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坂間文子著
『雪原にひとり囚われて―シベリア抑留10年の記録』
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この本は、シベリアに抑留された日本人女性・坂間文子さんの体験記です。男性のシベリア抑留者は
万単位でいましたが、女性の抑留体験者は非常に珍しいといえます(全部で30数人だったそうです)。
坂間さんが体験した、ソ連の収容所生活の様子が赤裸々に描かれています。
著者の坂間文子(旧姓・赤羽)さんは、明治42(1909)年、旧満州(現在の中国東北部)の大連に生まれ、
大連神明高等女学校・大連語学校英文科を卒業。病弱なため独身のまま、英語の個人教授をして
家計を助けていました。
昭和18(1943)年、大連のソ連領事館の日本語教師となったのですが、昭和20(1945)年の終戦に
よって運命が一転します。領事館の日本語教師という経歴がスパイ嫌疑につながり、進駐してきた
ソ連軍に国事犯容疑で逮捕されてしまったのです。
未決監獄で取り調べを受けたものの、身に覚えのない容疑を認めるわけにはいきませんでした。
145センチ30キロそこそこの小柄な坂間さんは、ふるえながら大男の検事の尋問に抵抗し続けました。
しかし同年12月、貨車に詰め込まれてシベリアに送られました。
そして翌21年6月、裁判もないまま「五年の刑」を言い渡されました。当時36歳。なすすべもなく、
カザフ共和国北部のラーゲリに護送されました。シベリアの寒さに倒れ、ラーゲリ内の病院に
二年入院。ろくな治療も受けられず、高熱で左耳の聴力を失いました。そうしてどうにか釈放の
年・昭和25年を迎えました。
ところが、次に坂間さんを待ち受けていたのは、流刑でした。監獄には入らなくてよいものの、
シベリアの寒村にしばりつけられ、厳しいノルマを果たさなければなりませんでした。虚弱体質
だった坂間さんに、木材の伐採などの肉体労働ができるはずもなく、日々の糧を求め、こじき
同然の姿で村の公共便所の掃除婦もしました。
坂間さんが帰国できたのはスターリン死去後の昭和30年4月、46歳の時でした。
坂間さんは帰国後、商社の兼松でロシア語通訳をしておられました。縁あって、50歳で結婚
されました。1997年時点で88歳で東京都国分寺市にお住まいであったことまでは判明して
いますが、その後の消息が分かりません。