06/11/25 17:37:58
相当好意的に解釈するならば、
戸次川で積極策を主張した理由は、
不仲であった長曾我部と十河を
強硬路線を主張することで引っ張って意思統一を図ったのではないかと思われ。
(三国で言う、合肥の張遼のようなもの。
李典・楽進らとの不仲を、
寡勢で打って出ることで防衛戦線の意思統一を成功させた)
何の根拠も無いけれど、動機は十分なのよね。
今は同じ太閤配下の四国勢とはいえ、かつての宿敵同士を、
「余所者」の立場でまとめなきゃいけないんだから、
消極策を唱えようモノならば、ただでさえ低い士気と統率が、
ますますグダグダになりかねない。
万が一そうだとすると、
むしろ、そこで正論を主張した長宗我部が空気が読めていなかった、
ということになるのだけれど・・・。
(あるいは、十河も長宗我部と同様に仙石の強硬意見に異を唱えて、
長宗我部と手を取り合っていれば、
仙石も案外あっさり意見を変えたかもしれない。
その真意はどうあれ、
二人そろって反対されたうえで主張を通せるほどの発言力(立場上の「権限」は別として)は
いずれにせよ、仙石には無かった気がする)
成否は別として、仙石の立場で積極策を主張したこと自体は、そう大きな失点とはいえないのでは。
もちろん、結果として「見事に」釣られてしまったわけだが。
904:無名武将@お腹せっぷく
06/11/25 18:08:03
>>903
ぐだぐだなのは、お前の文章
905:無名武将@お腹せっぷく
06/11/27 12:39:54
>>889
積極策を取ろうとする者が失脚しても復帰でき、消極策を取ろうとする者が失脚すると浮かび上がれないということは、豊臣
家臣団は帝国陸軍の直接のご先祖様のようですね。
906:無名武将@お腹せっぷく
06/11/27 13:03:45
>>905
帝国陸軍にも石田三成のような補給の達人がいてくれればなぁw
907:無名武将@お腹せっぷく
06/11/27 14:15:48
史実だとあんまり弱くないのに、最近の信長の野望だと弱すぎだな…
908:無名武将@お腹せっぷく
06/11/27 14:38:18
と、漫画が出た途端言い出す奴が増えてもう
909:無名武将@お腹せっぷく
06/11/27 17:22:43
そういう単純な発想しかできない905は帝国陸軍の子孫
910:無名武将@お腹せっぷく
06/11/27 20:53:28
ぷっ
911:無名武将@お腹せっぷく
06/11/28 03:15:56
島津氏にとっては、秀吉本隊が来援するまでに北九州の要衝を全て確保しておくのが至上命題
だったのだから、短期決戦を望んでいた。
そこへアホみたいに正面から渡河作戦を決行した仙石は、やはり戦略眼がない。ここは多少味方
に犠牲が出ても決戦を避けて持久策を採るべきだし、秀吉もそのように命令していた。
敵将の島津家久は突っ込んでくる四国勢をみて小躍りしたろうな。
912:無名武将@お腹せっぷく
06/11/28 13:19:50
>>889
逆に攻撃を控えるように秀長へ進言した尾藤も秀吉の勘気に触れる。
どうしろっちゅうんじゃ!秀吉w
まぁ冗談。
状況が若干違うから一概には言えないが、尾藤は恐らく釣り野伏せを警戒し・・・・仙石は無視した。
どーも歴史の闇に消えた尾藤知宣という人物が気になる。
名将言行録の信長のエピソードの一つにこういう話がある。
元の出典がどこなのか、どの戦いのことなのかわからないが。
ある役で信長の先手が崩れ、本陣の旗本も危うく見えた。
信長は周りのものに「尾藤はいないか」と問う。
「三の備えにおります」と返答があり、「それならば気にすることは無い」と騒ぐ様子も無かった。
そして結局二の備えまでは崩されたが、三の備えで予想通り受けて突き返したので敵を破ることができた。
これは信長の見通しの正確さを物語る話という位置づけのようだが、信長から相当信頼されていた指揮官だったように見受けられる。
ごく小規模の部隊長として有能だったという点でも仙石と同じ・・・・
913:無名武将@お腹せっぷく
06/11/28 19:33:29
>>912
戦国時代板の方のスレにあったレスだけど
99 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日: 2006/11/24(金) 09:09:10 ID:aAZ5TZpu
>>95
尾藤甚右と、同じく粛清された御子田(御子柴とも伝わる)半左は元々信長の旗本で
墨俣城主になった木下藤吉郎が請うて与力として貰ったという説がある。
二人とも武将としては有能で頼りになったが、秀吉に対して信長直参という事で横柄な
態度を取る事もあったとかで、その時点では我慢していたが、信長も死に、人材も豊富
になった時点で不要として処分されたとか。
100 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日: 2006/11/24(金) 09:12:45 ID:aAZ5TZpu
ちなみに横柄な態度云々がなくても、単に自分の直臣ではないから
信用できないとして処分された可能性はある
ただ仙石も「センゴク」一巻で描かれたように、直臣ではなく信長から
預かっていた武者って説もあるからその辺の区別ははっきりしない。
元々は信長の直臣だったという説が多いようだな尾藤
914:無名武将@お腹せっぷく
06/11/29 09:20:59
>>913
そういう意味で言えば、信長の寵臣なのに粛清されなかった堀秀政は尻尾をつかまれない方でも「名人久太郎」だったな。
915:無名武将@お腹せっぷく
06/11/29 11:49:36
蒲生氏郷もそうだな
死後は蒲生家は減封されたけど
長谷川秀一も本人は死ぬまで重用されてたけど死後はお家断絶
まあこれは無嗣断絶だから仕方ないが
そういう意味では親父の所領、それも上杉旧領という難治の越後をそのまま任された
堀秀治は凡庸と言われてるけど意外に有能だったのかもしれん
916:無名武将@お腹せっぷく
06/11/29 12:01:35
掘秀治は相続したどころか加増されてるよ
久太郎が死んだ時堀家の所領は越前北ノ庄18万石だったけど、秀治の代に
越後に加増転封された
あと久太郎に関しては幼少時から小姓として信長に仕えていたという説の他に
最初は晴れて墨俣城主になった秀吉の下に小姓として仕え、その後に才気を
買われて信長の下に推挙されたという説もある
後者の場合は元々秀吉派閥で、信長の意向をいち早く秀吉に伝える間者の役
を務めていたとも考えられ、後の厚遇も当然とは言える。
917:無名武将@お腹せっぷく
06/11/30 19:32:03
尾藤にせよ堀にせよ、墨俣城主時代(があるかどうかも実に眉唾だが)の秀吉との
交流があったというのは『武功夜話』がソースじゃなかったっけ?偽書説が
ほぼ確実になってるし、それはほとんど論拠にならんぞ。
918:無名武将@お腹せっぷく
06/12/01 00:00:41
雑兵としては一流
将としては三流
919:無名武将@お腹せっぷく
06/12/01 00:22:34
だなっ!
920:無名武将@お腹せっぷく
06/12/01 05:31:07
いや、さすがに三流とはいえない。
二流てとこだな。
921:無名武将@お腹せっぷく
06/12/01 11:27:50
兵としては一流
中級士官としても一流
上将としては一気に三流って感じ
922:無名武将@お腹せっぷく
06/12/02 13:32:59
秀吉もそのギャップは大誤算だったに相違ない
923:無名武将@お腹せっぷく
06/12/06 21:15:44
age