などを保持していたから。
この範囲だけで五万ぐらいは兵が必要。


326:名無し三等兵
07/07/15 18:24:31
根来寺と三崎城の例はいつのどんな例?

327:名無し三等兵
07/07/15 18:42:22
孤立無援の城塞はいずれ落ちる!
ビサンチウムしかり
コレヒドールしかり

328:名無し三等兵
07/07/15 18:47:19
そりゃー完全包囲されてればな。

329:名無し三等兵
07/07/15 20:58:31
蔚山も順天も援軍がなければ落ちていた。
そして援軍のうち海路で来られたのは味方制圧下の海岸であったため、機動が可能であった。
敵地海岸だったら手探りの進出となり難しかったろう。

330:名無し三等兵
07/07/15 20:59:18
西南の役の熊本鎮台は落ちなかったぞ!

331:名無し三等兵
07/07/15 21:10:49 tfyYhtCf


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332:名無し三等兵
07/07/16 02:24:20
明の兵站もかなり脆弱では?また、朝鮮は部隊の再編能力すら脆弱になってると思うが?
明朝軍に釜山奪還は無理だろ
太閤が東国諸藩軍の後詰を送ってればかなり押し戻したと思う
鶴松暗殺は大明の仕業かw

333:名無し三等兵
07/07/16 04:44:24 +DXR6hEP
まあ朝鮮に戦を仕掛けるのは日本人の心に朝鮮に対する劣等感があったのは否定できないw
なぜかって、日本の歴史はアメリカのインディアンの歴史とそっくりだからだ。
ちょうど白人が大陸を開拓してアメリカを築いたのと同じく
倭族の原住民しかいない所に朝鮮半島の渡来人が来て文化を授けてあげた。
その朝鮮文化がルーツ、基盤になってるので 今の日本文化、もある意味、韓国の文化とも言える。
この劣等感を隠すために朝鮮を征服する夢を見たのだろうww

334:名無し三等兵
07/07/16 05:42:06
三軍ともに兵站(というより食料)が巧くいかなかったのは、
平時の朝鮮統治がヘボで毎春餓死者が出るような低生産性かつ農民の自治無能のため、
余剰食料の絶対数が過少で半焦土化したところで戦争したので自治能力の低い農民社会が崩壊、
耕作を放棄して飢えた流民が隣接地の農民を襲う大陸的人口崩壊の連鎖で社会は混乱。
慌てた朝鮮王朝が農民を徴兵したり夫役に動員して男子労働力を奪われた農村社会の崩壊を一層加速させた。

日本の強力な村社会や君主交代時のスムーズな対応をは朝鮮社会に望むは無理だった。
朝鮮人の殆どは損得勘定さえできずに自滅的逃亡や略奪生活に走って朝鮮軍さえ襲った。
秀吉も朝鮮を一揆の国と認識するのに時間がかかった。

335:名無し三等兵
07/07/16 08:59:03
いや中世の軍隊とは土地の食料他を収奪しつつ進むモノで、一所に留まると
地域の食料全部を収奪し尽くしてしまい、兵士達が飢えに苦しむ結果となるのは
ごく普通の現象なのだよ。
後方から補給物資が届かなければ、常に移動し続けなければならない。

336:名無し三等兵
07/07/16 09:28:36
なのに、漢城の補給を維持するには海上補給が必須とかほざく奴がいるとは軍板も嘆かわしい時代になったもんだ。

中世遠征軍の補給は現地調達が基本。百回復唱しろ。

337:名無し三等兵
07/07/16 09:37:04
ペンペン草作戦!(別名:イナゴ作戦)
侵攻地に草木一本すら残さず土地支配にこだわらない作戦
支配の基本は人と路であり面や点の支配は行なわ無い
名前の由来:侵攻痕にペンペン草すら生えない事から

338:名無し三等兵
07/07/16 09:38:19
>>336
必須なんて誰も言ってないと思うが…

339:名無し三等兵
07/07/16 09:49:22
いや必須だろうに。釜山から陸路補給だと漢城にさえろくに補給が届かなかった。
もちろん更に北の平壌への補給なんて無理だし、ましてや明国征服なんてアホかと。

水運の助け無しに小部隊ならともかく、大兵力の派遣は無理。

340:名無し三等兵
07/07/16 09:52:36
>>333
半島で文化が発芽した時期に既に倭国にはクニが成立していた痕跡はある。土器や農耕遺跡も半島より古いモノが多い。
あえて半島より倭国が導入したのは鉄!国内産地が限定されまた強度がそれまでの青銅などより遥かに強力な為にこぞって半島より求めた
温暖で農林水産物に恵まれた倭国はいにしえより蓬莱などの仙人仙女の住まう土地に喩えられた東アジア文化圏のオアシス
むしろ海を渡れず気候の厳しい半島でしか暮らせ無い流民はひがんでいたし、倭国にとって半島は支那に対する防波堤と交易中継地。

341:名無し三等兵
07/07/16 10:00:44
古代の話はスレ違いのような・・・・

342:名無し三等兵
07/07/16 10:08:08
ほら機帆線を前提にした時代錯誤の近代戦感覚で語る奴は後を絶たない。

343:名無し三等兵
07/07/16 10:11:33
近代とは違うと言っても、戦国時代の武士が物を食わずに戦えるわけじゃないからな~

344:名無し三等兵
07/07/16 10:12:22
>>339
で、無理に行うと蝗軍や三十年戦争
戦国日本でそういう事例が(比較的)少ないのは細長い国をぐるりと海岸線で囲まれてる上、
平野には一定以上の河川があるから(後、米という生産性の高い穀物も大きな要因)

そういえば略奪が凄いといわれた武田軍が山中の軍というのはそういう事なのかな?

345:名無し三等兵
07/07/16 10:13:58
>>339
で、無理に行うと蝗軍や三十年戦争
戦国日本でそういう事例が(比較的)少ないのは細長い国をぐるりと海岸線で囲まれてる上、
平野には一定以上の河川があるから(後、米という生産性の高い穀物も大きな要因)

そういえば略奪が凄いといわれた武田軍が山中の軍というのはそういう事なのかな?

346:名無し三等兵
07/07/16 10:45:04
いや、戦国時代に長期遠征は稀だから。
秀吉の時代とか謙信の小田原攻めとか以外は基本的に隣接地への短距離進攻。

347:名無し三等兵
07/07/16 11:15:09
>>346
備付きの小荷駄では手持ちも併せて一週間しか保たない。
つまりそれ以上は外部より兵糧を調達する必要が生じる。

348:名無し三等兵
07/07/16 12:17:32
慶長以後は刈り入れの時期に攻撃して沿岸部に帰る戦略だ
すぐ秀吉が死んでしまったが

349:名無し三等兵
07/07/16 18:52:00
律令時代の防人はどうしてたの?飯干を自分で用意してた様な記憶あるけど?
戦国期も同じじゃない?

350:名無し三等兵
07/07/16 20:15:33
>>349
雑兵の手持ちは精々3日分。
それ以上は無理だから、何らかの方法で調達したと考えるのが妥当。
律令制なんて机上の空論が多いから、書いてあることを真に受けると危険。

351:名無し三等兵
07/07/17 02:15:06
防人分の食料は直轄領から調達してたんでは?公営田とかの試みもあったし。
だいたい拠点で防御するのと、進軍するのとでは補給量と大変さが違う。先行する部隊を追い
かけるだけでも(補給部隊は)大量に食料を消費するわけだし。

海上輸送の必要性を否定している人がいるけど、言葉も通じない敵地で即座に収税(簒奪)を
効果的に行うのは難しいし(この点が戦国期の国内の戦いとの大きな違い)、海上補給があれ
ば長期間にわたって拠点維持が可能なことは多くの戦史で証明されてる。
戦国期でも石山本願寺(十年もったんだっけ?)があるくらいだし。

八道国割をせずまず全羅道を制圧してれば釜山~漢城までの(ここ以外の朝鮮半島を抑える意
味は薄い)の支配は可能だったと俺は思う。何せ陸戦ではほとんど負けてないんだし、補給で
苦しむのは明軍も同じわけで。

ただいずれヌルハチが台頭したら蹴散らされてただろうから、日本のその後にとって大した意
味はなかっただろうね。

352:名無し三等兵
07/07/17 06:56:04
機帆線→機帆船

353:名無し三等兵
07/07/17 12:14:56
>>351
防人は負役だから全て自前村郷単位で人を出す税の一種だよ
逃亡者続出で制度崩壊していたはず

354:名無し三等兵
07/07/17 12:15:23
> 古代史

そう言えば朝鮮出兵の際、古代の神功皇后の三韓征伐の話が引き合いに出されていた。
当時の日本にとって朝鮮は属国と言う意識だったらしい。日本に従って当然と。


355:名無し三等兵
07/07/17 13:03:41
>>354
そんな負けいくさの話するから中止に老い込まれる

356:名無し三等兵
07/07/17 13:08:11
神功皇后のときは圧勝だったはずでは?

357:名無し三等兵
07/07/17 14:10:09
>>356
そうだねw勘違いだ!

358:名無し三等兵
07/07/17 18:15:50
海上輸送の必要性を否定している人いるか?

359:名無し三等兵
07/07/17 19:05:14
>>336じゃないの?


360:名無し三等兵
07/07/17 19:40:45
>>336の百回復唱とかいうのはどうかと思うが、言ってる事は同意だな

361:名無し三等兵
07/07/17 20:40:02
>>360
水運が使えん場所ではという但し書きは要るけどね

362:名無し三等兵
07/07/17 21:27:48
>>356
ええと、大本営発表

363:名無し三等兵
07/07/17 21:34:08
フリードリヒ大王も対ナポレオンのロシア軍も水運が可能なら、最大限活用してるな。

364:名無し三等兵
07/07/18 11:20:23
朝鮮に上陸した兵員数約15万人って、現代の陸上自衛隊の全兵員数
(平成17年3月31日現在)14万7737人とほぼ同じ。

この時代としては物凄い規模。補給を考えないで派遣するなんて有り得ない。

365:名無し三等兵
07/07/18 18:44:35
それは朝鮮を攻めるためなのか?

366:名無し三等兵
07/07/19 00:54:48
まあ普通に補給は準備してたんだろうけど、李氏朝鮮は道路整備をあまりしなかった
し、その上連戦連勝であっというまに漢城までいっちゃったと。

367:名無し三等兵
07/07/19 04:36:52
漢城どころか平壌まで行ってるし。

漢城を落としたところで講和に持ち込めなかったのが失敗だな。
この時点で北上を止めて、半島南部の制圧に方針を切り替えれば何とかなったかも知れないが
平壌まで補給線を伸ばした後では兵力不足。

368:名無し三等兵
07/07/19 06:20:57
つまり、これから明や天竺を征服しようという軍が、朝鮮すら抜けずに侵攻を諦めろと。
太閤殿下に切腹を命じられてもおかしくないな。

369:名無し三等兵
07/07/19 09:50:35
実際、朝鮮すら抜けなかっただろ?

15万を派遣したと行っても、それをまとめる現地総司令官がいないんだから
太閤殿下も耄碌したとしか言いようがない。

370:名無し三等兵
07/07/19 10:15:46
>>369
力を持ち過ぎた武闘派の子飼い大名や毛利系や島津への負役に侵攻作戦を展開したんだから太閤はもうろくしてない。
あえて指摘するなら北条の旧領へ転封した徳川がもっと内国経営に手間取ると考えていたのが読み違いだった。もっと佐々や後年の山内の様に地侍の対応で疲弊すると見ていた。
上杉、伊達も転封し盟友の前田と養子の宇喜多以外の有力大名の力を削ぐのが狙いだから朝鮮征伐は政治的に成功だった。
あとは慶尚全羅などの実利を得て恩賞を与えるとともに、外敵を創造する事により全国の大名にさきもりの負役を与える事が出来る。

371:名無し三等兵
07/07/19 10:22:46
それが全部裏目に出てるんだから、耄碌としか言いようがないだろ。

372:名無し三等兵
07/07/19 12:23:19
>>370
いや単に明国を征服しようとしたんだと思うよ。本人の表明してる通り。

373:名無し三等兵
07/07/19 18:12:47
もっとしっかりとした計画と準備さえしていれば、もっと違ったと思うんだがねぇ。

374:名無し三等兵
07/07/20 01:41:13
倭冦ですら内陸まで侵攻していたし、高麗は結果滅亡した。
倭冦は数百艘の大船団で集落を掠狩して資財を奪い人をかどわかした。
松浦党や平戸党に出来て小西や九鬼や来島や村上に出来ないはずが無い。

375:名無し三等兵
07/07/20 17:08:16
>>309
面白いなww

376:名無し三等兵
07/07/22 00:44:56 HpsnOQvQ
URLリンク(www.flickr.com)
ちょいとお尋ねしたいがこんな韓国の鎧は日本の鎧と設計思想って違うの?

377:名無し三等兵
07/07/22 09:17:10 pToSlLbq
>>376
朝鮮のはスケイルアーマー
URLリンク(ja.wikipedia.org)

日本はラメラーアーマーが祖であるが、例によってお得意の「日本の独自化」で大鎧・胴丸になった後、更なる進化を遂げて
当世具足へと至る(ここまで来ると別物)

日本の具足の発展は律令制崩壊以降、装備の自弁が行われた為、多少のメンテナンスを考慮しなくなった結果として大鎧
が生まれ、その後は徒歩戦と集団戦化に伴い、余計な箇所の簡略化とその代わりの小具足の充実が行われる様になる。
この簡略化ではラメラーに回帰するのではなく、縫延・素懸から板札へ至る板金化という西洋に近い変遷を辿るようになり、
ここで柔構造であるラメラーを用い続けてた朝鮮・中国とまったく異なる重要部に硬構造、その他に柔構造といった当世具足
が成立する様になる。
この硬・柔構造の違いが鉄砲を用いた戦闘時に大きく影響するようになった。

378:376
07/07/22 11:04:29 63F9gJsm
解説アリガトウ。
素人目にぱっと見たところ韓国の鎧は薄く広く体を覆い、刀への防御をメインにしているが
日本のは(当世具足は特に)重要部の装甲を厚くして鉄砲や弓矢への防御を重視している感がするなぁ。

379:名無し三等兵
07/07/23 07:00:02
水軍に幻想を抱いてる奴は痛すぎ

380:名無し三等兵
07/07/23 20:01:41
朝鮮水軍のことかね?

381:名無し三等兵
07/07/23 20:30:05
どれもだな

382:名無し三等兵
07/07/23 21:36:50
時代は村上水軍だろう

383:名無し三等兵
07/07/25 07:07:09
>>382
それ倭寇だろ?
倭寇は参戦してないんじゃないか?

384:名無し三等兵
07/07/25 18:39:05
URLリンク(www.alles.or.jp)

385:名無し三等兵
07/07/25 19:09:51
>>383
倭寇じゃないよ

386:名無し三等兵
07/07/25 20:33:21
なんで近代船舶や近代補給を前提に朝鮮役を語りたがるバカが後を絶たないんだ?

387:名無し三等兵
07/07/25 21:04:33
4スレ目 兵どもが 妄想の跡

388:名無し三等兵
07/07/25 21:05:45
>>386
そうじゃないと真っ当な作戦が語れんから

389:名無し三等兵
07/07/25 21:21:48
>>386
>補給を前提に

それを前提にしてなかったとすれば日本軍が自滅して当然だから。

390:名無し三等兵
07/07/25 21:24:06
李舜臣が >>201 のように見抜いていたとしたら、彼は近代的な戦略眼を持っていたことになる。

391:名無し三等兵
07/07/25 21:25:38
>386
麻疹みたいなもの。
「補給は大事」ってところから、「補給万能」まで暴走するのは軍事に興味を持ったやつの初期症状。
それに加え、朝鮮の役の場合は嫌韓が自説を語るのに手頃なネタだから連続無限ループする。

392:名無し三等兵
07/07/25 21:26:44
>>386
具体的に

393:名無し三等兵
07/07/25 22:13:26
ついでに戦国日本では他の地域(欧州・中国)等と比べて、あまり過酷な略奪という話が無いから。
支配者が変われば、割合穏便に食料を出す代わりに、乱暴狼藉の禁制を貰うというシステムが出来上がっていた。
仮に交渉が纏まらずに略奪を受けることになっても、武器を携えて山中へ逃げている。
こうなると雑兵個人の略奪ではどうしようもないし、大名も余計な恨みは買いたくないから、スルーする。

尤も、それでも捕まった連中はいるし、その末路はかなり悲惨なものであったようだが。

394:名無し三等兵
07/07/25 22:46:40
"近代"補給の近代を無視するあたりが厨品質

395:名無し三等兵
07/07/25 23:11:48
>>394
「中世・近世」補給も西と東じゃ随分異なる
特に地勢的な問題で

396:名無し三等兵
07/07/26 10:10:39
たまには明軍・朝鮮軍の補給について語れ。

397:名無し三等兵
07/07/26 19:46:25
結論が出て仮想戦記ループが始まったから放置してたら、今度は見えない敵と戦ってる奴がいてワロタ
多少まともな相手とまともな話にならんと参加する気にならんのよね
たかが2ちゃんのスレを維持する気は毛頭ないし
議論ならリアルでやった方がサクサク進むからな

398:名無し三等兵
07/07/26 20:01:30
そう思うなら書き込まずに黙ってりゃいいのに
わざわざ煽らないと気が済まないんだな

399:名無し三等兵
07/07/26 20:13:31
仮想戦記と言う割には具体論を出せないんだよな。

400:名無し三等兵
07/07/26 21:54:55
もう本のタイトルしか書かねえよ
一々合わせるのも面倒だ
過去スレに大抵の事はあるしな

401:名無し三等兵
07/07/26 22:03:10
大体ネットの書き込みなんぞで疑問は解けないんだよ
結局自分で調べるしかない
ここで長文でも本では半ページとか数行だしな
リアルなら話が進んでも、ネットでは堂々巡りが永遠に続く

402:名無し三等兵
07/07/26 23:25:32
だったら黙って本のタイトルだけ書き込むなり、やめるなりしろよ
だらだら愚痴ってんじゃねえよw 同情が欲しいのか?

403:名無し三等兵
07/07/26 23:28:13
初心者質問スレでも、「もう寝る」とか「もう来ない」とかいちいち書いて喜んでる奴がいるが
同じ人かね

404:名無し三等兵
07/07/26 23:56:32
つうか朝鮮役系の殆どの本って偏向されているじゃん。

405:名無し三等兵
07/07/27 00:00:40
>>393
乱取りはあったよ。
戦に勝ったら村をさらってまとめて奴隷として南蛮人に売ってしまう。


406:名無し三等兵
07/07/27 19:26:47
>>405
一村丸ごと奴隷は最悪のパターンでしょう。
そんな事して自領になったら、後が大変ですし

407:名無し三等兵
07/07/28 01:47:08
日韓の資料を使って分析した内容に偏向の無い朝鮮役の軍事研究本ってある?

408:名無し三等兵
07/07/28 08:49:41
>>406
自領にするつもりがないならやる。

409:名無し三等兵
07/07/28 09:05:51
>>408
そりゃ、戦国時代は領土拡張戦争が総てというわけではありませんが、
相手の土地を将来的にも取る気は無くただ荒らすだけという戦争が
どの程度あったかにもよりますし、その内に人員の略取がどの程度
あったかを考える必要があると思います。

地域差もあるでしょうし。物資の西国、制度の東国のように

410:名無し三等兵
07/07/28 09:07:33
>>408
そりゃ、戦国時代は領土拡張戦争が総てというわけではありませんが、
相手の土地を将来的にも取る気は無くただ荒らすだけという戦争が
どの程度あったかにもよりますし、その内に人員の略取がどの程度
あったかを考える必要があると思います。

地域差もあるでしょうし。物資の西国、制度の東国のように

411:名無し三等兵
07/07/28 11:52:13
奴隷輸出は鎖国政策を取った一因の一つだぞ?

412:名無し三等兵
07/07/28 11:59:03
>>411
問題になったのはどちらかというと傭兵の方

413:名無し三等兵
07/07/28 12:01:33
要因の一つと言ってるんだろう

414:名無し三等兵
07/07/30 15:20:01
「乱取り」の語源になった人攫いのことか。
奴隷を買い取ったのは主にイギリス船だったらしいな。

415:名無し三等兵
07/07/30 16:48:16
それトンデモって聞いたけどガチ度はどれくらい?

416:名無し三等兵
07/07/30 18:39:30
乱取りのことは剣術家の田中 普門さんの古流剣術という本にも書いてあったな
柔術の起源を書いた古伝書に書かれてるとか
というか武道家の豆知識のひとつだろう

417:名無し三等兵
07/07/30 18:50:00
乱暴乱取りの如きあさましい行いは武士にあるまじきことだから厳に慎めという内容だったかな?
それで縄で縛りつけた物を試し斬りにすることは乱暴乱取りにも通じるから、試し斬りはするな。
どうしても必要な場合は固定せずに地面に直に置いたものを斬れという教え。

418:名無し三等兵
07/07/30 20:31:15
>>415
雑兵たちの戦場、オススメ

419:名無し三等兵
07/07/30 20:34:50
釜山港周辺を割譲させてそこに各大名を駐屯させる
家康の参勤交代と目的は同じで豊臣家の安泰の為だけの出兵でしたと

420:名無し三等兵
07/08/01 09:35:05 XF4llluw
それなんて任那日本府?

421:名無し三等兵
07/08/02 02:35:30
慶尚、全羅、濟洲の割譲で赦す!琉球、高山、呂床の宗主権も得ていざ南蛮平定へ!

422:名無し三等兵
07/08/02 20:08:54
釜山港が安全ならいつでも援軍をおくれるからな
どれくらいの兵力がいればいいんだ?

423:名無し三等兵
07/08/03 00:02:27 GM7snCsl
日韓の信頼できる資料で朝鮮の役を検証した歴史本でオススメなのは何かある?

424:名無し三等兵
07/08/03 13:43:42
元寇についての軍事分析スレは無いのか?

425:名無し三等兵
07/08/03 17:36:59 WgkwxY3B
実際は四万ぐらいで守っていた。
当然。緊急後備は必要だろうな。

426:名無し三等兵
07/08/04 11:11:55 unJFdsnH
4、5万でも余裕で南部を保持出来た。
やる気次第で長期占領も可能。

427:名無し三等兵
07/08/04 23:42:57 BQP+/crf
慶尚全羅濟洲だけなら明事不介入w

428:名無し三等兵
07/08/05 13:37:51
唐、天竺の征服と言う大望を理解しえない小心どもが(怒)。

429:名無し三等兵
07/08/05 17:16:11
>>428
妄想乙!当時でも朝鮮征伐は国内政治事情だと誰しも理解墨!
外敵が無いと求心力が無くなる政権事情w

430:名無し三等兵
07/08/05 21:18:24
でも豊臣政権が大阪幕府開くと下品な歴史が始まる予感

431:名無し三等兵
07/08/05 23:00:13
>>430
たぶん開幕はしないだろ
清盛みたいに公家社会を
利用して統治すると思う
各地に鎮台を置き軍事を
集約して封建制度で無く
俸給で官吏として任官し
領地と支配を分離する。
中央集権制度を加速させ
大老や奉行(官僚)による
立憲君主制度が確立され
産業革命が起こっていた
かもしれない。

432:名無し三等兵
07/08/05 23:10:04
>>380
征夷大将軍よりも、より位の高い関白に就任したから開幕しなかっただけかと。
徳川政権が長かったから、征夷大将軍を至高の地位にあると現代人は思いがち。

433:名無し三等兵
07/08/05 23:12:12
すまそ、>>380じゃなくて >>430 だった。

434:名無し三等兵
07/08/05 23:18:39
それより関ヶ原で西軍が勝っていたら
諸々の停滞は起きなかったかもな。

435:名無し三等兵
07/08/06 03:11:59 /YtptuqL
秀吉なら都を博多に移しているかも知れんな

436:名無し三等兵
07/08/06 10:10:50
横光先生の伊達政宗で言っていたように、ありあまる金塊の一部を朝鮮王の前にドンと置いて、明へ案内しろといったら
案内してくれただろうに。

437:名無し三等兵
07/08/06 14:36:44
665 名前:日本@名無史さん 投稿日:2007/04/12(木) 23:50:27
徳富蘇峰の近世日本国民史に、秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録がのっています。

『キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいぱかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく
縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫ぴ、わめくさま地獄のごとし』

改宗ユダヤ人であるザヴィエルは日本をヨーロッパの帝国主義に売り渡す役割を演じ、ユダヤ人で
マラーノ(同じく改宗ユダヤ人)のアルメイダは、日本に火薬を売り込み、交換に日本女性を奴隷船に
連れこんで海外で売りさばいたボスの中のボスであつた。

キリシタン大名の大友、大村、有馬の甥たちが、天正少年使節団として、ローマ法王のもとにいったが、
その報告書を見ると、キリシタンの悪行が世界に及んでいることが証明されよう。
『行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につく。ヨーロッパ各地で50万もいるという。
肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない。
鉄の伽をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、白人文明でありながら、何故同じ人間を
奴隷にいたす。 ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドやアフリカまで売っている』

438:名無し三等兵
07/08/06 15:12:28
 「(日本)国民は非常に勇敢で、しかも絶えず軍事訓練を積んでいるので、征服が可能な国土ではない」
 イエズス会東インド巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノ

シナを征服すれば多大な利益。日本人を傭兵に使えば容易に征服可

 「シナの厖大な財宝を手に入れる事ができ、第6にそれを用いて、すべての敵をうち破り短期間で世界の帝王となることができよう」
 「彼等(日本人)は打ち続く戦争に従軍しているので、陸、海の戦闘に大変勇敢な兵隊であり、月に1エスクード半または2エスクードの
  給料で、暿暿としてこの征服事業に馳せ参じ、陛下にご奉公するであろう。」

イエズス会日本布教長を努めたフランシスコ・カブラル、スペイン国王への手紙

439:名無し三等兵
07/08/06 15:13:25
秀吉と日本準管区長ガスパル・コエリョ(イエズス会日本最高責任者)

 秀吉が「日本を平定した後は、シナに渡るつもりだ」と述べると、その時には2艘の船を提供しよう、と申し出た。
 当時、日本には外航用の大艦を作る技術はなかったのである。

 翌々年、天正15年(1587)に秀吉が九州平定のために博多に下ると、コエリョは自ら作らせた平底の軍艦に乗って、
 大提督のような格好をして出迎えた。日本にはまったくない軍艦なので、秀吉の軍をおおいに驚かせたという。


奴隷貿易と秀吉
 「ポルトガル人が多数の日本人を奴隷として購入し、彼らの国に連行しているが、これは許しがたい行為である。
 従って伴天遠はインドその他の遠隔地に売られて行ったすぺての日本人を日本に連れ戻せ。」
 (豊臣秀吉、準管区長コエリヨに対して命ずる)

 秀吉は九州を一巡し、キリシタン大名によって無数の神社やお寺が焼かれているのを見て激怒していた。
 秀吉は軍事力を誇示するコエリョに、キリシタンの野望が事実であると確信し、その日のうちに宣教師追放令を出した。

440:名無し三等兵
07/08/06 15:13:51
キリシタンによる反乱計画とその失敗

>  コエリョはただちに、有馬晴信のもとに走り、キリシタン大名達を結集して秀吉に敵対するよう働きかけた。(有馬は応じなかった)
> 
>  コエリョは次の策として、2,3百人のスペイン兵の派兵があれば、要塞を築いて、秀吉の武力から教界を守れるとフィリピンに
>  要請したが、その能力がないと断られた。コエリョの集めた武器弾薬は秘密裏に売却され、これらの企ては秀吉に知られずに済んだ。

441:名無し三等兵
07/08/06 15:14:11
> 秀吉の朝鮮出兵の動機については諸説あるが、最近では、スペインやポルトガルのシナ征服への対抗策であったという説が出されている。
> スペインがメキシコやフィリピンのように明を征服したら、その武力と大陸の経済力が結びついて、次は元寇
> の時を上回る強力な大艦隊で日本を侵略してくるだろう。
> 
> そこで、はじめはコエリョの提案のように、スペインに船を出させ、共同で明を征服して機先を制しよう、と考えた。しかし、
> コエリョが逆に秀吉を恫喝するような態度に出たので、独力での大陸征服に乗り出した。
> 
> その際、シナ海を一気に渡る大船がないので、朝鮮半島経由で行かざるをえなかったのである。

キリシタン宣教師達は、日本やシナをスペインの植民地とすることを、神への奉仕と考えた。
URLリンク(www2s.biglobe.ne.jp)

442:名無し三等兵
07/08/06 17:44:28
まあ広くいろんな本を読んで検討してくれ

443:名無し三等兵
07/08/06 19:10:46
朝鮮・中国の相手ばっかりじゃありきたり。ヨーロッパとの関連も検討した方が良い。

444:名無し三等兵
07/08/06 21:19:10
そうか!朝鮮を、中国を救う為に秀吉はたたかったんだね!
李舜臣は本当にわるいやつだね!

445:名無し三等兵
07/08/06 22:38:15
>>436
まあ、蟹は甲羅に合わせて穴を掘るというが、日和見な機会主義者の伊達政宗の発想を
見事に表現しているな。石田三成の忠義を理解できなかったのも無理は無い。

446:名無し三等兵
07/08/07 15:48:14
>>445
日和見な機会主義者じゃない戦国大名ってだれ?

447:名無し三等兵
07/08/07 23:23:55
島津、大谷、宇喜多当たりはそうじゃないかな。
織田信長も日和見とは言い難い。
あと、考え無しで後々後悔する
福島政則なんかも・・・これは戦国大名とは言い難いか。

448:名無し三等兵
07/08/07 23:56:38
いや、島津は日和見だろう。

449:名無し三等兵
07/08/08 00:02:48
島津は日和れなかった感じがするけどな。

秀吉に楯突いて征伐されるし
距離を置きたかったのに、気がついたら
西軍に入っていたり、
逃げようと思えば、いつでも何処へでも逃げれたのに
東軍本陣を突っ切って堺へ行ったりと。

450:名無し三等兵
07/08/08 10:29:31
真田安房守昌幸!

451:名無し三等兵
07/08/08 10:40:26
真田家の主家の変遷
海野→上杉(扇)→武田→織田→上杉(長尾)→徳川→豊臣
真田家の敵対者の変遷
武田→村上→長尾→織田→北条→徳川
変節日和見風見鶏も致し方無し!

452:名無し三等兵
07/08/09 01:08:34 NVJIrIf8
真田家は正直本拠地の位置がまずすぎた。
あんなとこからじゃ天下とるなんて無理。
もっと開けたところで京都に近ければ天下人にもなれたかもしれんのに。
才能の無駄使いすぎ。

453:名無し三等兵
07/08/09 15:46:23 Wjba0ehD
585:日本@名無史さん :2007/08/09(木) 08:57:24
むしろ撤退したから秀頼政権が潰れたんであって、継戦していたら豊臣政権も安泰だったのでは?

454:名無し三等兵
07/08/09 16:53:05
>>453
秀頼政権が継戦を指示して、戦争維持できる政権だったら

撤退しても安泰だったろう。


455:名無し三等兵
07/08/09 17:36:24 Q1NNoGzb
秀吉は馬鹿。明国征伐など途方も無いことを考えなかったら
泰平時代は2,30年は早くやってきただろう。

笑えるのは、日朝貿易で利をあげようとする小西とかの意見を鵜呑みにして
朝鮮を属国と見なしていたことと、明のこの地は、だれだれに呉れてやろう、
いや、インドまで版図を広げるぞ とか夢想していたこと。
モウロク爺となっていたことだなw

朝鮮出兵ははっきり言って国を挙げての戦争ではなく秀吉の道楽。

456:名無し三等兵
07/08/09 17:48:18 Q1NNoGzb
秀頼は淀のブクブク膨れたお人形。
どうなろうと、豊臣は2代限り。

457:名無し三等兵
07/08/09 18:19:27
そんなに太っていたのか?

458:名無し三等兵
07/08/09 20:33:28
順番に出征させりゃいいじゃん。
家康とか景勝とか利長とか弱らせりゃ。

459:名無し三等兵
07/08/10 01:53:01 +Fynm2Ee
>>457
秀頼の外観はどっかの外国使者による本に書かれてる。
あと、おそらく秀吉の実子ではないよ。
秀吉は女好きで側室をたくさん抱えていたが結局子は一人も出来なかった。
秀頼は見た目も秀吉に似ていないらしく、淀の男癖などからry

460:名無し三等兵
07/08/10 03:21:36 oyjE9H1d
秀頼産む前に秀吉の子供孕んでるんだが>淀

461:名無し三等兵
07/08/10 06:39:33 zfClka3v
戦争を止めたから矛盾が出た。

462:名無し三等兵
07/08/10 06:57:44
>>459
淀君と北政所以外との間に子ども作ってるんだが。

463:名無し三等兵
07/08/10 07:56:37
>>462
北政所の子ってだれ?

464:名無し三等兵
07/08/10 08:18:55
「その二人以外」ね

465:名無し三等兵
07/08/10 08:21:58
石松丸って実子なの?

466:名無し三等兵
07/08/10 10:27:57 FsGH8ZiQ
逆に秀吉に討伐されたからこそ
九州は親豊臣だったといえるんじゃね

九州勢のほとんどが西軍に付いたのは

九州大名の感覚が
「豊臣、毛利が戦をはじめるんだって、毛利と豊臣怖いよー。はやく助けにいかに泣きゃ」
「徳川? なにそれ? 食えるの?」
みたいに。知名度に差があったから。
徳川は九州征伐に参加してないからなー

467:名無し三等兵
07/08/10 10:30:56 FsGH8ZiQ
秀吉は家康よりも西国大名を警戒していたし
朝鮮出兵も西を弱らせる為のものであったが
不幸にも最終的にはその西国が味方で、東側が敵に付いてしまった

468:名無し三等兵
07/08/10 18:12:07 +Fynm2Ee
朝鮮出兵は単に秀吉の野心だよ。日本統一後の楽しみとして。
天皇には中国の帝になっていただくとか言ってるし。
秀吉自身、負け戦となったと知って、朝鮮で名誉ある戦死をしようと出征しようとしたし。
出兵した大名は弱ったが、作戦らしきものもない戦だったのでこれはしょうがない

469:名無し三等兵
07/08/10 21:14:22
純粋に信長の野望を継いだという説もあるよな。
信長なら半島ごときではああはなるまい。

470:名無し三等兵
07/08/10 21:52:11
a

471:名無し三等兵
07/08/10 23:08:40
太閤の子供達
木下秀勝→実子→毒殺
織田秀信→養子→変死
大谷吉継→実子→敗死
宇喜多秀家→養子→流罪
結城秀康→養子→他家
羽柴鶴松→実子→変病死
豊臣秀頼→偽子→自刃

472:名無し三等兵
07/08/11 20:43:34
大谷義継が実子?秀秋、秀次も抜けとる。

473:名無し三等兵
07/08/12 14:35:47
>>472
小早川秀秋→養子→変死
羽柴秀次→養子→切腹


474:名無し三等兵
07/08/12 14:38:30
秀吉の実姉の実子は公家に嫁いで、
現在でも子孫がいるね。

475:名無し三等兵
07/08/13 08:37:39
>>474
それでは秀吉の子孫じゃないじゃん

476:名無し三等兵
07/08/13 10:49:32
寧々がそもそもコブクロ障害な上に藤吉郎も子種薄いのが不幸だった
まあ実子がいないから正則や虎之介達が育ったんだが
秀長や浅野などの親藩系が育てられなかったのが豊家政権が続か無い最大の理由

477:名無し三等兵
07/08/13 19:28:20
家光の子孫って居ないのだっけ?

478:名無し三等兵
07/08/14 21:33:36
>>476
そんな時間無かったからね。
だいたい浅野とか仙石とか毛利とか大名の器じゃないよ。

479:某研究者
07/08/14 21:44:00 F9j/MNZK
船で使用する大型の銃を
亀甲船等は止められたのかだろうし
大砲より精度は高いかも知れぬが
近距離で砲を撃たれた場合は
アウトと言う事かも知れぬが
近接前に大型銃で亀甲船側も
可也ダメージは受けないのかだろうし
突撃を目論んで居る状況で
大型銃の縦射を受ければ
内部はどうなるのかだろうし
大砲が命中しても即沈没と言う訳でも
無いかも知れぬし
日本側は大砲が命中する船内に人は余り
居ないかも知れぬが
亀甲船は船内に人は可也
居るかも知れぬし
亀甲船以外の船舶では楼閣から
上方からの銃撃を受けて
兵員がダメージを受けるかも
知れぬし
火炎攻撃も通用するかも知れぬが

480:某研究者
07/08/14 21:45:34 F9j/MNZK
小型船に何処迄
体当たり出来るのかだろうし
小型船にも大型の銃は
搭載されて居るなら
此れで突撃時に縦射を受ければだろうが
停泊中に奇襲を受けて体当たりされる例が
多かったと言う事かも知れぬが

481:某研究者
07/08/14 21:48:26 F9j/MNZK
所謂信長の鉄甲船と言うのも
大砲で勝ったのでは無く
大量の板を貫ける大鉄砲の数と
上方からの小型銃の銃撃で
勝利していたと言う事は無いのかだが

482:名無し三等兵
07/08/15 10:10:38
↑日本語でおk!

483:名無し三等兵
07/08/16 08:45:32
いずれにしろ砲撃された経験もないし対弾設計されたものではない。
軽い材質がないので重く大きく作った朝鮮船に乗り込み攻撃をかけた日本側が緒戦でちょっと苦戦した程度のことを大げさに書き立てているだけ。

484:名無し三等兵
07/08/17 08:21:48
ガレオン船10隻もあれば制海権確保出来そうな時代やなw

485:名無し三等兵
07/08/17 20:16:19 84LfUiXd
航海力がないので制海権もない。
場所は手漕ぎと追い風機動できる範囲に限定されるし、時期も攻撃力の発揮できる短時間の狭い制海権。
味方基地に近ければ制海権は広く長くなり、敵反撃勢力に近づけば極小短時間となる。

486:某研究者
07/08/19 04:10:23 TliAo0v6
>亀甲船以外の船舶では楼閣から
>上方からの銃撃を受けて
>兵員がダメージを受けるかも
>知れぬし

板屋船にも楼閣は確か有るだろうが
防弾能力は無い訳だろうし
此れが銃撃で沈黙すれば上方からの射撃は
困難と成る訳だろうか

487:某研究者
07/08/19 04:25:55 TliAo0v6
板屋船は銃撃後日本側の兵に乗り込まれて
壊滅していたと言う事かも知れぬが
銃撃で砲を沈黙出来なければ
近距離で砲撃を受けた可能性も有るかも知れぬし
銃撃で動きを鈍らせられなければ
体当たりを受け得たと言う事かも知れぬが

488:名無し三等兵
07/08/19 04:29:09
亀甲船って実際どんな形なんだろうな。
未だに本当の姿が分かっていないって聞いたが。

489:某研究者
07/08/19 04:30:22 TliAo0v6
まあしかし板屋船も日本の小型艦相手に
何処迄体当たりが
可能だったのかだが

490:某研究者
07/08/19 05:00:21 TliAo0v6
URLリンク(www.rekishi.info)
>朝鮮出兵時、多くの安宅船が鉄板装甲されていた証拠は散見されます。
>たしか宣教師ロドリゲスの記録にも多くの船が鉄板で覆われていた旨の記載があります。

>朝鮮出兵前後、軍船の鉄板装甲は相当一般的なものだったと考えてよいでしょう。
>鉄板貼りは、信長の鉄甲船に言われるように、焙烙火矢対策と考えられます。「焙烙火矢」には多く誤解がありますが、手投げ弾ではなく、
>焼夷薬をつけた火矢、あるいは小形の火砲から射出される火箭と考えるべきでしょう。実際朝鮮の役に際して、朝鮮の軍船が射出するのは多くがこの火砲から射出される火箭でした
>(宇都宮氏の家臣が残した「高麗陣中日誌」他参照)。朝鮮水軍の最も得意な戦法だったと考えて良いと思います。

主力の小型艦は鉄板等有るのかだが
鉄を張った大型艦艇の一部は
朝鮮側の火矢は通用しなかったと言う
事だろうか
(日本側の火矢は亀甲船も含めて
 有効だった訳だろうか)

491:某研究者
07/08/19 05:01:55 TliAo0v6
まあしかし大型艦は砲撃は兎も角
体当たりでやられたと言う可能性は有るだろうが
日本側の旗艦である
大型の日本丸等が体当たりでやられたと言う記述は
無いだろうか

492:某研究者
07/08/19 05:03:10 TliAo0v6
大型艦が体当たりでやられる前に
小型艦が敵艦を白兵戦等で仕留めたか
大型艦の銃撃で動きを鈍らせて
回避したと言う様な可能性も
有る訳だろうか

493:某研究者
07/08/19 05:05:45 TliAo0v6
日本丸も砲撃は受けたが
体当たりは受けて居ないのは
銃撃で相手の動きが鈍っていた故と言う
可能性も有るかも知れぬし
小型艦艇に阻止されていたと言う可能性も
有る訳だろうか

494:某研究者
07/08/19 05:14:00 TliAo0v6
毛利軍の大鉄砲で
信長の鉄甲船は貫通出来ただろうし
鉄甲船の大砲の命中率や発射速度にも
疑問は有る訳だろうし
毛利軍は信長側の火矢で一方的に
船を燃やされて退却したと言う事かも知れぬが

495:某研究者
07/08/19 05:19:05 TliAo0v6
>鉄の砲弾を撃ち合うだけで火箭を用いない当時のヨーロッパの海戦において、鉄貼りの装甲がほとんど何の意味も成さないからでしょう。

欧州が火矢を使用しないのは
船を奪い合う海賊戦法しか無いからなのか
どうかだが

496:某研究者
07/08/19 05:23:27 TliAo0v6
>また、この頃から日本側の火箭対策が目に付くようになります。九鬼の御座船日本丸は、釜山の泊地が襲われたときは、火箭対策に不燃性の絹布の幕を二重三重に張り(前述したように、
>これは甲板上に待機する銃兵を火箭の火から守るためのものでしょう)、舷側には突き刺さった棒火矢・火箭をたたき落とせるように、縄で縛った丸太や切り株を下げていたといいます。
>棒火矢が命中したときは、これを落として火矢を海中に叩き落とすわけです(これは鉄板装甲していれば無用の装備です。この点、九鬼の日本丸には、
>毛利水軍と闘った安宅船のような鉄張り装甲は無かったと考えられす。)。

この様な火矢対策は
毛利には有ったのか
どうかだが

497:某研究者
07/08/19 05:28:34 TliAo0v6
>現存する大型の火縄銃(大鉄炮や置き筒)と呼ばれるものには長大な射程(300~1,000m)を有するものが存在し、遠距離用の照準装置(ややこしいですがこれも「やぐら」と言います。)も発達していました。
>当時の記録には本国に鉄炮とこの「やぐら」を送れといった命令を発したものが見られます。こうした大型銃は船体破壊こそできないものの、
>朝鮮の火砲より命中精度と射程、可搬性に優れ、安定性の高い停泊中の大型船や地上で使用すれば、高い命中精度を持つ文字通りの「アウトレンジ攻撃」が可能になります。

日本側の大型銃はどの程度の精密砲撃が
可能だったのかだが
此れで敵艦の体当たりを受ける前にどの程度動きが
鈍らせられたのかだが
甲板上の兵員も可也叩いて混乱させないと
動きは鈍らなかったと言う事は無いのかだが
甲板上の敵を混乱させるには火矢の方が
有効だったと言う事は無いのかだが

498:某研究者
07/08/19 06:02:41 TliAo0v6
URLリンク(www.rekishi.info)
>16日の記録(舜臣は水軍の壊滅をまだ知らない。)軍船の漕ぎ手で、戦闘から逃げてきた世男(奴隷身分)の言ったこととして
>「(略)闘おうとしたが、倭船は散り散りになって回避し捕縛することが出来なかった。

アルマダ海戦の様に日本側は火矢の射程外から
速力の有る小型船で砲撃戦に徹したと言う事は
無いのかだが


>ここで日本水軍は朝鮮の軍船に近づいては離れ、近づいては離れるという戦術をとったようです。朝鮮水軍はこれを追撃しますが、陣形が乱れ、艦隊は四散(沖合でのこの状況は、
>亀船を含め朝鮮水軍の軍船の特質を考える上で示唆的です(後述))。

此れは正にアルマダ海戦の序盤に似た様な
展開だろうが
朝鮮軍もスペインの様に日本船を深追いせず
陣形を保持すると言う事は
考えなかったのかだが
銃撃で遠距離からダメージを受け続けただけかも
知れぬが


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