06/03/24 02:57:20
「本多忠勝の戒名に“長誉”が入っていますが、酒名の由来ですか」というご質問がありました。
長誉館で行われた年金者組合文化教室での話。年季を感ずる着眼に感心です。
本多平八郎忠勝。その戒名は“西岸院殿長誉良信大居士”。
ついでながら、本多家は元来、神道。藤原鎌足の流れを汲み、京都賀茂神社の神職が前身。
故あって左遷され、豊後の国本田郷に移住、本多性を名乗ります。新田義貞に追われた足利尊氏は
九州太宰府で体制を整え、東上。この時、尊氏軍に従い、戦功を立て、東海の地に移住。伊奈に
城を築き、松平三代信光が岩津城に進出の折、近く、岡崎蔵前に居を移し、以来、松平と共に歩みます。
本多家の紋は、立ち葵。賀茂神社の紋。松平清康が譲り受け、家康の代に三つ葉葵として天下のご紋と
なります。徳川と本多はそういう仲。
江戸期の岡崎藩主は、譜代。先の本多家。水野家、松平家、後の本多家。後の本多家が忠勝から繋がり、
十六代忠直で明治を迎え、岡崎藩知事に。
その養子、十七代忠敬は、東京本郷の自邸の一部を龍城館と名付け、旧岡崎藩士などの勉学に供し、
三河郷友会を援けて岡崎人材を育て、後に岡崎城一帯を市に寄贈。岡崎公園が出来ました。
忠敬の実弟、本多敏樹氏は2代目岡崎市長。深くこの町に関わりました。
さて、戒名のこと。
浄土信仰に篤い松平家とともに、本多家も浄土宗に帰依。
戒名、法名には宗派の習いがあり、日蓮宗に日号、浄土真宗に釋号、浄土宗に誉号があり、時に空号、
阿号もあります。
徳川家康公の戒名は、“東照大権現・安国院殿・徳蓮社崇誉道和大居士”。崇誉に「誉」が含まれます。
四天王、酒井忠次は、“先求院天誉高月緑心”。誉号は、浄土の教えを相承し授与されるもので、
高い称賛の意を表します。
さて、銘酒“長誉”は、明治33年、灘・西宮の誉蔵に由来するもの。
本多忠勝の“長誉”は、縁であり、本多家が岡崎に深く関わるように、地域ふるさとを醸そうとする
酒の銘柄「長誉」は、岡崎を深く愛します。
だってさ。コピペ♪
「長誉」を飲もう!