06/11/25 17:37:58
相当好意的に解釈するならば、
戸次川で積極策を主張した理由は、
不仲であった長曾我部と十河を
強硬路線を主張することで引っ張って意思統一を図ったのではないかと思われ。
(三国で言う、合肥の張遼のようなもの。
李典・楽進らとの不仲を、
寡勢で打って出ることで防衛戦線の意思統一を成功させた)
何の根拠も無いけれど、動機は十分なのよね。
今は同じ太閤配下の四国勢とはいえ、かつての宿敵同士を、
「余所者」の立場でまとめなきゃいけないんだから、
消極策を唱えようモノならば、ただでさえ低い士気と統率が、
ますますグダグダになりかねない。
万が一そうだとすると、
むしろ、そこで正論を主張した長宗我部が空気が読めていなかった、
ということになるのだけれど・・・。
(あるいは、十河も長宗我部と同様に仙石の強硬意見に異を唱えて、
長宗我部と手を取り合っていれば、
仙石も案外あっさり意見を変えたかもしれない。
その真意はどうあれ、
二人そろって反対されたうえで主張を通せるほどの発言力(立場上の「権限」は別として)は
いずれにせよ、仙石には無かった気がする)
成否は別として、仙石の立場で積極策を主張したこと自体は、そう大きな失点とはいえないのでは。
もちろん、結果として「見事に」釣られてしまったわけだが。