秀吉による朝鮮役の軍事分析4【日本・明・朝鮮】at ARMY
秀吉による朝鮮役の軍事分析4【日本・明・朝鮮】 - 暇つぶし2ch151:名無し三等兵
07/07/03 22:11:36
文禄の役で起きた日本と朝鮮との海戦

文禄元年
4月12日 日本は釜山を攻略する。

5月07日 玉浦、合浦、赤珍浦(李舜臣の水軍は藤堂高虎らが率いる日本軍船多数と交戦。日本は軍船計42隻が被害を受け李水軍は一隻を失う)
5月29日 泗川 (湾内の日本水軍は半数が上陸中、そこに李水軍26隻は亀船などで攻撃し戦果を挙げる。)
6月02日 唐浦 (李水軍48隻は日本船20隻余りを攻撃し撃破)
6月05日 唐項浦(李水軍は日本船26隻を湾外におびき寄せ、包囲して壊滅させる)
6月07日 栗浦 (日本船7隻を攻撃、撃破)
(日本は釜山から西進し朝鮮半島西海岸を確保しようとしたと思われるが海戦に敗れ失敗に終わる。これにより補給ルートの確保は困難となる。)

6月28日 秀吉は九鬼、加藤、脇坂らに一体となって朝鮮水軍に当たることを命じた。

7月07日 見乃梁 (李水軍57隻に対し、脇坂は水軍70隻余りを率い九鬼、加藤を待たず単独で突入したが63隻を撃破され敗れる)
7月10日 安骨浦 (李水軍は強行突入し加藤・九鬼水軍46隻と交戦。苦戦のため李水軍は退却。そのあと日本側も釜山まで戻る)

7月14日 秀吉は脇坂を叱責。

9月01日 釜山浦 (李水軍117隻は日本の拠点である釜山浦に総攻撃。釜山の日本軍船は500隻。日本は水軍および陸上に設置した捕獲大砲を使って反撃。)
(海戦と陸からの砲撃などにより李水軍は大損害を受け撃退される。李水軍の受けた多大な損害のため、この年は、これ以後海戦が起きなかった)

「戦国水軍の興亡」宇田川武久 平凡社新書 2002年刊


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