06/09/12 02:42:06 dv3P9jCr0
西千葉駅前の鳥居に関する話に必ず付き纏う後付けの理由筆頭。
『元は刑場だった』
結論を先に言うと、古文書関係の資料は存在しない。
そもそも現在こそ政令指定都市・千葉市ではあるけれども、江戸時代には大名所領として
『佐倉・堀田藩』と『生実・森川藩』の二ヶ所、それから旗本知行地や御家人の扶持を生産
する所領…つまり幕府直轄地と分割統治されていた。
大名領地なら諸藩、それ以外は知行主の旗本や代官支配地だったんだ。
代官は勘定奉行配下に置かれ、直轄地の支配を代行していたんだが、時代劇みたいな強権は有してはおらず(これは江戸町奉行も同様だが、遠島以上の沙汰は評定所で詮議の
上、老中の許可を得てからでなければ申し送り出来なかった)、百姓は結構勝手気儘な暮
らしをしていた。
旗本は己の知行地を自ら巡察する事なんか皆無だったから、近隣の代官や名主に申し付
けていたに過ぎない。