07/03/05 21:08:10
~続~
しかし、尖兵としての役割を十分に果たして20名程の部下を集めて本隊に戻ろうとしている所に
攻撃に気付いたオランダ軍主力から戦車と装甲車が飛行場に向かって来た。
「ちくしょう!戦車ぐらいに負けるか!」
と、手榴弾と拳銃を手に立ち向かい、キャタピラを破壊して一台を走行不能にすると
もう一台に飛び乗り、顔を出していた戦車長を撃ち、手榴弾を投げ込んでハッチを閉め、完全に沈黙させた。
しかし、二台の戦車を破壊している間に、装甲車からの銃撃をまともに喰らい
左足に七発の銃弾を受けたが、砲塔を背にして応戦し、部下によって救出された。
その後、出血多量で海軍病院に収容されるも完治し、飛行畑に入る。
横須賀航空隊で偵察特修学生となり、長距離偵察および高高度撮影のスペシャリストとなった。
空の上でも長嶺大尉の闘志は衰えず、1944年6月、テニアン基地からメジュロ環礁在泊の
米機動部隊の存在を確認する長距離挺身飛行撮影を敢行し、成功させてさらに名を馳せた。
そして数日後の6月12日、米機動部隊がテニアンに来襲すると、これを迎撃して壮烈な戦死を遂げた。
二階級特進により海軍中佐。
豊田穣 『雪風ハ沈マズ』より
ちなみにクーパン作戦で長嶺少尉たち横三特がぶち当たったオランダ軍主力は
戦車、装甲車を百両以上含む約1000名の一個大隊だったそうだw