06/07/15 06:11:50 awa1opDC
>>147
うむ。
伝承される性格は思い切りこの症状に一致するな。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
ただ小説なんかのプロパガンダのせいか>>12みたいな誤解をしてる人間が多いが信長は
そんな革新的なタイプじゃないよ。
むしろ保守的かつ堅実だといっていい。
宗教勢力と対峙して戦闘した大名は多い。叡山と石山寺はたまたま規模がでかいから目立っただけで。
武田家あたりが近畿制圧するばあいでもやはり戦闘にはなっただろうよ。
あと、叡山焼き討ちはかなり誇張されてるようで伝叡山の文化財がかなり多い。
実際はそれほど徹底した破壊が行われたわけでは無いと思われる。
衝突しなければキリシタン大名みたいに寺社を無差別破壊したりしない。
また、朝廷や幕府の権威を貶めるどころかむしろ復興しようと動いたのが信長。
義昭が兵を挙げなければむしろ足利幕府体制下で実権を得る体制構築に動いた可能性が高い。
楽市政策や関銭廃止なんかも他の大名がやって成果をあげた政策を取り入れただけだしな。
基本的に実績のないことはやらない。
戦術も桶狭間は遅滞戦術行動中に敵本陣と遭遇しただけだし、長篠は兵力優位と迂回打撃の結果。
基本に忠実に従って運を味方に付けるという形だな。
結論から言うと当時日本有数の生産力を誇った濃尾平野を抑え、堅実に動いてその初期優位を
生かし、かつ桶狭間やら美濃の内乱やら絶妙なタイミングでの信玄や謙信の死亡やらのいくつかの
幸運に恵まれたことが信長を天下人一歩手前まで押し上げたと言える。
(最後は今までの幸運が全部逆流したような死に方だったが)
しかし、奇人だったことは確かなので、それが仕事のやり方まで奇道だったように見せて
革新者信長とかの誤ったイメージを産んだんだろうな。
領国拡大に合わせて規模がでかくなってるだけでやってることは他の戦国大名とたいして変わらないのに。
既得権益破壊云々って一円知行化を進めること自体が戦国大名となる条件なのに。