05/02/04 20:58:49
>>538
清洲同盟に関しては酒井忠次が推奨して実現したと聞いています。
しかも、信長と家康は人質時代からの旧知の存在。
更に、今川義元が討死したことで、松平家は岡崎城を復帰・独立することができました。
妻子が駿府にいるとはいえ、日の出の勢いの信長と今川氏真を比べたとき、家康にとってどちらと手を結ぶべきかは自明の理だったと思います。
妻子の問題は清洲同盟締結(1562)までの二年間に今川家の属城を攻めて三河統一をはかっていることからも判ります。
しかも、当時の松平家の状況から何処かの勢力に属さないかぎり、存続は厳しかったハズです。
完全独立で勢力を拡大できるシミュレーションゲームのようにはいかなかったでしょう。
そういった点から、家康(当時元康)による信長殺害は有り得ないのではないでしょうか。
大坂の陣で家康が討死していたとかいうのと一緒で、歴史的事実を並べてみたときに客観的に見てありえない偽説の一つだと思いますがね。