06/06/28 23:17:57 tHFGXHac
非常に真摯な議論がなされているようなので、抱いていた疑問を書いてみます。
まず、上杉謙信が妻帯しない理由として仏門に深く帰依していたから…と言うのが
一般的な説なのですが、この説では説明の出来ない期間が生じているような気がします。
景虎が初陣する頃~長尾家当主になるまでの期間、です。
宗教上の問題は本人には大問題であっても、周囲がほおっておく理由としては
疑問が残りませんか?ましてや、その当時は越後国内は敵だらけなのですから
政治的にそんな話が出ない(破談していたとしても)のは妙な気がします。
特に、その時点の当主・晴景が言えば一悶着ある気が…。
もうひとつ、謙信以後の系図をネット上で調べたことがあります。
その中で疑問なのが、元服後に「虎」を名前に持つ当主が見当たらなかったのに
「虎姫」と名づけられた姫が2人もいることです。
謙信の母、虎御前(通称?)も入れると3人ですね。
直接徳川家と対峙したのは景勝なので、幕府に遠慮して
男児に「虎」の名を付けなかった…ってことは無い気がします。
長尾家では、「虎」は女性に付く名であった可能性は無いのでしょうか?
ただの知ったかなので、過去に同じやり取りがある&的外れな話だったら
正直、スマンかった。
どーしても気になったので、ご意見ご批判ありましたら…