06/03/20 09:57:08
漫画の仙石は漫画家本人が漫画として面白いと思う人物設定にしてるだけじゃね
(読んでる人間が面白いと感じるかどうかは別として)
251:無名武将@お腹せっぷく
06/03/21 00:05:31
そりゃさリアリティが有りすぎて
主役が小狡いお調子者じゃ誰も読まないよ
252:無名武将@お腹せっぷく
06/03/21 00:56:34
小太りでお調子者でソバ好きで
どっからか鐘(安珍・清姫)を拾って来たり
忍者だったり、忍び出身の盗賊捕らえたりするのが
漫画とは別の俺個人のイメージ
253:無名武将@お腹せっぷく
06/03/23 15:14:24
斉藤家出身のはずの堀が織田家直参のような書かれ方をしているのが
254:無名武将@お腹せっぷく
06/03/25 17:04:29
本願寺顕如と豊臣秀吉はいいキャラだよな。
家康は奇をてらいすぎて失敗してる印象だが。
信長と信玄は比較的ステレオタイプなキャラだな。
255:無名武将@お腹せっぷく
06/03/27 23:00:53
逃げるのは信長からの教え、大将みずから撤退しても再建可能だかね
殿は自滅覚悟だよ
256:無名武将@お腹せっぷく
06/03/28 18:52:57
信長は戦略的意図があって撤退する事は度々あったが
戦闘で逃げた事などない
257:無名武将@お腹せっぷく
06/03/30 21:41:13
信長は大将
仙石は部将
258:無名武将@お腹せっぷく
06/04/03 20:36:03
仙石無双進出オメ
259:無名武将@お腹せっぷく
06/04/04 01:14:14
まじでか
260:無名武将@お腹せっぷく
06/04/04 01:29:40
やっぱり弭槍使ってたりすんの?
261:無名武将@お腹せっぷく
06/04/04 03:19:46
漫画ワロスw
完全に史実無視の展開になってきた
細かい描写も無くなった
やはり無理があったし、資料探すのも面倒臭くなったようだなw
262:無名武将@お腹せっぷく
06/04/04 23:44:45
>>259
コーエーって結構ミーハーよ。明らかに蒼天に影響されてるしw
263:無名武将@お腹せっぷく
06/04/05 02:38:20
無双では仙石は一般武将で出てくる。一般武将なんだけど、無双に出てることに何故か感動しちまった俺ガイル
264:無名武将@お腹せっぷく
06/04/05 03:11:16
蒼天や花の慶次ととセンゴクを同レベルで論じて良いのか
265:無名武将@お腹せっぷく
06/04/06 01:34:04
ミーハーじゃなきゃそもそも無双なんか作ったりしない罠w
266:無名武将@お腹せっぷく
06/04/14 23:20:10
仙石の大河作れよ
267:無名武将@お腹せっぷく
06/04/15 12:59:10
山内とくらべるとどちらも大差ないじゃん。
・・・
・・・
・・・司馬に好かれたかどうかの差があったか!
268:無名武将@お腹せっぷく
06/04/15 22:41:07
領土に差があるから知名度もまったく違うしなぁ
269:無名武将@お腹せっぷく
06/04/15 23:17:49
波乱万丈さでは上回ってるんだがなぁ
270:無名武将@お腹せっぷく
06/04/16 22:10:32
仙石程度の小物なら別に誰でもいいだろw
271:無名武将@お腹せっぷく
06/04/16 23:42:59
藩の子孫たちが幕末に活躍したのも重要な点だろ
272:無名武将@お腹せっぷく
06/04/16 23:47:52
>>271
歪んだ身分制度が妙な具合に怪我の功名になっただけやん。
273:無名武将@お腹せっぷく
06/04/17 00:08:29
まあ上士も活躍したし藩主も一応名君扱いではある
かも
274:無名武将@お腹せっぷく
06/04/17 02:17:40
仙石秀久、そんなに馬鹿にしたもんじゃないよ。
司馬小説で無茶苦茶に書かれたから、現代では評判悪いけど、
戸次川の合戦までは、秀吉幕下では出世頭と言ってもいい。
中村一氏や堀尾義晴よりも、あきらかに信頼されている。
対毛利の中国戦線で、既に侍大将格なんだよな。
序列的には、宮部継順の次くらい。凄い出世スピードだよ。
子飼いの中では、一番早い。
275:無名武将@お腹せっぷく
06/04/17 02:33:47
戸次川で、島津に木端微塵に粉砕されたのは事実だけど、当時、島津の
勢いは九州全土を席巻する勢いで、名声を残した立花宗茂も守勢で、
高橋紹運は討死。
十河、長曽我部の混成軍を率いて、縁故の薄い土地で、しかも後詰め
に来て籠城策は難しかろうし、野戦に訴えれば誰がやっても勝てん。
秀吉の戦略ミスが一番の原因でそ。
秀吉自身の九州遠征も、実際は兵糧不足で随分と苦しんだらしい。
島津の降伏が遅れたら、全軍瓦解の危険もあったと言う。
概して、九州はなじみが薄く、秀吉自身の感覚が働いていなかった。
276:無名武将@お腹せっぷく
06/04/17 09:36:47
戦国は初期の織田直臣からの鞍替え組だからでは?
子飼いじゃないでしょ
秀吉配下で最初に大名になったんだっけ
277:無名武将@お腹せっぷく
06/04/18 01:46:48
>>275
この世に大馬鹿者が二人いる、一人は九州まで遥々遠征したわし、
もう一人は島津義久じゃ、
後少し粘れば勝ちを拾えたのだから、降伏などする必要はなかった
って秀吉が言ったらしいね。
278:無名武将@お腹せっぷく
06/04/18 17:37:28
それは秀吉一流の懐柔手法でしょ
どう考えても勝てるわけない
仙石に圧勝した以後豊臣軍には連戦連敗
あっと言う間に薩摩まで押し戻された
さすがに島津も手の施しようがなくて降参した
でも、むしろ評価する点だと思う
秀吉は島津を完全に潰すつもりだったけど
義久の素早い降伏外交で秀吉も潰しきれなかった
秀長も島津に好意を持って一国安堵を二国にするように執り成してくれた
279:無名武将@お腹せっぷく
06/04/19 00:23:48
秀吉秀長は見事なアメとムチだな
280:無名武将@お腹せっぷく
06/04/19 21:13:40
仙石以外のパートは面白いんだけどね・・・
281:無名武将@お腹せっぷく
06/04/20 01:25:46
この作者語りが森節そっくりだね。
282:無名武将@お腹せっぷく
06/04/21 15:59:20
こんなところでホーリーの読者に会えるとは驚いた
283:無名武将@お腹せっぷく
06/04/28 03:35:43
第二次上田攻めが描かれるのはいつの事やら。
284:無名武将@お腹せっぷく
06/05/08 01:28:21
しかし、戸次川のあと、封地の淡路まで帰ったけど、
果たしてそれは本当に「逃げた」んだろうか?
戦線から離脱したので、逃げた、という事実は確かだが、
それにしてもなぜ淡路まで逃げる必要があるのか。
毛利領まで逃げ込めば十分だったのではないか?
毛利家が協力者である以上、
むしろ淡路まで逃げるより毛利家をたのみにしたほうが安全だったはずだ。
毛利家の保護を求めなかった理由、淡路へ向かった理由は、
別の何かがあったんじゃないか?
285:無名武将@お腹せっぷく
06/05/08 01:38:08
普通に自主閉門蟄居だってば・・・
286:無名武将@お腹せっぷく
06/05/08 01:46:07
生き残るっていう目的で逃げる場所選ぶなら帰順したばかりの毛利領より、静かに処分を待つ意味でも封地に帰る方が得策じゃないかな
287:無名武将@お腹せっぷく
06/05/09 00:04:11
関ヶ原で漢を見せて欲しかったな
288:無名武将@お腹せっぷく
06/05/09 07:37:36
蒼天航路の日本版ってことで
横山三国志に対する蒼天、司馬小説に対するセンゴク
実際昔の人間の器量ややった事を完全に調べるのは不可能だし
言い伝えや資料も本当のことかどうかわからない
万人受けを目指した大河や小説よりかなり面白いと思う
仙石はいてもいなくてもって感じだけど、秀吉や家康が主人公よりも雑魚の立場から見た大将の方が
描写としておもしろいとおもふ
289:無名武将@お腹せっぷく
06/05/11 03:40:44
家臣まで置き去りにして淡路まで逃げ帰ってるから
特別理由があった訳じゃないと思う
単純に安全な場所まで逃げたいって考えただけかと
290:無名武将@お腹せっぷく
06/05/11 13:38:06
だいたいあの時代に仙石秀久みたいなのってどうよ?
腹切るか戦うかにしろよ。
よく生きてたよな、ほんと。
秀吉もよくわからんな、ほかにいい武将いなかったの?
291:無名武将@お腹せっぷく
06/05/11 14:35:17
秀吉は譜代の臣がいないから
尾張~近江時代に召し抱えた家臣を譜代として引き上げるしかなかったんだよ
豊臣家の直臣の顔触れみると酷いものだ
小者ばかりでロクなのいないよ
所詮秀吉個人の力でもっていた政権だから
292:無名武将@お腹せっぷく
06/05/11 14:56:54
確かに。
武官のトップが福島・加藤だもんなぁ・・・
秀長や黒田と言った大物は政権から離脱するし。
293:無名武将@お腹せっぷく
06/05/11 16:04:47
>>292
黒田は外様ですが何か
294:無名武将@お腹せっぷく
06/05/11 16:07:16
>>292
黒田は外様ですが何か
295:無名武将@お腹せっぷく
06/05/11 16:19:50
>>293-294
やりようによっては譜代に取り込めたかと。
秀吉が警戒して遠ざけちゃったからねえ。
296:無名武将@お腹せっぷく
06/05/11 17:05:35
まだ、子飼いの連中はマシだが
黄母衣衆の面子は酷いな
側近があの程度では秀吉も苦労しただろう
297:無名武将@お腹せっぷく
06/05/11 17:14:40
同じ農民出身の劉邦がなぜ強力な家臣団を構築できて長期政権を築けたか
298:無名武将@お腹せっぷく
06/05/11 17:46:38
↑釣り?
299:無名武将@お腹せっぷく
06/05/11 21:40:25
まぁでもあれだけいろいろあっても、最後まで生き残った仙石はたいしたもんなんじゃないの。
300:無名武将@お腹せっぷく
06/05/12 00:00:30
釣り野伏せってすごいな。
実際、ばれないもんなの?
どこまで近づいて囲むんだろう?
301:無名武将@お腹せっぷく
06/05/12 00:18:15
>>299
逃げ上手に媚び上手ってことですよ
>>296
七手組だっけ?もどうしようもない奴ばっか
速水、伊東、堀田、多少マシなのが青木一重(真柄十郎左衛門討ち取った奴)
302:無名武将@お腹せっぷく
06/05/12 03:04:27
>>300
所詮九州限定のローカル戦術
303:無名武将@お腹せっぷく
06/05/12 13:32:33
>>300
大将だけが気付いてても命令来るまで兵はどうしようもないし
だからって兵が怖じ気づいたら合戦にならんし
304:無名武将@お腹せっぷく
06/05/12 15:30:06
>>303
すまん、おまいの言ってることがよくわからん
補足してくれ
305:無名武将@お腹せっぷく
06/05/12 16:15:35
黄母衣衆と七手組って別じゃないの?
一柳とか小野木が黄母衣衆でしょ?
306:無名武将@お腹せっぷく
06/05/12 16:17:44
あと真柄を討ち取ったのは勾坂某だったとおもうんだが
307:無名武将@お腹せっぷく
06/05/13 15:50:39
>>304
先鋒の雑兵が伏兵に気付いても逃げたら敵前逃亡になってしまうから進まざるを得ないし
伝令を出すにも待ってる間に襲われてしまうし、
指揮官が気付いても攻撃されるまでに全兵に指示を送るのはきついだろうから
ばれててもどうにもならない面もあるんじゃないかなと言いたいんだと思う。
後、釣り野伏せ対策に島津の伏兵にぶつける為の伏兵を伏せておくってのもあったらしいけど
釣り野伏せ自体が2段3段がまえになってたらしい。
よく分からんけど
308:無名武将@お腹せっぷく
06/05/14 22:38:34
>>297
秀吉と違って、自分が各個別能力については凡庸だって自覚があった。
気前もよく、人の話を聞いてすぐ反省するし。
旗揚げ当時の仲間も最終的に丞相が勤まるくらい優秀なのが居たじゃないか。
蕭何と曹参とか周勃とか。武官だって樊カイとか夏侯嬰とか盧綰とかいたし。
それに何よりも、秦の時代の政治がひどすぎたってのがある。
それに比べて、秀吉が天下人になったころは年貢が戦乱の時代よりもひどかったくらいだ。
秀長が死んだ後は、意見できる人間が居なくなったせいか、残酷度エスカレートしたし。
人たらしとか言われてたけど、根っからの武家には陰で軽蔑されてたしな。
309:無名武将@お腹せっぷく
06/05/15 02:57:24
天下とった劉邦が早めに家臣を粛清して、組織をスリム化したからじゃないの?
あと陳平あたりが頑張ったからとか。
310:無名武将@お腹せっぷく
06/05/15 03:07:13
>>290は
武士が「潔く死を選ぶ」という古い神話をいまだに信じている希少種
311:無名武将@お腹せっぷく
06/05/15 03:07:28
そういえば、一つでかい差があるよな。
呂氏一派に粛正されつつも、劉氏はそれなりに元勲どもが仕える気になる後継者を残せたけど、
秀吉の方は後継者らしい後継者が秀頼だけだったよな…。
俗に言う七本槍とか言われた配下の大名どもも、利でついてきた連中ばかりで、豊臣家とかに
積極的に忠誠を誓っている奴なんで誰もいやしなかったし。
312:無名武将@お腹せっぷく
06/05/15 03:23:11
やはりあの歳で大事な後継者が一人だけでしかも子供なのは致命的だな。
313:無名武将@お腹せっぷく
06/05/15 21:40:22
劉邦に従ったヤツらだって、利でついてきた連中ばかりだと思うが。
314:無名武将@お腹せっぷく
06/05/16 02:57:27
秀頼って三男なんだっけ
315:無名武将@お腹せっぷく
06/05/16 06:13:40
一応秀吉の血を引くといわれている息子では秀勝(長浜城主時代。幼名・石松丸、6歳で夭逝)、鶴松の次で三男だな。
まあ養子の立場なら三好秀次とか信長の四男だった秀勝(二代目)とか小早川秀秋(高台院の兄の息子)とか
結城秀康とか宇喜田秀家も含まれるみたいだが。
316:無名武将@お腹せっぷく
06/05/16 23:36:29
>>310
ふーん。
古い神話なのかw
317:無名武将@お腹せっぷく
06/05/19 15:51:05
センゴク揚げ
318:無名武将@お腹せっぷく
06/05/19 16:11:49
秀康、清正、幸長あたりが早死にしたのが痛かったな
彼らが健在なら大坂攻略は難しかったろう
319:無名武将@お腹せっぷく
06/05/20 23:13:51
そうでも無い気がする。福島正則などは豊臣恩顧の代表みたいな感じなのに
味方してないし、それどころか倅は大坂攻めに出陣している。
むしろ上記の三者はいい時期に没して寧ろ良かったのでは?
320:無名武将@お腹せっぷく
06/05/21 00:22:43
豊臣庇護に積極的だったのは
結城秀康、加藤清正、浅野幸長、池田輝政、福島正則
あたりだが次々に死んで残ったのは福島のみ
さすがに福島一人ではいかんともし難い
特に清正が死んで以来全く元気がなくなった
大坂の陣では家康に危険視され参戦を拒否されたが
後で言い掛かりつけられる事を危惧して嫡男を出陣させた
だが、そのくせ堂々と8万石と言う途方もない兵糧を大坂方に送ったり
家臣を浪人させて大坂城に入れたりした
福島一人になってもしぶとく大坂を捨て切れなかったのだから
他の連中まで生きていたら家康も迂闊に手を出せない
実際関ヶ原から14年も手を出せなかった
321:無名武将@お腹せっぷく
06/05/21 02:59:39
豊臣家は梅毒に滅ぼされたとも言えるな…そのメンツ見てると。
322:無名武将@お腹せっぷく
06/05/21 10:38:13
確かにそうだ。
梅毒で考えれば黒田官兵衛もそうだし。
323:無名武将@お腹せっぷく
06/05/22 05:12:13
>>274
司馬小説で評判が悪くなったのか?
秀吉に激怒され所領を没収、高野山へ追放された点
後年の史料で『三国一の臆病者』と言われるほどに罵られている点
からすると戸次川戦以降の仙石はそういう評価だったってのが自然では?
司馬も歴史は俺らよりいろいろ知ってるだろうから、その辺の「仙石らしさ」
をただいきいきと描いただけだろ。
324:無名武将@お腹せっぷく
06/05/22 12:08:32
夏草の賊では割とよい評価されてると思うが
才覚人だなんて書かれてるのはあの作品しかないかと
戸次川での失態は事実だから仕方がない
325:無名武将@お腹せっぷく
06/05/22 16:52:06
いちおう戸次川以降にも小田原参陣で自身の名前が地名になるほど勇戦してるし
朝鮮征伐の際には肥前名護屋の築城で意外な才覚を発揮している
そして江戸時代を経て何時の間にか五右衛門捕縛した忠勇無双の豪傑にされてたりと
山内一豊よりかは華やかな逸話に恵まれている
326:無名武将@お腹せっぷく
06/05/23 02:35:17
そういや、五右衛門捕縛の元ネタってあるの?
いや、ほかにも豪傑っぽい家来は太閤の下に居ただろうに、
何で秀久?ってのが気になった。
327:無名武将@お腹せっぷく
06/05/23 04:21:11
仙石の撤退と信長の撤退を一緒にしていいのか?
金ヶ崎で信長は一騎で逃げた、みたいな書き方されてる話がほとんどだけど、撤退後すぐさま主要武将を手勢付で各地に派遣している事が示すように別に一人で逃げたわけじゃない
むしろ三方ヶ原の家康のほうに近かろう。部下が自発的に身代わりになってくれたからいいものの…
328:無名武将@お腹せっぷく
06/05/23 04:25:45
秀長は釣り伏せにひっかからなかったんだよね?
百姓以下の島津その他って…
329:無名武将@お腹せっぷく
06/05/23 12:02:32
いや、島津どうこうより秀長が強すぎただけだろ、手堅い戦をさせりゃ天下一品だし
秀長は少数を任せれば異常な粘り強さを見せ、大軍を任せても見事に運用する。
つーか秀吉が織田本軍の戦に参加するために中国方面軍の主力をごっそり持って戦線抜けても
蜂須賀、黒田も居たとは言え700とか1000程度の軍で毛利戦線維持できるなんて普通に名将だろ。
家臣団は秀吉譜代と変わらぬ馬鹿揃い、マシなのが藤堂高虎くらいか
派手な武功こそ無いが、すげー地味に勝ちまくってる地味名将だよな、秀長。
330:無名武将@お腹せっぷく
06/05/23 12:21:06
秀長て負け戦したことないんじゃないか?
織田時代からいつも良い働きしてるよな
四国征伐でも九州征伐でも長曽我部や島津の戦略戦術を軽々打ち破っている
秀吉より戦上手
331:無名武将@お腹せっぷく
06/05/23 21:03:19
島原の乱で小身の松倉氏が西国大名達を統制しきれずに失敗したのと似てるな
やっぱり秀吉の人選ミスじゃないかね
332:無名武将@お腹せっぷく
06/05/23 21:29:13
と言うより他に居なかったんだよ…
それに四国編成軍は本隊到着まで大友領内を維持するだけの繋ぎだから
華々しい活躍できるような人物はいらなかった
大友軍と合わせれば2万ほどの兵力になるから
要所を固めて数カ月待つだけでよかった
秀吉にすればさして難しい命令出したわけじゃないから
まさかいきなり惨敗するなど思わなかっただろう
333:無名武将@お腹せっぷく
06/05/23 21:56:54
「薩摩勢勝に乗て長宗我部元親が子信親が陣へ真丸に成て打てかかる。信親此大軍にも恐れず四尺三寸の大長刀をもって、
むかう敵を一所にて八人薙ぎふせ、其後三尺五寸(1.06m)の太刀を抜て、又敵六人切倒し、大勢に手を負せけれども、敵大軍なれば屑ともせず取籠て打んとす。
信親あたりなる敵を打払て腹を切んとしける処を、敵透間もなく走より大勢の中に取こめて、終に信親を打取ける」
(『黒田家譜』)
信親って何流の使い手だったっけ?
跳躍しつつの抜刀という難しい技を得意としてたらしいが
334:無名武将@お腹せっぷく
06/05/23 22:31:35
ていうか秀長に釣り野伏せなんかかけたの?
宮部みゆきが粘って後詰に来たんでしょ?
335:無名武将@お腹せっぷく
06/05/24 13:36:15
釣り伏せが効果を上げたのは、耳川や戸次川の時のように相手の統制が取れてない場合でしょ
普通に前後の連携が取れてる相手だと難しいと…
336:無名武将@お腹せっぷく
06/05/24 16:00:19
つーかそもそも大軍で戦線押し上げてくる相手に釣り伏せしても無駄だろうね
相手が秀長じゃ隙見せそうにも無いし
337:無名武将@お腹せっぷく
06/05/24 16:43:40
そもそも釣り伏せってそんなに特別な戦法なのかね?
伏兵や横槍は全般でよく使われたでしょ
例えば劣勢の村上義清が信玄を大破した上田ヶ原なんかもそれ
捨てカマリと鉄砲装備率の高さという要素が大きいのかねやっぱり
338:無名武将@お腹せっぷく
06/05/24 17:44:18
>>337
戦法自体は孫子の時代から似たようなのが見受けられるし
古今東西において軍学を修めた人間には基本の一つだと思う。
それを如何に実戦で上手いこと使うか見破るかは個人の才覚だが
339:無名武将@お腹せっぷく
06/05/24 18:40:04
島津の策に引っかかるのは仙石レベルという事。九州は凡将揃いで秀長公は名将。
340:無名武将@お腹せっぷく
06/06/03 22:52:17
AGE
341:無名武将@お腹せっぷく
06/06/09 17:22:50
age
342:無名武将@お腹せっぷく
06/06/10 14:11:14
ageるくらいならネタをかけよな
少なくとも2chでは
釣り野伏とそれにひっかかる猪武者が
ちらほら目撃されるな
343:無名武将@お腹せっぷく
06/06/10 14:56:10
せんごくさんはどーしてきらわれてるんですか?
344:無名武将@お腹せっぷく
06/06/10 15:00:08
嫌われてない
相手にされてないだけ
345:無名武将@お腹せっぷく
06/06/11 12:52:23
土佐人のルサンチマンの犠牲者だから
346:無名武将@お腹せっぷく
06/06/11 13:54:28
まあ、信親が健在なら
あるいは長宗我部氏が土佐から追われずにすんだかもしれない、
と思いたくもなるだろうさ。
山内の禍政に苦しめられた歴史があるからな。
347:無名武将@お腹せっぷく
06/06/11 16:14:17
URLリンク(www.rak3.jp)
島津と伏兵に関しては、ここの小越合戦が面白い。
348:無名武将@お腹せっぷく
06/06/11 16:16:22
時は今
雨のしたりる
五月かな
349:無名武将@お腹せっぷく
06/06/11 16:33:23
それは明智光秀じゃねーの?
>>348
350:無名武将@お腹せっぷく
06/06/11 16:45:36
絵には迫力があるし実力のある漫画家さんだと思うが話がいまいち面白くない
351:無名武将@お腹せっぷく
06/06/11 21:21:25
むしろ実力あるのか疑わしいのだが…
もっともらしい事描いてるわりには知識ないのバレバレ
なんであんな中途半端なもの描くんだか
歴史に徹するか漫画に徹するかどっちかにしろと
352:無名武将@お腹せっぷく
06/06/11 21:39:54
>>351
出てくる武将が無駄にロックで、ネタ漫画なのはみんな承知の上で読んでいると思うが…。
353:無名武将@お腹せっぷく
06/06/12 00:37:49
お塩先生以上にロックな武将共ではないか!
これがわからぬようでは京には上れぬぞ!
354:無名武将@お腹せっぷく
06/06/12 06:32:20
歴史に徹してるじゃん(細かいトコはおいといて)。
351の言う歴史に徹するとはなんだ?
355:無名武将@お腹せっぷく
06/06/12 12:53:12
仙石の描かれ方が少年漫画っぽいなとは時折思う。
曹操とか武蔵とか元が講談的なイメージで他と「別格」だったりすると
漫画的な手法、表現を割り切るのも簡単なんだが、仙石は本人があまり
突出した才能を持たないタイプだからたまに違和感を感じることがある。
かといって精神的な成長を描くにも「最大の失敗」がかなり先だから
一番の山場はそこにとっておかなきゃならないし、物語映えさせるのが
難しい主人公だよな。
356:無名武将@お腹せっぷく
06/06/12 19:22:46
でも現代にはうってつけの人物だとも思う。順調に出世→大失敗と解雇→自らの力で名誉挽回
見事なまでの復活劇だからオレは好きだな仙石。
357:無名武将@お腹せっぷく
06/06/13 02:40:50
なにも失敗しないに越した事ないw
それにどうせなら名将や天下人の生き方を参考にすべき
仙石程度の小者見てても何にもならんだろw
358:無名武将@お腹せっぷく
06/06/13 03:07:04
確かに失敗しないのがベストだ
それと、大多数の人は名将や天下人の生き方を知っても真似出来ないのも事実だ
自惚れて真似しても失敗して惨めになるのが関の山
やはり、山内みたいに地味に生きていくのが凡人には一番だと思う
物語としては全く盛り上がらないが…
359:無名武将@お腹せっぷく
06/06/13 04:04:30
いや、山内の生き方も無理だろ。あの処世術を凡人が真似するのは無理じゃね?
360:無名武将@お腹せっぷく
06/06/13 04:29:47
山内自体が凡人
たまたま巡り会わせがよかったわけで
あの程度の能力なら全国に何万人もいただろう
361:無名武将@お腹せっぷく
06/06/13 04:42:25
凡人
362:無名武将@お腹せっぷく
06/06/13 04:52:48
何万人もいねーよ。確固たる地位を築いて生き残ってんだ。運だけでやっていけるわけねーだろ。
363:無名武将@お腹せっぷく
06/06/13 12:47:49
使い古された言葉がある
運も実力のうち
364:無名武将@お腹せっぷく
06/06/13 13:28:38
一豊が豊臣家臣じゃなかったらどう考えても大名になれたとは思えない
他家の侍大将で一豊より武功あげてる人は腐るほどいるし
一豊に限らず豊臣系列の顔触れは酷いのが多い
秀吉と一部の重臣が異常にレベル高くて
残りはくっついてて自然に出世できただけ
秀吉もそれを気に病んで必死に他家から引き抜きをして
他家の弱体化と自家の強化を行った
365:無名武将@お腹せっぷく
06/06/13 16:44:18
なんだかよくわからんがへまもないし大成功もないのが奴の強さだな
366:無名武将@お腹せっぷく
06/06/13 21:34:09
最後に玉砕したり、戦死して名将とかいわれてるヤツラに比べりゃまだ山内の方が名将といえる。
367:無名武将@お腹せっぷく
06/06/13 21:35:36
あ
368:無名武将@お腹せっぷく
06/06/13 21:36:43
実績=実力
では無いのが世の中の怖いところ。
369:無名武将@お腹せっぷく
06/06/13 22:00:18
>>366
お前がそう思うのは勝手だが
世間じゃだれもそうは思わないけどなw
370:無名武将@お腹せっぷく
06/06/13 23:07:31
名声=実力でもない
371:無名武将@お腹せっぷく
06/06/14 10:52:43
しかしそうなると逆に「じゃあ実力ってどうやって測るの?」という話になるわけで。
万人は無理でもある程度の人間が共通の尺度で測れる基準じゃないと、
単なる「実は本気を出せばすごいんだ!」みたいなもんにしかならん気も。
372:無名武将@お腹せっぷく
06/06/14 13:28:14
>366
お前は世間が何がどうであれ”生き残った者勝ち”と勝手に思いこんでる?
少なくても俺は生き様、死に様で良い武将かどうか判断するけど?
373:無名武将@お腹せっぷく
06/06/14 14:51:28
おまいら所詮個人の価値観に過ぎないことで他人に噛み付き続けるなよw
374:無名武将@お腹せっぷく
06/06/14 16:05:18
まあ、生き様がそのまま後世の評価に繋がってるわけで
仙石は愚将、山内は凡将というのはこの先も変わらない
本人達も望んでそう生きたのだからそれでいいんだよ
真田信繁や高橋紹運なんかは後世に勇名を残したいとか
裏切り者の謗りを受けたくないと思い
命を代償にそれを手に入れた
価値観の違いだからどちらが良いとも悪いとも言えない
375:無名武将@お腹せっぷく
06/06/14 18:37:47
名をとるべきか、実をとるべきか。
戦国時代も大変だな。
376:無名武将@お腹せっぷく
06/06/14 19:10:57
一人では無理だが家ぐるみで両方取った例が真田だな。
片方だけ望むより更に大変だろうけど。
377:無名武将@お腹せっぷく
06/06/14 19:32:24
372
オレは生き様>死に様で評価する方かな。別に勝ち組だからとかは関係ない。
378:無名武将@お腹せっぷく
06/06/14 20:03:23
元々死に様が評価されるような人間はそれなりの生き様が前提だろう。
無名の奴はどんな死に方しようが結局は軍紀物に一行二行付け加えられるだけだ。
379:無名武将@お腹せっぷく
06/06/18 16:20:29
仙石家は我が出石にそばを伝えてくれた。仙石家に感謝。。。
ちなみに今年は仙石家が出石に国変えになって300年。ぜひお越しを(笑)
380:無名武将@お腹せっぷく
06/06/18 16:28:25
江戸中期まで蕎麦がなかったって方が驚きなんだが…
稗、粟、蕎麦なんかの雑穀は全国で作られていたと思っていた
381:無名武将@お腹せっぷく
06/06/19 17:45:07
佐久間玄蕃と友誼を結ぶも賎ヶ岳で敵同士として邂逅ってのを狙ってるのか?>センゴク
382:無名武将@お腹せっぷく
06/06/20 15:51:20
あれ?信盛は出てたっけ?賎ヶ岳。
383:無名武将@お腹せっぷく
06/06/20 17:47:21
>>382
佐久間盛政のほうだろう
賎ヶ岳の時には信盛は死んでる
384:無名武将@お腹せっぷく
06/06/20 23:20:36
>>383
この頃読んでないから教えてくれ。
盛政は秀久と友達になったの?
385:無名武将@お腹せっぷく
06/06/20 23:48:10
スレの最初の方で論議されていたようだけど
調べれば調べるほど戸次川合戦での失態から秀久が復帰出来たのは尋常ではない。
秀久と同じくらいの古参で、むしろ格上だった神子田正治は小牧・長久手での敗戦では
怯惰なりとして改易され、後には処刑されてるのとくらべて。
より醜態を晒した秀久が助命どころか再び大名に返り咲いたというのは余りにも差があり
すぎる。
どうも後世に伝わっていない何らかの裏事情が隠れていそうだ。
386:無名武将@お腹せっぷく
06/06/21 03:12:37
見捨てたのが織田家出身で秀吉政権確立に大きな力になった池田・森勢だからでは?>神子田
秀久が見捨てたのは先年まで敵対していた外様だから、という露骨といえば露骨な基準だったとか
387:無名武将@お腹せっぷく
06/06/21 06:17:37
秀吉の全国制覇の為の戦争は外様勢力削り落としの為のものだったからなあ。
嫡子を可愛がられた(実質人質)宇喜田家は領国から金銭や年貢をたっぷり搾り取られてるし、
長宗我部家は九州制圧で先兵を押し付けられて、戸次川の戦いで嫡子を失い、挙句実質的に
お家断絶だしな。
388:無名武将@お腹せっぷく
06/06/25 14:46:45
上杉謙信の強さは世界一ぃぃぃ!!!!!!!!!!!!!!!
',ヽ、
i \__| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l
l ヽ/ !
l / .r――┐l
. l / / | |
,ゝ、',,,,,,,,_/ | |
, ' / ゙゙゙゙̄'''''''''''''''''ヽ
, ' / zェ:、、,_ _,,、」,
/ /. |
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/ ./ ./ ィ ,l .!
/ / /,.. r'`ニニヽ, .l'、
. , ' / l;;;ヽ ,イ;;f'゙---ヾゝ;/‐t、
. ,.' /. ヾ;;;;`‐、';:;:;:;`;;;;';;;';";;/ l ヽ、_
、. f.-、 /ヽ `':、;;:;:;:;:;;;;;;;;;;;;;;;ン | | ト、
. ヽ,i'" `'i:、 .∧ ヽ `''''ーァ'7" l l | \
| ` ' ヽ ヽ , ' ,:' / | |
389:無名武将@お腹せっぷく
06/06/25 16:03:32
このスレをみたかぎり仙石の総合的評価は
蒼天の曹仁+蒼天の徐晃÷2=仙石
これでオケ?
390:無名武将@お腹せっぷく
06/06/25 16:10:15
そんなに優秀なわけないだろ!!
391:無名武将@お腹せっぷく
06/06/26 23:47:00
公孫さん÷7位じゃね?
戦上手のようで大ポカやったり、建築技術があったり。
392:無名武将@お腹せっぷく
06/06/27 14:05:22
仙石て戦上手か?
活躍した話し全く聞いた事ないけど…
豊家に於いては御子田、尾藤、宮田、戸田がこれを勝る武功の士はいないと言われた
393:無名武将@お腹せっぷく
06/06/27 17:38:07
槍働きはそれなりで、目立つのはちょっと上手かったみたいだな。
指揮官としちゃ、どの規模でも有能とは言い難いと思う。
394:無名武将@お腹せっぷく
06/06/27 17:45:54
槍働きですら高名の者討ち取った事はないよね
全くと言っていいほど武功の話しがない
でも黄母衣衆なんだよなw
395:無名武将@お腹せっぷく
06/06/27 19:42:11
秀吉の周りを固める親衛隊が頻繁に戦闘してたらそれはそれでやばい状況の連続ということにw
396:無名武将@お腹せっぷく
06/06/28 00:49:44
戦国時代の戦下手だけど、江戸時代の大名は上手く出来たんだね
政治家向きの人物っぽいねぇ
397:無名武将@お腹せっぷく
06/06/28 01:06:36
>>393-394
ゴマすりがうまかったってことか
398:無名武将@お腹せっぷく
06/06/28 01:32:03
たしか講談の世界では秀吉配下の豪傑として語られてる。指揮官としても大体は無難にこなしてきてるし、戸次川の失態がなければ15~20万石くらいはいけただろうね。
399:無名武将@お腹せっぷく
06/06/28 01:55:20
>>395
どの戦でもみな奮闘してるじゃないか
母衣衆は伝令や総大将の警護
また、戦の佳境の時は投入される
みな武勇伝を多く持ってるし
そして武功をあげて一手の大将として抜擢されていく
もっとも槍働きしかできずに小身のまま終わる人も少なくないが
400:無名武将@お腹せっぷく
06/06/28 02:04:47
>>398
清正や正則みたいな大功の者でも20万石程度
豊家の中枢を担う奉行衆・中老職でも15万石前後
武功もなく役にも付いてない仙石が15万石や20万石なんて貰える道理なんてないし
万が一ごますりで貰ったら武断派にも官僚方にも殺されるよw
401:無名武将@お腹せっぷく
06/06/28 03:39:34
清正や正則も実際は巷間言わせるほどの武功なんて立ててないけどな
皮肉なことに清正が本当に武勲挙げた唐入りでは加増がなかった
402:無名武将@お腹せっぷく
06/06/28 03:44:32
それにしたって、その2人と秀久を比べるのは余りにも・・・
403:無名武将@お腹せっぷく
06/06/28 08:15:15
だから戸次川の失態なかったらの話だよ。福島・加藤より遥か前から秀吉の配下として着実に武功あげてるし、順調にいけば出世するだろ。
404:無名武将@お腹せっぷく
06/06/28 08:22:13
漫画読み過ぎ
405:無名武将@お腹せっぷく
06/06/28 08:25:31
>>403
着実に武功って例えば?
1人のミスではないだろうし、諸説あるとはいえ、上田の一件も失態とみるのが大勢だし。
406:無名武将@お腹せっぷく
06/06/28 08:30:35
対浅井で先駆け対決に勝利
姉ヶ崎撤退戦で奮戦
本願寺攻めで朝倉の残党を粉砕
三方原で家康公を守り赤備えを粉砕
とかいうのはやめてくれよw
407:無名武将@お腹せっぷく
06/06/28 08:55:47
上田の失態がなんで仙石になってんだ?どこにそんな記述あるんだ?
408:無名武将@お腹せっぷく
06/06/28 15:16:05
色々調べてみたが仙石はただ者でない気がしてきた…
全くと言っていいほど武功の話しがないw
というか名前すらあまり出てこない
仙石家譜ぐらいしか資料ないんじゃないの?
これで10万石とかありえないぞ
余程ごますり上手だったんだろうか?(家康にもうまく取り入ったし
武闘派とも政務派とも絡みがなくてなんか浮いてるし
一体何者なんだw
409:無名武将@お腹せっぷく
06/06/28 15:40:30
>>407
どちらにしろ将の一人として加わっていたなら失態の責任の一端は
負わないとならんと思うが。
現代の組織でだって、責任ある立場にいる人間が「知らなかった」
「仕方なく従った」から自分は悪くない何て言い訳通らないわけで。
逆に強く反対したという記述がない限りは積極的か消極的かの
違いはあっても上田攻めに同意したと見るべきだろう。
410:無名武将@お腹せっぷく
06/06/28 15:58:03
秀久に責任があると家康が言ったならまだしも
411:無名武将@お腹せっぷく
06/06/28 17:31:28
上田攻めは強行派の意見に同調したと言うだけで
別に仙石が立案したわけじゃないよw
榊原康政、本多正信、大久保忠隣、土井利勝と言った
重臣中の重臣が秀忠の目付け役としてついていたのに
小身の外様で別になんの功名があるわけでもない仙石が意見なんて出せるわけないw
412:無名武将@お腹せっぷく
06/06/28 22:05:28
>408
淡路攻めとか賤ヶ岳で一軍率いたりとかやってるんだけどなぁ。
長宗我部に負けたのと、島津に負けたのが有名すぎて話として目立たないけど。
413:無名武将@お腹せっぷく
06/06/28 22:47:00
まぁ派手な武功あげるよりは、与えられた課題を着実にこなして出世してきたんじゃないの(鳥取城包囲戦では一部隊の指揮官として参戦してるし)。でなきゃ讃岐10万石を手にできないだろ。
414:無名武将@お腹せっぷく
06/06/29 01:22:53
>>409
その意見でいけば、上田の失敗は榊原康政や本田正信なんて連中も責任を負う
べきだし、立場で言えば仙石なんぞよりこの二人は権限も地位も責任もはるか
に上。「将の一人として加わっていた」なんてレベルではないからね。
415:無名武将@お腹せっぷく
06/06/29 01:23:32
以前に別スレで書いたんだが、
こいつは、
「部下としてならばいい仕事をするが、部下を持たせると三流」
というタイプではあるまいか?
自分の上に責任者、こいつの場合は秀吉が居る場合は、割といい仕事をする。
そうでもなければ、一隊を任される、ということはない。
鳥取など、秀吉の中国戦役では、後世の半可通では気がつかないような地味な、
しかし確かな戦果を挙げていた。
だからこそ、淡路攻めの後に淡路一国を与えられ、そして、四国攻めの先陣をまかされたのだろう。
しかし、秀吉から離れて自分が一時的にせよ、軍の最高責任者となると、引田で大負け。
その直後の四国攻めでは本隊と合流すると、うって変わって戦功をあげ、讃岐一国を得る。
そこを評価されて、四国勢をまとめて九州攻略の先遣隊を任されると、戸次川の大失態。
あまりにありえない大失態で領国を没収され、以後の生涯で一軍を任されることはなかった。
その後、小田原攻めでは地名に残るほどの鬼武者っぷりを披露して大名に復帰。
(決して鈴のアピールで出世できたわけではない。それで出世できるなら戦場が鈴の音でやかましくなる。)
調べずともわかる事実を時系列で並べてみただけでも、
こいつが部下の立場と指揮官の立場とでほぼ別人の働きをしているのが浮き彫りだ。
指揮官としての失敗だけで全面的に無能だと主張するのは、
はっきりいって、観察力に欠けた評価だろう。
あくまで、一軍の指揮官としてだけ、無能なのだ。
そういう意味では、馬謖もそうだったのかもしれない。
416:無名武将@お腹せっぷく
06/06/29 01:25:43
四国征伐で讃岐の戦ではそこそこの活躍で、洲本城の改築や大坂城の普請とかを
無難にこなしてるトコをみるに政戦とも及第点なんじゃない?>仙石秀久
417:無名武将@お腹せっぷく
06/06/29 01:41:52
仙石は将才は全くないけど中堅クラスではそこそこ使えるんだよ
数百から千ぐらいの兵なら扱える
他の将校の下で一部隊を率いてたときはそれなりに成果をあげている
豊臣家も次第に勢力を広げ人員が大幅に不足した
そこで仙石も10万石を与えられ一手の将に引き上げられたが失態をおかして
結局5万石におさまった
5万石と言うと大体1500人の動員力だから妥当なところだろう
人手不足とは言え手に余る仕事をやらせた秀吉の失策も否めないと思う
でも秀吉は本当に家臣に恵まれてないからどうしようもないと言えばそれまでだが…
418:無名武将@お腹せっぷく
06/06/29 02:33:30
秀吉の人不足は悲惨さすら感じる
戸次川の戦いにしても
秀吉は作戦意図を仙石に詳しく説明して
現地に着いてからも心配して何度も書状を出している
作戦のほころびが出ないように諸軍を厳しく取り締まり
万が一功に逸って軍令無視するならば斬れとまで言っている
それなのに軍監自身が功に逸って軍令無視して敗走するとか…
仙石に限らず尾藤とか御子田とか皆そうだし
別に難しい事いってるわけじゃないのにそれができないんだから…
419:無名武将@お腹せっぷく
06/06/29 02:44:46
言われたことはそれなりにこなすけど、
自分では考えられないって感じか?w
420:無名武将@お腹せっぷく
06/06/29 02:52:05
「無能な働き者」の典型じゃないか・・・
421:無名武将@お腹せっぷく
06/06/29 03:09:35
人は数百から千の一部隊を任されているときには
何も自分では考えずに済むものなのであろうか
そんな疑問すら抱かぬ>>419は何も自分では考えられないのであろうか
422:無名武将@お腹せっぷく
06/06/29 03:50:16
仙石が四国、九州と失態を重ねたのは祟りだよ!
423:無名武将@お腹せっぷく
06/06/29 06:01:47
>>421
CPUだけ速くて、メモリもHDDの容量も少ないパソコンみたいなものと考えれば、いいんじゃないかな?
プログラムが一つや二つならともかく、タスクが重なると、メモリとHDD不足でフリーズしちまうのかもね。
まあ、そのCPUもいいところ、シングルコアのプレスコ3GHzって辺りじゃないかなあ?
424:無名武将@お腹せっぷく
06/06/29 07:36:01
北国街道を整備したのって秀久なんだな・・家康政権下でも地味いろいろやってるなコイツ。
425:無名武将@お腹せっぷく
06/06/29 07:57:49
駄将って始めて聞いたよ。
いい言葉だ。
426:無名武将@お腹せっぷく
06/06/29 11:40:14
仙石は大きな仕事はできないが
小規模戦闘や工兵、ちょっとした政策や敵情視察とか雑務で使えるから出世できたんだよ
劣化藤堂高虎って感じ
427:無名武将@お腹せっぷく
06/06/29 13:53:15
>>421
規模の大きさ次第ってことすら理解できない>>421は
全部詳細に書いて貰わないと、何も自分では考えられないのであろうか
428:無名武将@お腹せっぷく
06/06/29 14:05:39
ケンカすんな。
大勢の指示をされれば、その範囲内で考えて仕事はこなせるけど、
全てを最初から、取り仕切るほどの腕はないって感じじゃない?
典型的な中間管理職と。
429:無名武将@お腹せっぷく
06/06/29 14:39:43
どっちかというと、帯に短したすきに長し、な感じがする。
普通は成功しない人間だ。
でも何故か成功しちゃった所が面白いんだと思う。
とばっちり食らった連中(長宗我部とか十河とか)には不幸だが。
430:無名武将@お腹せっぷく
06/06/29 15:10:08
そりゃ秀吉は生涯無敗だし
上層部だけは優秀だからね
下についていれば余程駄目な奴でもなければ随時出世できた
431:無名武将@お腹せっぷく
06/06/29 20:53:26
>414
責任があったから榊原康政や本多正信は関ヶ原後に加増されなかったんだろう。
432:無名武将@お腹せっぷく
06/06/29 21:43:41
秀吉が若い頃からの友達だし文官としては優秀だったんだろうなぁ
小田原のときは手駒の新人が凄い武漢だったんじゃねーの?
433:無名武将@お腹せっぷく
06/06/29 22:04:42
>>432
誰の事言ってるの?
434:無名武将@お腹せっぷく
06/06/30 20:35:12
いたかいなかったか分からないヤツの手柄にする前に
まずは本人を認めてやれよ
435:無名武将@お腹せっぷく
06/07/02 15:57:51
仙石が豪傑てイメージで有名になったのって石川五衛門を捕縛したからなんだよね
唯一の武功話しだが本当かどうかは知らん
正式な記録が残ってないし
436:無名武将@お腹せっぷく
06/07/02 18:12:58
まぁ講談の世界で豪傑として名が通ってた。
現代のようにヘタレだの無能といったイメージはなかったらしい。
あと、別に唯一の武功話ではあるまい。
小田原の時も鎧に鈴付け、十文字槍引っ下げて仙石原の地名残すぐらい奮戦してたんだから。
437:無名武将@お腹せっぷく
06/07/02 20:25:54
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。
半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。
脳糞古川が「私いつもの~」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね~」と二階に上がっていき、店内は静かになった。
私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。
あれには本当にびっくりした。
438:無名武将@お腹せっぷく
06/07/03 01:09:22
司馬の影響力ってすげぇよな。
かたや武名は残らないけど無難に美談を残した
土佐のジェノサイダー・一豊
と、
過失で人様の後継者を討ち死にさせてしまった
人の上に立っちゃいけない男・秀久
と、どちらがより土佐人にひどい仕打ちをしたか明らかなのに、
どちらがより、現代の長宗我部ファンに嫌われているかというと・・・。
つ秀久
439:無名武将@お腹せっぷく
06/07/03 01:22:18
別に昔から戸次川の大失態も有名だよ
卑怯者やら臆病者と書き残されているし
歴史知らない一般人は講談の話ししか知らなかっただけで
歴史知らない人乃木大将を戦争で活躍して軍神になったと思ってるのと同じ
440:無名武将@お腹せっぷく
06/07/03 01:28:40
>>438
山内家が土佐に来たのは長宗我部家が改易後(というか入れ替わり)だろ?
長宗我部ファンは「長宗我部家」が好きなんであって土佐が好きなわけじゃあるまい。
441:無名武将@お腹せっぷく
06/07/03 02:04:58
そもそも長曽我部ファンなんているんだろうか
442:無名武将@お腹せっぷく
06/07/03 04:02:24
四国出身の奴は結構な割合でいる
443:無名武将@お腹せっぷく
06/07/03 13:46:54
>>440
土佐土着の長宗我部家臣団に山内家がどんな
扱いをしたか知らんのか?
444:無名武将@お腹せっぷく
06/07/03 14:05:39
「俺んちの家臣団なんかどうなろうが知ったこっちゃねえぜ!
俺にとって大切なのは可愛い息子だけYO!」
ていう当主の態度までひっくるめてファンなんでしょうな
445:440
06/07/03 14:12:46
>>443
知ってるが、そこに拘るのはむしろ幕末の土佐郷士系ファンに
多い印象があるんだよなぁ。
長宗我部家好きな人はそれよりも興味が大阪の陣へ跳ぶ感じ。
446:無名武将@お腹せっぷく
06/07/03 14:14:18
ほらねやっぱり可愛い息子のほうだけなんだよ
447:無名武将@お腹せっぷく
06/07/03 19:18:42
この時代安ずるのは我が身のみで
家臣なんかは勿論の事
親兄弟や子でさえも殺しあいするのが普通だけど
そんな中で元親と信親の親子愛は珍しい
長曽我部はあまり興味はないが
元親の愚かなほどの親子の情は嫌いじゃない
448:443
06/07/03 19:26:17
>>440
>そこに拘るのはむしろ幕末の土佐郷士系ファンに
多い印象
言われて見ればそーだな
449:無名武将@お腹せっぷく
06/07/03 19:30:02
意外と知られてないが信長も多くの子供達の中でも愛妾生駒の方の子である
信忠、信雄、徳姫には愛情注いでたよ。
出来の悪い信雄ですら信孝より優遇してたくらいだから、跡継ぎとして申し分の
ない器量の信忠への溺愛ぶりは相当なものだった
巷間の信長のイメージとは異なるけどね。
450:無名武将@お腹せっぷく
06/07/03 20:20:42
信長は元親の親馬鹿を見抜いたので
息子を褒めちぎって懐柔しておいて
機が熟すると征伐策に切り替えた
451:無名武将@お腹せっぷく
06/07/03 20:46:59
元親と信親の親子愛はわかるが、それでボケてちゃ家臣がたまらんな・・・。
452:無名武将@お腹せっぷく
06/07/03 21:03:36
というか、別に親子愛だけでやったわけじゃないしな。
戸次川での最大の問題は、実は信親を失った以上に当時の
元親の家臣団の当主、跡継ぎを多く失ってしまったこと。
そのせいで家中が混乱、治めるのに強権を発動した事と
更にはそれを逆手にとって一領具足の制度などでまだまだ
分権的だった土佐国内を中央集権的に組み替えようとする
元親の意図などが絡んだ結果でああなっちゃったわけだし。
453:無名武将@お腹せっぷく
06/07/03 21:15:48
そして失敗か・・・
454:無名武将@お腹せっぷく
06/07/03 21:34:45
>>449武功夜話厨乙w
織田勝長総合スレ
スレリンク(sengoku板)
455:無名武将@お腹せっぷく
06/07/03 21:52:07
元親は、晩年、末子かわいさに御家騒動おこしたよな。
この人、総合的には暗君か暴君の類だと思う。
自分の代で、ほぼ家を潰した。
四国の鳥無き里の蝙ってだけ。
456:無名武将@お腹せっぷく
06/07/03 22:00:18
盛親も正室の子だから信親の面影があったんじゃないかな?
盛親の正室には信親の遺児を家臣の反対を押し切って娶らせたぐらいだから
余程未練があったんだろう
457:無名武将@お腹せっぷく
06/07/03 22:09:55
というかそもそもここは仙石スレであって長宗我部スレじゃないぞ。
……仙石は語ること少ないのか、そうなのか。
458:無名武将@お腹せっぷく
06/07/03 22:34:29
なぜかスレ立ってからずっとアンチ長宗部が居座ってるから
定期的に長宗我部スレと化す
長宗我部なんてどうでもいいってのw
459:無名武将@お腹せっぷく
06/07/03 22:51:46
長曽我部如きの田舎侍に負けた仙石を評価できんの?ただの猪武者でしょ
460:無名武将@お腹せっぷく
06/07/04 00:13:22
こいつに比べると尾藤知宣の末路はかわいそうだ。
461:無名武将@お腹せっぷく
06/07/04 02:23:24
仙石はとにかく地味だな
異名もないぐらいだから槍働きもたいしたことないんだろう
でもどこで学んだのか土木技術があったようだが
そこが出世の秘密だと思う
秀吉は無理押しを極度に嫌ったから常に地の利を生かした戦いをした
野戦でも城攻めでも堅固な陣地を築き無理なく攻めた
要するに工兵が軸になっているから中途半端に軍事の才能があるよりは
土木の才能があったほうが優遇されたのだろう
ただ、仙石は出世欲が強すぎるのが禍いして転んでしまったが…
462:無名武将@お腹せっぷく
06/07/04 02:25:19
上にもあるが御子田正治もな
463:無名武将@お腹せっぷく
06/07/04 13:59:15
権兵衛は、石川五右衛門を召し取ったり、
鈴を鳴らしたりと、アメコミヒーロー張りの活躍。
それに比べて、尾藤や神子田に、いったいなんの
活躍があったと言うのだ?
464:無名武将@お腹せっぷく
06/07/04 15:04:18
逆だろw
ゴエモンなんて存在すら怪しいし仙石が捕らえたなんて史実はない
小田原では鈴をつけた「アピール」をしただけで
特別武功をあげたわけではない
神子田や尾藤は尾張時代から桶狭間や美濃攻めで活躍している
その後も毛利攻めや山崎、賎ヶ岳などでも先鋒を勤めたりして活躍した
戸田や宮田と並び豊臣家で最も優れた勇将とされ
軍事面では竹中、黒田、蜂須賀といった面子より上の評価をされている
465:無名武将@お腹せっぷく
06/07/04 15:40:21
鈴をつけてアピールだけでは復活できまい。
地名になるくらいだからいくらかの武功はあげてるだろ。
武功ゼロではないと思うが。
466:無名武将@お腹せっぷく
06/07/04 15:49:37
その具体的な武功が残ってない。しかし鈴の逸話は残ってる。
という辺りが仙石らしさというか何と言うかだな。
467:無名武将@お腹せっぷく
06/07/04 16:07:38
まぁよく話に出てくるのは甲冑に鈴付けて戦ったことと仙石原という地名を残したことだからな~。
武功つーか、大学にあるぶ厚い人名辞典には小田原の際、どっかの峠の確保や小規模の拠点攻めたりみたいなこと書いてあった。
これで復活したのは事実だし、何かしらの功績は挙げたんだろ。
468:無名武将@お腹せっぷく
06/07/04 19:21:00
そりゃ仙石も元大名だから陣借りと言えど家臣は連れてるだろうし
雑兵首の一つや二つは取っただろう
そもそも鈴を付けると言うのは別に戦術的に意味はない
目立つ=標的にされやすい
だから命を捨てて頑張ってますと言うアピールをしてるわけで武功には関係ない
仙石が復活できたのは家康の執り成しによる為
仙石の勝因は家康に上手く取り入ったって事だな
469:無名武将@お腹せっぷく
06/07/04 20:29:09
,. / |´ ̄`ヽー- 、 ト、 , -‐、/./.- 、
/ | | ヽ l l ( 火◇風 ノ
/o ̄`ハ._.ゝ===┴=く.ノ- 、 ノ ◇ ◇ (
/o O / l´/ ヽ lo ',ヽ ( 山◇ 林 }
\___/. ト、 ● ●ハ ∧ `⌒/7へ‐´ 武田信玄カワイソス
/ ,イ レ_ (__人_) ミl~T--‐彡 /./
/ ̄ ̄l. 彡、 ノ'l l::::::::::彡ー7⌒つ、
彡:::::::::::l ト、___ /| l::::::::::::ミ {,
470:無名武将@お腹せっぷく
06/07/04 20:54:14
要するに太鼓持ちが上手かったんだろうな
秀吉並みに
471:無名武将@お腹せっぷく
06/07/04 21:04:29
藤堂高虎もそうだが太鼓持ちは戦下手
472:無名武将@お腹せっぷく
06/07/04 21:30:30
何を言う
藤堂は戦でのし上がって来た男だぞ
本人自体も豪傑だし
武勇は数しれず根っからの武人
大名になった晩年からだよ
戦より畳の上での工作が得意になったのは
473:無名武将@お腹せっぷく
06/07/04 22:45:23
逆をいえば藤堂ほどの豪の者でも謀略なしでは大名にはなれなかったってことだな
加藤清正や福島正則なんて秀吉の縁者でなければ何かのツテで武士になっても
足軽大将か郎党なしの徒武者で終わってたかもしれん。
474:無名武将@お腹せっぷく
06/07/04 22:50:27
つーか藤堂は太鼓持ちというかご機嫌とリなんかしないだろ
情報を持ってきたり、調略に尽力したりといった武辺以外の実績を持って
大和大納言家から豊臣本家、豊臣家から徳川家と鞍替えして来た。
>>472も言ってるが、大和大納言家やそれ以前の浅井家や津田家時代は
武辺の活躍も数多いし。
475:無名武将@お腹せっぷく
06/07/04 22:58:32
秀吉だって軍事で活躍したからのし上れたわけで
476:無名武将@お腹せっぷく
06/07/04 23:03:26
>>473
加藤も福島も将才があるからそれはない
秀吉は一族だからと言って極端な過保護はしていない
使えない奴には微禄しか与えてないし
加藤らも実力でのし上がったのは間違いない
477:無名武将@お腹せっぷく
06/07/04 23:06:31
>>476
将才を発揮する機会を与えられなかったってことだよ
478:無名武将@お腹せっぷく
06/07/04 23:14:54
藤堂は百姓同然の出身だから侍大将になるだけでも奇跡的だよ
それにいつも「見限り」で仕官先を出て来ているわけで
武士としておかしな行動ではない
むしろ次々高禄で召し抱えられる実力は相当なもの
479:無名武将@お腹せっぷく
06/07/05 00:29:58
>>477
あれだけの能力あればどこの家で足軽働きから始めても
万石取りにはなれるさ
正則は微妙な気もするがw
480:無名武将@お腹せっぷく
06/07/05 00:44:41
実際に足軽以下から出世した武将って稀少でしょ
あの時代でも身分差の壁は厚かったんじゃないかね
481:無名武将@お腹せっぷく
06/07/05 01:09:43
秀吉の子飼いと言えば聞こえはいいが
実際は無禄状態
小者程度からのスタートだから当然100石200石程度で終わった人も多い
母衣衆でも万石取りまで行ったのは極僅か
秀吉は天下取りをしていて全国の強豪を相手にしなきゃならないわけだから
他の大名家より大変だよ
482:無名武将@お腹せっぷく
06/07/05 01:26:57
だれかが秀吉の配下なら出世もらくだといっていたがとんでもない誤解だ。
倍率がハンパねぇし。
出自が良くてもあんまり考慮されない分、実力+自己アピールは必須。
なんか、現代の雇用前線もそうだが、
実力も伴わないやつに限って、事故アピールの上手なやつに対するやっかみが強いんだよな。
そうじゃないんだよ。
自己アピールの上手なやつは、そりゃ1の力を10くらいにアピールできるかもしれないが、
そのためには1くらいはすっかり自分のものにできてるんだよ。
自己アピールの下手なヤツってのは、実は、自分が何をアピールできるか自分で把握できてないというパターンが多い。
だから評価されない。
自己アピールする力も、その裏づけとなる何かがあって初めて成立するし、
自己アピールの出来ないやつは緒戦はそれだけの裏づけを自分でもててないってことよ。
秀久はその点、上手だったってだけだ。
483:無名武将@お腹せっぷく
06/07/05 01:28:56
讃岐領主の十河、仙石、尾藤達の没落の影には生駒親正が・・・・
スレリンク(history板:167番)
仙石はどーでもいいけど十河と尾藤はかわいそうだよね('A`)
484:無名武将@お腹せっぷく
06/07/05 02:57:41
パフォーマンスで億稼ぐ連中もいるわけだからな
堀江や村上は違法にまで走ってコケたが
485:無名武将@お腹せっぷく
06/07/05 03:12:45
>>472
豪傑なのと戦下手なのは別だろw
これだから日本語の通じない支那人の相手は疲れる
486:無名武将@お腹せっぷく
06/07/05 03:15:11
高虎は豪傑かつ戦上手としかいえないと思うが
戦歴を見れば各地を転戦して槍一本でも指揮官としても戦功を上げている
487:無名武将@お腹せっぷく
06/07/05 08:29:34
でも、高虎の一番首や一番槍は信頼すべき史料には記されてないんだよな…。
488:無名武将@お腹せっぷく
06/07/05 08:38:52
このスレあったんだ戦国無双でもちょっとしかでてこんから気になっとった
489:無名武将@お腹せっぷく
06/07/05 11:50:31
>>486
ソースは?大坂の陣を見た限りは戦下手
490:無名武将@お腹せっぷく
06/07/05 12:17:45
藤堂高虎も司馬が小説化しなけれりゃ酷い扱いだったんだろうな。
491:無名武将@お腹せっぷく
06/07/05 12:40:19
むしろ藤堂が戦でヘマやらかした事なんて一度もないと思うが
大坂では家康の本隊に向かう長曽我部隊を発見し
敵より数が少なく湿地帯からの攻撃と言う不利な状態ではあったが攻撃を開始した
この頃になると高虎は完全に政治家になってるからね
戦術で不利でも戦略的価値があるのを知っているから
事実大坂の陣での活躍で大幅な加増を受けている
晩年は保身家のイメージが強いが
九州征伐の時は例の尾藤が追放になった戦いである高城の攻防戦で
秀長ですら動かなかった時に高虎のみが軍令を無視して宮部らの救援にかけつけ
激戦の末に島津軍の撃退に成功している
492:無名武将@お腹せっぷく
06/07/05 13:19:13
藤堂高虎は積極的に主家に弓引いたわけでもないし
豊臣家と切れたのだって秀次事件の連座くらいかけた事情があったわけで
493:無名武将@お腹せっぷく
06/07/05 13:20:22
どっちにしろ家康はもちろん秀吉だってただの太鼓持ちに一国一城を
くれてやるようなお人よしではないわな。
有用な人間だったことは議論の必要すらない。
494:無名武将@お腹せっぷく
06/07/05 13:34:46
一農民に没落した家の出から大名に出世っていうだけで十分凄いでしょ
495:無名武将@お腹せっぷく
06/07/05 14:09:48
>この頃になると高虎は完全に政治家になってるからね
ふーんwww
496:無名武将@お腹せっぷく
06/07/05 14:25:37
そう考えると秀久も有用な人間であった、ということか。
497:無名武将@お腹せっぷく
06/07/05 14:32:14
有能ではない有用ではあった、辺りが妥当な評価だろうな。
498:無名武将@お腹せっぷく
06/07/05 15:38:11
仙石はかなり頑張ったと思うよ
正直能力はないが5万石の大名になったわけだからね
仙石なりに限界ギリギリまで働いたよ
どこの会社にもいるけど
仕事は特にできると言うわけじゃないが上司に超アピールして
仕事もバリバリやってる(ような)ところを見せる
上司もそれ分かってるけどやる気は本当にあるから
なんだかんだ言って係長ぐらいまで出席したりする人
あれと同じ感じかと
499:無名武将@お腹せっぷく
06/07/05 15:44:03
5~10万石の大名と係長を一緒にされてもな…何か違う気がするが…。
500:無名武将@お腹せっぷく
06/07/05 16:08:53
史料に残らない功績があったのかも
汚れ仕事とか裏仕事とか
501:無名武将@お腹せっぷく
06/07/05 17:15:29
そこまでいくと流石に陰謀論レベルになっちゃうしなぁ……想像するだけなら面白いけど。
502:無名武将@お腹せっぷく
06/07/05 19:27:37
>>499
5万石ぐらいまでは小名
ギリギリ管理職の係長と似たようなもんだろ
503:無名武将@お腹せっぷく
06/07/05 22:59:15
仙石にも能力はあるだろ。なんでそう無能にしたがるんだか…。
504:無名武将@お腹せっぷく
06/07/05 23:00:58
とりあえず検地は出来るよな
505:無名武将@お腹せっぷく
06/07/05 23:09:38
築城・土木と火事場の馬鹿力
506:無名武将@お腹せっぷく
06/07/05 23:10:31
秀吉が仙石秀久を大名にした理由は
「古残だから」
507:無名武将@お腹せっぷく
06/07/05 23:19:29
さすがに古参だけで大名になれないだろ。
508:無名武将@お腹せっぷく
06/07/06 00:35:06
アレだけの失敗は日本史上でもきわめてまれな例だ。
だが、アレだけの失敗をするチャンスがあるか?
普通はない。
そして、アレだけの失敗をして返り咲けるか?
普通は古参だろうと、お気に入りだろうと、ありえない。
秀久が無能だというヤツには、
じゃあ、お前にああいう復活劇が出来るのか、
といいたい。
509:無名武将@お腹せっぷく
06/07/06 00:46:01
秀久の家臣って誰がいたの?
きっと家臣が無能だったから戦に負け、それが秀久の汚点になっちゃったんだよ
510:無名武将@お腹せっぷく
06/07/06 00:53:20
というか、その能力がないにも関わらず何故か復活劇しちゃってる所に、仙石の
悪運というか凄みというか訳分からない面白さが集約されてる気がするんだよな。
「実は必然的な理由があったんだよ!」といわれるとじゃあ結局どこにでもある話
じゃないか、となるわけで。
いや、むろん本当はそうなのかもしれんが、そこらへんに浪漫を求めたいんだよ。
511:無名武将@お腹せっぷく
06/07/06 02:01:52
仙石が復帰できたのは家康が執り成してくれたからってだけで
別に手柄や能力によるものではない
ただし、家康に上手く取り入ったと言う所は本人の能力によるものだな
仙石は典型的なお調子者だけあってアピールが上手い
目立とうとする執念が成功の秘訣
普通にしてたらそれこそ千石取りぐらいで終わってたよ
512:無名武将@お腹せっぷく
06/07/06 02:34:00
無能ではないが有能でもないな
戦国末期から江戸中期ぐらいまで何十冊もの文書が記され
何百人もの戦国武将の武辺話しなど色々な事が書かれたが
仙石の話しは全くない
戸次川の戦いの失態
小田原で鈴着けて戦った話し
この二つぐらい
戸次川以外に大きな失敗はないが話しに残るような事も何もしてない
逆に言えば戸次川の失態のお陰で歴史に名を残せた
あれがなければ逸話の一つもない本当に凡庸な人物で終わっただろう
513:無名武将@お腹せっぷく
06/07/06 02:56:37
何十冊の文書て…何だよ、その何十冊の中身は何?
514:無名武将@お腹せっぷく
06/07/06 03:18:13
>戦国末期から江戸中期ぐらいまで何十冊もの文書が記され何百人もの戦国武将の武辺話しなど色々な事が書かれたが仙石の話しは全くない
江戸中期ではないが、名将言行録には仙石秀久はちゃんと入ってる。ナゼに?
515:無名武将@お腹せっぷく
06/07/06 04:04:32
>>248
この漫画の光秀はそういうタイプには見えんな
516:無名武将@お腹せっぷく
06/07/06 08:31:45
センゴクの秀吉はなんとなく争点の劉備に似てる感じがする
いやどこが?って言われたら自分でもわからんがなんとなく
517:無名武将@お腹せっぷく
06/07/06 13:25:00
野卑な物腰、親分肌、好色振りが
518:無名武将@お腹せっぷく
06/07/06 13:55:33
名将言行録は色々な文献から抜き出してまとめた物だから、その元となったものはもっと前のものだろうね。
まぁ抜き出したといっても真偽ごたまぜ状態のものだが。
519:無名武将@お腹せっぷく
06/07/06 15:16:47
戦国武将のほとんどは真偽ごたまぜだろ。別に仙石だけではないと思うが。
520:無名武将@お腹せっぷく
06/07/06 15:30:11
>>519
少しズレてる。
文献の中には精度が高いとされるものも、低いものもある。
名将言行録は現代の基準からすると、精度など気にせずにまとめたものと指摘しただけ。
名将言行録に記載されてるから仙石のエピソードが嘘っぱちだ、などとは言っていない。
521:無名武将@お腹せっぷく
06/07/06 17:26:10
>>513
戦国時代を題材にした合戦録から日常に起きた出来事など書いたものはかなりの数あるだろ
織田豊臣関係だと
常山紀談 五宗記 武辺咄聞書 豊鑑 祖父物語 朝鮮討伐記 義残覚書 織田家雑録 太閤軍紀 織田軍記 柏崎物語 武者物語 落穂雑談一言集 武辺雑談 武家閑談 賎ヶ岳記 など他多数
各地域の記録や神社仏閣の雑記、個人の日記、各家の家譜など全て見れば
戦国期のものだけでも数百の文献がある
しかし仙石はたまに名前は出てくるけど武辺話しや政治的な話しもまずない
合戦なんかは参加した名簿に名前が書いてあるだけで
他の武将のように誰の首を取っただの、どこの戦いでどんな働きをしただの何も書いてない
522:無名武将@お腹せっぷく
06/07/06 21:29:11
520
そんだと知らず、スマン。
523:無名武将@お腹せっぷく
06/07/07 02:55:54
主人公がツルモク独身寮のやつみたいや
524:無名武将@お腹せっぷく
06/07/07 05:47:22
521はその数百の文献に目を通した上で言っているのか?
525:無名武将@お腹せっぷく
06/07/07 08:37:36
戦国時代ってこの人の名前からついたんだよねぇ。
立派だよねぇ。
526:無名武将@お腹せっぷく
06/07/07 09:05:35
( ゚Д゚) ……
527:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 01:14:32
仙石が超絶雑魚武将なのは間違いないな
織田、豊臣、徳川と戦いに明け暮れた家に仕えながら
名のある士をたった一人も討ってないのはある意味奇跡的
528:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 02:05:09
いや、名のある武将を討った例のほうがまれな希ガス
というか、その名のある士の線引きはどこですればいいのですか?
どうか、521と同レベルのことはいわないでください
529:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 03:03:07
え?じゃあ、何もしてないのに大名になったわけ?合戦に参加しただけで?んなアホな。
530:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 10:28:03
だからこの人測量技師だって
検地とか築城の縄張りとか
531:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 11:37:40
四国攻めの時は活躍したんですか
532:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 12:35:02
>>529
名のある武将を討ってない=何もしてない
どういう思考回路だw
合戦は別に武将同士のタイマン勝負じゃねーんだぞ
533:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 13:16:44
>>531
十河氏の救援に行って惨敗してなかったっけ?
534:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 13:53:38
>>528
>>521
535:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 13:58:02
まぁ引田では敗退したが、その後は総大将に任じられた秀長の軍団で一部隊を率いて数々の城の攻略に関わってる。
讃岐10万石もらってるから功績はあげてるだろ。
536:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 14:04:57
どんな功績あげたの?
537:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 14:19:16
そこまで細かく調べたことないからなんともいえんが、喜岡城攻めや一宮城攻略戦とかかな。
538:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 14:19:27
飯食っててどんな栄養とったのってきいてるようなもんだぞ
539:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 14:22:55
そんな内容もわからんもんを功績と言われてもねぇ…
540:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 14:25:34
>>539
じゃあ、お前は秀長の四国征伐の功績を事細かに挙げられるのか?
541:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 14:27:59
秀長が来てからは誰も負けてないもんな
そもそも仙石単独、もしくは仙石の采配で戦に勝った事あるのか?
いつも名将にくっついてるから勝ち組に入ってるけど
別に誰でもいい気がするw
542:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 14:30:45
大将の言われたとおりにやってるだけって言っても
言われたとおりにやるにもそこそこの能力はいる
それも出来ない人間もたくさんいるんだ
543:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 14:33:23
喜岡城攻めは仙石が志願して自ら采配して落とした城らしい。
544:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 15:10:31
>>540
アホか
秀長は総大将だっての
四国征伐そのものが秀長の功績に決まってるだろ
各部隊の攻撃部署を指示したり降伏勧告交渉を指示したり
総大将の指揮で全軍行動するのだよ
まあ、一宮城攻略は直接指揮してたけどな
545:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 15:12:18
夏草の賦を読んだ。仙石シネヨ。
盛親死んだだろが!”””””””
元親の気持ちを考えろ!!!!!!!!
その後自分だけ復権したって言うじゃねーか?????
こういうおべっか野郎はシネヨ。ほんと迷惑なんだよ。
546:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 15:27:37
信親て戸次川で討ち死にして後世に賛美される身分になったから、案外長生きするよりよかったんじゃない?
547:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 15:32:28
盛親じゃなかった・・・
いや、信親健在なら関ヶ原は、東軍に組して島津対策として伊予を与えられて
いたのは明らか。
548:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 15:38:09
信親健在なら関ヶ原は、東軍に組して島津対策として伊予を与えられていたのは明らか←という想像だろ。
所詮は四国のローカル武将だし、そこまでいけるか微妙だな。
549:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 15:40:23
想像に決まってるじゃんかw
わざわざ想像だろとかイワンでいいよ。
550:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 15:41:10
それに長宗我部滅亡の一番問題は元親だろ。
いくら溺愛してた長男死んだからって、その後の人生だらしなさすぎ。
551:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 15:44:15
信親死なない元親。うむ恐るべし。
552:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 15:48:37
なんで明らかなんだろう
史実で盛親が西軍なのに明らかに信親が東軍になる
というその理由がさっぱりわからん
553:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 15:53:44
なんの根拠もない司馬小説読んだだけの駄ボラだからw
喰いつくねーあんたもw
554:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 15:57:43
運が無かったんだよ、信親は…
惨敗でも生き残る奴は生き残る、勝ち戦でも死ぬ奴は死ぬ
それが戦場さ
555:552
06/07/08 15:58:05
> 喰いつくねーあんたもw
俺を誰かと勘違いしてるのか?
556:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 15:58:53
いやどっちかつーと、趣旨は仙石氏ねなわけで・・・
557:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 16:05:58
高知県民発狂中wwwwwWWWWWWwww
558:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 16:09:01
>>544
日本語が理解できないのかw
秀長指揮下で行われた四国戦役の戦闘詳報を
全て知ってるのかって聞いてるんだろ>>540はw
559:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 19:26:08
なんで全て知ってなきゃならないんだよw
560:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 19:39:45
>>552
元々、長宗我部は東軍につこうとしていたって話はあるけどな
じゃあ信親になったら思い通りにつけたのかまではしらんが
561:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 20:57:28
>>559
そりゃあ、知らなければ功績として認めらられないと言っている人がいるからだろう。
562:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 20:57:57
>>559
権兵衛が秀長配下では活躍したかどうかわからんってことでは?
563:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 21:00:09
「関が原」の方では言われてるほど悪く描かれてるわけでもないな
単に真田家の誘降を勧めたってだけで
その時の言い草が徳川譜代の反感買ったって程度の描写だった
564:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 21:06:49
そういえば、仙石が上田遅参の原因だなんて馬鹿げた話どこから出てきたの?
565:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 22:00:17
原因になった一人なのは間違いではないけどね
秀忠が上田攻撃を主張した時に仙石も尻馬に乗っかったから
まあ、秀忠が言う方がにくっついていれば間違いないだろうと無邪気に考えただけだろうけど
566:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 22:23:46
そもそも遅参の理由は上田城を攻めたからではなく、家康からの伝令が遅れたからで。
上田城攻めの決断自体関係ないんだけど。
567:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 22:56:08
尻馬に乗っかったから、て表現変じゃね?
それだと他のヤツはどうなる?
568:無名武将@お腹せっぷく
06/07/08 23:46:46
>>566
っていう説もあるだけだけどな
569:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 00:03:29
上田の仙石責任話は小説とかの話だろ?
史料とかあるの?
570:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 00:11:04
>>567
仙石は初め主戦論じゃなかったし
秀忠が攻めると言い出したら主戦派になった
まあ、仙石の事だから
「そうだそうだ、真田なんかやっちまえ」
て軽いノリだったんだろう
571:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 00:22:09
>570
それは何の小説?それとも史料に記載されてるの?
それとも570の妄想?
572:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 00:30:49
仙石越前守は江戸初期こそ秀忠昵懇大名として、山形の最上改易後の配置転換で小諸から上田に移封したまでは良かったが、但馬国出石に左遷され、江戸後期には大規模な騒動で壊滅。
573:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 01:18:43
仙石に関してソース求めるのは間違っている
何もやってないんだからいくら探しても出てくるわけないだろ
574:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 01:37:15
何もやってないヤツが大名になれるかよ。
あと、いくら探しても出てくるわけないというのは探してから言え。
575:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 01:56:19
誰か仙石の功績書いてある資料教えろ
いくら探しても出てきやしない
なんか凄く嫌いになってきた('A`)
先月から図書館や本屋を32件ほどまわったが何もなく
仙石氏に関する資料はありませんか?
とか問合せたが
結局家譜しかなく…
ふざけんな
時間返せよこの糞雑魚が(TДT)
576:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 02:05:37
_
(゜3゜)<おい、>>575!
| |∧∧∧
\___>
_
ε゜ )<働いてないだろ!働いてないだろ!
| |∧∧∧
\___> ))))
577:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 02:10:24
悪名については「資料あるのかよ」
功績については「資料はなくても出世してるんだから」
578:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 02:44:09
悪名については腐るほどあるよな
戸次川なんかはいくらでも記述あるし
でもあれだ
元親は仙石に対して恨み言なんて言ってないし
長曽我部家の記録にも仙石を批難するような事は書いてない
長曽我部と島津も友好的だった
信親が死んで元親が落胆して自暴自棄になったのは事実だろうけど
長曽我部と仙石(十河)の確執は後世の創作だと思う
579:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 03:05:10
>>577
功績なくても出世する人がいるのもまた事実
むしろ仙石はその典型
なぜか?
実際に特筆する功績がない
と言う揺るぎない事実があるから
でも全くないと言う事でもない
会社で勤続何年とか皆勤とかで表彰されるでしょ
実際「会社にいただけ」で
別に仕事はできなくても功績として賞される事があるわけよ
あと年功とかね
そう言う類の功績なら仙石にも間違いなくある
つまり正確に言えば
たいした功績がない
と言うべきではあるな
580:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 03:45:55
実際に特筆する功績がないというが、小田原での復活劇は十分特筆に値するものだと思うが・・。
叩き上げの秀吉が年功や勤続年数で部下を出世させる人間なのか?
仕事ができない、功績無しの人間が28歳で淡路洲本5万石もらえるものなのか?
別に派手な功績が全てじゃあるまい。
地道な働きで功績挙げて大名になれたんじゃないのかね。
でなくば、秀吉の信頼を勝ち取ることもできんと思うが。
581:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 03:47:55
>>580
たたき上げだからこそ、生まれたて側に置ける武将がいなかったんだけどな。
だから必然的に古参を優遇するしかない。
582:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 03:51:43
>元親は仙石に対して恨み言なんて言ってないし
>長曽我部家の記録にも仙石を批難するような事は書いてない
そりゃそうだ。フツーに考えれば、
失態を演じても、すぐに大名に復帰できるぐらい
時の権力者にかわいがられている譜代の寵臣のことを、
所詮外様で、しかも討伐を受けた身の大名が
後に伝わるような表立った批判なんかできないだろ。
>長曽我部と島津も友好的だった
敬意を表して、敵なのに信親の遺骸を丁重に扱ってるわけだからな。
敵味方に分かれてるんだから、結果的に敵に殺されること自体は、ある意味「戦場の倣い」だろ。
逆に、失態の原因を作って、しかも、危なくなったら真っ先に遁走する自軍の軍目付の方が、
よほど恨むべき存在じゃね?
583:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 03:57:19
いくら古参優遇でも功績0で仕事のできない人間をわざわざ重要な拠点に置かないと思うがね。
584:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 03:59:18
>>580
逆に自分が成り上がったからこそ、能力がある人間を過剰に恐れてる節があるからな
可愛がってて、自分を脅かすほどの力はない部下は、貴重だったんじゃね
585:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 04:00:54
>>583
逆にほぼ直轄地状態で、秀吉が管理してたのかもな。
だからこそ、そういう指示を送りやすい、気の知れた仙石を置いたのかも。
586:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 04:03:38
それを政権が安定期に入ってから実行するならわかるが、柴田、北条、長宗我部、徳川などと敵対関係にある中、一勢力の秀吉が自ら首絞めるような危険なことやるか?
587:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 04:03:54
まぁ、アレだ。サプライズ人事。
588:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 04:04:48
サプライズ人事も実績あってだろ。
589:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 04:13:50
>>585
そういう時期だからこそ、能力以前に絶対の信頼を置ける部下に任せなきゃいけないとおも
590:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 04:19:58
その絶対の信頼だっていくらかの実績がないと生まれないだろ。
591:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 04:21:52
そうでもない
592:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 04:30:10
そうかね?
593:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 06:10:23
まぁ既出だが、この程度の人物を抜擢しなければならないほど豊臣家臣団の人材は枯渇していた。
失態の後許されたのは、それはそれで大したものだけども。
594:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 08:56:16
とりあえず功績なし派の人は仙石が異数の出世を遂げた理由を説明してよ。
天正8年に洲本で権兵衛が5万石もらったとき、ひとまわり年上の浅野長政・山内一豊・中村一氏
堀尾吉晴・一柳直末あたりはみんなまだ三千石にも満たない将校にすぎないわけで
(天正11年説もあるがそれでもそのへんとは大きな差がある)、別に出自がいいわけではない
権兵衛が若輩の割にこいつらのはるかに上にいけた理由を説明してもらわないと。
595:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 09:03:21
>>568
少なくとも上田城攻めが秀忠軍が動いたときの当初からの予定通りの行動だったのは明らか。
そして、予定の変更を伝える使者が遅れたのも事実。
596:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 10:12:25
>>594
秀吉の個人的なエコ贔屓。派手好きで秀吉に上手く取り入るいわゆるお気に入り。
無能だが、そこに書いた5人なら指揮能力見ても劣ることはないとは思う。
ってか、秀吉は仙石に若い時の自分を見たと思う。(大間違いだけど)
597:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 10:52:20
何で有能か無能かって
1か0かみたいに人間の能力を判断しようとすアホがいるんだろうw
飛びぬけた才能はなくてもそこそこ仕事が出来る人間ってのは組織には
必要なんだよ
598:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 10:56:56
そのそこそこキャラが、なんで594の面子を飛び越えて5万石なのかが問題
なわけでして。
そこそこの俺に5千万位給料くれんかな・・・
599:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 10:58:40
秀久が古参だったから出世できた、という説の人に一言。
じゃあ、秀久のほかに古参は居なかったの?
超メジャーどころでは、蜂須賀とか前野とか。
たぶんほかにも古参はまだまだたくさん居ただろう、きっと。
こいつらは何万石取だったか、俺は知らないんだが、誰か知ってる?
少なくとも、浅野とは、最古参の上に、血縁関係もあって、
ここで名前が出てきている連中の中でも一番秀吉に身近な位置にいたとおもうんだが。
ちなみに浅野が甲斐22万石を得たのは、太閤検地の功績によるもので、
それまでは>>594のいうとおり、それほど所領を預かっていたわけではない。
600:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 11:05:09
蜂須賀は阿波一国だぞ。当時の阿波の重要性を考えればやはり古参優先では?
前野は知らん。 まあ蜂須賀は有能だからいいと思うけど。
601:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 11:13:34
ちなみに、蜂須賀はと前野は知ってる。
蜂須賀は四国征伐の跡で阿波一国。
前野は「小田原の後になってから」、
(偶然だが後に仙石氏が転封される)出石に11万石。
ちなみに、秀吉の日本統一事業は、
四国征伐、九州征伐、小田原攻め、奥州仕置き、と4段階に分けて考えられると思うんだが、
うち、二度も先陣を任された、というのは、仙石以外に例がない。
その2度とも、先陣の任務に失敗した、というのも、まあ、例はないけど。
現代で言えば、社運をかけた4大プロジェクトのうち、課長として2つの着手を任されて、見事に失敗して解雇されながらも、
後のプロジェクトで挽回して係長に返り咲いた、という、波乱万丈ぶり。
巻き込まれた人のことを考えなければ、相当魅力的な人生ではないか?
(↑この前提、文句ある?)
602:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 11:20:26
>文句
文句というか謎だけど、具体的にどう失敗したのかは分かるのに
どう挽回したのか良く分からん所。
失敗を誤魔化すことは多いが、成功を隠すってのも変だし、一応
勝ち組になってるんだから史書上で改変を受けることもなかろうし。
603:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 11:23:57
「あの」蜂須賀が阿波一国を与えられたときに、
「あの」仙石が讃岐一国。
阿波と讃岐とでは、
まあ確かに
国力や戦略上の重要性も違いはあるだろうけど、
これって無視できないと思うんだが。
他の古参で、一国を与えられた武将はいるのか?
つまり、秀吉の仙石秀久に対する評価は、
この時点では、浅野・山内・堀尾・中村よりはむしろ、蜂須賀正勝に近かった、ということではないか?
後、小田原での返り咲きが家康の口ぞえによること、という事実をもって、
家康に媚を売った、ということも言われているようだが、
家康を馬鹿にしてないか、それ?
家康だって、どうでもいいやつなら、媚を売ってきたところで、
わざわざ秀吉に口ぞえなんかしてやれないよ。
一応、秀吉のほうが家康よりえらいんだぜ?
お前、会社の中間管理職だったとして、上司に対して、
上司のかつての直属の部下の左遷をとりなしてやれるか?
604:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 11:25:33
巻き込まれた人のことを考えない、
ということに対して文句ある?
といっているのでは
605:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 11:38:27
島津のエピソードって、そういうの多いよね。
相良氏との抗争での新納と犬童との和歌の交換とか、
関が原帰りの船上での恩義に報いるため立花宗茂の救援軍を直ちに編成したとか。
島津厨は嫌いだし、そもそもあのチェストとか叫ぶ気質はウザイが、
島津のそういうところは好感が持てる。
606:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 11:44:10
知っている方がいればぜひ教えてほしいのだが、
『国史大辞典』を見ると権兵衛は天正2年に野洲郡に千石領したとある。
野洲郡って当時は秀吉じゃなくて佐久間信盛の所領なのだが、
これってどういうことなんでしょ?
秀吉が野洲郡の一部に飛び地で所領を持ってたという解釈でいいのかしら。
以上、中途半端に『センゴク』における権兵衛の佐久間への仕官が
リアリティを持ってしまう疑問でした。
武田を見せるためのご都合主義じゃなかったのかな?
607:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 13:15:00
石高に能力や功績が比例しないのはよくある事だろ
それと豊臣家では神子田、尾藤、戸田なんかがトップクラスで
竹中、蜂須賀なんかが持て囃される一般のイメージとは違う
出世頭は加藤光泰あたりだし
仙石も含めてこういった連中に共通するのは元与力と言う事だな
そして後に秀吉は大半を粛清している
元与力組はそれなりに影響力が強かったんじゃないかな?
秀吉も多少遠慮があったのかもしれない
だから前半こそ優遇したが秀吉が完全に天下の覇権を握ると
次々に潰しにかかっている
608:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 13:51:42
>>603
>「あの」仙石が讃岐一国。
ちょっ、丸々一国じゃねーよ馬鹿かお前!
609:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 15:11:38
讃岐一国は貰ってないけど…
十河の領地もあるし秀吉の直轄地もある
まあ、7割ぐらいは仙石の領地だけど
610:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 15:12:39
>>595
そーす
611:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 15:45:11
602
別に挽回方法を隠してないと思うがね。
詳細は家譜に書いてあるし。
まぁ家譜を信用しないというならそれまでだが。
地名になるぐらいだから何かしら奮戦はしてるだろ。
612:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 16:46:38
地名ってまさか仙石原?
613:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 17:19:31
>>610
秀忠の真田信幸あて書状、同じく秀忠の岡田善同あて書状、
それから家康の浅野長政あての書状。
いずれも、秀忠軍の出陣日8月24日当日及び前日の日付で、
真田・或いは信州の仕置きの為に出陣すると述べている。
そして、美濃へ向かうよう指示した家康の使いが秀忠の下へ向かったのが8月29日。
普通なら遅くとも2・3日でつくはずのその使者が、悪天候で遅れて実際についたのが9月9日。
秀忠は翌10日には美濃へ向け出発したが、当然15日の合戦には間に合わなかった。
614:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 17:42:26
そら秀忠が無能っていう歴史は抹消したいわな
615:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 17:52:52
>>613の書き方だと、まるで最初は関ヶ原に参加する予定はなかったみたいにみえるが、
秀忠軍の規模や顔ぶれからいって、関ヶ原に参加させる目算だったことは間違いないだろ。
信州は当初から目標の一つではあったかもしれないが、あくまで通過点だったとしか思えない。
天下分け目の戦に後継を参加させないなんて、考えられない。
誤算は関ヶ原が想定より早く開戦に至ったことだろうけど、それに加えて真田攻めに想像以上の時間を食ったことも確か。
真田をさっさと落とせていれば、使者が遅れようが家康と合流するために移動を開始していたはず。
関ヶ原後の信州方面組は恩賞預かれなかったし。
616:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 19:15:27
>>615
仮にそうだとしても、問題は上田城を落すのに時間がかかったことで、
攻めたこと自体は当初の予定通りなんだよ。
617:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 19:16:32
落すのに時間がかかったというか、落せなかったことが、か。
618:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 19:40:50
>>615
正確に言うと攻める前の交渉等で時間を使いすぎている。
実際に攻めたのは9月5日になってからで仮にその日の内に落せたとしても、
間に合うかどうかは極めて微妙な線。
そしてなぜそんな時間をかけたかと言うと、
急変した情勢を知らずまだ時間はあると判断していたから。
要するに連絡が行かなかったことが根本的な原因なのよ。
619:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 20:07:51
交渉に時間掛かりすぎたとかいっても、本来の目的は上田より関ヶ原なわけで、
先を見越さずに時間をかけすぎたのも結果的には失策になるぽ
620:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 21:52:35
それは、「9月15日に天下分け目の大会戦が行われた」ということをしっている
現代人だから言えること。
もっとはっきり言えば、「9月15日に決戦が惹起してしかも一日で決着がつく」と
知らなければならない。
621:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 21:55:18
>>619
だから、本来の目的が上田城攻略なんだよ。
確かに>>615の推測は現実味があり、
その後の日程として美濃方面への進出が予定されていた可能性は高いと思うが、
当初の目的はあくまで上田城。
美濃に向かうにしても、いつごろまでに向かわなければならないかとかは情勢しだい、
ところがその情勢が伝わらなかったので予定通りに上田城を攻めただけのこと。
622:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 21:58:16
まさか岐阜城がたった一日で落ちて、
一気に決戦の機が熟すとは誰も思わなかっただろうからね。
一刻も早く美濃へむかわなければならないという感覚は、
少なくとも秀忠軍が出発した時点では誰も持っていなかったことだろう。
623:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 22:09:34
遅参の責任はわからずとも、あれだけの大軍連れて、上田すら落とせなかったのが間違いのない事実だけどなw
624:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 22:17:53
もっとも上田城攻めってその前哨戦も含めて僅か2日間なんだよね。
幾ら兵力差が圧倒的だといってもそれなりの堅城なら2日くらいもって当たり前な気もする。
625:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 22:37:25
上田攻めに何日計算してるんだよ
そのペースでやってたら、関ヶ原が計算通りのペースで起きても間に合わなかったんじゃね
626:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 22:43:58
>>625
関ヶ原が計算どおりってなんのこと?
事前の計算なんて出来ませんよ?だからこそ、状況次第。
まあ、2日で攻めるのをやめた段階で、
これ以上日数を使うのはまずいかもと思った可能性はあるけどね。
627:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 22:46:56
上田攻めの時間配分自体は仙石の責任じゃないだろ
決定できる上の人間が相当数いるんだし
628:無名武将@お腹せっぷく
06/07/09 22:47:10
状況次第なのに関ヶ原に間に合わなかった責任は皆無かw
629:無名武将@お腹せっぷく
06/07/10 00:09:10
>606
秀吉の家臣じゃなくて与力だったから。
630:無名武将@お腹せっぷく
06/07/10 10:48:01
>>626
「決戦場が関ヶ原」も後知恵だがね
三成は三河・矢作川を念頭に置いていたようだし
631:無名武将@お腹せっぷく
06/07/10 12:13:38
まあ、小諸に入って真田と交渉開始したのが2日
攻略諦めたのが9日だから一週間は停滞していた
更に追撃を警戒して遠回りして無駄に時間食ってる
宇都宮を発ってから関ヶ原が始まるまで3週間ほどだから
いずれにしても行軍遅すぎではあるな
天下分け目の大戦が始まる事は知っていたわけだし
指示がなくてもいち早く前線に出るのが普通だと思うが
あれだけの面子揃っててタラタラやってたのが謎だ
632:無名武将@お腹せっぷく
06/07/10 12:37:29
仙石が余計な進言したなんてのは小諸に入城してたことから
創作だろうとは思ってたが
ここを読むとどうやら秀忠が真田に翻弄された事自体が創作の
ようだな
633:無名武将@お腹せっぷく
06/07/10 14:44:11
( ´,_ゝ`)プッ
634:無名武将@お腹せっぷく
06/07/10 15:55:18
真田て戦術は強いが戦略的には負けてばかりのイメージがあるんだが、そこのところどうなの?
635:無名武将@お腹せっぷく
06/07/10 16:00:21
どうもこうもねーよ馬鹿
636:無名武将@お腹せっぷく
06/07/10 16:09:02
おいおい
責任問われて切腹になった武将までいるのに
創作しちまったら憐れだろw
637:無名武将@お腹せっぷく
06/07/10 16:11:22
切腹になった奴いたんだ。
誰?
638:無名武将@お腹せっぷく
06/07/10 16:13:10
ドン・シメオン
639:無名武将@お腹せっぷく
06/07/10 16:34:42
ていうかさ
基本的な所がハッキリしないんだが
仙石は上田攻めに参加してたの?
これが一番重要だと思うのだがw
640:無名武将@お腹せっぷく
06/07/10 16:43:30
仙石は約1500率いて秀忠に従軍し、上田でも参戦してる。秀忠が関ヶ原に向かう際には仙石と誰かさん(名前忘れた)を上田への抑えとして残した。
641:無名武将@お腹せっぷく
06/07/10 16:50:17
当然秀忠軍全てが合戦に参加したわけじゃないが
仙石は参加してたって事でよろしいの?
642:無名武将@お腹せっぷく
06/07/10 16:58:37
641
細かい戦闘記録はわからんが、仙石が秀忠の軍に従軍していたことと、上田の抑えとして残されたことは確実だと思うよ。
643:無名武将@お腹せっぷく
06/07/10 19:43:29
>>628
結局は悪天候が原因だからねえ、結果責任を問うにしても限度があるでしょう。
>>632
戦術的には、ともかく一度は攻めて落せなかったのだから、翻弄されたと言えるが、
攻めたこと自体は予定どおりの行動に過ぎなかった。
まして仙石の責任を問うなんてことはほとんどありえない。
あえていうなら、戦術レベルでどうだっただろうか?というところ。
644:無名武将@お腹せっぷく
06/07/10 19:50:46
以前に一度徳川軍を撃退してるから、そういう話が流布しやすい素地はあったんだろうね>秀忠軍遅参原因
645:無名武将@お腹せっぷく
06/07/10 20:07:01
あとはやっぱり皆秀忠に注目してたってのもあるんじゃないか?
家康の跡取りなわけだし、どの程度の能力や器量なのかこの戦で
量ろうと思ってたら、お前遅れてくるってどうよ?みたいな。
646:無名武将@お腹せっぷく
06/07/10 20:41:30
>>638
黒官は天寿全うしてるじゃねーかよ
647:無名武将@お腹せっぷく
06/07/10 22:23:52
武断派と文治派で真っ二つに割れてた時
仙石のオッサンは何してたの?
この頃全く話しに出てこないが
648:無名武将@お腹せっぷく
06/07/10 22:32:56
>>647
信濃小諸5万石に封ぜられてる。
秀吉死後はさっさと家康に乗り換えてるよ。
649:無名武将@お腹せっぷく
06/07/10 22:46:53
>>647
小諸やるから真田見張ってろってのが仙石のお仕事
650:無名武将@お腹せっぷく
06/07/11 11:07:29
家康と利家が対立してた時の話しだよ
仙石も伏見か大坂にいたんでしょ?
651:無名武将@お腹せっぷく
06/07/11 11:24:01
その時期も小諸じゃないかな。
中枢の権力争いには絡んでないと思う。
652:無名武将@お腹せっぷく
06/07/11 11:24:03
お蝶とハメ倒してたんだろ
653:無名武将@お腹せっぷく
06/07/11 14:58:56
秀久は武断派の大名が木下/羽柴軍団で小姓や端武者だった頃に寄騎ながら
侍大将として羽振りがよかったから彼等に顔が利いたのかな
それとも戸次川の負け犬としてバカにされていたのか
654:無名武将@お腹せっぷく
06/07/11 15:16:08
相手にされてなかった悪寒
655:無名武将@お腹せっぷく
06/07/11 16:22:44
仙石はあまり同僚と仲よくなさそうだね
福島正則とは仲良かったとかなんとか
仙石は子飼いじゃないし秀吉が直接見出だした譜代でもないから浮いていたのかも
同僚と言うべき与力達は出世したか消えたかで
同じ位置のが少ない
656:無名武将@お腹せっぷく
06/07/11 16:31:08
蜂須賀、山内、堀尾、中村、といった他の元与力達はこの時期何してたんですか?
657:無名武将@お腹せっぷく
06/07/11 19:00:05
蜂須賀は正勝はとっくに死んで家政の代になっていたが
家政も大の三成嫌いだった為に武断派として加藤、福島らと行動した
しかし関ヶ原では嫡男は東軍につけたものの
本人は東軍につくのは気が引けて秀頼に領地を返上して出家してしまった
大坂の陣でも大坂入城を警戒されていたが(実際入城しようとした
嫡男や家臣に説得されて断念し駿府まで釈明に行った
しかし家康の大坂の陣の出陣要請にはついに従わず
大坂の近距離なのに何だかんだ言い訳して結局参加しなかった
658:無名武将@お腹せっぷく
06/07/11 19:15:02
なるほど~。
アリガトン。
659:無名武将@お腹せっぷく
06/07/11 19:26:45
堀尾、中村は中老だった為に大老と奉行の調整役をしていた
家康の横暴を非難する為に三成らの要請に従って
家康や家康派の所へ行って罪を糾弾したりしている
しかし家康は加増(豊臣領だが…)をしたりて恩を売り懐柔に努めた為に
結局中老も家康につく事を決断する
だが中村一氏は関ヶ原の二ヶ月ほど前に死去
堀尾吉晴も老齢を理由に参戦を辞退した
660:無名武将@お腹せっぷく
06/07/11 19:29:35
山内は…
何してたんだろ?('A`)
661:無名武将@お腹せっぷく
06/07/11 21:16:07
仙石を主人公にした映画なんてあったんだね・・初めて知った。
662:無名武将@お腹せっぷく
06/07/11 21:48:45
山内どのは秀吉死後の早い時点から家康に加担している。
奉行衆や堀尾・中村ら秀吉旧臣が家康の上杉討ちを非難した際にも参加せず、
むしろ東海道筋の諸大名と家康方につくための調整を行っていた(三河吉田の池田輝政との文書も残ってる)
その後も千代のアシスト(馬の件と違ってこれは史実)もあって家康への接近もうまくいき、
さらに堀尾は事件にまきこまれて負傷、中村は死の床についたために東海道筋の諸大名の中でリーダーシップが
とりやすくなった。で、小山評定のあの発言になるわけよ。
このあたりの一豊の立ち回りを見れば、まあ確かに土佐一国かもしれんと漏れは思う。
まあ秀吉期に長宗我部の出した土佐の石高は9万8千石だけどねw
663:無名武将@お腹せっぷく
06/07/11 22:11:01
それが移封後に再計算したら20万2600石になったんだからタナボタだよな。
664:無名武将@お腹せっぷく
06/07/11 23:57:08
まあ、家康に加担した東海筋の大名は
堀尾24万石
中村17万5千石
田中32万石
といずれも大封を受けている(田中は三成捕らえたから大幅に加増されたが
東海筋はみな豊臣家ではそれなりの位置の人達だから
別に山内が堀尾の嫡男の案パクったとかそんな話しじゃなくても
大幅な加増を受けるのは不思議な事じゃない
まあ、それでも10万石以上は貰いすぎな気もするがw
665:無名武将@お腹せっぷく
06/07/12 00:12:06
中村一氏:駿府14万5000石
→伯耆米子17万5000石(ただし、一氏本人は関ヶ原直前に急死)
堀尾吉晴:浜松12万石(息子忠氏)&越前府中5万石(吉晴隠居料)
→出雲富田24万石
山内一豊:遠江掛川5万9000石→土佐浦戸20万2600石(土佐一国)
検地やり直し前は10万石に満たなかったとはいうものの、
寒冷地ならともかく、一国の全部を所領とするなら、
フツーに考えて10万石しかないってのはないよな。
666:無名武将@お腹せっぷく
06/07/12 00:24:39
それは検地の計算方法や徹底度にもよる。
たとえば、一反を、300町歩としたか、360町歩としたか。
あるいは、旧長宗我部の家臣団のもつ所領に対してどの程度厳しく再検地を行ったか、
そういった観点で一次史料を検証したのでなければ、はっきりしたことはいえないのではないか。
まあ、学術論文を各期があるわけでもないので、大嘘さえ言わなきゃいいんだけどさ。
667:無名武将@お腹せっぷく
06/07/12 00:26:11
島原の石高計算とか、凄かったらしいからな
668:無名武将@お腹せっぷく
06/07/12 09:54:51
まあ、江戸時代になって全国的に数百万石増産したのは事実だが
見栄張って石高を実高以上に詐称する大名は確かにいた(格式上がるし
頭がいい大名はむしろ極力低めにしたけどね
669:渋沢・巧
06/07/12 11:06:13
仙石秀久の皆の最終結論
(武将風雲録風で)を記してみよう…
政治76
戦闘64
教養55
野望85
魅力69
「役に立つこともあるかと…」
過大評価…か…?
670:無名武将@お腹せっぷく
06/07/12 11:19:24
政治が76もあれば充分役に立つが?
671:無名武将@お腹せっぷく
06/07/12 12:29:32
政治60 統治能力は可もなく不可もなく50、立ち回りの上手さと先見性で+5、土木技術も多少あるので+5
戦闘60 母衣衆に抜擢されたぐらいなので並以上60、しかし特別な個人武勇もないのでそれまで
采配30 お世辞にも戦は上手くない、小規模戦闘は並。自ら采配を振るった四国九州では惨敗
野望70 この時代の成り上がりに共通して出世欲は非常に強い。主家の乗り換えも早々と行った。しかし天下狙うほどの野心ではない
魅力40 あまり親密な関係の者は多くない。領民に特別慕われた話しもない。しかし上司ウケは良かった(秀吉、家康、秀忠など
672:無名武将@お腹せっぷく
06/07/12 12:55:23
ふと思ったけど、次男と袂を分かったのは何でなんだろう。
犬伏の別れみたいなもんだったのか、単に性格合わなかったのか。
673:無名武将@お腹せっぷく
06/07/12 13:12:04
采配30は低すぎだろ。
引田と戸次川以外に自ら采配を振るったことはあるし、その時は無難にこなしている。
あと個人武勇は小田原とゴエモンのエピソードあるから個人武勇無しではないし、過去の研究本には秀久は猛将として書かれていることが多い。
領民に特別慕われた話しはないが、講談と後々に「権兵衛さん」の愛称も考慮してやれよ。
674:渋沢・巧
06/07/12 16:08:45
なるほど。
皆さん、次の信長の夜望に期待してください。
貴重なデータありがとうございました。(笑)
675:無名武将@お腹せっぷく
06/07/12 16:37:17
ゴエモンは講談の話しだし(実在はしたようだが文書には前田玄以が捕らえたと書かれている
小田原はアピールしただけでたいした武功はあげてない
どちらかと言うと政治や知略と言った部類の行動
それに陣借りだから采配振るうほど部下がいなかっただろう
愛称で呼ばれてる人物なんて一体何万人いるかもわからん…
676:無名武将@お腹せっぷく
06/07/12 16:49:05
別に次回作から出さないでもいいよ。要らないキャラだ。
677:無名武将@お腹せっぷく
06/07/12 17:06:49
采配は中国遠征、四国攻め、紀州攻めの時の話だよ、小田原の話じゃない。
小田原戦の全体から見れば小さな武功だが、50名足らずで虎口を確保したんだし、そこは個人武勇として評価してあげてもいいんじゃない?
678:無名武将@お腹せっぷく
06/07/12 17:41:54
まあ、何にしろ並だな…
あの時代は凄いのが多いから比較すれば並以下になってしまう
功績を上回る失態があるからやはり総合評価30点て感じ
四国はともかく戸次川は痛すぎる
あれさえなければ山内なんかと同じ位置にいただろうけど
679:無名武将@お腹せっぷく
06/07/12 17:50:12
さすがに山内と一緒にしたら可哀想だとは思うが…。全然タイプが違うし。
680:無名武将@お腹せっぷく
06/07/12 17:50:53
その功績を上回る失態からの挽回という本来ならありえないことをやってのけてるから、並以下にならんと思うがね。
681:無名武将@お腹せっぷく
06/07/12 18:04:30
どうみても小田原の活躍が戸次川の失態を上回るとは思えん…
あくまで許されただけだし
実際元の半分しか禄貰ってない
讃岐から小諸の山の中になったし
やはりもう以前ほど信用されてないのは明らか
682:無名武将@お腹せっぷく
06/07/12 18:17:09
そりゃ一度所領没収したヤツに前以上の石高与えないだろ・・他にも大名いるんだし。
それに別に失態を上回るとはいってない。
ただ、その復活劇が尋常ではないことはたしか。
もらった小諸は信濃の要所だから、そこそこ信用もあると思うけど。
683:無名武将@お腹せっぷく
06/07/12 18:17:09
一豊はそれなりにキャラ立ってるし
一応異名もあるしなw