呉市海事歴史科学館(愛称:大和ミュージアム) 7at ARMY
呉市海事歴史科学館(愛称:大和ミュージアム) 7 - 暇つぶし2ch492:名無し三等兵
06/11/17 20:41:17
書 評

学研ともあろうものが、いい加減な歴史観の本を出すものよ

佐伯邦昭 

 この本については、書評というよりも、お粗末な歴史観で記述した公けの学芸員とその記事を本の骨格としてそのまま編集した学習研究社のいい加減さを追求したいと思います。

 私は、艦艇については詳しくないので、戦艦大和の構造や特徴や戦績に関する部分については批評の対象外とし、呉市海事歴史科学館の学芸員が執筆している「戦艦「大和」を建造した呉海軍工廠の全容」にしぼって考察します。

 一部をもって全体を量るなというご叱正があるかとは思いますが、 表紙にタテ書きで大きく「大和」を生み出した呉海軍工廠を徹底解説 !!とあり、また本文も、このような見出しで8ページにわたって記事が掲載されておりますので、
明らかに本書の編集意図がそこに集中しているものとし、焦点を絞った次第です。

見出しの赤丸で囲っている斎藤義朗氏は大和ミュージアムの学芸員です。

 双葉社発行の「大和ミュージアム徹底ガイド 戦艦大和と連合艦隊 」というムックにおいて、戸髙館長の大和入渠に関する歴史捏造に組しない年表を作成した人です。
呉市海事歴史科学館コー ナー参照 ヒコーキ雲を読んでいるのかどうか は知りませんが、私の皮肉に対する応答は未だにありません。


493:名無し三等兵
06/11/17 20:42:13
 さて、徹底解説とか全容という単語を用いる以上は、それなりの覚悟をもって執筆(編集)しているはずです。

 そういう私の言い方に対する厳しいご意見も頂戴していますが、知識情報を金銭で売っている個人や法人は、買い手に正しい知識を提供する義務を負っています。
私が、でたらめを書いている航空雑誌や書籍に厳しい見方をするのは、それを読んだ人に限らず、いずれは活字媒体の二次資料、三次資料となって後世に誤った情報をたれ流し続ける危険性があるからです。
その認識のない発行人はエログロ誌編集者と同列です。

 同じ意味で、公けの博物館もまた入場者のみならず世界の研究者たちに対しても、後世の人たちに対しても、深い学識による正しい情報提供の場でなければなりません。
自然科学や人文科学で学芸員資格を取った人たちや、師匠の遺産を巧みに活用して館長となっただけとも言われている人は、歴史科学の目的が何であるかを自覚して猛勉強をしなければならないと思うのです。

 大和ミュージアムの斎藤義朗氏は、猛勉強をされているのでしょうね。でなければ、徹底解説とか全容という単語は、怖くて使えるはずがありませんから。
しかし、その割には、安易にというか、よくも、こんなでたらめな歴史観でものを書くものよという印象を持たざるをえません。学研も同じです。


494:名無し三等兵
06/11/17 20:43:08
1 斎藤義朗氏の戦時下の解釈

 試みに、googleで戦時下という単語で検索すると、書籍では *日米・欧米間・戦時下の旅 *戦時下の女たち *戦時下に生きる‥等が出てきますし、ホームページでは、
*戦時下の盛岡中学 *戦時下の宮城学院 *戦時下の税務行政 *史料にみる日本近代史・戦時下の日本‥等が出てきます。

 これらの「戦時下」というスタンスがどこからどこまでかというと、基本的に太平洋戦争中1941~1945年の4年間であり、稀に第二次世界大戦中1939~1945年の6年間としているのがあります。
 今の日本人の平均的な感覚も同じだと思います。中には、変な専門家で支那事変や満州事変まで遡り、あげくは日清日露や明治政府が富国強兵を唱え出した頃から実質的には戦時下だと言う人がいるかもしれませんが。

 斎藤義朗氏の呉海軍工廠における歴史分類は次のとおりです。

  「黎明期」  1889(明治12)年~1921(大正10)年
  「軍縮期」  1922(大正11)年~1930(昭和5)年
  「戦時下」  1931(昭和6)年~1945(昭和20)年

495:名無し三等兵
06/11/17 20:44:04
 呉から見たらこうなるのでしょうか。1931(昭和6)年に満洲事変が起き、1937(昭和12)年に支那事変が起きますが、日本の中で呉市もしくは呉海軍工廠だけが戦時下の体制に置かれていたのでしょうか。
 たしかに戦時の色彩が日を追って濃くなってはいますが、国民の多くが戦時を完全に意識したのは事変ではなく正式に宣戦布告を発した太平洋戦争勃発のその日からです。
(注 満洲事変も支那事変も宣戦布告がない戦いなので、両国とも公式に戦争とは言っていない) 

 ましてや、満洲事変も支那事変も、主として陸軍の戦闘であり、海軍が総力をあげて参加したということはないのです。

 斎藤義朗氏は、満洲事変をきっかけにして軍縮期にしぼんでいた呉海軍工廠が拡充に転じたのでそこからが戦時下だと認識しているようです。大和を計画起工したのも戦時下だからこそという筆法です。
 宣戦布告をする相当以前から軍備の強化を図るのは当たり前のことであり、その時期をいちいち戦時下と言っていたら、戦争の線引きはきわめてあいまいになります。
ここに、彼の歴史観の決定的な誤りがあります。もし、確信をもって1931(昭和6)年から戦時下だというのなら、通説を覆す根拠をお知らせ願いましょう。


496:名無し三等兵
06/11/17 20:44:56
2 正しい意味の戦時下における艦艇の建造

 読者は、戦時下の主な建造艦艇という見出しで書かれている巡洋艦最上からの記述では、結局、訳が分からないままに信じ込んでしまうでしょう。ここに、あげられた名は、
最上、蒼龍、千歳、千代田、大和の建造と榛名と長門の改装工事だけです。(榛名の改装は横須賀工廠のはず)

 正しく、昭和16年からの戦時下とするならば、
    日 進
    大 淀
    伊 吹
    葛 城
    阿 蘇
    イ400ほか多くの潜水艦
も名を連ねなければなりません。完成未完成に拘わらず呉海軍工廠の船台で作業された立派な歴史です。また、特殊潜航艇も欠かせないものです。



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