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過去スレに総次郎の逸話を詳しく書かれてある文章を見つけました。
総次郎=宗司朗?
53 名前: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日: 2001/08/06(月) 09:31
義元が亡くなった後の今川家では衰退していく一方でしたが、城戸某と牧孫左衛門
、二人だけ剛の者がおりました。特に城戸某の桔梗門兜は「今川の桔梗笠」として、
敵味方に有名でした。もう一方の牧孫左衛門は派手な活躍はできずに没してしまい
ました。その跡取が13歳の宗司朗、体は弱々しく少女のようでした。
今川家が徳川討伐の布令を出した時、宗司朗は城戸某に頼みこんで桔梗門兜を
借りることにしました。それは、桔梗門兜を用いたならば敵も恐れ戦功がたてやすい
と考えたからです。第一宗司朗は弱々しいので、そのままだと馬鹿にされるかもしれ
ません。
ところが、いざ決戦の場に出てみると、自分目掛けて突進してくる武将がおりました。
それが本多平八郎。あっというまに落馬して、平八郎に馬乗りされてしましました。
そして平八郎は問う「なぜ女子が桔梗笠をかぶっている」。宗司朗応ず「憎き徳川を
討つため、思いのあまり借りてきた兜。我は断じて婦女子にあらず」
平八郎は大いに感じ入り勝負のあと、宗司朗を開放する。
のちに今川家は滅亡し、そして数年後、本多家を訪ねてきた偉丈夫がおりました。
武士として扱ってくれた平八郎に魅せられて、鍛えてから仕官願いをしてきた宗司朗
でした。
本多岡崎家譜より