05/06/22 23:14:11 bwsp69qS0
時は昭和初期。
名古屋の菓子職人・増淵倉吉は裁縫の師匠で有る妻の元に通うお針子と恋仲になり、
妻の病死後には同棲生活となりました。倉吉は四十代、お針子(名前忘れた)は二十代。
父と娘ほどに歳の離れた二人でしたが倉吉の内向的な性格故に関係は母と子のようなもの。
お針子はその生活を面白おかしく友人にノロケていたと申します。
さて、倉吉は心機一転を図るため単身上京します。
しかし性格が災いして仕事は上手く行かず、お針子に愚痴だらけの手紙を送る毎日。
そんな彼にお針子は励ましの手紙を送るのでした。
昭和七年二月、名古屋市郊外の小屋でお針子の遺体が発見されました。
そばに倉吉の手紙が有ったことから
名古屋に戻った倉吉の犯行であることは直ぐに判明しましたが、
遺体には頭部、乳房、性器が無く、そして倉吉の行方も不明のまま。
一週間後、木曽川上流でお針子の首が発見されました。
しかし頭髪ごと皮膚が全てはぎ取られており、しかも目までえぐり取られている。
歯形でようやくお針子と判明したのです。倉吉の行方は不明のまま、捜査は打ち切られました。
一月後、同じく木曽川上流の茶屋の主人が物置小屋の中から鍵が掛かっていたのを怪しみ、
戸をはずして入ってみたところ想像を絶する光景を目撃しました。
あの倉吉が首を吊って自殺していたのですが、その風体があまりに異様。
お針子の着物を着込み、頭には彼女の頭の皮をカツラのように被り、
そしてポケットの中にはえぐり取った目を入れている。
小屋の中には何故か冷蔵庫がありその中には乳房と性器がきちんと並べて置かれていました。
しかし何故かおマンコのべろべろは発見されず、
警察は「倉吉が食べたのだろう」と判断しましたとさ。
倉吉は心身共に彼女と一体化しようとしたのです。