06/10/27 09:35:36
2
3:名無し三等兵
06/10/27 12:37:04 9JhvMaIh
>>1
スレ立て乙
4:名無し三等兵
06/10/27 16:47:17
>>1乙
テンプレに戦時中の所属部隊の照会方法も書いといた方が良いかもね。
5:名無し三等兵
06/10/27 17:55:10
>>4
あ~それ良い考え!あなたが作ってよw
6:名無し三等兵
06/10/27 18:14:40
>>1
乙です
これだけじゃアレなんで、うちの父方のじーちゃんの話でも。
じーちゃん、名古屋だかで戦闘機の整備をしていたそうだ。
ドイツから戦闘機用(メッサーシュミットのとか言ってたが…多分違うだろう)のエンジンとか部品とかと一緒に
説明書みたいなのも送られてきたけど、ドイツ語なんかわからないから勘で整備してたって。
「自動車のエンジンと同じだろ」とじーちゃんは言い切ったそうだ。
…うちのじーちゃんの整備の所為で、乗ってた飛行機落ちた方がいないことを祈るばかり。
戦後はその知識?とスキルを活かして自動車の整備工場を開き、片言の英語でアメさん相手に商売してた。
上着のことを「ジャケツ」という、ちょっとイカしたじーちゃんだったな。
7:名無し三等兵
06/10/27 19:13:40
うちのじいちゃんは第二十一師団八十二歩兵連隊所属でした。
戦場へは北支作戦で北支派遣軍として
その後仏印の方へ行ってます
戦場には終戦まで7年間いたそうです
その間に下士官試験を受けるも不合格
それでも終戦の半年ほど前には軍曹にはなってたみたいです
そのじいちゃんの初年兵時代の話。
8:名無し三等兵
06/10/27 19:23:56
祖父が陸軍に入ったのは17の頃だそうだ
当時背も高く体格も大きかった祖父は徴兵検査に甲種で合格した
それによると初年兵は大変だったらしい
まず跳んだり跳ねたり腕立てやったり走ったりと基礎体力をつける
それでへとへとになるしお腹も減るが、初年兵に許された食事時間は10秒もなかったらしい
茶碗一杯の米にみそ汁、たくわんが出る。
食事はじめの号令とともにみそ汁をご飯にかけて一気に飲み込みたくわんをかみくだく
一番最後の物は班付き上等兵から往復ビンタを食らったらしい。
当然その程度で腹がいっぱいになるわけなくお腹空かせた初年兵は古兵たちの残した飯を履きそうになるまで食べたのだとか。
9:名無し三等兵
06/10/28 08:34:21 zHVAaY5a
私の祖父は農家の出で、猛勉強して陸士→陸大を卒業してる。宮様と同期だったらしい。
最近関心を持ちはじめているのですが、陸大とか陸士って軍人養成学校ですか?どういう人が行くんだろ。
大学時代、祖父の名前が載った陸軍の本を発見した。かなり偉いひとだったみたい。
祖父には戦争の話は一切触れられなかった。子供心に触れてはいけない気がして・・。今は聞いておけば良かったと思う。召集されて戦争に行った人と自分から軍人になった人と、戦争の捉え方は違うのだろうか。
10:名無し三等兵
06/10/28 08:53:06
>6
DB601A
URLリンク(www.wdic.org)
彗星艦爆
URLリンク(ja.wikipedia.org)
三式戦
URLリンク(ja.wikipedia.org)(%E7%88%86%E6%92%83%E6%A9%9F)
11:6
06/10/28 14:49:12
>>10
資料の提示、ありがとう。読みながらうわああああってなったorz
そうだよ…じーちゃん言ってたよ…「ハ型は駄目だ」って。
話を聞いた当時、私はエンジンの事なんて何にも知らないから、じーちゃんが教えてくれた。
エンジンの中みると「ハ」の字型になってるから「ハ型」なんだって言ってた。
そうか…じーちゃんが生涯「ベンツの車になんか乗らない」って言い続けたのはこれの所為だったのかも…。
あの頃、もっとちゃんと戦闘機のこと聞いておけばよかったなぁ。
戦闘機乗りであった方々のご冥福を深くお祈り申し上げたい…。
他に聞いた話は、玉音放送後のどさくさに紛れて、軍からかっぱらった食料を積んだ車だかサイドカーだかで
横須賀辺りから家族の待ってる小田原まで逃げたってぐらい。
橋が封鎖されてて仕方なしに車を乗り捨てて、持てるだけの食料を手に何度も川を往復したって。
戦争に負けて、もう自分は米兵に殺されて家族に会えないんだって思ってたから、空襲に耐えて自分の家が
残ってて、しかも家族もみんな無事で自分を迎えてくれたときは本当に嬉しかった、そう言ってた。
酔っ払ったときに話してくれたことだけど、この時じーちゃんが食料持って逃げてこなければ、うちの父は
生まれなかったわけで…じーちゃんGJ。
12:名無し三等兵
06/10/28 18:44:02
ひょっとして遊就館の大展示室に吊ってあるの、彗星?
13:名無し三等兵
06/10/28 19:24:25
>12
そう
液冷の彗星艦爆
14:衛兵伍長
06/10/31 12:54:18 FBj34+lZ
>>9
陸軍士官学校は学業・体格ともに優秀な少年が競争試験を受けて合格すると入学できます。
家柄は問いませんが、お父さんが軍人だと試験をうけてみる子が多かったようです。
また明治時代には東京の大学に遊学するだけの学資がない貧乏な家の子が、お金のかからない士官学校で勉強しようと受験することも多かったそうです。
皇室や宮家は男の子供を陸海軍の軍人にする慣習がありました。(その場合は無試験同様で、入校・入隊しても少佐級の御付武官がつく特別扱いでした。)
一般には士官学校(予科・本科)在校中に士官候補生・見習士官と身分が進み、階級も上等兵から曹長に短期間で進級します。
卒業すると部隊に配属となり、少尉となります。30歳代で大尉、40歳代で少佐~大佐くらいになり、50歳代で定年で退職します。
ところが、中尉の時に陸軍大学を受験して合格すると、エリート・コースに乗ることになり、参謀や陸軍省の幹部となってスピード出世し、将官になります。
今でいうキャリア公務員というところです。
師団長や陸軍省局長、参謀本部の部長という要職は陸軍大学卒業者が占めていました。
おじいさんは、軍人として大成功した方なのですね。たぶん中将にはなっていらしたのでは。
15:9
06/10/31 21:21:15 UPTkRyrK
14>>
詳しい説明ありがとうございます!
確かに本には祖父は終戦時中将となっていました。
戦後は自衛隊にいたようです。
父が剣道の有段者だったのですが、全く敵わなかったとのことで、小さいころから祖父に習い、中学で段をとりに行った時に、「君はどこで剣道習ったの?それは実践向きだ」と言われたそうです。
口数の少ない人だったのですがもっと聞いてみたらよかったと思います。
これからも祖父のことを通じて戦争のことを調べてみたいです。
16:名無し三等兵
06/10/31 21:35:40 e6i/bAqe
うちの祖父は、ラバウル海軍航空隊(あってますかね?)で暗号を前線に知らせる部隊の軍曹をしていたそうです。
部下を前線に送り、何人も戦死させてしまったと残念そうに話していました。
終戦時の武装解除も担当し、海中に武器を投棄したそうです。
現地の住民との関係も良かったようで、心配していた蜂起や襲撃も無かったと話していました。
当時は興味もなくなんとなく聞いていたのですが、興味を持ったいま祖父はもう他界してしまい聞くことができません。
祖父がいた部隊について、詳しくわかる方はいらっしゃいませんでしょうか?
長文すみません!
17:名無し三等兵
06/10/31 21:57:40 DlfG0qCk
おおっと、これは通報だぁあああああああああああああ
18:16
06/10/31 22:06:22 e6i/bAqe
えっ!?
>16ですけど、何かいけないこと聞いちゃいましたか?
19:名無し三等兵
06/10/31 22:15:10 FV/pBDoy
うちのじいちゃんは301飛行隊(だっけ?)の燃料補給班に所属していたらしいです。
よくトラックに乗ってるときにグラマンに追い回されたって話をしてくれますね。
20:名無し三等兵
06/10/31 22:17:08 FV/pBDoy
うは、気になって調べたら343航空隊だったorz
よく調べてから書き込みするべきだ。
21:名無し三等兵
06/10/31 22:19:27
>>19-20
松山ですか?
鹿屋ですか?
22:名無し三等兵
06/10/31 22:25:27 FV/pBDoy
確か、松山だったと思います。
今年緊急入院・緊急手術してから痴呆になりはじめたらしく
記憶が曖昧なので今は聞いてもわかりませんが
23:名無し三等兵
06/10/31 22:39:40
>>19
第343海軍航空隊戦闘301飛行隊「新選組」
だから、あってるとおもう。
24:名無し三等兵
06/10/31 23:02:49
>>22
松山空港脇には、今も三四三空が使った掩体壕が残ってるし、
URLリンク(www.cc.matsuyama-u.ac.jp)
南下すれば愛南町に紫電改の実機(伝・武藤金義機)も残ってるよ。
URLリンク(www.asahi-net.or.jp)
見せたら、痴呆なんて吹っ飛ぶと思う。
25:衛兵伍長
06/11/01 15:21:02 06osNAn9
>>15
「実践(実戦)向き」剣道は、幼年学校(士官学校の付属中学みたいなとこ)から教えていたそうです。
軍人は、たいていこの式で、競技用剣道で有効打とされる技も、陸軍剣道では無効と審判されるほどの違いがあったといいます。
確実に相手を無力化しないと逆にこちらがやられてしまうので、強力な攻撃力に加えて、剣を投げ捨てての組討ちもありでした。
私の親戚が競技用剣道の有段者でしたが、町の道場で在郷軍人の将校に組討に持ち込まれてボコボコにされ悩まされたそうです(笑)
26:名無し三等兵
06/11/01 17:58:59 jGutlCZE
戸山流剣術だろう、真剣使用が前提。竹刀の剣道とは別物。勝負すること自体意味無し。
27:名無し三等兵
06/11/01 18:39:49
>>15
これどうなの?将は自衛隊に参加できなかったんじゃないの?
28:名無し三等兵
06/11/01 18:47:10 QB+GPRVn
>9さんへ
陸軍士官学校の入試は理系旧制高校の入試に匹敵したそうです。僕の部屋におじいさま等が解かれた入試問題ありますよ^^
29:9
06/11/01 19:19:14 i1m6AwUs
すみません。調べなおしたら中佐の間違えでした。中将と中佐では大きく違いますよね。恥ずかしいです。失礼しました。
調べたら第七方面軍の参謀部にいたようなのですが、参謀部って何をする所なのでしょうか?
30:名無し三等兵
06/11/01 23:53:40
伯父の父は、豪放な性格で稀代の遊び人だったらしい。
一緒に出征した親族の話を繋ぎ合わせて足跡を辿ってみたが
事実かどうか、どうにも怪しい部分が多々あるが、ここに記してみる。
・生まれも育ちも宮城県
・酒を飲むと決まって、あの乃木希典の指揮の下で戦ったんだと自慢した
・日露戦争に歩兵で参加。
・ナントカ高地(203高地か?日露=203高地という意味か?)の戦いに参加
・絶対に折れない心で弾薬の残量もきにせず、ひたすら突撃し奉天を占領。
・日露戦争後は実家に帰り、趣味の馬の育成に没頭及び大酒飲みということで
金にならないことばかりする、遊び人と呼ばれる
・満州事変勃発で軍馬の徴用があり、莫大な利益をあげる
・ついでに本人も徴兵される。事変と名の付くものにはほぼ参加
・ひたすら快進撃、中国兵は日本兵を見ると武器を置いて逃げ出した
・日米開戦後、しばらく敵がいないので暇だったが軍の命令により南下を開始
・ガ島だかで突撃時にわき腹を弾丸が掠め少し怪我をしただけで傷痍軍人となる
(本来数発撃たれた位では認定されないが、皆死んだし激戦だったから認定して貰えた)
・この頃は30代後半だったので軸重兵になる。40歳くらいになると
周りから、おじいちゃんと呼ばれ丁寧に扱われるようになる
・フィリピンからビルマのあたり(親戚も参戦してるため記憶が被ってる可能性がある)
まで移動、インパール作戦に参加する部隊を支援(見送り)
・壊走してきた15軍は裸足でボロボロの服と骨と皮だけになっていて
出撃した人間の殆どは帰って来なかったので、えらい負けたと皆思った
・とにかくグラマンには酷い目にあった
・現地人には解放軍として大歓迎される、が食い物がないのでニワトリ泥棒
をして部下に食料を調達する
・ビルマのあたりで捕まえた捕虜を軍医が生きたまま解剖するのを見せられる
かなり悲惨なもので精神的にかなり堪えて最後まで見ていられなかったと
戦後、酒を飲んだ時に伯父に話す(信じられない話だが)
・終戦後、鉄道建設で1~2年現地で働かされ帰国
・国から金が振り込まれてくるので遊んで暮らすが、タバコ吸いすぎで肺がんになる。
しかしタバコを吸えないなら死んだ方がましと言って吸いまくって死亡
31:名無し三等兵
06/11/02 01:02:38
323 :名無し三等兵 :2006/11/02(木) 00:57:53 ID:???
父方の爺や→海軍士官
母方の爺や→陸軍士官
既に二人とも他界。詳細は不明。
==========================
ですがスレより転載
32:衛兵伍長
06/11/02 11:12:37 RqDPqyD8
>>29
中佐でしたら、まだお若かったのですね。陸大卒業なら終戦時40歳代前半というところでしょうか。
参謀部とは方面軍司令部の主要部局のひとつで、副官部と一緒にして「幕僚」と呼ばれ、司令官補佐に任じました。
具体的には、作戦・補給計画の立案・実行、軍事情報の収集・分析が主な仕事で、参謀が課・班に分かれて仕事を分担していました。
参謀は将官級の参謀長から大尉のヒラ参謀まで大勢揃っていましたが、中佐参謀でしたら課長クラスですね。
33:9
06/11/02 17:37:27 vWg1PwgS
32>>
軍政監部参謀も兼任とありました。昭和天皇がなくなった直後に祖父もなくなったのですが、終戦時何歳だったのか不明です。
何故陸軍を選んだのか、軍人としてあの戦争をどう思ってるのか聞いてみたかったです。
祖父の遺品に戦中の写真や遺書(誰のか不明です)、日記があり、大事にきちんと保管されています。
今度祖父の家に行く時改めて遺品をよくみてみようと思います。
34:名無し三等兵
06/11/02 19:43:29
>30
>伯父の父
貴殿の祖父?
35:名無し三等兵
06/11/02 22:03:31
うちのおじいさんは二人とも戦争には行ってないが、母方のおじいさんは
学生時代に剣道で全国大会クラスだったそうだ。
剣道と真剣を扱うための術とはかなり違うんだろうな、そんなことを聞いてみたかった
と今頃思う。
36:名無し三等兵
06/11/02 23:42:27 KuU16EWG
そういえば曾祖父母の戦争の話はおろか存在すら聞いたことないな…。じいさんは変わり者で「8人くらい兄弟いるけど何人くらい生きてるんだっけなぁ?戦争で何人か死んだ気がするなぁ?」と…
37:名無し三等兵
06/11/03 00:12:06 KTnFiZhx
父方祖父
終戦時多分20歳くらい。徴兵される前に志願。
その方が行く先が選べたからって言ってたけど本当ですか?
終戦時は群馬で零戦とかの整備をしていたらしいです。
38:名無し三等兵
06/11/03 21:15:44
父方祖父
戦闘機乗りで零戦に乗っていました。(トラックだったと思う・・。)
海軍中尉でラバウルにも行ったと父がいっていた。
確かどっか全滅する数ヶ月前病気で帰国したとか・・・。
その後は終戦まで教官をやっていたそうです。
(バリバリ戦っていたときは、何度も死に掛けたとか・・・・・。)
原爆落ちる数日前まで広島にいたという噂もちらほら・・・。
39:名無し三等兵
06/11/04 23:20:48 TsfUoGSj
うちのばあちゃんは日赤で従軍看護婦でした。大局の婦長がいて
仕事をチンタラやっていると怒鳴られ、若い兵士と話していると
往復ビンタされたそうですが、ところで兵士はみんな優しかった
そうで、よく甘いものを持ってきてくれて、フィリピンでは
すごくモテて楽しかったそうです。外出は集団行動だったそうですが
みんな別れて誰かとあっていた(笑)、負傷する人より伝染病の人が
多くて、ホルマリン消毒が臭くて大変だったそうです。
フィリピンから移動して半年後に台湾で、前いたところの
部隊が玉砕したとか言う話を聞いて悲しかったそうです。
終戦時は博多にいたそうですが、原爆は「新型爆弾」とか
言っていたそうですが、上の人はどんな代物かみんなわかっている
ふうだったそうです。長崎に派遣された看護婦もいたそうですが
同僚は「体がこわい(苦しい)」とか言う人も多くて原爆症?の人
もいて、あまりのショックで長崎で何があったか話さなかったそうです
終戦はわめき散らす将校とかがいたそうですが、概ね平穏だったそうです。
うちのばあちゃんも好きだった兵士なり将校がいたみたいですが
戦争中のことは俺以外のじいちゃんにも話していないし、棺おけまで持っていきそうです。
40:名無し三等兵
06/11/05 10:30:14
>これどうなの?将は自衛隊に参加できなかったんじゃないの?
最初はな。でも徐々に解除されていって、そのうちどうでもよくなったんだよ。
豪傑バカ参謀で名を売った片倉だって、終戦時少将だったけど、戦後まで
生き残って陸自に入り、陸将補になって師団長やったぞ。
41:名無し三等兵
06/11/05 15:41:10
一度予備役になってから自衛隊(警察予備隊?)に入った元帝国軍人ってどのくらいいるんだろ?
42:名無し三等兵
06/11/05 17:52:18
豚切スマソ
母方の祖父は志願兵だったため、比較的戦火のひどくない
南国の戦線へ送られたそうだ(場所は知らん)
戦闘らしい戦闘もなく、周りにたくさん生えてる青いバナナを
もいで吊るして黄色くなった頃に食べたとかで、食べ物にも
不自由しなかったとか。戦後は即引き揚げられたそうだし
運が良かったとしかいいようがない。早死にだったけど・・・
43:名無し三等兵
06/11/05 22:20:55 dJ+Nm9dX
>>38>>42
志願兵って何か優遇措置があったの??
44:名無し三等兵
06/11/05 22:21:32
スマソ
>>37と>>42
45:衛兵伍長
06/11/06 15:51:25 PVgS7fEp
>>43
別にありません。早く兵役を済ませときたい人や、下士官になってずーっと軍隊で暮そうとする人が徴兵適齢年以前に志願することが多い。
特に海軍は志願制が主で、不足兵員を徴兵で補っていたので、志願兵が幅を利かせていたが、これとて徴兵で入った人と待遇は変わらなかった。
若年で志願すれば要はそれだけ長く軍隊に在籍でき、志願兵だからというので、上官から目をかけられる度合いも多少増える程度。
46:名無し三等兵
06/11/06 16:10:57 g9x9fe6G
俺の爺さん(故人)は、日中戦争で川崎重工から召集され中国戦線に借り出されたが、
昭和14年ぐらいに、川崎重工が出した「優秀工員兵役免除申請」で日本に
つまりは川崎重工に帰ってきた。そのとき、造船工事にたずさわったのが
空母瑞鶴。もう、何かあるつうのは分かってたのかは聞きそびれた。
47:名無し三等兵
06/11/06 17:17:16
今思ったが
戦争体験=軍隊での体験じゃないよな。
母方のじいさんは兵隊には取られたが、何をしてきたのか分からん。(農業指導の勉強してたから満州とかか?)
家は農家だったので(連れてこられたのか、勝手に来たのかは分からない)朝鮮人はかなり役に立ったらしい。
そして終戦後、土地を耕しきれないから人に貸してたり、雇ったりしてただけで暴利な地代取ってないのに地主に認定され農地縮小。
開拓すればするだけ自分の物になる新天地蝦夷に来て苦労したのにこの仕打ちは何なのだろう?
GHQに謝罪と賠(ry
48:42
06/11/06 17:56:44
遅レススマソ
>>43
おかんから又聞きしたけど、うちの場合も赤紙が来る前に志願しただけで別に
特権があったわけじゃないらしい。階級もお情けで一等兵。
当時戦況が穏やかなところへ送られただけで(着いてから激化する可能性も
あったろうし)あんまり関係ないと思う
ただ消防の宿題でじいちゃんの話を聞いたときは、正直拍子抜けした。
けど、悲惨なイメージしかなかった戦争に興味を持ち始めたきっかけでも
あるんだよな・・・
何かスレ違っぽくなってきたから俺消えるわノシ
49:名無し三等兵
06/11/06 19:02:45 MxDj3fDz
>>16に父方の祖父の話を書き込んだ者ですが、母方の祖父の話です。
陸軍だった祖父の所属していた部隊は、中国兵の捕虜へ酷い対応をすることなく優しく接していたそうです。
その中の捕虜だった方が、今から15年前くらいに祖父に会いに来てくれました。
その人は台湾に住んでいて事業を起こし、かなり成功されていました。
今はもう祖父は亡くなってしまいましたが、小さい頃に「おじいちゃんも人を殺したの?」と聞いたことがあります…
その時、無言になった祖父の顔が今になっても忘れられません…
おじいちゃんごめん(つд`)
50:名無し三等兵
06/11/06 19:15:17 reXrXAVI
うちのじいさんは、船に揺られて中国に駆り出されたわけだが、
船からおりた直後、空爆で乗ってた船が撃沈。
マラリアにかかり、国に戻されたが、戦場で撃たれた銃創痕がある
51:名無し三等兵
06/11/06 23:12:28 UJyFH/2N
うちのじいさんは、戦争終了まぎわ、近くに分捕った(単戦などは電線に
引っかかるようなことがあったらしい)アメリカの戦闘機が並べてあるのを
見に行って、あまりのかっこよさとハイテクな感じにショックを受けたそうだ。
そんで「日本の戦闘機は不細工。雷電なんか無理して作ってるのが一目瞭然」
と言った。雷電って言葉が出たときはびっくりした。
52:名無し三等兵
06/11/06 23:23:07 Ro0z3B79
じーさん、陸軍で隼に乗ってた
53:名無し三等兵
06/11/06 23:25:52
うちのばあちゃん老人ホームにいるんだがなんか話聞いてるとじいちゃん特攻隊だったらしい
千葉だかの基地で特攻に行く当日に昇進試験の結果が届いて合格してたから特攻は無しになって
代わりに逝くことになった人を「残念であります!」とか言いながら見送ったらしい
じいちゃんもう死んじゃったしばあちゃん軽くボケてるから本当かどうかわからんのだけど
これってありうる話なんだろうか?
宿題でじいちゃんに戦争のこと聞いたら小学生の俺にプリンスオブウェールズを沈めた話ばっかしてたからな
54:名無し三等兵
06/11/06 23:29:07 Ro0z3B79
マレー海戦の陸攻乗りで
後に特攻隊に回されたのいたっけか??
55:名無し三等兵
06/11/06 23:32:24
>>54
多分マレー沖には参加してない
日本が勝った話をしたかっただけなんじゃないかと思う
56:名無し三等兵
06/11/07 00:10:24
家の爺は幹部候補生だったらしいが腸チフスになって帰ってきたとか
57:名無し三等兵
06/11/07 14:58:09
>>47
うちの祖父も農大出て北海道に渡ってたことが有る。
戦後、本州の方だが農地ずいぶん取られた。
58:名無し三等兵
06/11/08 00:16:36
ウチのじーちゃん、戦中は30超えていたので徴兵される事無く終了。
長男が南方で戦死したが、詳細は不明なまま自分が高校生の時に死去。
このじーちゃんは戦後、子供8人を育てるために
焼け跡から電線などの鉄を闇で売りさばいていたが、
あまりに儲けすぎて同業者から目をつけられて
当時にしてはものすごい金額の罰金刑を受けたが
それまで稼いだ金でスパッと払ったそうな。
そんなじいちゃんが娘たちの食べさせたのがかぼちゃだそうです。
だから、伯母達が集まると「かぼちゃは嫌い」という話になります。
戦後生まれの母は特にかぼちゃに思い入れは無いそうです。
59:名無し三等兵
06/11/08 16:33:21 Es1oreGU
昭和20年2月、空襲で名古屋が焼け野原になっている時、
近郊の稲沢では天下の奇祭として知られる 国府宮神社の
「はだか祭り」が、通常通り開催され賑わった。
近所のおばあちゃんの小学疎開 時代の日記より。
60:名無し三等兵
06/11/08 18:28:11 /EdrWrGI
うちの爺ちゃんは海軍。
ちっちゃい隊?を指揮してたらしい(詳細不明
戦艦の上を敵飛行機が飛んでると、頭が冷たくなるって言ってたな
終戦が後2日遅れてたら、特攻してたって。。。
61:名無し三等兵
06/11/08 19:29:36
>>59
めちゃくちゃな時代だからこそ、
『昔からの予定通りの行事』
を狂った様になぞるのさ
62:名無し三等兵
06/11/09 08:00:07
オレの爺さんは明治の人だったので兵隊には行ってない。
代わりにちょっとほのぼの(?)ネタを。
爺さんは釣りが趣味で釣り船(時代劇に出てくるようなヤツ)を持っていた。で、戦時中
も釣りに出かけてたんだが、ある日、水上で釣り真っ盛りの最中に空襲警報発令!!
結局、B公は素通りしたらしく空襲は無かったんだが、爺さんは無人の通りを蓑・傘株っ
て釣り竿片手にトボトボと歩いて家に帰った(船着き場から家までちょっと距離があった)
んだとか。よっぽど恥ずかしかったらしく、それ以来、爺さんはパッタリ釣りを止めてし
まいましたとさ。
63:名無し三等兵
06/11/09 12:52:55 l7JhQSx2
昭和20年9月初旬、焼け野原の名古屋。
焼け残った東宝会館(納屋橋)でいち早く
「なごやをどり」(西川流)を開催した。
終戦直後にもかかわらず、大勢の観客で賑わった。
みんな娯楽に飢えており、平和の解放感を満喫したと。
64:名無し三等兵
06/11/09 18:24:40
敗戦は平和ではないぞ 惨めなものだ
平和とは戦い勝ち取るものだ。
昔からどこの国でも平和のためというのが戦争の建前だが、
現実世界においては確かに平和とは力なくして得られぬのだ
65:名無し三等兵
06/11/10 07:25:38 fjKb9kR1
その力が必ずしも軍事力というわけでもあるまい
66:名無し三等兵
06/11/10 09:55:56
>敗戦は平和ではないぞ 惨めなものだ
その通リだ!半世紀たっても、その為にユスられる。
どれだけ自分たちの正当な利益をタカリ取られたか。
そろそろ真剣に考える時期だ。
67:名無し三等兵
06/11/10 12:40:47 d9SZcJsv
>>65
無防備マン自重しろ
68:名無し三等兵
06/11/10 14:17:33
海軍で満州に逝き、鳩の飼育をしてた。
戦後はシベリア抑留を経て、死んだと思われていた所に帰ってきた。
何故海軍のくせに満州に逝ってたかは、全然語ろうとしない。
69:名無し三等兵
06/11/10 17:21:19
はと!? 食用かな・・
70:名無し三等兵
06/11/10 17:26:45 TvEArBuX
伝書鳩じゃね?
しかし、何故海軍が?
昔は船から陸への連絡手段が伝書鳩だった事が
あると何かで見た記憶があるがまさかねぇw
71:名無し三等兵
06/11/10 21:30:22
>>68
ズバリ↓の部隊と同じ様な部隊だと思います。
URLリンク(www.horae.dti.ne.jp)
72:名無し三等兵
06/11/11 20:21:03 u6UNJTrF
インターネットも伝書鳩だったら、、、という研究論文があったね。
73:名無し三等兵
06/11/11 20:25:11 Fz2fLPuW
うちのじいちゃん中国行ってたらしい。肩に弾丸の痕があって小さいころよく見せてもらってた。
結構自慢げに話してる。前線で何人かの部下とドンパチしたらしい。大砲撃つ合図もしてたとか
74:名無し三等兵
06/11/12 17:01:26 YnoCVIs4
人間爆弾「桜花」、人間魚雷「回天」、人間兵器「震洋」、 人間機雷「伏龍」、
「九九式襲撃機」、人間兵器「マルレ」、 「九七式艦上攻撃機」、「零式艦上戦闘機」…
8人の元特攻隊員にインタビュー。
当時の特攻隊の内部のこと、作戦のこと、兵器のこと、隊員たちの悩み、喜び、葛藤......。
意図的に歪められてマスコミに伝わる重要証言など、今まで誰も耳にしたことのない話ばかり。
「特攻 最後の証言」
URLリンク(www.amazon.co.jp)
75:名無し三等兵
06/11/12 18:22:38 /pPb3NPE
うちのじいちゃんは茨城で訓練部隊の指揮官?をしてて、戦争には行ってなかったらしい。
だから、その時の話。
部隊は朝は早くて6時起き。突撃ラッパ(某埼玉のプロ野球チーム応援団が試合の合間に吹く奴)
の音で起こされる。どんな訓練をしていたかは分からない。多分いろんな事してたと思う。
俺が聞いたのは、じいちゃんが自腹で葉書を買ってきて、季節ごとに部下に故郷の実家に
手紙を書かせてたそうな。ただ、その時文章に間隔をあけて書かせ、その合間にじいちゃんが
「お宅のお子さんは元気で、たくましく~。私が責任を持って指導しておりますのでご安心してください。」
と書いてたらしい。
そのせいか面会日には部下の家族が食べきれないほどのおはぎとか持ってきてみんなで食べたりしてたと。
色々な人間もいるし、じいちゃんも訓練は厳しくしてただろうけど、でも兵隊さんは鬼でも悪人でもない。
ちなみにそのじいちゃん、最後の方は「この戦争は負けるだろうし、時期が来たら自分も戦って
死ぬかもしれない。でも、やる時はやってやる。」と思ってたそうな。
この人がいなかったら俺は今存在しない。こんなじいちゃんを俺は誇りに思います。
76:名無し三等兵
06/11/12 22:34:05 xbQgezNn
>>75 俺のじいさん44年か45年に茨城の多分その部隊にいたっぽい。東京帝国大学の学徒兵で将校してたみたいなんだが会ったことあるかもね。
77:名無し三等兵
06/11/12 23:26:07 JyOb7DfJ
うちのじいさんは最初に入ったときは近衛兵してたみたいです
再度志願したときには千島に送られ占守島の戦いに参加しました
停戦後かなり荷物をぶんどられたらしく今もロシアが嫌いです
シベリア抑留もされたし
78:名無し三等兵
06/11/13 02:58:13 8DIAbh/G
>>76
茨城にどれくらい部隊がいたかは分からないけど、そうだったら奇遇ですね。
今度じいちゃんに聞いてみます。
79:名無し三等兵
06/11/13 03:17:01 eAW0GlZs
>>77
うちのじいさんも露助を死ぬほど嫌ってる
満州から逃げるときに荷物全部ボッシュートされたからだとか・・
でも、その時親切にされたからとかで支那人にはやたら寛大
80:名無し三等兵
06/11/13 03:23:22
>>4
これを知りたいのですが、どうやって調べるのですか?
81:名無し三等兵
06/11/13 04:32:01 XBpNzMw8
おれのひいじいちゃんが陸軍士官学校出で中佐だったんだと。
大陸での任務ばかりだったそうで、補給部隊だったと祖母はいうが、
父親の話では「おじいちゃん(父からみて)の軍刀は血で錆びていた」そうだ。
どこかで誰かを殺しているのかもしれない。
そして月見酒ばかりに耽る晩年だったらしい。
「戦場はなあ。気ィ狂うからな…」と父に言ったこともあるという。
下の名前は嘉三郎(よしさぶろう)
ちなみにおれのおじいちゃんは陸軍伍長。
これといった逸話ナシ。
メロンを食べた後63歳で死去。
むしろばあちゃんのほうがよく戦争話をしてくれた。
82:名無し三等兵
06/11/13 04:33:26 MdsAitOL
メロンに毒でも入っていたのか?
83:名無し三等兵
06/11/13 04:41:41
>>82
脳溢血かなんかだったよ。
まあたしかにばあちゃんとは仲悪かったけど毒殺はないと思う。
84:名無し三等兵
06/11/13 04:53:37 MdsAitOL
そうか。俺のじいさんは桃食ったら死んでたな。
桃が好きで80近いのに5個くらい食ってたもんな。
たった5個でしんじゃうんだもん。
85:名無し三等兵
06/11/13 05:18:13
死ぬ間際に自分の食べたいと思った物を食べて、
安心感の様なものが出て、気が抜けて死んだのではないだろうか?
末期の水みたいに。
86:名無し三等兵
06/11/13 07:16:57
>>80
『軍歴照会』ですか?
・陸軍の場合は、対象者の御本籍地の県庁で恩給・援護関係業務の担当部課に尋ねる。
・海軍の場合は、厚生労働省・社会援護局業務課調査資料室に尋ねる。
87:80
06/11/13 10:29:42 0UcwH115
>>86
ありがとうございました。
本籍地まで遠いので次のお盆までお預けです。
88:名無し三等兵
06/11/13 12:16:07 gpCxInay
なんかいいスレだな。
みんな、じいちゃんばあちゃんをもっと敬おうぜ。
自分個人の血類だけじゃなく、「その人々のおかげで今の我々がある」
ところの昔の日本人一般に対してね。
89:名無し三等兵
06/11/13 12:52:38 xsAXj/6Z
スレリンク(asia板)
90:名無し三等兵
06/11/14 02:24:30
>>88
なんで日本人に限定するのだろうか?
人間の起源たるアフリカ、自由権のヨーロッパ諸国、
漢字やいろいろな知識のアジア、そして今のアメリカ。いろんな国のいろんな人のおかげです。
91:名無し三等兵
06/11/14 07:02:46
>>90
どうぶつやむし、くさやはな、みんなにかんしゃ みつを
92:名無し三等兵
06/11/14 09:06:57
>90
地球形成に影響した太陽や銀河中心のブラックホールにも
93:名無し三等兵
06/11/14 17:54:51
以前、墺太利のTa152に乗ってた爺様の話を書いた者です。
また行って来ました。爺さま元気でしたが目がそろそろ・・・
Ta152に初めて?(機体に慣れる訓練の後かも?)乗った時の
お話。それまでFw190Aに乗っていた爺様にとってTa152は凄い
機体だったそうな。 5000m以下では190より性能が少し良い
程度だが、5000m以上だと格段に性能が良かったそうな。
ある日テンペローフ?という飛行場を4機で飛び立ち連合軍の
偵察機を迎撃したときは、いつもなら5000mからは、なかなか
高度が取れず敵に合う事すら出来ないが、この日は2機の英軍
機をしかと補足! その英軍機2機は(たぶんモスキート!)
分かれて、わずかにダイブしながら逃げ出したそうな。
こちらは上昇中、相手は高高度からわずかにダイブしながら
速度を増すので、さすがの152でも追いつけなかったそうな。
そのうちフラック(高射砲?)が邪魔しだしたので、帰還
したそうな。
94:名無し三等兵
06/11/14 23:00:29
>>93乙です。
飛行場の名前ですが、多分現在のテンペルホフ空港の事だと思われます。
95:名無し三等兵
06/11/15 01:06:05
行きつけのバイク屋の爺ちゃん。我が親父の元世話役だった。
陸軍の整備教育を受けたことが大の自慢。
「一式戦(ハヤブサ)、九七重(爆撃機)で教育を受けた」から始まって、
百式重では人が沢山事故死した(高速で飛ばないと危険な殺人爆撃機
だったらしい)とか、三式戦(ヒエン)はラジエターに直ぐ穴が開いて大変
だった(配管の取り回しが悪かったらしい)とか、 語らせたら一時間は喋り捲る。
手に入れたハ103の整備マニュアルをコピーを渡したら大変に喜んでくれた。
街で一番古いホンダのバイク屋で、今でも現役整備士。
ソーイチロウさんから直に受け取った表彰状など多数あり。
96:名無し三等兵
06/11/15 01:12:33
知り合いの爺ちゃんその一。
陸士73期・・・だったか、最後のほうだけれど
中野学校にいかされ特務につく。
737部隊(ハイラルといってたけど満州?)の砲兵隊づきだったが
あそこの要塞はすごかったとか、それからフィリッピンへ行かされ
たけれど戦闘になる前に転属命令が出て船で移動中に潜水艦に
ボカチン食らって台湾の猟師に助けられた。親切にされたとか。
台湾で終戦。特務だったので籍を抹消されていて帰国が大変
だったとか。
97:名無し三等兵
06/11/15 01:23:21
私の大叔父。
旭化成か住友化学か忘れたけれど、そこの技術者だった。
ところが戦争が進むと赤紙が来て兵隊にさせられてしまった。
それから火薬の製造が滞ってしまった。
軍がクレームをつけたところ、会社はその人がノウハウを
持っているからうまくいかんのですと回答。
結局、大叔父は直ぐに戻されたとか。
98:名無し三等兵
06/11/15 08:25:44
>94
テンペルホフ空港でしたか気がつきませんでした。
ベルリンの中ですよね。
といいますのも、この空港に降りたわけが何やら機材の取り付けの為
だそうで、その機材を作ったメーカー名がWeser・・・GmbH(詳細名
わかりません)ブレーメンあたりの川の名前ですのでドイツ西部での
お話と思っておりました。
99:名無し三等兵
06/11/15 15:39:58 hLVe0gvt
俺の爺さん(86)は40年から終戦まで香港や広東あたりを
守備してたらしい。ロッキード(多分P-38のこと)の
機銃掃射を喰らって機関銃で反撃したらしい
100:名無し三等兵
06/11/15 18:05:07
近所のおばちゃんは子供の頃、名古屋の空襲に遭った。
屋根を突き抜けてきた焼夷弾を、ホウキで一生懸命叩いていたら、
駆けつけた親は手につかんで外へ放り投げたとのこと。
叩いたおかげで、畳の焼け焦げが広がり、ずいぶん怒られたと。
書いてみると、なんだか、のんびりしてるけど、親も子も必死だった模様。
おかげで、我が家も延焼を免れたはず。
101:名無し三等兵
06/11/16 02:15:38 Tfjk/kYE
俺の母方の祖父は徴兵されて陸軍二等兵となり
昭和21年までラバウルで魚とってそれほど不自由なく暮らしていたそうだが
102:名無し三等兵
06/11/16 02:27:15
うちのじいちゃんのアニキ二人が
陸軍で大陸に行ってたんだけど
一人はブカンサンチンってところで戦死したらしい
だけど、死ぬ前に奇跡的に上海だったか香港だったかで
再会したらしい
片方のお兄さんは南京攻略戦に参加したとかで
民間人らしきに人を殺す場面を見た事があるって言ってたけど
でも、中国軍は民間人のフリをするからしょうがない・・・
みたいな事を爺ちゃんはアニキから聞いたらしい
103:名無し三等兵
06/11/16 03:18:10
多分、皆様、よく聞かれる話だと思います。
わたしの祖父(故人)は、満州にいて、ロシアに捕まってシベリア送りされました。
シベリアでよほど酷いものを見たのか・・・
祖父はシベリアでの経験を決して話そうとしませんでした。
ただ、曾祖母(故人、祖父の母)だけにはポロっとこぼしたようです。
(わたし自身が曾祖母から聞いたわけではありません。
曾祖母が孫娘(わたしの母)に話したので、母から聞いた話です。
また、曾祖母も母に全てを話したわけではないようです。)
「あいつら、死体からモノを剥ぎ取ってる・・・」
「文字も読めんのに、腕に一杯、嬉々として時計をつけて・・・」
「(時計の数を)仲間同士で比べあっていた」
祖父は非常にロシアを憎んでいたそうです・・・。
東京オリンピックが開催され、ロシアの選手が入場するのを見たとき、
それまで機嫌よく娘(わたしの母)を膝に抱えていたのが、突然、
「ロス公!死ねぇっ!!」
ともの凄い形相と大声で叫んだそうです・・・。
祖父の胸の内の傷を思うと、物凄く、やるせない気持ちになります・・・。
104:名無し三等兵
06/11/16 03:30:18 BLGmnJNQ
俺の死んだじいちゃんは名前忘れたけど、打ち落とされた大きな戦艦の中のラムネ工場制作の責任者の一人だったらしいお
あんまり戦いには貢献してなかったそうだけど
105:名無し三等兵
06/11/16 03:37:45
>>104
ちょ・・・大和・・・mjd?
釣られた?
106:名無し三等兵
06/11/16 03:59:55
武蔵とか?
しかし打ち落とされたって何?意味分からん。
沈められたと言う事か?
107:名無し三等兵
06/11/16 06:23:38
昔お世話になった印刷屋の主人は、ラバウルで衛生兵してたと。
P-38の機銃掃射食らって、戦友は胴体がちぎれたそうな。
椰子の木も倒れる威力とか。なぜか「16mm弾」と言ってたが…
108:名無し三等兵
06/11/16 07:42:53 YyfDNiG0
>>103
死体から物奪うのってそんなに酷いことなのかな?
戦争映画で、米兵が独兵から奪った服とかルガーとかを
楽しそうに自慢し合ってたから、当たり前のことだと思ってたんだけど。
109:名無し三等兵
06/11/16 08:52:06
へ~ あたりまえのことなんだ。
今度その当たり前のことを、やってみな!
110:名無し三等兵
06/11/16 09:37:36
アメリカ兵はスーベニアのために戦ったというぐらいだから。
基本的に余裕あって金持ちだから、戦利品にも
ちゃんと交換品か金銭をはらうケースが多かったようだ。
111:名無し三等兵
06/11/16 10:01:37
死体にどうやって対価を払うのだろうか。
112:名無し三等兵
06/11/16 11:07:56
死んでくれてサンキュー・ベリマッチ!と感謝の言葉。
113:名無し三等兵
06/11/16 12:13:52
>>108
北アフリカや東部戦線・南方の過酷な地域なら物資も不足気味だし
死体から色々使えそうな物を物色したかも知れないが、
アメリカとかは記念にこれ持って帰ろうかな~、みたいな感じだと思う。
ソ連兵の場合は皆貧乏な奴が多かったり、極悪過ぎるから平気で持っていくだろう。
うちの爺さんから聞いたのだが、
ソ連軍に捕まった爺さんの友人の話では、ソ連兵は、奪ったねじ巻き式の時計を
止まったら壊れたと思って捨てていたらしい。
これを見て本当に馬鹿だと思ったそうだ。
114:名無し三等兵
06/11/16 12:28:14
>>109
>その当たり前のことを、やってみな!
毎日してますw
URLリンク(www.sega.co.jp)
パンツァーシュレックやパンツァーファウストを奪わないと、
パンターやケーニヒスティーガーをやっつけられませんww
115:103
06/11/16 16:12:23
>>108
わたし自身、先に書かせて頂いた様に
祖父から直接聞いたわけではありませんので・・・。
(なにかもっと酷いものを見たような感じですし)
ただ、わたし個人の感覚と推測ですが
敵国の兵が祖父ら酷使しながら、祖父の仲間の兵の死体から
祖父らの目の前で物を剥ぎ取り、それを自慢し合っていますから・・・。
物の価値もわからず、大量にあつめて見せ合っているならなお更・・・。
憎まないこともないんじゃないかな、と。
映画見ても、わたし個人の感覚では(エゴですけど)
敵兵の死体から者を剥ぎ取って、喜んでいるというのはどうにも
生理的にうけつけられません。
116:名無し三等兵
06/11/16 16:26:08
>115
>敵兵の死体から者を剥ぎ取って、喜んでいるというのはどうにも
>生理的にうけつけられません。
一般的な日本人ならそれが普通の感覚ではないかと思います。
>108や114の書き込みにレスなど時間の無駄ですよ。
映画やゲームの中で云々といった非常に幼稚なたとえで粋がって
いるだけです。程度が低すぎます。
あなたの言いたい事は、ほとんどの人に伝わっています。
アホにまで丁寧に伝える必要はありませんよ。
117:名無し三等兵
06/11/16 16:30:21
>>114
ガンガレ、チミにもきっと出来る仕事がある!
118:名無し三等兵
06/11/16 19:22:18
でも、俺が兵隊として戦場に駆り出されたら、
最初はイヤかもしれないけど、きっと死体から装備や食料をを剥ぐ様になると思う。
生き延びたいから。
全体的に勝ってる戦争でも、
一時的に守勢に追い込まれ、補給が滞る事もあるだろう。
だからきっと死体から装備や食料を貰う。(死んだ人はもう使えないんだから)
人肉もたぶん食べる。
どうしても生き延びたいから。
119:名無し三等兵
06/11/16 20:06:40
それは生き延びた後が必ず平和だと思っているからじゃないかな。
120:名無し三等兵
06/11/16 23:40:12
俺も118と同じようになると思う。
それよりも一番怖いのは他人を殺さなければいけないことだな。
121:名無し三等兵
06/11/17 00:28:44
>>118,120
過酷な環境で生き残るための獲得と
ただ自慢したいだけの分捕りは違うだろう?
死体から剥ぐという行為だけを見て同義に考るのか?
腕時計でどうやって生きていく気だ、お前らは・・・
122:名無し三等兵
06/11/17 02:07:06
インパールで死んだじいちゃんは食べられたんだろうか・・・
123:名無し三等兵
06/11/17 03:30:16 wChXw5TL
>>105
何を言っているのかわからないけど、釣りじゃなくて本当の話
124:名無し三等兵
06/11/17 03:37:06
お前、素人だろ?
ラムネ工場があったのは戦艦ヤマト
125:名無し三等兵
06/11/17 05:08:53
ラムネってジュースのラムネ?
知らなかった
126:名無し三等兵
06/11/17 06:27:33
軍オタじゃないんで所属とかその辺詳しく覚えてないんだけど
俺がおじいちゃんから聞いた戦争話
その1
数年前にじいちゃんと話てたら、爺ちゃんが左手の薬指が麻痺して
動かないとかって話になって
なんでも、兵役中に上陸作戦っだかなんかの演習で
瀬戸内海で船に乗って訓練してた時に仲間が海に落ちて、それを助けた時に
網だったかなんかに挟んで動かなくなったらしい
その2
私情で爺ちゃんと静岡に行くことになって(仙台在住)新幹線に乗ってたのね
俺は窓側で爺ちゃん通路側
上野駅に近づいてきて、「上野~」ってアナウンスが流れたら
爺ちゃんが外のビル郡見て
「は~、上野も立派になったな。俺が戦争から帰ってきた時は焼け野原で何にもなかったんだぞ
みんな腹すかしててな、なんかくれ、なんかくれって集まってくるから
持ってたカンパン全部あげてな、国民をこんなにするために戦ったかと思うと悲しかった」
爺ちゃんだって食い物なかっただろうにカコイイと思った
後は仲間が撃たれたとかそういうのも軽く聞いたな
軍服来た写真飾ってあったし、勲章?みたいなのもどっかにあるって言ってたな
最近、軍関係に興味出てきたんで見せてもらいに行ってみるかな
127:名無し三等兵
06/11/17 06:51:55 B6ulCBTJ
ラムネ工場って言えば大げさかもしれないけど、ラムネは少なくとも重巡洋艦でも作られていたみたいだから、いろいろな艦で製造・販売していたんじゃないのかな。
ソースは歴史群像シリーズの妙高。
128:名無し三等兵
06/11/17 07:06:41 KKBDFtut
ラムネ作れるてコト自体軍機だというのに貴様らはペラペラと。 酸素魚雷用の酸素製造の副産物がラムネだ。
129:名無し三等兵
06/11/17 07:09:50
ネタにマジレスマン参上!!!!!
>>128
炭酸ガス消火器の副産物ですが。
酸素では、発泡しません。
130:名無し三等兵
06/11/17 09:09:48
私も軍オタじゃないので、所属とかよく知らんけど・・・。
うちのジイちゃんは鉄道隊で、タイやビルマとかで橋を掛けていたと言ってた。
戦争が終わって、捕虜になった時、連合国の隊長に橋の修復を命じられて
「現地に任せると半年かかる橋を、わが隊では3ヶ月でかける事ができる。」
なんて自慢されたので、じいちゃんの隊の隊長が
「この程度の橋なら、ウチの隊なら3週間もあれば充分だ」
と宣言して、見事に3週間後に橋を掛けてしまったとか。
それまで、「日本はセメント使いすぎだ!。横流ししてるんじゃないのか?!」とか
何かにつけて文句を言ってきた向こうの隊長も、それ以来、一切文句言わなくなったとか
131:名無し三等兵
06/11/17 12:42:44 971WOz0d
人肉を食べるのは極限状態にならなければ精神に何かしらの異常がなければ出来ないと思う。
戦死者から装備品や弾薬・食料を得る行為は将兵としては常識ではないだろうか。
132:名無し三等兵
06/11/17 19:03:15
祖母が家を整理してたら写真が出てきて
なんか、中国軍らしきやつを軍刀で斬ってる写真出てきた
133:名無し三等兵
06/11/17 19:16:37 T1xkwGHF
サイバイバルと捕虜虐待を同義に考えるなと(ry
134:名無し三等兵
06/11/17 20:04:37 bhrQ7UTV
>132
趣味の悪い遺伝子をもった頭がおかしい家系だからお大事に。それ!うそだろうが。
135:名無し三等兵
06/11/17 20:07:44
祖父ではないのでスレ違いだけれど。
高校の時の歴史の先生の話。
自分は三十代半ばだが、この年代はおそらく
『元・軍人』の戦争経験者が教師をしている最後の世代だと思う。
その先生も終戦は陸軍少尉として中国で迎えたそうで。
色々と教科書では『まず伝えない』ような話を、たくさんしてくれた。
戦争ではないが、大正時代の授業。関東大震災の説明を終えた時に。
先生、やおら声を潜め。まじめな表情で
「……実はこの年に、帝都を揺るがす大事件が起きたのじゃ。
歴史では語られないが、この事件が起きたおかげで本当に帝都が揺るいだ
ために震災が起きたというのが、真相とも言われておる」
こういうと、先生。
教壇から身を乗り出すように、小声で
「……誰にも言うでないぞ……この年に……東京で……」
我々に、大事件の内容を告げた。
「……ワ シ が 生 ま れ た の じ ゃ ッ !!」
一拍の沈黙。
そして。
『ア、ア、ア ン タ の せ い か ー ッ !?』
一同、大爆笑。
先生、話術が妙に巧みで、このときは全員息を詰めて神妙に聞いていたので。
このオチにはクラス全員がやられた。
136:135
06/11/17 20:09:02
そして、先生の授業は大正から昭和の初期になると『体験談』となっていく。
極めつけは『二・二六事件』。
実は、先生のお父さんも軍人で。それも先生曰く『偉い軍人だった』そうで。
反乱軍(確かにこう言った)の決起を伝えられ。刀掛けから軍刀を引掴み
『これから悪い奴をやっつけてくるから、それまで絶対に外に出るんじゃないぞ』
と言い残し、まだ薄暗い中、先生の父親は迎えの車に乗り込んでいった。
家に残るのは母と姉、そしてまだ学生の自分。
(反乱軍が狙うのは、敵の指揮官の家かもしれない)
とたんに不安になった家族一同。とりあえず隠れようと、玄関の脇にある納戸に身を
隠すことに。
使わない家具だのガラクタがいっぱいある中、必死に奥の方に隙間を作って家族三人
潜り込む。
……ところが、家の中と言っても納戸の床は土で、その日は2月時分でも格別寒い日
だったのでとにかく冷え込み、母と姉と時分が身を寄せ合い、恐怖と寒さでガタガタと
震えた。
先生はシンバリ棒でつっかえた入り口の扉を見ながら
(……こんなに玄関からすぐのところに隠れてて、大丈夫なんだろうか……?)
と、ただただ不安な時を過ごしたそうだ。
ちなみに東京市内は戒厳令で、どっちにしても一歩も外には行けない状態だったそうで。
父親が帰ってきたときには、本当に嬉しかったと言っていた。
まあ、なんというか……近代史はこんな話ばっかりで。
本当に、この先生の授業を受けられて良かったと思っている。
137:名無し三等兵
06/11/17 20:15:50
>>134
斬ってるの誰か分からないが、
場所は奉天昭和15年3月て書いてある。
138:名無し三等兵
06/11/17 20:31:55
既に他界したがうちの祖父はニューギニアで高射機関銃分隊の分隊長やってた。
階級は曹長。
家に戦友会発行の刊行物がたくさんあった。
うpすべきか?
139:名無し三等兵
06/11/17 21:27:03 uPHrJA7L
>>137
うp
出来ないなら引っ込め
140:名無し三等兵
06/11/17 21:38:17
>>139
そうかっかするな。俺、PC持ってないんだが…。
それ以外でうp出来るものある?
141:名無し三等兵
06/11/17 22:19:08 llMVJVCS
昔、勤めていた会社の会長が子供の頃、青山に住んでいたらしい。
生きているハチ公を見たとか226事件のこととかを酒が入ると
よく話してくれた。もっと沢山聞いておくんだったよ。
142:名無し三等兵
06/11/17 22:21:42 u6pwaviS
>>140 ピクトとかつかえば携帯でuぷできる。サルでもできるから使い方ワカンネとかなしな。当然メンドクサとかもなしな。オーケ?
143:名無し三等兵
06/11/17 22:29:01
証拠なんか必要ない。昔から小日本人は野蛮人と分ってます。
144:名無し三等兵
06/11/17 22:30:06
>>142
なあ?なんでそんなムキになってるの?
145:名無し三等兵
06/11/17 22:32:24
東洋鬼は反省が足りませんね.
146:名無し三等兵
06/11/17 22:36:56
>761 :名無し三等兵 :2006/09/28(木) 16:56:26 ID:0b58l3Xj
>うちの爺さんは、中国で人を殺しまくったって言ってたな。
>三光作戦って言って、焼きつくす、殺しつくす、盗みつくす。とかやってたみたい。
>中国は寒い場所で、村狩りをして住居を燃やして暖をとるのが一番の楽しみだったとか。
>女性の腟に酒の瓶突っ込んだとか笑いながら言ってた、変なジジイだった。
日帝は このように沢山の絶滅部隊で中国人民を9千万人も虐殺しました。日本人民は真摯に歴史と向かい合わねばなりません。
147:名無し三等兵
06/11/17 22:47:33
>>144
彼は「南京事件は夢幻派」なんで、
それらしいこと聞くと火病起こす体質なんです。
コネタ
うちの爺ちゃんは、大和の沈没時の通信を受け取ったと「酔っ払う」度に言っている。
流石に嘘くさいので、毎度「はいはい」と聞き流している。
スレ汚しすまん
148:名無し三等兵
06/11/17 22:52:07
昔勤めていた会社の役員だが、
どこかの島で高射砲陣地の測的手をしていた。
敵機の速度に高射砲の照準計算盤が追いつかず、
「転把2回余分に回せ!」とか山勘で照準していたから、
弾が当たるはずないと言っていた。
149:名無し三等兵
06/11/17 23:17:26 u6pwaviS
>>147俺は中国帰りのじいさんに話聞いていたから大陸で虐殺がなかったなんて思ってない。その規模もそれなりだったと思っている。そんな事は関係なしにせっかくの良スレに例のヤシが湧いてしまったかと非常に残念に思ってな。写真の話に責任もってほしかったんだ。
150:147
06/11/17 23:21:11
>>149
大変失礼しました。申し訳ない。
自分が言うのもなんだが、スルーが一番かと思う
相手にしなければ、くいついて来なかったんだしさ
151:名無し三等兵
06/11/18 00:12:26 5EMUk+G/
仙台の人多いな。何人くらいいるんですか?
152:名無し三等兵
06/11/18 09:34:08 PQUR4ORO
内のじいちゃんはフィリピンに上陸した米兵を捕虜にしたそうな…
残念ながらその後は語らない
153:名無し三等兵
06/11/18 09:40:29 PQUR4ORO
誰か老人ホームや介護の人とかいないか?
戦争の話を聞ける貴重な場だよな
154:名無し三等兵
06/11/18 10:09:35
母方の祖父が、フィリピン・クラーク区で亡くなってる。
海軍の工兵のようでした。
155:名無し三等兵
06/11/18 10:18:05 MQzCJJko
内のじいちゃんは横須賀の工場で飛行機作っていたそうだが
ある日、艦載機が襲来して機銃掃射されたそうだ。
たまたまそのときは昼休みだったそうで窓際で芋喰っていたら
空襲警報がなり防空壕に逃げようとしたら艦載機が
機銃掃射してきて工場の屋根が蜂の巣にされたと語ってくれた
ちなみにじいさんは防空壕に逃げようとしたら艦載機に散々
追い回されたと言っていた。
ついでに防空壕にたどりつくことができず近所の竹藪に逃げ
無事生還した。
終戦後は飛行機のナットやボルトネジ、計器その他多数を持てるだけ持ち
故郷に帰ったそうだ。
なぜ飛行機の部品をパクッタか聞いたら金になると言っていた
ちなみに飛行機の計器が現在も実家にのこっている。
156:名無し三等兵
06/11/18 10:39:44
そりゃお宝だな。
そりにしても機銃掃射は腹立つな。
157:名無し三等兵
06/11/18 10:56:28 DuTzvLJQ
アメ公は普通の農民を狙って機銃掃射したからな。
これは人道に対する罪じゃねーの?
158:名無し三等兵
06/11/18 11:21:55 BETcAE2m
看護学生なので、老人ホームや訪問看護、病棟での受け持ち老人患者などから
戦争の話はよく聞きますが。
159:名無し三等兵
06/11/18 11:23:03
今年なくなった祖父は駆逐艦の船長さんだったそうで
お葬式の時に自衛隊の人とは別に軍歌?をおじいさん方々が肩くんでうたっていました。
大尉のおかげで生きて帰れました…云々
正直こわかったです(((^^;)ほんとに戦争してたんですね
160:名無し三等兵
06/11/18 11:54:33 sdKipjTD
>>146
>中国人民を9千万人も虐殺しました。
ミートソース吹いたwwww
161:名無し三等兵
06/11/18 12:16:23
スイスで情報将校(中尉)してた
ソ連の対日参戦可能性のレポートを書いたのに
上司他に無視されたあげく、中立条約があるからそんなわけないと
馬鹿にされたそうだ。
162:名無し三等兵
06/11/18 12:33:39
>>161
もっと詳しく知りたいです。
駐欧の情報将校では小野寺誠中佐が有名ですね。
163:名無し三等兵
06/11/18 12:48:18 umz1O7oY
>>145
中国兵捕虜の斬首はあったよ。
だって、彼等(共産党軍)は庶民の安全を省みず、庶民を虐待し、庶民の服装を着て
卑劣な戦いをしていたから、日本軍は彼らを犯罪者扱いにしていたんだよ。
中国民、日本兵を残虐に殺すので当然の報いだ。
斬首は虐殺とは言わない。虐殺とは非人道的に嬲り殺す事を言う。
分かったか?東洋鬼よ
164:名無し三等兵
06/11/18 12:51:23 umz1O7oY
最も統率のとれた軍隊の見本、日本軍と 中国賊軍を一緒にするなよ
中国は連合側だったので、一応勝者。
だから、中傷やりたい放題。 それが中国式。
165:名無し三等兵
06/11/18 13:03:59 umz1O7oY
大体、中国は内戦で国が分かれて争っていたし、
後の、文化大革命で3500万人以上の中国人が殺されたのを見れば、どんな国か分かろう。
166:名無し三等兵
06/11/18 17:41:57 DuTzvLJQ
中国国民党軍の蒋介石が「日本兵を見習え。彼らは寒い朝でも冷たい
水で顔を洗う」と自分の兵隊に言っているレベルだからね。
167:名無し三等兵
06/11/18 18:51:08 0FgQoIxc
中国大陸の日本軍が支那事変初期の頃から明治期では考えられないほど風紀が乱れドキュソ集団化していると嘆いた松井石根の手記は今で言う団塊世代の「最近の若いものは…」とは重みが違うよな…
168:名無し三等兵
06/11/18 19:43:01 m7ewpEn7
「日本軍は中国で悪い事をした」をカキコする奴が現れるのが不思議。
シナ工作員が必死でカキコしているかもw。
ドキュソ日本兵がいた事は事実だが全部が全部じゃないだろ。
シナ兵に比べたら天と地の差だね。
169:名無し三等兵
06/11/18 20:28:50
父方→中支、南支、台湾(計3回)無傷。衛生兵長。戦後市役所課長
母方→ノモンハン。銃創×2上等兵 戦後 駅長
以上我が家系の軍歴。
一般庶民らしさがでているだろ。
170:名無し三等兵
06/11/18 21:07:25 VFmd5cxF
親父の実家に逝くと、「白い軍服を着て乗馬」している若き日の
じいちゃんの写真と「裕仁摂政宮」から賜った「瑞宝章」の賞状?
が額に入れて飾ってある。
じいちゃんは偉かったのだろうか?
171:名無し三等兵
06/11/18 21:14:15
いやフツーだろウチにもあるよ旭日章だけど。
172:名無し三等兵
06/11/18 21:51:32
うちのじいさまは陛下に鮎を献上してお褒めの言葉と勲章を賜った
…なんて非常にネタ臭い話を聞いた事がある。
賞状と銀色の勲章染みたもんが一緒に額に入ってるのが実家にあるが、
それが何なのかは、じいさまが亡くなった今ではさっぱり分からん。
じいさまの遺影(笑顔)の横に今でもちゃんと飾られてるけどな。
戦争体験とは掛け離れてるな…スレ汚しスマン。
173:名無し三等兵
06/11/18 23:02:10
うちのじいさんの金鵄勲章もありふれてる?
174:名無し三等兵
06/11/19 00:54:05
うちのじいちゃん皇族だから。
175:名無し三等兵
06/11/19 02:39:09
>>167
ろくな補給もないし。終わる見込みの無いまま、下らん理由で
えんえん戦い続けたらモラルもなくなっていく。
明治の人間だろうがなんだろうが変わらない。
176:名無し三等兵
06/11/19 15:19:29
会社の受付警備を請負の警備会社社長は
茨城で兵隊に取られてジャガタラ芋作ってたそうな
なんでもガソリンを精製するとか
百里に機銃掃射にきたグラマンに狙われて大木の陰に飛びこんだら
大木は打ち抜かれなかったんで助かったとか
177:名無し三等兵
06/11/19 16:11:53
うちの爺さんは医者だったけど、中国の陸軍病院にいたらしい。
婆さんも爺さんも戦争中の話はあまりしなかった。
戦後、しばらくの間はGHQで仕事をしていたらしい、幸いそのお陰で食い物には
こまらかったらしい。
一時期、731部隊が話題になった時にマスゴミが取材にきていて、すげー激怒していた
事があった。今、思いおこすと何らかの関係が有ったんだろうね。
178:名無し三等兵
06/11/19 17:32:09
うちのじいさんは海軍なんだが、やはり古参兵が嫌だったらしい(殴るから、しかも激痛)
で、ある日銭湯に行ったんだ。服を脱ぎ、風呂に入ろうとしたらのろのろ動いてる香具師がいたらしい。
そいで「邪魔だ、どけ!」と怒鳴ったら「すいません!」とすぐどいたらしい。
問題はここから、その後早く出てきたじいさん。そいつの服みたらじいさんより階級上、つまり古参兵。ヤバイと思ってすぐ逃げたらしい(笑)
179:名無し三等兵
06/11/19 18:09:09
うちのおじいちゃんは徴兵がかかる歳より下だったんだけど国の役にたちたかったから志願したって(嘘かもしれんが
本当は空軍に入りたかったらしいんだけど眼が悪くて陸軍に配属したらしい。
衛生兵になって、各地を転々としてたって。
空襲警報が出て防空壕に戻るとき自分のすぐ後ろに爆弾が落ちてビビったって言ってた。
そんな皇国軍一兵士も今は病院で入院中 はやくよくなっておくれ(´・ω・`)
180:名無し三等兵
06/11/19 18:29:23 SoaF7XHI
じいさんは学徒兵の少尉だったんだがやはり壮絶な新兵イジメを受けたのだろうか…と気になる…
181:名無し三等兵
06/11/19 18:34:10
ばあちゃんの時代、隣組/町内みんなで
手榴弾の部品作りを内職したそうな。
その時の紐が、以前残っていた。
182:名無し三等兵
06/11/19 18:58:49
>>155
うちの近所には飛行機やらその部品やらなんやらが隠してあったらしいが
終戦と同時にみんなで解体して山分けしたそうで
それと戦時中に焼夷弾をバラして金にしようとしたオッサンが
金槌で不発弾を叩いた瞬間、爆発、死んじゃったこともあったらしい
183:名無し三等兵
06/11/19 19:38:17 1JK8mMi2
うちの爺ちゃんは明治31年生まれで、大正天皇の近衛兵だった。
戦地には行ってないらしい。
近衛兵は家柄が良く、頭が良く、顔が良くなければ成れないってよく自慢してたな。
184:名無し三等兵
06/11/19 19:43:45 Wfd24iIz
うちの人は中国あたりで軍医をしてたらしい俺が物心ついた時は
死んでて何も聞けなかったが
185:名無し三等兵
06/11/19 19:50:48
小さいころ風呂場で見たうちのお祖父さんの銃創、
どうみても後ろから前に抜けてた。
(後ろがへこんでて前がザギザギ)
どんな撃たれ方したのか聞かないまま亡くなったが。
186:名無し三等兵
06/11/19 19:56:03
僕の祖父は北支派遣軍です
予備役で奈良六七連隊から昭和17年2月に独立混成第二旅団独立歩兵第一大隊第四中隊に配属されました
なんか変な文になりました
187:名無し三等兵
06/11/19 20:10:43
俺の祖父は戦争に負けたとき南部十四年式を隠し持ってて俺の親父の七五三のお祝いのときに泥酔して
十四年式を乱射、親父の太腿に弾が貫通して大騒ぎになって当時の新聞に載ったんだって。
188:名無し三等兵
06/11/19 20:58:23
みんなのじーさんスゲェなぁ。
ウチの爺さんは満州行って商売してたらしいが
満州引き上げが地獄だったと聞いている。
189:名無し三等兵
06/11/19 21:06:52
姿勢が少しでも悪いだけで往復ビンタ
虐めか軍規かは指揮官によるが、
結果として、最高に統率のとれていた日本軍。
皇軍が賊行為などするわけが無い。
末期状態の兵の質低下時は知らんが。
190:名無し三等兵
06/11/19 22:18:14
>>188
貴殿の御爺様も凄いですよ。
満州からの引き上げは・・・さぞ御苦労なさった事でしょう。
191:名無し三等兵
06/11/19 22:52:59 SoaF7XHI
自分まだ20代なのにここに書いてあること読むと異常にナツカシス(´ω`)なのはなんなんだろう…前世だらうか…
192:名無し三等兵
06/11/19 23:14:47 n0cNNa6K
漏れもココを読んでいると懐かしい感じがする。
靖国神社へ行くと自分の家に帰ってきた気になる。
前世は兵隊だったのかな・・・・・
193:名無し三等兵
06/11/19 23:21:48 +UKfbTU7
友達のジィさん話だが戦中は海軍にいたらしく
味方の船に載っていた兵たちが「天皇陛下万歳」
と言って沈んだという話を涙ながらに語っていたらしいが
友達は軍事とかには興味がないのと食事中だったので
えらい迷惑だったらしい(´・ω・`)
194:名無し三等兵
06/11/20 02:01:48 oGysNmDT
14歳で満州開拓団に志願したって聞いたな
その時の写真があったけどじいちゃんまだ顔が子供だったなぁ
葬式の時に部下が来てお別れの言葉述べてたっけ
軍曹のおかげで内地に帰って来れましたとか言ってた
195:194
06/11/20 02:03:39
よく考えたら14歳で軍曹ってありえないよな?とりあえずその人よりは
上官だったみたいだけど
196:名無し三等兵
06/11/20 05:09:32 JSeaGf4F
お前のじーちゃん14で死んだんか?
197:名無し三等兵
06/11/20 05:44:39
コンニチハ、14歳デ軍曹ニナリ死ニマシタ(^o^)
198:名無し三等兵
06/11/20 08:24:53
満州に渡ったのが14歳なんだから、
何年も現地で暮らして成長してから軍隊に入り、
終戦時には軍曹になってたんだろ。
199:名無し三等兵
06/11/20 11:18:55 J67KWLzi
俺のじいさんでなくてオヤジなんだが.....中年ネラーもいるということで許してください。
陸軍暁部隊所属で満州駐屯から南方?かどっかへ移動させられる途中で台湾沖航空戦の
時の空襲で負傷(指程度だったそうだが)。入院中に肋膜炎となり、内地に戻された。広島の
西条?とかいうところの病院に入院中に広島原爆。オヤジの病院では直接被害はなかった
ようだが、市街方向に立ちのぼるキノコ雲を見たってよ。
オヤジが本当に南の孤島に送られて玉砕したら? 8月6日にたまたま広島市街にいたら?
などと考えると、本当に生きるも死ぬも運だな、と思ってしまう。
200:名無し三等兵
06/11/20 11:30:39
>>191
俺は陸軍と日本刀と士官の軍服を見るとやけになつかしさを感じる。
満州なども。他にも日本兵を見ると肩を叩きたくなるとか。前世は憲兵かな?(笑)
201:名無し三等兵
06/11/20 11:42:08
>>191
>>200
日本人の遺伝子じゃない?
202:名無し三等兵
06/11/20 11:48:12
戦艦が名古屋港で一般公開されたことがあった。
当然撮影禁止だったが、内緒で撮ったとのこと。
山城か扶桑らしい。写真が行方不明で残念。
203:名無し三等兵
06/11/20 12:56:37
中学の時学ランを初めて着たとき妙に懐かしく感じた
204:名無し三等兵
06/11/20 14:10:50
DQNをまとめられない指導力不足の指揮官っていたと思う。
訓示のときに兵の間から野次が飛んでくる なんて話を読んだ事がある。
205:名無し三等兵
06/11/20 16:48:32 DY23ZbOH
>>204 ベトナム戦争ではアメリカ軍の士官の戦死者の半分は陣地内で起きた【事故】と部下に殺されたもの。さらに原因不明が多数。
206:sage
06/11/20 17:03:04 GeZ0NGyw
「白人」を見ると身体の奥の方からこみ上げて来る何かが出てきます。
そんな時は、何故か別に危害を加えられた訳ではないのにムショウに
憤りを感じて、その「白人」を攻撃したくなります。
DNAに刻まれたプログラムなのでしょうか?
それとも前世で軍人だったのでしょうか?
207:名無し三等兵
06/11/20 17:40:45 JSeaGf4F
いいえ、それは病人です
208:名無し三等兵
06/11/20 18:08:16
私たちは小高い丘の上に陣地を構えていました。小銃や騎兵銃に手榴弾、重機などありません。大きな砲隊鏡がありました、七糎砲隊鏡、日本光学今のニコン製です・・・現世の記憶(知識)が交錯します。
その七糎砲隊鏡で見る遥かむこうには、もう何日も前から露の戦車がありました。そう現世で知った名はT34/85・・・わが軍の戦車では考えられないほど砲身が長かった。
そして物凄い砲撃に合わせて動き始めました。すべての記憶がよみがえります。私の小隊・・・といっても、もう十数人しかいません。
「○○少尉!」私の前世の名です。不思議と違和感はありません。 そう、少々裕福な家に生まれ大学出てから候補生となれたのと親類の伯父が陸軍の将校だったおかげで、私のような青二才が士官です。
この砲撃とあの大きな戦車に立ち向かうすべも勇気も、もうありません。恥ずかしいが足が震えます。たたき上げの○○軍曹ですら顔色がありません。すでに砲撃で左の壕が全滅、私は退却を命じました。
他の小隊とも合流ままならず、結局我が小隊の生き残り8人で南へと脱出、農家から食料もらったりして5日ほど歩きました。そして最後の夜がきました。
209:名無し三等兵
06/11/20 18:10:34
その夜は農家の軒先で休みました。家主は私たちが怖かったろうと思います。なけなしの食料も分けてくれましたが、脅したわけではありません。よく、我々が満州であこぎな事をしたと言われますが、
どこの軍隊もみな同じです。 ハラを少し満たして皆は寝ました、疲れ切っていました。もう、見張りを立てる様なこともありませんでした。
そしてその瞬間がきました・・・・ いきなり「パーン」「タターン」相手が露兵なのかわかりません・・・さらに手榴弾の炸裂「キーン」といきなり耳鳴りがなり炸裂音など聞こえませんでした。
私は腰の14年式を出し応戦しますが敵が見えない2~3m這って進むと○○が・・・呼んでも動きません。 ○○軍曹が騎兵銃を持って向こうに走ります。
発射光に拳銃を2発、1人飛び出します・・・平服のゲリラか山賊です。もう1人・・・頭に当たったのによろよろ歩いてきます。もう1発・・・ 納屋の向こうへ軍曹を探しに出たその時・・・
腹を何かが通りました・・・さらにもう1つ、そして背中にタバコの火を押し付けられたようでした。数m前には軍曹が・・・すでに数人に毟られていました。
そいつらに拳銃を全弾撃ったと思いますが、もうわかりません。そこからは何も思い出せませんでした。
以上 私の中の他人の記憶です。
210:名無し三等兵
06/11/20 19:15:54
「金髪」を見ると身体の下の方から起立して来る何かが出てきます。
そんな時は、何故か別に刺激を加えられた訳ではないのにムショウに
興奮を感じて、その「白人」をオカズにしたくなります。
DNAに刻まれたプログラムなのでしょうか?
それとも単に私が金髪好きだったのでしょうか?
211:名無し三等兵
06/11/20 19:27:49
単なるオナヌー好きな厨房
猿みたいにするなよ
212:名無し三等兵
06/11/20 20:50:33 DY23ZbOH
実際じいさんとかの記憶とか感覚なんて備わってるわけないよな?
213:名無し三等兵
06/11/20 21:36:41 qmL5+XyK
うちの祖父母は満州に行ってました。職業軍人で少佐。
終戦後祖父は追われて、知人宅の天井裏にかくまって貰った。勿論その家にも探しに
来たが、知人が「この日本刀に誓って、○○少佐はここには居ない!」と言い張って
その場を逃れることができたらしい。
子供3人を連れて一人で引き上げてきた祖母は凄いです。
私の母は赤ん坊でしたが、日本に着いたころは本当に骨と皮だったとか。
昔はよくそのあたりの話聞いたなあ。すごく面白かった・・・
214:名無し三等兵
06/11/20 22:06:12
>>208-209
士官と将校の違いは?
215:名無し三等兵
06/11/20 22:24:32
>>214
シーっ、『14年式』の時点で馬脚をあらわしちゃってるんだから
>>208-209
面白い読み物乙
>>ALL
ところで、源平の戦の時代の地面に立掛けてる戸板みたいな木製盾の正式名称なんだっけ?
216:名無し三等兵
06/11/20 22:49:02 +/8bWRBh
>>199
陸軍暁部隊所属・・・
生還率は非常に低い部隊だったと聞きましたが・・・。
確かに運なんですよね。
217:名無し三等兵
06/11/20 23:29:10 ZaM7IYaG
なかなか、しんみり読ませる良スレだ。
ウチのオヤジは終戦時ガキだったんだが、歩いて一時間程のところに中島飛行機の
工場があったんで毎日のように遊びに行ってたらしい。
写真にも残ってるが、武装解除のため何百機という零戦やら隼やらがバラされて
ゴロゴロしてたらしい。いじくったりしてたらしく、大戦機大好きだった厨房の頃
俺が「なんで持ち帰らなかったんだ」と責めたら
「重くて持って帰れるか!」とのこと。そりゃそうだ。
仕事で知り合った坊さんは酒を飲むと戦中の話をするんだが、
やはり終戦間際のころ戦闘機の音がするんで庭に出て手を振ってるとまっすぐ
突っ込んでくるんで思わず近くの蔵に隠れると屋根すれすれに機銃掃射していく
グラマンだったそうだ。パイロットの顔がよく見えて笑ってたとさ。
んで、またしばらくすると戻ってきてまた掃射、という感じで5,6回?遊ばれる
んだと楽しそうに話す。まあ、生きてるから笑えるんだろうが。
余談だが十年程前に飛行可能な零戦が里帰りした時に見に行ったんだが、一緒に
来たマスタングが上のような状況を再現したんだが、一キロ以上向こうからあっと
ゆーまにこちらに突っ込んでくるスピードにびっくりした記憶がある。
それと同時に聞こえてくる爆音がまたスゲエ迫力なんだが・・・
そのときの零戦のエンジン音がスバルの水平対抗エンジンにそっくりで、ああ
繋がってるんだなあ・・・としみじみしたなあ。
218:名無し三等兵
06/11/21 01:35:56
>>217
いや、スバル360に近いのは隼だよ。
と、書いたときに零戦と同じエンジンだったのに気づく
219:名無し三等兵
06/11/21 01:45:23 3dTYGvC1
うちのじいさんは広島に原爆が落ちた時に広島にいたそうだ
技術者で船の修理をする部隊にいたらしく、階級は少尉
その日は朝礼があったらしく、部下たちは職場の庭でじいさんが来るのを
待っていたが、たまたまじいさんが寝坊して遅刻したために立ちっぱなしで
ずっと待っていたらしい(笑)
それを尻目に他の隊は朝礼を終え、建物の中に戻っていった・・・
やっとじいさんが庭に到着した瞬間に、原爆投下・・・
ものすごい爆風で吹っ飛ばされたそうだが、じいさんの隊は全員無事だった
でも建物の中に戻った人達はガラスの破片で怪我人多数だった
で、市内の方を見ると大きなきのこ雲・・・
じいさんはそれを見て不謹慎ながら「大きな花火みたいできれいだな」と
思ったそうだ・・・
220:219
06/11/21 01:47:59 3dTYGvC1
補足
じいさんがいた職場は広島郊外にあったそうなので
放射能の被害はうけなかったそうです
221:名無し三等兵
06/11/21 09:35:47
208です。
「14年式」はおかしいですか?「南部14年式」ならおかしいと知っています。
旧軍の兵器に詳しいようで・・・>>215氏
砲隊鏡はどうですか?七糎砲隊鏡って知ってますか?
別に信じてくれとは言いませんが、あるんですよ記憶に・・・
目当て部のウロコみたいなのが気持ち悪かった事。
そこが錆びて緑色だった事。
砲隊鏡も自分で調べてみましたよ・・・
でもあんなに大きな物は無いんですよ・・・
子供のころ戦車の図鑑でT34/85を見て、ものすごく恐怖を
感じた事。
気のせいですかね? 頭おかしいですかね?
222:名無し三等兵
06/11/21 09:53:49
本当だというのなら、前世の名前くらい晒せよ。
前世の本人は戦死だし、公表しても問題無いだろ。
223:名無し三等兵
06/11/21 12:37:19
>>221
催眠術等で『思い出す』前世の記憶と言うものは、
ほとんどが『現世での後天的な記憶』という報告結果が出てます。
俺にだって『田原坂の戦い』の記憶があるw
224:名無し三等兵
06/11/21 19:34:31 HfBx1pRO
俺も50~60年代の在日米軍の兵士だった記憶ならある。何かに引かれてフラフラと一人で米軍基地跡の廃墟に入った事もある。今でも基地近くを通ると憂鬱になる。 まぁ俺は精神科通いだが。
225:名無し三等兵
06/11/21 21:49:31 x3VX75sQ
田原坂といえば5代前のジーサンが
抜刀突撃
226:名無し三等兵
06/11/21 22:55:51
こないだばーさんが戦争中の防火訓練の話をしてくれたなー.
全然苦労話でもなんでもないんだが,戦争体験ということで.
防火訓練では,赤いお手玉を焼夷弾に見立てて在郷軍人?の人が放り投げて
それをムシロで覆ったり水をかけたりして「消火」したそうだ.
で,あるとき在郷軍人さんが投げたお手玉が屋根の上に乗っかってしまい,
どーするよ,あんなのとどかねえじゃんってことになった.
そのとき在郷軍人さんは別の班を指導しに行ってたので,
竹の棒でお手玉をつつき落としてから「消火」したそうな.
あとで在郷軍人さんが様子を見に来て
「おや?お手玉は屋根の上ではなかったか?」
「いやぁ,ちゃんとここにありますよ」
といってムシロをめくった.すると
「あっ,お前ムシロをめくったな!お前は今負傷した!」
といってそこから負傷者搬送訓練になってしまったそうな.
ばーちゃんいわく「田舎だったから,防火訓練も全然緊張がなかった」らしい.
たしかに,むしろ疎開先になるくらいの田舎だからな.
ちなみにそんな田舎にも一発だけ爆弾が落ちたらしい.
熊本を爆撃して帰る途中の爆撃機が,余った爆弾を捨てていったようだ.
その爆弾の威力を見て,「こんな消火訓練やってもどがんしようもなかとやなかかねぇ」と思ったそうだ.
227:名無し三等兵
06/11/21 23:31:43
あんた俺の近所だな
228:名無し三等兵
06/11/21 23:51:00
先日、旅先の山梨の温泉で会ったお爺さんの話。
呉の海軍工廠の工員で、瑞鶴など有名艦にもいろいろ乗る機会があったらしい。
ぼろぼろになって帰ってくるたびに、もう駄目だもう駄目だと思っていたと。
一番悲しかったのは、それまで機銃の増加作業が多かったのが、地上部隊用に撤去したときだと。
原爆のときの空はなんともいえない色だったとか。
湯に浸かりすぎてのぼせるほど長い話を聞いたのだが、
アメリカみたいなジェット機を開発できなかったから、日本の空母は負けたとか、
そういう感じであったので以下略。
229:名無し三等兵
06/11/22 01:23:42 7tVkY5Mz
俺のは沖縄だが、沖縄戦には直接触れない話
沖縄戦当時、婆ちゃんは読谷飛行場造りを手伝っていた
日に日に日本兵が増えて、ある日本兵から「ここは戦場になるから台湾へ疎開しなさい」と言われて商売で貯めたお金を使って家族みんなで台湾へ疎開
台湾に向かう間に米軍の潜水艦に追われてたらしく何度も何度も小島に寄って隠れていたってさ
台湾に着いてからはB29はほとんど見なかったって。
敗戦後に沖縄に帰って来て愕然としたらしい
島全体が焼き払われたかの様だったと
230:名無し三等兵
06/11/22 01:48:16 7tVkY5Mz
>>158
なるべく多くの出来事が聞きたいです
壮絶で貴重な体験の記録としてお願いします
231:名無し三等兵
06/11/22 01:50:23 7tVkY5Mz
>>221
真剣な話
もっと見てないか?
232:名無し三等兵
06/11/22 01:59:37 lesrA4j8
軍事にオカルトは不用
233:名無し三等兵
06/11/22 02:21:39
>>229
そのある日本兵がお婆ちゃんに話した時期によっては、その日本兵の評価は変わるな。
そもそも軍部は先に台湾が戦場になると考えてたし。
本土や種子島じゃなくて何故に台湾だったのか?
234:名無し三等兵
06/11/22 02:21:53
>>232
正論だな 神社に必勝祈願に行った時点で敗北必至だ
235:名無し三等兵
06/11/22 07:52:11 7tVkY5Mz
>>233
沖縄戦間近だったと思う
台湾も囁かれてたが沖縄に確定的だと分かった時期かも
店に来た、幹部から聞いたらしい
何故台湾かと言えば、まず本土への道のりが危険
そして台湾には親戚も多くいてどうせ行くなら台湾へと決めたらしい
まぁ沖縄人ってのもあって本土に行きづらいってのもあったかもしれない
236:名無し三等兵
06/11/22 09:47:40
>>214
必ずいるな、こーゆー軍オタ
当の話は作り話みたいで何だが、本人が任官時を思い出して士官
おじさんはその時すでに将校なら非常に正確(すぎる面もあり)だろ
任官後に付く兵科により、この話場合将校になるんだろう。
14年式もそうだが、以前 紫電ついて面白そうな話があったが
十一と書くからウソだなんてバカオタが書くから続きが聴けんかった
221も誰かから聞いた話を、おもろく書いてるのかもしれんし。
重箱の隅が好きな軍オタはこなくてよし。
237:名無し三等兵
06/11/22 10:27:18
興味深い話は、細かい予断ははさまずに
黙って聴いて上げてもよいのではと。
60年以上も昔のことなのだからね。
238:名無し三等兵
06/11/22 12:46:47
ある時、坂井三郎氏が誰かからもらったと言う零戦のV-103号機、しかし濃緑色の模型を嬉しそうに見せびらかしている。
記者:「飴色塗装じゃなくて残念ですね。」
坂井氏:「いいのいいの、一般人は飴色の零戦なんて見た事ないんだから。」
239:名無し三等兵
06/11/22 15:06:18 OvLPeC5H
おれのじいちゃんの話でもするかな。
最前線じゃないから銃弾の嵐かいくぐったとか、大量の死体見たとかそんな話はないけど。
面と構えて話してっていうのはお互いなんか気まずくない?
俺は毎年一回祖父母と旅行するんだが、宿で少し酔ったとき女性陣(祖母とか姉)がいないと自然と戦争時分の話をしてくれるようになる。
じいちゃんは満鉄で機関工として働いてた。満鉄で働くと勉強にもなるし、資格の面でもよかったらしい。戦後は国鉄に勤めてました。
で、満州にいる間に召集でそのままロシア国境近くの守備についたそうだ。
ここには約1年いたが、とにかく寒かったと。特に手が凍傷になるといけないので、真冬に集合がかかると、「またすり」というのをしたらしい。
両腿をくっつけてその間に手を挟んでこすり付ける様にして凍傷を防いだそうだ。もちろん、手が恐ろしく痛く、シモヤケっぽくなるけど凍傷防止のために命令されてやったそうだ。
あと、宿舎?で脱走者がいたら屋根裏なども徹底的に探したそうだ。過去に屋根裏に隠れてそのまま凍死した人もいた前例があったらしく、折檻より先ずは人名保護しなければと考えていたそうだ。
満州には約1年駐留し、その後、終戦2年前に南鮮(祖父の言い方)の守備に行くよう異動命令が下り、南鮮で終戦をむかえました。
朝鮮での話はまたこんど。
240:名無し三等兵
06/11/22 15:29:46
>233
なら、なぜ、沖縄に駐屯していた精鋭部隊1/3は台湾に移動したのか
やはり捨石か
241:名無し三等兵
06/11/22 16:38:21 6gx6cQUg
>>239
>俺は毎年一回祖父母と旅行するんだが
おまえ、イイヤツだな
w( ゚Д゚)⊃旦
242:名無し三等兵
06/11/22 20:22:39
>239
朝鮮での話もたのむよ。
243:名無し三等兵
06/11/22 22:03:34 oYjWrVoJ
そういやシベリアの寒さは【寒い】んじゃなくて【痛い】とか言ってたなぁ。
244:名無し三等兵
06/11/23 00:40:04
日本西部でも、バイク乗ったら痛い。
極厚手袋してても千切れそうなほど痛いよ
245:名無し三等兵
06/11/23 00:40:36
真冬の話だけど
246:名無し三等兵
06/11/23 06:33:29 2n4WUVX4
俺なんか未だに「バイクは危ないから」って祖父母が反対してて原チャ免許すら取れないorz 実際危険か?
247:名無し三等兵
06/11/23 07:16:06 skohUiGe
聞くまでもないだろ
剥き出しだから防御力0どころかマイナス(自分の速度もプラスされる)だぞ?
248:名無し三等兵
06/11/23 11:36:39 AY+sMUqX
>>240
そりゃ台湾>沖縄だろうよ
249:名無し三等兵
06/11/23 11:39:32
昭和20年4月1日、沖縄の米軍上陸地点は、がら空きだったんだよね。
エイプリルフールとおもったって。
250:名無し三等兵
06/11/23 12:04:18
私が生まれる前に死んだ父方のじーちゃんは満州に行ったそうだ。
大型車の免許を持ってて車を走らせてたらしい。(詳しくは知らん、スマソ)
日本に帰ってきて、大型車の運転ができれば高給取りになれたのに、
じーちゃんは絶対にハンドルを握ろうとしなかったそうだ。
ばーちゃんもそれに対して文句は言わなかったんだと。
よっぽど辛い事があったんだろうなあ、おかげで子供の頃は貧乏だったけど、と
父や伯父が話していた。
251:名無し三等兵
06/11/23 13:46:06 2n4WUVX4
俺の地元のじいさんの話だが。関東軍の倉庫に日露戦争に使った軍服が大量にあって、シベリア抑留ではそれを着ていたらしい。大正時代の詰襟の軍服は戦時中は大人気だったとか。
252:名無し三等兵
06/11/23 16:40:20
俺の一昨年に亡くなった、爺さん。
上海特別陸戦隊→マレー鉄道の警備→第9根拠地隊でスマトラの小サバン?島(名前をよく覚えてないみたい)だかに行ったて、言ってたけど、召集18年、最終階級兵長でこんなに回るもんなんかな?
253:名無し三等兵
06/11/23 16:43:47 u5xXk6o6
母方のじいちゃん
大富豪だった曾祖父のコネで近衛連隊へ配属
内地で終戦を迎える
父方のじいちゃん
猛勉強の末、士官候補正になる
しかし、内地で終戦を迎える
終戦時20歳
戦後は税務官として働く
母方のばあちゃんの弟
長岡連隊に配属
ビルマへ出征
4回死を覚悟したらしい
結局、命からがら生還
因みに彼の所属した大隊500名中生存者は12名
彼はその中のひとり
残念ながら、俺の生まれる前に癌により他界
全員陸軍です
254:名無し三等兵
06/11/23 17:25:58 eniyGtD5
当家の祖父は小牧長久手の戦いにて百五十石の加増を賜る。
255:名無し三等兵
06/11/23 17:46:37
俺の実家は熊本の田舎で周りは畑ばかり、でも昭和二十年の七月に町全体が凄い空襲にあったそうだ。
友人のばあちゃんによると、数日前にB29がやってきて大量のビラ(内容は不明)を撒いていったそうだが身重だったばあちゃんは空襲が終わるまでの数日間を怯えながら防空壕で過ごしたそうだ。
やって来たのは皆艦載機で空襲は駅、橋を銃爆撃するところから始まったそうだ。
その際は大量の薬筴が俺の母校にあたる小学校のグランド(芋畑として使っていた)に落ちてきたそうだ。
当時グランドで畑仕事をやってた伯母(父の姉)は落ちてくる薬筴を男の子達が拾うのを叱ったそうだが、案の定その後先生にブン殴られて瘤だらけなってたらしい。
別な友人のばあちゃんは橋の下で大根洗ってたら突然銃撃が始まり慌てて川に飛び込んで難を逃れたそうだ。
空襲の恐怖のせいか俺のばあちゃんは急に産気づき、そのまま壕内で俺の親父を産んだそうだ。
伯母は小学校から帰る途中、駅に停まっていた汽車から銃撃に頬を撃ち抜かれた兵隊さんをみたそうだが爆弾は一発も駅舎等を直撃してなくて、むしろ機銃による損害が大きかったそうだ。
俺の実家の前にはデカイ煙突が何本も有る絹工場があったからそれを軍需工場と間違ったんじゃないかと思う。
ちなみに俺が生まれる随分前に死んだ爺ちゃん(叩き上げの海軍准尉、写真で見るとかなりのイケ面)は家族放り出して愛人宅に転がり込んでいたそうだw
罰が当たって戦後間もなく急死、字を書くことも出来なかったばあちゃんはセメント工場で肉体労働をしつつ女手一つで子供三人を育てたそうだ。
長男だと思ってた親父は爺ちゃんの葬式に腹の違う兄や姉が何人もいて驚いたそうだ。
256:名無し三等兵
06/11/25 01:03:13 fToCmQIY
俺の父方のじいちゃん(存命中)から聞いた話しをしよう。
大学生のとき色々聞いていっぱいあるから少しずつね。
じいちゃんの代までうちは坊主だった。だからじいちゃんが軍隊に入ったのは
赤紙だった。
配属されたのは小倉だか戸畑にあった高射砲部隊。八幡製鉄所を守ってたそうだ。
いろんな話を聞いたけど一番印象に残ってるのはやっぱり昭和20年8月9日の話だ。
その日は曇っていたそうだが、西の方から地鳴りのような音がしたらしい。隊の
みんなとそっちを見ると、西の空の雲が真っ赤になってたそうだ。当時上等兵の
じいちゃんが「あれなんじゃろ?」と周りの兵隊に聞いてもみんな不思議そうに
しているだけだったが、隊長(小隊長なのか分隊長なのか不明)だけが、
「あれはたぶん原爆だ。」と騒いでいたそうだ。
じいちゃんたち兵隊は原爆ってのがなんなのかはもちろん3日前に広島に落とされ
たこともよく知らなかったので、それを聞いても????だったそうだ。
しかし、終戦後数十年たってなんかの番組で8月9日の第一目標地が小倉だったと
初めて知ったときは腰が抜けそうになったという。
もし、8月9日の小倉の天気が晴れだったら俺はこの世にいなかったかもしれない。
他の話はまた今度。
257:名無し三等兵
06/11/25 02:02:41 9tPe2z5Q
オレの祖父の話を。
なんかオンボロ輸送船(日露戦争の戦利品だったらしい)の対空要員だったらしい。
で、夜間に空襲があってグラマンなんかがバリバリ撃ってきた。
しょぼい機銃じゃどうにもならんので秘密兵器を使用。
なんか筒に火薬入れて紙製の10センチ程度の紙の玉入れて火のついたこよりを入れ
るとどか~んと火の玉が上がった。
空中で高射砲の爆発なんかメじゃない位でかい爆発。
しかも、赤・青・黄色とかの派手で綺麗な爆発が。
ってそら花火じゃね~かと呆れていたのだが、敵機はビビッて逃げて行った。
次の日の空襲は昼間でどうにもならず、あえなく港で沈没して祖父唯一の戦闘
は終わりだって。
祖父曰く、「しょぼい軍隊生活だったなぁ~」ってのはよく聞いた。
258:名無し三等兵
06/11/25 02:57:23
ずっと前にちょっとだけ聞いた話なんだけど
祖父が、戦闘機のパイロットは結構口があんまりよくないそうな
試作機の試乗(?)で、不満に思ったところは容赦なく文句つけるって
その点、偵察機のパイロットは結構おとなしいらしい
259:名無し三等兵
06/11/25 11:55:50
〉〉256
小学校の頃、担任の先生が同じようなこと言ってたな。
先生は中学生だったそうだが長崎とは有明海を挟んだ対岸、熊本から見たそうだが長崎の空がピンク色に染まっていたそうだ。
260:名無し三等兵
06/11/25 14:29:01
太平洋戦争の戦死者達は犬死なのでしょうか?
よく「あなたがたの犠牲のおかげで今の日本があります。」と言われますが
日本が大敗しようがそうでなかろうが戦後のアメリカの方針に大差無かったと思うと
戦死者の方々が無駄死にしたと思えてならないのです。
261:名無し三等兵
06/11/25 15:06:32
>>60
うちの父方のじいちゃんもその回天ってやつに乗ってたらしい。
内容は殆んど同じなんだけど出撃の一日?前に終戦。
上官は独り出撃して故障か燃料切れで海上でピストル自殺してたって…
因みにじいちゃんは回天に乗る前、あの戦艦大和で電気技師やってたらしい。
下士官?か古参の精神棒とかいうやつで毎夜毎夜叩かれて、しまいには嫌になった新兵が夜中?海に飛込んで自殺したとか…
トラックに停泊している時に
「あら?あんなとこに島あったか?」
と思ったら空母大鳳だったとか
悲しくも面白い話をじいちゃんの手記で読んだ。
ちょうど10年前に亡くなったけど、本当にもっと話を聞いとけば良かったと思う。
じいちゃんが亡くなってから大和や回天に乗ってたことがわかって、あんだけ厳しかった(正月とかよく尻叩かれた)のはそういう理由があったのかと納得。
そういえばじいちゃんの手記の中じゃ瀬戸内海(多分広島近く)の訓練地か基地の事を「P基地」と呼ばれていたとなってるんですが何か意味あるんですか?
誰かご享受を。
262:256
06/11/25 16:19:57 cpQHlbkI
俺の父方のじいちゃん(存命中)から聞いた話しをしよう。その2
じいちゃんが赤紙で軍隊に入ったばっかりの新兵時代の話。
日本軍は(別に日本に限らんと思うが)新兵いじめが酷かったという
話をよく聞くので、本当かどうか聞いてみたことがある。
やっぱりすごかったそうだ。入隊初日はすごく丁寧に扱ってくれたそうだが
次の日からは、殴る蹴るは当たり前になったらしい。手で殴るのは珍しい方で
大体樫の棒か下駄だったそうだ。将校連中は見てみぬふりが基本だったが、陸士出
の奴らはたまに自ら参加したり、殴り方が悪いと逆に上等兵や下士官をぶん殴ったり
していたらしい。「陸士出の奴らは筋金入りだからそいつらの部下だったらもっと
苦労してた。」とのこと。
じいちゃんは何かヘマをしたときに殴られたりするのは(例え連帯責任であっても)
まあ納得できたそうだが、どう考えても新兵を辱めて楽しんでいるとしか思えない
ような仕打ちをされるのは納得できなかったと言っている。
退屈しのぎという理由で、褌一丁で「ミンミンゼミ」や「鶯の谷渡り」という芸を
やらされたときは悔しくて涙が出そうになったらしい。
また、初年兵だけが苛められるわけではなく、兵隊(兵長以下)はみんな何かしら
上官から苛められていたらしい。ただ苛められっぱなしではない様で、隊長だか
班長だかの飯当番(お膳に並べられた食事を頭の上に押戴いて持っていくらしい。)
の上等兵は苛められた腹いせに味噌汁の中に自分のフケや痰をまぜていたらしい。
じいちゃんも「お前もやったれ」と誘われたそうだ。
その話をしたときのじいちゃんの名言
「軍隊では『できません』とか『やりません』という言葉は存在せん。」
被害者の隊長だか班長は上手そうにその味噌汁を飲んでたそうだ。
じいちゃんが上等兵時代の話はまた今度。
263:名無し三等兵
06/11/25 19:52:43 eR+nX8HP
聞いたことあるなぁ>>フケ飯 なんでもフケ飯を食って急な腹痛を起こした古参兵は盲腸と診断されて手術されたとかw 自衛隊ではイジメとかどうなのかな?
264:名無し三等兵
06/11/25 20:40:26
〉〉263
イジメと紙一重の‘指導’は日常茶飯事だよ。
前の勤務地で一人自殺したけど、彼を棺に入れる前、制服に着替えさせた時は本当に辛かった。
何で力になれなかったのか今でも悩むし、彼を助けれることが出来ず傍観していた俺はイジメた連中と同罪だと思う。
今、イジメがマスコミやらで話題になってるけどやっぱい良くないことだよ。
今の職場にもイジメられてる奴が一人いるが、影で慰めるくらいしか出来ない・・・無力な自分が情けない
265:名無し三等兵
06/11/25 21:36:48 w9ApndkE
老人ホームでの話し。
防災訓練で、防災頭巾をかぶせて避難の練習。
突然鳴った火災報知機のブザーで大パニックになったそうだ。
たとえボケていても、忘れられない空襲体験。
なんか理解できる。
266:名無し三等兵
06/11/25 22:07:47
うちの爺さんは幸運な部類だったんだな。
爺さんは開戦して少しして軍に行ったそうだが、終戦まで地元の沿岸で漁船に毛が生えた程度の船に乗ってたらしい。
最初は水平線を見てたそうだが、何時ごろからかそれが空に変わったとか。途中でボロイ機銃が積まれたそうだが敵に撃った事は無いらしい。無線機は意外に使えたとか。
これって洋上哨戒線でもやってたのかねえ?
267:名無し三等兵
06/11/25 22:46:26 p63Cwyts
志願兵で軍隊に入って少尉になるのは
陸軍と海軍ではどっちが難しかったの?
268:名無し三等兵
06/11/25 22:48:34
>>266
監視艇隊ですね。
凄まじい戦闘を経験していますよ。
よくぞ御無事で。
269:名無し三等兵
06/11/25 23:28:49
>>268
本当は戦闘してるってこと?
俺の祖父は当時、大学生(大阪帝大の理系学部)で、
大阪の空襲で落ちてきた焼夷弾の不発を分解して調べたことがあるらしい。
詳しいことは聞いてないが。
270:名無し三等兵
06/11/25 23:30:07
>>268
そうなの? ガキの頃に2度聞かされただけだったが、そんな凄い戦闘経験があるとは言ってなかったが。言いたくなかったのかな。
もう鬼籍に入ってしまったが、もう少し真面目に聞いておくべきだったかな。
271:名無し三等兵
06/11/25 23:51:08
〉〉270
監視艇隊って言うと正に縁の下の力持ち!
運の良い艇は本当に平和な、何もしてないように感じられる部隊かもしれんがかなり重要な隊だよ。
装備があまりに貧弱で、敵と遭遇すればかならず負ける、だからと言って左遷されたような情けない配置では決してない。
事実、監視艇隊から大和に転属になった人間もいる。
あなたのお爺さまは強運の持ち主だった、自分の仕事に誇りを持っていたからこそ、わざとそんな言い方をしたんだと思いますよ。
272:名無し三等兵
06/11/26 00:26:09 2YSOammv
俺の爺さんは海軍の兵卒だったらしい。
(艦の名前は聞いたが忘れた・・)
海南島に居てたから、食べ物には困らなかったらしい。
野生の猪とか捕まえて、丸焼きにして隊の人間で食べたって言ってた。そりゃ美味かったらしい。
陸戦隊の友人も多かったらしいが、シナ人との戦闘は悲惨だったらしい。
ジュネーブ条約なんて勿論知らないから、捕虜は殺した上に、更に死体から肝臓も取ってったらしい。
爺さん、涙目だった。爺さんの友人もやられたとの事。
あいつらは獣だと言ってたな。。
だから、こっちも仕返しで捕虜を取らずに、銃殺する事もあったらしい。
まぁ、奇麗事で済む世界じゃないという事は感じた。
俺も何も言えなかった。
273:名無し三等兵
06/11/26 00:31:21
>>269-271
監視艇隊は宮崎駿監督が「雑想ノート」という漫画の中で
秀逸な作品を描いてます。
「最貧戦線」と言いますが、本当に最貧だ・・・
274:名無し三等兵
06/11/26 00:46:44
>>268
まあ、機銃を撃ったことが無かったっていうからには、戦闘はしていないんだろう。
逆に言うと、だから生きてるのかもね。
275:名無し三等兵
06/11/26 02:05:22
監視艇隊で機銃を撃つということは・・・
終わりだ・・・
>>274
貴殿のお爺様は幸運であったかと。
276:名無し三等兵
06/11/26 02:15:21
「敵機発見、天皇陛下万歳」って感じだろうな。
277:名無し三等兵
06/11/26 02:26:31
無線の感度がいいのは後半は航空機用無線を積んだから
278:名無し三等兵
06/11/26 07:17:00 Tbqu2kkl
ウチの祖父は、召集されてからずっと内地で高射砲第3師団 独立第17中隊 指揮小隊 計算班所属で
鉛筆をもって戦ってました。
大阪を起点に駐屯する都市が空襲で焼けると、瀬戸内沿岸の都市に転進の日々で
昭和20年8月4~5日頃に広島市の己斐駅の裏にある茶臼山に移動して
原爆を体験しました。
279:名無し三等兵
06/11/26 09:52:55 vL3RSg6i
受け持ち患者さんで、今年80になる爺様がいたんだけど、横須賀の海軍陸戦隊で、高射砲の砲手だった人がいた。
横須賀の高射砲隊にいた時は、12,7mmの連装対空砲で、砲塔内に入って射撃管制を受けながら射撃してたそうだが
ある時、少し離れた部隊に転属になり(イクタだかイナダだか)そこは砲身むき出しの単装砲で、口径もずっと小さい(7,5cm?)
それが数門しかなく、そのくせに敵艦載機の空襲をよく受けたと。
だだっぴろく見晴らしが良いところで、ずっと遠くから飛んでくるのが見えるなら、当てようもあるが
あまり射界の良くないところで、撃たれにくいような飛び方で急速に接近してくるものだから、全く命中しなかったと。
高台にあったらしいが、俯角の取れない下からや、太陽を背にして来たり、二方向から挟み撃ちにされたりと苦戦したそうだ。
敵機の射撃音は「パラン、パラパラン」と別に恐ろしくもなく、「あんなの当たっても死なないんじゃないか?」と思える
ものだったそうだけど、機銃弾が砲座の中に飛び込むとエライ事になったらしい。円形のコンクリートの台座の中をガラガラと
恐ろしい音を立てて跳弾し、当たった兵士は重傷を負ったが、戦死者は幸運にも出なかったと言う。
あと、日頃威張っていた隊長が対空射撃の際に一人で逃げ出して、行方不明になってしまい、副隊長が指揮を継続したと。
その隊長はそれっきり行方不明になり、探したが見つからなかったと言う。「脱走したのか、戦死したのか」と笑っていた。
280:名無し三等兵
06/11/26 10:47:59 khym8x+D
今は亡きじいちゃんの話。
小学校のころ、学校の授業の国語の授業の一環で、お年寄りに戦争の話を聞いて来いっていうのがあって、じいちゃんに聞いてみた。
で、B-29の話をしたら、じいちゃんは
「日本にはもっと大きい飛行機がいた」と自慢げに話していた。
戦争中、じいちゃんは航空母艦か何かの機銃員をやっていたらしい。
その船で燃料を補給するために、デカイ飛行機が何ども飛んできていて、それを見るたびに日本は強いんだな思ったそうだ。
その後、トラック島(で良かったはず、違うかもしれない)で敵に襲われて、機銃の弾を運ぶために機銃から出た途端、爆弾が近くで爆発して、破片で背中を大きく切った。
その傷を見せてもらったけど、背中にばっさりと30センチぐらいの傷があった。
戦闘が終わった後、船から降ろされて、病院で治療を受けてそのまま、ずっと島にいたそうだ。
機銃員という配置になっていたけど、やったことは、畑仕事と飛行場の穴を埋める作業ばかりだったという。
そのまま、終戦を迎え、復員船で帰ってきたそうだ。
乗っていた船がじいちゃんが下りた後に沈んだのを知ったのは、日本に戻ってからだそうだ。
281:名無し三等兵
06/11/26 11:29:01
俺のじいさんは陸軍で南方に行ってて敵から奪ったトンプソン使ったって言ってた。倒したアメリカ兵の武器を使う仲間も多かったって言ってた。弾どうすんだろ
282:???
06/11/26 12:04:23
>>275
監視艇隊と言えば~べ―リング海で監視艇やってた元漁船がどうやら無電を打つと危ないって事がわかったらしく、監視をサボってもっぱら『本業のカニ漁』に精を出してたらしい。
司令部には申し訳無さそうにカニを届けていたとか…
283:名無し三等兵
06/11/26 13:06:29
ウチのじーちゃんは某一流大学の教授だったから戦争言ってないとの事。
284:名無し三等兵
06/11/26 13:09:24 edfUrhaC
読んでると、ジイサンかっこいいよ!!! って思えてくる。
老人は大切にしなきゃね。
285:名無し三等兵
06/11/26 13:28:30 4rWpMW60
俺達がいるのも祖父達のおかげだよな
色々映画化して欲しい
286:名無し三等兵
06/11/26 13:29:49 TaCfmhFk
爺さんではなく、ゼミの教授の話。
シベリア抑留時代、収容所内での密告・リンチには酷いものがあったそうだ。
「天皇なき皇軍は、かくも弱い」。
そう思ったそうだ。
かたやドイツ兵の捕虜たちは、よく協力しあっていたんだとさ。
どこでも隣はよく見えるらしい。
287:名無し三等兵
06/11/26 13:40:18
うちの爺さんは満州行って、その後シベリアで捕虜生活送ったって。
シベリアでは収容所?で、食うものがなくて看守の猫を食べた人がいて
それでそのロシア人がブチきれてたっていう笑い話を何度もしてくれた。
隊列組んで歩いてたらいきなりヘリが上空から一気に近づいて掃射してきて、
本当にギリギリで交わして助かったそうな。因みに隣にいた朝鮮人兵士は死んだと。
それとは別にもう1つ、本当に死に掛けた話を聞いたけど忘れた。
あと満州時代、中国人をチャンコロチャンコロって呼んでみんな威張ってたんだけど、
ある時、朝鮮人兵士が中国人と喧嘩になったって話も聞いた。
お前が日本人だと笑わせるな!日本の犬になった朝鮮人の分際で!!みたいな
感じで殴り合いの喧嘩をやってたって。それが取り合えず一番印象に残ってる・・・。
288:名無し三等兵
06/11/26 14:32:44
うちのジジィの口癖は「武田の赤備えは強かった苦労した」でした
289:名無し三等兵
06/11/26 14:36:47 t7ezlegj
俺のじいさんは仕事の関係で前線に行けなかった
悔しかったそうだ
290:名無し三等兵
06/11/26 14:43:59 kNAdukJn
子供の頃に聞いたきりなので、色々間違ってるかもしれないんだけど
うちの爺さんは中国で夜襲に合った時、機関銃(?)の弾が無くなってしまったので
仕方なくそこにあった石を投げて応戦してたたそうだ。
あと大戦末期、ガ島に行くように言われたとき、拒否して助かったって言う話も聞いた。
結構面白い人だったらしく、俺の幼い頃に亡くなったのが残念でならない。
291:名無し三等兵
06/11/26 14:48:51 kBRkKGdc
うちの爺さんの口癖は川中島の戦いは激戦だった苦労しただった
292:名無し三等兵
06/11/26 14:54:03 HCsCVWSp
うちの爺さんは横須賀で技術者をやってた関係で従軍はしなかったみたい。
従軍しなかったけど軍艦の技術改善で表彰されたことを誇っていました。
今となってはもっと詳しく聞いておけば良かった。
293:ドヴァ帝国国民
06/11/26 16:16:54
>>287
>ヘリ
大嘘決定(藁
294:名無し三等兵
06/11/26 17:52:55
大戦後ならあったんじゃない。ヘリ
日本だって戦中、萱場式オートジャイロ作ってるんだし。
295:名無し三等兵
06/11/26 19:00:14
以前中国戦線で副官として仕えていた上官(手記には「村井将軍」と書いてある)にフィリピンで再会したが、
その上官がペリリュー島守備隊に派遣される事になって
「大陸の作戦なら慣れてるが島嶼防御には全く自信がない」
と彼が言っていたので内地勤務時代に手に入れた島嶼防御研究資料を手渡して説明してあげたら喜んでくれた
といった内容(一部省略)がうちの祖父の手記に書いてあった
296:1(爺さん)
06/11/26 19:20:34
爺さんは学徒出陣で中国→満州と転戦。
曾爺さんは技術軍属で満鉄に居た。
と言う事で、うちの一家は全員満州に住んでた。
爺さんは当時の事は余り話さないが、それでもちらほらと語ってくれる。
部隊が大休止をとる際、湯を沸かす入れ物を探せと言われ
きれいな皿を見つけて喜び持って行くとそれは中国人たちが
使う便器だと言われ怒鳴られたとか。
空襲に対して高射砲を撃つが、爆撃機よりも下でポンポンと弾け届かず
同期の連中と呆然と空を見上げていた事とか。
塹壕に籠もって戦闘中、必死に防戦していた戦友が頭をや肩を打ち抜かれ
苦痛にのたうち回り、死んでいく姿をみて、震えながら敵兵を撃ち殺していた事とか。
つい2~3年前、小泉首相から当時の兵隊に対して証書か何かが出たらしく。
首相の名前が入った証書をうれしそうに眺め、やたらと自慢してきた。
297:名無し三等兵
06/11/26 19:32:30 5gD8SSjm
祖父は旧制中学の高学年での軍事教練で市街戦訓練をミッチリ受けたそうだ。
市街戦訓練の内容は日本軍らしく、奇襲による肉弾攻撃だ。
訓練は銃剣を装着した38式(訓練では木銃か竹槍)を持って物陰に潜んで、
合図の号令とともに物陰から素早く飛び出して10mくらい離れたところにある
米兵に見立てた「土のう」に駆け寄って突き刺し、そのまま全速力で走りつつ
別の物陰に隠れ直すという内容だったそうだ。走るのが遅い奴や、突きに気合が
入っていない奴は、がんがん鉄拳制裁をくらったそうだ。
298:2(曾爺さん)
06/11/26 19:38:35
曾爺さんは満州事変後から技術軍属として満州へ行っていたらしい。
らしいと言うのは曾爺さんはすでに俺が生まれたときには居なかったから。
この話は婆ちゃんから聞いた物でどれほど真実かは知らん。
曾爺さんは「おまえらは内地で暮らしていろ」と、曾婆ちゃんらに言ったが
曾婆ちゃんは「あんたが一人で行ってなにができるんや」
と言うような事を言って一緒について行ったそうだ。
満鉄の電気配線(車内の電気設備や計器)の業務に携わっていたという。
大戦末期には、婆ちゃんに「この戦争は負ける。今から内地に帰る用意しとけ」
と言って出かけていき、その日、工場が中国人に襲撃されで殉職したらしい。
当時天皇陛下の為に云々と言って命令していた上官に
「陛下の為にと言うのは、陛下にわしらを背負わせる行為だ。
自分の事は自分で背負わにゃならん。陛下に頼って良いもんではない。」
と曾爺ちゃんは言っていたらしいから、異端だったのかも知れん。