I号・II号・III号・IV号・V号・VI号・VII号・Eシリーズat ARMY
I号・II号・III号・IV号・V号・VI号・VII号・Eシリーズ - 暇つぶし2ch590:名無し三等兵
07/07/23 21:50:42
>>585
砲塔リング?どういう文脈で要説明と考えてるのかな??

要求仕様における搭載火砲が違うんだから、リング径が違うのは当然と思われ。
●リング径を増すということは
→1).その分車体天蓋に大きな開口部を設け、
→2).それに見合った大きくて重い砲塔を載せる ・・・・・・ということだ。
1).と2).とは設計上背反する要求で、
有限なエンジン馬力と重量制限とを横目で睨みながら
用途の違う各車に最適設計を試みれば、
Ⅲ/Ⅳ号戦車の互換性が乏しいというのは寧ろ当然のことで内科医。

Ⅲ/Ⅳ号の統合なんて後知恵で湧いて出たもので、
当初の開発制式時には発想出来よう筈も無いと思うな。
寧ろ当時の再軍備間もない国防軍は
産業界に広く兵器生産の経験をさせたいのと、装備機材の各種実験的意義付けとで、
開発各社が独自設計を繰り出すのを歓迎してた気すらする。
そこんところの無思慮の反動が、後のEシリーズ構想なんかに逝ったとかw

591:名無し三等兵
07/07/23 22:10:59
50mmL42クラスの砲を積んでた一式がターレットリンク広げることで、
Ⅳ号の75mmL48よりつおい砲載せられるようになったんだから検討してみるべきだった

592:名無し三等兵
07/07/23 22:51:09
88並の太い釣針に震え上がった

593:名無し三等兵
07/07/23 23:46:04
九七式中戦車スレで糞撒き散らして喜んでる知的障害者だ、放置しとけ。

594:名無し三等兵
07/07/26 21:50:49
しかし、改めて見直すと国全体が再軍備に向けて突貫工事の状態で
よく戦争おっぱじめる気になったな。ヒトラーは、

おかげで電撃戦の真の主力になる戦車の開発機会を逃したかと思ったが
T34ショックが無いと何時までも三号と四号をあーでもないこーでもないと
もっと弄くり倒していただけかも知れん。

595:名無し三等兵
07/07/27 00:13:09
艦艇建造に時間の掛かる海軍に至ってはもう・・・・・・
何たって軍備計画の完了期日が1945年(!)ときたもんだ。
実際にはその年の5月にベルリンが陥ちてジ・エンドw

陸軍の場合、チェコの35(t)/38(t)がどれ程援けになったことか。
但し、誤解されがちなので言及しておくが
T-34ショックは寧ろⅢ号、Ⅳ号を延命する効果があった。
独ソ開戦の前から後継戦車の開発は進んでおり、
T-34ショックはこの次期主力戦車プランの方をオシャカにした。
ルクスに迄発展する(重要度の低い)偵察戦車系は少量生産を許されたが、
VK3001(H)は砲塔を載せる段階に進めず、自走砲の実験台止まり。
結果、5cm厚装甲/長砲身戦車砲という廃案戦車の規格がⅢ号、Ⅳ号に導入された。

新戦車開発はT-34ショックを受けて虎/豹へと繰り延べとなり、
その隙間を暫定強化を受けたⅢ号、Ⅳ号が老体に鞭打って埋め合わせる訳だ。

596:名無し三等兵
07/07/27 00:56:39
確かに既存計画はポシャったけど、T-34ショックが無かったら
旧計画が全然進まなかったような気がする。

1945年くらいにVK3001が出てくるようなそんな感じで
そもそもIII、IV号が一気に旧式化しなければ計画も遅々として進まないだろう。

597:名無し三等兵
07/07/27 21:04:59
>>596
>1945年くらいにVK3001が出てくるようなそんな感じで

う~ん、どうだろ。ちとオーバーかという気もする。
旧計画はDWやⅠ号C型を雛形として規格を定め、
1938・39年前後にスタートした【幻のEシリーズ】だw
前面装甲3cmの軽と、同5cmの重の2本立て。
新Ⅰ・Ⅱ号(重)なら早くも1940年半ばに試作車が揃ってる。
期待を集めたVK3001は少し遅れて1941年~1942年にかけて。
もう一段の改良を目指してVK3601を検討し、こちらも試作まで逝ってる。
VK3001(重)と対になる筈のVK2001(軽)は製図室から出られなかった。
突撃砲の(5cm装甲)前例やら対仏戦の戦訓やらもあり、
「主軸は【重】だ!」という戦場の要求はハッキリしてたんだな。
試作のペースは決して遅くはないし、もはやⅢ号サスのような試行錯誤も不要。
初期故障の塊を前線にぶち込んだ豹の事例とまではいかなくても、
結構スムーズに新戦車の制式化へ進んだと俺は予想するな。

その一方で新Ⅱ号(軽)を、
T-34ショックの後もあれだけひねくり回して遊んだのは異常だが
あの車格にはチェコとオーストリアも競争試作に噛んでるからね、
面子をかけた熾烈な縄張り争いがあったものと邪推してしまうw
「ナチの官僚主義なら、きっとそうなる!」なんてニヤニヤしながら、
偵察戦車の極北=ルクスの写真を眺めるのも乙でっせwww

598:名無し三等兵
07/07/27 22:40:54
VK.6501(DWのほうね)で編成された装甲師団とか出てきそうでいやな感じがする。
43年で主砲が7.5cm/L24とかさ

599:名無し三等兵
07/07/28 10:59:56
>>598
>43年で主砲が7.5cm/L24とかさ

それ、大いに有り得るね。
旧計画の要は基本的に「堅くする」ってことで、備砲の強化は二義的な感じ。
まあトーションバーサスと千鳥配置転輪の標準化とかの洗練もあったけど、
本質的には【突撃砲規格の戦車化】が念頭にあったものと思われ。

ドイツ戦車の火砲体系って意外に保守的で、
Ⅲ・Ⅳ号の主砲は軽・重トラクターの組合せをそのまま流用。
VK3001・VK6501の主砲はⅢ号突撃砲のそれを踏襲(10.5cm榴弾砲の車載化)
―という形をとっている。
これが長砲身対戦車火力に一変するきっかけが、T-34ショック。
これ以降、対戦車砲・高射砲の車載化が常道となる。
よくこれだけの果敢な決断が出来たなと、ちょっと感心する。

600:名無し三等兵
07/08/05 02:30:33
対空警戒

601:名無し三等兵
07/08/05 02:35:22 8e3YEYcO
age忘れ保守

602:名無し三等兵
07/08/14 06:28:46
>>599
グデ親父が装甲兵総監に就任する前まではドイツも日本なんかと
同じように保守的、縦割りとかそういった官僚制の弊害に陥っていたんじゃないか?
ただ日本と違い強力な権力を持つ戦車好きの独裁者がいたおかげで
t-34ショックによる方針転換が出来たような気がする。もし日本と同じように先送り
とかやってたらちょび髭の雷が落ちる可能性があるしなw

603:名無し三等兵
07/08/14 07:29:15
>>602
そこらへんのことが最新の歴史群像に書いてあったな。

604:名無し三等兵
07/08/15 10:11:25
レイ=デイトンによると
ドイツ軍における機械化忌避運動は殆ど無かった、とある。
つまり伍長閣下の後押しが有ろうと無かろうと、もとから
規模で制約を受けていた国防軍は機動力の向上に腐心していた、と。

「機械化」「装甲化」と一口に言っても、
ドイツでも各時期で関心を向ける対象が移り変わってるようだから
その点は丁寧な腑分けが必要な希ガス。

グデやんの理想形――速度と、無線による指揮統制
           堅く洗練を加えて「幻のEシリーズ」着手

T-34ショックとグデやん更迭

重装甲と大火力への傾倒
「突撃・駆逐」の枕詞を冠した自走砲群、大挙制式化。

伍長閣下の貢献はこのT-34ショック以降の部分に大きなものがあったような。
で、その後呼び戻されたグデやんは混乱しきった戦車生産の尻拭いに追い回される、と。
俺はそんな風に解釈してるんだが、どう思う?

605:名無し三等兵
07/08/15 17:36:36
とりあえずグデやんは止めろ

606:名無し三等兵
07/08/15 22:27:44
何でだよう。
グデ親父はスルーで、何でグデやんは駄目なんだよう(涙目。

607:名無し三等兵
07/08/15 22:42:47
機甲師団の生みの親=グデ親父
おk?

608:名無し三等兵
07/08/16 22:10:45
じゃぁ

.  /  ̄/〃__〃   /  ̄/       /
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,,.....イ.ヽヽ、ニ__ ーーノ゙-、.
:   |  '; \_____ ノ.| ヽ i
    |  \/゙(__)\,|  i |
    >   ヽ. ハ  |   ||

609:名無し三等兵
07/08/17 01:48:06
おkw

610:名無し三等兵
07/08/18 12:23:58
VIPに帰れ 目障りだ


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