06/06/29 22:47:40 PROhY7qW
>>49
>「謙信は妻帯しなかった。理由は分からない」に戻るだけでしょう。
通説は42さんが書いているとおり戦勝祈願説、および学界で有力な男色説でしょう。
しかしながら、
「一、おまつ さい藤(朝信)殿えんか(縁嫁)の事、いそき申へき事、
一、かきさき(柿崎景家)そくに、きたてう(北条高広)そく女いいあわせへき事、
一、とをたう殿(長尾藤景)と小四郎(長尾景直・椎名氏からの人質で近臣)ゑんか(縁嫁)の事、(後略)」
「小四郎にあせんゑんかの事(跋文)」(伊佐早文書・県史3280・3279)
と、年次は不詳ながら(おそらく謙信政権初期)重臣たちの縁戚化政策を採っている
(通説に知行支配がほとんどなされていない補完?)謙信が、なぜ自分だけ妻帯しなかったのか?
後継者の不明とともに、謙信の不妻帯はのちに御館の乱で上杉家が滅亡の危機に直面させるほどの
重大事ですから、何らかの理由が求められるべきです。その意味で、史料の乏しい祈願説よりも、
それなりに傍証のある男色説が有力とされている由縁です。ではなぜ、形だけでも妻帯して体裁を
繕わなかったのかという疑問が生じます。そこで、最も合理的に不妻帯を説明できるのが女性説なのです。
上気の史料のほかにも、北条景広に能登畠山氏の未亡人を嫁取するよう勧めたり、寵臣の河田長親の一族に
旧越後上杉氏系の名族との縁戚化をはかり、自身も多数の養子・養女を迎えて婚姻政策をはかっています。
同じく史料の乏しい推論でも、合理的な説明ができる説に傾くのが文献史学の原則です。
>理由は女嫌いだったからでもいいし
すでに「三戸文書」「少将殿への書状」で否定されてますね。
>虫気
については、通説が「虫気」=「中気」(脳卒中)です。「ただの腹痛」という
カルテがあるわけではありませんから、テンプレにある「卵巣ガン」やその他の症例も
考慮されるべきで、少なくとも脳卒中説は史料に拠らないもの「上杉年譜」(江戸中期編纂)です。
肖像画ひついては、見た印象じゃないでしょうか。『県史』通史篇2、『新潟県歴博紀要5』の分類方法には、個人的には不賛成です。
べつに女性説に固執するわけではありませんが、謙信に関しては偽書・創作が多すぎます。少しでも実像に近づくことが
できればいいのではないでしょうか。かしく。