04/07/02 19:47
いまさらですが>>74様、有難う御座います。
元々藤原を名乗っていたというのは知りませんでした。
もう少し家康を勉強してみます。
では、この前言ったようにあの人物を、とりあえず・・・8
○忠勝の戦友2
(酒井忠次)徳川四天王の筆頭にして徳川軍の重鎮中の重鎮です。
武勇に優れ、三河一向一揆、三方が原の戦い、長篠の戦いなど数々の戦いで戦功をあげています。
特に三方が原の戦いでは大敗した家康軍が浜松城に戻ってきた時、城門を開いて大篝火を焚き、太鼓を打ち続けました。
この光景を見た武田軍は、計略があると思い、撤退していきました。
これがいわゆる「酒井の太鼓」です。
彼は1588年に隠居するまで活躍し続けましたが、関ヶ原で自分の息子が三万石しか貰えなかったので家康に抗議しに行った時
家康に「お前でも自分の息子が可愛いか?」とあしらわれました。
これは信康事件で信長の問答に窮して信康を助けられなかった忠次を恨んで皮肉ったといわれています。
本文が長いようなので分けますね^^;