04/08/21 03:07
加藤清正が出てきたので、忠勝じゃないけど、その辺のお話。
本当は秀吉の徳川家臣団取込み策の一環だったんだけど、加藤清正の娘は徳川四天王の榊原康政の嫡子康勝に嫁ぐ。
その縁か、舅同士が仲良くなってしまい、康政の筆まめが功を奏して、よく文通をしています。
小田原攻めの前に秀吉の勘気を蒙り、大坂留守番役となってしまった加藤清正。
そんな清正に康政は戦況を逐一報告。
北条氏邦の家臣が籠る鉢形城(現埼玉県寄居町)を攻めた所、家臣たちは易々降伏。これは小田原に籠っている城主(氏邦)も大したことないだろうとか。
秀吉が小田原城を攻めるために背後の石垣山に一夜城を築き、一夜で築いたように見せるために直前まで立木で隠して、
ギリギリで一気に伐採してみせたとか書き送っています。
逆もしかりで、朝鮮出兵の折、清正は康政の武功にあやかりたいとして、無の印の康政の旗印を借りています。
こういう交流もあったんですねぇ~。