06/09/10 09:24:48
本人がもうちょっとマシな働きしてればそういう見方が主流になってたかもね。
どう考えても「とるものとりあえず逃げた」としか見えない動きしちゃってるからなぁ。
751:無名武将@お腹せっぷく
06/09/10 09:37:02
秀吉にはすくなからずそういう企みがあったかもしれんけど、
仙石本人は至って真面目に島津を潰そうとして負けたとしか思えんね。
秀吉からすればどっちにしろ問題なしというわけだ。
752:無名武将@お腹せっぷく
06/09/10 10:12:19
例え千石がその秀吉の意図を知ってたとしても、
どっちでもいいならとりあえずは勝とうとするだろうな。
勝つよりもわざと負ける方が普通難しいし。
753:無名武将@お腹せっぷく
06/09/10 10:59:03
>>745
指揮下で戦いたいと思いますかとかの問題ではないと思うのだが・・(だったら別に仙石だけじゃなく、大谷のような玉砕武将達の指揮下でも戦いたくない)。
少なくとも戸次川以外は大敗したといえるものもないし(まぁその後に司令官として軍を動かすことはなくなったけど)、引田の時にははちゃんと組織的な撤退戦を行ってる。
そりゃ名将なんて部類の人間ではないが、紆余曲折経て、一大名として生き残った点を考えれば評価できるんじゃない?
754:無名武将@お腹せっぷく
06/09/10 12:15:34
立花道雪や高橋紹運の指揮下
ってのもつらいぞ。
玉砕したり、正月出勤を拒否って帰ったら家族ごと殺されるよりは、
臆病者とさげすまれても生き残れる方についていきたい。
と、そういう話になるので、
指揮下で戦いたいとかいう話は論点がずれまくり。
まあ、仙石隊なら、生還率は高そうだから、
ついていってもいいな。
755:無名武将@お腹せっぷく
06/09/10 12:16:44
生き残れば勝ち
756:無名武将@お腹せっぷく
06/09/11 09:14:33
確か、子孫は柳沢吉安を失脚させてるような…
757:無名武将@お腹せっぷく
06/09/13 13:24:01
身分の低いうちは活躍たが、一方面の指揮官となってから大失敗というあたりが、
WWⅡの牟田口廉也を想起させるな。
758:無名武将@お腹せっぷく
06/09/13 13:27:25
戦国の話題は戦国時代板で
URLリンク(hobby8.2ch.net)
759:無名武将@お腹せっぷく
06/09/13 16:27:04
牟田口は指揮官先頭の勇猛な連隊長として有名だったらしいからな
それがインパールの時は数万の部下を無茶な戦いに送り出しながら
置き去りにして逃走
760:無名武将@お腹せっぷく
06/09/13 19:59:19
一度くらい誘導厨に言ってみたかったのだが、
ならば、
現状、そもそも戦国とも三国ともまったくかかわりのないスレッドが乱立しているが、
貴様はそれらのスレッドをどこに誘導しようというのか。
761:無名武将@お腹せっぷく
06/09/14 17:38:00
実際に近くにいるとスゲーうざいんだろうなコイツみたいなタイプ。
尊敬できるところがほとんどねー。
762:無名武将@お腹せっぷく
06/09/14 18:51:35
そもそも歴史上の人物ったって、尊敬するものかね
好き嫌いに後付けで理由作って、だからエライだの、だからキライだのいってるだけだし。
763:無名武将@お腹せっぷく
06/09/14 23:45:04
先週号のコミックのほうの義景がヘタレなりに少しだけカッコええ。
ヘタレでもそれなりに一生懸命。
764:無名武将@お腹せっぷく
06/09/16 17:55:29
そもそも仙石なんて三流武将が戦国最強の島津に勝てる道理がない
負けて当然なんだから仕方ないよ
765:無名武将@お腹せっぷく
06/09/28 06:56:30
仙石以外で敵前逃亡した軍監っているの?
766:無名武将@お腹せっぷく
06/10/06 17:34:58
>>764
反論できん orz
767:無名武将@お腹せっぷく
06/10/08 09:49:34
負けたことより、無謀にも決戦挑んだ挙句自分だけ逃げたことを叩かれてるんだから
その理屈はおかしいw
768:無名武将@お腹せっぷく
06/10/13 02:04:06
実際、敗戦だけならここまでボロクソ言われる事はなかっただろうしな。
やはり寄せ集めの混合軍では…とか、四国勢が退却の機を逸して…とかいろいろ
状況は思い浮かぶし。
それを、自分の家臣まで置き去りにして海渡って逃げるとかやっちゃったもんだから
「あぁ仙石(こいつ)がへましたんだな」と。
769:無名武将@お腹せっぷく
06/10/15 23:47:53
しかも置き去りにした家臣が豊後各地で野党化して略奪の限りを
尽くしたとあっては、大分県と四国の人間からは屑以下に見られて
もやむなしだな。
770:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 01:26:28
>>769
ソース求む。いくらなんでもそんな無茶なと思うが。
771:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 06:43:56
略奪の限りを尽くしたなんて戦国時代にはよくあることだろ。
そんなこといってたらほとんどの大名・武将は屑以下だぞ。
あと、大分県と四国で仙石秀久は屑以下と見られるほど知名度あるのか?
772:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 08:30:04
屑はないだろ 屑は
773:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 11:27:21
金目の物と女を奪うのが戦国のならい
774:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 11:31:11
三十年戦争ほどでもなかっただろう
775:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 11:33:21
領土の奪い合いなわけだからね
後のことも考えないと
776:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 11:38:36
古今東西、どこの戦場においても掠奪暴行は避けては通れない。
仙石秀久だけを責めるのはやめろ。
777:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 12:05:35
責めはせんが、略奪せにゃならんような場所に連れてきて置いてくなよ、
しかも自分だけ国に帰るなよ、て話だわな。
778:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 12:07:28
秀久様をいじめないで
779:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 12:11:03
仙石から戦国に改姓しろ
変換が一度で済む
780:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 12:16:49
>>770
>>4
781:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 12:18:31
>>772
司馬以外でもたいていの歴史小説ではそういう扱いだけど?
782:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 12:21:03
>>779
いっそのこと、戦国時代板を戦国秀久板にしよう。
略して戦秀板って、何となくかっこいいし。
783:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 12:33:23
>>774
三十年戦争って人口が三十年で三分の一になったんだってね
784:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 12:39:11
/ ミ
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785:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 12:53:11
じゃ来んな
786:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 13:02:12
/ ミ
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787:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 13:31:56
仙石秀久はどうやったら島津軍に勝てるか?
788:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 14:20:43
この場合なら、島津の挑発に乗らず、ずっと動かず、秀吉本隊が到着すれば仙石の勝利になるな。
>781
小説で屑扱いされてるからと云われてもな…だったら講談の世界では豪傑扱いだが。
789:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 15:01:03
仙石秀久はどうやったら天下を取れるか?
790:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 15:14:31
無理w
791:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 15:18:14
まずは秀吉の政権内で、大物になることだな。
100万石ぐらいないと、どうにもならん。
792:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 15:22:38
蒲生氏郷の代わりに90万石
どうやったら、くれるかな?
793:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 16:56:53
くれるわけないw
794:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 19:18:32
秀吉の本隊が到着する前に、自軍のみで島津軍を蹴散らして九州平定してしまったら、
50万石ぐらいくれるんじゃないか?
795:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 19:25:05
仙石秀久 九州平定の功で肥後50万石に。
その後の朝鮮の役でも大活躍し、筑後を加増して80万石に。
越前に転封された小早川秀秋の筑前も預かることになり、130万石に。
太閤死後、石田三成の要請で西軍総大将として、徳川家康に挑む・・・
796:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 19:43:30
九州平定戦では敵対しつつも、朝鮮では共に戦い、助け合った島津義弘は、
仙石秀久の人物の大きさに感服、関ヶ原の戦いにおいては、仙石秀久と共に西軍につくことを選ぶ。
仙石・島津連合軍の前に、九州で対抗できる勢力はおらず、
西国の諸大名は続々と仙石秀久の下に馳せ参ずる・・・
797:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 19:48:17
真面目な話、何で海渡ってまで一人逃げ帰っちゃったんだろうな。
軍監が負け戦でそんな事したら周囲にどう思われるか分からないはずないと思うのだが。
798:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 19:48:30
九州戦役で秀吉本隊到着まで待つ。
小田原戦役で従軍。豊臣水軍の一翼を担い、兵站業務をこなす。
朝鮮戦役で従軍。同じく兵站業務に従事または朝鮮本土で武功を挙げる。
あとは得意の土木関係で功績を挙げる。
功績の大きさにもよるが、ここまでやれば20~50万石ぐらいは手にできたかもね。
あと、仙石は水軍編成を秀吉から命じられ、編成した水軍率いて、紀州攻めも行ってたから、失敗しなけりゃ九鬼・小西に並んで豊臣水軍の中核を担ってた可能性もある。
まぁあくまでifの話だが。
799:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 19:54:14
>>795>>796
ねーよwwwwwwwwwwwwwww
800:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 20:01:12
>797
軍監だからこそ生き延びる必要がある。戦況報告と責任とる必要がある。
あとは当主だからその場で討ち死にするわけにもいかんし。
あと一人で海渡って逃げたわけではない。
近侍と供に戦地から撤退後、小倉城で一時留まり、そこから戦況不利を見て、海を渡って四国へ戻って沙汰を待ったとの流れ。
(一説には途中に元親と合流し、協議のすえ撤退したとの説もある)
まぁ命令違反、敗戦、単独逃亡には変わりないが。
801:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 20:22:34
この場合「一人」ってのは普通に比喩だろ
預かったもん置いてっちゃったってことで
802:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 20:28:47
たしかに。すまんデスm(__)m
803:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 21:32:47
気にすんなあ
804:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 21:45:38
>>795>>796
毛利輝元はどう動く?
805:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 22:16:21
むしろ一応名のある武将が本当に一人で海渡ってたらそれはそれで凄いw
806:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 22:57:48
板一枚と棒一本あればOK
807:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 23:30:04
>>804
中立(実質西寄り)で、大坂城の守備に回ればいいんじゃないの。
無敵の仙石秀久様なら、毛利の援軍なんていらんだろうw
808:無名武将@お腹せっぷく
06/10/17 23:35:43
石田三成、島津義弘、宇喜多秀家らを従えて徳川家康との決戦に挑む秀久公
809:無名武将@お腹せっぷく
06/10/18 01:27:46
ちょっとほかの軍監と比べてみたくなった。
例えば、激しい戦いを繰り広げた高天神城の二度の落城のときの軍監はといえば。
①大河内正局
天正2年、徳川方だった高天神城に武田勝頼が猛攻を仕掛けた。
城主は小笠原長忠。高天神城周辺の在地勢力で家康から見れば外様。
長忠は奮戦したが、徳川の頼みの綱、織田軍は一向一揆対策で兵が出せない。
ついに絶望した長忠は降伏、生き残った城兵は浜松への帰還を許された。
ところが軍監の大河内は頑として降伏を受け入れず、怒った勝頼に高天神城の石牢に閉じ込められた。
7年後、再度家康軍が高天神城を落城させてみると、石牢から弱りきった大河内が出てきた。
黒田官兵衛が牢に押し込められた話は有名だが、それでも1年。当時の牢に7年って・・・
ちなみに大河内は家康の恩賞を「働いた得たわけでもないのに」と恥ずかしがり、小牧の役で戦死した。
②横田尹松
武田領になったのちの高天神城には城主としてもと今川の部将・岡部元信が入ったが、
軍監として武田譜代の横田尹松が入った。尹松は同じ軍監としての同情からか石牢の中の大河内に
さまざまな心遣いを見せたそうな。
天正8年秋、家康が高天神城を包囲。信長の指示に従って兵糧攻めで餓え殺しに出た。
岡部は早い時点で負けを悟り、降伏の使者を旧知の家康にたびたび送るが
信長の意を受けて家康は拒否。年が翌天正9年になるとともに兵糧が欠乏し、城中は飢餓絵図となった。
窮した岡部は最期の意地を見せるべく城兵とともに城を出て突撃、多くが討死した。
城兵の少なくなった高天神城は徳川の兵の総攻撃を受けたが、
落城の間際に尹松は山の峰伝いに逃亡、遠江から甲斐まで抜けて勝頼に敗北を報告した。
さあ、この上の二人とゴンベたんの違いは?
810:無名武将@お腹せっぷく
06/10/18 01:36:38
③仙石秀久
無謀な作戦を建てた挙げ句、速攻一人で逃げた。
811:無名武将@お腹せっぷく
06/10/18 02:25:36
・・・
812:無名武将@お腹せっぷく
06/10/19 15:29:02
戦国時代最高のヒーロー
813:http://tadadenetoge.web.fc2.com/index.html
06/10/21 23:16:40
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814:無名武将@お腹せっぷく
06/10/29 00:50:24
age
815:無名武将@お腹せっぷく
06/11/02 21:17:38
仙石はただ逃げただけの武将じゃないよ
フロイスの記述によれば
「豊後で跳梁していた最悪の賊は仙石権兵衛の家臣だった」
と名指しで批判している
「彼らは恥や慈愛など人間らしい感情は持っておらず
できる限り奪う事しか考えていなかった」
と、略奪の限りを尽くした事が書かれている
仙石軍は戦ではボロ負けして逃走するのに略奪行為は人一倍活発だったようだ
しかも救援に行ったはずの大友領豊後で
「センゴク」の作者さん
外国人も認める仙石のこの大活躍を描いてはどうですか?w
816:無名武将@お腹せっぷく
06/11/02 23:44:53
>>815
それって権兵衛に置いて行かれた将兵が止むに止まれず略奪して豊臣勢第二陣が来るまで糊口を凌いでいたって
話じゃなかったか?
まあどっちにしても悪いのは権兵衛だがw
817:無名武将@お腹せっぷく
06/11/03 04:24:59
略奪強姦話なんて別に仙石の家臣だけじゃなく、他の戦国武将の家臣達もやってることだから描いたらキリがないぞ。
というか本体に合流できなかった敗軍の兵が、近隣を略奪強姦するなんて戦国時代じゃ当たり前の話だろ。
818:無名武将@お腹せっぷく
06/11/03 15:04:15
どっかで島津最強とか書いてるやつがいたが、
その島津の雑兵が戦そっちのけで肥後や豊後で略奪に人身売買をやらかして
両国は荒野と化した(さらに検地が入ったので肥後はいっそうえらいことになった)
その経過やら結果がフロイスの日記やら島津部将上井覚兼の日記にあるが、
さすが戦国最強wの島津殿にくらべれば我らがゴンベエの兵などかわいいものよ。
819:無名武将@お腹せっぷく
06/11/03 21:05:09
>>818
まったくケースが違うぞ
島津の場合は雑兵への恩賞代わりに略奪を許してた
まあ大体の大名家はそうだ
それに比べ、職豊系大名は根切り作戦のような戦略的目的がある場合
は除いて基本的に略奪は禁止してたのが
仙石兵はゴンベエが自分だけ逃げてしまったので仕方なく略奪する
羽目になったんだからw
820:818
06/11/03 23:10:56
>>819
ありゃ、ごめん。中途半端な知識をひけらかしました。
そうか、上のほうにもつながるけど、ゴンベエの罪は責任と兵を
ほっぽってにげたことに尽きるわけか。そういう軍監ってでも他にいるか?
上にある高天神のご立派な二人の軍監と比べるべくもないにせよ、
へっぽこ軍監もいそうなものだが。
821:無名武将@お腹せっぷく
06/11/03 23:16:02
逆に言うと何でそこまで普通じゃない駄目っぷり晒したのかが良く分からないよなぁ。
事実は小説より奇なりといえ、何かそこらへん苦しい言い訳でも何でも残ってて
良さそうなもんだけど。
一応子孫が続いてたんだし、誰かご先祖様のフォローする奴いなかったのかね?
822:無名武将@お腹せっぷく
06/11/03 23:37:26
豊臣が島津に負けた理由として、センゴクって馬鹿1人の責任にしたかったんだろ。
823:http://tadadenetoge.web.fc2.com/index.html
06/11/04 03:35:17
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824:無名武将@お腹せっぷく
06/11/04 04:18:22
まぁ擁護というか、好意的に解釈するならば、
・仙石個人としては救援を要請した鶴賀城が目の前にあるのに、そこに駆けつけることなくただただ待機し、見殺しにしてしまうのは見過ごすとはできなかった。
・九州の親豊臣派の大名達に豊臣の力とその信頼を勝ち取るためにも支城を見捨てることなく、後詰を完遂する必要があるのではないかと現場での判断からそう思った。
・今後の戦略展開を考え、上方武士として島津方・九州の諸大名に舐めらないためにも、その力を見せ付けようとした。
あたりかね・・まぁあくまで勝手な擁護としてだが・・。
どのみち命令違反した上に敗戦まで犯してる限り、フォローのしようもない。
他の戦では自分の仕事を無難にこなしてきた仙石にとってこの一戦だけはどうしようもないくらいの大失態だからな。
ただ、そこから復活できたのも凄すぎるが・・・(しかも5万石と信州の要衝である小諸だからな)。
825:無名武将@お腹せっぷく
06/11/04 04:23:48
まあ早くから付き従って来た男だから、ちょっとした手柄でも復活させたかったんじゃね、秀吉は。
826:無名武将@お腹せっぷく
06/11/04 08:43:33
>>825
てか、気が付いたら身の回りは抜け目のない切り取り強盗だらけになっていたから、アホでも一途な家臣を出世させて、いつ裏切るかも分からないズル賢いやつらを排斥したかっただけだと思う。
827:無名武将@お腹せっぷく
06/11/04 11:36:19
小才が効いて自意識過剰
功名心が強く浅慮
使い走りはよくできても
大きな仕事で使えないという典型的なタイプだな
828:無名武将@お腹せっぷく
06/11/04 12:44:31
>>825
そこに至ると前述の尾藤や御子田との待遇の差が謎になる
829:無名武将@お腹せっぷく
06/11/04 18:06:11
尾藤や神子田は同じ母衣衆でも立場が違うよ
彼らは軍才に優れていて秀吉が特に頼んで信長につけてもらった与力
だから羽柴家中では竹中半兵衛や蜂須賀小六なんかより立場は上だった
この二人も仙石と同じく功名心が強く
更に才能に驕るところがあり自意識も強く
秀吉の命令に背く事がしばしばあった
信長の手前秀吉も我慢していたが信長死後はいい加減疎ましくなっていたと言われる
その点仙石の場合は秀吉のご機嫌取りの為のパフォーマンスだから
秀吉から見れば可愛いげがある奴だったのだろう
830:無名武将@お腹せっぷく
06/11/04 19:33:42
>>829
その尾藤と神子田を特別視する理由が無知なせいでわからん(と思ってるのは私だけじゃないはず)
例えば神子田の禄は天正初年で250貫程度なのだが、
同時期に比較しやすい秀吉直臣の山内一豊どのが400石。
貫と石で比較しにくくていけないけどまあ約600石と400石。正直大差があるわけではない。
ついでにいうとゴンベエは天正2年で1,000石、その後はとんとん拍子でふえていく。
ずっと前から直臣とまたものの差を強調しているが、もう少し説明とソースがほしい。
831:無名武将@お腹せっぷく
06/11/05 05:34:48
よく仙石嫌いなヤツはすぐ無能とかアホとか大きな仕事で使えないとか秀吉からの信頼だけのゴマすり野郎だとか言っているが、戸次川の失態だけ、それはどうかと思うが・・・。
・中国遠征では茶臼山城を攻略し、温泉好きの秀吉から重職である有馬温泉を統括する湯山奉行に任じられている。
・四国征討でも引田で敗戦したものの(一説には総攻撃を受ける前に引田城から撤退し、元親を悔しがらせた撤退戦を行ったとの話もある)、第二次では喜岡城攻めなど城の攻略に携わり、挽回する働きをしている。
・讃岐大名時代には初期の豊臣水軍編成に携わり、紀州攻めで功績を挙げている。
・復活劇においてパフォーマンスだけだとかいうが、甲冑に鈴付けて小田原城の虎口の一つである早川口を少数だけで落としにかかるなんて無茶な事やってのけるのだから、それ相応の武力はあるだろ。
・神子田、尾藤とは違い、家康からの口添えも手に入れた。
・上田攻めでは自ら人質や殿を志願して、秀忠からの信頼も勝ち得ている。
・戦後の大名時代には農民に逃げられたとはいえ、笠取垰、小諸城及び城下町を現在のようにし、その後に活きる行政を行っている。
・また蕎麦に目をつけ、自ら江戸参勤の折にマーケティングした逸話などもある。
これだけいろいろとやっているやつが無能だとか小才だとか一言では片付けられないと思うのだが。
あと文献の中で仙石秀久は三国一の臆病者と罵られているが、無能・浅慮・阿呆ときされたものなど見たことないし、歴史関係の専門書でもたいていは秀吉傘下の豪将として紹介されている。
832:無名武将@お腹せっぷく
06/11/05 11:18:26
>>831
どれも過度に評価しすぎ。
敗戦したものの、なんたらって、確証はなんらないし、
そもそもどの戦も、大勢があってこそだし、小田原にしろ、仙石がいたから「こそ」何かがなったわけじゃない。
上田攻めでは、の下りも、そこまでの評価があったんだったら、上田攻めの責任の一端があったか、
責任があったからこそ、人質や殿する羽目になっただけかもしれん。
城下町を~にしたって、「農民に逃げられたとはいえ」って、これでかすぎだろ。
好きみたいだから、過度に評価したいのもわかるが、「無能の一言で片づけてる」人の逆行って、贔屓しすぎてるぞ。
湯山奉行が重職ってのも、コレは酷い。
833:無名武将@お腹せっぷく
06/11/05 14:22:48
たしかに過度だったのは認めるよ。
ただ、小田原で仙石がいたから「こそ」何かがなったわけじゃないのは当然だが、自身の挽回のため、甲冑に鈴を付け危険な虎口に攻め上るのは個人の武功・パフォーマンスとしては十分な活躍だといえる(北条方が目立つ仙石に遠慮する必要はないだろし)。
農民逃げられたが小諸の開発という点では評価できる。
上田においても、仮になんらかの責任あるにせよ、その言により結果的に秀忠の信頼を得ている。
無類の温泉好きである秀吉から直々に湯山奉行を任じられるのは信頼ある証拠にはならないかね?
あと、どの戦も、大勢があってこそだしというが、だからといってわざわざ少数で戦う必要はないだろ。
大軍の中で堅実に仕事して功績挙げていったわけだし、その点は評価してもいいと思うのだが。
834:無名武将@お腹せっぷく
06/11/05 15:15:39
その程度の武功珍しくもなんともないだろ
当時の名のある士に比べたらむしろ人並み以下
信長時代から各地に転戦してるのにその程度しかないなんて異常だよw
武功とか言ってるけど具体的に何やったのか分からないし
無敗の豊臣軍に加わってりゃ余程の失態がない限りオコボレに与れるさ
いつも名将が一緒にいてくれたから楽だわな
唯一、一方面の指揮権握ったのが九州征伐だがあのザマだ
せいぜい1000人ぐらい連れて誰かの指揮の下で走り回るのが仙石の適任と言うわけだ
835:無名武将@お腹せっぷく
06/11/05 15:25:23
つうか温泉奉行って思い切り雑務じゃまいかw
ましてあの忙しい時期に
836:無名武将@お腹せっぷく
06/11/05 15:34:13
まあか総務部長って立場のヤツが急に営業+接待にかり出されて大失態したようなもんかw
城の修繕とかは過不足なくこなしてるからバカじゃないんだろうが。
837:無名武将@お腹せっぷく
06/11/05 15:35:44
いくら秀吉が温泉好きだからって、温泉奉行で重宝って、そりゃないよなw
女性の世話を管理してたヤツも相当重宝されていただろうw
色々頑張って仙石の手柄になりそうなの上げてるけど、どれも数的優位、秀吉がバックにあってこそで、
負ける方がおかしいのばかりなのに、その中でいくつもポカやってるから、みんなダメな認識もってるんだろ。
ぶっちゃけ、成功して当然、失敗したら笑いモノって世界じゃね?
838:無名武将@お腹せっぷく
06/11/05 15:47:31
別に異状ではなかろう。
細かい武功は文献調べればいろいろ見つかるだろし、そんなこといったら史実では目立った活躍は一度だけの前田慶次や麒麟児いわれているわりに連戦連敗の山中鹿介、百万の逸話をもつわりにはたいした武功話がない大谷などはどうなるんだ?
人並み以下というが鈴付けて虎口攻めるなんてコイツぐらいしか見ないのだが。
オコボレに与れるというがそれだけで10万石の大名になれると簡単に決め付ける意味がわからない。
功績もないのに何故10万石ももらえる?
しかも淡路・讃岐・小諸は要衝であり、それをオコボレだけで渡すのか?
名将が一緒にいてくれたから楽だというがそれこそ単なる決め付けにすぎないと思うんだが。
839:無名武将@お腹せっぷく
06/11/05 15:51:59
鈴つけて鈴つけてって言うけど、どれだけの音がするもんかわからんし、
大人数が走って、甲冑がガチャガチャ言って叫び声上げてる中、実際どんだけのもんか疑問。
むしろ周りの兵士達大迷惑だよな、本人は出世に繋がっていいかもしらんが。
840:無名武将@お腹せっぷく
06/11/05 15:52:30
いくつもポカやってるというが戸次川はたしかに仙石のポカだが、引田は仙石側の兵数が少なく敗れた戦だし。
そのほかにポカは見当たらないんだが・・。
841:無名武将@お腹せっぷく
06/11/05 15:54:09
周りの兵士達大迷惑なんていいだしたら、仙石以外の豪将達のエピソードもそれに当てはまるものがあるだろ。
842:無名武将@お腹せっぷく
06/11/05 15:56:30
ホントに立派な鈴つけてたら残ってそうなもんだが、どっかに貯蔵されてたりしないの?
鈴付きの鎧とか。普通の鎧にそん時だけちょこっと付けただけ?
上田にあるのは相当地味だけど。
843:無名武将@お腹せっぷく
06/11/05 15:57:13
>>841
迷惑かはともかく、そこら中で金属音やら鉄砲音がしてる中、鈴ごときがどれだけ注目集めるかは疑問だ。
844:無名武将@お腹せっぷく
06/11/05 16:02:17
まぁたしかにそうだな。
相当数の鈴を付け、無印の旗印と単独奮戦で秀吉にアピールできたんじゃないの。
845:無名武将@お腹せっぷく
06/11/05 16:53:08
鈴の逸話は信憑性にかなり乏しい史料に出てくる話だしなぁ。
だいたい手柄立てる前から目立ってどうすんだよ(笑
846:無名武将@お腹せっぷく
06/11/05 16:54:14
そりゃ前田慶次も同じだろ。
847:無名武将@お腹せっぷく
06/11/05 17:05:56
前田慶次は目立つ目立たない以前の問題だろ。
848:無名武将@お腹せっぷく
06/11/05 17:17:50
>>838
じゃあその武功とやらを提示しろよ
あるならなw
849:無名武将@お腹せっぷく
06/11/05 20:15:23
上田に関しては、司馬の創作がはばをきかせているとしか思えんな。
それから、殿軍って罰で行われるものなのか?普通は任せるにたる、頼れる
者にまかせると思うのだが。
850:無名武将@お腹せっぷく
06/11/06 02:09:41
>848
古文書なんて読めないから学者みたいに論じられないが、大まかに調べたところこんな感じ。
・茶臼山城攻め、淡路平定戦(中国遠征)
・喜岡城攻め(四国征伐)
・城之段城攻め(紀州征伐)
・韮山城攻めの先陣、小田原城早川口攻め(小田原攻め)
・武功ではないが上田城攻めでは殿を務めている。
などかな。
初期の頃や山崎の戦い、鳥取城攻めや一宮城攻めなどで従軍していた時の細かい武功は古文書でも読まなきゃわからんな。
初期の秀吉臣下の中では出世頭の一人だったわけだし、そのころから何かしらの功績がなければ石高の上昇はありえないだろ。少なくとも武功ゼロはありえない。
851:無名武将@お腹せっぷく
06/11/06 08:10:23
>>849
責任や負い目のある人間が申し出れば、
誰も止める人間はいないだろうがな。
852:無名武将@お腹せっぷく
06/11/06 09:53:10
そもそもあの時の殿にはさしたる危険はなかったと思うぞ?
攻め落とせなかったからといって圧倒的に数で勝ってたし、
今すぐに後詰の来る状況でもないし。
853:無名武将@お腹せっぷく
06/11/06 09:58:36
>>850
参加した合戦書いただけじゃん…
肝心の武功が一文字も書いてないが
参加しただけなら何万人もいるわけだが
854:無名武将@お腹せっぷく
06/11/06 12:43:24
殿てのは撤退する軍の被害をいかに少なくするかを左右する重大な役目だし
殿軍自体も敵の追撃を一身に受けるから被害が多く一番危険な役目でもある
だから武功のある武将や手練の武将、信頼のある武将などが選ばれる
ただ、上田の場合は敗走したわけじゃなく
むしろ決戦場に向けて進撃したわけで
仙石達は殿ではなく上田の押さえに捨て置かれた
残されたのは森忠政、石川康長、仙石秀久、諏訪頼水など信州の大名達
理由はそれだけ
855:無名武将@お腹せっぷく
06/11/06 15:13:51
武功はあげてないけど、限りなく無難にこなしてきたと。
逃走の件は大失態。
856:無名武将@お腹せっぷく
06/11/06 15:47:16
戸次川の失態がなけりゃ20万石ぐらいなったかもな
讃岐なら本戦参加組になった可能性が高いし
10万石だと3000は動員できるから少しは首稼ぎできただろう
まあ、中途半端に石高あると潰された可能性も高いがな
857:無名武将@お腹せっぷく
06/11/06 16:09:06
>853
茶臼山城攻め、由良城攻め、川端城攻め、備中冠山城攻め、喜岡城攻め、岩倉城攻め、和気城攻め、伊勢亀山城攻め、小松原城攻め、城之段城攻めは仙石が指揮をとって攻略した城。
小田原では伊豆山中攻めの先鋒(調べなおしたら韮山城でなかった、スマン)、小田原城早川口の虎口を制圧。
>854
捨て置かれたのではなく、信州の大名達だから土地勘もあり、任せるのには適任だからだろ。
いくら兵数で勝るからといっても後ろを見せるからには殿をいいかげんな者に選んだりしないだろ。
>855
城攻めの指揮をとり、攻略したことや、虎口制圧は武功と呼べるものだと思うのだが。
858:無名武将@お腹せっぷく
06/11/06 22:07:12
>>856
九州陣先手を別に手柄立てなくてもいいから本隊到着までの時間稼ぎを無難にこなしていれば
佐々成政の代わりに肥後一国をもらってもおかしくなかったな
859:無名武将@お腹せっぷく
06/11/06 22:16:08
>>858
肥後はきついぞ。島津が直前に完膚なきまで荒らしてくれた直後に
秀吉の指示通り検地を行えば、よほどうまくやらないかぎり佐々と同じ結果になる。
加藤・小西が肥後に入れたのは一揆のおかげで国人領主が一通り潰れてくれたからなんだから。
ゴンベエにそんな手腕があるとはとても思えんが。
それはさておき、秀吉直属系の部将で同じ時期に大名になっているメンツで、
肥後一国クラスの領国もらってる人いないんだけど、あなたの「おかしくなかった」
という根拠は何よ?それとも堀や蒲生あたりと比定してるのかな?
860:無名武将@お腹せっぷく
06/11/06 22:55:04
【センゴク】 仙石秀久 【宮下英樹】
スレリンク(sengoku板)
861:無名武将@お腹せっぷく
06/11/07 03:02:08
>>851
だから、それは罰の一種だろうが。
通常、殿軍が崩壊すれば自分達も危険に晒される。そんな任務を失敗した、信用できない
あてにならないものに任せるか?
862:無名武将@お腹せっぷく
06/11/07 12:30:45
>>859
単に加増度の比較からで深い意味はない
三万石程度の行長や一万石に満たない清正が、成政失脚の後釜とはいえ肥後半国を任されてるんだから
讃岐淡路で15万石貰ってた秀久なら肥後一国貰ってもおかしかないだろうということ
863:無名武将@お腹せっぷく
06/11/07 20:52:56
ゴンベイ
864:無名武将@お腹せっぷく
06/11/12 07:21:32
戸次川での失態はどう繕っても消えるものではないし
仙石がこの時代で屈指の名将だとか別に誰も思っていない
ただ信長存命時で既に近江国野洲郡に所領を得て
28歳にして淡路洲本城主と秀吉陣営のみならず織田家全体でも異例の大出世。
中国、紀州、四国攻めで無難に仕事をこなして同じく秀吉股肱の臣であった
尾藤に変わり讃岐国主に登りつめ・・・そして例の九州攻め軍鑑にと
この時点までの経歴を見れば全否定されてしまう程の無能武将でも無い
865:無名武将@お腹せっぷく
06/11/12 22:30:14
五右衛門捕縛の講談に抜擢され讃えられる個人的武勇
中国攻め、紀州攻めなどでの小部隊を率いる能力
大坂、肥前名護屋での築城、小諸治世で見せた官僚としての能力
決して賞賛すべきような名将では無いが只の無能者でも無い
切腹モノの失敗をやらかしながらしぶとく生き残るしたたかさと時流を読む能力
866:無名武将@お腹せっぷく
06/11/12 23:11:10
>>865
直江兼続みたいだな
867:無名武将@お腹せっぷく
06/11/12 23:26:45
無能ではなく、むしろ才覚はあったが人間として屑、それでいいじゃん
868:無名武将@お腹せっぷく
06/11/13 01:03:23
確かに劣化藤堂高虎というよりは劣化版直江兼続かもな。
てことはそもそも大名にはならん方が良かったのかもしれん。
誰かの下にいた方が下手を打たずにイイ仕事だけできたのかも。
869:無名武将@お腹せっぷく
06/11/13 01:58:29
まぁ長曽我部と十河からみれば人間として屑だろうな。
ただ他の大名達から見たら屑とはいえない。外様5万石の小大名の最終的なポジションが徳川秀忠付きだからな。
人物としては信頼はされていたと思うぞ、特に徳川には。
案外、山内より仙石の方が律義者としての言葉が当てはまるかもしれん。
870:無名武将@お腹せっぷく
06/11/13 07:28:24
要するに小勢を率いれば勇猛な指揮官ではあっても、戦略的な判断ができないから
一方面の責任者になると大失敗という、劣化牟田口廉也だな。
871:無名武将@お腹せっぷく
06/11/13 13:43:11
>>870
比較対照が牟田口なら劣化つける必要ないw
872:無名武将@お腹せっぷく
06/11/16 01:53:45
このスレに仙石より優秀な人って、どれくらいいるんだ?
873:無名武将@お腹せっぷく
06/11/16 03:28:43
まあ、俺は控えめに見ても上だな。
874:無名武将@お腹せっぷく
06/11/16 04:05:15
ゲーム風に仙石を数値で評価した場合、どんな数値が妥当?
875:無名武将@お腹せっぷく
06/11/16 08:26:50
太閤立志伝風で評価するなら・・・
統率:54
武力:77
政務:65
知謀:50
魅力:82
理由はこんな感じかな・・・
統率・・・戸次川以外(引田は如何ともしがたい兵力差があったので除外)の戦(中国攻め、淡路攻め、紀州攻め、第二次四国攻め)は無難にこなしている。
武力・・・数多くの戦場を生き抜き、また小田原戦では虎口を占拠する活躍をしている。
政務・・・過酷な課役により、農民に逃げられた点はマイナス。しかし、土木建築(城普請と小諸開発)と早くからの殖産興業(小諸蕎麦)に目を付け、実行していた点は評価できる。
知謀・・・戸次川の大失態は大きなマイナス。だが、挽回の際の準備のよさ(家康の口添えとパフォーマンス)や家名存続のための様々な行動は後々に活きている。
魅力・・・大失態をしたにもかかわらず復帰が許されたこと、時の権力者(秀吉・家康・秀忠)から高い信頼を勝ち得ている点と後の講談での活躍。
贔屓入れて、こんな感じかな。
876:無名武将@お腹せっぷく
06/11/16 12:08:05
>>875
そこから各能力一割引したら丁度良い感じ。
877:無名武将@お腹せっぷく
06/11/16 12:15:45
魅力82は幾等何でも高すぎるんでは?
…ま、能力談義は程ほどにしとこう。
878:無名武将@お腹せっぷく
06/11/16 13:54:31
>>857
じゃあ仙石の生涯戦績は城之段とか言う城落としたのだけですか…
どの程度の規模の城か知らんが
879:無名武将@お腹せっぷく
06/11/16 14:35:43
もう漫画読み過ぎ査定はいい加減にしろと
880:無名武将@お腹せっぷく
06/11/16 15:54:47
実は上限値が150なんだろう。
881:無名武将@お腹せっぷく
06/11/17 03:46:39
>878
いや、仙石個人の指揮によって攻略されたのは茶臼山城攻め、由良城攻め、川端城攻め、喜岡城攻め、岩倉城攻め、和気城攻め、小松原城攻め、城之段城攻めとなる。
城之段城は湯川直光の城だから、そこそこの規模だったとは思うよ。
>879
だから贔屓入れての評価といったろ。
漫画読みすぎ査定というが、それなら前田慶次・雑賀孫一・山中鹿之介とかも能力高すぎだろ。
882:無名武将@お腹せっぷく
06/11/17 09:18:30
>>881
もういい加減にしろ、何だから普通にそこらへんも含めての話だろ。
何でもかんでも「自分が否定されてる」みたいな思い込みはいい加減うざいぞ。
883:無名武将@お腹せっぷく
06/11/17 10:49:03
今までの数値に何も文句いってなかったのに
漫画になった途端、数値が・・・とか言いだしてるだけで影響受けてるお
884:無名武将@お腹せっぷく
06/11/18 21:16:35
そういうもんだろ。何かしらの影響受けて武将の評価も変わるものだからな。一般人がもつ戦国武将の評価の大半は映画・ドラマ・小説・漫画による力が大きいだろうし。
885:無名武将@お腹せっぷく
06/11/18 23:50:35
既出かもしれんが、仙石は四国勢をこのままのさばらせとくのは
豊家にとって後々めんどくさいから秀吉の密命をうけて
わざと指揮を混乱させ敗北させたという説もあるよ
後々復帰できたのはそのため
886:無名武将@お腹せっぷく
06/11/19 20:11:01
>>885
話にならんな
勢力そぐためなら堅固な城攻めの担当にするとか
大会戦で先鋒にしたりといくらでも手がある
いずれも本隊が到着してからの話
豊臣軍の戦力が揃ってない時に、戦線を大幅に後退させるような
真似してまですることじゃない
887:無名武将@お腹せっぷく
06/11/19 21:17:34
>>885
そういう「裏では実はそうだったのだ!」的なネタってよくネットで見かけるけど、
自発的にソースを出してくれた人って皆無だなあ。
どう、たまには出典のひとつもつけてみない?
888:無名武将@お腹せっぷく
06/11/19 22:23:18
「裏の事情だったから表だった記録には残ってないんだよ!」で終わりじゃね?
小説とか創作フィクションならべつにそれでいいんだけどな面白くなれば。
889:無名武将@お腹せっぷく
06/11/20 02:04:53
仙石秀久と尾藤知宣の二人の人生を比較すると面白いな。
二人とも初期の秀吉に仕え、無事出世し大名までのぼりつめたものの、互いに九州征伐の際には軍監として、前者は積極策をとり、後者は消極策をとったことで失敗を犯し、追放されている。
その後、二人とも小田原征伐で許しを請うため馳せ参じるが仙石は大名に復帰、尾藤は処刑されただの暗殺されただので、最後もわからずじまいで消えていくんだもんな・・。
890:無名武将@お腹せっぷく
06/11/20 02:09:42
>>885のような事は想定してなかっただろうが、秀吉にとっては結果オーライじゃないか
敗戦は痛いが邪魔な四国勢を整理できたんだしプラマイゼロな気がする
891:無名武将@お腹せっぷく
06/11/20 19:23:27
整理できたって…
整理された四国勢は仙石だけじゃんwww
892:無名武将@お腹せっぷく
06/11/22 03:34:48
大局を見誤って敗北した武将は数多く、
最終的に数万石程度の禄で終わった大名も多い。
仙石は、数多いそうした戦国武将の中で、それほど貶されるほどの武将ではない。
もちろん、讃えられるほどの武将かというとそうでもないが。
比較対象が、大大名や当時を代表する名将クラスなのが、仙石がしょぼく見える原因ではないか。
しかし、それは、
たまたま、小大名にあまり精通していない半可通でも、仙石の名前だけは割と知られてしまっているから、だろう。
もちろん、自分も、仙石クラスの規模の大名でどんなのが居たのかはほとんど知らない。きっとたくさん居たんだろうな、位のモンである。
仙石がネタになるのは、戦功の有無とかは本質的な問題ではなく、
九州におけるクセノフォンもかくやという「大撤退」と、そこからの改易と復活劇ゆえに他ならない。
そこで論点としてあげるべきは、むしろ、
「なぜ、仙石は、自領の讃岐まで退かざるを得なかったのか。
途中で安全を確保するすべは無かったのか。
(たとえば、出兵準備をしていた毛利を頼る手もあっただろう。
むしろ、単純に「臆病だから」という理由付けならば、手近な大勢力の友軍・毛利を頼りそうなものである)」
というのがまず一点。
加えて、
「本隊が参戦しないままで起きてしまった戸次川での敗戦が、豊臣政権にどの程度影響を与えたか。
敗戦が引き金となって、何らかの危機が訪れるリスクはあったのか。
(九州征伐が頓挫する、あるいは、友邦毛利が離反する、徳川との戦端が再び開かれる、島津勢が余勢をかって九州の外まで攻めあがる、など)」
という点も気になる。
一応自分なりの推測や解釈はあるけれど、今夜のうちはあえて、「問い」として問題提起するにとどめてみよう。
893:無名武将@お腹せっぷく
06/11/22 03:40:39
誰か3行くらいにまとめて
894:無名武将@お腹せっぷく
06/11/22 04:57:15
仙石が讃岐に逃げ帰った理由を敗戦後の仙石本人の立場で考えると・・・
・大友家は島津侵攻のために瀕死状態(大友が島津方に降伏するかもしれないので、小倉城では長居できない)。
・毛利は味方になったばかりで、いつ離反するかわからない(これを機に毛利と島津が内密に手を組み、助けを求めたところ、逆に捕らえられる可能性がある)。
・混成部隊であり、さらに敗戦によって多くの指揮官が死亡し兵力も分散、指揮系統はめちゃくちゃで守備隊も編成できない状態である。
・敗戦後に軍監身分である仙石にとって最大の主任務は生き残って戦況報告等を行い、敗戦の責任をとる必要がある。
自分なりにはこんな感じかな・・当然かなり都合のいい解釈だがw
一気に讃岐に帰ったわけではなく、しばらく小倉城に留まっていた事を見ると、この時に何かしら思案してたんだろうな。
895:無名武将@お腹せっぷく
06/11/22 05:02:10
逃げ帰った理由以前に、逃げ帰らなきゃいけない状態に陥ってるだけで、十二分にプギャーだろ
896:無名武将@お腹せっぷく
06/11/22 17:01:24
大敗して逃げ出した武将は仙石だけじゃなかろう?
単に負けたとか逃げたとかでカタルーニャ
897:無名武将@お腹せっぷく
06/11/22 19:16:51
「みんな」理論キタ━(゚∀゚)━( ゚∀)━( ゚)━( )━( )━(゚ )━(∀゚ )━(゚∀゚)━━!!!!!
898:無名武将@お腹せっぷく
06/11/22 20:22:19
ゴンベエが長宗我部・十河の軍鑑をしていた同じとき、
毛利と宇喜多付き軍鑑が黒田官兵衛だったわけだが、
官兵衛さんと同じ役割を秀吉は期待したのでしょうかねえ。
当時の官兵衛とゴンベエの秀吉政権における位置づけはどのへんにあるかという話になるわけだが。
899:無名武将@お腹せっぷく
06/11/22 22:58:18
しかも三好一門の十河氏は外様といえど親秀吉派だしな
900:無名武将@お腹せっぷく
06/11/22 23:05:17
四国勢=とりあえず牽制のための先遣部隊
毛利、宇喜多勢=主力先鋒
そもそも率いる数や期待されてる役割が違う
901:無名武将@お腹せっぷく
06/11/23 06:10:27
正確には四国勢+大友勢。
総勢2万の軍監だから、出世コースのポジションでいい位置づけではあるな。
ただ秀吉は官兵衛と同じ役割は期待してないと思うよ。
命令はあくまで待機+現状維持だったからな。
902:木村貴光
06/11/23 18:45:13
私こと花岡美代子は愛知県岡崎で殺されました。
中部地方のクズどもこれ以上のホームレス猟りはやめろ!!中部地方はこんなやつばかりですわ。岐阜県と愛知県民はもう三国志を語るな!!でていけ岐阜愛知に核弾頭を落とせ!!一人も生かすなクズが…わたしゃ成仏できないよ!!
木村貴光は花岡美代子さんを支援します。ホームレスも立派な人間です。みんなで警察のクズどもに脅しかけて、ちゃんと捜査をさせよう。犯人わかってて動かない警察に喝を!!
903:無名武将@お腹せっぷく
06/11/25 17:37:58
相当好意的に解釈するならば、
戸次川で積極策を主張した理由は、
不仲であった長曾我部と十河を
強硬路線を主張することで引っ張って意思統一を図ったのではないかと思われ。
(三国で言う、合肥の張遼のようなもの。
李典・楽進らとの不仲を、
寡勢で打って出ることで防衛戦線の意思統一を成功させた)
何の根拠も無いけれど、動機は十分なのよね。
今は同じ太閤配下の四国勢とはいえ、かつての宿敵同士を、
「余所者」の立場でまとめなきゃいけないんだから、
消極策を唱えようモノならば、ただでさえ低い士気と統率が、
ますますグダグダになりかねない。
万が一そうだとすると、
むしろ、そこで正論を主張した長宗我部が空気が読めていなかった、
ということになるのだけれど・・・。
(あるいは、十河も長宗我部と同様に仙石の強硬意見に異を唱えて、
長宗我部と手を取り合っていれば、
仙石も案外あっさり意見を変えたかもしれない。
その真意はどうあれ、
二人そろって反対されたうえで主張を通せるほどの発言力(立場上の「権限」は別として)は
いずれにせよ、仙石には無かった気がする)
成否は別として、仙石の立場で積極策を主張したこと自体は、そう大きな失点とはいえないのでは。
もちろん、結果として「見事に」釣られてしまったわけだが。
904:無名武将@お腹せっぷく
06/11/25 18:08:03
>>903
ぐだぐだなのは、お前の文章
905:無名武将@お腹せっぷく
06/11/27 12:39:54
>>889
積極策を取ろうとする者が失脚しても復帰でき、消極策を取ろうとする者が失脚すると浮かび上がれないということは、豊臣
家臣団は帝国陸軍の直接のご先祖様のようですね。
906:無名武将@お腹せっぷく
06/11/27 13:03:45
>>905
帝国陸軍にも石田三成のような補給の達人がいてくれればなぁw
907:無名武将@お腹せっぷく
06/11/27 14:15:48
史実だとあんまり弱くないのに、最近の信長の野望だと弱すぎだな…
908:無名武将@お腹せっぷく
06/11/27 14:38:18
と、漫画が出た途端言い出す奴が増えてもう
909:無名武将@お腹せっぷく
06/11/27 17:22:43
そういう単純な発想しかできない905は帝国陸軍の子孫
910:無名武将@お腹せっぷく
06/11/27 20:53:28
ぷっ
911:無名武将@お腹せっぷく
06/11/28 03:15:56
島津氏にとっては、秀吉本隊が来援するまでに北九州の要衝を全て確保しておくのが至上命題
だったのだから、短期決戦を望んでいた。
そこへアホみたいに正面から渡河作戦を決行した仙石は、やはり戦略眼がない。ここは多少味方
に犠牲が出ても決戦を避けて持久策を採るべきだし、秀吉もそのように命令していた。
敵将の島津家久は突っ込んでくる四国勢をみて小躍りしたろうな。
912:無名武将@お腹せっぷく
06/11/28 13:19:50
>>889
逆に攻撃を控えるように秀長へ進言した尾藤も秀吉の勘気に触れる。
どうしろっちゅうんじゃ!秀吉w
まぁ冗談。
状況が若干違うから一概には言えないが、尾藤は恐らく釣り野伏せを警戒し・・・・仙石は無視した。
どーも歴史の闇に消えた尾藤知宣という人物が気になる。
名将言行録の信長のエピソードの一つにこういう話がある。
元の出典がどこなのか、どの戦いのことなのかわからないが。
ある役で信長の先手が崩れ、本陣の旗本も危うく見えた。
信長は周りのものに「尾藤はいないか」と問う。
「三の備えにおります」と返答があり、「それならば気にすることは無い」と騒ぐ様子も無かった。
そして結局二の備えまでは崩されたが、三の備えで予想通り受けて突き返したので敵を破ることができた。
これは信長の見通しの正確さを物語る話という位置づけのようだが、信長から相当信頼されていた指揮官だったように見受けられる。
ごく小規模の部隊長として有能だったという点でも仙石と同じ・・・・
913:無名武将@お腹せっぷく
06/11/28 19:33:29
>>912
戦国時代板の方のスレにあったレスだけど
99 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日: 2006/11/24(金) 09:09:10 ID:aAZ5TZpu
>>95
尾藤甚右と、同じく粛清された御子田(御子柴とも伝わる)半左は元々信長の旗本で
墨俣城主になった木下藤吉郎が請うて与力として貰ったという説がある。
二人とも武将としては有能で頼りになったが、秀吉に対して信長直参という事で横柄な
態度を取る事もあったとかで、その時点では我慢していたが、信長も死に、人材も豊富
になった時点で不要として処分されたとか。
100 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日: 2006/11/24(金) 09:12:45 ID:aAZ5TZpu
ちなみに横柄な態度云々がなくても、単に自分の直臣ではないから
信用できないとして処分された可能性はある
ただ仙石も「センゴク」一巻で描かれたように、直臣ではなく信長から
預かっていた武者って説もあるからその辺の区別ははっきりしない。
元々は信長の直臣だったという説が多いようだな尾藤
914:無名武将@お腹せっぷく
06/11/29 09:20:59
>>913
そういう意味で言えば、信長の寵臣なのに粛清されなかった堀秀政は尻尾をつかまれない方でも「名人久太郎」だったな。
915:無名武将@お腹せっぷく
06/11/29 11:49:36
蒲生氏郷もそうだな
死後は蒲生家は減封されたけど
長谷川秀一も本人は死ぬまで重用されてたけど死後はお家断絶
まあこれは無嗣断絶だから仕方ないが
そういう意味では親父の所領、それも上杉旧領という難治の越後をそのまま任された
堀秀治は凡庸と言われてるけど意外に有能だったのかもしれん
916:無名武将@お腹せっぷく
06/11/29 12:01:35
掘秀治は相続したどころか加増されてるよ
久太郎が死んだ時堀家の所領は越前北ノ庄18万石だったけど、秀治の代に
越後に加増転封された
あと久太郎に関しては幼少時から小姓として信長に仕えていたという説の他に
最初は晴れて墨俣城主になった秀吉の下に小姓として仕え、その後に才気を
買われて信長の下に推挙されたという説もある
後者の場合は元々秀吉派閥で、信長の意向をいち早く秀吉に伝える間者の役
を務めていたとも考えられ、後の厚遇も当然とは言える。
917:無名武将@お腹せっぷく
06/11/30 19:32:03
尾藤にせよ堀にせよ、墨俣城主時代(があるかどうかも実に眉唾だが)の秀吉との
交流があったというのは『武功夜話』がソースじゃなかったっけ?偽書説が
ほぼ確実になってるし、それはほとんど論拠にならんぞ。
918:無名武将@お腹せっぷく
06/12/01 00:00:41
雑兵としては一流
将としては三流
919:無名武将@お腹せっぷく
06/12/01 00:22:34
だなっ!
920:無名武将@お腹せっぷく
06/12/01 05:31:07
いや、さすがに三流とはいえない。
二流てとこだな。
921:無名武将@お腹せっぷく
06/12/01 11:27:50
兵としては一流
中級士官としても一流
上将としては一気に三流って感じ
922:無名武将@お腹せっぷく
06/12/02 13:32:59
秀吉もそのギャップは大誤算だったに相違ない
923:無名武将@お腹せっぷく
06/12/06 21:15:44
age