04/06/29 22:14 wCAmzjNr
原爆投下の第一の標的になったのは京都だったが、
京都は文化財が多いため、戦後の各国からの批判を恐れて断念。
原爆第1号は広島に投下される。
第2号は小倉に投下される予定だったが、雲が厚く断念。
引き返す途上、長崎に寄ったがここも雲が厚く、断念せざるを得なかったが
重い原爆を抱えてサイパンまで引き返すのは危険が伴うこと、
せっかくここまで来て何もせずに帰るのはもったいないことなどから、
雲間から目標地点が見えたことにして投下された。
日本政府内部では、終戦に向けて最後の激論が戦わされていた。
終戦の勅語に「国体ヲ護持シ得テ」の文言を挿入することにして、
かつ結論を出さないまま(可否同数のまま)御前開議に臨み、天皇の
決断に任せた。これが8月9日のこと。経緯を詳しくは書くスペースがないが、
少なくとも敗戦の決断に「原爆」はほとんど考慮されていなかったのは確か。