▲本多平八郎忠勝を語るスレ▲at WARHIS
▲本多平八郎忠勝を語るスレ▲ - 暇つぶし2ch64:1
04/06/28 21:29
>>63
う~ん・・・神仏というのは難しいですね。
ともかく御答え有難う御座います。ということで、とりあえず・・・6
○忠勝と戦った猛将たち
(山県 昌景)武田軍の中でも特に有名な名将です。
金谷・諏訪原城周辺巡視で出会ったのをはじめとして何度も忠勝と戦ってきました。
いわば忠勝にとって一番の好敵手です。
その最期も忠勝との戦いで、両腕を負傷しても口に配采をくわえて指揮をとりますが、
忠勝の鍛えられた鉄砲隊によって壮絶な最期を遂げます。
戦いが終わったあと忠勝は「惜しい武将をなくした。もうこれ以上血が騒ぐことは以後無いだろう」と言ったといいます。

(内藤昌豊)こちらも武田軍の武将で信玄が「こやつなら並以上の活躍をして当然」というほどの人物です。
長篠の戦いで忠勝の陣に最後の24人が三重目の柵を乗り越えて突撃しましたがついに力尽きました。

(真柄直隆)朝倉軍の武将で通称「太郎太刀」と言われた太刀の使い手です。
忠勝が姉川で単騎駆けをした際に一騎討ちをしたといわれています。
その後、弟の直澄と共に攻めてきた家康軍の前に立ち塞がり、戦場の露として消えていきました。

(島津義弘)説明不要の名将、通称「鬼石曼子」です。
関ヶ原で退却する彼の部隊を忠勝は追撃して、首級90を挙げました。
しかしその時忠勝は馬を撃たれ、それでも奮戦しましたが義弘には追いつけず、武士の情けとしてその場を引きました。

(林半介)あまりしられていない三成の使い番。
三成が「賞は功次第」といって差し出した酒杯を末席から出てきて飲み干し
杭瀬川で一番とるなどなどめざましい戦功をあげました。
そして関ヶ原で三成が敗走した時、ただ一人猛然と忠勝軍に向かって奮戦し、家康を感嘆させます。
この後半介がどうなったかは定かではありません。戦場で散ったのか、生きて天寿を全うしたのか・・。


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