06/09/06 13:35:57 gKs15c8n0
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さて前項では「押しかけ厨」たちの持つ万能感について触れたのだけれど、
少なからぬ「厨」たち(179例中29例)が「前世」について語る理由も、
その「万能の核」にあるんじゃないかと。
前世において、彼らは勇者であったり魔術師であったり陰陽師であったりと、
何かにつけ特権的な存在である。
平凡な農民の前世を主張する「厨」はいない。
「前世」の世界は、彼らにとって現世における空虚感が解消され、
万能感が満たされる場所なのだ。
さらに、前世を語る「厨」29例のうち、実に20例までが複数例なのは、
決して偶然ではないはず。
未熟な自己愛を持ち、自己愛の傷つきに耐性のない彼らは、
万能的自己像が傷つくのをおそれて他人からひきこもる。
でも、彼らはやはり「なかま」を、他者との関わりを求めているわけである。
普通だと、他者と関われば現実原則にさらされるわけで、
万能的な自己像は傷つかずにはいられない。
しかし、「前世」という、この世とは関わりのない場所に万能的自己像を保持しておけば、
自己愛の傷つきを怖れることなく関わりを持つことができる。
他の自己愛者も、同じ前世を共有しさえすれば、
傷つくことなく関わりに参加することができるのである。
「あなたは前世では魔術師だったのよ!」とか言われても、
現実に適応している人なら「はぁ?」と引くだけだろう。
でも、未熟な自己愛を抱えたまま、圧倒的な空虚感を感じて日々をすごしている人であれば、
心の片隅ではありえないと思いつつも、「そうだったのか!」と思ってしまうのではないだろうか。
それはまさに“奇跡”である。つまり、前項で述べた「艦長からのメッセージ」だ。
かくして、「前世」のネットワークは広がっていく、と。
つまり、「前世」とは、万能感を維持したまま他者と関わる彼らなりの方法なんじゃないだろうか。
この点で、「前世」は、きわめて個人的な分裂病の妄想とはまったく違う。
前世とは、万能感を満たす場所であり、さらに彼らのコミュニケーション手段でもあるのだ。
これが、「前世厨」に複数例が多い理由なんじゃないだろうか。