06/06/28 23:44:20 JoiYy/1P
>>42
上杉系図に「虎姫」が二人も・・・。迂闊にも知りませんでした、ありがとう。
通説では、謙信の生年が寅年だったので、虎千代。景勝(喜平次)は卯年なので
卯松とされていますが。謙信が女性だったとして、藩祖の幼名を姫に与えた可能性も?
>上杉謙信が妻帯しない理由
仰るとおり、誰も史料と整合性のある合理的説明を出来ません。
謙信の願文に「不妻帯の修行」や「不犯の誓い」はないのですから。
>>41
「大虫」(当代記)はともかく、「虫気」(景勝書状)は「腹痛・陣痛」で確実です。
同時代史料では、信玄の春日源助宛の書状にもあります。現代の国語辞典も同じく。
>男性説の立証方法は「謙信は確かに男でありました」という文献を探すの
>これは難しいと思いますよ。悪魔の証明に近いと思いますが。
どうして悪魔の証明になるのでしょう? 謙信をめぐる軍記書には、近衛前久の妹妙姫、
直江実綱の姉娘、千葉采女の娘伊勢姫の伝説(恋物語)があります。これら伝説の姫たちが
根本史料にあれば、謙信が男性であって女性との悲恋のすえに不妻帯を貫いたという
通説の裏づけが成立するはずです。しかしながら、一次資料に彼女たちの存在を証明する
記述はありません。これが例えば、武田信玄や織田信長の場合なら、一次資料に婚姻の有無や
結婚相手、側室の有無、息子も娘も多数立証できます。謙信の場合だけなのです。
たとえば『甲陽軍鑑』にある信玄の遺言「謙信は頼まれれば嫌とは言わない勇猛な男だ」も
「たけき武将なれば」を「勇猛な男」に誤訳したものにすぎません。戒名のほかに男性だと
する記述は皆無なのです。謙信を「勇猛な武将」と描いた軍記物語(偽書)の成立についても
前スレからいくつか拾ってみましょう。もう寝ますが・・・・。