06/03/20 12:38:40
小早川秀秋.1581~1602
寧々の兄の子で太閤・秀吉の甥。朝鮮出兵では加藤清正を救う為、先陣に立ち突撃をし、見事包囲を破った。
しかし、これは「大将にあるまじき行為・軽率だ。」と諫言されてしまい、領地を召されてしまう。
が、徳川家康の取り成しで没収を免れる。
秀吉の死後、関ケ原では、家康への「恩」と西軍の「義」に揺れ、動けなかった。
恩と義を重んじる青年武将故の苦悩であったのだ。
しかし秀秋は日本の未来と太平の世を築けるのは徳川家康のみだと思い裏切りを決断。
見事東軍は勝利し、乱世は終わる。
日本の為に裏切り者の汚名を自ら受けてたった秀秋。しかし無念にも翌年、死去するのであった。