【三国一の】仙石秀久ファンスレッド【臆病者】at WARHIS
【三国一の】仙石秀久ファンスレッド【臆病者】 - 暇つぶし2ch2:無名武将@お腹せっぷく
06/01/11 00:36:36
長宗我部は自業自得ぽいんだが・・・

3:無名武将@お腹せっぷく
06/01/11 00:49:00
そう言ってるね

4:朝倉渦中feat.パストマスターズ ◆0Uj4ASAQRA
06/01/11 01:07:20
「豊後の国に跳梁していた最悪の海賊や盗賊は、とりわけこれら仙石の家来や兵たちに他ならなかった」
「彼らは何等恥や慈悲といった人間的感情を持ち合わせていない輩であり、当不当を問わず、
 できうる限り盗み取ること以外に目が無かった。」

権兵衛周辺に対するフロイスの言です。。。

5:?
06/01/13 01:22:21
駄将仙石、武勇はそこそこ

6:無名武将@お腹せっぷく
06/01/13 01:32:53
何で大名になれたのか不思議

7:無名武将@お腹せっぷく
06/01/13 01:39:00
一応、秀吉配下だと武功上げてるんだよね
小田原でも武勇示してるし
やっぱ戸次川だと混成軍の指揮官やってられなかったのかな

8:無名武将@お腹せっぷく
06/01/15 00:29:10
ファンスレッドとはとても思えぬスレタイだな・・・

9:無名武将@お腹せっぷく
06/01/15 00:37:14
ミスしか取り上げてないし 知らんのだろう

10:無名武将@お腹せっぷく
06/01/15 05:33:45
こいつにいい話あるか?


11:無名武将@お腹せっぷく
06/01/15 07:41:29
こいつを狂言回しにした秀吉の天下取りの話だろ

12:無名武将@お腹せっぷく
06/01/15 07:42:47
とりあえず、漫画が致命的なほど面白くない。
掃天航路ぐらい愚作だと思う。

13: ◆KAMIsCZBtU
06/01/17 00:01:53
『思慮なき人も、思慮ある人も功名するなり。
思慮ある人の功名は士卒を下知し、大なる功名を遂ぐるものなり』


仙石秀久に聞かせてやりたい言葉の一つだな。

14:?
06/01/17 01:30:49
近世大名として生き残ったのがまた痛い。切腹か斬首になってればまだここまで酷い言われように
ならずにすんだかもなあ。

15:無名武将@お腹せっぷく
06/01/17 01:53:50
勝ち組だから妬まれる

16:無名武将@お腹せっぷく
06/01/17 02:00:05
妬まれると嫌われるは別だよ。


17:無名武将@お腹せっぷく
06/01/18 01:52:00
でもさぁ、普通に考えたらけっこうそこそこ名将だと思うよ。
司馬に嫌われたから必要以上に糞扱いされてるけど、少なくとも関ヶ原で身の程知らず無駄死にした大谷よりも器量は上に見える。
長宗我部元親も息子死んだぐらいで錯乱するアフォだったということでしょ。

18:無名武将@お腹せっぷく
06/01/18 02:04:57
中学生らしい意見ありがとう、17君

19:名無し募集中。。。
06/01/18 03:46:52
>>12
そうすかねぇ
金ヶ崎編なんかスリリングよ

20:無名武将@お腹せっぷく
06/01/18 11:13:00
1~5巻までの展開は神。読んでてスゲー盛り上がった。比叡山編は途中チョイグダグダだったけど・・。


21:無名武将@お腹せっぷく
06/01/18 11:30:59
独自の考察がいいね
どこかの偉い先生の丸写しとかより

22:無名武将@お腹せっぷく
06/01/18 21:31:18
仙石秀久を好きな奴のほうが珍しいだろうが
その仙石をあえてもってきたところに期待して読んでる
比叡山焼き討ち編は最後にいきなり恋愛要素いれたからグダグダになっちゃったよな

23:無名武将@お腹せっぷく
06/01/29 13:00:52
漫画「センゴク」についてはこっちで語れよ漫画厨ども

「センゴク」は糞になったな。
スレリンク(warhis板)

24:無名武将@お腹せっぷく
06/01/31 15:42:55
>>17
大谷刑部は秀吉曰く「百万の兵を与えて指揮させてみたい」だっけ?
それでも仙石の方が上か。

25:無名武将@お腹せっぷく
06/02/01 09:11:45
指揮させてみたい(妄想)>大谷
指揮させた(現実)>仙石

26:無名武将@お腹せっぷく
06/02/02 02:03:00
実際に7000の兵を秀久に指揮させたら戦国史上稀に見る大惨敗を食らったんだよな

27:無名武将@お腹せっぷく
06/02/02 12:32:07
とはいえ、返り咲いたからいいんじゃない?
大失態をやらかしたけど、時勢を読んで戦国時代を生き残ってる点を見れば、個人武力と政治力はあったんじゃないかな。
秀久て、今のご時世にはもってこいの話だな。


28:無名武将@お腹せっぷく
06/02/02 12:59:43
>>1
長曽我部元親に負けてるカスの仙石が何故か指示する側だったまさに馬鹿戦
秀吉の到着を進言した元親,信親を無視して
自分の作戦を強行し,器量があった嫡男信親を見殺し
自分は一番先に逃げた

29:無名武将@お腹せっぷく
06/02/03 14:54:23
ひでぇな・・・

30:無名武将@お腹せっぷく
06/02/03 15:29:07
でもその後見事なカムバックしてる

31:無名武将@お腹せっぷく
06/02/04 03:54:09
ゴエモンを捕まえたって話は歴史資料などのある話なんですか?
架空の話?


32:無名武将@お腹せっぷく
06/02/04 11:55:29
ちょっと考えてみよう。
四国攻めの先陣の任を見事に失敗した仙石が、
どうして九州攻めで自分が敗れた四国勢を率いて、またもや先陣を任されてしまったのか?
これは、仙石の責任というより、秀吉の人を見る目の問題じゃないか?
(あるいは、「失敗させるために」先陣を任せたのかもしれない・・・のか?)
まあ、人間心理としては、先の失敗にもかかわらず、
自分を破った兵を与えられた上に、西国統一の最後の戦いの先陣を任されちゃったんだから、
功をあせったこと自体は責められないと思うのだが。
(秀吉だって仙石のその辺の性格はよく把握してたはずだと思う。子飼いなんだし)

そして、その後大名に復帰させたのも秀吉の判断。
単にお気に入り、というなら、御伽集に加えるって手もある。(生き残った織田一門の信包がそうであったように)
そうではなく大名に復帰させたのは、何か意図があったのだろう。

ま、まさか!
秀吉にケツでも貸していたとか・・・いやいやいや、それはあるまい。

33:無名武将@お腹せっぷく
06/02/04 12:52:18
戦では長曽我部信親はカナリの奮闘をしていて
島津側の記録に賛美の褒め言葉が残ってるね。
たしか信親を追って多くの家来も死んでるはず

長曽我部家では信親が死んだおかげで家督争いが起き
元親が盛親を溺愛し家督を相続させようとした為
2男3男が継ぐのが筋と反対した親族の吉良を殺すはめに

仙石は九州では糞でも
結果的に長曽我部をおおいに弱体化させた

わかってやってたなら
凄いな


34:無名武将@お腹せっぷく
06/02/04 21:45:16
九州のときはともかく、関が原の場合は司馬の捏造でしょう。
なんで、軍艦でもない単なる一武将に過ぎない仙石秀久にに徳川秀忠軍の
作戦を左右できるんだ?
仙石が上田城攻撃を強硬に主張したのだとしても、それが無謀だったら本来は
家康から秀忠に付けられたスタッフ(榊原とか本田とか)によって是正されるべき
でしょうに。

35:無名武将@お腹せっぷく
06/02/05 05:54:19
仙石…大名
長曽我部…寺子屋の先生
この差は何

36:無名武将@お腹せっぷく
06/02/05 06:32:32
きっと世渡りの巧さだよ

37:無名武将@お腹せっぷく
06/02/05 19:09:55
>>31

URLリンク(www5c.biglobe.ne.jp)

38:無名武将@お腹せっぷく
06/02/06 02:49:17
信親死んだ程度で、お家潰れるようじゃ信親生きてても長曽我部家滅んだじゃない?
というか信親は本当に器量人なのか?実績あるの?周りからただ褒められてただけじゃないの?
または元親の器量不足か・・・・。

39:無名武将@お腹せっぷく
06/02/06 03:25:04
>信親死んだ程度で、お家潰れるようじゃ信親生きてても長曽我部家滅んだじゃない?

その後、次男と三男が四男の盛親に殺されたの。
叔父の吉良も殺された。

跡目争いは、信親の死が原因でしょ

40:無名武将@お腹せっぷく
06/02/06 09:40:43
もしそうなら、跡目争いを収拾できない元親の器量の無さが目立つな。


41:無名武将@お腹せっぷく
06/02/06 10:28:17
>>33
長宗我部信者は秀久を憎んで秀吉を憎まないというバカ丸出しだから笑えるw
等の盛親も長宗我部傾かせた豊臣に忠誠誓いつつ大坂で皮肉にも大活躍w
秀吉美味しいな

42:無名武将@お腹せっぷく
06/02/06 11:02:55
元親に日向をあげるって秀吉は手紙だしたのにいりませんって返されてるもんな
秀久のおかげで日向は長宗我部領にならなかったな

43:無名武将@お腹せっぷく
06/02/06 12:46:50
>>18
長曽我部信親は元親に幼い頃から英才教育されてて
京から指導者を幾人も招きいれスパルタされてる
剣術も段位をもっているほどの腕。
絵も残ってて,かなり上手い
元親を越える器量があるかどうかは死んだから判らないけど
若くして文武両道だったのは確か

あと仙石の戦で
十河?も死んでるんじゃない?
大将クラスを3,4人見殺しにし
尚且つ作戦立案者がまっさきにと逃げ恥以外のなにものでもないわけだが
よく自分から切腹しなかったなと
秀吉にどう言い訳したんだろう



44:無名武将@お腹せっぷく
06/02/06 12:50:01
ここの住人は仙石のあの行動はすべて秀吉の命令だったと知らんのか?


45:無名武将@お腹せっぷく
06/02/06 14:17:12
そもそも長宗我部のお家騒動って、元親が次男と三男の扱いに失敗したから起こったことだよな。
もちろん長男が生きていればお家騒動自体がおきなかったというのは正しいが、それでも元親が
息子の扱いをきちんとしていればお家騒動は防げたこと。
長宗我部ファンは元親本人の責任を他になすりつけているだけ。

46:無名武将@お腹せっぷく
06/02/06 17:40:04
既に秀吉の天下は決まっていて
戦後処理でないけど
掃討戦に等しい島津との戦いで大事な嫡男が死んでカワイソス(´・ω・`)
だけども
地方だけど一国をやると
秀吉が信親の死に配慮してくれたからまだいいほうじゃ


47:無名武将@お腹せっぷく
06/02/06 21:54:29
秀吉(その田舎一国に置いとける人物はもう居ないけどなw)

48:無名武将@お腹せっぷく
06/02/07 00:30:34
長宗我部について語るのはいささか板違いだが、あえて続けてみよう。

そもそも長宗我部のお家騒動は、単なる跡目争いとは言い切れない側面もある。
守護/戦国大名が、中央集権化の流れで生き残るためには、
近世大名として、領国の集権化を進めることは、必須であった。
その際に、大きな障壁となったのは、
戦国期には頼もしい存在であった、「自ら所領を持つほどに有力な」家臣団・一門衆であった。
中央集権化を進める上では、それらの力をそぎ落とさなければならない。
家臣が当主の意向を堂々と批判できてはいけなかったのだ。
それが、きわめて近しく、頼もしい血族であったとしても。
その批判が的をいていようがいまいが、その批判を許せば、
家中の秩序が危うくなり、近世大名としてはやっていけない。

たとえば、欧州の伊達氏でも、一門きっての猛将たる伊達成実が出奔している。
(余談だが、この出奔期間、家康から扶持を受けるが政宗の訴えで取りやめになったり、
上杉景勝が政宗に対抗するべく出奔中のしげざねを召抱えようとする(成実は固辞したが)など、おもろいことになっていたらしい。)
軍功随一の一門衆でも、主命に反することを許さない/許してはいけないのが、近世大名なのだから、

長宗我部のお家騒動は、跡目争いがなかったとしても、必然であり、
土佐の中心部に所領を持ち発言力の強すぎた吉良氏の粛清は避けられなかったのではないか。

49:無名武将@お腹せっぷく
06/02/07 12:23:23
>>48
それは吉良を討つ理由にはなるが、相続問題をこじれさせる理由にはならんよ。
そもそも出奔の理由がいまだ明確になっていない伊達成実と比べるのは
どうかなとも思う。

50:48
06/02/08 01:32:27
ようは、
相続問題≠お家騒動
と、いいたいのですよ。
正確には相続問題はお家騒動の一部分である、と。
相続問題がなくても、お家騒動はおこりうるし、
むしろ、近世大名化への過渡期においては、
戦国期スタイルの家臣団と近世型家臣団との地位交代と世代交代が内紛の本質であり、
家督争いはよくある火種に過ぎない。
幕府をひらいた後の徳川家でさえ、家臣団のそういった対立があり、
本多、大久保といった戦国期タイプの家臣は晩年は不遇(というのはいいすぎだが)であった。

伊達成実の例は、
「近世大名に比較的スムーズに転換できた伊達氏でさえも、このような事件がありましたよ」
という例ですよ。

元親とその甥の親実の対立は、家督争いに端を発しているが、その実態は、
かつて長宗我部を支えた家臣団と一領具足を、近世化へ向かって再編成しようという元親の意図と、
それへの抵抗ではなかったか。
久武親直奸臣説や元親乱心説も、
あるいは、そうした立場で書かれた史書であったからではないか?

51:無名武将@お腹せっぷく
06/02/08 02:03:53
>>50
妄想を書く前に資料を示してくれ。

52:無名武将@お腹せっぷく
06/02/08 10:42:31
史料は知らんが、江戸時代初期のお家騒動や藩政改革はそのあたりが主眼だわな。
先祖代々の自分の領地をもった豪族は戦国大名の部下にはなっても家臣とは言えない。
当人たちにもそんな意識は希薄だった。
そういった独立心の高かった連中を土地から切り離し大名の家来へと家の中へ取り込んで
いく過程では抵抗もあった。

53:無名武将@お腹せっぷく
06/02/11 16:34:16
>>44
負けて一人だけ逃げるのも秀吉の命令かw?

54:無名武将@お腹せっぷく
06/02/13 19:00:49
秀吉がチョンソ壁に領地を与えようとしたのは
自分の策が失敗したため、罪滅ぼしの意味もあった
仙石の改易はパフォーマンス、秀吉が「今は我慢しろ、すぐに復活させてやるから」
と仙石に言ったのは有名な話
ちなみに仙石は秀吉にこの人ありと言われるほど勇猛な武将だった

55:無名武将@お腹せっぷく
06/02/16 12:34:58
仙石が
長曽我部に負けたのも
秀吉のせいですか
そうですか
ほんとうにありがとうございました

56:無名武将@お腹せっぷく
06/02/16 12:45:47
こいつが内政向きだと知った時は驚いたぜ!

57:無名武将@お腹せっぷく
06/02/16 17:29:01
逃げるにしてもはるばる淡路まで逃げることはねーだろw
そんなに怖かったのか?

58:無名武将@お腹せっぷく
06/02/16 20:08:55
>>55


59:無名武将@お腹せっぷく
06/02/17 12:59:21
漫画では
絶対他人のせいにしてそう

60:無名武将@お腹せっぷく
06/02/17 15:46:35
これは孔明の罠だ。

61:無名武将@お腹せっぷく
06/02/18 01:27:49
>>59
そんな単細胞じゃ漫画は描けんw

62:無名武将@お腹せっぷく
06/02/18 12:59:38
好意を抱いてる女が
長曽我部家に人質として捕らえられ
それを理由に四国で負ける
そして例の戦いで
長曽我部を置き去りにし
見事復讐を果たす

めでたしめでたし
もうそれでいいよ

63:無名武将@お腹せっぷく
06/02/18 17:00:47
久蔵ときみたいに、信親と仲良くなったりしてな。で、戸次川で尊敬する仙石守って死亡とか。

64:無名武将@お腹せっぷく
06/02/19 00:57:10
いや、戸次川まではやらない公算が高い、と見た。
都合が悪い、という理由以上に、
ストーリーのコンセプト的にやる必要が少ない。

あれは、「仙石秀久」の生涯を描く大河ではなく、
「センゴクゴンベエ」という未熟ながら、ひたむきでがむしゃらな若者の成長を描く、
という漫画。
だから、若者が大人になってしまえば、そこで物語は終わる。

まあ、戸次川以降もいつまでたっても大人になりきれないまま成長していく、という方向性なら、
あるいはさらにその後の小田原くらいまでも続くかもしれないが。

65:無名武将@お腹せっぷく
06/02/19 02:19:39
史上最も失敗し、挽回した男のキャチフレーズで売ってるんだから、打ち切りにでもならない限り失敗談は絶対やるだろ。若者というより、仙石秀久の波乱万丈な人生を描くつもりだろ。

66:無名武将@お腹せっぷく
06/02/19 11:33:13
小田原も自分の復帰とか堀秀政の急死とかあるしな。

67:無名武将@お腹せっぷく
06/02/21 02:19:24
しかしスレタイの「臆病者」というのはなんとかならんか?
それはちょっと違うような気はするのだが。
卑怯といわれるのは仕方ないとしても、臆病ってのは違うんじゃね?

68:無名武将@お腹せっぷく
06/02/21 02:28:13
そもそも臆病ならそこまで復帰への気力はわかないしな

69:無名武将@お腹せっぷく
06/02/21 20:29:41
臆病と言えば臆病かと
何かの思案があったわけじゃなくただ命が惜しくて逃げたわけだからな
しかも家臣すら置き捨てて逃げたのだからよほど怖かったのかと

70:無名武将@お腹せっぷく
06/02/21 21:23:24
さすがに自分の家臣は連れて逃げたろ。でなきゃ小田原の時に家臣達がわざわざついてこないだろ。それと大名は生き抜いて自分の家を守らにゃならん。命惜しんで当然だろ。

71:無名武将@お腹せっぷく
06/02/21 21:32:57
むしろ信親の方が問題だろ。長曽我部の御曹司なのに、逃げ切れず、自分の命を守り切れなかった。正直器量を疑う。

72:無名武将@お腹せっぷく
06/02/21 21:34:29
あの漫画うれてるの?

73:無名武将@お腹せっぷく
06/02/21 21:36:13
家臣も全部置いて逃げたんだよ
一軍で撤退ではなく個人で逃げたのだから大将失格だな
御家守る為に逃げたのではなく
命守る為に御家潰しちまったわけだし

74:無名武将@お腹せっぷく
06/02/21 21:48:26
が、見事大名返り咲いた。普通は切腹かそのへんで野たれ死だ。というか、仙石の復活劇て、かなり稀なケースだろ。そこのところは評価できると思うが。

75:有名武将@お首すっとぶ
06/02/21 22:48:28
この中で誰が一番好き?

『長宗我部兼序』
『長宗我部国親』『長宗我部祥鳳』
『長宗我部元親』 
『長宗我部信親』
『香川親和』
『津野親忠』
『長宗我部盛親』
『長宗我部盛恒』
『丸橋忠也』
『長宗我部右近大夫』
『長宗我部康豊』
『吉良親貞』
『吉良親実』
『香宗我部親泰』
『島親益』
『長宗我部国康』
『比江山親興』
『本山親茂』








『仙石秀久』

76:無名武将@お腹せっぷく
06/02/21 23:56:50
信親以下約1000人の最後は見事なものであり正に武士の本懐を遂げたけど
それだけに惜しまれる
そういや信親の初陣は仙石との戦かな?
この時も仙石は散々に蹴散らされて洲本に逃げ帰ったよな
仙石にしてみれば改易になっても
恥かかせられた小癪な小僧が討ち死にしたのはせめてもの救いだったかもな

77:無名武将@お腹せっぷく
06/02/22 00:48:39
長曽我部信親の母は、秀吉の主君織田信長を殺した明智光秀の側近斉藤利三の娘。
つまり、仙石は明智家ゆかりの血筋をひとつ潰した功績が後世に大きく影響してるんだよ。

78:無名武将@お腹せっぷく
06/02/22 09:36:44
そんな功績聞いたことない
ていうか潰してないだろ
潰れたのは仙石家で

79:無名武将@お腹せっぷく
06/02/22 11:46:05
1000人の部下が討ち死にしてくれたのに信親生き残れずか…普通にヘタレだな。戦国の世で討ち死によって武士の本懐を遂げたなんて話は安っぽすぎる。

80:無名武将@お腹せっぷく
06/02/22 12:20:14
信親が死ぬ覚悟だから全員殉じたんだよ
信親隊は撤退する気は毛頭なかったからな
戦国期に江戸時代のような武士道はないから
将士全員討ち死には極めて珍しい
余程の人望がなければありえない
仙石隊のように不利になれば一気に潰走する方が自然
最も一人で遥か後方の城まで逃げると言うのは珍しいが…
しかも物資置き捨てるぐらいなら普通だが
馬印から陣羽織り、鎧兜まで投げ捨てて逃げると言う散々たる戦をしたのは
豊臣家中では仙石一人じゃないだろうか?

81:無名武将@お腹せっぷく
06/02/22 12:30:46
糞兵衛って大名になれるほどの功績あったのか?

82:無名武将@お腹せっぷく
06/02/22 12:59:12
>>71
おいおい………
大将を置き去りにして逃げるわけがないだろう??
武家をなめてないか??
大将が討ち取られて自分が逃げてみろ
生きて帰れても確実に切腹
更には末代まで長曽我部家の恥になる事は確実

信親は仙石しいては元親を逃がすため家の名誉の為に
あの場に残り散ったんだから
見事としか言いようが無いが

現地に今でもある信親の石碑で頭下げてこい(´・ω・`)

83:無名武将@お腹せっぷく
06/02/22 13:10:44
どっちにしてもはるばる淡路まで逃げることはないだろ。
せめて小倉城あたりにしとけよ。

84:無名武将@お腹せっぷく
06/02/22 17:33:21
任務放棄までしたのがマズイね
本隊が九州に上陸するまで守備するのが役割なのに
洲本まで逃げちゃ話にならない
せめて大友領の城に篭って来援を待つべきだったな

85:無名武将@お腹せっぷく
06/02/22 21:32:26
近代以降の軍隊なら「敵前逃亡」で軍法会議ものだな。
敗北や降伏は罪にはならんが、任務を放棄して逃げるのは処罰の対象になる。

86:無名武将@お腹せっぷく
06/02/22 22:19:09
大名になってたのか・・・
行方不明になったのだとオモタ

勉強不足でした。
もしかして赤穂浪士の件ででてくる仙石ナントカって老中は子孫か?

でも、某ゲームで捕らえたら真っ先に切る

87:無名武将@お腹せっぷく
06/02/22 22:27:13
後に秀吉に許されて信濃小諸5万石で復帰した
コイツも世渡りだけは上手だからな

88:無名武将@お腹せっぷく
06/02/22 23:32:42
九州征伐に出陣したが戸次川の戦いにおいて功を焦るあまり、長宗我部元親や
十河存保らの反対も聞かず無理な攻撃を開始し、島津の『釣り野伏せ』に引っかかって
しまい、存保や元親の子信親らを戦死させることとなる。また秀久自身は戦目付という
立場にありながら真っ先に逃げた為、秀吉の怒りを買い、所領を没収され高野山に謹慎の
身となった。

上記の理由により、秀久は長宗我部ファンや十河ファンにはすこぶる評判が悪い(らしい)。

小田原の役の時に徳川家康を頼って参陣、甲冑に鈴をつけて走り回るというパフォーマン
スにより秀吉の許しを得、信濃小諸城5万石となり、名誉を回復した。

1600年の関ヶ原の戦いにおいては、徳川秀忠率いる中山道軍に加わったが、上田城攻撃を
進言し、秀忠もこれに乗ってしまったので結果的に関ヶ原の本戦に間に合わなかった原因
を作った。


コイツはいったいなんなのだろう。


89:無名武将@お腹せっぷく
06/02/23 00:10:24
>>86
仙石伯耆守か?

90:無名武将@お腹せっぷく
06/02/23 00:15:41
>>88
永田議員

91:無名武将@お腹せっぷく
06/02/23 00:38:14
十河存保はやる気満々だったぞ。
長宗我部元親が渡河作戦の無謀を理を尽くして語ったにもかかわらず、
「仙石殿の意見は理が通っている。(中略)
さっさと川を渡れば主導権を取れるし、上方へのきこえもいい。さっさと渡河してしまうべきだ。」
というようなことを言ったと、「土佐物語」には記されている。
(現代語訳はいい加減だけど、大体こんなニュアンスだと思う)

つまり、十河は仙石の意見に諸手をあげて賛成しているわけだ。
戸次川の悲劇は、むしろここに起因しているのではないか?
もし、十河も渡河に反対していれば、
さすがに副将二人ともが渡河に反対すれば、仙石も考え直していたかもしれない。
しかし、実際には、十河は渡河作戦を大いに後押ししたわけだ。

十河が何を思って戦国の功を焦った渡河作戦に賛成したかはわからない。
あるいは、主将の仙石におもねったのか、
あるいは、渡河に反対した元親への敵愾心か、
あるいは、仙石と同じく功を焦っていたのか、
あるいは、本気で、川を渡ったほうが賢い選択だと信じていたのか。
いずれにせよ、長宗我部親子には災難以外の何者でもないが、
十河に関して言えば、「自業自得」としか思えない。

だから、敗戦自体に関して言えば、すべての責任を仙石に求めるのは、さすがに酷だという気はする。
ただ、洲本にまで逃げ帰ったのは、さすがにフォローの余地はないな。

92:無名武将@お腹せっぷく
06/02/23 00:53:19
上田城攻撃を進言し、秀忠もこれに乗ってしまったので結果的に関ヶ原の本戦に間に合わなかった原因
←またこの話か・・。常識的に考えて、外様の一言で秀忠が動くわけないだろ。確たる証拠もない。

信親は仙石しいては元親を逃がすため家の名誉の為にあの場に残り散ったんだから見事としか言いようが無いが
←そうか?悪いがこの手の話はまるで感動せん。自分が時期当主の身であることがちゃんとわかっていない。それに名誉を失おうが笑われようが、その後に挽回すればいいだろ。死んじまったらそれもできん。


93:無名武将@お腹せっぷく
06/02/23 01:43:02
まんがのセンゴクは著者の偏見がはいりすぎてる。
絵はうまいけど構成はぐだぐだ。

94:無名武将@お腹せっぷく
06/02/23 02:04:59
それは全ての映画・ドラマ・小説・漫画でいえること。偏見があって当然(大河ドラマに比べれば、遥かに許容範囲だ)。
むしろ偏見の無い歴史作品なんてあるのか?

95:無名武将@お腹せっぷく
06/02/23 10:39:11
>>89
それそれ

96:無名武将@お腹せっぷく
06/02/23 12:58:43
>>92
仙石が真っ先に逃げた時点で
自然と長曽我部家が島津追撃の防波堤にならざるを得ない。
ここで持ちこたえず
仙石を討ち死にでもさせようものなら長曽我部家は
取り潰しか,元親か信親の切腹は確定。
みすてて逃げたならば後世までの恥になる。
挽回も糞もない
長曽我部家の立場ぐらい考えろ池沼


97:無名武将@お腹せっぷく
06/02/23 13:42:24
あえて弁護すれば、秀久は軍監であって戦闘部隊をそれほどもっていなかったかもしれない。
もともと彼には羽柴とは無関係の四国連合軍を戦いに引きずり込む任務があった。
損害を嫌って渋る武将達に対しては主戦論を展開せざるを得ない立場にある。

98:無名武将@お腹せっぷく
06/02/23 13:48:07
>>96
長宗我部の立場を考えれば、なおさら後継者の命を捨てていいものではなかろう。
長宗我部が殿軍に立たなければならなかったとして、それでも大将格ともいえる
信親がやらなければならないことでもない。そもそも長宗我部軍には他に殿軍の
指揮がとれる武将がいなかったのか?
関が原の撤退戦で、島津軍は主君義弘を戦場から落すために戦い、義弘もそれに
応えて見事逃げおおせた。

99:無名武将@お腹せっぷく
06/02/23 14:54:14
>>91
十河存保はやる気満々ではない。
最初から負けるのがわかっていたけど、仕方なくって感じだったらしい。
よって、
『あるいは、渡河に反対した元親への敵愾心か』
が一番正しいだろう。

ま、自業自得に変わりは無いのだが・・・


『もし、十河も渡河に反対していれば、
さすがに副将二人ともが渡河に反対すれば、仙石も考え直していたかもしれない』
それは逆だろ。
もし、存保まで賛成したら余計秀久が意固地になるだけだろ。

人間ってそんなものと思うけど。

100:無名武将@お腹せっぷく
06/02/23 15:08:37
殿軍の指揮を上手くできる武将て
日本中探してもそんなにいないよ
大概死にまくる
今回は仙石並びに元親が戦線離脱するまで逃げるに逃げれない状況だよね
一番指示を出さなければならない仙石が真っ先に逃走し取り残された味方が混乱する状況で
もし殿軍の指揮を上手く采配し尚且つ生きて帰れたら軍神だよ。
取りこぼした島津が馬鹿になる。

関ヶ原は
島津義弘は助かったけど
島津の誰か討ち死にしてなかったか?
まあ関ヶ原の島津と比べるのはアレかと
長曽我部はマトモな具足をもってるものすら少ない

101:無名武将@お腹せっぷく
06/02/23 15:14:43
そういえば羽柴軍に従軍していた人の日記に
毛利軍は織田に比べ軍備率が悪いと書いてさらに四国軍はもっと整ってないとか書かれてたな
やはり中央と地方で差がでるのは仕方ないがこうも変わるとはとか言われてた

102:無名武将@お腹せっぷく
06/02/23 15:15:24
>>100
豊久のことかーーーー!!!!

103:無名武将@お腹せっぷく
06/02/23 15:19:23
うまい殿軍といえば吉川小早川とか秀吉が有名だな
元春がしっかりしてなかったら日本海に村上水軍があがれず月山富田が封鎖できなかった

104:無名武将@お腹せっぷく
06/02/23 15:24:22
>>98
島津厨は何かあるとすぐに関ケ原突破を引き合いにだすんだな

105:無名武将@お腹せっぷく
06/02/23 16:30:56
信親隊は殿りじゃないよ
仙石隊が先行して長曽我部隊と十河隊が後に続いていたが
仙石隊がいきなり潰走して島津軍が追って来た所で激突した
十河も長曽我部も奮戦して押し返したりしたが
長曽我部3千、十河1千に対して島津勢3万だから次第に討ち取られて潰滅した
その過程で信親隊は玉砕した
仙石隊2千を含めても6千足らずで島津の5分の1程度なのに
その3分の1の仙石隊2千が一戦もせず逃げたら手の施しようがない
そもそもどうやって戦うつもりだったのか仙石の正気を疑う
おまけに釣り野伏にまんまと掛かって不利な状況まで演出するとは…

106:中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
06/02/23 16:39:36
しかし不思議なのは信親が 殿を務める必要が本当にあったかのだな
単に功名心からの暴走か
権兵衛がそう仕向けたのか
あるいは長宗我部側は他に殿が出来るほどの 戦慣れした武将がいなかったかw

107:無名武将@お腹せっぷく
06/02/23 16:46:46
>>86
秀久の7男の家の更に分家の子孫だって
URLリンク(www.age.ne.jp)

108:無名武将@お腹せっぷく
06/02/23 17:30:24
>>106
だから殿じゃないって言ってるだろ
信親以下全員島津に突入したのに誰の殿するって言うんだ
それに戸次川の戦いは仙石隊が逃げ散ってから始まったのだよ

109:中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
06/02/23 17:48:07
リロードしてなかったのでなw
ゆるせwwwww

110:無名武将@お腹せっぷく
06/02/23 19:33:23
まあ、ともかく仙石の話ししよう





上記の話し以外俺は全く知らんがな
何したひと?

111:無名武将@お腹せっぷく
06/02/23 23:53:07
>>105
島津は16000だか17000くらいじゃなかったっけ。
てか、どっかでそう見た。

どっちにしろ無謀

112:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 00:02:03
信親が後を継いでいたら
長宗我部生き残ったかな?
三成と意気投合して
結局西軍につきそうな気はするが。

113:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 00:48:13
十河存保の最期の潔さを見て、その上>>99にも書いてあるような負けるのはわかっていたんだから
存保が仙石秀久の意見に賛成したとは思えない
それに秀吉と十河家(三好家)の関係は秀次の件もあり良好だったし些細なことでも軍功を挙げれば加増されるだろうし
そんな状況で負けるのが確実と言われてる意見に賛成するのは余程の愚将じゃないだろうか
状況証拠にすぎないがおそらく反対か、意見を出さなかったかのどっちかだろう

つーか土佐物語って長宗我部方の資料じゃないの?
同情を誘うためにそう記述したというのも十分有り得る
最も十河とは少し前まで敵同士だったんだから

114:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 01:11:15
仙石 秀久
1551年3月3日(天文20年1月26日)~1614年6月13日(慶長19年5月6日)
戦国時代、江戸時代の武将。もともとは「千石」と表記していた。
通称は権兵衛。治兵衛久盛の四男。子に仙石秀範、仙石忠政。

美濃出身で、清和源氏である土岐氏の支流を自称するが、正しくは不明。
羽柴秀吉に早くから仕え、秀吉が織田信長に命じられた中国征伐に従軍して
戦功を挙げ、淡路の国主に任じられた。信長死後、秀吉が覇権を握る過程に
おいて当時四国を支配していた長宗我部元親と対陣し、その功績により四国
征伐後、讃岐・聖通寺に十万石を与えられた。


115:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 01:12:55
しかし1586年(天正14)、秀吉の命により長宗我部元親や十河存保と共に
九州征伐の戦目付として渡海した際、秀久は功に焦って無謀な作戦を立てて
しまう。そしてこの作戦により行なわれた戸次川の戦いで島津家久率いる
島津軍に豊臣軍は大敗し、元親の嫡男・信親や十河存保といった有力武将の
多くが戦死してしまった。さらに秀久自らは諸将の軍を差し置いて四国へ
逃げ帰るという醜態を見せた。これらの行状に激怒した秀吉は、秀久の所領を
没収して、高野山へ追放した。

その後徳川家康のとりなしを経て、1590年(天正18)の小田原征伐の時には
陣借りという形で秀吉の軍に加わった。このとき秀久はきらびやかな鎧に鈴を
一面につけるという際立つ格好をして参加し、抜群の武功を挙げた。箱根にある
仙石原の地名は、彼の奮闘の地であったことを記念して付けられたものである。
この功績により、秀久は信濃・小諸に5万石を得て、大名として復帰した。
こうした経緯から秀吉死後は徳川氏の家臣となり、1600年(慶長5)の
関ケ原の戦いでも徳川方として従軍、秀忠とともに真田昌幸の守る上田城で
足止めを食い、関ヶ原本戦に遅参してしまう。秀久は秀忠の遅参について
激怒している家康への謝罪に努め、秀忠が将軍就任後、特に重用されるようになる。
そのため仙石氏は、明治維新まで家名を存続させることとなる。


116:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 01:14:01
ちなみに、戸次川の戦いで無謀な作戦を立てた最大の責任者でありながら、
真っ先に敵前逃亡した秀久は、後年の史料で『三国一の臆病者』と言われる
ほどに罵られている。また、伏見城にて石川五右衛門を捕縛したとの伝説が
ある(公の捕縛者は京都所司代であった前田玄以)。


117:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 01:24:21
>伏見城にて石川五右衛門を捕縛したとの伝説がある

これホントなのかねぇ・・
いずれにしろ個人武勇だけは大したものだったんだろうが
所詮は「槍働きの武者」どまりというイメージは覆せんなあ・・



118:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 01:46:40
そういう伝説が作られたという点が、秀吉にとって仙石秀久がそれなりに重要な
武将だと世間からも思われていたということでしょう。
そういった武功話に、加藤清正や福島正則でなく秀久をもってくるあたり。

119:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 05:18:27
>>112
>三成と意気投合して
しないだろ。何の根拠だ


とにかく、秀久は肝がちっちゃい猛将ってことでいいか?

120:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 06:28:04
家康だって頼朝だって戦で負けて逃げまくってるだろ
負け戦で命をかけるなど愚将の証拠
賢い武将は命を大切にするもんだ
三成もこれと同じようなこと言ってる

負け戦で命を懸けることを美談みたいに考えてる厨房はシネヨ

121:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 06:57:00
頼朝も家康も戦わず逃げた事は一度もない
まして仙石はただの軍監
諸将が間違った行動しないように監視するのが仕事なのに
軍監自身が功に焦り無謀な戦いを仕掛け
ましてや友軍を捨てて我先に逃げ去るなど言語道断
一体何の弁明の余地があろうか?

122:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 08:15:33

敗戦の責任を取り改易を受け入れた潔い仙石
その後、戦で活躍し自力で大名に返り咲いた仙石

無能ではこんなことできないよな。





123:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 08:52:24
いや、秀吉が激怒して領地を全て取り上げて高野山に追放しただけだから
あれだけの失態晒して追放で済んだのは運がいい

124:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 08:55:36
>>122
改易を受け入れるも何も、強制的に没収されるんだから
抵抗したらその時点で反乱だろ。
改易ってのはそういうもんだ。なに意味不明のこといってんだ?

125:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 08:59:37
勝ち組:仙石、山内

負け組:チョンそかべw

126:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 10:49:01
こいつは立ち回りと町の開発がうまかったから多分現代に生まれてもどうにか暮らせそう

127:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 11:11:48
>>125
本家筋は後に改易されて分家筋が2~3万石の小大名で残っただけだから
チョンゴクは完全な勝ち組とは言えない

128:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 12:04:11
こんな並以下の木っ端武者の何話せばいいんだよ
豊臣家臣なら他にマシなのいくらでもいるだろ

129:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 12:08:53
なら無理に来るな
どうせ長宗我部厨のストレス解消の為のスレなんだから

130:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 12:38:45
アンチ長曽我部も来るなよw
仙石スレなのに仙石の話ししないで必死に長曽我部に食いついてる馬鹿が一人いるw

131:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 12:53:05
大名として生き残れば十分勝ち組だろ

長宗我部は惨めな最後で同情してしまうw

132:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 13:04:13
wを使う奴って痛いよな

133:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 13:22:00
結果的に徳川家以外は
全て負け組だろう

仙石は確かに生き残れたが
生き恥を現代にまで晒す事となっている

滅べば糞の扱いは良くない


134:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 13:24:55
ファンスレが読めないチョンが一人いるな

135:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 15:08:38
久秀が
自分で噂を吹聴したとも考えられる

槍働きでのし上がるタイプには見えない



136:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 15:14:21
久秀はイケメン
秀久は神速逃亡

137:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 16:54:01
久秀と秀久は逆になっただけでえらい違いだなw

138:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 17:31:47
三匹が切る!!の
仙石はなかなかよかった
まったくの別人だが

139:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 20:25:37
苛烈に死ぬ事より、苛烈に生きる事の方が遥かに難しい(たしか蒼天の言葉だった気が・・)。
それを戦国の世で実行して、完遂した仙石は十分凄いと思うよ。
まぁ苛烈に死ぬ事ができれば、世の同情と賞賛を得られるメリットがあるがな。
滅びの美学を好む人は前者の方がいいんだろうね。

140:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 20:45:53
いや、苛烈に生きてないし


141:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 20:50:33
秀吉の下で各地で転戦→十万石の大名へと出世→戸次川で大失態→改易→小田原参戦→大名復帰
これだけでも十分苛烈な人生だよ。

142:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 20:55:16
かれつ 0 【▼苛烈】(名・形動)[文]ナリきびしくはげしい・こと(さま)。
「攻撃は―をきわめた」

つまり戦国の世で浮き沈みが烈しい人世な仙石は十分凄いと思うよ
ですか。そうですか

143:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 20:57:18
波瀾の人生ではあるけど
その人生に苛烈さはないよ
普段は案外有能なのに
ここぞと言う時に保身に走ってしまうから5万石程度に収まってしまったのだよ
秀吉や家康でさえ、ここが正念場だと思えば死力を尽くして突き進んだ

144:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 20:59:20
ぼくも苛烈な人生だとはいえないとおもうなー

仙石さんが苛烈なら、苛烈な人ばっかでしょー、戦国

145:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 21:03:14
長宗我部よりマシなのは間違いない
長宗我部酷すぎるw

146:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 21:13:48
無理矢理長曽我部に話し振ろうと必死だなw

147:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 21:16:35
誰も仙石の詳細を語れない件について

148:紋野郎 ◆VYJqzu6hsI
06/02/24 21:16:44
私は苛烈に一票。彼はそんな能力がないのに色々チャレンジしてますから。要は頭がキレない、鈍重な考えしか
できない人だったのでしょう。でも目立ちたがり、偉ぶりたい。今の社会にもいますよね。『なんでこんなの出来ないの?』みたいな。でもこういう単純な人は皆から愛される

149:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 21:28:50
切腹ものの大失敗して、5万石大名に復活なら十分見事。
正念場だと思えば死力を尽くして突き進んだ←小田原でそれを実行してる。

150:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 21:31:48
保身に関しては狡猾だけどな
秀吉に一兵卒から大名にまで取り立ててもらったわけだが
例の改易を根に持ってたのか知らんが家康べったりになって
何の躊躇もなく従っていた
他の譜代や子飼い武将は後ろめたさを拭いきれず
大坂城にこっそり兵を入れたりして豊臣家の滅亡だけは阻止しようとしたが
コイツは全く何もしてない
自分がよければそれでいい!
とある意味単純と言えなくもないが

151:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 21:34:48
小田原は決死で挑むような戦場なかったし…
圧倒的有利な戦だったからな

152:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 21:37:30
他の譜代や子飼い武将は後ろめたさを拭いきれず大坂城にこっそり兵を入れたりして豊臣家の滅亡だけは阻止しようとしたが←こっちもどうかと思うが・・。
自分がよければそれでいい←ほとんどの大名はそうだ。まず自分の家を守ることが大事。あと、仙石は元はといえば、信長の家臣で秀吉の与力だろ?福島や加藤とは立場も違う。

153:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 21:40:08
正則みたいに江戸城から家臣に大坂に入れ!とか手紙だしたら
仙石なら死ぬぞ、まず

154:紋野郎 ◆VYJqzu6hsI
06/02/24 21:40:16
仙石秀久、おもしろい人ですな。

155:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 21:43:05
圧倒的有利な戦だろうが、当の本人にとっては正念場だろ。それに各地で小規模ながらの戦いはあったし、それを見つけて自己アピールし、少ないチャンスをモノにしたということだろ。


156:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 21:45:13
与力なんてたいそうな者じゃない
信長から預けられた数千の兵に混ざってた一人ってだけ
出自も定かではない

157:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 21:47:27
それでも加藤や福島とは立場が違うと思うが・・。そこまで付き合う義理はないだろ。

158:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 21:50:39
一応土岐源氏の支流を自称してるわけだし、正則や清正のような農民出身と違って守る家はあっただろ

159:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 21:53:46
加藤や福島より前から秀吉に従ってたけどな

160:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 22:06:03
仙石は猪武者じゃないよ
主に軍監や調略を担当していたからね
逆に頭がまわりすぎるから不利になると必要以上に恐怖して逃げてしまうんだよ
性格が多少軽薄な所があるけど決して無能ではない
いかにも参謀タイプの人物
源田や辻なんかと似通った雰囲気がある

161:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 22:34:46
ヤンマガでやってる漫画も主役は堀尾茂助にすればよかったのにな
浪人から身を興し信長に気に入られて仕官し
秀吉が是非貰い受けたいと信長に乞い、秀吉の臣下になる
篤実にて剛勇、戦も巧みで個人の武勇伝も数知れず
人柄も優れて秀吉の信頼を受け中老職まで出世した
正にあの漫画のコンセプトにぴったりだと思うのだが

162:無名武将@お腹せっぷく
06/02/24 22:36:50
素晴らしそうな人物だな
URLリンク(www.medical-resort.com)

163:紋野郎 ◆VYJqzu6hsI
06/02/25 00:53:12
わかります。キレる人とキレない人は紙一重です。出頭ね。出来る人もなんでこんなのわからないの?みたいなのありますからね。


164:無名武将@お腹せっぷく
06/02/25 02:39:49
たしかに堀尾はいいチョイスかもしれん。
まぁオチは息子忠氏は一豊に意見盗まれ、忠晴死後は宗家断絶。三代しかもたなかった。


165:無名武将@お腹せっぷく
06/02/25 02:47:24
逸話の多い家ではあるね

166:無名武将@お腹せっぷく
06/02/25 02:59:40
長宗我部寄りの史料である「元親記」でさえ秀久についてそれほど酷いことを書いてないのに、
現代人はどうしてそこまで秀久を酷評するのだろうか?
あと、小田原征伐のとき鎧に鈴付けて戦ったなんていうのは三流史料に出てくる話なので論外。
戦功立てる前から目立ってどうすんの?
前田利家帰参時の逸話と比較すりゃいかに馬鹿馬鹿しい話かすぐ分かる。
まぁ、豊後陣のとき遠くへ逃げすぎなのは否定しないけどね。

167:無名武将@お腹せっぷく
06/02/25 03:24:02
現代の仙石酷評はやっぱ司馬の「夏草の賦」が原因でしょ。
これでもかいうぐらい仙石を最低な人物に描かれてる。つーか仙石嫌いの大半はみんなこれ読んでるんじゃないの?
「夏草の賦」が出る前は仙石は今みたいに酷評される人物じゃんかったんだよね。
人気歴史小説家に嫌われたことが、コイツの不幸だな。

168:無名武将@お腹せっぷく
06/02/25 07:41:00
戦前は五右衛門捕縛の講談が映画にもなってた程だしな
秀吉賛美の風潮も相まって忠勇無双の豪傑として持ち上げられていたと

一方、当時の(今もか)長宗我部は地元においても竜馬、山内家に比べてマイナーな存在
その家が滅亡の原因となった戦と人物に対して高知県民すら関心無かったと




169:無名武将@お腹せっぷく
06/02/25 13:14:34
仙石は才子肌の人物だよ
戦じゃあまり活躍してない
諜報や工作で重宝されてた人物だからね
だから世渡りも上手いし
なぜか単細胞な猪武者的なイメージになってるが
結構頭が切れる参謀タイプなんだよ
領国も淡路国
大坂城の海側の重要な防衛拠点だから槍働きの武者など置かない

170:無名武将@お腹せっぷく
06/02/25 14:00:20
戸次川の戦いも、島津軍に包囲されている大友方の城を救おう、というのが前提だからなぁ。
これを踏まえると、不利と分かっていても味方の危機を見過ごせなかったので戦った、と
マンガではなりそうだ。

171:無名武将@お腹せっぷく
06/02/26 03:30:53
実際戦略はまずくない
鶴賀城を落とされれば府内が直接攻撃に曝されるし
大友方も連戦連敗で士気があがらない状態だったから
救援断って府内に篭っても持ちこたえられるか疑問
そこまでは良かったのだが戦術がまずい
敵は大軍だし渡河して囲まれれば背水で死地に追いやられる
むしろ島津軍が渡るのを待って迎撃すべきと軍議では出たわけだが
仙石が独断で渡河を開始したから諸将とも引きずられて島津の策に落ちるハメに
しかも戦わず潰走したのが益々悪印象を強くした
何故かこの時は激しく気が動転したようだ

172:無名武将@お腹せっぷく
06/02/26 07:45:40
小田原後に帰参して朝鮮征伐では肥前名護屋の築城で才能発揮
我先にと朝鮮渡航に志願しそうなイメージだけどな
小諸での治世もまずまずだし実は能吏の人か

173:無名武将@お腹せっぷく
06/02/26 12:31:56
小諸城もなかなか立派な城だよ
四国制圧後、瀬戸内海側は小早川隆景、蜂須賀家政、仙石秀久などが配置されている
いずれも知略に富んだ武将であり統治も上手くいっていた
それに若い時から城代や拠点防衛に仙石の名前がよく出ている
戦では特別輝かしい戦績はないが知略の面で買われて信頼されていたようだ

174:無名武将@お腹せっぷく
06/02/27 08:18:53
ここは漫画を基準に仙石語るスレ?
こいつはなんとでも言えるし
他の武将よりこじつけで通るから漫画にしたんだろう
あと元親公記で酷評されてないのは
普通に上方への配慮

秀吉に,家康に,都合悪い事を書けなかった
他のものと同じ

175:無名武将@お腹せっぷく
06/02/27 10:41:55
加藤、福島みたいに武名があるわけじゃないし
五万石程度の小身だし、残しておいても大した脅威がないから潰されなかっただけだろ。
もっとも後に家中内訌を起こして3万石に減封されてるけどなw

176:無名武将@お腹せっぷく
06/02/27 11:06:25
というか豊臣譜代だし秀吉お気に入りだったから
秀吉もいずれ復帰させるつもりだったと思う
家康、秀忠にもかなり売り込んでたし
かなり早い時期から家康側として動いてたから徳川幕府でも悪い扱いではなかった
藤堂の小さい版みたいな人物だね
仙石はもっと政治力を評価されてもいいと思う

177:無名武将@お腹せっぷく
06/02/27 11:34:12
立ち回りと政治は評価すべき
魅力とかのパラメーターがあったなら下げてもいいけど

178:無名武将@お腹せっぷく
06/02/27 11:37:39
>>176
権力者に媚びる能力は政治力とは言わない。
城作りの名人と言われた藤堂と一緒にするなよ。
こいつに媚びる以外の何の能力があったんだ?
あるっていうなら具体的に挙げてくれよ。
大体、秀吉の子飼いといいながらも、豊臣政権下では5万石程度の小大名、
早い段階で徳川方についたから悪い扱いじゃない、といいつつ徳川政権下でも
やはり5万石の小大名。
結局その程度の評価が妥当な人間だったんだろ。

179:無名武将@お腹せっぷく
06/02/27 11:46:47
司馬史観の影響力も功罪半ばだな。
司馬があそこまで悪し様に仙石を描かなかったら
ここまで嫌われることもなく、地味な存在だっただろうに。
司馬の仙石像を実在の仙石と混同してる香具師が大杉。

180:無名武将@お腹せっぷく
06/02/27 12:19:11
>>178
いや、藤堂を「小さく」したような人物だって
仙石は大将として出陣した事はあまりないが
主に軍監と前線での軍用路整備や陣地の設置などをやっている
だからそう言った知識はあったのではないかな
小諸城も小城ながら出来は良いよ
淡路や讃岐あたりの戦後処理も混乱なく遂行してるし
領国経営も革新的な事はないが無難に治めている
戦はお世辞にも上手い方ではないが政治向きの事は地味にこなしているよ

181:無名武将@お腹せっぷく
06/02/27 12:26:38
脇坂も仙石と似たような境遇だね
小牧長久手で失態演じて危うく秀吉に詰め腹切らされる所だったけど
十数騎で郡山城(?落として許されて
小禄ながらも大名になって関ヶ原では徳川について5万石
徳川に上手くとりいって譜代待遇になった
奉行などもやっている

182:無名武将@お腹せっぷく
06/02/27 12:28:15
司馬の小説を
歴史好きが全員読んでるのかというと
そうでもないから

むしろ司馬の小説がなければ
山賊みたいな出で立ちの長曽我部軍に負けるわ
九州制覇まであとわずかだった島津に
無策で猪みたいに突っ込んで自爆するわで
カス武将という印象だけで誰も興味もたなかったかと
漫画にすらならないかも

183:無名武将@お腹せっぷく
06/02/27 12:43:24
猪武者扱いされてる割には目立った軍功はないんだよな。
中国攻め、山崎の合戦、賤ヶ岳の戦い、朝鮮出兵、関ヶ原・・・
ことごとく目立った働きはしてない。

184:無名武将@お腹せっぷく
06/02/27 13:01:29
山崎の首とった

185:無名武将@お腹せっぷく
06/02/27 15:13:32
あれって漫画の中の話じゃないの?

186:無名武将@お腹せっぷく
06/02/27 16:19:09
山崎なんて浅井家の記録にはいないが
漫画には仙石家の家譜に書いてあるような事描いてあったがどうなんだろ
仮に実在しても身分の低い者なのは間違いない

187:無名武将@お腹せっぷく
06/02/27 17:46:55
センゴクの山崎は全体の戦略を決定しなおかつ1人で戦況を覆すほどの武勇を持ってたからな
もしそんなやつがいたら歴史にもっと大きく名を残してるはずww
まぁ討ち取った相手の名前を残したぐらいだから雑兵ではなかったんだろうが

188:無名武将@お腹せっぷく
06/02/27 18:05:38
まあ、あれは漫画だから作者の創作で書いただけでしょ
恐らく家譜には「山崎と言う者を討ち取った」って内容が簡潔に書いてあるだけだと思う
浅井の家士ではないから近江辺りの土豪か野伏せりの頭とか
そう言った人物ではないかと思う(実在なら

189:無名武将@お腹せっぷく
06/02/27 18:52:23
そこまでの武将なら真柄みたいに記録に残ってるだろうしな。

190:無名武将@お腹せっぷく
06/02/27 20:33:39
>174
>あと元親公記で酷評されてないのは
>普通に上方への配慮

「元親記」は寛永八年に書かれた代物だが…。

191:無名武将@お腹せっぷく
06/02/28 02:34:10
戦国の評価はオレ的にも高くはないが、酷評するほどひどくはないとも思う。
戸次川の時の逃げっぷりを除いては。

だいたい、ゴマすりで出世したという評価はさすがにひどい。
じゃあなにか?ゴマすりだけで管理職に昇進できるのか、と。
そりゃ、ゴマすりがきっかけで昇進したような上司も世の中にはいるだろうけど、
そんな奴だって、その上役が「つかいどころとつかいようによっては(便利に)つかえる」と判断しなきゃ、
いくらゴマをすっても引き立てられない。
昇進する奴には相応に持ち味があり、
昇進とは、それが首脳部に(それが正当な評価かは別として)アピールされたということだ。
いくらゴマをすったところで、勝手に昇進できるわけじゃない。上の人間があってのことだ。
現代社会でも(過ぎたるは及ばざるが如し、だが)自己アピール能力はビジネススキルとして必須といえよう。
自己アピールのアプローチがゴマすりしかない、というのでは、さすがにあまり美しくないが。

大名としての事績を見れば、仙石は及第点を与えてもいいんじゃないか、とおもう。
(オレ個人としては好きなキャラではないが、それは別として、だ。)

戦歴をみても、対長宗我部、対島津戦ではお粗末の限りだが、
それとて結局はそれで大勢が決するほど重大な局面ではなかったし、
(所詮は緒戦の局地戦でド派手に負けたに過ぎない)
他の戦場ではまずまず無難に任務をこなしてはいる。
逃げっぷりや負けっぷりだけを見ても、「劉備よりましジャン」という気はする。

192:無名武将@お腹せっぷく
06/02/28 03:45:25
最後に劉備をひきあいに出さなければうまくまとまってたのに

193:無名武将@お腹せっぷく
06/02/28 09:30:24
長宗我部は讃岐の神社を焼き払ったら天罰が下ったわけだが

194:無名武将@お腹せっぷく
06/02/28 09:32:07
秀吉と戦った時、長宗我部の武将たちが 自分たちのあまりの弱さに驚いた事実

仙石のせいではなく長宗我部の兵が弱かったから長男が死んだんだろw

195:無名武将@お腹せっぷく
06/02/28 09:35:45
秦の始皇帝の血を引く渡来氏族、秦氏の子孫を自称しているチョンソカベw


196:無名武将@お腹せっぷく
06/02/28 09:46:33
>>191
上司の立場から見たら、有能でも野心がある奴よりは
凡庸で毒にも薬にもならんが、野心は無いって奴のほうが
使いやすい場合もあるよ。

197:無名武将@お腹せっぷく
06/02/28 10:02:31
仙石はチョンソカベ勢のやる気のなさにビックリしていたらしい
そこで一計を考えた、渡河しちゃえば背水の陣で戦意の低い四国チョンソカベ勢も 本気になると思ったのだ

大友は総崩れでアテになんなかったし
ほっとくと島津に豊後攻略されるっぽいし

仙石の苦肉の策を叩く厨房どもシニナサイ


198:無名武将@お腹せっぷく
06/02/28 10:10:30
でもチョンゴクさんも洲本まで逃げたのはマズイと思います。
なぜせめて毛利領にとどまる、ぐらいのことができなかったのか・・・
えらいビビリですね、チョンゴクさんは。

199:無名武将@お腹せっぷく
06/02/28 10:21:35
秀吉は仙石に何度も書状を送って
本隊の着くまでは堅く守りを固めて陣地や軍用路の整備をしろと書き送っているんだよ
もし長曽我部や十河が功を焦って自儘に攻撃しかけるような事があれば
元親と言えども斬れと厳重に攻撃を控えるように申し付けている
それが仙石自身が勝手に攻撃しかけて大敗
鶴賀城救援どころか府内も失って
本隊が到着する僅かな間すら豊後を維持できなかった
この不始末じゃ秀吉が激怒するのも無理もない

200:無名武将@お腹せっぷく
06/02/28 10:43:17
信親が死んだくらいでおかしくなる元親に戦国大名の資格はない
戦国時代なのだから、親や兄弟や子が戦で死ぬのは当然ありえることだ
他の戦国大名だって親兄弟子を戦で亡くしてるぞ、それでもちゃんと生きているではないか

元親は本当に情けない男だ


201:無名武将@お腹せっぷく
06/02/28 11:04:03
>>198

>えらいビビリですね、チョンゴクさんは。

当時の人も同じ感想を抱いた。
だから「三国一の臆病者」というありがたい異名が付いたわけだw


202:無名武将@お腹せっぷく
06/02/28 11:19:39
秀吉の美濃までの主な家臣
竹中、蜂須賀、前野、浅野、仙石←雑魚すぎw

203:無名武将@お腹せっぷく
06/02/28 12:07:15
四国征伐で羽柴秀長や黒田官兵衛が元親の戦略戦術をみて
よくこの程度で四国を切り取れたと嘲笑ったが
仙石の立場は…

204:無名武将@お腹せっぷく
06/02/28 12:52:51
>>200
戦国だからあたりまえとかって解釈は
現代人ならではの考えかたで
当時の人間もそう思ってたかなんてのは勝手な想像でしかない。

つか差し引いても
元親の心情ぐらいちゃんと考えてから語ろうや
そもそも土佐みたいな僻地からはい上がり
四国制覇まであと少しだった大名と
成り上がりの仙石じゃ比べ物にもならないんだがな

まず死にかたに問題がある
自分よか格下の武将に従い死ぬ羽目になったわけ
例え戦国でもそれを平然としていられる親はいないんじゃ

数においても無謀
戦略も仙石が強行した糞戦略
今から犬死にしますに匹敵する内容

こんなんで嫡男死ねばそりゃあ落ち込むんでない
ついでに同時期に正室も死んだしね


205:無名武将@お腹せっぷく
06/02/28 12:55:42
落ち込んでる暇はないと表面上だけでもふきっれなかったんだから大名としてはその程度の器

206:無名武将@お腹せっぷく
06/02/28 13:07:55
日向だっけ
長曽我部はこの戦で功績は無いのに
島津の領土国を与られる褒美がでた

あと嫡男信親死んだ報告を聞いた秀吉が
即,土佐に藤堂高虎ともう一人誰だったかを派遣して
次男に所領安堵の約束とりつけてるな

死ぬのが当たり前という戦国にしてはなかなか
寛大な配慮されてる


207:無名武将@お腹せっぷく
06/02/28 13:17:12
>>205
なんでそんな厳しいの?ww
息子が死んで
ふっきれてないのは
信長の命で信康切腹させた家康や
義信を幽閉し死に追い込んだ信玄も同じでないかな

長曽我部は領土も取られ
嫡男もなくし
嫁も死に
がいっぺんにきたから
狂いたくもなる(´・ω・`)

208:無名武将@お腹せっぷく
06/02/28 14:29:33

後継者の優秀な長男が死んだんだから、長曽我部家のこれからについて
余計にがんばらなくてはいけない立場なのに元親ときたら・・・・
すべてを放棄し、部下を殺したり、無理やり4男を跡目にしたり暴走の連続
こいつがしっかりしていれば長曽我部はあんなに落ちぶれずにすんだと思うんだけどね
息子の死が悲しいのはわかるが、もっと家のことも考えろよw
やはり元親は大名失格だな


209:無名武将@お腹せっぷく
06/02/28 15:09:30
亡き正室の子,盛親を
跡目にしたかっただけだろ
家督争いになる前に
火消ししたともとれるが



210:無名武将@お腹せっぷく
06/03/01 00:57:22
織田有楽斎は
本能寺の変が起きた時に助かったせいで
京童から「織田の源五は人ではないよ お腹召させておいて 
われは安土へ逃げる源五 むつき二日に大水出て 織田の原なる名を流す」
と超馬鹿にされている。
現代人なら、逃げて当然と思うだろうけど
当時は武士だけじゃなしに大衆ですらこんな感じ。

逃げる時に仙石が軍監の権限でも巧みに使って
俺が逃げきるまで死守せよ、とでも両隊に無理な命令でも言ったんじゃない?
まぁ指揮する人間が逃げるわ、目の前に敵は10倍以上いるわ、包囲されかかってるわで大混乱。
逃げ切れないと判断し、潔く戦って死ぬのを両将は選んだのかと。
逃走しても相手は島津家久だから
逃げ切るのすら難しいと容易に判断できる。

コイツは沖田畷の戦いとかいうので4倍以上の龍造寺軍に勝ち
尚且つ総大将の隆信まで討った猛将だし。


211:無名武将@お腹せっぷく
06/03/01 16:06:24
長益が「織田の源五は人ではないよ」とまで言われてるのは
信忠に「もはやこれまで、御自害を」と腹を切らせておいて
さらに家臣達に「部屋の周りに積む柴を用意せよ。火を掛けてワシも腹を切る」と
命令して家臣達が準備してる隙に自分だけ脱出する、
という最低の行為をしたらから馬鹿にされてるんだよ。
単に逃げたからじゃない。

212:無名武将@お腹せっぷく
06/03/04 12:59:36
仙石
・自分の立案した作戦で秀吉の厳命を無視し戦をしかける
・尚且つ命令も出さずに単独逃走
・残された隊はほぼ全滅

・戦線から大きく離脱


充分カスかと。

213:無名武将@お腹せっぷく
06/03/04 14:39:45
カスはチョンボであぼーんのチョンソカベ

仙石は自力で大名に返り咲き、幕末まで続いた勝ち組

214:無名武将@お腹せっぷく
06/03/06 03:05:36
四国征伐でも九州征伐でも豊臣軍が圧勝したが
なぜか仙石だけ惨敗してるのが笑える
乃木大将みたいだな

215:無名武将@お腹せっぷく
06/03/06 13:10:28
官兵衛、秀長や子飼いの連中が来てからじゃ手柄全部持ってかれるから焦ったんだろ
他の武将と一緒だと目立った事全く無いからな

216:無名武将@お腹せっぷく
06/03/06 13:43:57
秀長、宮部>>島津>>>>>>>長宗我部>>仙石

217:無名武将@お腹せっぷく
06/03/06 13:53:09
秀長「こんな手に誰がかかるんだよwww」
元親、義久「(´・ω・`)」
仙石「…」

まんまとハマってます

218:無名武将@お腹せっぷく
06/03/08 03:14:58
四国・九州での仙石の大失態は、戦国史を通してみても、類を見ないひどいものだ。
だが、だからこそ、
その後の返り咲きは、「只者ではない」といえる。

だってそうだろ?
現代でも言えることだが、仕事であれだけの失敗をしておいて、いったんは左遷されながら、
それでもなお、同じ職場で、同じ上司の下で返り咲けるか?
普通は考えられない復活劇だ。
それが仮に不正な手段だとしても、できるか?

仙石を三国一の臆病者と評するのは簡単だ。厨房にだってできるよ。
だが、どうせなら、それがなぜ返り咲くことができたかのプロセスを解析してみれば、
「ただのゴマすり」という単純な紋切り型評価で片付けるよりも、よっぽど中身のある話が成り立つと思うのだが。

と、問題提議だけはしてみる。

(・・・
一時は、淡路とはいえ、一国を任されていたのだから、
秀吉家臣団の中でも、かなり序列は高かったといえるのではないか
(その時点での蜂須賀あたりと比較してみればわかりやすいかも)
あるいは、一連の大失態さえなければ、大大名の仲間入りを果たしていた可能性も・・・ないか?)

219:無名武将@お腹せっぷく
06/03/08 12:25:09
中老や奉行で10万石ちょっとだから
それを上回る事はない
加藤や福島みたいに一門で手柄立てても20万石程度なのに
戦の手柄もなく豊臣家の政務を取り仕切る立場でもない仙石が
大封得る道理なんてないだろ

220:無名武将@お腹せっぷく
06/03/09 20:24:44
>>93
遅レス。 絵上手いか?ある程度の区域分けはされてるが、顔がみんな同じに見えるんだが。


221:無名武将@お腹せっぷく
06/03/09 20:37:35
秀吉は元々の子飼いや与力にはそこまで領地与えてないような
秀吉時代に大大名になったのは元同僚や所領安堵した大名ぐらいじゃないか

222:無名武将@お腹せっぷく
06/03/15 22:16:40
ここで仙石の事を擁護しているのは漫画読んでる奴か?
痛すぎるぞ

223:無名武将@お腹せっぷく
06/03/15 22:35:57
ファンスレなんだからいいだろw
むしろ落ちぶれた責任を仙石に押し付けてるチョンの方が痛いよ
長男死んだが、その後きちんと対処してれば生き残れたはずだよ
言いがかりはやめてほしいね。

224:無名武将@お腹せっぷく
06/03/16 03:53:36
誰一人そんな事言ってないぞ
何故か必死に長曽我部叩いてるアホがいるだけで

225:無名武将@お腹せっぷく
06/03/16 13:10:10
センゴクつまんねえ
戦国と仙石かけたいだけでカスチキン池沼の仙石秀久なんか主人公にするなよww
こいつは必死で権力者におべっか使っただけで物語にできるような人物じゃないだろ
作者馬鹿じゃねえの?ww


226:無名武将@お腹せっぷく
06/03/16 18:45:39
あくまで漫画ですから
史実は全く無視の展開になってきたけど
漫画としては結構面白いと思う
時代物ファンタジーと思えばいい

227:無名武将@お腹せっぷく
06/03/16 19:24:17
>>225
マイナー人物を有名にさせる自分に陶酔してるんだろ
あえて難しい主人公で自分の首締めてるようにしか見えんが。

まあファンタジーとしてなら面白いか

228:無名武将@お腹せっぷく
06/03/16 19:32:46
へうげものを馬鹿にするやつは許さん!

229:無名武将@お腹せっぷく
06/03/16 19:45:44
作者もよく調べないで描き始めたんだと思う
どんどん苦しくなってきてファンタジーに走るしかなくなるな
恋愛物とかw

230:無名武将@お腹せっぷく
06/03/16 21:09:33
むしろあの漫画は仙石以外の登場人物が面白いわけだがw

231:無名武将@お腹せっぷく
06/03/16 21:16:12
『センゴク』って題名だから仙石が主役とは限らない
途中から主役すり替えれば長持ちするかもねw

232:HG名無しさん
06/03/17 00:56:39
今更だがスレタイが笑える。本当にファンスレなのか?

233:無名武将@お腹せっぷく
06/03/17 01:29:32
長宗我部ファンなどの仙石嫌いを引き込んじゃうからな、コイツ。

234:無名武将@お腹せっぷく
06/03/17 03:11:31
島津義弘って最近ゲームで露出が増えてきたけど漫画にはなってないよな
島津が中々取り上げられないのはチョンの圧力とか言われてるがどうなんだろう。

235:無名武将@お腹せっぷく
06/03/17 03:14:32
長曽我部や島津の話しはよそでやってください

236:無名武将@お腹せっぷく
06/03/17 03:32:31
叩く隙の少ない成功者を主人公にするのは簡単だよ。
オレは、物書き志望の立場として、
あえて「ちょっと知ってる歴史オタには叩かれやすい」仙石が主人公だと初めて知ったときに、
作品の質はともかくとして、やられた!と思ったね。
あの筋の漫画を、たとえば、信長なり、秀吉なり、半兵衛なり、オリジナルキャラクターなりの立場で書いたところで、
新鮮味はない。よくある歴史漫画のひとつに過ぎないだろう。
だが、あの仙石秀久が主人公だときけば、つかみのインパクトはなかなかのものではないか。
(そこから先の作品の良し悪しはまた別の話だが)
決して古典的正統派主人公ではありえない人物を持ってきて
それなりにテーマを持った話を成立させていたことは
まあ評価に値すると思う。

まあ、誇大評価というか脚色は、大有りじゃないの?あの何とかという侍大将とかの。
あくまで娯楽フィクションであって、歴史ドキュメントやルポタージュじゃないんだから。
ヤンマガは娯楽漫画雑誌であって、学会誌ではなく、学習漫画雑誌ですらないんだから。

237:無名武将@お腹せっぷく
06/03/17 08:37:34
わざわざ長文で擁護しなくてもヤンマガでは普通に売れてるほうだから

238:無名武将@お腹せっぷく
06/03/17 12:35:45
でも実名で描くのはちとマズイよな
実在の人物で史実と違う方向にいくと『捏造』とか『嘘』になってしまう
万石権太郎とかにすりゃよかったのに

239:無名武将@お腹せっぷく
06/03/17 12:54:39
あまり秀吉との関係を親密にしすぎると後半描くのに苦労しそうだな

240:無名武将@お腹せっぷく
06/03/17 16:52:58
>>238
※この漫画はフィクションです

241:無名武将@お腹せっぷく
06/03/17 19:35:34
むしろ後半まで続けるのを考慮して秀吉と親密にしてるんだと思ったが。
どうみてもありゃ伏線じゃないか

242:無名武将@お腹せっぷく
06/03/17 21:59:12
家康の執り成しで帰参を許されて以来
家康べったりで豊臣なんて何の苦心もなく見捨てたから
むしろ家康と親密にしておくべきだなw
ちょうど三方ヶ原だから、家康を助けて大活躍
それで家康に気に入られて友情が芽生えるとかにしちゃえばいいかとw

243:無名武将@お腹せっぷく
06/03/18 00:05:06
それと三成との仲を悪くしとけばいい
そうすりゃ、バカだから三成に付くよりも
家康に付いた方が豊臣家の為になると思ったって風に持っていける

244:無名武将@お腹せっぷく
06/03/18 00:15:06
保守的で堅実というのが一般的なイメージの家康が
ああいう博打うちな性格設定されているのも珍しい

245:無名武将@お腹せっぷく
06/03/18 04:55:27
家康は年取ってから狸になったって言われてるが
あの家康が狸になる姿が想像できない

246:無名武将@お腹せっぷく
06/03/18 11:44:23
若い頃は勝負師だったよ
三方ヶ原でも家臣が諌めるのを振り切って決戦を独断で決めたし
それでも諌める家臣がいたが、普段家臣を怒鳴るなんて一度もなかった家康が痛烈に面罵している
浜松を捨てるぐらいなら武門を捨てる、とまで言い放って勝負にでた
織田の加勢の戦では常に一番強い敵に当たり
信長の信頼を得る為にいつも際どい戦いをしていた

247:無名武将@お腹せっぷく
06/03/18 12:22:15
家康が信長についてどう思ってたかの史料って残ってないんだよな

248:無名武将@お腹せっぷく
06/03/19 22:58:59
信長は次第に暴君になっていくんだよ。それで光秀は絶望し、本能寺の変を起こす。
そしてその後天下を得た秀吉も次第に心を病み、秀長が死んだのを機にダークサイドに落ちる。
こうしてかつて尊敬していた人物の晩節に幻滅したセンゴクは家康に傾倒するようになる、と。

249:無名武将@お腹せっぷく
06/03/20 01:05:09
漫画のセンゴクはフロイスの日本史を資料としてよく使ってるので
長宗我部元親は狡猾な悪人として描かれそう。

250:無名武将@お腹せっぷく
06/03/20 09:57:08
漫画の仙石は漫画家本人が漫画として面白いと思う人物設定にしてるだけじゃね
(読んでる人間が面白いと感じるかどうかは別として)

251:無名武将@お腹せっぷく
06/03/21 00:05:31
そりゃさリアリティが有りすぎて
主役が小狡いお調子者じゃ誰も読まないよ

252:無名武将@お腹せっぷく
06/03/21 00:56:34
小太りでお調子者でソバ好きで
どっからか鐘(安珍・清姫)を拾って来たり
忍者だったり、忍び出身の盗賊捕らえたりするのが
漫画とは別の俺個人のイメージ

253:無名武将@お腹せっぷく
06/03/23 15:14:24
斉藤家出身のはずの堀が織田家直参のような書かれ方をしているのが

254:無名武将@お腹せっぷく
06/03/25 17:04:29
本願寺顕如と豊臣秀吉はいいキャラだよな。
家康は奇をてらいすぎて失敗してる印象だが。
信長と信玄は比較的ステレオタイプなキャラだな。

255:無名武将@お腹せっぷく
06/03/27 23:00:53
逃げるのは信長からの教え、大将みずから撤退しても再建可能だかね
殿は自滅覚悟だよ

256:無名武将@お腹せっぷく
06/03/28 18:52:57
信長は戦略的意図があって撤退する事は度々あったが
戦闘で逃げた事などない

257:無名武将@お腹せっぷく
06/03/30 21:41:13
信長は大将
仙石は部将

258:無名武将@お腹せっぷく
06/04/03 20:36:03
仙石無双進出オメ

259:無名武将@お腹せっぷく
06/04/04 01:14:14
まじでか

260:無名武将@お腹せっぷく
06/04/04 01:29:40
やっぱり弭槍使ってたりすんの?

261:無名武将@お腹せっぷく
06/04/04 03:19:46
漫画ワロスw
完全に史実無視の展開になってきた
細かい描写も無くなった
やはり無理があったし、資料探すのも面倒臭くなったようだなw

262:無名武将@お腹せっぷく
06/04/04 23:44:45
>>259
コーエーって結構ミーハーよ。明らかに蒼天に影響されてるしw

263:無名武将@お腹せっぷく
06/04/05 02:38:20
無双では仙石は一般武将で出てくる。一般武将なんだけど、無双に出てることに何故か感動しちまった俺ガイル

264:無名武将@お腹せっぷく
06/04/05 03:11:16
蒼天や花の慶次ととセンゴクを同レベルで論じて良いのか

265:無名武将@お腹せっぷく
06/04/06 01:34:04
ミーハーじゃなきゃそもそも無双なんか作ったりしない罠w

266:無名武将@お腹せっぷく
06/04/14 23:20:10
仙石の大河作れよ

267:無名武将@お腹せっぷく
06/04/15 12:59:10
山内とくらべるとどちらも大差ないじゃん。
・・・
・・・
・・・司馬に好かれたかどうかの差があったか!

268:無名武将@お腹せっぷく
06/04/15 22:41:07
領土に差があるから知名度もまったく違うしなぁ

269:無名武将@お腹せっぷく
06/04/15 23:17:49
波乱万丈さでは上回ってるんだがなぁ

270:無名武将@お腹せっぷく
06/04/16 22:10:32
仙石程度の小物なら別に誰でもいいだろw

271:無名武将@お腹せっぷく
06/04/16 23:42:59
藩の子孫たちが幕末に活躍したのも重要な点だろ

272:無名武将@お腹せっぷく
06/04/16 23:47:52
>>271
歪んだ身分制度が妙な具合に怪我の功名になっただけやん。

273:無名武将@お腹せっぷく
06/04/17 00:08:29
まあ上士も活躍したし藩主も一応名君扱いではある
かも

274:無名武将@お腹せっぷく
06/04/17 02:17:40
仙石秀久、そんなに馬鹿にしたもんじゃないよ。

司馬小説で無茶苦茶に書かれたから、現代では評判悪いけど、
戸次川の合戦までは、秀吉幕下では出世頭と言ってもいい。
中村一氏や堀尾義晴よりも、あきらかに信頼されている。

対毛利の中国戦線で、既に侍大将格なんだよな。
序列的には、宮部継順の次くらい。凄い出世スピードだよ。
子飼いの中では、一番早い。

275:無名武将@お腹せっぷく
06/04/17 02:33:47
戸次川で、島津に木端微塵に粉砕されたのは事実だけど、当時、島津の
勢いは九州全土を席巻する勢いで、名声を残した立花宗茂も守勢で、
高橋紹運は討死。

十河、長曽我部の混成軍を率いて、縁故の薄い土地で、しかも後詰め
に来て籠城策は難しかろうし、野戦に訴えれば誰がやっても勝てん。
秀吉の戦略ミスが一番の原因でそ。

秀吉自身の九州遠征も、実際は兵糧不足で随分と苦しんだらしい。
島津の降伏が遅れたら、全軍瓦解の危険もあったと言う。
概して、九州はなじみが薄く、秀吉自身の感覚が働いていなかった。

276:無名武将@お腹せっぷく
06/04/17 09:36:47
戦国は初期の織田直臣からの鞍替え組だからでは?
子飼いじゃないでしょ
秀吉配下で最初に大名になったんだっけ

277:無名武将@お腹せっぷく
06/04/18 01:46:48
>>275
この世に大馬鹿者が二人いる、一人は九州まで遥々遠征したわし、
もう一人は島津義久じゃ、
後少し粘れば勝ちを拾えたのだから、降伏などする必要はなかった

って秀吉が言ったらしいね。


278:無名武将@お腹せっぷく
06/04/18 17:37:28
それは秀吉一流の懐柔手法でしょ
どう考えても勝てるわけない
仙石に圧勝した以後豊臣軍には連戦連敗
あっと言う間に薩摩まで押し戻された
さすがに島津も手の施しようがなくて降参した
でも、むしろ評価する点だと思う
秀吉は島津を完全に潰すつもりだったけど
義久の素早い降伏外交で秀吉も潰しきれなかった
秀長も島津に好意を持って一国安堵を二国にするように執り成してくれた

279:無名武将@お腹せっぷく
06/04/19 00:23:48
秀吉秀長は見事なアメとムチだな

280:無名武将@お腹せっぷく
06/04/19 21:13:40
仙石以外のパートは面白いんだけどね・・・

281:無名武将@お腹せっぷく
06/04/20 01:25:46
この作者語りが森節そっくりだね。

282:無名武将@お腹せっぷく
06/04/21 15:59:20
こんなところでホーリーの読者に会えるとは驚いた

283:無名武将@お腹せっぷく
06/04/28 03:35:43
第二次上田攻めが描かれるのはいつの事やら。

284:無名武将@お腹せっぷく
06/05/08 01:28:21
しかし、戸次川のあと、封地の淡路まで帰ったけど、
果たしてそれは本当に「逃げた」んだろうか?
戦線から離脱したので、逃げた、という事実は確かだが、
それにしてもなぜ淡路まで逃げる必要があるのか。
毛利領まで逃げ込めば十分だったのではないか?
毛利家が協力者である以上、
むしろ淡路まで逃げるより毛利家をたのみにしたほうが安全だったはずだ。

毛利家の保護を求めなかった理由、淡路へ向かった理由は、
別の何かがあったんじゃないか?

285:無名武将@お腹せっぷく
06/05/08 01:38:08
普通に自主閉門蟄居だってば・・・

286:無名武将@お腹せっぷく
06/05/08 01:46:07
生き残るっていう目的で逃げる場所選ぶなら帰順したばかりの毛利領より、静かに処分を待つ意味でも封地に帰る方が得策じゃないかな

287:無名武将@お腹せっぷく
06/05/09 00:04:11
関ヶ原で漢を見せて欲しかったな

288:無名武将@お腹せっぷく
06/05/09 07:37:36
蒼天航路の日本版ってことで
横山三国志に対する蒼天、司馬小説に対するセンゴク
実際昔の人間の器量ややった事を完全に調べるのは不可能だし
言い伝えや資料も本当のことかどうかわからない
万人受けを目指した大河や小説よりかなり面白いと思う
仙石はいてもいなくてもって感じだけど、秀吉や家康が主人公よりも雑魚の立場から見た大将の方が
描写としておもしろいとおもふ

289:無名武将@お腹せっぷく
06/05/11 03:40:44
家臣まで置き去りにして淡路まで逃げ帰ってるから
特別理由があった訳じゃないと思う
単純に安全な場所まで逃げたいって考えただけかと

290:無名武将@お腹せっぷく
06/05/11 13:38:06
だいたいあの時代に仙石秀久みたいなのってどうよ?
腹切るか戦うかにしろよ。
よく生きてたよな、ほんと。
秀吉もよくわからんな、ほかにいい武将いなかったの?

291:無名武将@お腹せっぷく
06/05/11 14:35:17
秀吉は譜代の臣がいないから
尾張~近江時代に召し抱えた家臣を譜代として引き上げるしかなかったんだよ
豊臣家の直臣の顔触れみると酷いものだ
小者ばかりでロクなのいないよ
所詮秀吉個人の力でもっていた政権だから

292:無名武将@お腹せっぷく
06/05/11 14:56:54
確かに。
武官のトップが福島・加藤だもんなぁ・・・
秀長や黒田と言った大物は政権から離脱するし。

293:無名武将@お腹せっぷく
06/05/11 16:04:47
>>292
黒田は外様ですが何か

294:無名武将@お腹せっぷく
06/05/11 16:07:16
>>292
黒田は外様ですが何か

295:無名武将@お腹せっぷく
06/05/11 16:19:50
>>293-294
やりようによっては譜代に取り込めたかと。
秀吉が警戒して遠ざけちゃったからねえ。

296:無名武将@お腹せっぷく
06/05/11 17:05:35
まだ、子飼いの連中はマシだが
黄母衣衆の面子は酷いな
側近があの程度では秀吉も苦労しただろう

297:無名武将@お腹せっぷく
06/05/11 17:14:40
同じ農民出身の劉邦がなぜ強力な家臣団を構築できて長期政権を築けたか

298:無名武将@お腹せっぷく
06/05/11 17:46:38
↑釣り?

299:無名武将@お腹せっぷく
06/05/11 21:40:25
まぁでもあれだけいろいろあっても、最後まで生き残った仙石はたいしたもんなんじゃないの。

300:無名武将@お腹せっぷく
06/05/12 00:00:30
釣り野伏せってすごいな。
実際、ばれないもんなの? 
どこまで近づいて囲むんだろう?

301:無名武将@お腹せっぷく
06/05/12 00:18:15
>>299
逃げ上手に媚び上手ってことですよ

>>296
七手組だっけ?もどうしようもない奴ばっか
速水、伊東、堀田、多少マシなのが青木一重(真柄十郎左衛門討ち取った奴)


302:無名武将@お腹せっぷく
06/05/12 03:04:27
>>300
所詮九州限定のローカル戦術


303:無名武将@お腹せっぷく
06/05/12 13:32:33
>>300
大将だけが気付いてても命令来るまで兵はどうしようもないし
だからって兵が怖じ気づいたら合戦にならんし

304:無名武将@お腹せっぷく
06/05/12 15:30:06
>>303

すまん、おまいの言ってることがよくわからん
補足してくれ

305:無名武将@お腹せっぷく
06/05/12 16:15:35
黄母衣衆と七手組って別じゃないの?
一柳とか小野木が黄母衣衆でしょ?


306:無名武将@お腹せっぷく
06/05/12 16:17:44
あと真柄を討ち取ったのは勾坂某だったとおもうんだが

307:無名武将@お腹せっぷく
06/05/13 15:50:39
>>304
先鋒の雑兵が伏兵に気付いても逃げたら敵前逃亡になってしまうから進まざるを得ないし
伝令を出すにも待ってる間に襲われてしまうし、
指揮官が気付いても攻撃されるまでに全兵に指示を送るのはきついだろうから
ばれててもどうにもならない面もあるんじゃないかなと言いたいんだと思う。

後、釣り野伏せ対策に島津の伏兵にぶつける為の伏兵を伏せておくってのもあったらしいけど
釣り野伏せ自体が2段3段がまえになってたらしい。

よく分からんけど

308:無名武将@お腹せっぷく
06/05/14 22:38:34
>>297
秀吉と違って、自分が各個別能力については凡庸だって自覚があった。
気前もよく、人の話を聞いてすぐ反省するし。
旗揚げ当時の仲間も最終的に丞相が勤まるくらい優秀なのが居たじゃないか。
蕭何と曹参とか周勃とか。武官だって樊カイとか夏侯嬰とか盧綰とかいたし。

それに何よりも、秦の時代の政治がひどすぎたってのがある。

それに比べて、秀吉が天下人になったころは年貢が戦乱の時代よりもひどかったくらいだ。
秀長が死んだ後は、意見できる人間が居なくなったせいか、残酷度エスカレートしたし。
人たらしとか言われてたけど、根っからの武家には陰で軽蔑されてたしな。


309:無名武将@お腹せっぷく
06/05/15 02:57:24
天下とった劉邦が早めに家臣を粛清して、組織をスリム化したからじゃないの?
あと陳平あたりが頑張ったからとか。

310:無名武将@お腹せっぷく
06/05/15 03:07:13
>>290
武士が「潔く死を選ぶ」という古い神話をいまだに信じている希少種

311:無名武将@お腹せっぷく
06/05/15 03:07:28
そういえば、一つでかい差があるよな。
呂氏一派に粛正されつつも、劉氏はそれなりに元勲どもが仕える気になる後継者を残せたけど、
秀吉の方は後継者らしい後継者が秀頼だけだったよな…。

俗に言う七本槍とか言われた配下の大名どもも、利でついてきた連中ばかりで、豊臣家とかに
積極的に忠誠を誓っている奴なんで誰もいやしなかったし。

312:無名武将@お腹せっぷく
06/05/15 03:23:11
やはりあの歳で大事な後継者が一人だけでしかも子供なのは致命的だな。

313:無名武将@お腹せっぷく
06/05/15 21:40:22
劉邦に従ったヤツらだって、利でついてきた連中ばかりだと思うが。

314:無名武将@お腹せっぷく
06/05/16 02:57:27
秀頼って三男なんだっけ

315:無名武将@お腹せっぷく
06/05/16 06:13:40
一応秀吉の血を引くといわれている息子では秀勝(長浜城主時代。幼名・石松丸、6歳で夭逝)、鶴松の次で三男だな。

まあ養子の立場なら三好秀次とか信長の四男だった秀勝(二代目)とか小早川秀秋(高台院の兄の息子)とか
結城秀康とか宇喜田秀家も含まれるみたいだが。

316:無名武将@お腹せっぷく
06/05/16 23:36:29
>>310

ふーん。
古い神話なのかw




317:無名武将@お腹せっぷく
06/05/19 15:51:05
センゴク揚げ

318:無名武将@お腹せっぷく
06/05/19 16:11:49
秀康、清正、幸長あたりが早死にしたのが痛かったな
彼らが健在なら大坂攻略は難しかったろう

319:無名武将@お腹せっぷく
06/05/20 23:13:51
そうでも無い気がする。福島正則などは豊臣恩顧の代表みたいな感じなのに
味方してないし、それどころか倅は大坂攻めに出陣している。
むしろ上記の三者はいい時期に没して寧ろ良かったのでは?

320:無名武将@お腹せっぷく
06/05/21 00:22:43
豊臣庇護に積極的だったのは
結城秀康、加藤清正、浅野幸長、池田輝政、福島正則
あたりだが次々に死んで残ったのは福島のみ
さすがに福島一人ではいかんともし難い
特に清正が死んで以来全く元気がなくなった
大坂の陣では家康に危険視され参戦を拒否されたが
後で言い掛かりつけられる事を危惧して嫡男を出陣させた
だが、そのくせ堂々と8万石と言う途方もない兵糧を大坂方に送ったり
家臣を浪人させて大坂城に入れたりした
福島一人になってもしぶとく大坂を捨て切れなかったのだから
他の連中まで生きていたら家康も迂闊に手を出せない
実際関ヶ原から14年も手を出せなかった

321:無名武将@お腹せっぷく
06/05/21 02:59:39
豊臣家は梅毒に滅ぼされたとも言えるな…そのメンツ見てると。

322:無名武将@お腹せっぷく
06/05/21 10:38:13
確かにそうだ。
梅毒で考えれば黒田官兵衛もそうだし。

323:無名武将@お腹せっぷく
06/05/22 05:12:13
>>274

司馬小説で評判が悪くなったのか?

秀吉に激怒され所領を没収、高野山へ追放された点
後年の史料で『三国一の臆病者』と言われるほどに罵られている点

からすると戸次川戦以降の仙石はそういう評価だったってのが自然では?

司馬も歴史は俺らよりいろいろ知ってるだろうから、その辺の「仙石らしさ」
をただいきいきと描いただけだろ。






324:無名武将@お腹せっぷく
06/05/22 12:08:32
夏草の賊では割とよい評価されてると思うが
才覚人だなんて書かれてるのはあの作品しかないかと
戸次川での失態は事実だから仕方がない

325:無名武将@お腹せっぷく
06/05/22 16:52:06
いちおう戸次川以降にも小田原参陣で自身の名前が地名になるほど勇戦してるし
朝鮮征伐の際には肥前名護屋の築城で意外な才覚を発揮している

そして江戸時代を経て何時の間にか五右衛門捕縛した忠勇無双の豪傑にされてたりと
山内一豊よりかは華やかな逸話に恵まれている

326:無名武将@お腹せっぷく
06/05/23 02:35:17
そういや、五右衛門捕縛の元ネタってあるの?
いや、ほかにも豪傑っぽい家来は太閤の下に居ただろうに、
何で秀久?ってのが気になった。

327:無名武将@お腹せっぷく
06/05/23 04:21:11
仙石の撤退と信長の撤退を一緒にしていいのか?
金ヶ崎で信長は一騎で逃げた、みたいな書き方されてる話がほとんどだけど、撤退後すぐさま主要武将を手勢付で各地に派遣している事が示すように別に一人で逃げたわけじゃない
むしろ三方ヶ原の家康のほうに近かろう。部下が自発的に身代わりになってくれたからいいものの…

328:無名武将@お腹せっぷく
06/05/23 04:25:45
秀長は釣り伏せにひっかからなかったんだよね?
百姓以下の島津その他って…

329:無名武将@お腹せっぷく
06/05/23 12:02:32
いや、島津どうこうより秀長が強すぎただけだろ、手堅い戦をさせりゃ天下一品だし
秀長は少数を任せれば異常な粘り強さを見せ、大軍を任せても見事に運用する。
つーか秀吉が織田本軍の戦に参加するために中国方面軍の主力をごっそり持って戦線抜けても
蜂須賀、黒田も居たとは言え700とか1000程度の軍で毛利戦線維持できるなんて普通に名将だろ。
家臣団は秀吉譜代と変わらぬ馬鹿揃い、マシなのが藤堂高虎くらいか
派手な武功こそ無いが、すげー地味に勝ちまくってる地味名将だよな、秀長。



330:無名武将@お腹せっぷく
06/05/23 12:21:06
秀長て負け戦したことないんじゃないか?
織田時代からいつも良い働きしてるよな
四国征伐でも九州征伐でも長曽我部や島津の戦略戦術を軽々打ち破っている
秀吉より戦上手

331:無名武将@お腹せっぷく
06/05/23 21:03:19
島原の乱で小身の松倉氏が西国大名達を統制しきれずに失敗したのと似てるな
やっぱり秀吉の人選ミスじゃないかね

332:無名武将@お腹せっぷく
06/05/23 21:29:13
と言うより他に居なかったんだよ…
それに四国編成軍は本隊到着まで大友領内を維持するだけの繋ぎだから
華々しい活躍できるような人物はいらなかった
大友軍と合わせれば2万ほどの兵力になるから
要所を固めて数カ月待つだけでよかった
秀吉にすればさして難しい命令出したわけじゃないから
まさかいきなり惨敗するなど思わなかっただろう

333:無名武将@お腹せっぷく
06/05/23 21:56:54
「薩摩勢勝に乗て長宗我部元親が子信親が陣へ真丸に成て打てかかる。信親此大軍にも恐れず四尺三寸の大長刀をもって、
むかう敵を一所にて八人薙ぎふせ、其後三尺五寸(1.06m)の太刀を抜て、又敵六人切倒し、大勢に手を負せけれども、敵大軍なれば屑ともせず取籠て打んとす。
信親あたりなる敵を打払て腹を切んとしける処を、敵透間もなく走より大勢の中に取こめて、終に信親を打取ける」
(『黒田家譜』)   

信親って何流の使い手だったっけ?
跳躍しつつの抜刀という難しい技を得意としてたらしいが

334:無名武将@お腹せっぷく
06/05/23 22:31:35
ていうか秀長に釣り野伏せなんかかけたの?
宮部みゆきが粘って後詰に来たんでしょ?

335:無名武将@お腹せっぷく
06/05/24 13:36:15
釣り伏せが効果を上げたのは、耳川や戸次川の時のように相手の統制が取れてない場合でしょ
普通に前後の連携が取れてる相手だと難しいと…

336:無名武将@お腹せっぷく
06/05/24 16:00:19
つーかそもそも大軍で戦線押し上げてくる相手に釣り伏せしても無駄だろうね
相手が秀長じゃ隙見せそうにも無いし

337:無名武将@お腹せっぷく
06/05/24 16:43:40
そもそも釣り伏せってそんなに特別な戦法なのかね?
伏兵や横槍は全般でよく使われたでしょ
例えば劣勢の村上義清が信玄を大破した上田ヶ原なんかもそれ
捨てカマリと鉄砲装備率の高さという要素が大きいのかねやっぱり

338:無名武将@お腹せっぷく
06/05/24 17:44:18
>>337
戦法自体は孫子の時代から似たようなのが見受けられるし
古今東西において軍学を修めた人間には基本の一つだと思う。
それを如何に実戦で上手いこと使うか見破るかは個人の才覚だが

339:無名武将@お腹せっぷく
06/05/24 18:40:04
島津の策に引っかかるのは仙石レベルという事。九州は凡将揃いで秀長公は名将。

340:無名武将@お腹せっぷく
06/06/03 22:52:17
AGE

341:無名武将@お腹せっぷく
06/06/09 17:22:50
age

342:無名武将@お腹せっぷく
06/06/10 14:11:14
ageるくらいならネタをかけよな

少なくとも2chでは
釣り野伏とそれにひっかかる猪武者が
ちらほら目撃されるな

343:無名武将@お腹せっぷく
06/06/10 14:56:10
せんごくさんはどーしてきらわれてるんですか?

344:無名武将@お腹せっぷく
06/06/10 15:00:08
嫌われてない
相手にされてないだけ

345:無名武将@お腹せっぷく
06/06/11 12:52:23
土佐人のルサンチマンの犠牲者だから

346:無名武将@お腹せっぷく
06/06/11 13:54:28
まあ、信親が健在なら
あるいは長宗我部氏が土佐から追われずにすんだかもしれない、
と思いたくもなるだろうさ。
山内の禍政に苦しめられた歴史があるからな。

347:無名武将@お腹せっぷく
06/06/11 16:14:17
URLリンク(www.rak3.jp)

島津と伏兵に関しては、ここの小越合戦が面白い。

348:無名武将@お腹せっぷく
06/06/11 16:16:22
時は今
雨のしたりる
五月かな

349:無名武将@お腹せっぷく
06/06/11 16:33:23
それは明智光秀じゃねーの?
>>348

350:無名武将@お腹せっぷく
06/06/11 16:45:36
絵には迫力があるし実力のある漫画家さんだと思うが話がいまいち面白くない

351:無名武将@お腹せっぷく
06/06/11 21:21:25
むしろ実力あるのか疑わしいのだが…
もっともらしい事描いてるわりには知識ないのバレバレ
なんであんな中途半端なもの描くんだか
歴史に徹するか漫画に徹するかどっちかにしろと

352:無名武将@お腹せっぷく
06/06/11 21:39:54
>>351
出てくる武将が無駄にロックで、ネタ漫画なのはみんな承知の上で読んでいると思うが…。

353:無名武将@お腹せっぷく
06/06/12 00:37:49
お塩先生以上にロックな武将共ではないか!
これがわからぬようでは京には上れぬぞ!

354:無名武将@お腹せっぷく
06/06/12 06:32:20
歴史に徹してるじゃん(細かいトコはおいといて)。
351の言う歴史に徹するとはなんだ?

355:無名武将@お腹せっぷく
06/06/12 12:53:12
仙石の描かれ方が少年漫画っぽいなとは時折思う。

曹操とか武蔵とか元が講談的なイメージで他と「別格」だったりすると
漫画的な手法、表現を割り切るのも簡単なんだが、仙石は本人があまり
突出した才能を持たないタイプだからたまに違和感を感じることがある。

かといって精神的な成長を描くにも「最大の失敗」がかなり先だから
一番の山場はそこにとっておかなきゃならないし、物語映えさせるのが
難しい主人公だよな。

356:無名武将@お腹せっぷく
06/06/12 19:22:46
でも現代にはうってつけの人物だとも思う。順調に出世→大失敗と解雇→自らの力で名誉挽回
見事なまでの復活劇だからオレは好きだな仙石。

357:無名武将@お腹せっぷく
06/06/13 02:40:50
なにも失敗しないに越した事ないw
それにどうせなら名将や天下人の生き方を参考にすべき
仙石程度の小者見てても何にもならんだろw

358:無名武将@お腹せっぷく
06/06/13 03:07:04
確かに失敗しないのがベストだ

それと、大多数の人は名将や天下人の生き方を知っても真似出来ないのも事実だ
自惚れて真似しても失敗して惨めになるのが関の山
やはり、山内みたいに地味に生きていくのが凡人には一番だと思う

物語としては全く盛り上がらないが…

359:無名武将@お腹せっぷく
06/06/13 04:04:30
いや、山内の生き方も無理だろ。あの処世術を凡人が真似するのは無理じゃね?

360:無名武将@お腹せっぷく
06/06/13 04:29:47
山内自体が凡人
たまたま巡り会わせがよかったわけで
あの程度の能力なら全国に何万人もいただろう

361:無名武将@お腹せっぷく
06/06/13 04:42:25
凡人

362:無名武将@お腹せっぷく
06/06/13 04:52:48
何万人もいねーよ。確固たる地位を築いて生き残ってんだ。運だけでやっていけるわけねーだろ。

363:無名武将@お腹せっぷく
06/06/13 12:47:49
使い古された言葉がある
運も実力のうち

364:無名武将@お腹せっぷく
06/06/13 13:28:38
一豊が豊臣家臣じゃなかったらどう考えても大名になれたとは思えない
他家の侍大将で一豊より武功あげてる人は腐るほどいるし
一豊に限らず豊臣系列の顔触れは酷いのが多い
秀吉と一部の重臣が異常にレベル高くて
残りはくっついてて自然に出世できただけ
秀吉もそれを気に病んで必死に他家から引き抜きをして
他家の弱体化と自家の強化を行った

365:無名武将@お腹せっぷく
06/06/13 16:44:18
なんだかよくわからんがへまもないし大成功もないのが奴の強さだな

366:無名武将@お腹せっぷく
06/06/13 21:34:09
最後に玉砕したり、戦死して名将とかいわれてるヤツラに比べりゃまだ山内の方が名将といえる。

367:無名武将@お腹せっぷく
06/06/13 21:35:36


368:無名武将@お腹せっぷく
06/06/13 21:36:43
実績=実力

では無いのが世の中の怖いところ。

369:無名武将@お腹せっぷく
06/06/13 22:00:18
>>366
お前がそう思うのは勝手だが
世間じゃだれもそうは思わないけどなw

370:無名武将@お腹せっぷく
06/06/13 23:07:31
名声=実力でもない



371:無名武将@お腹せっぷく
06/06/14 10:52:43
しかしそうなると逆に「じゃあ実力ってどうやって測るの?」という話になるわけで。
万人は無理でもある程度の人間が共通の尺度で測れる基準じゃないと、
単なる「実は本気を出せばすごいんだ!」みたいなもんにしかならん気も。

372:無名武将@お腹せっぷく
06/06/14 13:28:14
>366

お前は世間が何がどうであれ”生き残った者勝ち”と勝手に思いこんでる?
少なくても俺は生き様、死に様で良い武将かどうか判断するけど?


373:無名武将@お腹せっぷく
06/06/14 14:51:28
おまいら所詮個人の価値観に過ぎないことで他人に噛み付き続けるなよw

374:無名武将@お腹せっぷく
06/06/14 16:05:18
まあ、生き様がそのまま後世の評価に繋がってるわけで
仙石は愚将、山内は凡将というのはこの先も変わらない
本人達も望んでそう生きたのだからそれでいいんだよ
真田信繁や高橋紹運なんかは後世に勇名を残したいとか
裏切り者の謗りを受けたくないと思い
命を代償にそれを手に入れた
価値観の違いだからどちらが良いとも悪いとも言えない

375:無名武将@お腹せっぷく
06/06/14 18:37:47
名をとるべきか、実をとるべきか。
戦国時代も大変だな。

376:無名武将@お腹せっぷく
06/06/14 19:10:57
一人では無理だが家ぐるみで両方取った例が真田だな。
片方だけ望むより更に大変だろうけど。

377:無名武将@お腹せっぷく
06/06/14 19:32:24
372

オレは生き様>死に様で評価する方かな。別に勝ち組だからとかは関係ない。

378:無名武将@お腹せっぷく
06/06/14 20:03:23
元々死に様が評価されるような人間はそれなりの生き様が前提だろう。
無名の奴はどんな死に方しようが結局は軍紀物に一行二行付け加えられるだけだ。

379:無名武将@お腹せっぷく
06/06/18 16:20:29
仙石家は我が出石にそばを伝えてくれた。仙石家に感謝。。。
ちなみに今年は仙石家が出石に国変えになって300年。ぜひお越しを(笑)


380:無名武将@お腹せっぷく
06/06/18 16:28:25
江戸中期まで蕎麦がなかったって方が驚きなんだが…
稗、粟、蕎麦なんかの雑穀は全国で作られていたと思っていた

381:無名武将@お腹せっぷく
06/06/19 17:45:07
佐久間玄蕃と友誼を結ぶも賎ヶ岳で敵同士として邂逅ってのを狙ってるのか?>センゴク

382:無名武将@お腹せっぷく
06/06/20 15:51:20
あれ?信盛は出てたっけ?賎ヶ岳。

383:無名武将@お腹せっぷく
06/06/20 17:47:21
>>382
佐久間盛政のほうだろう
賎ヶ岳の時には信盛は死んでる

384:無名武将@お腹せっぷく
06/06/20 23:20:36
>>383
この頃読んでないから教えてくれ。
盛政は秀久と友達になったの?

385:無名武将@お腹せっぷく
06/06/20 23:48:10
スレの最初の方で論議されていたようだけど
調べれば調べるほど戸次川合戦での失態から秀久が復帰出来たのは尋常ではない。
秀久と同じくらいの古参で、むしろ格上だった神子田正治は小牧・長久手での敗戦では
怯惰なりとして改易され、後には処刑されてるのとくらべて。
より醜態を晒した秀久が助命どころか再び大名に返り咲いたというのは余りにも差があり
すぎる。
どうも後世に伝わっていない何らかの裏事情が隠れていそうだ。

386:無名武将@お腹せっぷく
06/06/21 03:12:37
見捨てたのが織田家出身で秀吉政権確立に大きな力になった池田・森勢だからでは?>神子田
秀久が見捨てたのは先年まで敵対していた外様だから、という露骨といえば露骨な基準だったとか

387:無名武将@お腹せっぷく
06/06/21 06:17:37
秀吉の全国制覇の為の戦争は外様勢力削り落としの為のものだったからなあ。

嫡子を可愛がられた(実質人質)宇喜田家は領国から金銭や年貢をたっぷり搾り取られてるし、
長宗我部家は九州制圧で先兵を押し付けられて、戸次川の戦いで嫡子を失い、挙句実質的に
お家断絶だしな。

388:無名武将@お腹せっぷく
06/06/25 14:46:45
上杉謙信の強さは世界一ぃぃぃ!!!!!!!!!!!!!!!













         ',ヽ、
          i  \__| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l
         l   ヽ/        !
          l   /  .r――┐l
.          l  /   /      | |
          ,ゝ、',,,,,,,,_/       | |
        , '     / ゙゙゙゙̄'''''''''''''''''ヽ
       , '     / zェ:、、,_   _,,、」,
      /      /.          |
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  /  ./     ./      ィ   ,l  .!
/   /     /,..     r'`ニニヽ,  .l'、
.   , '      / l;;;ヽ  ,イ;;f'゙---ヾゝ;/‐t、
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. ヽ,i'" `'i:、  .∧ ヽ    `''''ーァ'7"   l   l |  \
     | ` '  ヽ ヽ     , ' ,:'    /   | |

389:無名武将@お腹せっぷく
06/06/25 16:03:32
このスレをみたかぎり仙石の総合的評価は
蒼天の曹仁+蒼天の徐晃÷2=仙石

これでオケ?

390:無名武将@お腹せっぷく
06/06/25 16:10:15
そんなに優秀なわけないだろ!!

391:無名武将@お腹せっぷく
06/06/26 23:47:00
公孫さん÷7位じゃね?
戦上手のようで大ポカやったり、建築技術があったり。

392:無名武将@お腹せっぷく
06/06/27 14:05:22
仙石て戦上手か?
活躍した話し全く聞いた事ないけど…
豊家に於いては御子田、尾藤、宮田、戸田がこれを勝る武功の士はいないと言われた

393:無名武将@お腹せっぷく
06/06/27 17:38:07
槍働きはそれなりで、目立つのはちょっと上手かったみたいだな。

指揮官としちゃ、どの規模でも有能とは言い難いと思う。

394:無名武将@お腹せっぷく
06/06/27 17:45:54
槍働きですら高名の者討ち取った事はないよね
全くと言っていいほど武功の話しがない
でも黄母衣衆なんだよなw

395:無名武将@お腹せっぷく
06/06/27 19:42:11
秀吉の周りを固める親衛隊が頻繁に戦闘してたらそれはそれでやばい状況の連続ということにw

396:無名武将@お腹せっぷく
06/06/28 00:49:44
戦国時代の戦下手だけど、江戸時代の大名は上手く出来たんだね
政治家向きの人物っぽいねぇ

397:無名武将@お腹せっぷく
06/06/28 01:06:36
>>393-394
ゴマすりがうまかったってことか

398:無名武将@お腹せっぷく
06/06/28 01:32:03
たしか講談の世界では秀吉配下の豪傑として語られてる。指揮官としても大体は無難にこなしてきてるし、戸次川の失態がなければ15~20万石くらいはいけただろうね。

399:無名武将@お腹せっぷく
06/06/28 01:55:20
>>395
どの戦でもみな奮闘してるじゃないか
母衣衆は伝令や総大将の警護
また、戦の佳境の時は投入される
みな武勇伝を多く持ってるし
そして武功をあげて一手の大将として抜擢されていく
もっとも槍働きしかできずに小身のまま終わる人も少なくないが

400:無名武将@お腹せっぷく
06/06/28 02:04:47
>>398
清正や正則みたいな大功の者でも20万石程度
豊家の中枢を担う奉行衆・中老職でも15万石前後
武功もなく役にも付いてない仙石が15万石や20万石なんて貰える道理なんてないし
万が一ごますりで貰ったら武断派にも官僚方にも殺されるよw

401:無名武将@お腹せっぷく
06/06/28 03:39:34
清正や正則も実際は巷間言わせるほどの武功なんて立ててないけどな
皮肉なことに清正が本当に武勲挙げた唐入りでは加増がなかった

402:無名武将@お腹せっぷく
06/06/28 03:44:32
それにしたって、その2人と秀久を比べるのは余りにも・・・

403:無名武将@お腹せっぷく
06/06/28 08:15:15
だから戸次川の失態なかったらの話だよ。福島・加藤より遥か前から秀吉の配下として着実に武功あげてるし、順調にいけば出世するだろ。

404:無名武将@お腹せっぷく
06/06/28 08:22:13
漫画読み過ぎ

405:無名武将@お腹せっぷく
06/06/28 08:25:31
>>403
着実に武功って例えば?
1人のミスではないだろうし、諸説あるとはいえ、上田の一件も失態とみるのが大勢だし。

406:無名武将@お腹せっぷく
06/06/28 08:30:35
対浅井で先駆け対決に勝利
姉ヶ崎撤退戦で奮戦
本願寺攻めで朝倉の残党を粉砕
三方原で家康公を守り赤備えを粉砕



とかいうのはやめてくれよw

407:無名武将@お腹せっぷく
06/06/28 08:55:47
上田の失態がなんで仙石になってんだ?どこにそんな記述あるんだ?

408:無名武将@お腹せっぷく
06/06/28 15:16:05
色々調べてみたが仙石はただ者でない気がしてきた…
全くと言っていいほど武功の話しがないw
というか名前すらあまり出てこない
仙石家譜ぐらいしか資料ないんじゃないの?
これで10万石とかありえないぞ
余程ごますり上手だったんだろうか?(家康にもうまく取り入ったし
武闘派とも政務派とも絡みがなくてなんか浮いてるし
一体何者なんだw

409:無名武将@お腹せっぷく
06/06/28 15:40:30
>>407
どちらにしろ将の一人として加わっていたなら失態の責任の一端は
負わないとならんと思うが。

現代の組織でだって、責任ある立場にいる人間が「知らなかった」
「仕方なく従った」から自分は悪くない何て言い訳通らないわけで。

逆に強く反対したという記述がない限りは積極的か消極的かの
違いはあっても上田攻めに同意したと見るべきだろう。

410:無名武将@お腹せっぷく
06/06/28 15:58:03
秀久に責任があると家康が言ったならまだしも

411:無名武将@お腹せっぷく
06/06/28 17:31:28
上田攻めは強行派の意見に同調したと言うだけで
別に仙石が立案したわけじゃないよw
榊原康政、本多正信、大久保忠隣、土井利勝と言った
重臣中の重臣が秀忠の目付け役としてついていたのに
小身の外様で別になんの功名があるわけでもない仙石が意見なんて出せるわけないw

412:無名武将@お腹せっぷく
06/06/28 22:05:28
>408
淡路攻めとか賤ヶ岳で一軍率いたりとかやってるんだけどなぁ。
長宗我部に負けたのと、島津に負けたのが有名すぎて話として目立たないけど。

413:無名武将@お腹せっぷく
06/06/28 22:47:00
まぁ派手な武功あげるよりは、与えられた課題を着実にこなして出世してきたんじゃないの(鳥取城包囲戦では一部隊の指揮官として参戦してるし)。でなきゃ讃岐10万石を手にできないだろ。

414:無名武将@お腹せっぷく
06/06/29 01:22:53
>>409
その意見でいけば、上田の失敗は榊原康政や本田正信なんて連中も責任を負う
べきだし、立場で言えば仙石なんぞよりこの二人は権限も地位も責任もはるか
に上。「将の一人として加わっていた」なんてレベルではないからね。


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