06/06/29 23:49:15 S84MfTmF
>>51
>「紀記」に出産を遅らせた伝承はあっても「男性化」はないようなので、
『日本書紀』神功皇后摂政前紀四月条や十二月条の一書に、「男の束装して」
新羅討伐があったと見えています。
そもそも、一節に拘り、深読みし過ぎという気もするのですが。
それから、この時代には記紀は吉田家の公家相手の講義を除いてほとんど知
られておらず(特に古事記は宣長の再評価まで稀)、存在した写本も抄本が
ほとんどで、記紀を読んで内容を知った人は稀でした。
(活版印刷による図書館や書店の経営が可能な上、注釈や読み下し文までつ
いている現代とは異なります。写本も読める人間も一握り)
信仰を支えていたのは、「中世神話」の世界です。
とはいえ、後世書かれた八幡信仰関係の書でも、皇后の男装は出て来ますか
ら、問題ないでしょうが。祝詞というか告文・願文の類の様ですが、その歴
史像に直接影響を与えたものは、鶴岡辺りにあったと思われます。