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昭和44年6月、群馬県沼田市上野地区。
小高い山の頂のような狭い土地に、14戸が建つ小さな集落がある。
その14の家は、すべて同じ苗字だった。
同姓の住民たちは、互いに姓ではなく、名前で呼び合っていた。
集落に繋ぐ道路は二本。
一本は国道17号から大きく迂回して、集落に続く車道である。
もう一本はクルマの通えぬ、人がすれ違うのもやっとの、細い山道。
ブナや楢の自然林の中の、正に山道。それも勾配の急な坂道である。
その山道を、地元民は「テング坂」と読んでいた。
テング坂は集落から百メートルほど降りる形で、JR(当時は国鉄)岩本駅に繋がる。
急勾配の坂道は国鉄で通勤、通学をする者が主に利用した。
車道よりも、岩本駅までの距離はずっと短いからだ。
そして事件は、この、テング坂で起きた。