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ハルビンで深手を負った伊藤博文は死に至るまでの二年弱、政府要人を含む周囲の人々に
ある存念を説いていた。対岸の半島が日本とは決定的に異質な存在だという理念を。
狂信的な民族主義者である実行犯の背後に自国の拡張論者が多数含まれる事実が判明し、
それを政治的取引と言うにはあまりにも苛烈な遣り取りで闇に葬る事で、伊藤が懸念していた
半島の完全併合を阻んだのである。
1911年、大日本帝国と大韓帝国は合邦条約を締結し、それぞれが日本皇国・高麗王国として
大日本帝国を構成する事となった。それに伴い原住民を主体とする高麗陸海軍部隊も復活したが、
伊藤の遺言に従って満洲経営に重点を置くようになった日本政府は、私企業も含めて半島との
関わりを消極的な物へと改めていった。
やがて満洲への固執から英米資本、ひいては国家その物との対立を引き起こした大日本帝国は
艦隊決戦から長期持久を試みたが総力戦での国力の差は如何ともしがたく、国防圏の周囲で
無数の勝利を重ねつつ巨大な万力で締め付けられるように戦略的後退を余儀なくされた。
1945年初春、皇居への誤爆で来訪中の高麗国王一家が死亡、皇太子明仁殿下も軽症を負った。
目前で繰り広げられた惨状に衝撃を受けた天皇の聖断により、スイスでの対米英講和交渉が進み、
事実上の降伏という形で太平洋戦争は終結した。日朝陸海軍の重装備は接収・凍結された。