05/11/02 09:45:36 tWSJIbQ30
>>637
そうかもねー。 明治時代には大分それでごたごたしたようだし。
まぁ、当時の日本は天皇制だたしねー。
>>638
恥川(はずかしがわ)だね。その姫は「あこや姫」だったと思う。
昔、都から落ちてきた姫がその川の水で顔を洗い、化粧が落ちたのか何かしたらしく、
「恥ずかしい」といったのが名前の由来とか。
あこや姫と言えば千歳山の松の話が有名だよねぇ。
>>639
うん、ただの偶然でもないかもよー。
山形県にある有名な神社は天津神を祭ったものがおおいからねー。
特に特徴的なのが出羽三山。
神社ではあるんだけれど平安時代の神仏習合が色濃く残っている教えをもっていて、
天台宗と神道や道教など諸々が合体したような教えになっているから、
その影響で仏壇と神棚が同居しているのかもしれない。(これはその家の人にでも聞いてみないと分からないけど。)
出羽三山は月夜見尊(つくよみのみこと・天津神)などを奉り、
天照神を奉る伊勢神宮と表裏の関係をなすお山だから、その周辺に天津神の色が濃いのも当然…かな?
あとは庄内の方に影響が強いことで考えられるのは、出羽三山を開いた人物(神の仲間?)が最初にやってきたのが由良の海岸だったからかもしれない。
つまり、庄内側から羽黒山に辿り着き、そこでこの国を治める伊志波(いずは→出羽(いずは→でわ))の魂と出会って山を開いたから…かも。
そのあたりの影響はよく分からないや。
時代としては推古天皇の時代だから、1400年以上も前の話だけどねー。
余談として、山形市では護国神社が有名ではあるけれど、あちらは明治2年に建立された、
戊辰戦争の戦没者を弔う為の神社(後に第二次世界大戦までの戦没者も)なので、そういった風習に関係があるかどうかは結構謎。