古代~近代(19世紀)迄の戦術・兵器・軍装等 5at ARMY
古代~近代(19世紀)迄の戦術・兵器・軍装等 5 - 暇つぶし2ch101:某研究者
06/11/26 00:31:45 67b4vXNu
>日本の軍艦に搭載されていた「大砲」の代表格は国崩しで
>知られる仏朗機(フランキ)で砲身90~290cm、口径95mm、
>射程は500~1000mです。
>フランキは後装式可動砲で命中精度が高いといわれています。

フランキ砲と言うのは
威力が余り無いと言うが
大筒よりは有ったのだろうか

102:某研究者
06/11/26 00:37:42 67b4vXNu
>なお、欧州の軍艦でで使用されていた「大砲」の代表格は
>「カルヴァリン」(ラテン語で蛇の意)で、
>この名称は欧州における小口径の総称だったと言われています。
>なぜ、帆船に口径の小さい大砲が搭載されたのかというと、
>大口径の大砲では砲撃と同時に台座が壊れてしまったためです。
>砲身120~300cm、口径38~152mm、射程距離は300~800mです。
>カルヴァリンは前装式固定砲で、射角の変更がきかないため、
>砲撃するには敵艦に横付けする必要がありました。

此れよりは大筒の方が
射角も変更可能であるし
使えると言う事は無いのかだが

103:某研究者
06/11/26 01:07:25 67b4vXNu
URLリンク(nippon.zaidan.info)
外洋艦である朱印船に大砲を積めば
欧州の艦艇も叩けたかも知れぬし
同時期の英艦隊も小型艦が
多かった訳だろうか


104:某研究者
06/11/26 01:42:45 67b4vXNu
URLリンク(72.14.235.104)
>凶悪事件を防ぐためには、やっぱり罰則の強化が必要でしょう。織田信長の1銭切り。(織田信長の軍団ではたった1銭略奪しただけでも打ち首だったので非常に統制がとれていたそうだ) 

同時期の欧州や他国の軍は
どうだったのだろうか
(ランツクネヒトのローマ略奪等も
 罰則は無かったと言う事かも知れぬが)

105:某研究者
06/11/26 02:12:33 67b4vXNu
>余談だが、ウェールズ(Weath)人とは奴隷という言葉の意味。

この名称は変える気は
無いと言う事なのだろうか
(パリ等も野蛮人等が確か語源だったかも
 知れぬが)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
>語源は Parisii (パリシー)と呼ばれるケルト人部族。Parisiiは「田舎者」、「乱暴者」を意味する。

と言う事だろうか


URLリンク(2ch.dumper.jp)
>・外洋航海が可能な海軍と呼べる代物が無かった。日本“水軍”では乗り込み海賊戦法だけ。これじゃ話にならん
>・炸裂弾、大砲・攻城兵器が無い。国内戦しか知らないので発達しなかったが、対外だと致命的

トラファルガーでも白兵戦で決着が
付いていた訳だろうし
炸裂弾は19世紀でも余り
使われて居ない訳だろうか

106:某研究者
06/11/26 15:14:24 YQ57kMrY
>よく、戦国日本の軍隊の戦闘員は全体の3分の1程度と聞くのだけど実際、どうなんだろう?
>大阪夏の陣の時の伊達勢はおよそ1万の内、
>騎馬628騎、槍1360、弓100張、鉄砲3420挺
>これだと5割5部くらいでだけど・・・。

>歩兵の銃の装備率が可也高いだろうし
URLリンク(ja.wikipedia.org)
>オランダ式大隊や
>グスタフアドルフの歩兵より高いかも知れぬが
>騎兵銃はどうだったのかだが

オランダ式大隊は前後が入れ替わり乍ら
発砲していただろうし
発射速度は速いかも知れぬが
日本側も此れを行っていた可能性も有るだろうが
スウェーデン3兵戦術の歩兵の場合は
前進し乍らでも発砲して居るだろうが
此れは日本側には無い戦術かも知れぬが
狙撃では無く日本側は散開しているので
余り当たらないと言う事かも知れぬが
17世紀末のカール12世の軍の場合は
前進後至近距離で銃撃していたと言うが
こう成る前に日本側の銃の狙撃で可也の数が
やられると言う事は無いのかだが
オランダ式大隊等の大量のパイク兵に槍足軽は勝てるのかだが
銃砲撃で混乱させた後
長い管槍でも大量に
用意していればだろうか

107:某研究者
06/11/26 15:16:10 YQ57kMrY
16世紀の場合リュッツエンの様に序盤の大砲の砲撃で
決着が付く戦いが大半なら
軽量砲並みの威力の大筒が大量に有り
散開している日本側が有利と言う
事は無いのかだが

108:某研究者
06/11/26 15:23:22 YQ57kMrY
>オランダ式大隊は前後が入れ替わり乍ら
>発砲していただろうし

テルシオは此れが無いから
後で銃兵の比率が増えても
発射速度が遅かった訳だろうか

109:某研究者
06/11/26 15:29:08 YQ57kMrY
>また少数ながら長刀使いもおり、「一番鑓」でいいのかと議論されています。
>「二番鑓は御免だ」と言って、鑓を捨てて刀を振るう変わり者もいました。
>なお、当時の軍は全体の約一割程度の騎乗者、若党・足軽といった侍、中間
>・小者といった介助役の下人、夫などの百姓で構成されていました。

バスタードソードを持つ兵はスイス傭兵にも居ただろうが
西欧では16世紀中盤辺りで
消えて居たと言う事かも知れぬが
ローマレギオンを考えれば剣も槍に対して
不利と言う事は無いのかも知れぬが
訓練された管槍を持つ兵に
剣で勝てるのかどうかだが

110:某研究者
06/11/26 16:43:22 YQ57kMrY
URLリンク(osaka.yomiuri.co.jp)
日本の馬の爪は強いから
蹄鉄は無用と言う
意見も有るし
URLリンク(www17.ocn.ne.jp)
モンゴル馬にも蹄鉄は無いと言う
事かも知れぬが
40kgの鎧を着た場合は
蹄鉄は必要と言う事は無いのかだが

111:某研究者
06/11/26 16:52:19 YQ57kMrY
URLリンク(72.14.235.104)
>まず、日本に蹄鉄が無かったのは本当ですね。
>必要があれば藁で作った靴を履かせ、すぐボロボロになるので
>どんどん取り替えたとか。
>ただ、フロイスは日本馬の「欠点」として蹄鉄の無い事を挙げていますが、
>西洋の石畳の街と違って日本はどこも土なので蹄の減りは西洋より
>少なかったと思われます。

>また、武士の心得としては予備の馬を飼っておき、蹄の減ったものは
>休ませ、伸びたら乗るという事はあったようです。

日本でも爪の消耗は一応
考慮していた訳だろうし

>モンゴルが「騎馬軍団」たり得たのは、人より馬の数が多く、
>(ひとりの兵士に馬5頭)疲れた馬はどんどん交代する事が
>可能だったからです。

モンゴルも馬を頻繁に
交代していた訳だろうか

112:某研究者
06/11/26 16:56:15 YQ57kMrY
URLリンク(ja.wikipedia.org)
>下北の蠣崎氏は15世紀から代々モンゴル馬を輸入したといわれており、薩摩の島津貴久や、南部駒の産地を支配した伊達政宗は、ペルシャ種馬を導入して在来種の改良を行った。

ペルシャの馬の影響と言うのは
何処迄有ったのだろうか

113:某研究者
06/11/26 17:46:55 YQ57kMrY
>でも日本兵はバラバラに行動して統制がとれないため
>認識がおかしい、欧州の兵隊は役立たずだから
>窮屈で柔軟性に欠ける、布陣なるもので統制とってただけだろ。

日本はレギオンの様な隊形
西欧はレギオンに敗れたファランクスの様な
隊形で有ったと言う
事だろうが
ナポレオン時代やボーア戦争時に
西欧軍も散開した訳だろうか

114:某研究者
06/11/26 18:00:11 YQ57kMrY
>スペイン軍が装備するカルバリンの射程距離は300~800m。
>豊臣政権軍が装備するフランキの射程距離は500~1000m。

此れ等は50mでも命中しないと言う
意見も有るから
発射速度が重要と言う事かも知れぬが
カートリッジの有るフランキの方が発射速度は
早い言う事かも知れぬが
大筒と比べてどうなのだろうか
(フランキでは数を積めない
 訳だろうか)
フランキ式で射角を変更可能な大筒を
多数装備すると言うのが
良かったのかも知れぬが
フランキは暴発が多いと言うし
早合を使用すれば良かったと言う事かも知れぬが

115:某研究者
06/11/26 18:11:51 YQ57kMrY
URLリンク(www.geocities.co.jp)
>一方で徳川方は、カルバリン砲やシェーカー砲といった、オランダ製の新型砲を使用しました。これらは弾丸を砲口からつめる前装砲で、確かに発射間隔は長くなりますが、密閉という考えのないフランキ砲と違い、爆発で生じたガスは100%弾丸の発射に伝わります。
>射程も長く、威力も大きいものでした。フランキ砲の射程が500メートルほどなのに、カルバリン砲の最大射程は4キロほどでした。

カルバリンとフランキと言うのは此処迄差が
有った訳だろうか

116:某研究者
06/11/26 18:13:15 YQ57kMrY
>仮に白兵戦になってもスペインの鈍刀では勝てない。

船上でも剣では無く槍を用いて居たと言う事は
無いのかだが
ハルバード等の短い物が
使用されていたと言う事は無いのかだが

117:某研究者
06/11/26 18:16:07 YQ57kMrY
普段は散開して大砲や銃撃を避け
騎兵突撃を受けそうに成ったら
前衛だけを密集槍陣にすると言う様な
方向も有るかも知れぬが

118:某研究者
06/11/26 19:40:10 YQ57kMrY
>朝鮮半島の日本の補給路の航路が一定であったのが、
>朝鮮海軍に兵站をやられた原因。

航路を変えるだけで勝てたのか
どうかだが
仮に届ける予定の補給物資が全部届いても
恐らく不足だったと言う事は
無いのかだが

119:某研究者
06/11/26 20:50:29 YQ57kMrY
>だから戦国日本では、かなり火縄銃が普及した後も弓は廃れる事なく併用されていた。

弓は基本的に騎乗して使用して居たと言う
事かも知れぬし
銃の装填中に射撃と言う意見も有るだろうが
銃は一斉射撃はして居ないので
弓が必要だったのかどうかだが
全体的に発射速度が落ちた時は
発射して居たと言う事かも知れぬが

120:某研究者
06/11/26 20:53:12 YQ57kMrY
>よく、戦国日本の軍隊の戦闘員は全体の3分の1程度と聞くのだけど実際、どうなんだろう?
>大阪夏の陣の時の伊達勢はおよそ1万の内、
>騎馬628騎、槍1360、弓100張、鉄砲3420挺
>これだと5割5部くらいでだけど・・・。

銃3000に対し弓100では
援護に成るのかだろうし
騎兵のみが弓を使用して居たと言う事は
無いのかだが

121:某研究者
06/11/26 21:41:54 YQ57kMrY
>一方、日本の場合は鎧などの装甲が重装備になるのは、鉄砲の伝来と普及まで待たねばならなかった。

銃の登場後鎧は軽量化されている訳だろうし
銃を防ぐ事は基本的に諦めて
槍を受け流すと言う方向に
成った訳だろうか


>実際のところ。日本の剣術は欧米のように突くことではなく斬ることを主としているだろう。
>貫通力で言えば突くことの方が良いのに斬ることを主としているのは、機動力を重視した武器だからだ。

まあ突きも一応考慮しているだろうし
1kgも無い様な剣で鎧兜や骨を殴ったら
此れは折れる確率が高い訳だろうし
強度を増す為の湾曲である訳だろうか
(日本刀は所詮サブウエポンであるから
 軽量化が求められたと言う
 事だろうか)
引いて切る為には
シミターや女型の薙刀の様に湾曲が多く無いと駄目と言う事だし
日本刀も西欧の剣同様叩くタイプの剣だが
軽いので湾曲して居ないと折れると言う
事だろうか

122:某研究者
06/11/26 21:46:24 YQ57kMrY
>日本って、今は河川が毎年同じように流れて、道路は縦横に走ってる国だけど、
>戦国期は平野は堤を破壊すればすぐに湿地帯になるのがこの国だよ。
>欧州の重装騎兵?突撃?
>後三年の役で柵に近づけずに狙い打ちされた武者みたいになるよ。

日本もいざと成れば
クルトレーの様な事が
出来た訳だろうか

123:某研究者
06/11/26 21:49:07 YQ57kMrY
>すると、戦国期、つまり16世紀末の段階だと、
>欧州の弓 > 火縄銃 > 日本の弓
>ってなところなんでしょうか。

クロスボウは早合も使えぬ訳だろうし
銃より発射速度が遅く
威力も銃より低く
ロングボウは発射速度は速いが
訓練に時間が掛かり
銃より威力が低いと言う
事だろうか

124:某研究者
06/11/26 21:57:08 YQ57kMrY
>①防御の限界:南北朝~室町時代にかけて弓が飛躍的に発展し、重装甲を無力化した。

URLリンク(www.0986.jp)
室町中期に出て来た四方竹弓と言うのは
大鎧を無力とする程
強力だったのかどうかだが
胴丸が使用されたのは足軽主体の戦闘が
原因であり
弓は袖や兜のしころの折り返しの部分では
十分止まったと言う事かも知れぬが
胴丸が当世具足と成ったのは
銃の登場で弓に対抗する為の
兜のしころの折り返しや
大袖等が不要に成った為だろうか

125:某研究者
06/11/26 22:10:37 YQ57kMrY
胴丸を二重にして居た者も
居たと言うが
此れは体力の有る者限定か
下馬しない大将が大鎧の代わりに
使用したと言う可能性も有るのかも知れぬが
当世具足ではこの様な事は
有ったのかどうかだが

126:某研究者
06/11/26 22:12:55 YQ57kMrY
>レパンド海戦でマスケット銃が十分機能したとは思えない理由は3つ。
>①乱戦時に銃を使用することは同士討ちの危険性が高いため。
>②乱戦時に揺れる海上で再装填が難しいため。
>③天候不順で不発、暴発の可能性が高いため。

大砲等は装填出来たのか
どうかだが
銃が再装填困難とすれば
海戦は一発大砲や銃を近距離で放った後
ラム等を使用するか
白兵戦しか無い訳だろうか

127:某研究者
06/11/26 22:18:45 YQ57kMrY
>戦国時代の日本では鐘、太鼓、貝、銅鑼などの楽器を体系化して、
>巧みに伝令に利用しています。

>同時期のヨーロッパの戦場における伝令システムの状況ははたして
>どのようなものだったのでしょうか?

URLリンク(ja.wikipedia.org)
西欧も18世紀には軍楽隊が
居たと言う事かも知れぬが

128:某研究者
06/11/26 23:13:56 YQ57kMrY
>1kgも無い様な剣で鎧兜や骨を殴ったら
>此れは折れる確率が高い訳だろうし
>強度を増す為の湾曲である訳だろうか

兜や鉄の鎧は兎も角
皮の札鎧や骨を打っても簡単に折れるのかだが
軽い剣同士で打ち合っても
折れるリスクと言うのは有る訳だろうし
湾曲には矢張り意味は有る訳だろうか

129:某研究者
06/11/26 23:28:39 YQ57kMrY
>1560年以降デミランサーの突撃槍を段階的廃止、銃へ移行。(英)
>1597年にマウリッツが騎兵の槍を廃止し、銃へ再編。(蘭)

後で槍騎兵が復活した事を考えれば
此れは失敗だったと言う
事かも知れぬが

130:某研究者
06/11/26 23:52:19 YQ57kMrY
URLリンク(gissv.cseas.kyoto-u.ac.jp)
>朱印船末次船の画像見つけた。
>なんだ、大砲積んでるじゃん。

8門程度の大砲が有るが
西欧艦の大砲の方が
矢張り多いのだろうか

131:某研究者
06/11/27 00:14:09 rnYFG2ts
朱印船は少数のフランキを装備だろうが

URLリンク(www.mirai.ne.jp)
アーク・ロイアル号(イギリス)

型式:ガレオン、4本マスト
進水:1587年
長さ:36.80m(バウスプリットから)
幅:約8.75m
深さ:約4.85m
排永量:約880t
武装:第1砲列18ポンドカルバリン砲16門
   第2砲列9ポンドデミ・カルバリン砲12門
   小型携帯砲
乗組員:舶員190名(砲手40名をふくむ),兵士70名

同時期の英は小型のカルバリン多数だろうし
フランキも近距離でしか当たらないなら
こちらの方が良かった訳だろうか

132:某研究者
06/11/27 00:32:00 rnYFG2ts
>朱印船末次船の画像見つけた。
>なんだ、大砲積んでるじゃん。

>8門程度の大砲が有るが
>西欧艦の大砲の方が
>矢張り多いのだろうか

上の朱印船は武装商船と言う
事かも知れぬし
軍艦を作るとすれば西欧の艦艇の様に
多数のカルバリンを装備したと言う事は
無いのかだが

133:某研究者
06/11/27 03:28:16 rnYFG2ts
>弓は袖や兜のしころの折り返しの部分では
>十分止まったと言う事かも知れぬが

脛当ては湾曲しているから
装甲強化は無用としても
草摺や佩楯は側面だけでも分厚くすると言う
方向も有ったかも知れぬが
草摺が分厚く成って居る物は
確か有ったかも知れぬが

134:某研究者
06/11/27 03:50:01 rnYFG2ts
URLリンク(homepage2.nifty.com)
>また鎧や袖、兜のシコロなどが腕や肩のうごきを制限するため、通常の騎射ほどには弓を引くことができない。
>弓勢を保つには強弓を用いる必要がある。さらに、弓手の角度への意識が足りない場合、矢は的の左側に向ってしまうことになる。
腕を前に出しつつ矢向けを平行に保つには、通常より弓手の腕の角度を内側に保持しなければならない。

まあ余り引かなくても飛ぶ強弓を
使えば問題は無いのかも知れぬが
(同じ腕力を矢に伝えるなら
 強弓なら余り引かなく共
 良い訳だろうか)
射程が短く成ると言う事は無いのかだが



135:某研究者
06/11/27 04:20:22 rnYFG2ts
>楯などを射砕く金神頭などが軍陣で使用された。

盾が果たして
砕けたのかどうかだが


>騎射なり馬上打物なり、馬上で尻を浮かせるには適した形状である。

此は白兵戦では
有利だったと言う事は無いのかだが


>弓の名手鎮西八郎為朝の弓手に出てしまった大庭は、為朝は九州育ちで馬上での弓の扱いは得意ではなかろうが自分は東国の出身で騎馬には慣れている、と考え、為朝の右側(大庭からみて弓手)に回ろうとした。
>その読みどおりすれ違いざまに為朝の射た矢は狙った体の真ん中をはずれ大庭の膝に当たった。このセオリーを知らなかったら殺されていただろう、と言うのである。これらの記述は弓手を取ることの重要性を当時の武士が認識していたことの証左と言えよう。

敵騎兵の右に回り込んで矢を避けると言うのは
アルスラーン戦記等で有ったかも知れぬが
敵も旋回する訳だろうし
果たして上手く行くのかどうかだが


>なお、軍記物の記述で見られる敵を射止める場面では、正面から胸板を貫く、鞍の前輪・後輪ごと射通す、草摺の上から膝を射抜く、などが「保元物語」などで見られる。

矢張りしころや袖の部分以外は
近距離では貫かれていた訳だろうか


136:某研究者
06/11/27 04:23:57 rnYFG2ts
>つまり、射向けの袖とは弓を射るときに敵に向う側、すなわち左側の鎧の袖を、間額(真向ともいう)という兜の正面、庇の部分に当てることで顔面を防御せよ、ということである。
>騎兵は鞍の上で腰を右に捻り、さらに左袖を身体の正面に持ってきている。こうして正面から飛んでくる矢を手楯の代りとする左袖で受け、身体正面及び顔面を守るのである。
>実際は袖の上部(冠板という)が目の下の位置までせり上がり、兜の庇と袖の冠板の間から目が覗くような姿勢になっていたのではなかろうか。(右図:射向けの姿勢をとる金為行「前九年合戦絵巻」)

袖の部分で顔迄
防御していた訳だろうか


>「あき間」以降の記述も防御に関して述べたものである。(3)でも触れたあき間を作らないよう「常に鎧つき」するよう指示し、
>さらに内兜を射させるような姿勢をとらないよう戒めている。鎧は長時間着用していると自然と隙間があいてくるものだが、身体を揺さぶることでこの隙間を正すことができる。
>この行為を「鎧つき」という。射向け姿勢と並んで防御の勘所と言えよう。

札鎧の場合この様な問題も有る訳だろうが
近距離ではどの道
貫かれる訳だろうし
袖やしころで止める以外は
無い訳だろうか
(後は鞍の部分で上手く矢が止まるのか
 どうかだが)

137:某研究者
06/11/27 04:36:34 rnYFG2ts
URLリンク(www.pref.ishikawa.jp)
鞍で草摺の部分が上手く
隠れるのかだが
佩楯の一部も隠れるかも
知れぬが

138:某研究者
06/11/27 06:06:28 rnYFG2ts
URLリンク(www.iranchamber.com)
パルティア弓騎兵の鎧では弓は止まらないかも知れぬし
矢張り日本の鎧のしころや
袖の様な物が必要である訳だろうか


URLリンク(www.iranchamber.com)
ササン朝ペルシャの騎兵は盾を肩に
装備しているが
弓もこの状態で引いたのかだが
兜の部分は脆い訳だろうか

139:某研究者
06/11/27 06:19:50 rnYFG2ts
URLリンク(www.royalarmouries.org)
モンゴル騎兵も肩に盾が有る様に
見えるが
此れ以外の写真では無いだろうか

140:名無し三等兵
06/11/27 17:16:41
モンゴル軍の弓は馬上でも射ることが出来る短いものだったが、飛距離はかなり高かったらしいな。
歴史上、優れた兵器があればそれを生かしきる戦術を練ることが出来れば勝利を得れるものだが
モンゴル軍の軽騎兵のみの迅速な速力は、当時の国々を圧倒できるものだったわけだ

141:某研究者
06/11/27 17:17:51 tdhwT5vy
URLリンク(2ch.dumper.jp)
>回答:朝鮮侵略時は朝鮮が秀吉が当初予想し
>た以上に弱く戦線が急拡大した。
>このため、兵站線が延びて兵糧の供給が追い
>つかなくなった。

小田原攻めの際に兵糧を輸送したと言うが
この場合も
現地調達+輸送で保ったと言う事かも知れぬし
ゲリラ戦等で現地調達が困難なら疲弊せざる
負えなかったと言う事なのだろうか


>だから朝鮮水軍って戦闘行動半径がものすご
>い短いし、戦争が進んで朝鮮南岸の良港を
>日本軍に押さえられてしまうと、ほとんど何
>も出来なくなってしまう。

水軍では無く現地のゲリラ活動に負けたか
或いは生産性が低かったので
調達困難だったと言う
事かも知れぬが
後者の説が有力と言う
事だっただろうが
其れは敵も同様だろうし
兵糧が無いなら
少数精鋭で城や地形を利用して
上手く戦った方が
良かったと言う事かも知れぬが




142:某研究者
06/11/27 17:22:22 tdhwT5vy
17世紀日本の戦船は日本、中国、西欧の技術を採り入れた船だった。

2本マストにバウスプリットを持ち、基本構造は欧州船そのもの。
さらにスプリットセールと船尾のラテン帆を持ち、
キャラックに近い全装帆船であったと推測されている。

大きい相違は2本のマストに張る大帆が中国ジャンク式の縦帆になっており、
帆装としては原型のキャラックより使いやすさを重視したのであろう。

船体は全体としては中国式に見えるが船尾はキャラックに近く、
船首水面近くに設けた張出し船楼はキャラックにも中国船にもないもので、
17世紀日本軍船式の独特な櫓で砲撃の利便性と防御性を重視されていた。

ある推定によると総トン数は数百トンと見積もられており、
同時期のヨーロッパ外洋帆船に匹敵した。
Posted by 某研究者 at 2006年11月12日 14:34
>17世紀日本の戦船は日本、中国、西欧の技術>を採り入れた船だった。

URLリンク(www.mekong.ne.jp)
恐らく上のタイプの船だろうが
中華風の装飾を施した
西欧艦と言う印象だが


>ちなみに山田長政がタイで頭角を現したの
>は、アユタヤに攻め込んだ
>スペインの軍艦2隻を撃沈したのがきっかけ。

上の艦でスペイン艦を
撃沈したのだろうか

143:某研究者
06/11/27 17:22:55 tdhwT5vy
1560年以降デミランサーの突撃槍を段階的廃止、銃へ移行。(英)
1597年にマウリッツが騎兵の槍を廃止し、銃へ再編。(蘭)

>刺突武器は敵兵に刺さったまま抜けなくなる
>危険性が高いため、
>馬の機動性が活かせなくなる。
>突撃槍は根本的な欠陥を抱えた不良品であ
る。

まあしかし槍が復活したのも
事実だろうし
馬を狙えば剣を持つ騎兵は何も出来無い
訳だろうか
Posted by 某研究者 at 2006年11月12日 15:14
>おまけにキリスト教側は、味方の船ごと大砲
>で撃つという荒っぽい戦術も取ってたようだし

【レパンド海戦の経過】
>戦闘は午前10時に始まり、午後4時に終わっ
>た。

>オスマン帝国の旗艦が捕獲され、
>ドン・ジョンの意向とは反対に敵の司令官ア
>リ・パシャは斬首された。
>スペインの旗艦のマストにアリ・パシャの首
>が掲げられたことで、
>オスマン帝国側の士気は崩壊した。


こんな野蛮な真似は
イスラム側は行わないと言う
事かも知れぬが

144:某研究者
06/11/27 17:27:55 tdhwT5vy
>レパンドの海戦における十字軍の勝因は『重装甲』だったためです。
>オスマン艦隊はアザプ(海兵)中心であり、海への転落事故に備え軽装でした。
>逆に十字軍艦隊は騎士や貴族が中心であり、転落の怖さを知らないがゆえに、
>全身鎧を身に纏っていました。

大砲では無く鎧が役に
立ったと言う事かも知れぬが
以後の戦いでは何故か使用されて
居ない訳だろうか
(鎧を着た侭泳ぐ訓練は貴族はして居たかも
 知れぬが
 雑兵はどうだったのだろうか)


>もし実際に戦国日本の軍隊と欧州の軍隊が戦ったら、背景社会が米社会か麦社会かの
>違いって大きいような気がする。
>欧州では例えば三十年戦争とかでも万単位の兵員を動員した軍団は、傭兵達を食わせて
>いけそうな都市から都市へと渡り歩くのが精一杯で、戦略なんか二の次三の次といった
>感じだった。


矢張り当時の兵站能力では
生産性の低い土地を移動するのは
自殺行為で有る訳だろうか

145:某研究者
06/11/27 17:30:27 tdhwT5vy
>カルヴァリンは1発発射するのに3分かかったそうだ。かなり時間がかかってるな。

>海戦における艦砲の話題があるようだけど、近世どころか近代にいたっても、
>艦砲は命中率も威力も低い兵器で信頼性はなかったみたい。

>1866年リサ海戦で戦力に劣る墺海軍の提督テゲトフは、艦砲は滅多に当らず、
>当ったとしてもたいして損害はない。と、確信して体当たり戦術を敢行して、
>敵フリーゲート艦をマウスバスト(衝角)突撃で撃退してるよ。

ネルソンタッチと言うのも
完全に白兵戦の戦術だろうし
複数艦が敵旗艦に対して至近距離で一発放ってから
兵員を突入と言う方向だっただろうか

146:某研究者
06/11/27 17:31:42 tdhwT5vy
>レパント海戦の艦載砲の射程は1650mとされているが一発撃つたびに
>砲撃の反動で台座を破壊して自分の船を壊してしまい、
>敵に与える以上の損害を自分たちに与える(まぬけすぎる)ために、
>このような大口径の大型大砲は当時使われなくなった。

発射試験と言うのは
一応していたのかだが
この段階で消えたのか
どうかだが


URLリンク(upload.wikimedia.org)
プレートアーマーも胸部は湾曲して居ないし
この部分が弓や槍等で貫かれる事は
多かったかも知れぬが


147:某研究者
06/11/27 17:33:19 tdhwT5vy
URLリンク(2ch.dumper.jp)
上の方でポルトガルが軍艦3隻で簡単に勝てるって誰か言ってたけど
それは多分1565年のポルトガルのカラック船(船員80人)が平戸で
和船10隻と切り込みようの小船50隻に勝ったから言ってんじゃないの。
もちろん軍艦3隻ってのは誇大表現だしそれから柴田勝家がポルトガル人に
大船と兵1万5千人でも2万両と引き換えにしてもいいといったように
その技術を取り入れることを欲してたからずっと多くなろうが。


URLリンク(ja.wikipedia.org)
永禄8年(1565年)、ポルトガルの商船と生月の加藤氏率いる平戸艦隊が平戸海峡で激突する。しかし平戸軍は完敗し以後ポルトガル船は平戸を避け横瀬浦に入港するようになり、平戸はそのため衰退に向かう事となった。

148:某研究者
06/11/27 17:35:17 tdhwT5vy
URLリンク(bungo79.hp.infoseek.co.jp)
肥前平戸の七郎ノ宮の門前で、ポルトガル商人、フェルナンデスら十三人と一人の日本人が綿布の取り合いでイザコザになっている所に、
松浦家臣の伊藤甚三郎が通りかかった。フェルナンデスらは伊藤を見て、斬られると勘違いして襲いかかってきたため、伊藤はしかたなく十三人を斬った。
しかし、これが後に問題になり、宣教師のコスメ・デ・トルレスは貿易は金輪際、松浦家とは行わず大村家と行うと宣言した。

80人の船1隻に60隻の船が
負けると言うのも
不可解だろうし
レパントでも大砲は決定打とは
成らなかったと言うから
船員の装甲に負けたのかだが
商戦に装甲の有る兵はそう居たのか
どうかだろうし
多人数で組み討ちに持ち込まれれば装甲等
無力だろうから
日本側も負けたのでは無く
ポルトガル帆船が速力で逃げたと言う事では
無いのかだが
或いは帆船の速力で逃げ乍ら
銃撃を加え続けたと言う
可能性も有るかも知れぬし
当時の日本船は未だ防弾は無かったと言う
事かも知れぬが

149:某研究者
06/11/27 17:37:01 tdhwT5vy
URLリンク(www.rekishi.info)
また、これは記録にはなく状況証拠からの全くの想像ですが、安宅船のような大型船が総矢倉の上に設けていた矢倉が火箭対策に有効に機能した可能性を考えても良いように思います。
総矢倉の甲板上に火箭が落ちてきたとき火薬を身につけた銃兵が大混乱に陥る可能性が高いことは既に指摘しましたが、
甲板上に設けた矢倉内に入り、その銃眼から射撃すれば、こうした火箭の第一時的被害からは逃れられるのです(この矢倉が鉄板や銅板のような金属板あるいは、
城郭建築のような漆喰で覆われていればさらに有効でしょう)。


日本船も後には
総矢倉の板で銃に対抗するだけでは無く
火箭対策で
矢倉迄立てられていた訳だろうか


150:某研究者
06/11/27 17:38:22 tdhwT5vy
URLリンク(2ch.dumper.jp)
>優れた戦術と主張するスペインのテルシオ戦術の特殊要件を考慮するならば、
>さらにスペインの敗北する確立が上昇する。

大砲(大筒)の数の差
隊形の差で
テルシオが壊滅と言う可能性が
高い訳だろうが
銃(無論総数では無く比率だが)はテルシオの方が多かったかも知れぬが
此れは狙撃では無いので
余り役に立たないと言う事だっただろうか
ピストル騎兵や重装槍騎兵も
地形が無く共高精度の火縄銃の狙撃で壊滅と言う
可能性も有る訳だろうか
(トルコ騎兵は射程の長い弓を持って居るので
 火縄銃でアウトレンジ出来るのかどうかだろうし
 此れを叩くには地形が必要かも知れぬが)
テルシオの大砲の炸裂弾と言うのは
この時点では殆ど数は無い訳だろうか


>あと、どの文献かわすれたけど、長巻で馬の足を刈る部隊を関が原で編成していた、
>西軍の大名家も確かいたはず。
>下馬して戦闘してるなら、馬の足を刈る長巻部隊なんかいらないと思うが

鎌倉時代の徒士も
長巻で馬の足を刈っていたと言う
事なのだろうか


151:某研究者
06/11/27 17:39:47 tdhwT5vy
URLリンク(www.rekishi.info)
秀吉軍の大砲軽視という批判はあたりますまい。日本の水軍にとって有効な戦闘方法は総矢倉と呼ばれる装甲された上甲板の銃眼から鉄砲を撃ちかけ、接舷切り込みをかける方法だったわけです。
そう考えると、肥前名護屋城図に描かれた天守閣の様な巨大な矢倉(前述の総矢倉とは別物)の存在も乗船者の単に権力の誇示や虚仮威しには見えなくなってきます。つまり敵船を見下ろす位置から有効な射撃が可能となってくるのです。
現実問題として、朝鮮の役中の朝鮮側の記録にも、日本軍船がのせた巨大な矢倉に注意が向けられています。


URLリンク(www1.cts.ne.jp)
上の安宅船の矢倉と言うのは
可也効果が有った訳だろうか
(故に此れを装備する大型船は
 有効だったと言う事なのだろうか)


152:某研究者
06/11/27 17:40:47 tdhwT5vy
URLリンク(www.rekishi.info)
>水軍書に言う「井楼船」の有効性もここにあ
>りましょう。ただ、江戸期の水軍書は「井楼
>船」を艦種の一つに扱っていますが、戦国時
>代の記録や文書では、「井楼船」と安宅船を
>同一あるいは同種のものとして扱っている事
>例がまま認められます。「井楼船」の扱いに
>は注意が必要かもしれません。


URLリンク(www5b.biglobe.ne.jp)
>これらの船の他兵員や兵糧を運んだ荷船、関
>船や荷船などに楼をくみ高い位置から安宅船
>などを狙う井楼船(せいろうせん)などがあ
>り、安宅船を中心として船団をくんでいまし
>た。


高い矢倉は小型船でも
装備して居た物が有った訳だろうか
(西欧の船もマストからの銃撃と言うのが
 有った訳だろうが
 この部分は防弾されて居たのか
 どうかだが)

153:某研究者
06/11/27 17:41:46 tdhwT5vy
URLリンク(www.rekishi.info)
>また、この頃から日本側の火箭対策が目に付
>くようになります。九鬼の御座船日本丸は、
>釜山の泊地が襲われたときは、火箭対策に不
>燃性の絹布の幕を二重三重に張り(前述した
>ように、これは甲板上に待機する銃兵を火箭
>の火から守るためのものでしょう)、舷側に
>は突き刺さった棒火矢・火箭をたたき落とせ
>るように、縄で縛った丸太や切り株を下げて
>いたといいます。棒火矢が命中したときは、
>これを落として火矢を海中に叩き落とすわけ
>です(これは鉄板装甲していれば無用の装備
>です。この点、九鬼の日本丸には、毛利水軍
>と闘った安宅船のような鉄張り装甲は無かっ
>たと考えられす。)。

丸太が有れば火矢を防ぐ
重い鉄甲と言うのは
必要だったのかどうかだが


URLリンク(www.rekishi.info)
この船が実際どのくらい活躍したかとなると、先学のご指摘どおり大いに疑問なのです。毛利水軍との所謂「木津川口の海戦」ですが、
大鉄砲で毛利方の指揮船を打ち崩しと景気のいいことを書いているのは『信長公記』のみで、肝心の九鬼家の家伝でも大鉄砲を撃って勝ったくらいのことしか書いておりません。


矢張り大砲で勝ったのでは無く
装甲での火矢の防御と
矢倉からの上からの銃撃で勝ったと言うのが
正しいのかも知れぬが


154:某研究者
06/11/27 17:44:41 tdhwT5vy
URLリンク(www.rekishi.info)
日朝双方の船の相違点をまとめれば、前述のように和船の水切りの良い平断面形に対し、
「板屋船」は平底で平面的にも箱形を呈すること、和船(特に軍船)が木綿帆を使用するのに対し、
ムシロないし網代の折りたたみ帆を使用すること(ちなみに、金先生は櫓走ならともかく、
帆走性能で朝鮮の船が和船に優れると書かれていますが、根拠が示されておらず実証的ではありません。
単帆の和船の速度は、二本マストのブリッグよりも速かったという江戸時代の記録があります。単帆とはいえ、
木綿帆の和船の帆走性能はすばらしいものがあったようです。)。
櫓が和船が一人が漕ぐ小櫓、大櫓でも二人で漕ぐのに対し、朝鮮の船が5~6人で漕ぐ大櫓である点(ただし、櫓の総数は少なくなる)、
厚板を連ねた箱形船体の朝鮮船のほうが、棚板構造の和船より丈夫とまとめられるでしょう(ただ、安宅船クラスの大型船の場合、
棚板や船底材「かわら」も相当厚いものが使用されますので(狭山池の発掘では慶長期の安宅船の転用材と見られる板材の暗渠が発見されています。)、
板材の厚さからすると、構造的にやや劣る程度で、実戦面でさほど弱かったとも思えませんが・・・・。また、言われているように、
安宅船に防水用の区画があったとすれば、船体強度は更に増すことになります


帆走速度は木綿帆を使用する日本船の方が
高速だった訳だろうか

155:某研究者
06/11/27 17:49:25 tdhwT5vy
亀甲船=アルマダ海戦の英の
焼き討ち船であり
此れの特攻で隊形を乱された後で
各個撃破を受けたと言う
事かも知れぬが
火炎や砲撃でやられたのかどうかだろうし
(初期の艦艇には不燃布等の
 防火装備は余り無いなら
 火炎でやられたと言う可能性も
 有るかも知れぬが)
白兵戦で各個撃破されたと言うのが
正しいのだろうか
(後期には大筒の装備や地上からの
 軽量砲の砲撃で
 亀甲船を叩いていた訳だろうか)
  

地上からの砲撃の方が
海上からの砲撃より精度も高く
大筒は装填速度が高速であるなら
此れで可也やられたと言う可能性も
有るかも知れぬが
(まあしかし大筒に早合と言うのは
 有るのだろうか)


156:某研究者
06/11/27 17:55:09 tdhwT5vy
>亀甲船=アルマダ海戦の英の
>焼き討ち船であり
>此れの特攻で隊形を乱された後で
>各個撃破を受けたと言う
>事かも知れぬが

命中しなく共此れを回避する事で
隊列が乱れ各個撃破を
受けると言う事かも知れぬが
精度の高い地上からの砲撃や
艦艇の大筒等の装備で
後期は可也やられていた訳だろうか

157:名無し三等兵
06/11/27 18:14:07
ちょっと待て。
鉄板貼った安宅船は捏造だろ?

158:某研究者
06/11/27 19:13:55 IKScA6bz
鉄板等無く共銅版や布・棒等で
火矢は防げると言う
事かも知れぬし
大砲で毛利水軍を倒したのでは無く
矢倉等の上方からの銃撃と言う
事かも知れぬが
大筒も多数搭載していればだろうが
毛利側も此れは多いと言う
事かも知れぬが

159:某研究者
06/11/28 03:19:41 bfGuLMT5
毛利側が大型の鉄甲船に乗り移るのは
甲板の高さの問題で困難かも知れぬし
乗り込めぬ侭上方の矢倉等から銃撃を
受け続け
壊滅したと言う事かも
知れぬが
鉄甲船側も大筒で可也打撃は
受けなかったのかだが

160:某研究者
06/11/28 20:12:31 +qgeC+Sr
朝鮮出兵時の日本船は
棒で火矢を落とすと言う事も
行っていた訳だろうし
鉄板の無い西欧の艦艇も
火炎攻撃に対しては
同様の事を考えた可能性も有るだろうが
ギリシャ火等を受ければだろうが
此れは砂でも掛けて居たのかどうかだが
果たしてギリシャ火で攻撃は受けたのか
どうかだが

161:名無し三等兵
06/11/28 21:23:57
アルケブスやマスケットの部隊って
一列目が発射→後退、装填開始→二列目が前進、発射→二列目が後退
みたいに発射してたの?

162:某研究者
06/11/28 22:18:46 +qgeC+Sr
マウリッツのオランダ式大隊以降は有った様だが
テルシオでは後期でも無い訳だろうか

163:某研究者
06/11/28 22:19:53 +qgeC+Sr
ギリシャ火と言うのは
東洋には伝わらなかったのだろうか
(有ったとしても原料は
 中東等から輸入するしか
 無かったかも知れぬが)

164:某研究者
06/11/28 22:23:01 +qgeC+Sr
URLリンク(ja.wikipedia.org)
さらにマウリッツは斉射戦術を発展させ、背面行進(カウンター・マーチ)と呼ばれる戦術を編み出した。まず、前列の兵が斉射する。その後、前列の兵は最後尾に移動して装填を行う。
その間に、後列の兵が進み出て斉射をする。これを繰り返すことによって、理論上は途切れることなく斉射を浴びせかけられることができる。いわゆる長篠の戦いの三段撃ちと同じ戦術である


また、グスタフ・アドルフは背面行進以上に攻撃的な、漸進斉射戦術と呼ばれる戦術を編み出した。まず、前列の兵が斉射する。その後、前列の兵は最後尾に移動せず、その場で装填を行う。後列の兵は前列の兵の前に進み出て斉射をする。
これを繰り返すことによって、敵に接近しながら斉射を加えるのである。この漸進斉射戦術は、敵の隊列を撃破する可能性を銃兵に与えた。

上の銃撃方法は
以後のナポレオン戦争等でも用いられたのか
どうかだが

165:某研究者
06/11/30 19:28:26 v41D7BrX
URLリンク(www.k2.dion.ne.jp)
上を見る限りザクセン軍のテルシオは
皇帝軍のカラコール騎兵で撃破されて居ると言う
事かも知れぬし
テルシオはカラコール騎兵と比べても
火力が低かったと言う事かも知れぬし
ピストルの銃撃で混乱した所で
サーベル突撃を受けたと言う可能性も
有る訳だろうか

166:某研究者
06/11/30 19:34:05 v41D7BrX
>手間取りましたが、なんとか全軍の指揮が取れるようになったティリーはこのチャンスに、歩兵大隊をゆっくり方向転換させてスウェーデン軍左翼を包囲し、
>騎兵隊にはスウェーデン軍を後方から襲撃させようとしました。左翼の危機に気づいたグスタフ・アドルフは急いでスウェーデン軍の前線の向きを変え、
>敵の襲撃に対して統一火線をつくることに成功します。旧教連盟軍の襲撃隊は、スウェーデン軍の猛烈な銃撃に遭って後退を余儀なくされました。

火力の高いスウェーデンの歩兵に対しては
カラコール騎兵は銃撃でやられて居たと言う
事だろうか

167:某研究者
06/11/30 19:42:23 v41D7BrX
URLリンク(www.k2.dion.ne.jp)
リュッツエンでも
スウェーデン軍は中央を後退させて
皇帝軍歩兵を壕から出し
カンネーの様に包囲して叩けなかったのかだが
ヴァレンシュタインなら其の様な手には
乗らなかった可能性も有る訳だろうか

168:某研究者
06/11/30 20:22:19 v41D7BrX
URLリンク(www.t3.rim.or.jp)
>この日の天候は最悪で、戦場は濃霧に覆われ、視界がほとんどありませんでした。そのためスウェーデン軍は、戦略的優位性を有する銃砲撃力を十分に発揮できなかったのです。こうして、戦闘は伝統的な白兵戦で終始しました。

歩兵は白兵戦の為に
パイク兵が前衛に出ていると言う状況なら
互角だったと言う事かも知れぬし
カラコール騎兵の銃撃を
一方的に受け得たと言う可能性も
有る訳だろうか

169:某研究者
06/11/30 20:23:06 v41D7BrX
濃霧の状態では皇帝軍も壕からの射撃と言うのは
可能だったのかだろうし
此れは行われなかったと言う可能性も
有るかも知れぬし
パイク兵の比率の多い皇帝軍の方が
歩兵の白兵戦では優勢だったと言う事だろうか
(騎兵同士の戦いではスウェーデン軍の方が
 優勢だろうし
 此れを生かして勝利したと言う事かも知れぬが)

皇帝軍の丘からの砲の射撃は濃霧の状況では
有効だったのかだが
スウェーデン軍も此れを奪った後
利用したのだろうか
(此れで背後から砲撃を受ける事と成った
 皇帝軍は
 可也混乱したと言う事は無いのかだが)


170:某研究者
06/11/30 20:27:56 v41D7BrX
>濃霧の状態では皇帝軍も壕からの射撃と言うのは
>可能だったのかだろうし

濃霧で無く共柵も無く
機関銃も無い状態では
騎兵やパイク兵に蹴散らされていたと言う可能性も
有るだろうか
(テルシオの銃兵と言うのは
 余り多くは無い訳だろうか)
まあしかし砲撃戦をやるなら銃兵の損害は
減らせたと言う事かも知れぬが
後方のパイク兵がやられたと言う事は
無いのかだろうし
砲撃戦をした後銃撃のみでスウェーデン歩兵を
阻止出来る訳では
恐らく無いだろうか

171:某研究者
06/12/05 22:00:52 RSZ2c9Yw
ピストル騎兵と言うのも
イタリア戦争等で仏重騎兵に対抗する為に
スペインが考えたと言う事かも知れぬが
トルコの軽騎兵の影響等は
無かったのかどうかだが
(第一次ウィーン包囲や
 モハーチでのハンガリー軍敗戦が
 影響していると言う事は無いのかだが)

172:某研究者
06/12/05 22:01:42 RSZ2c9Yw
仏重騎兵では無く
弓を持つトルコ軽騎兵に対抗する為に
ピストル騎兵を編成したと言う事は
無いのかだが

173:名無し三等兵
06/12/07 12:38:23
ゲーむネタで済まぬが、アメコンでHarquebusierや、Musketterが、射撃した後
筒先から籠め矢をコシコシコシコシするのがリアル。 だが前列発射後、後列と交替はしない。
密集して前列が屈み、後列が立って撃ってる。
マスケットは重くて、動いて撃てないし、屈んだら耳元で爆音するわでかなわんだろうなぁ

174:名無し三等兵
06/12/09 07:04:46 2bhxR4UH
某研究者さんの文章は、
昔筒井康隆が書いた「確かにまあ大阪というのは」を思わせるな。
あれも句読点を使わずに「まあ」で繋げていた。

175:名無し三等兵
06/12/09 08:58:00 ukChE77I
エンドレスな独り言をスレでやる意味あんのか?

176:某研究者
06/12/10 13:13:07 +uLemO1X
初期のテルシオは前列の銃兵は2列だが
2列が同時に発射して居たと言う
事なのだろうか
(後期の銃兵の増えたテルシオは流石に
 前後は入れ替わって発射して居ただろうが
 槍兵を銃兵で囲むと言う隊形は
 側面や後方の銃兵が遊兵に成り易いかも知れぬし
 パイク兵の迅速な突撃等も
 困難に成る訳だろうが)

177:名無し三等兵
06/12/10 14:14:16
鉄砲はその音の威嚇効果も高かったらしいから、どうせなら一斉に撃ちたくなるだろうし
それこそ、下手な鉄砲でも数を撃ては当たるだろうから、最初の一斉射で可能な限り
相手の数を減らしたくなるんじゃないのかな
ニ撃目で遅れをとる可能性はあるけど、相手がこちらと同等なら結局は有利だと思う

178:名無し三等兵
06/12/10 14:57:08
国土交通省のアレはお前か!!

179:名無し三等兵
06/12/13 23:04:47 mS0GvgCc
「現在は一瞬のうちに過去となり! 誰もがいつかは死に!
 運命は人智をこえて荒れ狂う! それが当然だといわんばかりに!!

 私はそんなこの世のすべてを憎む!
 熱力学第二法則を憎む!!」


180:某研究者
06/12/17 04:08:09 L1TiLn6g
URLリンク(ja.wikipedia.org)
上の様な陣形でテルシオやオランダ式大隊等に
勝てるのかどうかだが
本隊以外はテルシオと異なり
銃兵は前方に集中しているし
この点では有利と言う事かも
知れぬが

備えは700-1000人単位だが
URLリンク(ja.wikipedia.org)
テルシオは250人単位で動いている訳だろうし
オランダ式大隊やスウェーデン式大隊は
150人単位と言う事だろうか

181:某研究者
06/12/17 04:10:38 L1TiLn6g
合計・・・侍35人、奉公人112人、足軽141人、中間5人、人夫39人、口取22人(計354人) 乗馬32頭、駄馬22頭(計54頭)
※奉公人は侍に仕える武家奉公人、中間・人夫・口取は大名に仕える武家奉公人という位置付けになる。

失礼備は300-1000と言う
事だろうか

182:某研究者
06/12/17 04:13:23 L1TiLn6g
騎馬武者も

内訳・・・侍22人、奉公人58人(計80人) 乗馬22頭(計22頭)

代わりの馬と言うのは
無いと言う事なのかだが

183:某研究者
06/12/17 04:24:33 L1TiLn6g
まあ部隊の人数の差に拠る柔軟性の差が
有る訳だろうし
此れで備えが敗れる可能性は有る訳だろうが
大筒の数や銃の精度の差で勝つと言う
可能性も有る訳だろうか

184:某研究者
06/12/17 06:38:29 L1TiLn6g
ゲームの戦闘等でも
300-1000人単位の備えを動かして
槍兵や鉄砲足軽の前後を入れ替え
向きも変更出来ると言う様な
方向に
単純化出来ると言う事かも知れぬが
備と言う単位で
そう細かく動かして居たのかだろうし
魚鱗等のおおまかな陣形を支持していただけと言う事は
無いのかだが
(初期配置で魚鱗等が選べ
 其処から備えを自由に動かすと言う方向も
 有る訳だろうか)

185:某研究者
06/12/17 06:42:30 L1TiLn6g
大将からの指示は
陣形及び備えの位置を
指定すると言う
程度かも知れぬが
撤退や攻撃は兎も角
細かい陣形の支持等を即座に音等で
伝えるのは
困難だろうか
(まあ本陣の槍兵や鉄砲足軽等の向きは
 即座に変更可能だろうが
 其処迄大将が指示していたのか
 どうかだが)

186:某研究者
06/12/17 06:46:10 L1TiLn6g
視界には限りが有る訳だろうし
敵味方の位置の把握に
伝令を利用するしか無い場合も有るだろうが
視界内なら敵味方の数は
旗で可也把握出来ると言う
事だろうし
旗で可也遠くの敵味方も
直接大将が把握可能と言う事かも知れぬが

187:某研究者
06/12/17 07:13:57 L1TiLn6g
総大将の場合は備えを動かすのでは無く
武将単位で命令を出すと言う
事だろうし
ゲームとほぼ同じと言う
事だろうか

188:名無し三等兵
06/12/17 07:40:09
某研もゲームするのか…
どんなゲームしてるの?

189:名無し三等兵
06/12/17 08:08:53
>>188
多分total warシリーズだろう。

190:某研究者
06/12/17 14:48:07 SZgv5oUN
陣形と言うのは全軍単位で
決めるのか
或いは武将の配下の備も
陣形を作る事が有るのか
どうかだが
武田信玄の鶴翼陣形と言うのは
矢張り全軍単位の物と言う
事だろうか

191:名無し三等兵
06/12/19 01:45:48 IAQvERzI
ボウケンさん、レイピアって2kgとか重いのが常識ですか?
平均1.5kgって本当ですか?

192:名無し三等兵
06/12/19 02:19:13 IAQvERzI
他のスレでついそんなこと書いちゃったもんで・・・

193:贋研究者
06/12/19 16:42:59
リアルですさんでるときネットで冒険の常に変わらぬ
ヒトリゴチックな文体を見ると癒されるかも知れぬが
例えば今のようについ和んでしまったときなど
不覚と思うこともあるのだろうか

194:某研究者
06/12/20 14:34:07 GBWpkl58
>ボウケンさん、レイピアって2kgとか重いのが常識ですか?
>平均1.5kgって本当ですか?

URLリンク(ja.wikipedia.org)
重量は1.5kgほどあり、見た目よりも重い。

15世紀中頃にフランスで「エペ・ラピエル」(フランス語でepeeは剣、rapiereは刺突を意味する)と呼ばれる刺突用の剣が生まれ、これがレイピアの語源とされている。

1.5kgとの事だが
15世紀には有った訳だろうか

195:某研究者
06/12/20 14:36:30 GBWpkl58
>戦場ではブロードソードやサーベルが使われ、レイピアが使われたのは主に街中の護身用あるいは決闘の武器としてであった。

と有るが

>15世紀中頃にフランスで「エペ・ラピエル」(フランス語でepeeは剣、rapiereは刺突を意味する)と呼ばれる刺突用の剣が生まれ、これがレイピアの語源とされている。

上は実戦用だったと言う事は
無いのかだが

196:某研究者
06/12/20 14:38:55 GBWpkl58
URLリンク(www2.nns.ne.jp)
>語源はフランス語の「エペ・ラピエレ」。エペとはフランス語で”剣”を、ラピエレは”突刺”を意味する。
>15世紀頃、最初は宮廷の儀礼用(決闘)刀剣だったが、これはあまりにも軽量だったために実戦では用いられていないが、その後、スペインで発展した「エスパダ・ロペラ」と呼ばれたものがレイピアの原型。

と有るが
スペインのエスパダ・ロペラは実戦で用いられたのか
どうかだが

197:某研究者
06/12/20 14:43:23 GBWpkl58
URLリンク(yoyo-jp.net)

常に距離を保つ
剣を持った場合、距離を保つと都合が良い。対戦相手と接触するのはきわめて短く、ほんの数秒だ。その後、次の攻撃がはじまるまで相手と離れている。

突きで討ち合い、刃をぶつけあわない
映画で絶え間なく剣を交わしたりするのは本当ではない。実際の戦いでは突きでやりあうが、決して刃をぶつけようとはしない。逆に、剣士は常にそれを避けようとする。

つかみ合いが流行だった
これが最も重要な特徴の1つである。敵は相手を引っ張り、手か、柄の近くの刃の重い部分をつかもうとする。

確実に倒せる瞬間を求めて出入りする
対戦相手に近づいたり距離を保ったりしながら、絶えず出入りする。とどめの一撃で相手を確実に倒せる瞬間を探し、毎回2~3のアクションを行う。

レイピアでの戦いと言うのは
現実には上の様な物だった
訳だろうか

198:名無し三等兵
06/12/20 16:01:12 tSo+RHVA
>>194
ボウケンさん残念でした。日本のウィキペディアは大間違いを書いているんです。
誰が書いたのか知りませんし、根拠も書いてないので、私としては修正する気にもなりませんが。
あと、もうすこしマトモなリサーチ先ってないんですかね・・・

URLリンク(jan.ucc.nau.edu)
URLリンク(www.nationmaster.com)
URLリンク(www.musketeer.org)

↑他にも、多くの美術館でのレイピアの重量に関する記載がありますよ
↑ご自分でもリサーチしてみられたらいかがですか?

レイピアは市民の護身用、戦場の実戦では使われていなかったのが通説。
まあ、外人が日本刀に誤った見識をもっているのと同様ですな。

199:名無し三等兵
06/12/21 08:11:50
なぜ剣道はフェンシングに負けたのか2
スレリンク(budou板)
某研よ、こっちにもおいで

200:某研究者
06/12/21 10:52:03 Z98shYii
弓を西欧では上に向けて曲射したが
日本では行わなかった等と言う
記述も有るが
西欧で上に向けた
或いは日本で上に向けなかったと言う
証拠は有るのかどうかだが
(攻城戦では両方無論上に向けて
 放って居る訳だろうが)

201:名無し三等兵
06/12/22 15:50:46 THK7zJFq
確か津本 陽の対談書籍では、
紀元前のヨーロッパの兵団は、100~1000人単位が真相らしいわ。
それに、総大将が万人単位を兵力として差配する能力は無かったのでは?と。

202:酷使様
06/12/22 21:45:42
>>201
兵が一万人もいたら、補給の都合で一都市に集まること自体不可能と思われる。
現代的な意味での「部隊の再編成」は、帰属意識や武装の統一などの問題が多すぎて、
ほとんど行えなかったのではないだろうか。

なので、総大将は大将の報告する兵数を信じて、ちょうどいい数の兵を持っている
大将に命令する感じで軍隊を運用していたのでは? なんか間違ってたら指摘よろ>某研猊下

203:某研究者
06/12/22 22:20:23 nper+rCK
総大将も数千-数万程度を持たせた武将単位で指揮は
可能だったかも
知れぬが
私も情報が無いので詳細は分からないが

204:名無し三等兵
06/12/22 22:27:07
>>203
URLリンク(kaiser-collection.com)
ここ面白いぞ

205:名無し三等兵
06/12/22 22:42:04
>>201
聖書にも、ローマ人の百人隊の隊長が出てくる。
その隊をセンチュリオンといったと思う。


206:某研究者
06/12/27 00:57:45 up7Ws8Fj
URLリンク(ja.wikipedia.org)
>ナンバ走り
>飛脚の走り方であり、これにより飛脚は1日数十kmは走ることが出来たとされるが、その走法は失伝しているためその真偽は不明である。

此れは長距離の行軍には
有利だったと言う事かも知れぬが
此れをマラソン等で用いると言う
方向も有るだろうが
スタミナの消耗は少ないが
速度は余り出ないのだろうか

207:某研究者
06/12/27 01:18:22 up7Ws8Fj
URLリンク(www.npo.co.jp)
>最近の日本の短距離の陸上選手の走法の変化や女子マラソン選手があまり手を振らないで走るようになっていますが、
>これすなわち腰を捻らない動作「なんば」の影響が発揮されているとおもいます。

既に導入されて居た様だが
短距離の速度迄
速く成る訳だろうか

208:名無し三等兵
06/12/28 21:36:53
散歩の時にでも試してみればわかるけど、肩と足を同時に前に出すことで
掌分くらいリーチが伸びる
背骨を支点に動いていた体が、股関節を支点に、こうパタンパタンと交互にひらく感じ
このへんを体感すれば、この延長上により効率のいい歩き方や走り方が想像できる
 …実行できるようになるわけじゃないけどね

209:名無し三等兵
07/01/04 08:24:29 wllrUC2d
保守

210:名無し三等兵
07/01/04 14:40:11
>>207
当時の食べもの水空気、労働量は近代とはくらべものにならない
その基本の上に立って効率の良い動きをするのだから飛脚などはかりしれない動きをしていたのだろうがな。

211:名無し三等兵
07/01/04 15:18:08
>>210
天速星 神行太保戴宋

212:名無し三等兵
07/01/05 11:45:33
一応、貼っておくよ。

人類最古の戦争、6000年前に=独考古学者がシリアで遺跡発見

 【ベルリン4日時事】ドイツ考古学者の調査で、これまで確認された中で
人類最古となる「戦争」が約6000年前にシリアで行われたことを示す
とみられる遺跡が発見された。米シカゴ大学東洋研究所のクレメンス・ライヒェル氏が
率いる調査隊が発見したもので、4日付独週刊紙ツァイトが報じた。

 同氏によると、シリア北東部にある対イラク国境地帯の町ハモウカルで、
紀元前4000年ごろによく乾燥させた粘土球が大量に見つかったという。
同氏は、ウルクとみられる南メソポタミアの都市国家が北部にある
ハモウカルを侵攻、粘土球を弾丸のような武器に用いて陥落させたと
推測しており、「世界最古の侵略戦争の実例」と指摘している。

時事通信 URLリンク(www.jiji.com)



213:名無し三等兵
07/01/06 23:39:42
URLリンク(www.slinging.org)
きっと投石機の弾なんだろうな

214:名無し三等兵
07/01/10 02:55:21
スリングショットで城が落ちるのか。。。
恐るべし投石兵。

215:名無し三等兵
07/01/11 14:17:16
>214
スリングとスリングショットは別物だが…いいのか?

216:名無し三等兵
07/01/18 21:58:21 0zdohmA6
からあげ

217:名無し三等兵
07/01/18 22:10:08
スリングショットにライフリングを入れることができれば、かなり強力な飛び道具になったかも。

218:名無し三等兵
07/01/18 22:49:06
空手の刷り足のやり方に似てるな。ナンバ走りをも少し腰を落とした感じ

219:名無し三等兵
07/01/19 00:05:39
パレスチナが元気なころは石が雨のように降ってる映像がよく見られたな

220:名無し三等兵
07/01/21 22:21:32
話題変わるんだが、古代はどんな軍用靴履いてたんだろう?
映画「グラディエーター」や「トロイ」を見ると、足元は殆んど写されない。明確に写されたのは各作品で一回ずつと思う。
グラディエーターは闘技場で、何やら現代のスニーカーの様に見えた。革製か布製か判からない。寒い地域。
トロイは更に判らないが、竹かツルみたいなので格子に編んである感じ。こちらは温暖な気候の様だ。
どちらの作品も、監督が相当に本物、というか当時と同じものを追求したらしい。
あるミリタリーアドバイザーは、「歩兵の価値は足と武器」と言うので、足元が気になります。

221:名無し三等兵
07/01/22 00:18:55
>>220

ローマ軍団の足元は「カリガ」と呼ばれる軍用サンダルでした。
革で編んだ足首辺りまでの深さの。
古代ギリシアも、やっぱり「クレピス」と呼ばれる革製サンダルです。


222:名無し三等兵
07/01/22 00:22:09
カリガは二世紀中頃までには廃れ靴を履く様になった。
また映画等とは違いカリガは靴下の上に履いた。

223:名無し三等兵
07/01/22 02:34:20
>>215
どっちも石が飛ぶから、日本語的には投石器と書けるし、混同されやすい。
スリングのほうが習得が難しい(ぶん回すから)だけ。


224:名無し三等兵
07/01/23 23:17:41
>>221-222サンクス!
革ですか。普通に考えたらそうですよね。竹は痛そうですね(笑)

225:スカッドの3倍 ◆rRrqQ7z3WI
07/01/30 10:13:58
>>220
ああいう設定の映画を示す「サンダル&ソード」なんてジャンルがあるのです。


226:スカッドの3倍 ◆rRrqQ7z3WI
07/01/30 10:20:21
>>225訂正 「ソード&サンダル」ですなorz

足元の装備という意味では、
トラヤヌス帝の頃に、ダキア人のファルクス(長い鎌状の刀剣)で
足をやられる事に対抗して、脛当てが追加されたとかなんとか。

227:某研究者
07/02/13 23:19:56 kTOQhdhz
スレリンク(wildplus板)
他にも略奪中に奇襲を掛けた例は有るのかだが
略奪等するのは下位の兵だけだろうし
高位の騎馬武者は略奪をせず
村の外に待機していたかも知れぬが
彼等は分散していたので本隊の急襲には
対応出来なかったと言う事かも知れぬが

228:某研究者
07/02/15 14:39:42 IDxh4fbm
南北朝時代には
打撃武器に対抗して
総鉄製の鎧が作られていたのかだが
騎馬武者以外は前から打撃武器は
用いて居た訳だろうし
依然皮製の鎧が使われて居たと言う事は
無いのかだが
(戦国時代は徒歩武者の装甲も
 鉄に成ったのかどうかだが)


229:某研究者
07/02/15 14:41:38 IDxh4fbm
開けた場所では
馬に装甲の有る騎馬弓兵が
馬に装甲の無い騎馬弓兵をアウトレンジ可能と言う
事かも知れぬが
交戦距離が短い日本ではこの様なアウトレンジは困難であり
故に馬に装甲は施さなかったと言う
事かも知れぬが
大陸軍は可也交戦距離が有る場合も多い訳だろうし
馬に装甲を施して敵の軽騎兵をアウトレンジする意味は
有った訳だろうか

230:名無し三等兵
07/02/16 00:00:33
>>馬に装甲
映画など見ていて思うのだが、敵の馬を狙う攻撃は普通にあったのだろうか。映画などではまずない。
その理由を→馬は戦利品→という意味から、人のみを狙うのか→と脳内変換していた。
どんなもんでしょ

231:名無し三等兵
07/02/16 00:52:56
古来、日本のウマは小さいため、具足をつけると動かせませぬ。
サラブレッドが輸入されるまでは、重装騎兵が発達しなかった
のはそのためでしょう。
鵯越を担いで降りたのは嘘かまことか小さかったことは計り知れましょう。

232:名無し三等兵
07/02/16 10:55:46
サラブレッドが輸入された後に重装騎兵が現れたのか日本に。で、何時?どんなのが?

233:名無し三等兵
07/02/16 11:01:48
サラブレッドはレースに特化された繊細な馬、ある意味で虚弱体質。
軍馬としてあまり向いてない馬だった。

234:名無し三等兵
07/02/16 11:05:39
この馬に突撃させたら最強じゃね?
URLリンク(ja.wikipedia.org)

235:名無し三等兵
07/02/16 11:14:08
フランス系の馬デカイ。フランス騎士のチャージが怖い。
URLリンク(ja.wikipedia.org)

236:名無し三等兵
07/02/17 01:31:40
>>230
時代によって違うけど南北朝時代あたりまでは馬は射ないなどの武家の作法が有った
モンゴル軍と戦って馬を射られたり一騎打ちに応じなかったり当時の武士は面食らったらしい

237:名無し三等兵
07/02/17 07:38:27
>>232
してない。
書き方間違えた酢万逝ってくる

238:名無し三等兵
07/02/18 15:35:11
>>236
それは嘘。
源平合戦の頃には馬を射ることなんか、ごく当たり前におこなわれていた。
そもそもモンゴル軍にだってオープンスペースで普通に戦って勝ってるし。

239:名無し三等兵
07/02/18 15:40:56
そもそも足軽雑兵だって当時からいたし、集団戦闘もあった。
ただ記録が少ないだけ。

240:名無し三等兵
07/02/18 15:56:58
>>238-239
一次史料に基づくソースを?

241:238
07/02/18 16:33:16
>>240
延慶本平家物語
『昔様には馬を射る事はせざりけれども、中頃よりは、先しゃ馬の太腹を射つれば、
跳ね落とされて徒歩立ちになり候。近代は、様もなく押並びて組みて、中に落ぬれば、
太刀・腰刀にて勝負は候なり』

鎌倉年代記裏書
『十月五日、蒙古寄来、着対馬嶋、同廿四日、大宰少弐入道覚恵代藤馬允、於大宰府合戦、異賊敗北』

帝王編年記
『是去月廿日蒙古与武士合戦。賊船一艘取留之。於鹿嶋留抑之。其外皆以追返云々』

242:名無し三等兵
07/02/18 19:28:35
>>229
日本の合戦の場合、開けた場所では、馬体はシールドウォールによって、
ほぼ守ることが可能。
木曽馬の体高が109~140センチなのに対し、楯の長さは140センチ前後だからね。
馬が楯の前に出るのは、最大射程400メートル以上を誇る弓で敵にダメージを与えながら、
少しずつ交戦距離を縮めて行き、最後に馳組みでとどめを刺す時だけだし。

243:名無し三等兵
07/02/18 20:06:31
>>241
どうも。


244:名無し三等兵
07/02/20 15:18:36
NHK大河ドラマも大幅に改善して130センチ以上の背高を
持つウマは出演禁止に汁! 

245:名無し三等兵
07/02/20 17:25:50
日本馬は時代が経つほど馬格小さくなっていく。

246:某研究者
07/02/20 18:20:41 HQ3bsVpX
>古来、日本のウマは小さいため、具足をつけると動かせませぬ。
>サラブレッドが輸入されるまでは、重装騎兵が発達しなかった
>のはそのためでしょう。
>鵯越を担いで降りたのは嘘かまことか小さかったことは計り知れましょう。

モンゴルや中国の馬も同等サイズだろうし
重装騎兵の馬に装甲は有る訳だろうか


>日本の合戦の場合、開けた場所では、馬体はシールドウォールによって、
>ほぼ守ることが可能。

歩兵が盾を何処迄持って居たのかだが
騎馬武者の馬を守るだけの盾なら
有ったのだろうか
(騎馬武者自身は袖と吹き返しで
 矢は可也止まる訳だろうが
 袖の無い騎馬武者も居るだろうし
 彼等は下馬したのか
 どうかだが)

247:某研究者
07/02/20 18:26:46 HQ3bsVpX
戦国時代では銃弾を騎馬武者の装甲では防げないし
銃撃戦時は騎馬武者は下馬して
竹束の影に隠れていたと言う事かも知れぬが
雑兵全員が竹束で守られた訳では無いだろうが
長篠では土塁で雑兵も守られた
訳だろうか


西欧の騎士は歩兵とは別行動だったから
上の様な形で銃弾を止める事は基本的に
考えて居ない訳だろうか

248:某研究者
07/02/20 18:30:55 HQ3bsVpX
近距離の弓の射撃では馬鎧も貫通するだろうし
此れに頼るのは限度も有るだろうが
盾や袖・吹き返しを貫通して
中の人間にダメージを与えられるのかだが
クロスボウや強弓なら可能だったかも
知れぬが
日本にはクロスボウは無い訳だろうか
(モンゴルの弓なら袖や吹き返しを貫通して
 ダメージを与えられた可能性も
 有るかも知れぬし
 南宋の兵等にはクロスボウも有るだろうが
 此れで袖と鎧が同時に貫かれていたと言う事は無いのかだが)

249:某研究者
07/02/20 18:33:22 HQ3bsVpX
>モンゴルの弓なら袖や吹き返しを貫通して
>ダメージを与えられた可能性も
>有るかも知れぬし

まあしかし此れが出来る距離に入る前に
モンゴルの馬鎧・鎧が
日本の弓で貫通したと言う事かも知れぬが
クロスボウでは逆にアウトレンジされると言う危険は
無いのかどうかだが

250:某研究者
07/02/20 18:37:08 HQ3bsVpX
>クロスボウでは逆にアウトレンジされると言う危険は
>無いのかどうかだが

此れは発射速度の問題で余りダメージは
与えられないと言う可能性も
有るだろうし
次弾装填前に接近されて弓でやられると言う
可能性も高いかも知れぬし
モンゴルの場合は歩兵と騎兵は別行動であり
下馬した騎兵を歩兵で守ると言う事は無いかも知れぬし
巨大な物以外では歩兵の盾迄貫通するのは
無理かも知れぬが

251:某研究者
07/02/20 18:41:01 HQ3bsVpX
モンゴル側にバイキングの
シールドウォールの様な物が有るなら
此れを正面からでは弓で何処迄崩せるのかだが
英の弓兵の様に包囲して射撃すれば
壊滅されられる可能性も有る訳だろうが
蒙古襲来絵詞を見る限り
モンゴル軍は
盾は全員は装備して居ない訳だろうか

252:某研究者
07/02/20 18:49:14 HQ3bsVpX
モンゴル軍の歩兵の長弓と言うのは
可也強力では無いのかだが
其れでも袖を貫く前に
日本の弓がモンゴル騎兵の鎧と馬鎧を
貫く可能性も有る訳だろうか


URLリンク(www.lib.kyushu-u.ac.jp)
モンゴル側にシールドウォールの様な物は有るのかだが
最前列には盾を並べては居るかも知れぬが
乗馬騎兵には当たるかも知れぬし
上から落ちて来る矢には盾は歯が立たない訳だろうか
日本側も此れは同様な訳だろうが
モンゴル側は盾の列から
前に出て戦っている兵も多い訳だろうか
(日本同様騎兵の馬だけ盾の壁で守っている様にも
 見えるが
 日本と異なり乗馬して居る騎兵は矢には脆いと言う
 事だろうか)

253:名無し三等兵
07/02/20 19:28:45
日本の楯って基本的に両手持ちなんだよね。
シールドウォールを形成するために農民なんかが動員されて、楯持ちをやらされていたらしい。
大鎧全盛期の源平合戦とかでは騎乗したまま弓を射ていたんだけど、太平記の時代では、弓を射るのは
下馬した状態で、突撃の時に改めて騎乗する戦闘スタイルに変化したみたい。

楯使用が描かれた絵巻
URLリンク(mahoroba.lib.nara-wu.ac.jp)
この絵巻には、もっと「シールドウォール」らしい場面もあるんだけど、残念ながらUPされていなかった。

254:253
07/02/20 19:35:20
すみません。
失敗しました。
URLリンク(mahoroba.lib.nara-wu.ac.jp)

255:某研究者
07/02/20 19:51:45 HQ3bsVpX
>太平記の時代では、弓を射るのは
>下馬した状態で、突撃の時に改めて騎乗する戦闘スタイルに変化したみたい。

此れは弓の強力化で袖や吹き返しが
無効に成ったのが原因では無く
騎馬武者が弓を使用しなく成った故かも知れぬし
弓を使用しないなら下馬して盾の影に隠れた方が
安全な訳だろうか

256:名無し三等兵
07/02/20 19:55:37
>>253
>太平記の時代では、弓を射るのは下馬した状態で
その合戦絵巻を見る限りでは、徒歩立ちで射てるのは袖のない軽装の郎党みたいだけど。

257:某研究者
07/02/20 19:56:07 HQ3bsVpX
URLリンク(mahoroba.lib.nara-wu.ac.jp)
騎馬武者だけでは無く雑兵も盾の影に
可也隠れていると言う事だろうか
(無論上からの矢は防げ無いと言う
 事だろうが)

戦国時代では竹束の影に隠れようと
大筒等を打ち込まれればアウトだろうし
大筒を打ち込まれる様な近距離では
散開したと言う可能性も
有る訳だろうか
(信長側が土塁に篭って
 武田軍の車竹束に大筒を打ち込めば
 可也一方的な展開に成った訳だろうが
 現実には簡単に決着等付いて居ないだろうし
 武田軍が上手く散開して応戦したのかどうかだが)

258:某研究者
07/02/21 02:54:22 MHVJHkzU
URLリンク(mixi.jp)
歴史及び軍装コミニュティーを
作製したから
使いたい者が居れば適当に使えば
良いだろうか
(歴史+軍装と言うコミニュティーは多分無いし
 片方だけと言うのが多いだろうか)

259:某研究者
07/02/21 17:03:38 uIrCYtGV
>現実には簡単に決着等付いて居ないだろうし
>武田軍が上手く散開して応戦したのかどうかだが)

車竹束を散開させ
其の後方に騎馬武者・徒歩武者・足軽を配置して前進し
大筒の射程内に入ったら兵を車竹束から出して
散開させ
高速移動させる事で銃撃を回避しつつ接近すると言う
方向かも知れぬが
(騎馬武者は騎乗して高速移動し
 銃撃を避けると言う事だろうか)
柵の部分で銃撃を可也受けるかも知れぬが
一部の歩兵・下馬した騎馬武者のみを
車竹束の背後に配置して
先に前進させ
車竹束の後方で伏せて前進する等して大筒及び銃撃を回避しつつ
柵を切り倒す成り押し倒す成りした後
後方の部隊が前進すると言う
方向だろうか
(敵が此れを阻止する為に土塁から出て前進する可能性も有るだろうし
 此れは後方からも含めた銃撃で阻止すると言う
 方向だろうか)

260:某研究者
07/02/21 17:08:11 uIrCYtGV
>(敵が此れを阻止する為に土塁から出て前進する可能性も有るだろうし
> 此れは後方からも含めた銃撃で阻止すると言う
> 方向だろうか)

敵も車竹束の様な物を用意して
銃撃を防ぐかも知れぬし
大筒を打ち込むしか無いのかも知れぬが
敵も車竹束の背後で伏せて前進するなら中々当たらないと言う
事かも知れぬし
接近戦に成る危険も有る訳だろうが
其の前に柵を倒せればだろうか

261:某研究者
07/02/21 17:14:14 uIrCYtGV
柵を倒しても突入時に
土塁上の銃眼からの銃撃で
可也打撃は受ける訳だろうし
銃眼からの銃撃であれば
此れを味方の銃で阻止するのは困難だろうが
攻城戦用の梯子は
一応使える訳だろうか

262:某研究者
07/02/21 17:22:08 uIrCYtGV
>車竹束を散開させ
>其の後方に騎馬武者・徒歩武者・足軽を配置して前進し
>大筒の射程内に入ったら兵を車竹束から出して
>散開させ
>高速移動させる事で銃撃を回避しつつ接近すると言う
>方向かも知れぬが
>(騎馬武者は騎乗して高速移動し
> 銃撃を避けると言う事だろうか)

まあしかし敵が陣地に篭って居ない
通常の野戦では上の様な
戦い方に成った訳だろうか

263:某研究者
07/02/21 17:27:56 uIrCYtGV
銃のない時代には盾の背後に入った侭
接近戦に成る事も有ったかも知れぬが
其処迄接近したら盾の外に出て居る
騎馬武者が頭部の隙間等を射抜かれる可能性も
有る訳だろうし
此れを避ける為に騎馬武者は下馬戦闘に移行したと言う
可能性も有る訳だろうか
(騎馬武者が槍を扱う南北朝時代等では
 最初から下馬していたと言う可能性も
 有る訳だろうか)

264:某研究者
07/02/21 17:32:02 uIrCYtGV
>騎馬武者が頭部の隙間等を射抜かれる可能性も
>有る訳だろうし
>此れを避ける為に騎馬武者は下馬戦闘に移行したと言う
>可能性も有る訳だろうか

まあしかし敗走した敵の追撃時には
蒙古襲来絵詞に有る様に
乗馬して居た訳だろうか

265:某研究者
07/02/21 17:41:43 uIrCYtGV
>其処迄接近したら盾の外に出て居る
>騎馬武者が頭部の隙間等を射抜かれる可能性も
>有る訳だろうし
>此れを避ける為に騎馬武者は下馬戦闘に移行したと言う
>可能性も有る訳だろうか

袖の無い騎馬武者と言うのも居るだろうし
彼等は遠距離から鎧を打ち抜かれる可能性も有る訳だろうし
下馬して盾の影から射撃したか
或いは乗馬して袖の有る騎馬武者の
背後から射撃をしたと言う可能性も
有るかも知れぬが
彼等も敗走した敵の追撃時は蒙古襲来絵詞の様に
乗馬して居た訳だろうが
袖の有る騎馬武者の後方に居たかも知れぬが

266:某研究者
07/02/21 23:30:50 uIrCYtGV
>(騎馬武者は騎乗して高速移動し
> 銃撃を避けると言う事だろうか)

馬に乗ると高速移動は出来るかも知れぬが
的が巨大と成るかも知れぬし
白兵戦で馬がやられる危険も
有る訳だろうから
突撃時は下馬して
追撃時のみ乗馬と言う可能性も
有る訳だろうか

267:某研究者
07/02/22 10:19:31 tABsrwOf
ゴンサロが居なかったら
イタリア戦争は仏が勝ち
(テルシオが無ければランツクネヒト等
 仏騎兵とスイス傭兵に蹂躙されていたかも知れぬが
 ヴァレンシュタインの様に
 篭城に徹したらどうだったのだろうか)
仏が欧州を統一していたと言う
可能性も有る訳だろうが
其の後は宗教改革等で
仏の支配は崩れたと言う可能性も有る訳だろうか

268:某研究者
07/02/22 19:24:19 pDhF4FZf
>総大将も数千-数万程度を持たせた武将単位で指揮は
>可能だったかも
>知れぬが
>私も情報が無いので詳細は分からないが

下手に各武将の兵の比率を変えると
反乱が起きるかも知れぬし
此れはゲームの様には
変えられないと言う事なのだろうか

269:名無し三等兵
07/02/23 14:51:17
日本の戦国時代の合戦の虚像と真実4
スレリンク(army板)
こっちにも来いよ。

270:スカッドの3倍 ◆rRrqQ7z3WI
07/02/23 21:58:40
URLリンク(www.youtube.com)
ポーランド重騎兵な映画のワンシーンの動画見つけたので置いときますね。

271:某研究者
07/02/24 20:10:39 w8d2lVWe
URLリンク(mixi.jp)
人は来ないのでは無いかと思ったら
2名来たが
出来れば此処で議論をして
貰いたい所だが

272:名無し三等兵
07/02/25 03:05:18
>>269
荒らし依頼するなゴミが
氏ね

273:名無し三等兵
07/02/25 06:19:33
某研究者になりきって会話するスッドレはここですか?

274:某研究者
07/02/25 09:09:06 ebZA9S28
>ポーランド重騎兵な映画のワンシーンの動画見つけたので置いときますね。

上の動画ではパイクが短か過ぎるかも知れぬし
実物は3.5m程度は有る訳だろうし
3m程度しか無かった様にも見えたが

275:名無し三等兵
07/02/26 14:12:04
某研さんは鳥つけないからすぐに真似できるし
実物はだれも知らないし
どこにでも居るようなかきこでもあるのだが

276:某研究者
07/02/27 00:56:15 HsRLw+jb
URLリンク(mixi.jp)
20世紀~現代の戦術・兵器・軍装の
コミュニティも作製したから
使いたい者は使えば良いだろうか

277:某研究者
07/03/05 15:08:23 cLodpvC4
URLリンク(12565.hito.thebbs.jp)
上の地理公氏の文体は

URLリンク(yasai.2ch.net)
上のそんだけ氏に似て居るが
同一人物と言う事なのだろうか

278:某研究者
07/03/05 15:40:38 cLodpvC4
URLリンク(maa999999.hp.infoseek.co.jp)
>だがその金も大概が前金だ。
>だから、傭兵はいざというときは皆逃げてしまう

スイス傭兵が金を払わぬ仏軍に対して
暴動を起こしたと言うから
果たして前金なのかどうかだが
前金が安いから暴動を起こしたのか
どうかだが

279:某研究者
07/03/05 15:46:20 cLodpvC4
>いざイラクが攻めて来たらクウェート傭兵は皆逃げ出してしまったからだ。

スイス傭兵と言うのは
そう簡単には逃げないと言う事かも知れぬが
現在の仏外人部隊はどうなのかだが


280:某研究者
07/03/05 15:52:58 cLodpvC4
>「ドイツ軍将校は、兵士よりまずい食事をするのが義務と、思っていたぐらいだ」

日本の場合は
武将も足軽と同じ物を食べて居たと言う
事だっただろうか

281:某研究者
07/03/06 03:44:55 ITSvT4kl
URLリンク(12565.hito.thebbs.jp)
>彼らは「ハイランダー・チャージ」なる戦法を得意とした。その内容はこうである。
>まず、射程距離ぎりぎりで銃を発砲。その瞬間に銃を捨て抜刀・突撃する。
>撃たれた敵は撃ち返してくるが、ぎりぎりなのでまず当たらない。
>当時の銃は連射が効かないので、弾を込めて撃つ準備をしているうちに至近距離まで行って乱戦に持ち込む。

騎兵が敵の銃の射程ぎりぎりで
騎兵銃やピストルを発射した後で
突入すると言う様な方向も
有る訳だろうか
(まあ相手が近距離でしか発砲しなく成ったら
 通用しない戦術だろうが)

282:某研究者
07/03/07 18:45:53 PpnoSUs5
URLリンク(12565.hito.thebbs.jp)
>ダプリン・ムーアの戦いでは500騎の下馬騎兵がランスを立てて敵歩兵の攻撃を受け止めた

騎士が下馬してランスを構る等と言う事は
以後は行われたのかどうかだが
ランスを全ての騎兵が構えている訳では
無い訳だろうか

283:某研究者
07/03/08 09:58:39 WAEmUypM
URLリンク(www.google.co.jp)
1%3BGL:1%3BLBGC:666666%3BLC:%230000ff%3BVLC:%23663399%3BGALT:%23999999%3BGFNT:%23666666%3BGIMP:%23666666%3BDIV:%23EEEEEE%3B&domains=
thebbs.jp%3Bhistory.bbs.thebbs.jp&sitesearch=history.bbs.thebbs.jp&start=0&sa=N
上のBBS等の
地理公氏の書き込みを
後で追いたいと思うが

284:名無し三等兵
07/03/09 01:40:10
過去ログ見られるサイトないんですか?
にくちゃんねる休止しちゃってて見られないんです

285:名無し三等兵
07/03/10 01:40:45 LlkHmZo/
某研究者さま保守

286:某研究者
07/03/12 16:16:37 c9blTglM
URLリンク(www.geocities.com)
17世紀の西欧の火縄銃は
照門は無い訳だろうし

URLリンク(www.geocities.com)
16世紀の物に至っては照星さえ
無い様に見えるし
此れで100m先等の精密射撃は
可能なのかだが
日本の銃は元が狩猟用なので
照門・照星が有ったと言う事かも知れぬが

URLリンク(miraikoro.3.pro.tok2.com)
上の前目当=照門と言う
事だろうし
前目当てと先目当ての間に更に
照準用の突起が付いた物も
有ったかも知れぬが
此れは何時頃からの登場なのだろうか

URLリンク(page.freett.com)
>五匁は約18.75g。銃身を長くし、照門
>(前目当)と照星(先目当)の間に「中目
>当」という照星を二つ付け、命中精度を高め
>た長距離射撃用の火縄銃。砲術家稲富一夢が
>開発した。

上の中目当てだろうが


287:某研究者
07/03/12 16:17:22 c9blTglM

URLリンク(longlife.city.hikone.shiga.jp)
大阪冬の陣には此れを装備した銃が
使用されて居たのかどうかだが
現代の銃には応用可能な代物なのか
どうかだが


288:某研究者
07/03/14 19:47:18 0b9rAevm
URLリンク(plaza.rakuten.co.jp)
>このような、命中率どころか、発砲まで不安
>定なマスケットでしたので、当時の記録には
>「100m離れたところから敵に狙われて負
>傷したら、そいつは本当に運が悪かったの
>さ!」という将校の発言が残っています。

と言う割には

>1790年にプロイセン軍が行った射撃テストでは(さすが、ドイツ人!)、目標を歩兵中隊の全面に見立てた、幅32m、
>高さ1.8mの木と布で出来た標的に向けて中隊前列の部隊が発射したところ、なんと200m先では25%、140mで40%、
>70mでようやく70%という、とんでもない数字が残っています

結構当たっているかも
知れぬが


>。(反対に日本の火縄銃は、銃の口径に弾が
>ピッタリ合うように作られ、弾丸がぶれる事
>が無く、また火縄式の発火装置〔マッチロッ
>ク〕のため衝撃が少なく、良好な命中率を保
>っていました。)

銃身を頻繁に清掃する必要は
有るかも知れぬし
発射速度が落ちる可能性も有るだろうが
精度を増した方が良いと言う
事かも知れぬが

289:某研究者
07/03/14 20:39:57 +6DPcaty
URLリンク(ja.wikipedia.org)
>また火縄銃競技に出場する欧米の選手の多くは、日本製の火縄銃を使用している。

矢張り照門も無い銃では
プロでも遠距離射撃は困難と言う
事かも知れぬし
工作精度等の問題も
有る訳だろうか


>種子島(長筒立射・火縄式マスケット、50m13発、30分、種子島標的〔フランス軍200m規格準拠〕)

此れは200m先の的を
狙って居るのかどうかだが

290:某研究者
07/03/14 23:37:39 +6DPcaty
URLリンク(www6.wind.jp)
>●有効射程距離は50~100mほどです。鉄砲隊は訓練を積み、100m先の野球ボールほどの的を射抜く事ができた。

まあ此れなら150-200m先の人間や騎兵に
当てられないのかだが
どの程度の距離で射撃を
初めて居たのかだが

291:某研究者
07/03/14 23:40:31 +6DPcaty
>彼が1551年に日本に立ち寄ったとき、豊後(大分県)の国だけですでに3万挺、日本全国には30万挺の鉄砲があると聞いたと記されている。この日付は鉄砲伝来から、たった8年後のことである。

この段階でさえ30万挺有ったと言う事は
関ヶ原や大阪夏の陣時点ではどうだったのだろうか

292:某研究者
07/03/14 23:54:30 +6DPcaty
>また、実際には早合(はやごう)と呼ばれる1回分の火薬と玉が分包されている物も使用していたし、
>銃身を垂直に立てた状態で銃座を地面に垂直に打ち付けるようにすると、鉛玉の重みで火薬が圧縮され、カルカでつかなくても良い方法もあるとのことでした。従って、15秒~20秒ほどで放つことができたようです。

棒を使わず共装填は可能の様だが
内部が汚れて来ると困難と成るかも知れぬが



293:某研究者
07/03/15 00:02:52 +6DPcaty
>・100m先の相手に1000発発砲し、200発命中、残り2800騎。
>ただし、発砲後の煙で煙幕がはられた状態か・・

100m先なら馬の様な標的なら
ほぼ100%命中と言う事は無いのかだが
生き残った騎馬武者が歩いて突入して来る可能性は有るだろうが
速度が遅いので此れは射撃する時間は有る訳だろうか
煙音影響で遠距離射撃は
何れ困難に成るかも知れぬが
何発程度は可能なのか
どうかだが

294:某研究者
07/03/15 00:33:22 FTrIJozZ
何れにせよ長篠では火縄銃の射手は250名程度とすれば
一回の銃撃で
騎馬武者の阻止は困難だろうが
柵が無く共長槍での騎兵阻止は
可能かも知れぬし
屈んだ長槍足軽の後方から
鉄砲足軽が近距離で銃撃を加え続けると言う事は
可能かも知れぬが
騎馬武者が近くで下馬して
突撃して来れば
此れを屈んだ槍兵では阻止困難かも知れぬし
乱戦に持ち込まれて
壊滅する可能性も有る訳だろうか

295:某研究者
07/03/15 00:50:07 FTrIJozZ
URLリンク(www.sanada.or.jp)
>また細川家の家臣松野亀右衛門という名手は、島原の乱で原城を攻撃する際、5町(545m)先の敵を打って外さなかったそうである。

通常の銃では此れは
可能なのかどうかだが

296:名無し三等兵
07/03/15 08:40:00
火縄銃で500mだとかなり仰角つけないと無理だよなあ。
もはや狙いをつけるというより風を読むに近い技術だな。

297:某研究者
07/03/15 15:56:47 FhL6LWnC
URLリンク(aol.okwave.jp)
>鉄砲の有効射程距離が100m程度である事を考えますと、武装した兵士でも100mを20秒~30秒で走ると思われますから、致命的な打撃を与える事は不可能になります。

此れでは歩兵も
槍・銃では阻止出来ず
柵や土塁等が必要である訳だろうか

298:某研究者
07/03/15 16:22:43 FhL6LWnC
装甲が軽量な槍足軽なら100mを
30秒程度なら走れるかも知れぬが
徒歩武者は割に重装かも知れぬが
彼等は後で合流と言う可能性も有るのかどうかだが

299:某研究者
07/03/15 21:48:16 kCkEuYO8
まあしかし30年戦争等の砲兵も
同様に歩兵や騎兵に突撃されて
無効化されないのかだが
ブライテンフェルト等では
何故か長時間打ち合っていた
訳だろうか

300:某研究者
07/03/15 22:41:14 kCkEuYO8
ナポレオンは大砲に対して
前進して損害を減らすと言う戦術を取って居たかも知れぬが
どうだっただろうか
(縦隊突撃は銃撃戦の構えでは
 無い訳だろうし
 敵の銃砲撃に対して素早く突入する事を
 考えて居た訳だろうか)

301:某研究者
07/03/15 23:07:35 kCkEuYO8
URLリンク(www.ch-sakura.jp)
>・縦隊は3人の幅,90名で1小隊(platoon)
>  すなわち縦に30人が並んで突進
>(これでは砲撃を受けた場合(砲兵については後述),死傷率が莫大になる。ナポレオンはこれを回避するため,歩兵の突撃前に火力を一点に集中し,突撃点も一点集中となった。苦肉の策が,結果的に「ナポレオンの新戦法」となったわけである。)

敵砲兵は叩かないと
縦隊突撃は使えないと言う
事かも知れぬが

302:某研究者
07/03/15 23:21:00 kCkEuYO8
URLリンク(www.asahi-net.or.jp)
雑兵主体の縦隊も
方陣は一応組めると言う事かも知れぬし
横隊や散兵に迄成れる訳だろうか


303:某研究者
07/03/16 17:21:09 YfL0HeAq
30年戦争当時の歩兵は
全速で突入したのかだろうし
火縄銃の銃撃や砲撃を
可也受けて居たと言う事かも知れぬが
(まあ騎兵は全速で突撃していたかも知れぬが
 槍兵に阻止されると言う事かも知れぬが
 直近で下馬して乱戦に持ち込めばどうなのかだが
 この様な運用はして居たのか
 どうかだが)
日本の足軽は全速で突入して
居たのかどうかだが

304:某研究者
07/03/16 21:16:34 YfL0HeAq
URLリンク(www.sanada.or.jp)
関ヶ原では5万程度の銃が
使われたと言うが
此れが一斉に射撃をしたら
5万の兵が死んだのかどうかだが
(まあ馬を狙って射撃した分も
 多いのかも知れぬし
 竹束で止まった物も有る訳だろうが)
毛利軍等戦って居ない軍も
多い訳だろうし
実際に使用された銃は半分程度と言う事は
無いのかだが

305:某研究者
07/03/16 22:42:35 8ADEMyxM
URLリンク(ja.wikipedia.org)
関ヶ原では兵力18万で5万の銃だろうし

URLリンク(www.nobitown.com)
>しかし、一説によると、朝鮮侵略軍16万人のうち、1/4が鉄砲隊だったという
>推計もある。これを信じると、秀吉が率いる朝鮮侵略軍は大英帝国の7倍近く
>という、4万丁の鉄砲を保有していたことになる。

銃の比率は此処から関ヶ原迄は
変化して居ない訳だろうが
大阪夏の陣では
どうなのだろうか

306:某研究者
07/03/17 04:55:54 5XeH3NFz
URLリンク(www.city.sendai.jp)
>天正18年(1591)、奥州仕置のため会津へ向かう秀吉を宇都宮まで出迎えた伊達政宗が秀吉から拝領した具足。

1591段階では可也軽量な
当世具足が出て居たと言う
事だろうか


>三宝荒神形兜 具足共
>伝上杉謙信所用

此れは1578以前の物だろうが
当世具足と言うより胴丸的な部分が
多いだろうが
素懸威しに見えるし
只の胴丸でも無い訳だろうか

307:某研究者
07/03/17 05:07:20 5XeH3NFz
兜の吹き返しは無いし
当世具足的な部分も有るが
腰の部分に隙間は無いし
此れは古い鎧の形式だろうか

URLリンク(www.yamamotokansuke.com)
山本勘助の鎧と言うのも
板物鎧だが
1561以前の鎧では
当世具足と全く同じなのか
どうかだが

308:某研究者
07/03/17 05:09:58 5XeH3NFz
URLリンク(www.nobunaga-lab.com)
>胴丸は、金箔押を施した小札を紅、萌黄、白、紅、紫の色糸で威している。

此れは旧タイプの
胴丸だろうか

309:某研究者
07/03/17 05:25:08 5XeH3NFz
URLリンク(www.rakuten.co.jp)
この様な鎧が1560に
有ったのかどうかだろうし
脛当て以外は完全に当世具足の形態だろうが
実物は何処かで見た様な気もするが

310:某研究者
07/03/17 05:33:29 5XeH3NFz
上の鎧が1560に登場したのが事実なら
鎧の銃への対応は可也早期に
行われていたと言う事かも知れぬが

URLリンク(www.rakuten.co.jp)
此れも実物は有ったかも知れぬし
1583時点で
この様な当世具足なら
有った訳だろうか

311:某研究者
07/03/17 06:17:50 5XeH3NFz
URLリンク(w3.shinkigensha.co.jp)
>そしてときとして騎士ですらも、胸甲と腹当ての下にブリガンダイン(*革や布を芯地にして金属板をつけた胴鎧)をつけるにとどまったようだ。それ以外の板金防具は騎乗に欠かせない脚防具のみだった。

脚部は板金が多いと言うなら
馬上で回避出来無い部分故と言う事かも知れぬし
腰部や腹部も板金が多いなら
此れも回避困難な部分故と言う
事だろうか
(13世紀の鎧には板金の脛当てが
 装備されて居るだろうし
 此れは馬上では回避し難い部分故かも知れぬが
 腰部にはコートオブプレートは有ったかも知れぬが
 腿の部分は板金の装甲は未だ無い訳だろうか)

312:某研究者
07/03/17 06:26:16 5XeH3NFz
URLリンク(www.nobunagaou.com)
上に蘭丸の鎧の実物が有るが
胴体等の細部はややレプリカの物とは
違うかも知れぬが

313:某研究者
07/03/17 06:54:11 5XeH3NFz
URLリンク(www.rakuten.co.jp)
>。(この他にも袖を全面的に楯変わりにして、矢の雨霰の中、前へ進む武者絵なんかもありますが、【大鎧】大将クラスの【胴丸】【腹巻】ではこの袖、完全に楯の変わりにしてる事がお分かりでしょう。

こんな真似をしても
袖や吹き返しの部分以外は矢が貫通して
アウトと言う事かも知れぬが

314:某研究者
07/03/17 07:18:40 5XeH3NFz
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
>鎌倉時代の鎧を見ると前の時代のものよりも札幅が狭くなっています。また長さも短くなってゆきます。それに伴い鎧の長さも短くなります。胴の腰の部分を締めて重量を支え、より苦痛が少なく活動しやすいように改良されてゆきます。札

鎌倉時代の大鎧は既に下馬先頭を
考慮されて居たと言う
事かも知れぬが

315:某研究者
07/03/18 00:15:32 iquUzGNq
旧タイプの胴丸は
鎧の腰部の隙間は無いので
太刀・短刀だけで
打刀は刺さないと言う事かも知れぬが
当世具足は基本的に差している訳だろうし
足軽は打刀しか無い訳だろうか

316:某研究者
07/03/18 10:31:17 iquUzGNq
URLリンク(longlife.city.hikone.shiga.jp)
井伊直政は本田忠勝より
重い鎧を着て居るのに
怪我をすると言う様な描写も有るが
本田忠勝は6mもの槍を使用して居たと言う
事も有るかも知れぬが
鎧の構造の問題も有るのかどうかだが
桶側胴は防御力は高いが動き難いので
攻撃を受け易いと言う問題も
有る訳だろうか

317:某研究者
07/03/18 10:38:57 iquUzGNq
URLリンク(diary.jp.aol.com)
本田忠勝の鎧は軽かったと言うが
上を見る限り動き易い札鎧であり
袖も無い訳だろうが


URLリンク(www.city.okazaki.aichi.jp)
上の絵だと袖が付属しているが
装備されていた可能性も有る訳だろうか

318:某研究者
07/03/18 10:45:08 iquUzGNq
URLリンク(www.rakuten.co.jp)
上は袖が有るが
実物を何処迄参考として居るのか
どうかだが

319:某研究者
07/03/18 10:53:32 iquUzGNq
直政の鎧の方が鎖が多いが
忠勝の鎧は大袖を用いており
此れで可也防御を
して居たと言う事かも
知れぬが
6m等と言う槍のアウトレンジ効果の方が
有ったのかも知れぬが

320:某研究者
07/03/18 10:59:04 iquUzGNq
大袖で肩の隙間等を塞ぐ等して
防御力を高めて居たと言う可能性も
有る訳だろうし
弓に対する防御にも
使えると言う事かも知れぬが
手足の装甲は軽装である訳だろうか

321:名無し三等兵
07/03/18 12:55:48
指揮官の質はどうだろうか

戦国期の日本なら
軍神上杉謙信、武田信玄、北条氏康、毛利元就、島津義弘など名指揮官に枚挙にいとまが画内が
欧州の軍勢はいわゆる名将の類いが居ない

ゆえに日本軍こそ世界最強であるといっても過言ではないと思う
欧州において
100度の戦い負け無しという上杉謙信のような人材が居たか
居ないだろ
くやしかったらそういう欧州の名将をあげてみてほしい

当時の日本は英雄や名将が割拠していたわけなんだから
強いのは当たり前。


322:某研究者
07/03/18 21:20:21 q6pVZjIz
>欧州の軍勢はいわゆる名将の類いが居ない

同時期ならゴンサロやマウリッツ・アドルフ・ヴァレンシュタインの方が
上と言う事は無いのかだが
彼等でさえ日本側の精度の高い火縄銃・大量の大筒や
管槍等の新兵器に可也苦戦したと言う事は
無いのかだろうし
歩兵の援護下での銃撃で騎兵が突撃して来れば
アドルフがピストル騎兵を破った時の様な事に
成るかも知れぬし
槍迄有る訳だろうか

323:某研究者
07/03/18 21:46:05 q6pVZjIz
まあ大砲の炸裂弾が無いと言うのは
問題だろうが
30年戦争段階で何処迄
西欧軍は炸裂弾を使用して居たのか
どうかだが



324:某研究者
07/03/18 21:49:32 q6pVZjIz
大身槍や管槍でプレートアーマーの胴部の
余り湾曲の無い部分は
貫けるかも知れぬが

325:某研究者
07/03/19 03:09:11 6z6wvXFA
URLリンク(www.printsofjapan.com)
URLリンク(en.wikipedia.org)
母衣も
防御部位は吹き返しや袖と余り変わらないかも知れぬが
全力後退時は有用だったのか
どうかだが

326:某研究者
07/03/19 20:52:23 nXSoDIJa
URLリンク(ja.wikipedia.org)
>しかも38歳の若さで、幸長の死の翌年に家康が大坂冬の陣を発動したことを考えると、暗殺説も否定できない一面がある。

家康も
豊臣に未だ忠誠心を持つ加藤清正・浅野幸長を暗殺後に
大阪冬の陣を起こしたと言う
可能性も有る訳だろうか

327:某研究者
07/03/20 22:31:09 obqM/ATb
URLリンク(www.city.ono.hyogo.jp)
>戦国時代、鎧が【大鎧(おおよろい)】から【当世具足(とうせいぐそく)】に変わると、体を防御する上でたくさんの小具足(こぐそく)(篭手(こて)・
脛当(すねあて)など)をつけるため、見せる衣装「直垂」が見えなくなりました。そこで、具足の上から着る【陣羽織(じんばおり)】(袖なしの上着)が新たに流行し、鎧兜にも趣向を凝らすようになり、
次第に見せる「直垂」は地味になっていきました。

南北朝時代から腿の部分は隠れているだろうし
この段階で陣羽織は無く
母衣を用いて居たと言う事かも知れぬが

328:元空士長
07/03/20 22:54:05
自分の頭は古代人ですね
いつも若い世代の会話についていけません
だからエアロダンシングのイベント会場でも私一人が浮いていました

URLリンク(motoku.fc2web.com)



最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch