05/03/27 15:27:16 Z+d57Wt90
話を元に戻してすまないが、レヴィがまとめた清貧な魔術師の物語の例。
「真の魔術士は皆、(中略)節度と純潔を守り抜いた。(略)或る力を自由にする
ためには、こちらがそれによって振り廻されるようなかたちでその力に縛られては
ならないからである。」
「しかしそうなると、自然な欲望を驚異的なかたちで充足させる手段を魔術の
中に探し求める連中は、こう喚き立てるだろう、己を満足させるために使えない
能力なんて何の役に立つのかと。」
「快楽好きの人々よ(中略)好奇心が満たされるという快楽はきわめて大きな快楽
ではないだろうか?」
(『高等魔術の教理と祭儀』11章「魔術の鎖」より引用。)
「しかし、「大作業」に成功するためには(中略)予見者であることが必要であり、
そして富の利点を、己の興味の前に、放棄してしまうことが、それを分かち与えて
しまうことが不可欠である。」
(『高等魔術の教理と祭儀』21章「予見」より引用。)
こういった物語を多くの清貧なカバリストの逸話と共にレヴィは説いている。
この「俗世の富の放棄」→「魔術の大作業の完成と魔術的力の獲得」という
古くからある物語の再編が、GD以降の魔術に与えた影響は大きいのではないか
と思っている。
(うじゅぱ老師が説く「魔術を志す者は主役になることをあきらめよ。」という
魔術師心得に通じるものがあると思う。)
>>174
「自然の諸力」を召喚しない魔術儀式はケイオスマジック系の人が沢山作っている。
儀式によって自分自身の力のみを引き出すのは、OSWの定義から言えば
パワーマジックだと思う。