秀吉による朝鮮役の軍事分析4【日本・明・朝鮮】at ARMY
秀吉による朝鮮役の軍事分析4【日本・明・朝鮮】 - 暇つぶし2ch600:名無し三等兵
07/08/27 11:20:14
>>599
乗馬移動時は、3mの槍を持ったまんまでってこと?
流石にそれは、地面に引っ掛けたり、バランス崩したりであぶないよ。
供回りに持たせるならありかも知れないけど、それじゃ供回りの武器は?って話になるし。

601:某研究者
07/08/27 11:32:12 4TdnVfvV
>乗馬移動時は、3mの槍を持ったまんまでってこと?

乗馬突撃時は2m程度の槍だろうが
下馬戦闘時には3m以上の槍を使用したと言う
可能性も有る訳だろうし
従者は予備の槍で援護したと言う事は
無いのかだが


乗馬突撃も追撃時或いは敗走時に
限られていたと言う事だろうが

602:某研究者
07/08/27 11:34:09 4TdnVfvV
>乗馬突撃も追撃時或いは敗走時に
>限られていたと言う事だろうが

まあしかし敗走時は
下馬して馬の入れない森等に逃げると言う事も
多かったと言う事かも知れぬが

603:某研究者
07/08/27 23:56:51 Gqviyclb
騎馬武者とて2mの槍で
3mや6mの槍に対抗するのは
難しいかも知れぬし
下馬時には3m以上の長槍を
使用したと言う事は無いのかだが

604:某研究者
07/08/28 13:54:11 w7J8mY7F
大砲で平壌城が簡単に落ちた事を考えると
亀甲車より接収した大砲を利用した方が
城を簡単に落とせたと言う事は無いのかだが
土の上に石を置き城壁が傾斜した日本側の城には
大砲は有効では無いと言う事なのだろうか

605:名無し三等兵
07/09/02 07:19:06 +vY1Grf4
明鮮軍は長い武器を使っていたの?

606:某研究者
07/09/03 04:40:17 bGU2DwLP
確認は不能だが
盾と剣或いは斧と言った様な
構成が多いかも知れぬが

607:名無し三等兵
07/09/03 12:33:26
なんだか大量のアボン表示があるんだが
某研でも湧いたか?
薄い内容を長々と書き散らすからアボンに限る。

608:名無し三等兵
07/09/03 21:44:52
あたり

609:名無し三等兵
07/09/09 17:04:31 E7TbF9vj
まともな軍事検証レス まだー?

610:名無し三等兵
07/09/09 21:17:32 cCGKJW1L
慶長の役では攻め足りなかった。

611:名無し三等兵
07/09/10 01:12:14
東日本の大名も動員すべきだったな。

612:名無し三等兵
07/09/10 09:16:43 Z/g6v8ub
>>610
一応、禝山会戦後に退いたのは明軍であって、黒田長政、毛利秀元、加藤清正の右軍は天安、清州、鎮川と進撃を続けて秀吉の割地要求した境界の京幾道竹山まで進出している。

613:名無し三等兵
07/09/11 10:38:43
日明両軍合わせて30万近いが兵糧調達って不毛なチョン賎半島で賄えたの?

614:名無し三等兵
07/09/11 17:42:34 sPEt5jGb
このスレに対する韓国人の反応
URLリンク(gesomoon.gameshot.net)

615:名無し三等兵
07/09/11 20:49:37
>>614
日本語で頼む

616:名無し三等兵
07/09/12 03:05:10
>>614
このスレの内容をそのまま韓国語に訳して向こうに流してるけど、そう言うのはよくない。

”ふざけ半分”のレスも多いのだから、”垂れ流し”は誤解を広める元になる。

韓国人の意見を聞きたいのなら、本スレの内容を整理してから送るべき

617:名無し三等兵
07/09/12 17:25:53
ルール1.朝鮮人と歴史の話はしない

ろくに勉強しとらん奴は日本・朝鮮問わず論外だが、朝鮮人は例え歴史を勉強していても論外なのだ…

618:名無し三等兵
07/09/12 18:02:26
>>615
面倒だろうけど翻訳機使ってくれ

>>616
翻訳は韓国人がやってる
俺があれ貼ったのは連中がネタにマジレスしてるのも含めて「笑いの種にどうぞ」って理由だから
まあ、要するに深い意味はない

>>617
話ししろってことじゃなくてニヤニヤしようぜ!てことだから

619:名無し三等兵
07/09/12 20:07:02 GFiOIQsJ
>>614の機械翻訳
URLリンク(j2k.naver.com)


620:名無し三等兵
07/09/12 20:31:37
まあ史料に基づかない仮想戦記や推測君や勉強不足は朝鮮人にすら馬鹿にされても仕方あるまい
知った事じゃない
それがこのスレのレベルじゃねーの

621:名無し三等兵
07/09/13 12:21:15
 佐藤鉄太郎

> 海軍大学教官として1908年に『帝国国防史論』を書いた佐藤鉄太郎大佐は、イギリスが繁栄している所以は、欧州大陸に膨張したわけではなく、
> むしろ海軍を養成しつつ、防守自衛の国家戦略をとっているからだと論じた。
> さらに、獲得した満州と朝鮮をあえて放棄することがむしろ帝国日本の安全と国益につながる国家戦略であると主張した。
> 
> 1911年から東洋経済新報で言論活動を始めた石橋湛山も、大陸への進出を訴える当時の大日本主義がもつ危険性を指摘し、戦争を通じて日本が
> 確保した満州と朝鮮などの利権を大胆に棄てる小日本主義を日本が歩むべき戦略として提案した。
> 
> 当時の日本社会の雰囲気から彼らは異端者であったかもしれないが、長い歴史の目からみると、彼ら先達の意見に日本が耳を傾けていたら、
> 太平洋戦争での敗戦はなかっただろう。


朴 栄濬(パク・ヨンジュン) 国防大学校安全保障大学院助教授(韓国)
URLリンク(www.asahi.com)

622:名無し三等兵
07/09/13 13:59:54
> 海軍大学教官として1908年に『帝国国防史論』を書いた佐藤鉄太郎大佐は、イギリスが繁栄している所以は、欧州大陸に膨張したわけではなく、
> むしろ海軍を養成しつつ、防守自衛の国家戦略をとっているからだと論じた。

イギリスは欧州以外の世界中に大拡張してたし、
とても「防守自衛の国家戦略をとっている」なんて状態じゃなかったぞ。

623:名無し三等兵
07/09/13 18:49:21
> さらに、獲得した満州と朝鮮をあえて放棄することがむしろ帝国日本の安全と国益につながる国家戦略であると主張した。

これがホントかどうかなんだけど、チョンの研究家じゃなく、原典知ってる人いる?

624:名無し三等兵
07/09/13 23:37:26 kZDzD9ED
>>623書いてあるじゃん。
ま、佐藤は和製マハンであって海軍拡張のためのイデオローグとして育まれ持て囃された。
しかし内容はマハンと同じであまり論理的とは言えない。
イギリスの要になりたいとは行っても、東洋には大陸に信用の出来る同盟国は無いので理論倒れ。

625:名無し三等兵
07/09/13 23:39:09 kZDzD9ED
もう一つ。
そう言う海軍権益拡張のイデオローグを持ち出して、
平和論者だとか先見の明だとか我田引水のパッチワーク引用をする
日本人や朝鮮人を見ていると反吐が出る。

626:名無し三等兵
07/09/13 23:40:40
じゃあ、今そこで思いっきり吐け

627:名無し三等兵
07/09/14 03:05:51
>>624
この世は利害関係で動く。「信用の出来る同盟国」なんかを探してる段階で、お人良しの善人・安部首相並みにダメダメ。

628:名無し三等兵
07/09/14 06:45:07
信用というのは、「こちらがこう動けば相手はこう動くだろう」と予測できること。

商売でも本当に信用できる取引相手なんていない、ただ「納期と単価と品質が
こういうものが納入されるだろう」ということが予測でき、その信用の上で取引が
成立している。そこで信用の意味を取り違えて「商取引に本当に信用できる相手
なんていない」なんて言い出したら飢え死にするしかない。

それとも本当に信用できる他人なんているのかい。

629:名無し三等兵
07/09/14 06:47:53
>628
その定義だと、韓国・朝鮮は充分に信用できる相手だってことになるなw

630:名無し三等兵
07/09/14 20:22:23 W0W8WY5C
朝鮮は利害でさえも動けずに斜め上に自爆して周りに迷惑をかける信用も信頼もできない国。

631:名無し三等兵
07/09/14 21:11:41
wikiだと
>また、出兵に参加した大名たちによって連れてこられた朝鮮人儒学者との学問や書画文芸での交流、
 そして陶工が朝鮮式の磁器の製法、瓦の装飾などを伝えたことで日本の文化に新たな一面を加えた。
 その一方、多くの朝鮮人捕虜が戦役で失われた国内の労働力を補うために使役され、
 また奴隷として海外に売られたこともあった。 

目的を達成しなかったから戦略的には日本の敗北だけど、
戦争後も睨んだ大戦略の次元では、
日本側が獲得した「戦利品」も含めれば、日本の勝利といえなくもない。
馬鹿ウヨの負け惜しみなんて言うなよ。


632:憂国の志士
07/09/14 21:13:37 gFE5TZ/+
自衛隊の諸官!
見よ!そして考えよ!今何が必要かを。
URLリンク(akebono.iza.ne.jp)

633:名無し三等兵
07/09/14 21:15:52
>>630
それって大日本帝国のことか?
当時の日本人と韓国人が良く似ているとでも言いたいのか?


634:名無し三等兵
07/09/15 18:49:57 2zWtQel5
はあ?

635:名無し三等兵
07/09/15 23:59:17
個人の韓国人は良いが
団体のチョンは最悪だな
韓国人ですらチョンはイヤだと言ってるしw

636:名無し三等兵
07/09/16 01:12:24 5KAHZoAy
>>631
何が大戦略だよ
朝鮮征伐が遠因で豊臣王国滅亡してんだろ

637:名無し三等兵
07/09/16 01:18:54 5KAHZoAy
>>628
最初から予測って書けよ

638:名無し三等兵
07/09/18 16:47:09
明って銃は使ってたの?
倭銃とかさあ

639:名無し三等兵
07/09/19 20:47:27 zGZZorGP
鳥銃な

640:名無し三等兵
07/09/19 22:30:22
明書によると三八式歩兵銃使ってたらしい

641:名無し三等兵
07/09/19 22:49:39
>640
鳥銃は”鈍器”、三八式は”刺突武器”。
同じ白兵戦用だからっていっしょにしちゃいやん

642:名無し三等兵
07/09/22 18:10:11
>>1
愛・蔵太の少し調べて書く日記
2007-08-31 夏の終わりの気分です
■[日本人奴隷]既知外テキストの元をたどったらさらに既知外テキストに行き当たる
 これは以下の日記の続きです。

→「日本人奴隷」について読んでおかなければならないテキストのメモ(日本語のみ)

 ということで、ネットで流れている「戦国時代の50万人日本人奴隷説」の大もととなっていると思われる『天皇のロザリオ』(鬼塚英昭・成甲書店・2006年)のテキストの当該箇所を読んでみたのですが。
 いやはや。
 これはどうにもこうにも。
 実はその元となるテキストが、ちゃんと書名つきで書かれているではありませんか。
 ネットであれこれ探してたりしないで、さっさと原典に当たればよかったんだよな。下巻p96-97

 徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵の従軍記者の見聞録がのっている


(二版では憲兵命令で削られた)。


643:名無し三等兵
07/09/22 20:02:33
>日本の教育界って意外と「ミッション系」」が多いですからね。「キリスト教の黒歴史」を教えるのは
>「共産主義の黒歴史」を教えるのと同じぐらい「無言の抵抗」があるのではないのでしょうか。

キリシタン大名が50万人の日本娘を奴隷に売却
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)

644:名無し三等兵
07/09/22 21:17:09
↑ の 「50万人」という数字は天正少年使節団がヨーロッパで聞いた話だから正確な
数字では無いかも知れない。
それに西洋人は東洋人の顔を判別し難いから、東アジア人奴隷全般の数字の可能性も有る

645:名無し三等兵
07/09/24 00:48:12
50万て、、当時の日本の人口が2000万弱だろ
九州周辺から女性だけ50万も抜いたら大変だわ。

しかし自国領の労働力を奴隷として輸出することにメリットがあったのだろうか?

日本も朝鮮では販売用奴隷として捕虜をとったというが…
植民地や征服した異民族の販売ならわかるんだがね。

646:名無し三等兵
07/09/24 00:58:39
田畑や可耕地の面積には限りがあるから、一定以上の人口は余剰労働力になりかねない。
それとバーターに硝石などを輸入して軍事力を強化し、その軍事力で領土を拡張、というのも
バランスさえ取れれば選択肢としてはありうるのでは?

647:名無し三等兵
07/09/24 01:43:54
あとは、一向宗徒のような居ても持てあますような連中か?
とはいえ、女子供で50万ってのは多すぎ。
それだけ一時にいなくなったら人口構成が歪み、回復するまで百年かかる。

648:名無し三等兵
07/09/24 02:17:25
この次期ではまだ開拓可能の地域をすべて開拓したという認識だったのか?
農業以外への転職も容易になってきた頃合で九州では一向宗も少ない。
もともと日本は奴隷文化が希薄だし…
50万は無いにしてもこの話は資料が少な杉だよね。




649:名無し三等兵
07/09/24 02:18:39
皆無とは思わないが当時のキリスト教を批判するための
仏教側の誇張が大きいのではないか?

650:名無し三等兵
07/09/24 02:31:44
>>645
しかも若い女性らしいwwww

651:名無し三等兵
07/09/24 03:17:53
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
正直このサイトに書かれていることは現時点では信じられないな。

50万という数も異常だし、
そのキリシタン大名が50万人の日本娘を奴隷に売却の
本を書いた鬼塚英昭って人を検索したらバーガミニの「天皇の陰謀」を元に半藤一利を批判したり、
鹿島昇の明治天皇すり替え説を信じているらしい。
ユダヤ陰謀論みたいなこと言ってるし、
この人陰謀論者じゃないのか?
かなり怪しげである。

>徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版
>天正少年使節団として、ローマ法王のもとにいったが、その報告書

徳富蘇峰の著書という二次史料と
天正少年使節団の報告書という一次史料が元になってるみたいだが史料の原文か釈文を見ないとなんとも言えないな。


>ザヴィエルは日本をヨーロッパの帝国主義に売り渡す役割を演じ、
>ユダヤ人でマラーノ(改宗ユダヤ人)のアルメイダは、
>日本に火薬を売り込み、
>交換に日本女性を奴隷船に連れこんで海外で売りさばいたボスの中のボスであつた。

これは、どんな史料を元にしているんだろうか?

怪しすぎる。

652:名無し三等兵
07/09/24 08:26:42
だが当時国産出来なかった硝石を大量に輸入し奴隷を輸出していたのは事実だろう。

653:名無し三等兵
07/09/24 08:30:50
コラム:大西洋奴隷貿易時代の日本人奴隷

池本幸三/布留川正博/下山晃共著
『近代世界と奴隷制:大西洋システムの中で』
人文書院、1995年
URLリンク(www.daishodai.ac.jp)

654:名無し三等兵
07/09/24 08:50:49
奴隷売買は近世日本国民史の「朝鮮役」じゃなくて、「豊臣氏時代乙篇」
手元にあるのは普及版、そこに「九州御動座記」の奴隷の部分があるが、「朝鮮出兵従軍記者」というのはありません
九州御動座記なら群書類従か何かにあるのではないですか
朝鮮役調べてる人が朝鮮出兵従軍記者と言われて思い浮かぶのは宣教師じゃなくて慶念では
慶念が書いてるのは朝鮮人が売られる所ですね

近世対外交渉史論という本をちょっと見ると
朝鮮役の朝鮮人被虜人の総数は初めは李朝実録などにより5万人とされたが、調査により2~3万人と訂正された
その後20年間に刷還された者が7500余人、差し引き2万人が日本社会に吸収
または東南アジアからヨーロッパまで転売されたとあります

奴隷価格については、イタリア商人カルレッティが慶長役の頃長崎で買った奴隷は一人2.4スクード(銀120目、米価で約二石四斗)
インドのゴアに連行し、内一人をフィレンツェに連れ帰ったそうです
同じ人が西アフリカのベルデ岬諸島では一人170スクードで奴隷を仕入れ、ペルのリマで400スクードで手放しています
これを見ると長崎は奴隷が非常に安かったようです

655:名無し三等兵
07/09/24 09:22:37
近世日本国民史の遣欧使節は豊臣氏時代丙篇ですね
手元にあるのは普及版(の初版)、奴隷について書いた報告書はありません

656:名無し三等兵
07/09/24 10:43:02
>652
当時の日本は世界有数の鉱業国だぞ。
硝石輸入は金銀銅鋼だけでも賄える。

つか、奴隷貿易はそれほど利幅が大きくないので単独では成立しない。
アメリカ行きの黒人奴隷が商売になったのは、三角貿易だったからだ。

657:名無し三等兵
07/09/24 11:14:11
>>656
鉱石も輸出し同時に奴隷も輸出していたのが事実。

658:名無し三等兵
07/09/24 20:11:17
奴隷に関しては資料少ないなぁ、日帝の仕業か?

659:名無し三等兵
07/09/24 22:49:06
そもそも奴隷に興味がない

660:名無し三等兵
07/09/25 00:13:17
クラセは曰く
耶蘇教師等が、長崎に居住を定むる時は、戸数五百に満たなかったが、其の後欧州の船舶来泊し
日を追て繁盛に赴き、1590(天正十八)年に於ては、欧州の商船、三月より六月迄碇泊するの際
各地より来往する商工を除き、土着の者のみにて、五千人の多きに達した

大村家覚書に曰く
元亀元年春、南蛮人長崎に入津して、商売せん事を、純忠(大村)に請ふ
元亀二年三月、純忠家士朝長対馬に命じて、長崎町割奉行とし
島原町、大村町、文知町、外浦町、平戸町、横瀬浦町を地割す
右六町を内町と云ふ、是所を蛮舶商(イ古)の津と定む
爾後南蛮船年々入津繁栄によりて、段々町数立添、慶長年中には、内外の町数合して、六十六町となれり


宣教師は伝道の手段としてまず大名をとりこにし、改宗は上より命令的に宣告する事を考えた
宣教師の文書によれば大友宗麟、大村純忠は模範的大名だった

宣教師は貿易の鍵を握り、島津氏も宣教師に商船の来泊さえ保障すれば宣教の保障をあたえるべしと云った
(鹿児島に耶蘇教の足溜を作ろうとしたが騒動が起こり中止)

ワリニヤーニは、耶蘇会の勢力を九州の治者階級に扶植するため、有馬に貴族の少年子弟を教養する学校を建設し
神学、言語、図画、彫刻、音楽を学習させた
ローマに特派した大友、大村、有馬の使節たる四人はここで学習(天正十年出立)

九州に於ける耶蘇教最初の流行地たる豊後には、1586年(天正十四年)一万五千人の受洗者あり、六万の信徒あり
有馬、及び大村に於いては、十二万人の改宗者あり、九州全土では二十万近かった

彼らは九州に於ける大名、及び諸将を支配し、且つ貿易の鍵を以て、与奪、操縦の権を逞しくした
宣教師等は、時としては諸大名の内治外交にも関係し、調停者ともなった
兵器弾薬も彼らの手で供給された
彼等は九州に於いては潜在したる耶蘇王国を建設した

661:名無し三等兵
07/09/27 13:43:24
あげ

662:名無し三等兵
07/09/29 09:40:16 pXAokFz1
文禄の役で全羅道軍が明軍に北上合流した作戦はなんか意味があったの?
確保地域が余計手薄になる気がするんだが?


最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch