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【☆無敵☆】武田家の輝かしい戦歴【☆騎馬軍団☆】
1541年5月 信玄、信虎、村上義清に従い海野棟綱を攻める。とっとと帰りオヤジに怒られる。
6月 オヤジ狩り開始。武田信虎追放。
7月 諏訪頼重との同盟を一方的に破棄、名門諏訪家を攻め滅ぼす。
12歳の幼女である姪の諏訪御料人を愛人に迎える。
1548年2月 上田原の大敗 村上5000を上回る7000もの大軍で戦に挑むも先陣を包囲され殲滅。
副将重臣板垣、速攻で討ち死に。さらに怯んだ所を中央突破を受け、歴戦の重臣甘利、才間、
初鹿野を討ち取られ、さらに信玄自身も足軽に切り付けられ2箇所に重傷を負う。
将兵700も討ち取られる大敗。村上の被害は300程度。
この戦によって反武田勢力が力を盛り返し窮地の陥る。
平定に二年も費やし逆らう者を皆殺しにし、無駄に時間と軍費を費やす。
後の長篠大敗の後の信濃大離反の火種を作成する。
1550年10月 戸石崩れの大敗 原虎胤のみならず信玄自身も偵察に赴き、万全の体勢を築き上げ、
かつ、村上義清が高梨と交戦中の絶好の留守の機会に奇襲をするも、つい先程まで高梨軍と
死闘を繰り広げ疲弊していた村上軍が急遽来襲。圧倒的に有利でありながらまたも大敗。
将兵1000を失い、追撃を受け、信玄がその才能に期待していた未来の有望株であった
横田高松が討ち死に。信玄は後年まで酒を飲むとこの者を失った悲しみを周りの者に語った。
1551年10月 小岩岳城に奇襲をかけるも失敗。後年、その恨みか落城の際には降伏さえ許さず城兵500を
皆殺しにし、かつ、老人、女、子供に至るまでを奴隷として売りさばく(妙法寺記より抜粋)
そのため現在でも落城の8月12日には慰霊祭が行われている。野戦で討ち取った首を城に前に
槍で突き刺し並べ降伏を迫り成功するも無抵抗の城兵1000人を皆殺しにし、老人、子供は
黒川金山に奴隷として連行し、女は女郎屋に売りさばいた志賀城と双璧を成す大虐殺である。