06/06/30 00:10:05 RV/Rfiwv
>>52
>46歳の時に京から絵師を呼んで描かせたという話でしたね。
>明治21年に焼失したそうですが、当時の住職の話によれば、
>雲に乗った姿で髭を生やしていたらしい。
正確には「御雲昇天之図」は49歳(死の直前)で、明治時代の住職が言ったとされる
「ひげや眉など風貌・・・」(県史資料編2)の記述は原本不明(米沢上杉家の見解)です。
むしろ、伝謙信自画自賛像(テンプレ)およびその系統の「御生涯御随身のしるし」(栃尾常安寺)が
確実な自画像ではないかと思います。このほかにも、高野山には複数の画像が納められています。
髭面の肖像画がこれら自画像系統の構図と描写を踏襲し、なおかつ髭を付け加えている印象は、
誰もが持つはずですよ。なぜならば、いずれも「御雲昇天之図」(雲に乗って天に昇る)とは
明らかに構図が違うはずですから。江戸時代にも自画像系統の髭のない肖像画は描かれていますしね。
>験力を発揮する山伏としての姿を体現して無精髭を生やしていたのでは
飯綱権現・愛宕権現信仰説ですね。現存する謙信の願文中の記述では、山岳信仰はきわめて少数
なのです。毘沙門天ならまだしもですが、吉川元春の使者が会ったとされる謙信も
「陰徳太平記」(軍記書)の創作だと思います。
> 女性説を支持していない今の研究者は文献史学
>が分かっていないという事になりますが
これについては、桑田忠親氏(国学院国史学・東大史料編纂所)が八切氏と乱闘
(比喩ですw)に近い論争をやったことがありますので、史学界では禁忌とされる領域なのかも。