06/07/28 13:59:20
三年前に亡くなった祖父は終戦後、捕虜としてシベリアに抑留させられていた。
軍医だったことと、ロシア語に精通していたことで(そのせいでスパイの疑いをかけられた)
結構優遇されたらしい。
過酷な肉体労働は最初のうちだけで、
半年を過ぎた頃にはロシア人を手伝って
病人の看護にあたっていた。
ある朝、帰国の日を告げられたのだが、ロシアの軍人が「あと三か月残って助けてくれないか」と迫った。
あんまり必死なもんだから祖父も折れて、「三か月だけなら」と承諾した。
ところが、三か月たち半年になり…ロシア人たちは何も言ってこない。
それどころかとぼけた素振りをみせる。
恐ろしくなった祖父は「とにかく帰してくれ!婚約者が待ってる!(祖母のこと)」
と訴えた。思わず号泣してしまったらしい。
840:名無し三等兵
06/07/28 14:09:04
その様子をみてロシア人たちは、
「わかった。次の船で必ず日本に帰すよ。約束する」
と言ったそうだ。
祖父は帰ってこれて良かったよ~と笑って話してくれた。
今だから笑えるんだよな…と悲しくなったよ。
その他にも…
・戦友が寒さの余り凍死した、朝目覚める度に
友達が減っていった。
・広い牧場のような場所で草刈りをさせられた。
鎌で体を切っても寒さと空腹で感覚が無かった。
・便所の紙がカチコチ。
ズボンの尻の所に血の点が付いていた。
・深夜、ロシア人たちの兵舎?に呼び出され迫られた。(うほっな人達が多かったらしい)
あんなに優しいじいちゃんが人を殺せるなんてなぁ…戦争って嫌だな。
841:名無し三等兵
06/07/28 14:20:00
うちの爺さん海軍で空母赤城に乗ってた、横須賀の実家に救命胴衣?みたいの
あったんですけど、死んでからかみさんゴミに捨てた・・・・
842:名無し三等兵
06/07/28 16:27:24 GmhJSIak
もったいないなぁ~それってかなりの貴重物なのに・・・でも、それよりも貴重な戦争体験の話をしてくれる方々が、少なくなってるのもこれ現状!
843:名無し三等兵
06/07/28 17:22:36
亡くなった祖父は、小学校卒で大工になり昭和13年に
赤紙で入隊。
終戦時は陸軍の曹長だったとの事。
静岡の連隊?で、中国に出征。
馬に乗っている写真があります。
小学校しか出ていないのに、叩き上げで曹長にまでなれる
のでしょうか。
それと、入隊時に一つ上の階級(上等兵?)の先輩とペアを
組んで色々指導される仕組みがあり、その相手を『戦友』と
呼んだそうですが、これは静岡だけの話でしょうか?
暴力的な先輩の多い中、祖父の組んだ『戦友』はとても
親切な方で、終戦後も手紙のやり取りをしていたそうです。
844:名無し三等兵
06/07/28 17:32:06 5fsGLgRJ
>>842
戦争体験のあるお年寄りの方々が亡くなるとまた捏造&デタラメな話が・・
845:名無し三等兵
06/07/28 17:48:04
>>836
亡くなった叔父と同じだ。
「射爆員」というそうな。
846:名無し三等兵
06/07/28 17:58:12 IbwNsJ6Y
家の母方の爺ちゃんは中三の時長崎の爆心地ちかくの三菱兵器の工場で学徒動員で魚雷の組み立てを
してたらしい。原爆が落ちた日は偶然夕方からの勤務だったので、爆心地から離れていて難を逃れた。
爺ちゃんの父ちゃんは商船の船員だったが乗ってた船が南方で潜水艦にやられて船もろとも海の藻屑になり
戦後は年の離れた弟を育てるため進駐軍相手のバーでバーテンをして必死に働いて弟を大学に入れたらしい。
その弟(つまり自分の大叔父)はそのせいで今でもじいちゃんに頭が上がらない。
847:名無し三等兵
06/07/29 00:43:59
>>843
>小学校しか出ていないのに、叩き上げで曹長にまで
試験を通ればなれるのでは?
部隊がノルマとして試験に通したいのならば
上官などが予想問題や対策などをしてくれると思う。
>『戦友』
ググったけど解説サイトがないみたいなので拙く答えます。
字面からは「戦場のお友達」のように見えるが、実際はそうではなく
『部隊からペア指定された「戦友」と呼ばれる
生活や行動を共にする経験者と新兵のペアシステム』の事。
(日本限定の話、と思う)
「戦陣訓」(ググれ)に「戦友」の意義づけがあったと思う。
戦友ペアで戦闘をするかどうかは知らない。
この辺の「当時の人にとっての常識」を理解してないと
当時の資料も心情も読み間違う。
最近の歩兵戦闘では「バディ」として二人一組で戦闘を
するのが流行っているが、これは生活までは束縛されないと思う。
848:843
06/07/29 01:19:13
>>847
詳しいレスを心より感謝致します。
『戦友』については、断片的に祖父母から聞いた内容は
まさに847さんの解説そのものでした。
「戦陣訓」については初めて知りました。
入隊してから、寝る間も惜しんで勉強(試験の為に)したと
いう祖父は、故郷の貧しい家族のために一生懸命努力したのだと
思います。温和だった祖父の事をしみじみ思い出しています。
ありがとうございました。
849:名無し三等兵
06/07/29 01:27:56
>843
静岡連隊で、中国戦線なら34連隊かな。俺の爺さんもそこにいたよ。
もっとも、俺の爺さんはずっと内地にいて、一番遠くに行ったのが
御前崎での陣地設営だったか、架橋工事だったらしいけど。
850:名無し三等兵
06/07/29 12:23:29
父方の祖父(同居、まだぴんぴんしている)は大陸で馬の世話。
大叔父その1についてはどうだったか聞いていない。(存命)
大叔父その2はフィリピン方面で戦死。
大叔父その3は地雷を用いた対戦車肉薄攻撃訓練中に終戦。(存命)
母方の祖父は海軍だったはずだが、本人はなにも語らずに7年前に亡くなった。
(遺品整理で出てきた軍服を伯父が処分してしまい、母・俺・弟で激しく憤ったことも)
問題は戦死した大叔父なんだが、
戦死日:昭和20年3月6日、戦死地:比島カポレ
この「カポレ」がどこだか分からない。どなたか分かる方いらっしゃいます?
851:836
06/07/29 16:18:24
ちょうど家に帰る機会が出来たので、それとなく話を聞いてみた。
空母に乗ってたというのは俺の聞き間違いで、実際は満州から帰って飛行隊に入ろうとしたものの
年齢上限を二ヶ月オーバーしていて弾かれた。それでも、基地で整備の仕事をしてればそこから飛行隊に行くツテがあるとの情報を得て
陸上基地で任についていたのだという。
もっとも生活様式は海軍式で、艦に乗っているのと変わらないものだったというが。
機銃の口径も7.7mm、13mm(撃墜したグラマンの機銃を参考に作られたのだという)、20mmというのはそうなのだが、
機首が7.7、翼に13mmと20mmが積まれていたと・・・。
52型なら乙が3口径みんな積んでて、丙が翼に13と20があるから、このへんで混同してるのだろうか。
852:名無し三等兵
06/07/30 12:05:03 3M8x6Gqw
自分の知り合いに陸軍中野学校出身のじいさんがいるんだよ。
世間話をするんだけど、この人のむかし話がとんでもなく面白い!
中野学校への入学の経緯、訓練の様子、満州での地下工作、終戦直前のソ連との戦闘、
その後のシベリア抑留生活、引き上げ時の政治的折衝など、全部が本や映画になりそうな内容なんだよ。
このじいさん、そういったことを全部回顧録にしてノートに書いてるんだよな。
もういい年なんだよな、
身よりいないんだよな、
欲しいな、あのノート…
853:ヴァンツァー厨
06/07/30 13:48:16
うちの亡くなったおじいさんはシンガポールで英軍の捕虜になったそうで。
「イギリス人はプールでフルチンで泳いでおった」
「風呂に入れない時はチンポだけでも洗え」
このふたつを胸に刻んで戦訓としています。
2つ目のはムツゴロウさんも密林に入る際の覚えとして同じ事を言っておりました…
854:名無し三等兵
06/07/30 14:07:46 6oDPXN2o
チンコ洗わないとなんか不味いことでもあるの?
855:名無し三等兵
06/07/30 14:16:22
思ったんだけどさ、昔の戦いの絵画はあるけど、近代戦の絵画って見ないよね。
描く奴いないのかな?
856:名無し三等兵
06/07/30 14:47:29
>>855
絵画で見た事がある奴は、ノモンハンだかの日本軍の奴が、俺の知る限りでは最新。
湾岸とかベトナムとか朝鮮戦争の奴はあまり見ないなぁ。
こんなのがHDDの中にはあったけど。
URLリンク(cgi.2chan.net)
857:名無し三等兵
06/07/30 15:30:39 o5nW1p2o
>>855
調べ方が足りないのでは?
ガダルカナルや硫黄島の戦闘の近代絵画も見たことあるよ?
図書館の資料にあったな。
858:名無し三等兵
06/07/30 15:34:48 o5nW1p2o
ジャングルの中を肩を貸し合って歩く血まみれの負傷兵たちの絵画や
夜間、舟艇から上陸をする日本兵の絵画、
玉砕突撃の前に杯をかわす兵士たちの上に、ジャングルから木漏れ日がさす絵画
夜間のジャングルを、山のように物資を背中に背負って、用心深く進む補給輸卒の姿
数人の兵士が対戦車砲を構え、その先に破壊されたM4の描かれた絵画等など
859:名無し三等兵
06/07/30 17:23:11
>855
つ藤田嗣治
URLリンク(www.ippusai.com)
860:名無し三等兵
06/07/30 18:40:59 Gc+d+LNV
ある戦争画家が息子である海軍将校が死んでから、描いてる肖像画をテレビでみたが、息子と父親の「魂」が入っていてすごい肖像画だと思った。
861:名無し三等兵
06/07/30 20:15:45
>>853
インキンになります。すごくかゆい。
足は洗わないと、すぐにまめができます。
熱帯を歩くとき風呂に入れないならば、足と金玉だけは
洗うのが常識です。ガイドにもそういわれますよ。
女性の場合も同じね。
862:名無し三等兵
06/07/30 20:42:25
デリケートな部分の痒みに悩むアマゾネス萌え!
863:名無し三等兵
06/07/30 21:02:36
>>852
自費出版の方法でも教えてあげなよ。
それともどこかの出版社にノート見せて買ってもらうとか。
じいさんが契約料or印税の恩恵を受けられるうちに話進めてやれ。
864:名無し三等兵
06/07/30 21:33:39 a3DCMsJu
海軍生活の基礎知識はここを読むといいかもネ。
URLリンク(aimy.or.tv)
865:名無し三等兵
06/07/31 00:25:11 EIc+US/H
内のじいさん、フィリピンにいたんだけど、肩、腹、胸に弾くらって、隊長はもう助からないから、置いていけって言ったんだけど親友が絶対に助かるって言って、運んでくれたんだって、だからじいさんは友達は大切にしろっていつも言ってたな~。
866:u
06/07/31 13:05:19 N9hGP+Se
>>843
「小学校しか出ていないのに、叩き上げで曹長にまでなれ」ます。准士官・下士官は、ほとんどが高等小学校卒業です。今で言えば高卒。曹長は優秀な軍曹から進級しますが、試験はありません。戦時中は人手が足りないので、曹長に進級するのは早かったはずです。
現役下士官は、だいたい27・8歳くらいには曹長になっています。
「戦友」はひとつ上の「階級」ではなく、ひとつ上の「年次」です。1年目は初年兵、これに2年目の「2年兵」が先輩としてペアを組んで、内務(戦闘以外の軍隊生活)の面倒を見ますが、実際は2年兵の面倒を初年兵が見てあげていました。
寝台の整理整頓、銃器の手入、洗濯、繕い物、靴磨きと専属メイドみたいなものですね。寝台が隣合せに決まっていて、「寝台戦友」とも言います。たいてい先輩の戦友は昼間いばっていても、こっそり毛布の下にアンパンなど入れて戦友初年兵の労をねぎらうのが習慣でした。
2年兵が炊事兵だと、時々、腹の減っている初年兵戦友にこっそり余ったトンカツを食わせてくれたりした、という話もあります。このペアは中隊の人事掛が決めます。
どこの聯隊でもこうなっています。戦闘では内務班とは別の編成(分隊・小隊)をつくるので、離れ離れになって別の部署につきます。
たちの悪い古兵(二年兵)から私的制裁を受けていると、ころあいを見て戦友二年兵が仲裁に入り、「まあ、そのへんで勘弁してやれや、俺の顔に免じて」という調子で許してもらえます。
867:843
06/07/31 19:02:51
>>849
祖母も92歳の高齢で、詳細までは聞けませんでした。
が、召集は昭和16年、横浜に集められて後に中国へ。
実戦経験はなかったが歩哨をしたりして(寒いので)
ひどい神経痛を患ったとのことです。戦後60年の
今、こうして孫同士がネットで話し合うというのも
当時は想像付かなかった事でしょうね……。
>>866
私が祖母に聞いても要領を得なかった部分を教えて下さり、
本当にありがとうございます。
女の孫の私がなぜこんな事に興味を持つのかと、92歳の祖母も
仰天していました。
戦後、祖父を訪ねて元部下が奥さんを連れて遠くから
来て最敬礼してくれ、老衰で立てない身体を伸ばして祖父も敬礼。
抱き合って号泣したと聞き、陰惨な印象しかなかった
陸軍にも心が通じ合う「戦友」始め人の情の部分があったと
知り、皆様に深く感謝申し上げます。
868:847
06/07/31 21:29:10
>>866
Thanks.
非常に詳細でよく分かった。
869:名無し三等兵
06/08/01 17:55:32
家の94になる爺さんが、ミッドウェーで撃沈された三隈に出撃の約半月前まで乗ってたそうです。
航空機の整備員の学校?に入るとかで転属になり、見送ってくれた人に幾人も戦死者がでたとか。
870:名無し三等兵
06/08/02 13:27:30 giINzub3
はじめまして.両親とも戦前の生まれですが,
10年前に死んだ島根出身のじい様の晩年に聞いた話しです.
子供の頃,日露戦争の日本海海戦で猛烈な砲声が響いて村中不安だったそうですが,
同じように怯えた魚が浜辺に殺到し,村中総出で編み籠や桶まで持って魚をとったと言ってました.
その後,戦死者の遺体も流れてきて大変だったそうです.(能登半島あたりに大量に流れ着いてたようです)
その後は幼かったわたしの母もつれて満州開拓団として大陸に渡り,
ウラジオ近くで敗戦直前ソ連軍侵攻くらい逃走中に民間防衛隊として徴用されて
泣く泣く家族と別れ武器も弾も無くあちこち連れまわされて最後にどこでか分かりませんが
八路軍に捕まり,戦争は終わりだと食い物を渡されて釈放され,
大連で奇跡的に家族と再会,子供二人亡くしましたがなんとか帰国しました.
もっといろいろ聞いておけばよかったなとしみじみ思います.
では長文失礼いたしました.
871:名無し三等兵
06/08/02 14:58:05
スレリンク(army板)l50
まぁ、知ってる人も多いと思うがスレタイでネタスレと判定して回避してしまっている人のために。
872:名無し三等兵
06/08/02 17:16:29
>>871
知らんかった。じわりときた。
873:名無し三等兵
06/08/03 01:02:53
すごい良スレだな。
というかチャットか。
874:名無し三等兵
06/08/03 11:08:24 TogcQtTk
さっき90歳くらいのおじいさんが道端で血吐いてた(ToT) 戦争経験者ってどんどん減ってくね…
875:名無し三等兵
06/08/03 11:26:06 1nOhaHAV
>>874
自分のおじいさんだとか親戚に経験談を聞く最後の機会かもわからんね。
一回話してくれたら次からは割と色々話してくれるようになる気がする。
おじいさんもちゃんと聞いてくれるなら話をしたくなるのかも。
876:名無し三等兵
06/08/03 14:14:55 hnmSvoe0
俺のじいちゃんはインパール作戦で戦死? したよ
877:名無し三等兵
06/08/03 15:21:10 IWQ53VY5
>>874
助けた????????
878:名無し三等兵
06/08/03 15:32:45
物置掃除していたら、じっちゃが大陸で使ってたポンチョ?と、アンプルに注射器
が出てきた。
ポンチョには名前と、墨で塗り潰された、所属していた部隊名? が書かれていた。
アンプルはまだ薬品が入ってる。
あと、昔は集束焼夷弾の子弾を集めて地面に刺し花壇の淵に利用していたらしい。
879:名無し三等兵
06/08/03 15:42:26
うちの爺様は疾風の脚を作ってたらしい。そんで召集かけられて、遺影を撮りに帰宅したときに終戦だったとさ。
そんな時期に召集ってのは本土決戦かな?
880:名無し三等兵
06/08/03 15:56:01 ArYJplco
俺のひいじいちゃんはこの辺りで一番偉い人だったらしく
天皇から勲章もらってる、今金庫に入ってるけど
で、どっかの島に軍を率いて行ったんだけどそこで、米軍に攻められて
自分の部下に逃げろと命じて自分だけ死んでしまったみたい。だから骨とかもない・・・今はその島は米軍基地になってるようだけど
で、昔一通の電話がかかってきてそのときたまたまでたのが俺の親父だったんだが
ひいじいちゃんの部下の人から電話で無事生還して、あなたのおじいさんはとても勇敢でしたとの連絡を受けたらしい・・・
881:名無し三等兵
06/08/03 18:14:08
うちの曾爺さんは徴兵に落ちたため戦争に行ってません。
その落ちた理由が
「足がでか過ぎるから」
ばーちゃんから聞いたときは冗談と思ったよ。
882:名無し三等兵
06/08/03 21:13:23
うちの爺様は樺太で教員やってたんだが、昭和20年に兵隊にとられたんだそうな。
で、何でも「ガス兵」やってたらしいんだが・・・・・・、当時の陸軍にガス兵ってあったけ?
自決用に手榴弾を渡されたけど、それを使う気にならなくって、クリークに隠れてソ連戦車を
やり過ごしたりして終戦。
ご多分に漏れずシベリア送りだったそうな。
朝起きたら隣の仲間が死んでたとか、ちょっぴりだけど給料が出たからそれで煙草を買って、
部下と分けて吸った(爺様は兵長だった)とか色々聞いた。
ただ、その爺様も、去年の八月に他界。
もう少し聞いてみたかったんだけど、母ちゃんが子供の頃はよく夢でうなされてた、って話を聞
いてたから無神経には聞けず、そのまま。
もう少し聞いてみたかったなあ。
883:874
06/08/03 22:26:12 TogcQtTk
>>877 人通りが多いから平気だと思って通りすぎた。 さっき通ったら血のあととハンカチが落ちてた…。おじいさん大丈夫だろうかorz
884:名無し三等兵
06/08/03 22:55:11 kzvKHn4D
既出かも知れぬが、俺のじっちゃんは戦艦長門に乗ってました。濃霧の中、瀬戸内海に停泊していた時、陸奥が爆沈した時の状況をよく語ってくれましたが10年前に死んじゃった。じっちゃんの口癖は、「日本人は二度と戦争しちゃいかん。その時は世界が滅ぶ。」でした。
885:名無し三等兵
06/08/03 23:01:49 2itK8Xz7
うちの祖父ちゃんは一五で満蒙開拓義勇軍に入隊して満州へ渡ったそうです、その後シベリアで強制労働。
勿論終戦を迎えても祖国の地をすぐには踏めず、毎朝死んでいく仲間を見、大変な思いをしてやっとこさ舞鶴港へ降り立ちました。
まあ今だから笑ってはなせる事でしょうが、その当時ロシア人は九九が出来ずに代わりに祖父ちゃんが計算していたそうです(笑)
満州語とロシア語ペラペラな祖父ちゃん、スゲェ、、
帰国しても暫くはシベリアにまた戻される夢を見て相当うなされたようです。
なんせ食べたくても食べられない状況に、一番育ち盛りの時期に置かれたのだから、その苦痛と恐怖は計り知れません。
革製の製品、草、キノコは全て口にする対象だったそうです。
一度でも、下痢は死を意味するんだそうです。
だから祖父ちゃんはキノコが食卓に上がると「んなもん栄養にならんのに」とちょっとすねます。
そんな祖父ちゃん、大好きですよ。
今の時代がどんなに平和か身にしみました。祖父ちゃん達に感謝です、ほんと。
886:名無し三等兵
06/08/04 00:20:24
>>883
ゴルァ
887:名無し三等兵
06/08/04 11:26:16
数年前にプラモの飛燕作ってたのよ。そんでじいちゃんが、「お、飛燕か」みたいな
ことを言ったので、飛燕がいかに信頼性が低かったかを聞かせたんだ。じいちゃんは
何とも言えない表情で聞いてた。一昨年じいちゃんが死んだときにじいちゃんの兄弟に
聞いたんだが、じいちゃん飛燕乗ってたんだって…じいちゃんゴメン
888:u
06/08/04 12:49:56 j7pgL1ta
>>882「ガス兵」ガス戦の訓練を受けた特技兵。
普通の部隊に何人か割り当てられて訓練受け、ガス主任(将校)の指示で、ガス弾射ち込まれたときの防毒や、
ガス散布などに従事。実際にガス戦とはならなかったので、ほとんど出番はなかった。
889:名無し砲兵
06/08/04 13:19:58
漏れのじぃちゃんは呉の海軍の訓練兵だったみたいなんだが、結局実戦配備される前に終戦迎えたみたいだ
890:名無し三等兵
06/08/04 13:21:13 NUdR2RwK
歯科医だったので、軍医学校で速成教育を受けて軍医として勤務、明野
飛行場で、不時着したりして歯を折ったりする人の治療をしてるうちに
終戦、高価な物資を独り占めにして逃げようとする将校と、ヤクザな下士官
が銃撃戦をやったりするのにビックリして、なんにも持たずに帰ってきたそうだ
891:名無し三等兵
06/08/04 13:48:47
私の母方の祖父は五年ほど前に鬼籍に入ったのですが、陸軍の通信兵でした。
祖父の一家は兄姉含めて五人兄弟、その末っ子だったとの事。
祖父の二人の兄は、長兄は中国で戦死し、次兄はフィリピンで同じく戦死。
祖父も乙種合格で陸軍の通信兵として淡路島に。男兄弟は結局、祖父だけ生き残りました。
同期で優秀だった友人さんは、絶望的な戦局下のフィリピンに輸送船で赴く際、雷撃により千尋の海へと葬られました。
また、父方の祖父(両親結婚前に他界、面識無し)は、戦前上海の商社に勤務後、満鉄に転職。
去年暮れに亡くなった祖母、叔母と二人の男兄弟と共に奉天近郊に住んでいたとの事。
ソ連軍が不可侵条約を破り、満州に侵入した際、祖母や叔母の家もソ連軍によって家財道具や貴金属を根こそぎ奪われたものの、
住宅を明け渡すのを条件に命だけは取られずに済み、着の身着のままで知人を頼りつつ、無事日本本土に引き上げたそうです。
ちなみに、叔母は悪運強く病気もせず終始健やかであった事と、私の父の兄となるはずだった二人の幼子は、いずれも病気で死去。
やむなく、満州の地に土葬せざるを得なかったということを付け加えさせていただきます。
892:名無し三等兵
06/08/04 17:28:40 L4vC+5L8
質問厨ですいません。詳しい方、教えてください。
私の母方の祖父は横須賀鎮守府に軍属として勤務中、昭和18年ごろ
召集されたそうです。うろ覚えですが、当時の写真では軍曹の階級章
がついていました。本籍地が秋田県だったのでそちらの連隊に召集
されたと思うのですが、相当な激戦が心の傷になってらしく、戦争について
祖母や母、私にも多くを語らず亡くなりました。
考えられる戦地はどこだったのでしょうか。また、海軍軍属でも
陸軍へ召集されるということは一般的だったのでしょうか?
祖父は旧制中学卒でしたが、職業軍人ではありません。それでも
当時は簡単に軍曹に昇進できたのですか?
893:名無し三等兵
06/08/04 17:36:08
>>892
頼むから質問の前に、過去ログ読んでくれ、
身内の配属先とかの照会の仕方が載ってるから。
正直うんざりする。
894:名無し三等兵
06/08/04 18:10:20
>>892
それどころか、1度目の現役徴兵の時に海軍だったのに、
2度目の臨時応集の時には陸軍に行かされる、何て事もあります。
(あんまり普通ではないがあった事です)
あと、
貴方のおじい様も、『簡単には』軍曹になってないと思いますがいかがな物でしょう?
895:名無し三等兵
06/08/04 18:37:54
オレの記憶が正しければ、
秋田県庁は県本籍のもとの陸軍軍人の軍歴を保管していない。
896:名無し三等兵
06/08/04 20:11:36
父親からおじいさんの中国戦線での話を聞いてきました。
戦場を転々としながら常に前線で戦ってたそうです。
敵と鉢合わせたとき真っ先にダッシュで前進して寝転んだ人が生き残れるそうです。
一歩でも引いてしまったり、人の後ろから付いてきた人はそのまま撃たれてしまうらしいです。
僕には記憶が無いけれど、体に銃弾を受けた傷があったそうです。
水が不足していて水溜りで水をのみ、そのときボウフラが沸いている汚い水が安全で、
ボウフラが居ないきれいな水は中国軍が毒を入れたものだから飲めなかったそうです。
水を掬いボウフラなど生き物を取り除いてそのまま飲んだそうです。
あと、見張りが居眠りしたり、サボったりしてた部隊は夜襲に合い全滅したそうです。
終戦後生きた帰ってきたけれど、戦争で緊迫した状態が続いたためか、
心臓を悪くして、たびたび手術をして生きていましたが12年前に無くなりました。
まだ小さく話を直接聞けなかったのが残念です。
897:名無し三等兵
06/08/05 14:22:56
父方の祖母は網走の止別という田舎の生まれだが、子供の頃は
艦載機の銃撃が酷かったそうな。列車にのってるとき車両の
間を銃弾が貫き目の前で死者が・・・((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
898:名無し三等兵
06/08/05 18:30:27 CaW3BkHU
草刈手伝いに行った。俺「何人兄弟?」じ「10…11くらいかな」俺「ちょw何人生きてる?」じ「2…3…4くらい」俺「ちょwじいちゃん長男?」じ「うん俺が帝大生の時に何人か戦死したなぁw」俺「!!」じ「俺が中隊長の時下っぱにいたよ、弟、死んだけど」
899:erisuMkII
06/08/05 18:36:01
あのフネがはじめて
出たとき
たたみ
が浮いた
900:名無し三等兵
06/08/05 18:55:21
オレの親父がガキの時に戦争に行ったっちゅう近所のおっさんに聞いた話
そのおっさんは中国戦線に行ってたそうな
で、戦闘後だか行軍中だか、とにかく暑い中、長距離歩いてたそうだ
当然すごく喉が渇く
水筒の中の水なんか皆すぐに飲み干してしまった
そしたら川に打ち当たったんだと
皆よろこんで川岸まで走ってってガバガバ水を飲んだそうだ
皆、元気回復、行軍再会ってことで今度は川沿いに上流側に向かって歩いてったそうだ
そしたら川上にはおびただしい数の死体が浮かんでたそうだ
日本兵なのか中国兵なのか、あるいは民間人なのかは分からなかったそうだ
なにせズルズルに腐ってたらしいから
もう皆、一斉に嘔吐したらしいよ
901:名無し三等兵
06/08/05 20:17:30
うちの爺さんは樺太とトラック諸島に行ってたらしい。
重傷負って死ぬかと思ったけど、這って味方のところまで戻って何とか生還したそうだ。
内臓でて大変だったって言ってたけど、人間ってそれでも生きられるもんなんだなあ。
爺さん寡黙な人だったけど、戦争の話はよくしてくれた。
日本人として誇りを持って戦ってたから孫にも聞かせたかったんだろうな。
902:名無し三等兵
06/08/05 21:27:17 Qtdi0JrF
うちの祖父さんは北海道室蘭で高射砲撃ってたそうだ。
ある日空襲と艦砲射撃があって、あちらこちらに人の破片が飛び散ってたそうだ。
祖父さんは生き残ったが、去年の暮れに死んだ。もう詳しい話は聞けない。
903:名無し三等兵
06/08/05 23:45:57
少々スレ違いなのですが、ここの方たちは相当お詳しそうなので、ひとつ質問させて下さい。
大正九年生まれの祖父の事なのですが、青春時代を海軍でほぼ過ごしたようです。
詳しい軍歴はわからないのですが、佐世保鎮守府の所属で主に朝鮮~中国の沿岸をうろうろしていたようです。
駆逐艦に乗り込んでいたそうです。
終戦まで何年か海南島で過ごしたようです。陸戦隊でトラックの運転をしていたとのこと。
戦時中の海南島の様子や戦績がわかる資料やサイトをご存知の方がいらっしゃいましたら教えていただけませんか?
宜しくお願いいたします。
904:名無し三等兵
06/08/05 23:55:24
>892
うちの爺さんの弟がそのターンだった。
たしか旧制工業学校出て海軍工廠に就職。
技手だったかなんか。
現役入隊が陸軍で乙幹←ここで海軍と陸軍が喧嘩して陸の勝ち
除隊→海軍に戻る→召集→戦死。
905:名無し三等兵
06/08/06 02:40:29
341 :名無し三等兵 :2006/08/04(金) 10:43:30 ID:???
ちょっとすれ違いかも知れませんが、教えて頂きたいのですが。
叔母の昔語りの中で、曾祖父の従兄弟?の”みやけだいたろう”と云う方が
潜水艦のりっぱな艦長として有名だったと云うのを聞いたのですが、どのような
方だったかご存じの方居られないでしょうか?
スレリンク(army板:341番)
906:名無し三等兵
06/08/06 05:14:27 MGu0QsyQ
小学校の平和教育の一環で祖父から戦争体験を聞いて
みんなで考えるという授業があったんだが
うちのおじいちゃんの「何キロか離れたところから広島のきのこ雲を見た」という話をしたら、
先生が「何キロとかだったら被爆してないか?ありえないよ?」と冷笑されてしまった。
うちのおじいちゃんがウソ言ってるとは思えなくて
しかし先生が否定しつづけるので頭が混乱したのを覚えてるw
907:名無し三等兵
06/08/06 07:43:48 UIl4rmRZ
時間にカキコできそうにないので……黙祷
908:名無し三等兵
06/08/06 15:00:46
質問。
終戦数ヶ月前に、家のジー様がFw190D-9かTa152H-1に乗ったと言う取るんだが。
当時日本国内にD-9かTa152って有ったの?
スピードが出るのに扱いやすくて、いい飛行機だったと評価してたけど。
909:名無し三等兵
06/08/06 16:57:13
>>908
瀧沢清峰噴いた。
Fw190Aなら、試験目的で陸軍が購入してます。
(三式戦→五式戦、のエンジン装換の参考になったそうです)
910:名無し三等兵
06/08/06 17:04:55
>>909
Fw190Aか。
いや、昨日から家に遊びに来てるジー様が、居間に飾ってあったハセの1/32・D-9を見るなり
「昔この飛行機に乗ったことがある」とか言い出すもんでびっくりして……。
今しがたA-8の模型見せたら、こっちだと言うので間違いないっぽいです。お騒がせしました。
911:名無し三等兵
06/08/06 17:24:22
>>910
じーさん、テストパイロットか。
すごいな、色々話を聞いてくれよ。
日独以外の機体にも乗ったかもしれないぞ。
912:名無し三等兵
06/08/06 19:25:21
ぐぐったらA-5を一機輸入したってありますね。
是非とも詳しく話を聞き出してください。
913:名無し三等兵
06/08/07 01:37:31
>>906
似たようで違う話だが、長崎の原爆は海の上に落ちたなどという教師が
俺の通ってた小学校にいた。その話を聞いて以来、その教師の言うこと
を信用しなくなった。
914:名無し三等兵
06/08/07 03:04:13
メッサーシュミットがMeだから
B29のBはボーイングのBと言い張ってた先生は、
ジャイアント馬場の足のサイズは十六文だと言い張ってた。
脚がでかすぎてアメリカで靴を作ったら十六インチだったからで
十六文とは関係ないといっても「人間の足がそんなでかい分けないと」信じてくれなかった。
ちなみにイアンソープの脚は42cmあるらしい。
子供のころそういうのあると覚えてるよな・・・。
915:名無し三等兵
06/08/07 07:05:10 CLKRCKzO
>>901
流石に内蔵でたら助からないんじゃ?
ちょっと出ただけで傷が酷くないならまだしも、這って移動したら、
内蔵泥まみれになるし、なんとか内蔵を戻せても感染症とかにかかって助からないと思うんだが
916:u
06/08/07 10:06:16 F3kcSXr7
>>892
軍属は軍人ではないので、陸海軍どちらにでもいけました。陸軍軍属でも志願すれば海軍にはいれたし。
旧制の中学・実業学校を卒業していると、幹部候補生受験資格ができて、二等兵の時に試験に合格すると、幹部候補生用の学校に入って、すぐに下士官以上になれました。
甲種幹部候補生(曹長の見習士官になって、あっというまに少尉になれました)、乙種幹部候補生(伍長になって、その後の進級は一般の兵隊と同じ速度)
917:名無し三等兵
06/08/07 11:23:05
空襲警報が出ると、すぐ逃げられるように立って飯を食ったそうです。
立ち食いが大嫌いな理由がやっと分かったよW
918:名無し三等兵
06/08/07 13:18:23 D6oil5Oh
>>903
参考になるか分からないけど、こんなサイトがあった
URLリンク(www.geocities.jp)
919:名無し三等兵
06/08/07 14:26:16 naEfFGxw
>>916
892じゃないけど幹部候補生用の学校の正式名称ってなんていいますか?
うちの祖父もそうだったらしくアルバムがあるんですが、何も書いてなくて
よくわからないんです。
920:名無し三等兵
06/08/07 16:25:12 W6NEUgh5
ばあさんが「昔は不登校なんていなかったんだけどねぇ」とか言っててふと思ったんだが…。なぜ?イジメなんか今以上にあっただろうに。
921:名無し三等兵
06/08/07 16:41:27
>>919
陸軍士官学校?海軍兵学校?
>>920
今のように不登校でも受け皿が用意されていた時代ではないから。
今なら犯罪者に対する感覚と似ているかな。
それほど世間の目は冷たかった。
922:u
06/08/07 17:28:57 F3kcSXr7
>>919
「予備士官学校」ないし「幹部候補生隊」です。
(外地にあったり、特殊な兵種は学校とはいわずに、幹部候補生隊などといっていた)
教育内容は同じ。詳しくて信頼のおける説明は↓がおすすめ
URLリンク(imperialarmy.hp.infoseek.co.jp)
923:名無し三等兵
06/08/07 18:05:39
>>920
今ほど陰湿なイジメはなかったと思う。
とマジレスするとスレ違いになるので、うちの爺さんの話でもしとく。
とりあえず満州に行ったらしい。クソ寒い中、軍手一枚でネジを締めたとか聞いたが、
何をしてたのかは聞いてない。階級は伍長で大砲をやってたらしい。
満州以外にどこかへ行った話も聞いたのだが覚えてないんだな、これが。
あと覚えているのは酒とタバコは軍隊に入ってから、でもって死ぬ日の朝(享年84)まで酒とタバコはやめなかった。
6、7歳まではよく聞いたんだが、某漫画を読んだお陰で日本が悪いと思って以降は話を聞いてないのが非常に悔やまれる。
長文の割には内容がなくてスマソ
924:名無し三等兵
06/08/07 18:12:13 qLiUSg6M
昔は、小学校や中学校にも配属将校と云う偉そうな軍人が派遣されていて
軍事教練とかもさかんに、鉄拳制裁をくわえて、暴力の限り
終戦後は、学生に逆襲されたりでボコボコの半殺しにされたりとか
軍隊でも上官殺しも多発して、まさに下克上状態の集団リンチなど
特攻隊くずれも街に溢れて、街中でも飛行帽かぶり
通行人などに言いがかりなど付けて、カツあげなどの暴力 おまけにヒロポン中毒
テレビなどでは、よく特攻の話題が悲劇的とか美談にするようなのもあるけど
特攻隊の生き残りのジイサンなどが、歴史の証人とかでチヤホヤされてるけど
特攻隊員は、ほとんどはヒロポン経験者 結構戦後のヒロポンも摘発されたけど
ヒロポン中毒になって、戦後特攻隊員でも廃人になった人間も多数
925:919
06/08/07 18:19:45 naEfFGxw
>>922
ありがとうございます。うちの祖父の年代、写真とつきあわせてみると
隊付で教育を受けたよです。ここのHPはわかりやすくていいですね。
926:名無し三等兵
06/08/07 18:26:30
>>924
確かにここは軍板だが
このスレは爺さんの話をするところだ
お前の資料から組み立てた下らない話は他でやってくれ な?
927:名無し三等兵
06/08/07 18:29:14 OwAf1qts
うちの爺さんは詳しくは語ってくれなかったがどうやら特攻隊員
だったらしい
928:名無し三等兵
06/08/07 19:55:25
じいちゃんは二人とも鬼籍に入ってるので、うちの先生(83歳・現役内科医師)の話を
また投下しておきますね。
「海軍行ったらさ、すごいのよ、食べ物が。タタミ一畳ぐらいの広さにバーンと
食い物がならんでて、『これ何人で食べるの?』って聞いたら、
『ハッ、尉官殿ひとりのお食事です。』だってさ。たまげたね。」
「北支行ったときは寒かったねー。シャツ着て寝ると、汗かいたシャツが凍るんだよ。」
でも先生、この前は陸軍にいたとも言ってたな・・・。
北支の話は陸軍にいたときのことかな?
陸軍・海軍って所属先がどう替わるのか詳しく聞こうと思ったけど、酩酊状態だったので
要領を得ませんでした・・・。
929:名無し三等兵
06/08/07 20:12:57 ETylSziK
>>914
おまえもまちがってる。
アメリカ規格の16サイズを昔のマスコミが16文と勝手に判断したのが由来。
すれ違いすまん
930:名無し三等兵
06/08/07 20:42:27
うちの爺さんは名古屋で看護兵やってたらしい
B29が病院にも焼夷弾落としていったから大変だったらしい
爺さんがいうには焼夷弾って花火みたいに綺麗なんだと
落ちてくる速度も遅くてキラキラ光りながら落ちてきたらしい
931:名無し三等兵
06/08/07 20:49:06 U6H4Tenb
満州での寒さは物凄かったと、電線などに止まっていたスズメが寒さでバタバタ落ちて死んだと
また、隊舎でストーブ焚いてると、煙突に、小鳥が大量侵入
たまに、煙突が塞がり、不完全燃焼で、死人が出たらしい
室内で洗濯して、屋外に出したら瞬間凍結など
銃も動作不良で、不凍液などもまだ少なかったので、使えないから、日本刀が活躍
中国での日本兵の残虐なイメージだと、やたら日本刀を住民を殺すカンジあるけど
拳銃や歩兵銃などが、酷寒の中では、動作不良で使いづらく 日本刀で代用したらしい
中国兵とかいっても軍服もいい加減で、毛沢東の人民服とか蒋介石の国民党軍の軍服など着てるのは、前線には見かけず
もっぱら便衣隊とかの民族服で、民間人と軍人の見分けもつかないゲリラ
おまけに、日本人と同じような国民服や日本兵の軍装のマネしたコピーなどのニセ者も多数
中国戦線での戦闘などは、点と線の戦線で、昼は日本軍 夜は中国人のゲリラ
戦闘でもいい加減な中国人の部隊などは、日本軍が来たらさっさと降伏して
なんと米国から供与された武器を日本軍に売りつけて、トンズラ
932:名無し三等兵
06/08/07 20:51:16
>906
>小学校の平和教育の一環で祖父から戦争体験を聞いて
以前このスレであった「戦争の悲惨さを語ってもらうはずが、重機関銃でチャンコロを云々・・・
という爺さんの武勇伝の話になってしまい、女の子は泣いてるし、先生も引いてるし、
話は終わらないしでまさに地獄絵図・・・」というのを思い出した。
933:名無し三等兵
06/08/07 21:14:02 4qhe5aQo
夏の花火をみるといつも、”顔料を混ぜた火薬を意味も無く空中で散らすのが何が面白いんじゃ
。アメさんの砲火を見せてやりたいわい”それが口癖だった爺ちゃん
934:名無し三等兵
06/08/07 21:43:20
>>930
漏れのばーちゃん、戦時中東京に居たそうだが焼夷弾がキラキラ落ちてくるのが
トラウマになったみたいで花火嫌い。
花火大会になると、焼夷弾が落ちてきて云々とよく話していた。
そんなばーちゃんもボケちゃって、今じゃ漏れの事も判らない・・・つД`)・゚・。・゚゚・*:.。..。.:*・゚
じーちゃんは台湾の高雄に出征していた。
高砂族の人に親切にして貰ったとかーちゃんに良く話していたそうだ。
じーちゃんの兄弟は南方の海で死んだ、としか聞かされて無い。
どうやったら調べられるんだろうか・・・。やっぱ、厚生省に問い合わせ?
935:名無し三等兵
06/08/07 22:25:34 3bXo8F/v
うちのばーちゃん、東京大空襲を疎開先の船橋からみて、
「花火みたいできれい」と言っていたそうだ。
もともと世間知らずの天然なところがあったらしいが、
さすがにこの発言は親戚中から顰蹙買ったらしい
936:名無し三等兵
06/08/07 22:42:35
すみません、ちょっと教えてください。
祖父は自分が生まれる前にフィリピンで戦死したらしいのですが、
どの隊に所属してどの島で亡くなったかを知るには
どこに問い合わせればいいのか教えてください。
母の実家に墓参りに行けばきちんと判るのですが、
なかなか行けなくて。
937:名無し三等兵
06/08/07 23:11:47 i5rdosxw
あんまり関係ないですが、沖縄のお年寄りは介護など受けずに元気で明るいのに
本土のお年寄りは、老人ホームなどに入り人の世話な無しでは生きていけないのは
戦争体験の違いによる部分が大きいのでしょうか?
938:名無し三等兵
06/08/07 23:43:41
>906
中学の校長先生が第二艦隊の死に損ないもとい生き残りで、
平和教育とかで原爆救援の話するところ、天一号作戦の時の話で
盛り上がりすぎて・・・・・。
てな記憶がありまつ。
冬月めさくさかっこえええ~~~、で逆効果。
939:戦湯
06/08/07 23:56:51
豊川海軍工廠の慰霊祭(8月7日大空襲で2500余名死亡)で、
工廠員だった人の話を聞いた。
当時は各地から動員された十代半ばの若い男女数万人が居たが、
連日の激務と食糧不足のため
とにかく腹が減って恋愛や色気まではまったく気が回らなかったとのこと。
940:名無し三等兵
06/08/08 00:09:14 HvCD0ihJ
NHK見てたら泣けてきた。アメリカへの怒りではなく、英霊を愚弄する朝鮮人への怒りだ。
941:名無し三等兵
06/08/08 00:23:20
>>937マジレスすると、絶対数の差だと思うよ。
東京のほうが爺婆多いから同じ割合で介護受けてても施設の数は増えるし、
住宅事情から在宅介護を受けられる人も限られてくる。
介護施設は社交場としての意味合いも強いから通所利用者は意外に元気だったりする。
沖縄の福祉の水準知らないけど、ヘルパー頼みたいんだけど頼む先が無いとか、
逆に近所の誰々がやってくれるからイラネみたいのもあるんじゃないか?
戦争体験より、生活環境と心の健康が体の健康につながってんじゃないかな。
942:名無し三等兵
06/08/08 00:46:17
一般に地方の方が老人は元気だな。
過去に戦争体験しようが人格的にどうしようもない人間は家にもいる訳で…orz
943:名無し三等兵
06/08/08 01:27:38
>>940
あぁ禿同
944:名無し三等兵
06/08/08 01:59:50
英霊量産した人は愚弄していい?
945:名無し三等兵
06/08/08 03:31:46
あの番組みて朝鮮人云々が出てくる奴ってどんな頭の構造してんだろ。
もしかして朝鮮人じゃあるまいか。
946:名無し三等兵
06/08/08 07:57:19
>>936過去ログ読んでから質問しやがれ
教えて君ばかりでもう呆れ果てたわ。
947:名無し三等兵
06/08/08 09:27:25 HvCD0ihJ
これのような事例を見ていると、日本の右傾化が顕著だ。私も同じ日本人であるが恥の心を表さずにはいられない。皆も気をつけろ。極右勢力は掲示板に占拠しているのだから。騙されぬな。
948:名無し三等兵
06/08/08 12:12:38
ウチの親族は北海道の炭鉱に住んでいたし、直接炭鉱に関わっていたじーちゃんは
戦争に行かなくて済んだ(男手がなきゃ採掘できません)ので戦争体験なしだが、
戦地でも酷い状況だったと後々聞いたそうだが、炭鉱での仕事自体も戦争だったみ
たいなものだと言っていたな。小さな事故はしょっちゅうあるし、熟練鉱夫が少な
いものだから見回りや指導が大変だったと言っていたし、中国からの勤労者?が脱
走して会社上層部やその他に迷惑を掛けたこともあるとも話してくれた。
終戦直後は外地の人達が我が物顔に振舞って難癖付けられたり恐かった(夜の一人
歩きは危ないとか)がそれも数日、占領軍が来ると急に大人しくなったと言っていた。
949:名無し三等兵
06/08/08 12:14:18
追加*炭鉱はわりと物資に恵まれていたのであまり生活に不自由は無かったそうだ。
950:名無し三等兵
06/08/08 15:42:30
>>937
鹿児島の老人ホーム訪問したときに、職員の人が「意外と沖縄から入所している人が多い」って
言ってた。沖縄県内は老人ホームに入所する・親を入所させることに対する偏見があるからだって。
951:名無し三等兵
06/08/08 16:42:14 0cChhIWz
神奈川とかで、終戦直後まで、女子挺身隊とかの寮になっていたところなど
1945年の年末くらいまでにはほとんどが進駐軍相手の売春宿化してらしい
終戦の夏まで日の丸のハチマキでも巻いて、工場労働してたのが
45年の年末のクリスマスとかなると、米兵相手に「肉体労働」
結構当時で高学歴の女学校生や看護婦、学校の女性教師や戦争中は国防婦人会のエライ人だった
戦争未亡人なども「売春婦」に転職
男が食えずにウロウロしたけど オンナどもは米軍基地に入り込んで、イイ生活してたようだ
男でも今では無いけど「売血」と云って、血液を売るようなバイトもあったけど
ロクなカネにならなかったらしい
952:名無し三等兵
06/08/08 17:30:33
>>931
資料の丸写し乙
>>951
脳内資料の丸写し乙
953:昭和のこころ
06/08/08 18:49:45
『星の流れに』を口ずさみながら>>951を嘲笑。
954:名無し三等兵
06/08/08 23:15:44
>>938
B-29の恐ろしさを聞くはずが、必死になって迎撃していた航空隊の話に、俺がすり替えた事が有る。
うっかり「迎撃機は見えましたか?」なんて質問したばかりに……。
後から反革命の社会科教師に絞られました。ウラー
955:名無し三等兵
06/08/09 13:10:58 m6QrphfB
勇気を出して元陸軍中尉のじいさんに「おじいちゃん昔の戦争のこと教えて!」と言ったら壬申の乱について語ってくれたorz 実話です
956:名無し三等兵
06/08/09 15:37:19
うちの爺さんは砲術学校行って軍艦の砲兵やってたので
戦後は捕鯨船にスカウトされて乗ってたこともあるってさ
957:名無し三等兵
06/08/09 17:37:09 YWZ3NVFI
終戦後の内地の基地でのドタバタ騒ぎとか、色々あるけど
戦時中は、結構「鬼軍曹」とか云われてたような人とか、
海軍将校とかで、偉そうにしてた人が豹変
司令部とかで、伝令兵とかやって人が、サイドカー付きのオートバイとかを、勝手に基地から持ち出して、脱走
なんと「白タク」行為とかで、一儲け 軍用オートバイを、よく東南アジアで見かける幌付きオートバイのようにして、白タク営業をなんと、終戦の翌月の9月から開始
わずか2週間での大変身 街中で基地にいた将校に見つかるが、敬礼一つしなかったらしい
あとは、部下で所謂「結婚サギ」のようなのがいて、結婚したいけどカネが無いとかで、一人娘を騙して、カネを貢がせてた海軍将校もいて
復員すると思って、女性が、基地を訪ねて来たら、なんと妻子持ちと判明
結婚話は真っ赤ウソと判明 上官も立会いで話あったけど 全く反省せず
上官のジイさんは、ほんと履いてたクツ上で横面を叩きたくなったと云ってた
基地に軍需物資を納入してた業者が、終戦で、代金未払いになりカネ踏む倒されるとかで
大挙して、倉庫に乱入して、物資を強奪 警備してた兵隊も分け前もらってトンズラ
残務整理で、しばらく基地に事務要員で、残っていたらしいけど
夜など警備兵も逃げてるから、民間人の武器持って、物資の略奪で、威嚇射撃などの銃撃もあって
かなり大きな軍事基地だったけど 夜襲が怖くて近くの民家から、通勤したらしい
軍隊も武装解除で丸腰でいたから、米軍の夜間空襲より怖かったらしい
958:名無し三等兵
06/08/09 18:10:26
俺のじっちゃんは疾風乗ってた
959:名無し三等兵
06/08/09 18:17:17
たしかに冬月とかの駆逐艦の勇戦ぶりは凄い
960:名無し三等兵
06/08/09 23:20:00 2405mDeb
もうすぐお盆ですね。
うちは田舎で土地が余ってるせいか、
先祖代々の墓の隣に、戦死者個人のお墓が並んでいます。
先祖のよりもデカイやつ。
田舎ではデフォなんですかね?
終戦二ヶ月前に沖縄、小緑に配属。
海軍航空整備曹長と書いてあったような?
お骨は無いそうです。
961:名無し三等兵
06/08/09 23:39:04
>960
田舎だと、地域によって墓地の作り方が違うからデフォとは言えないでしょ。
集落で一箇所に墓地を作るところとか、家の裏に、家ごとの墓を作るところとかいろいろあるし。
しかし、個人の墓で先祖よりでかいって見たことないな。「忠魂碑」とかじゃないんでしょ?
962:名無し三等兵
06/08/09 23:56:51 2405mDeb
>961
普通のお墓が二つ並んでいるかんじです。
大きさは一回り大きい程度の物で、作りが特別こっているような物ではありません。
その一つに戦死者個人の名前、戦死した場所が彫ってあります。
共同墓地で、ご近所さんのお墓もあるのですが、やはり戦死者のお墓の方が大きく作ってあるようです。
963:名無し三等兵
06/08/10 00:17:16 UoDH6EJn
たまに家の2階くらいまであるような墓があるよね。
田舎の大きな家で。
よく見ると、~~上等兵とか書いてあって、墓ってわかるやつ。
964:名無し三等兵
06/08/10 00:18:49 Y8KO5AQg
「はだしのゲン」を熟読して、全体を理解しましょう!
概要
1972年に「週刊マガジン」の漫画家自伝企画の第1弾として掲載された、中沢
の自叙伝『おれは見た』を元に、脚色を交えて1973年から「週刊少年ジャン
プ」での連載が始まった。
作品の内容、表現等について様々な論議があるが、作者の実体験に基づく原爆
の惨禍や当時の時代背景・世相風俗を良く表現していながら、教育的ではなく
優れたエンターテイメントとしても見せる名作として国内外での評価は高く、
映画・アニメ・ミュージカル・絵本化もされている。
単行本、文庫本などを含めた累計発行部数は1000万部を超える。
また、独特の描写や広島弁を含むセリフなどから、インターネット上で度々
ネタにされることがある。
965:名無し三等兵
06/08/10 00:30:24
私の母方の実家は沖縄で、その地域の昔ながらの墓は亀甲墓と言い、山の斜面などに造る古墳みたいな独特の形をした墓です。
中は比較的広く、戦時中は避難壕としてつかったそうです。
艦砲射撃によって避難民諸共破壊されたり、米軍上陸した折に火炎放射器による掃討もあったとの話も母や祖母から聞きました。
母の一つ上の兄は、避難途中に米軍機による機銃掃射で死んだそうで、そのことについては母も死んだ祖母も重く口を閉ざしそれ以上は話してはくれませんでした。
祖母宅は海辺に位置してますが、幸いなことに沖縄南部でも米軍上陸地点の反対側にあり、惨い被害は少なかったようです。
それでも水平線が真っ黒に見えたぐらい米艦隊によって埋め尽くされたといいます。
966:名無し三等兵
06/08/10 00:37:02
>962
だいたいわかった。言われてみるとたしかに見たことある。
どっちかって言うと、日露戦争の時の墓の方が凝った感じだったり。
あと、墓石の裏の方に結構色々書いてあったりするようなイメージだな。
「○○君は、成績優秀で親孝行で、地元の人間からも非常に信頼されていた
けれども、大東亜戦争においてフィリピン○○島に敵前上陸の際、突如として
敵陣地より重機関銃の猛射を浴び云々・・・・」みたいな。
まあ、金もかかることだし、全員ってことはないと思うんだけどね。
あと、こんなサイトもある↓
URLリンク(boboro-web.hp.infoseek.co.jp)
967:名無し三等兵
06/08/10 00:41:57
>>947
日本じゃテストで悪い点とると赤点とったって言うだろ
それと、とても恥ずかしい事をする赤っ恥をかいたって言うね
そもそも日本じゃ左翼つーのは恥ずかしい存在なんだよ
左翼>共産党>赤
968:名無し三等兵
06/08/10 00:43:14
亀甲墓ってのは子宮を象ったものだそうな。
霊魂の再生を祈っての形状だとか。
>>964
はだしのゲンの優れたところとして、
アメリカ軍への憎悪もストレートに出していたのを挙げる人もいるな。
漏れの親族は海軍の水上機乗りだったが、帰省の際に偶然駅で出会った親戚を
海軍士官の特権で2等車に便乗させてくれたとか。
(親戚はただの学生)
かなりそそっかしい人で、あれで良くバイロットが勤まったと感心するが、
(例*マージャンでは、他人の手牌をごく自然にツモって奪う。こちらが気が付くと小牌)
いまもなお健在なり。
969:名無し三等兵
06/08/10 21:04:27
>>967
それ以前に、俺も共産主義者なんだけどさ。
最近の共産党はヌル過ぎてダメだ。
全共闘は何処行ったのさ?政府転覆計画は?
日本赤軍有志による、あさま山荘やテルアビブの死を無駄にしやがって。
今の反動勢力は死に絶えろ。
970:名無し三等兵
06/08/10 21:07:12 de2gJ0I2
うちは山梨のド田舎のみんな名字が同じような小さな墓場だが軍人の墓は5個くらいあったな。千島、フィリピン、ブーゲンビル、旅順だったかな。 区内の軍人の墓はやたら無縁仏になってるね。何個かつまれてコンクリで固められてた。
971:名無し三等兵
06/08/10 21:30:37 lbmOFvhQ
ウチのじいさんは満州で輜重部隊だったようだが
「(ソ連参戦前に)ロスケの飛行機が飛んできて機銃掃射された。そのとき1人死んだ」
などと言ってた
それを聞いたときはロスケの飛行機?と思ったが、米軍か義勇軍の軍用機は満州に爆撃&機銃掃射していたことがあとで分かった
じいさんの戦争の話はどこまでホントでどっからホラ話か分からん
今月7回忌を迎え、そんなことを思い出した
972:名無し三等兵
06/08/10 21:34:11 uBorLB+u
ホラとかもだけど、やっぱり60年以上だと記憶もこんがらがるじゃないかな?
973:名無し三等兵
06/08/10 21:37:43 lbmOFvhQ
じいさんのそのまたじいさんは日露戦争時に二○三高地で戦ったとも言ってたが、ここら辺までくるともう何がホントなのかさっぱり分からん
二○三高地の生き残りって英雄扱いされたんだろうけど、勲章とかは残ってないようだし確かめようがないわな
974:名無し三等兵
06/08/10 21:47:53 lbmOFvhQ
じいさんではないが、小学校のときの教師(この人も故人)は太平洋戦争中、旧制中学生で軍事教練ばっかりやらされたといってた
行進中に持ってたサーベルを曲げてしまい、指導に来ていた軍人に思いっきりひっぱたかれたとか、大阪大空襲のときはマンホ-ルのふたが飛んできて危機一髪で助かったとか、そんなことを授業中に言ってた
中学校のときの社会化の教師も戦時中は旧制中学生だったが、卒業の年に終戦を迎えたのですぐに大学に進学できて得をしたとか
この辺の年代は戦後の教育改革をうまく乗り切って大学へ行った人が多かったようだ
975:名無し三等兵
06/08/10 21:50:01
あさま山荘事件ってさこの前の大学生リンチ生き埋め事件と同じじゃん
イデオロギーを語ってるだけあさま山荘事件の方がたちが悪い
976:名無し三等兵
06/08/10 23:06:24 NJNEJ6+C
小さい頃聞いた話だから、ウロ覚えだけど。
大和の乗組員で沈むとき船体がひっくりがえりそうになったとか、
今考えるとタイタニックみたいな感じだったのかなと。
足のモモの裏にえらい傷跡が残ってて可哀想だったな。
もっと色々聞いとけば良かった。
977:名無し三等兵
06/08/10 23:40:11
私が通ってた学校の電気課の課長が、大戦中はレーダーの研究をしていたといっていたな
978:昭和のこころ
06/08/10 23:53:16
>>977
八木さん、日本じゃ全く相手にされなかったけど、
欧米じゃ涙が出るほど持て囃された八木さんじゃないか!
979:名無し三等兵
06/08/11 00:06:15
爺さんは日中戦争で中尉だった
中国人への暴行や虐殺なんてありえないといつもこぼしていた。
八路軍は、食料や物資をその辺の民衆から適当に奪って戦闘をしていた。
ついでに農家の若い娘さんも無理矢理味見、みたいな事は日常茶飯事だったそうだ。
だから規律正しい日本軍の近くにいるのが一番安全だ、ということで
進軍しているといつの間にか中国人がゾロゾロ家財道具を引いてついて来たそうだ。
もちろん略奪なんかもしなかったし、
こちらの持っている米と、それら中国人が連れている豚を身振り手振りで交換してもらったり、
中国人が作った饅頭を売ってもらったりと友好そのもので、
万一暴行事件なんて起こそうものなら連隊長は更迭、中隊長は切腹だと言っていた
八光一宇の思想の元、中国民衆は敵国民ではなく守るべき民衆であり、
彼らが戦場にまでついてくるので頼むから帰ってくれと説得するのが大変だったと語っていた
でも戦後、日本軍=極悪・凶悪・最悪みたいな主張がまかり通ってしまい、
中国ではありとあらゆる残虐行為をはたらいたことにされてしまったため、
本当の体験を言える世の中ではなくなってしまった、と悲しそうに言っていた
俺はじっちゃんの名にかけて、左翼・中共の嘘には負けない
980:名無し三等兵
06/08/11 00:14:29 ZQsyUC9v
おれのじいさんは戦争中ではなく戦後、GHQのジープにひき逃げされたそうです。
占領下で訴えることも出来ず、ばあちゃんは苦労したらしい・・・・
だけどいつも笑ってそのことを語るばあちゃんにGJ!!
981:名無し三等兵
06/08/11 00:15:18
>>979
感動した!
当事者が高齢化し、これからどうなるか不安だ。
勝者に語られる歴史に上塗りされて本当の歴史は
消えてしまうんではないかと最近つくづく思う。
982:名無し三等兵
06/08/11 00:24:41
>>980
大丈夫
朝鮮人は内紛・分裂・自滅がアビリティーなので
万一日本への上陸に成功したとしてもそのうち内輪揉めでグダグダになって敗北しますよ
983:982
06/08/11 00:25:17
豪快に誤爆しました。申し訳ございません。
984:名無し三等兵
06/08/11 00:26:55 Tx6ittwg
>>979
じっちゃんに手記を書いてもらおう。
985:名無し三等兵
06/08/11 00:28:52 XgJf2OHV
飯の盛りが少ないと古参兵のビンタがひどかったそうな。
986:名無し三等兵
06/08/11 00:35:36 WGuk84Ti
立てて来たぜよ。
あなたのおじい様の戦争体験を教えて その12
スレリンク(army板)
987:名無し三等兵
06/08/11 01:30:24
>>971
>米軍か義勇軍の軍用機は満州に爆撃&機銃掃射していたことがあとで分かった
親戚じゃなくて昔会った事のあるアメリカ人はフライングタイガーに
いたらしい。
東洋人の女の子が好きみたいだったのはそのせいか。
988:名無し三等兵
06/08/11 02:22:43 c9IaAHI+
戦時中に、艦載機の襲撃に遭い、たまたま機関銃のそばにいたが、機関銃撃ってたのは、軍曹で射撃がヘタだと文句云って撃ったけど
全く当たらなかったらしい
軍曹から、機関銃で飛行機を狙う時は、飛行機の進行方向の空間を狙うように云われるが全く当たらなかったらしい
飛行機でも全くこちら向かって飛んでこないと思ったら、低空でも急旋回して、こちらに向かってくるなど
最近映画「男達のYAMATO」で、対空砲の射撃やってるけど
実際は、飛行機のパイロットもバカじゃないから、さかんに、機体を上下左右に揺らすバンク運動しながら高速で
接近してくるから、直撃弾などは、なかなかムリでせいぜい煙を曳く程度
戦時中は、少し煙を曳いて飛んでた程度でも「大本営発表」では「大破」とか「撃破」の戦果報告がまかり通る時代
実際、終戦末期になるとゼロ戦が、なんと味方の対空砲火で撃墜される例も多く
住民が、対空砲火で飛行機が撃墜されたと大喜びで、墜落地点に押し寄せたら、日本の戦闘機だったとかの誤射事件も多発したらいい
989:名無し三等兵
06/08/11 02:33:41
うちの市(当時村)では味方のパイロット射殺しちゃったらしい。
折角脱出したのに守ろうとした住民に殺されちゃあたまらんよな。
990:名無し三等兵
06/08/11 14:10:31
脱出前に機上火災で顔面に火傷を負って真っ赤になってたりして、
米軍パイロットに見間違えられて地上で住民に鍬や鋤でなぶり殺し、なんてこともあったらしいね。
991:名無し三等兵
06/08/11 16:43:13
油やススをかぶって真っ黒で重傷のため口がきけず黒人兵と間違われて殺された。
という事などもあったため、飛行服の腕に日本のマーク(または海軍マーク)の
ワッペンが貼られるようになったそうだ。昭和18年以降の話だったような。
秦先生(だったか?)の本土防空戦の本にあった。
992:名無し三等兵
06/08/11 21:20:52
>>991光人社NF文庫の
横須賀航空隊の軍医だかの本にもあった
993:名無し三等兵
06/08/11 22:58:44 BEVxeeXc
戦時中の従軍看護婦とかで、内地の病院などにいたバアさんの話
軍馬などに乗っていて、落馬事故とかで入院してた軍人が、他の従軍看護婦などと仲良くなって
車イスとかに乗って、病院の中で笑って歓談してたら、
「この野郎のこの非常時に!」と通りがかりの将校に、軍刀で叩かれて、車イスからカラダごと放り出されたらしい
とっさのことで、止めることも出来なかったけど
よほど看護婦とイチャイチャしてるのが、「非国民」のように見えたらしい
戦時中は傷痍軍人とかでお国のためにがんばったとかで、待遇はある程度よかったから
それが気に入らないヤツもいたようだ
994:名無し三等兵
06/08/12 00:00:04 9FmfqP4f
ロシア軍じゃあイジメで新兵のチンコ切って屋外で冷凍にした変態もいるからな
995:991
06/08/12 00:10:37
>>992
>>991の出展は、うろ覚えだが、
渡辺洋二氏の「死闘の本土上空 B-29対日本空軍」文春文庫だったと思う。
(著者は秦郁彦じゃなかったw)
誤認の話は結構有名なのかもしれんね。
996:名無し三等兵
06/08/12 00:58:58
すごいな
997:名無し三等兵
06/08/12 01:00:04
なかなか
998:名無し三等兵
06/08/12 01:01:10
はげしい
999:名無し三等兵
06/08/12 01:02:16 8mZ51shM
999
1000:名無し三等兵
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