06/07/21 00:56:44
>>694
お爺様に敬意を払うなら「生き様」などという珍妙な言葉は使うべきではないよ。
「死に様」と「様を見ろ」いう言葉はある。
しかし「生き様」などという言葉は少なくとも日本語にはない。
よしんばあったとしても「死に様」「様を見ろ」に見られるように「ざま」に良い意味はない。
水を差すようだけど、気になったので。
701:名無し三等兵
06/07/21 01:12:45
>>700
普通に使われる言葉だが?
URLリンク(dictionary.goo.ne.jp)
新明解国語辞典によると
『その人の、人間性を まざまざと示した生活態度。[「ざま」は「様」の連濁現象に
よるもので、元来濁音の「ざまを見ろ」とは意味が違い、悪い寓意は全くない]』
とある。水を差すようで気になるのなら、辞書くらい引こう。gooなら無料だ。
702:名無し三等兵
06/07/21 01:14:46
まぁ、言葉は生き物だ。
本来、誤った用い方をしていても、それが普遍的になれば
正しい言葉になっていく。
703:701
06/07/21 01:24:45
>>702
まあそうなんだけどね。でも>>700は「少なくとも日本語にはない」なんて
断言しちゃってる。
21型をにじゅういち型だのにいいち型だの、下らないことでつぶされた例が
つい最近でもあったので釘をさしたかった。
生きた日本語の使われ方を知りたければ、ぐぐればいい。
本来の意味とは違う使われ方をしている場合でも一発だ。
今回の場合、生き様がネガティブイメージで使われているようでもないし、
少なくとも生き様という言葉が存在し定着している事ぐらい分かるだろう。
704:名無し三等兵
06/07/21 01:35:50
>>700
ま、落ち着け。揚げ足とって君は楽しいんだろうけど、俺はシラけるだけだから。
そう言う些細(君にとっては些細じゃないんだろうが、俺にとっては些細)な事は、生温くスルーすべし。
というか、最近はゆとり教育でF6F並に大量生産された、学力遅れが多いんだから。
還って最近は、海外から来た外人の方が、日本語上手い位だ。
>>703
今回は>>700が取った揚げ足が悪かったな。
まぁ、こう言う手合いが2ちゃん用語を大量生産するんだろうが。
そう言う事で、>>694には続きキボンヌ。
705:名無し三等兵
06/07/21 02:10:37 bxI8NOc7
昔、祖父に「じいちゃんは、陸軍やったん?海軍やったん?」と尋ねたら。
少しハニカンダ祖父は『‥‥わしは福知山で弾作ってた‥』とおっしゃりました。
その後『工場はキツイ仕事で手が大変痛かった。』と続けてくれました。
来年13回忌です。
706:海軍魂 ◆BrgfwA9w5k
06/07/21 02:14:05 G5Gmcu9e
そう言えば、前も祖父が直筆で「軍艦天竜」って書いているのに、
「軽巡洋艦・天龍」だ、とかやけにこだわってる人いましたね。
でも、祖父の軍歴照会見てみると、当時でも旧字体使っていない
所があったり、テキトーな所ありましたよ。
要は、意味が通ればそれでいいんだと思いますよ。生死の境で
働いている軍人にとって「竜」でも「龍」でも判ればいいんだと思い
ますよ。
そんな事言ってると「娑婆気満々」って事で制裁されますよw
707:名無し三等兵
06/07/21 02:14:31 ddYqsTD2
家の曾祖父は近衛兵だったようです曾祖父は
戦争とはあまりかかわらなかったようです。
面白い話では祖母は造兵関係の仕事をしていたようですが
そこで工員はうどんとかが多かったようですが祖母はわざと
食券を忘れたりして軍人が食べていた白米のご飯やらおはぎ
をいただいていたようです、要領よかったんですね。
ちなみに祖父は九州で蛸壺作って米軍を待ち構えていたらしい
しかし我が家のトイレにはB29の不発弾(焼夷弾)が束になって落ちてきたようだし
近くにB29が墜落(?)したらしく大変だったようだ(名古屋市です)
708:海軍魂 ◆BrgfwA9w5k
06/07/21 02:16:06 G5Gmcu9e
>>705
福知山は陸軍ですね。今は陸自がありますね。
指令がなんか、イラクかなんかで有名なヒゲの大佐・・・じゃなくて一佐だそうでw
709:名無し三等兵
06/07/21 03:02:29
第十六師團第二〇聯隊
710:名無し三等兵
06/07/21 03:02:47
俺の爺ちゃんは潜水艦に乗って、ウルシーに回天打ち込んだらしい
もう一人は田舎で通信兵やってて、空襲も来ず平和に過ごしたらしい
711:名無し三等兵
06/07/21 03:54:59 gxteHGWj
うちの爺さんは帝国海軍に入ってた。
配属先は何故か三沢基地の守衛になったそうな。
ズーズー弁で
「おら何の拍子か回りは南方へ行ったけど、飛行場の番兵だった、
目が良かったもんだから高射砲でグラマン狙ってた」
「グラマンは羽の形がこうなってたからすぐわがるー」
「やたらめったら、撃ったら駄目だ、
まんず当たらないけど、よーぐ狙えばたまーに堕ちる」
それと、、ABCD包囲網の話を風呂に入った時に良くしてくれました。
もう亡くなって10年は経ちましたが、、セーラー服にドナルドダックの
ような帽子を被った写真が飾ってあります。
712:名無し三等兵
06/07/21 06:48:39
ウチの爺さんは対馬要塞で食事係をしてたらしい。
何せ聞いたのが随分とガキの頃だったから階級とか部隊の話は
さっぱり聞かなかったのが悔まれる。
で、その爺さんから聞いた話でよく覚えてるのは
・対馬要塞の40cm砲(赤城から下ろされた奴)が敵潜を撃沈した(らしい)
・食事に関しては困った事がなく大好きな玉子焼きばかり食ってた
・小船いっぱいの冬瓜を食わされて以来嫌いになったらしく
今に至るも冬瓜だけは食いたくないらしい。
因みに当時婆様は佐世保に居たそうだが、
有る意味こっちの方が恐ろしい話だった。
・自宅は山の上の方にあり、佐世保空襲の時
高射砲弾の破片が家の壁を突き破っていた。
・海軍工廠で働いてた婆様の親父(曽祖父)が昭和二十年八月九日の朝、
南に飛んでいく一機のB29を目撃したそうだ。
それから例の時間、物凄い音がして、その時は雷が落ちたのかと思ったらしい。
B29の話は広島と似たような感じで、やっぱり偵察だと言われてたそうな。
つーか上の話は母方の祖父母の話だが、
父方の祖父母は二人とも被爆者なんだよな・・・
母方の祖父母は食い物に困った、っていう話は全く聞かないが
農家だった父方の祖父母は随分苦労したという話をよく聞く。
713:712
06/07/21 07:08:17
そういえば曽祖父が工廠の仕事仲間から貰ったとかで
昭和十八年十二月一日発行の『海軍作戦写真記録Ⅱ』(定価五円)
というのを祖母が保管してた。
今は漏れが所持。
開くと最初の何も無いページに曽祖父が描いたらしい水墨画がある。
内容は珊瑚海からインド洋までの主な作戦と現地人との交流や訓練風景など、
他に視察中の白い軍服を着た天皇陛下、古賀峯一長官の写真と
山本五十六の戦死を報じる記事(と写真)があった。
なんか物凄く貴重物なんじゃないかとは思うんだけど
いくら孫っつっても曽祖父が大事にしてたものを
投げやりに『やる』とか言ってセッタ吹かすのもどうかと思うぜ婆様よ・・・
714:名無し三等兵
06/07/21 07:24:02
>>696
写真の後ろといえば…
戦友と二人で撮った写真の裏に「二枚目の方が俺」と書いて家に送った私の祖父w
715:名無し三等兵
06/07/21 09:01:07
>712
>対馬要塞の40cm砲(赤城から下ろされた奴)が敵潜を撃沈した(らしい)
興味津々もすこし、おせーて。
716:712
06/07/21 09:46:43
>>715
実は漏れもあんまり詳しい事はわからんとです・・・('A`; スマソ
設置されていた40cm砲についてはそういう資料があるし間違い無いんだけど
敵潜撃沈に関しては爺さんの話だけなんで実際本当かどうかわからない
(だから『(らしい)』)
あとちょっと調べてみたが対馬要塞の40cm砲は土佐の奴で赤城の40cm砲は
壱岐要塞だったみたい。
サイトとか資料によってなんか土佐だったり赤城だったりだけどあんまり
変わらない気もしたりしなかったり・・・
というか爺さまが居たの壱岐要塞だったかもしれない・・・
爺さまの出身地は壱岐だし。
聞いたの幼稚園とか消防なり立てぐらいだったんで・・・ゴメンナサイ(´Д`;
717:海軍魂 ◆BrgfwA9w5k
06/07/21 10:20:34 6bp7YQM5
>>714
ははは、それは面白いですね。うちのじいちゃんは真面目で厳格な人だったので。
でも、そういう「頑固オヤジ」が減って来ているのも事実ですよね。俺らが消防の頃
は、まだ明治生まれが80台ぐらいで元気で、浪曲とか聴いていたのを覚えていま
す。今では明治45年生まれで94、5歳ですからね…昨日、95歳の浪曲師さんの
浪曲をラジオで聴いていましたがw
昭和で言うと、もう昭和81年。大正生まれの方も、もう少なくなって来たのかも知れ
ませんね…。
♪ヲタ~の毒男のにーちゃーんきーんむ 日日祝祭日祭祭! 現代ニート替え歌w
718:u
06/07/21 10:37:08 ZudoRlSB
687> 輜重兵の自動車隊でしょーね。輜重兵には馬輸送のと、自動車輸送の2種類あったので。
719:名無し三等兵
06/07/21 19:52:39
>>716
横レスだが、興味深い一連のレスありがと。
関連の話が出た時、裏付けとなる貴重な話だし
今後も調べて誰かの疑問に該当したら答えてあげて下され。
720:名無し三等兵
06/07/21 21:04:20
父方のじいさんは中国に行ったって小さいとき聞いた。
良く分からないけど戦争で心臓を悪くしたらしくそれが原因で
俺が小学校1年生のとき亡くなってしまったから詳細は分からない。
母方の数年前100歳で亡くなった曾じいさんは小学校の校長先生で
じいさんは工場でなんか作ってたらしい。
721:名無し三等兵
06/07/22 05:16:14
>>718
レスアンカーぐらいまともに付けろよ
722:名無し三等兵
06/07/22 15:38:42 JlzSlRQv
>>706
某有名軍事サイト「戦鳥」でも、
かつて本物の艦攻乗りだった搭乗員に向かって、真っ向から否定し己の知識をひけらかすミリオタもいますからね。
723:海軍魂 ◆BrgfwA9w5k
06/07/22 22:24:08 zfExNaKO
今日は以前に書きました機関兵曹長だった祖父の月命日でした。
仏壇に手を合わせ、祖父の戒名を唱えました。煙草を供えたかった
のですが、あいにく切らしていました。また、両切りのバットかしんせ
いを買って来ますね。大好きなおじいちゃんへ、孫より。
724:名無し三等兵
06/07/22 22:56:24 dnj3EKxR
>>721
夏厨だろ仕方ない。
漏れの家のじいちゃんは戦場に行く船に乗り遅れたから戦争に
行かなかったんだとさ。母方のじいちゃんはサイパン島から生き延びた
人なのに
725:名無し三等兵
06/07/22 23:46:09 Wdj/MXW7
俺のじいちゃんは、訓練の時に朝鮮人の上官に殴られまくって
兵隊が嫌で胃潰瘍になって、皮膚の表面だけの麻酔で手術をされた。
痛すぎて何度も気絶しては、また激痛で目が覚めるの繰り返しで
「殺せー!」と叫んだけど、「貴様それでも軍人か!」と言われたんだって。
んで、そのまま使い物にならなくてご帰還。
喧嘩が嫌いで、ひょうきんで怠け者だけど、敵がいないみんなに好かれて
友達の多いじいちゃんだった。天寿を全うした。
そのじいちゃんの兄は、通信兵でフィリピンのマリキナで戦死だって。(靖国神社で調べた)
しいじゃんの兄のほうの写真を見ると19歳なのに、威圧感のある目をしていた。涙が出そうになった。
帰ってきたじいちゃんの目は、、、、比べるとアホそのものだったw
726:名無し三等兵
06/07/22 23:52:15
俺の爺様はノモンハンを師団本部警衛任務でやり過し、
ビルマ、マレー、レイテをまんまとやり過した強運の持ち主。
一族の運を一人で使い尽くした気がしないでもないw
727:名無し三等兵
06/07/23 00:01:17 uyiSp/bx
俺の嫁さんがたのじいちゃんは特攻隊で、知覧に写真が飾ってあるんだって。
728:725
06/07/23 00:24:42 0bhTt/OE
わずかな麻酔での手術なんだけど、戦後何十年も経ってじいちゃんが年を取って心臓の手術をしたときに
麻酔が効いてるのに「殺せー!痛てぇーー!」と手術中叫びまくったそうな。手術室の外に聞こえるほどの
声で家族が麻酔が効いてるか心配だったと。
麻酔無しの手術がトラウマになって残ってたらしい。
手術後じいちゃんに、痛かったの?って聞いたら、「ぜーんぜん。寝てたからわかるわけがねー。」と言ったそうな。
ふざけたジジイだった。術後は、同室の人たちを笑わせまくったり、部屋の人たちを
巻き込んで大騒ぎして風紀を乱したということで、強制退院させられた。
729:名無し三等兵
06/07/23 10:40:34
>>728
執刀した医者たちは心臓バクバクものだったろうな。特に麻酔医。
まれに麻酔が効かなくて、意識がはっきりしているのに体が動かないという患者がいるらしいよ。
ナショジオか何かでやってた。
730:名無し三等兵
06/07/23 11:55:28
じいさんは痛いかもしれない。だが、わしは痛まない!!
ここが肝要。
他人がどう苦しもうと、全く問題ない。
唯一問題なのは自分の幸福だけ。
ククク。
って医者は思ってたよ。
731:名無し三等兵
06/07/23 15:19:48
私の祖父は戦前、日本郵船に勤務していました。
戦中は大洋丸に乗っていました。
大洋丸は米潜水艦に撃沈されたそうですが、祖父は生還。
その後、神戸空襲に遭って家を失い、故郷に帰ってまたもや空襲に遭って全財産を失いました。
大洋丸には八田與一氏が乗っておられたんですね。
実は最近になって知りました。
祖父はすでに故人となりました。
無くなられた先人たちに笑われないように、強く生きて行きたいです。
732:名無し三等兵
06/07/23 20:18:39 O/DuvbwQ
ばあさんの兄(大伯父)なんだけど、瑞鶴の通信、その後学校に行って鞍替えして大淀の電測
そして、それを知らずに海自に入って電測員になった俺
運命だな、これ
733:名無し三等兵
06/07/23 20:42:26
運命っていうか
キミの家系は電測に向いているDNAをもっているんじゃない?
734:海軍魂 ◆BrgfwA9w5k
06/07/23 22:00:55
>>733
となると、母方の祖父が機関兵曹長、父方の祖父が造船のクレーン技師、オヤジが造船の溶接技師、
母親がミシン工場縫製員の最古参な私は、技師路線を歩めという強烈なDNAなのだろうか!?
でも、中学の時の技術は2、小学の時のネジをつけるだけで出来る折りたたみ椅子も作れなかった私は
実は両親の種では無いのかも!?ちなみに職業は銀行員だから、主計科になるよね。はっ!そう言えば
妹も結婚までは信用金庫に行っていた…従兄弟の一人は先物取引の証券会社にいる。原油では儲けさ
せてもらった…隣の土地が買えたよ。そんな事ではなくw、私の世代から主計科DNAになろうとしている
のであろうか!?病院に言って聞いてみよう…多分精神科に回されると思うがw
735:名無し三等兵
06/07/24 00:43:51 lW9t6faT
うちの墓に日中戦争で戦死した人の骨壺がはいってるんだが、名前はわかるが我が家とどういう関係なのかさっぱりわからない。手続きとかそういう面倒なの無しにその人の詳細とか調べられないかね?
736:名無し三等兵
06/07/24 00:57:47
>>734
いや、あの… お前の自分語りは別に興味はないんだ。
書くんだったら爺さんの話を書いてくれや。な?
737:名無し三等兵
06/07/24 01:02:37
>734
余程面白くないと、長文も嫌われるんだよ2chって。
738:名無し三等兵
06/07/24 02:12:32
うちの母方の方の家系なんだけど、私の祖父(長男)の弟(三男)は、
予科練生で霞ヶ浦航空基地から、 三人乗りの特攻機で硫黄島に
飛び立ったそうです。
確か勲四等だったかな?のメダルみたいなの見せてもらった事あります。
あと、飛行気乗りは軍刀を短く折るそうですね。
739:ポトデン ◆hWRgSJZNdg
06/07/24 05:26:32
私の祖父(曹長)は ビルマにいました。
仕事は主に書き物が中心で食べ物には全く不自由しなかったそうです。
祖父の口癖は「イギリス人は~で~だ」でした。
そんな祖父も2000年に還らぬ人となりました。
今頃 あちらの世界で戦友と酒でも組交しているのではないかと思います。
740:名無し三等兵
06/07/24 07:15:15
>>735
A:「わしゃ、実は孤児で身寄りがないんじゃ。戦死したら、入る墓がないのう。」
B:「なんじゃ、わしの墓に入れちゃるわ(笑」
-----------------------------------------------------------------
B:「(大泣)ううう、なんじゃ本当に死にやがって・・・約束通りわしの墓に入れちゃる!」
※という事は結構たくさんあったみたいです。
通常通り、おじい様の軍歴照会から初めて、旧所属部隊の生き残り古老さんに尋ね回るしかないのでは?
>>738
折らない折らない、最初から短い短刀や脇差から『搭乗者軍刀』を拵えます。
741:735
06/07/24 07:28:35 lW9t6faT
>>740 その人が上海事変で戦死したとき、後に中隊長として大陸に出征した祖父は厨房くらいですから戦友でもなさそうだし、その人が死んだ所で戦っていたのは名古屋の連隊ですが、うちには名古屋には親類はいません。
742:名無し三等兵
06/07/24 13:36:06
>>741
真面目な話寺の坊さんに聞いた方が早いよ
墓の中の事は彼らの担当だから
743:名無し三等兵
06/07/24 16:53:07
みんなお墓参りには行ってますか?
だいたいの墓地には兵士の墓もちらほらあると思います
そうした墓の中にはけっこうな割合で墓石に戦死したいきさつが彫られていて
非常に興味深い物ですよ
ちなみに人んちの墓地に入るのをためらうかもしれませんが大丈夫です
悪い心をもって入るのでなければお墓の中の人は他人でも歓迎してくれますよ
でも最後にはちゃんと手を合わせて心の中でお礼をしましょう
744:名無し三等兵
06/07/24 18:01:03 Bm2crDCj
>724
上海で名古屋ときたらウースン絡みじやまいか。名古屋師団が文字通り玉砕。陸軍は戦闘自体なかったコトにしてすませた。で戦後まで戦死者の墓なんざ建てようものなら憲兵沙汰。
745:名無し三等兵
06/07/24 19:03:35 lM1zLWuf
うちの祖父の話では裏山に米軍の戦闘機グラマンがあるそうd
746:名無し三等兵
06/07/24 21:48:44 lW9t6faT
>>244 スゲー!過去張見たら「ウースンクリークニテ戦死」て書いてあったw
747:名無し三等兵
06/07/24 23:00:52
>744
玉砕?ちょっとオーバーなんじゃ。
748:名無し三等兵
06/07/24 23:02:19 xcH0eUa+
ばあちゃんから聞いた話なんだけど、住んでた町が空襲にあって
ばあちゃんたちは病院でけが人の収容を手伝ってた。
腹が裂けた人とか大勢来たらしい。
腹が裂けて、からだの中に爆弾の爆風というかガスがたまると
もう駄目らしいね。
天皇陛下万歳と言って死んでいく人はいなかったって。
みんな「お母さん」と言ってたって。
749:名無し三等兵
06/07/24 23:11:47 F4hobkM4
私の祖父<台北の旧松山空港>は紫電改にのって沖縄で戦死した!コルセアにやられた
本当に台湾人が中国人だったら、中国人は日本を守ったわけ!矛盾していないのか??
歴史の教科書の内容を訂正すべきだ
750:名無し三等兵
06/07/24 23:26:39
俺の爺さんは日本人のくせに他国の国軍で軍人だったようだ
満州軍というのが当時あったらしくてそこで色々やって
皇帝の溥儀陛下と話したことは一生の思い出・・・だったらしい
溥儀に陛下なんてつけてるのはじいちゃんだけで
「溥儀」ではなくて変な名前(子供の頃なんで忘れた。ごめん)で呼んでたけど
でもじいちゃんの写真には勲三等のメダルが・・・一生の思いではどうなったんだorz
751:名無し三等兵
06/07/24 23:34:32
>750
戦死していないんだろう!
特攻隊と比べられば、大したことはない!
752:名無し三等兵
06/07/24 23:48:45
皆が羨ましいよ。
俺んちは、叔父が3人出征して
3人とも帰ってこんかった。。。
753:かさい
06/07/24 23:53:06 NyvJnJiq
家の祖父は終戦後、シベリアへ抑留されていたみたいです。テレビなどでは、悪いことばかり言っていますが、中には優しいロシア人もいたそうで
754:名無し三等兵
06/07/24 23:53:42
>>751
なぜ特攻隊と比べるかな? そんなに戦死者が偉いのか?
戦死してもしなくても、それは戦ってきた結果なんだから
平等に扱うべきでしょ。中にはのんきにしていた人もいるようだが、
それは配属先の運という奴で、死ぬ覚悟をして出かけていったのには
変わりないでしょうが。
755:名無し三等兵
06/07/25 00:04:53
>>745
裏山C話しやなあ(・∀・)
756:名無し三等兵
06/07/25 00:13:25
神風隊、鉄血勤皇隊、回天隊こそ国の英雄だ!!
757:名無し三等兵
06/07/25 00:16:43
ここで日本人として<神風隊、鉄血勤皇隊>に最高の礼を尽したかったからです
引用:
靖国神社は、神道ですが、ちょっと違うところがあります。
神道の信仰の中で、國や公共の為に、著しい貢献をした方で、その為に、命を捧げた方を神として祀り、この神様が、子孫の幸福を暖かく見守ってくれているとの信仰が神道にあります。
靖国神社は240万余柱のこのような神々を祀る神社なのです。
台湾出身真の方で先の大戦で亡くなられた志願兵、28,000余柱も靖国神社に祀られています。この方達は日本の守り神となったと日本では信じられているからです。
多分、大東亜戦争末期に龍潭から多くの若者が、沖縄の空を目指して特攻に飛び立って往かれたことをご存知の方であったと想像しています。
龍潭は近くの、八塊、観音両基地と共に沖縄に向けての前進基地として、1945年四月から六月まで陸軍特攻隊が連日のように出撃しておりました。
龍潭は一式戦闘機“隼”を使う飛行二十戦隊の出撃基地であったと記憶しております。八塊、龍潭から飛び立った台湾の若者達、そして彼等が出撃までの数日をすごした、大渓と言う町の佇まいは六十余年を経た今でも忘れることが出来ません。
。
758:名無し三等兵
06/07/25 00:18:03
鉄血勤皇隊は特攻隊じゃないし
759:名無し三等兵
06/07/25 00:18:43
>>757
あのさあ、君の言動が死者を貶めてるって気づかない?
760:名無し三等兵
06/07/25 00:18:49
本質が一緒だ!
761:名無し三等兵
06/07/25 00:19:48
>>760
で、そこにあんたのじいさんが所属してたのか?
そうじゃないのならスレ違いだからよそに行ってね。
762:名無し三等兵
06/07/25 00:22:21
靖国神社参拝すべきだ!
763:名無し三等兵
06/07/25 00:25:50 Wlw6fALk
戦争で死んでいないABC級戦犯は靖国から出すべき。
この人たちが入れるなら、戦争に行って帰ってきてあとで病死した人も
靖国神社に入る権利がある。国のために命の危険を冒したんだし。
764:名無し三等兵
06/07/25 00:27:46 Wlw6fALk
ちなみに皆さんのお祖父様方は靖国神社の戦犯合祀について
どういう考えをお持ちです?
765:名無し三等兵
06/07/25 00:31:45
>>750
満州について検索してみるといいよ。
766:名無し三等兵
06/07/25 00:34:39
>764
別のスレ行けよ
767:名無し三等兵
06/07/25 00:38:37
うちのジジイは陸軍中尉だった癖して「威勢の良い奴ほど早く死ぬんだ」とか
ほざいてます。さすがシベリア送りで生きて帰ってきただけあるw
なんでも捕虜収容所で脱走騒ぎがあったそうで、命惜しさにしかとしてたらしい。
今は弱者いじめの小泉死ね、とか真っ赤になって吼えてます。靖国?聞くまでもないでしょ。
まあ生き残った奴はくずですね。皆死ぬべきだった。
768:名無し三等兵
06/07/25 00:49:20
URLリンク(www2s.biglobe.ne.jp)
769:名無し三等兵
06/07/25 00:50:46
何?オマエじいちゃん殺すのか?
770:名無し三等兵
06/07/25 00:51:18
>>768
スレ違いだっての、サイトの宣伝うざ
771:名無し三等兵
06/07/25 00:52:16
>>767
釣れますか?
772:名無し三等兵
06/07/25 00:53:25
7月28日伴修二 中尉(東京麻布獣医)、小森一之一飛曹(県立高岡工芸電気科)、
8月10日水井淑夫 少尉(九大)、中井昭一 飛曹(大阪府立淀川工業校)、
8月12日林義明 飛曹(台南第一中)、発進戦死。
回天一基故障のため発進不能。(生還者、白木一郎)
773:名無し三等兵
06/07/25 00:53:55
>>772
失せろ気違い
774:名無し三等兵
06/07/25 00:58:47
俺はそのじいちゃんが好きだ。
っていうかお前の言い方は絶対に許せない。
死んだ人はかわいそうだがそこで終わりだ。
ただ、残された人はどうなる。供に生きる人を亡くす痛みを思えば、生きて帰るべきだ。
皆生きて帰ってくるべきだった。
それは、米国人も、中国人も、
戦争によって世界中で死んだ人皆がそうだ。
皆、死なずに帰って、息子や孫の顔を胸に刻んで穏やかに死ぬべきだった。
775:名無し三等兵
06/07/25 01:00:18
うん、理想論。
776:名無し三等兵
06/07/25 01:01:19
「あなたのおじい様の戦争体験を教えて」
と書いてあるだろ
お前の意見なんかどうでもいいんだよ
777:名無し三等兵
06/07/25 01:03:46
>>775
皆死ねよりナンボかマシじゃね?
778:名無しさん@胸おっぱい
06/07/25 07:12:00
>750
URLリンク(ja.wikipedia.org)
779:名無し三等兵
06/07/25 07:21:28 gtFuYnPi
てかシベリア抑留って本当に60万か?もっといる気がするが…
780:名無し三等兵
06/07/25 08:43:18
生き残りを一纏めに悪し様に言う
釣りか、さもなくば何故に軍板に居るのか
まぁ緑もどっかでそれに近い事言ってたな
弾の雨をかいくぐって終戦を迎える
特攻の順番待ちで終戦を迎える
様々だろうが皆さん長生きして下さい
781:名無し三等兵
06/07/25 09:36:03 ZfjYt54p
私の祖父はシベリアに抑留されて帰国することができましたがその時の話を一言も語りませんでした。
去年某所で知り合ったお爺さまがシベリヤ抑留体験を話してくれました。
・ロシア人は愚かで毎朝の捕虜の点呼もまともにできなかった。日によって人数が違ったりしていた。
そんな愚民に捕らえられアゴで使われているのはとても情けなかった。
・ロシア人の日本人捕虜に対する冷遇はそれは酷いもので想像を超えるほどの肉体労働に対して食べ物は固いパンがほんのひとかけらだけでワシは骨と皮だけになってしまった。
・ある晩 寝ていると急に日本人捕虜が「ウォ~~~~~」と大声で叫んで上半身だけ起き上がったかと思うとパタっと死んでしまった。
その人は収容所の暮らしで気が触れて死んでしまった。
・わしは毎日ひもじくて毎日怖ろしかった。
などなど。
そして今日話したことは今まで家族にも誰にも一度も話したことがない、と仰っていました。
あまりにも辛い体験だったのだと察せられました。
782:名無し三等兵
06/07/25 12:34:25
爺さんの体験談代筆スレッド
スレリンク(korea板:63番)
よりコピペ
63 名前: ◆buj6R88svw [] 投稿日:2006/07/25(火) 02:57:55 ID:QxoYcewv
>>50さんと同様、ネタ認定とお考えの方はこちらをどうぞ
URLリンク(vipper.jpn.org)
URLリンク(vipper.jpn.org)
>>54さん
たしかに記憶って曖昧な部分がありますね自分も爺さんもそれは否定しませんし、
実際爺さんの記憶も不確実な点はあると思います
爺さんは他の兄弟3人と共同でうpした冊子(冊誌の方が正確かな)
を昭和60年に作ったみたいで、3人それぞれのメモや写真や記憶
やらを頼りに綴ったそうです互いの年月の勘違いがあったりして、
時には戦友に問い合わせたりして出来る限りの精査はしたそうです
それでも誤り、例えばこちら
URLリンク(vipper.jpn.org)
昭和20年の軍人給与の金額や戦艦大和の建造費とかは左下にあるように
あとから追記加筆(と言うほどのものじゃありませんが)されていたりします
なので『いかなる訂正もやぶさかではない』これを強調させていただきます
余談になりますが、兄弟3人の任地はそれぞれが別の戦地で「南方」「支那」
「大本営」でした爺さんは「超極秘施設」だった為、1次ソースとして耐え得るだけの写真等は
ありません(つかむしろあったらおかしいですねw)がそれ以外の掲載写真は
全てオリジナルです決してどこかのサイトからパクッてきたものじゃあないです藁
また、一部文章と写真の下部を藻ありにしたのは、人物や名前が特定されてし
まうのを避ける為と写っておられる方のご遺族への配慮によるものです
>>60さん>>61さん
そちらへ移動したほうがよろしいでしょうか?
とりあえず今日はこちらに貼らせていただきますね
783:海軍魂 ◆BrgfwA9w5k
06/07/25 14:08:49
>>781
話したくないの、何か判るよ。露助は本当にひどい事をしたね。それでも復員・解員された方に、心から
敬礼を奉げたいと思う。
昔、勤務先で仲良くなったお爺さんがいた。戦争体験を嬉しそうに話してくれた。誰もそんな事聞きたが
らないそうで…。内容は惜しくも忘れてしまったが、最後に必ず「あれだけの事をやらされて来たワシら
じゃから、ちょっとやそっとの事では死なん」と言っておられたのが強烈に印象に残ってる。
日本が急激に高齢化になったのは、医療の進歩もあるだろうけど、戦前・戦中世代の方は、そのタフ
さだと思う。戦後世代は医療の進歩の恩恵だけだと思う。
仕事を放り出してまで、聞きたかった戦争話。上司には怒られたけど、そのお爺さんは僕の肩を抱いて
「**さんはな、ワシの友達や!」と満面の笑みで、苦々しい顔の上司にそう言ってくれました。勤務先
に現れると、一目散に僕の所へ。敬語は絶対ダメで「友達に敬語使うヤツがおるかいな」…そりゃそうだ。
で、それから毎年暑中見舞いと年賀状を出して連絡は取り合っていたそのおじいさんは、一枚目の年
賀状が届いた後、次の暑中見舞いの間に癌で亡くなっていました。今でもそのおじいさんの奥さんと、お
孫さんがパソコンを使えるそうで、毎年綺麗な印刷で送って来てくれています。又しても、目頭が熱くなり
ました。
784:淀川長治
06/07/25 14:34:05 xNlVGHhv
ハイ、コンバンワ。
みなさん、今日の映画。こわいよー。
今までサメが出てくる映画、たくさんたくさんありました。
ジョーズ、こわかったね。シャークシャークシャーク、これもこわかったね。
でもねー、今日の映画、もっとこわい!
太平洋戦争の末期、日本に落とした原爆。これをB29の基地まで運んだ
巡洋艦がいたんですね。巡洋艦、大きな大きな、アメリカの重巡洋艦。
原爆を運んだあと、母港へ帰ろうとしてたんですね。
そこへ!潜水艦。日本の潜水艦がやってくるんですね。潜水艦、敵艦を
見つけて魚雷を発射します、シャーって。魚雷が来る魚雷が来る、でも
巡洋艦は気が付かない。魚雷が。ダーン!て。当たっちゃうんですねぇ。
巡洋艦が沈む、SOSを打つ暇も無く夜の海に沈んでしまう。こわいねー。
でもね。本当にこわいのは、ここからなんですよ。
さめ。大きな大きなサメが、やってくる。それも、たくさんたくさん、
やってくるんです。海のうえに投げ出された乗組員達、このなかに
まぁあの恐ろしいサメが群がっていくんです!一人、また一人、あっちでも
こっちでも続々とサメの餌食になっていくのね!でも助けは来ない、
いつまで経ってもやって来ない。乗組員達の恐怖、恐怖、たまりませんねぇ。
どうやってこの危機を乗り切るのか。最後まで、こわくて目が離せませんよ。
じゃ、後でまたお会いしましょうね・・・。
スレリンク(wild板)l50
785:名無し三等兵
06/07/25 17:21:56
>>783
ささやかなツッコミ。
>で、それから毎年暑中見舞いと年賀状を出して連絡は取り合っていたそのおじいさんは、一枚目の年
>賀状が届いた後、次の暑中見舞いの間に癌で亡くなっていました。
毎年じゃねえじゃん。しかも暑中見舞い爺さんからは来てないじゃん。
786:781
06/07/25 18:42:52 ZfjYt54p
続きを思い出したので書き足します。
・あまりにひもじかったので見張りの目を盗んで抜け出し町で(自分の)ふんどしを売ってお金に代えた。
そのふんどしはもちろん使用済みのものだがなぜかそれがロシア人女性に人気で、ワシのふんどしを頭にこうしてターバンみたいにして巻きよった。w
・シベリアから帰国船に乗りこんだところ、何日かしてものすごい台風に見舞われた。
そうして気付いたら船が北海道の北の先端におったんや。つまり大阪(その方の故郷)に向けて進んでいた船がまたロシアのほうに戻っとったんや。
これには二人で大笑いでした。
・やっとの思いで大阪に着くとワシは必死で隠し持っていた金で女の人を買いに行ったんや。
そうしたらもう久しぶりの事やろ。すごくいい思いしてわしもう一回買いに行ったで。
この二つの話の時にはそのおじいさまは笑顔でした。
787:名無し三等兵
06/07/25 19:13:56 YK+8Okv0
さっきばあちゃんにひいじいさんの弟の話しを聞いたのね。
その人は結婚も決まってて、戦争から帰ってきたら結婚して幸せに暮らすはずだったらしい。
ニューギニア戦線?だかで飢え死にしたらしい..どなたかこの戦線について詳しく教えてもらえるでしょうか?
自分のひいじいさんは体があまり強くなかったから戦争には行かなかったってばあちゃんが言ってた。
5年前に死んじゃったじいちゃんは軍隊の学校だかいってて普通だったら一等兵>二等兵だかに昇格するのを?いっきに隊長だかになることをやってたらしい。戦場にはいってないみたいです。
小学校のころ戦争の話をじいちゃんに聞いたときは穴掘ってるところを戦艦の大砲が頭の上を真っ赤にしながら飛んでいって耳がつんぼになりそうだったとかって話を聞いた覚えがあります。
ちなみにおばあちゃんはこの戦争のことを大東亜戦争と言ってます。
788:名無し三等兵
06/07/25 20:20:31
>>787お前さん、歳幾つだ?
どう見ても歳取ってそうだから釣りだろうけど
あえて釣られて言えば、大東亜戦争位、常識だろう。
後ニューギニア戦線と言っても、ピンからキリまで色々ある。
陸海軍っちの兵かと、いた地域・所属部隊名を書いとけよ。
789:787
06/07/25 20:34:08
年は22です。部隊名とかはおばあちゃんでも知らんとです。
790:名無し三等兵
06/07/25 21:10:44 K8KGEuCI
>>788
大東亜戦争は単語としては常識であっても
太平洋戦争を使うか大東亜戦争を使うかで論争になったり
軍国主義者だ、いや左翼思想だ、の踏み絵とすらされる言葉
この事情を理解すれば、>>787の最終行の意味もわかるはず。
軍事知識もいいが、その経緯もわかって使わないと恥かくよ。
791:名無し三等兵
06/07/25 21:23:27
うちの爺さんは、学校出てすぐ少尉だったそうで
同じ歳くらいの水兵が、一曹などたいした事ない位の人達に虐められてるの見て不憫に感じてたようです。
下士官は、腐った連中が多く学校出たての少尉にはへこへこしてる癖に
水兵にたいしては、鬼のような存在だっと言っておりました。
終戦後の話ですが、下士官や兵だった奴等が仕官の軍服を着て街を歩く姿をよく目撃したそうです
よほど仕官になりたかったんだなとも申してました。
792:787
06/07/25 21:24:13
>>790さんありがとうございます。なるほどそうなのですか。自分は韓国はなぜ反日か?って言うサイトをみてから歴史とか戦争、政治に興味を持ち始めました。
そのサイトでは大東亜戦争と言ってました。自分の中学校のときの教科書には太平洋戦争とのってました。
それでおばあちゃんは大東亜戦争といってたのでやっぱ違うこと教わってきたのかなと...
なんか意味不明かつスレ違いすいませんです。
793:787
06/07/25 21:37:03
あなんか自分宛のレスではなかったようですね。すいません
794:名無し三等兵
06/07/25 21:47:47
>791
下士官は、腐った連中が多く、ですか・・・
ちょっと悲しいですね
795:名無し三等兵
06/07/25 21:54:51 1n2+A+3E
日本は一般的に下士官が優秀で将校が無能だと思います
796:790
06/07/25 22:07:47 K8KGEuCI
>>793
直接はあなた宛のレスではないけど
最後の一行に鋭いものを感じたので、その後の常識云々にレスしたんで
無関係レスではないよ。まぁ気にしないで。
その他じゃ憲法に平和憲法と枕詞をいれるとか、用語の使い分けはかなり
深い意味合いを持ってるので、さらに調べれば面白い事がわかるよ。
自分こそスレ違いなのでこのへんで。
797:名無し三等兵
06/07/25 22:13:01
ぼくのひいじいさんは竹やりでB29を撃ち落とす名人でした。
798:名無し三等兵
06/07/25 22:14:51 sCWtsgfM
終戦の年、伊丹飛行場で陸軍3式戦闘機「飛燕」の
整備兵をしてたとか。
階級差でとてもパイロットとは話ができなっかたらしい。
799: ◆hH0An03gvE
06/07/26 00:43:22
こちらに書き込んでる方のおじいさまの中には
硫黄島(や父島)に行かれた方はおいででしょうか?
本の出版準備(私ではなく友人の)として今、あちこち探してる所です。
アド入れときましたんで、どんな情報でも結構です、教えてください。
800:名無し三等兵
06/07/26 00:50:33
>>799
メール業者さんアド収集はお止めください。
801:名無し三等兵
06/07/26 01:38:59 uVAncO4O
祖父はなんかトラックんの部隊でフィリピンあたりに行ってたみたい、
上空から見ると敵から丸見えなので飛行機の音するとみんなでトラック
から降りて木陰等に避難したって。終戦後捕虜から解放されて帰ってきたら
しいけどその隊で帰ってこれたのは数名だったとか。
どこに所属してたかとか調べてみたいが手がかりないもんかな、
802:名無し三等兵
06/07/26 01:55:01 wgFQsN4e
このスレは良スレなんで下記のようなものをテンプレに入れたいんだがどうかな?
できればテンプレとして長く使えるようにまとめたい。
軍歴照会のしかたはさんざんガイシュツでこのスレでも2~3回見た記憶がありますが、
・もとの陸軍の軍人については、退職時の本籍地を管轄する都道府県庁の援護担当課
・もとの海軍の軍人については、厚生労働省社会・援護局業務課調査資料室
が軍歴資料を(存在すれば)保管しています。
陸軍と海軍の区別くらいつくでしょうから、該当するほうに電話するなり手紙を書くなりして
ご照会ください。
このスレに何度も出て来ますが、元・海軍の軍人さんについては
『厚生労働省、社会援護局業務課調査資料室』
が軍歴資料を(存在すれば)保管しています。
まずは厚生労働省の代表・03-5253-1111 に電話して尋ねてくだちぃ。
なお、必要書類として
・請求書(書式は自由。戦没状況・軍歴を知りたい旨、およびその理由を記す。戦没者氏名、生年月日、本籍地、判る範囲での軍歴を併記)
・戦没者の除籍謄本のコピー
・戦没者と請求者の血縁関係が確認できるもの(請求者の戸籍謄本のコピーとか)
・請求者の住民票
・請求者の身元が証明できるもの(運転免許証や健康保険証のコピーとか)
が要るらしいですぜ。
803: ◆hH0An03gvE
06/07/26 16:14:51
>>800
> >>799
> メール業者さんアド収集はお止めください。
大真面目な話です。
804:名無し三等兵
06/07/26 17:00:26
>>803
匿名掲示板で素性も知らない奴に、
メールしてくれと言われて、はいそうですかと
メール送ると思うか?常識で物を考えろ。
805:名無し三等兵
06/07/26 17:59:11
>>803
・・・取材を全くせずに(=努力をせずに)メールを送らせてネタをパクッて本を書く、
恥ずかしい行為だと思います。
806:名無し三等兵
06/07/26 19:15:42
俺のじいちゃんは最初は長門に衛生兵で乗ってたそうだ。なんでも製薬会社に勤めていた関係で。
そののち空母赤城に乗ってミッドウエー海戦で赤城が沈んだのでビルマ戦線に参戦。
行軍中に敵の攻撃があって部隊がバラバラに・・・
行方不明となってその後戦死となったそうだ。
おふくろはひょっとするとまだ生きているかも・・・とテレビでビルマが出ると食い入るように見ている。
807:名無し三等兵
06/07/26 19:24:29
衛生兵は敵から攻撃されないはずだよ
808:名無し三等兵
06/07/26 19:30:12
>>807
じゃぁ、俺のじいさんだけ攻撃されたのかな?
809:名無し三等兵
06/07/26 19:43:24
>>808
条約で病院と病院船と軍医と衛生兵と看護婦は攻撃しちゃいかん事になってる
米軍も広島と長崎と釜石と沖縄以外では病院を攻撃目標にはしてない
流れ弾や誤爆はあったかも知れないけど
そもそもB29の乗組員に、病院を避けて原爆を投下しろと指令が出てた
810:名無し三等兵
06/07/26 19:45:23
__ ヽ l //
〈〈〈〈 ヽ ― ・ ー―― ← >>809
〈⊃ } // | ヽ
∩___∩ | | / / | ヽ
| ノ ヽ! ! / | .┏┓┏┳┓
/ ● ● | / ,,・_ .┏┛┗┻╋┛
| ( _●_) ミ/ , ’,∴ ・ ¨ .┗┓┏┓┃
彡、 |∪| / 、・∵ ’ ┃┃┃┃ ┏┳┳┓
/ __ ヽノ / .┗┛┗┛ ┗╋┛┃
(___) / ...┗━┛
811:名無し三等兵
06/07/26 20:08:03 OZYe3EKR
自分の祖父は、ビルマの竪琴を見ると
遠い目をします。ビルマに奥さんもいたらしいですが・・
戦争の悲惨さは教えてくれません、ただドイツがホロコーストしただ・・
スターリンは悪魔だとか言うが、日本も証拠隠滅をしただけで
ドイツ人の方が、文献が残ってるだけ良心があると言ってた。
また戦犯を受ける階級でなくて良かったと言ってる。
軍事恩給と年金で、今は悠々自適。
812:名無し三等兵
06/07/26 20:17:47
>>811
ちみは在日でつな?クマー
813:名無し三等兵
06/07/26 22:06:09
>>812
在だったらもっと日本語上手いでしょ。
814:名無し三等兵
06/07/26 22:37:31
各々方、夏は日本語が少々不自由な者が常にも増してどのスレにも現れる
誤字脱字、変文はスルーでよろ
俺も日本語変だな・・・・・吊ってくる
815:名無し三等兵
06/07/26 22:45:35
>>811
戦犯に階級は関係ないことを知らんようだ
816:名無し三等兵
06/07/26 23:02:30 Pri4lpdV
>812
ビルマの奥さんを、捨てた?
817:名無し三等兵
06/07/26 23:21:18 NIpEqMjR
じいさんというか俺は年が10代だからじいさんは戦争にいっていないが、知り合いにたくさんいますよ そういう人
親戚類からあたると、じいさんのおじさんは大和の機関員で、水上特攻のときに大和にのって死んだとききましたし、もう一人のおじさんは駆逐艦に乗っていてフィリピン沖で撃沈されて沈んだらしいです。
ばあちゃんのおじさんは満州に行って戦ってたみたいなんですが、母親が恋しくなってわざと足怪我して本土に帰ったりだとか、でもばあちゃんのおじさんたちは全員生きて帰ってきたそうです。
あと、しりあいに、大村の海軍基地で月光の偵察要員してた人もいますし、戦艦「金剛」に乗った人もいますし、戦艦「霧島」に乗った人もいました。(どちらとも戦前に乗った。)
3人ともその後 海自・空自 にはいって今は引退してます。
大村基地にいたおじいさんは、その後レーダー技術を取得してエレクトロニクスを専門とした分野を幅広く取り扱っていました。空自の階級は2等空佐だったそうです。
とまぁ、長々と書いたけど、結構います
818:名無し三等兵
06/07/27 00:57:56
>>806
うちの亡くなった祖父も海軍の看護兵だった。
本人から昔聞いた話だと、フィリピン方面の島で塹壕掘ってたら、
米軍機の爆撃にあって、祖父ともう一人だけ助かったそうだ。
祖父は逃げ遅れて思いっきり機関銃狙い撃ちされたのに奇跡的に助かり、
先に防空壕に避難した人たちは直撃受けて全滅。
そこにいたのは医療チームだけだったのに。
819:名無し三等兵
06/07/27 07:23:12 xEPt29TB
俺の爺ちゃんは満州だったけど、病棟は兵舎より少し遠くに設けてたみたいだが、中国兵はそれでも平気に病棟にも実弾を撃ち込んでだらしいよ。ヒドス
820:名無し三等兵
06/07/27 11:53:45
ビルマの竪琴をまともに読んだこともない人が多いよね。
あれ、児童文学だって知ってて持ち出してくるんだろうか?人食い人種が
登場したり、現地の娘とのラブロマンスがあったりする話だぞ。
821:名無し三等兵
06/07/27 11:56:13
>>806
>ミッドウエー海戦で赤城が沈んだのでビルマ戦線に
はて?海軍さんはどこを行軍したんでつか?
822:名無し三等兵
06/07/27 12:05:35
>>787
>5年前に死んじゃったじいちゃんは軍隊の学校だかいってて
>普通だったら一等兵>二等兵だかに昇格するのを?いっきに
>隊長だかになることをやってたらしい。
2パターンが考えられる。
(1)赤紙で召集され、新兵訓練を受け、二等兵になり、兵役中に
一等兵。除隊するころに、一等兵のままで除隊する人と、上等兵に
なって除隊する人がいる。実は上等兵と一等兵の差は結構、大きい。
(例えて言えば、亀有公園前の両さんと大原部長ぐらいの違い。)
上等兵になって故郷に帰ると英雄だよ。戦地にいって伍長・軍曹にでも
なれば、叩き上げ。軍隊階級と警察階級を比べると、巡査部長・警部補
クラスが上等兵~曹長に相当する。ま、警察より軍人の方が人数が多いしね。
(2)士官学校に行って、無事に任官。いきなり少尉で小隊長。
要はキャリア。踊る大捜査線の柳葉俊朗。
823:名無し三等兵
06/07/27 16:14:42
>>821
赤城で検索汁
824:名無し三等兵
06/07/27 19:31:09
>>821
ビルマのイワラミ川で爆撃にあったのが最後だ。
クズ。わかったか?
825:名無し三等兵
06/07/27 20:29:20
>821
ビルマの海軍と言えば第13警備隊深見部隊が全滅しとるな。
826:824
06/07/27 20:37:25
>>825
ありがとう
827:名無し三等兵
06/07/27 22:00:56
>>826
事実を述べているのに、
浅はかな考えで疑われると腹立ちますよね。
828:名無し三等兵
06/07/27 22:07:32
粘着してるヤツもうっといけどな。
829:名無し三等兵
06/07/27 23:02:15
>>826
とは言ったものの、貴様も
『ビルマにも海軍基地とかあったんですよ。』
と言えば済んだのではないか?
830:名無し三等兵
06/07/27 23:09:17 b86PMrKh
たった3年でシベリアから帰ってきたじいさんは全くアカではなかったが…何故だ?反動分子とか言われると帰国が遅くなったと聞いたが…
831:名無し三等兵
06/07/27 23:19:00 Yy/rWF+X
祖父はソ連兵にあとからもっと元気なのがくるおと言って逃げたそうな
832:名無し三等兵
06/07/28 00:37:10 mAfOMztJ
そういや祖父の戦友…満州で列車から飛びおりて脱走…60年後…孫が偶然友達だった…不思議なめぐりあわせだなぁ…
833:名無し三等兵
06/07/28 00:45:04
祖父はイースター島で終戦を迎えたそうです。
何でも乗ってた輸送船が撃沈されて、気がついたらイースター島にいたとの事
戦争が終わった事を知らずに、イースター島に2年もいたようです。
そもそもイースター島周辺で海軍が、軍事行動をしてたのですか?
モアイのある島って本人が言ってましたから、間違いなくイースター島だと思いますが
834:名無し三等兵
06/07/28 00:51:16
>>830
アカ教育をされたのは、洗脳しやすい10代の若い人間が多いって聞いたことある。
835:名無し三等兵
06/07/28 01:51:50
>>833
イースター島以外にもマリアナやポリネシアにも巨石文明はあって
石像がいくつも残っているよ、それをモアイと思いこんでいるのかも。
836:名無し三等兵
06/07/28 02:16:25
家のジサマも満州に行ったり空母に乗ってゼロ戦の整備をしてたらしい。
爆弾懸架フックの調整や、機銃の撃発装置とプロペラの同期を取る機械の整備をしたとか言っていたが、
話を聞くたびに機銃の口径が変わるから信じていいものかどうか・・・。
837:名無し三等兵
06/07/28 04:34:55 lvdgWIkq
俺の爺は陸軍の予備役で終戦迎えたとのこと。今80歳
婆は神戸大空襲の生き残り
838:名無し三等兵
06/07/28 06:58:55
>>798
飛行第56戦隊の整備ですね。
中村中尉とかご存知なのでしょうか?
839:名無し三等兵
06/07/28 13:59:20
三年前に亡くなった祖父は終戦後、捕虜としてシベリアに抑留させられていた。
軍医だったことと、ロシア語に精通していたことで(そのせいでスパイの疑いをかけられた)
結構優遇されたらしい。
過酷な肉体労働は最初のうちだけで、
半年を過ぎた頃にはロシア人を手伝って
病人の看護にあたっていた。
ある朝、帰国の日を告げられたのだが、ロシアの軍人が「あと三か月残って助けてくれないか」と迫った。
あんまり必死なもんだから祖父も折れて、「三か月だけなら」と承諾した。
ところが、三か月たち半年になり…ロシア人たちは何も言ってこない。
それどころかとぼけた素振りをみせる。
恐ろしくなった祖父は「とにかく帰してくれ!婚約者が待ってる!(祖母のこと)」
と訴えた。思わず号泣してしまったらしい。
840:名無し三等兵
06/07/28 14:09:04
その様子をみてロシア人たちは、
「わかった。次の船で必ず日本に帰すよ。約束する」
と言ったそうだ。
祖父は帰ってこれて良かったよ~と笑って話してくれた。
今だから笑えるんだよな…と悲しくなったよ。
その他にも…
・戦友が寒さの余り凍死した、朝目覚める度に
友達が減っていった。
・広い牧場のような場所で草刈りをさせられた。
鎌で体を切っても寒さと空腹で感覚が無かった。
・便所の紙がカチコチ。
ズボンの尻の所に血の点が付いていた。
・深夜、ロシア人たちの兵舎?に呼び出され迫られた。(うほっな人達が多かったらしい)
あんなに優しいじいちゃんが人を殺せるなんてなぁ…戦争って嫌だな。
841:名無し三等兵
06/07/28 14:20:00
うちの爺さん海軍で空母赤城に乗ってた、横須賀の実家に救命胴衣?みたいの
あったんですけど、死んでからかみさんゴミに捨てた・・・・
842:名無し三等兵
06/07/28 16:27:24 GmhJSIak
もったいないなぁ~それってかなりの貴重物なのに・・・でも、それよりも貴重な戦争体験の話をしてくれる方々が、少なくなってるのもこれ現状!
843:名無し三等兵
06/07/28 17:22:36
亡くなった祖父は、小学校卒で大工になり昭和13年に
赤紙で入隊。
終戦時は陸軍の曹長だったとの事。
静岡の連隊?で、中国に出征。
馬に乗っている写真があります。
小学校しか出ていないのに、叩き上げで曹長にまでなれる
のでしょうか。
それと、入隊時に一つ上の階級(上等兵?)の先輩とペアを
組んで色々指導される仕組みがあり、その相手を『戦友』と
呼んだそうですが、これは静岡だけの話でしょうか?
暴力的な先輩の多い中、祖父の組んだ『戦友』はとても
親切な方で、終戦後も手紙のやり取りをしていたそうです。
844:名無し三等兵
06/07/28 17:32:06 5fsGLgRJ
>>842
戦争体験のあるお年寄りの方々が亡くなるとまた捏造&デタラメな話が・・
845:名無し三等兵
06/07/28 17:48:04
>>836
亡くなった叔父と同じだ。
「射爆員」というそうな。
846:名無し三等兵
06/07/28 17:58:12 IbwNsJ6Y
家の母方の爺ちゃんは中三の時長崎の爆心地ちかくの三菱兵器の工場で学徒動員で魚雷の組み立てを
してたらしい。原爆が落ちた日は偶然夕方からの勤務だったので、爆心地から離れていて難を逃れた。
爺ちゃんの父ちゃんは商船の船員だったが乗ってた船が南方で潜水艦にやられて船もろとも海の藻屑になり
戦後は年の離れた弟を育てるため進駐軍相手のバーでバーテンをして必死に働いて弟を大学に入れたらしい。
その弟(つまり自分の大叔父)はそのせいで今でもじいちゃんに頭が上がらない。
847:名無し三等兵
06/07/29 00:43:59
>>843
>小学校しか出ていないのに、叩き上げで曹長にまで
試験を通ればなれるのでは?
部隊がノルマとして試験に通したいのならば
上官などが予想問題や対策などをしてくれると思う。
>『戦友』
ググったけど解説サイトがないみたいなので拙く答えます。
字面からは「戦場のお友達」のように見えるが、実際はそうではなく
『部隊からペア指定された「戦友」と呼ばれる
生活や行動を共にする経験者と新兵のペアシステム』の事。
(日本限定の話、と思う)
「戦陣訓」(ググれ)に「戦友」の意義づけがあったと思う。
戦友ペアで戦闘をするかどうかは知らない。
この辺の「当時の人にとっての常識」を理解してないと
当時の資料も心情も読み間違う。
最近の歩兵戦闘では「バディ」として二人一組で戦闘を
するのが流行っているが、これは生活までは束縛されないと思う。
848:843
06/07/29 01:19:13
>>847
詳しいレスを心より感謝致します。
『戦友』については、断片的に祖父母から聞いた内容は
まさに847さんの解説そのものでした。
「戦陣訓」については初めて知りました。
入隊してから、寝る間も惜しんで勉強(試験の為に)したと
いう祖父は、故郷の貧しい家族のために一生懸命努力したのだと
思います。温和だった祖父の事をしみじみ思い出しています。
ありがとうございました。
849:名無し三等兵
06/07/29 01:27:56
>843
静岡連隊で、中国戦線なら34連隊かな。俺の爺さんもそこにいたよ。
もっとも、俺の爺さんはずっと内地にいて、一番遠くに行ったのが
御前崎での陣地設営だったか、架橋工事だったらしいけど。
850:名無し三等兵
06/07/29 12:23:29
父方の祖父(同居、まだぴんぴんしている)は大陸で馬の世話。
大叔父その1についてはどうだったか聞いていない。(存命)
大叔父その2はフィリピン方面で戦死。
大叔父その3は地雷を用いた対戦車肉薄攻撃訓練中に終戦。(存命)
母方の祖父は海軍だったはずだが、本人はなにも語らずに7年前に亡くなった。
(遺品整理で出てきた軍服を伯父が処分してしまい、母・俺・弟で激しく憤ったことも)
問題は戦死した大叔父なんだが、
戦死日:昭和20年3月6日、戦死地:比島カポレ
この「カポレ」がどこだか分からない。どなたか分かる方いらっしゃいます?
851:836
06/07/29 16:18:24
ちょうど家に帰る機会が出来たので、それとなく話を聞いてみた。
空母に乗ってたというのは俺の聞き間違いで、実際は満州から帰って飛行隊に入ろうとしたものの
年齢上限を二ヶ月オーバーしていて弾かれた。それでも、基地で整備の仕事をしてればそこから飛行隊に行くツテがあるとの情報を得て
陸上基地で任についていたのだという。
もっとも生活様式は海軍式で、艦に乗っているのと変わらないものだったというが。
機銃の口径も7.7mm、13mm(撃墜したグラマンの機銃を参考に作られたのだという)、20mmというのはそうなのだが、
機首が7.7、翼に13mmと20mmが積まれていたと・・・。
52型なら乙が3口径みんな積んでて、丙が翼に13と20があるから、このへんで混同してるのだろうか。
852:名無し三等兵
06/07/30 12:05:03 3M8x6Gqw
自分の知り合いに陸軍中野学校出身のじいさんがいるんだよ。
世間話をするんだけど、この人のむかし話がとんでもなく面白い!
中野学校への入学の経緯、訓練の様子、満州での地下工作、終戦直前のソ連との戦闘、
その後のシベリア抑留生活、引き上げ時の政治的折衝など、全部が本や映画になりそうな内容なんだよ。
このじいさん、そういったことを全部回顧録にしてノートに書いてるんだよな。
もういい年なんだよな、
身よりいないんだよな、
欲しいな、あのノート…
853:ヴァンツァー厨
06/07/30 13:48:16
うちの亡くなったおじいさんはシンガポールで英軍の捕虜になったそうで。
「イギリス人はプールでフルチンで泳いでおった」
「風呂に入れない時はチンポだけでも洗え」
このふたつを胸に刻んで戦訓としています。
2つ目のはムツゴロウさんも密林に入る際の覚えとして同じ事を言っておりました…
854:名無し三等兵
06/07/30 14:07:46 6oDPXN2o
チンコ洗わないとなんか不味いことでもあるの?
855:名無し三等兵
06/07/30 14:16:22
思ったんだけどさ、昔の戦いの絵画はあるけど、近代戦の絵画って見ないよね。
描く奴いないのかな?
856:名無し三等兵
06/07/30 14:47:29
>>855
絵画で見た事がある奴は、ノモンハンだかの日本軍の奴が、俺の知る限りでは最新。
湾岸とかベトナムとか朝鮮戦争の奴はあまり見ないなぁ。
こんなのがHDDの中にはあったけど。
URLリンク(cgi.2chan.net)
857:名無し三等兵
06/07/30 15:30:39 o5nW1p2o
>>855
調べ方が足りないのでは?
ガダルカナルや硫黄島の戦闘の近代絵画も見たことあるよ?
図書館の資料にあったな。
858:名無し三等兵
06/07/30 15:34:48 o5nW1p2o
ジャングルの中を肩を貸し合って歩く血まみれの負傷兵たちの絵画や
夜間、舟艇から上陸をする日本兵の絵画、
玉砕突撃の前に杯をかわす兵士たちの上に、ジャングルから木漏れ日がさす絵画
夜間のジャングルを、山のように物資を背中に背負って、用心深く進む補給輸卒の姿
数人の兵士が対戦車砲を構え、その先に破壊されたM4の描かれた絵画等など
859:名無し三等兵
06/07/30 17:23:11
>855
つ藤田嗣治
URLリンク(www.ippusai.com)
860:名無し三等兵
06/07/30 18:40:59 Gc+d+LNV
ある戦争画家が息子である海軍将校が死んでから、描いてる肖像画をテレビでみたが、息子と父親の「魂」が入っていてすごい肖像画だと思った。
861:名無し三等兵
06/07/30 20:15:45
>>853
インキンになります。すごくかゆい。
足は洗わないと、すぐにまめができます。
熱帯を歩くとき風呂に入れないならば、足と金玉だけは
洗うのが常識です。ガイドにもそういわれますよ。
女性の場合も同じね。
862:名無し三等兵
06/07/30 20:42:25
デリケートな部分の痒みに悩むアマゾネス萌え!
863:名無し三等兵
06/07/30 21:02:36
>>852
自費出版の方法でも教えてあげなよ。
それともどこかの出版社にノート見せて買ってもらうとか。
じいさんが契約料or印税の恩恵を受けられるうちに話進めてやれ。
864:名無し三等兵
06/07/30 21:33:39 a3DCMsJu
海軍生活の基礎知識はここを読むといいかもネ。
URLリンク(aimy.or.tv)
865:名無し三等兵
06/07/31 00:25:11 EIc+US/H
内のじいさん、フィリピンにいたんだけど、肩、腹、胸に弾くらって、隊長はもう助からないから、置いていけって言ったんだけど親友が絶対に助かるって言って、運んでくれたんだって、だからじいさんは友達は大切にしろっていつも言ってたな~。
866:u
06/07/31 13:05:19 N9hGP+Se
>>843
「小学校しか出ていないのに、叩き上げで曹長にまでなれ」ます。准士官・下士官は、ほとんどが高等小学校卒業です。今で言えば高卒。曹長は優秀な軍曹から進級しますが、試験はありません。戦時中は人手が足りないので、曹長に進級するのは早かったはずです。
現役下士官は、だいたい27・8歳くらいには曹長になっています。
「戦友」はひとつ上の「階級」ではなく、ひとつ上の「年次」です。1年目は初年兵、これに2年目の「2年兵」が先輩としてペアを組んで、内務(戦闘以外の軍隊生活)の面倒を見ますが、実際は2年兵の面倒を初年兵が見てあげていました。
寝台の整理整頓、銃器の手入、洗濯、繕い物、靴磨きと専属メイドみたいなものですね。寝台が隣合せに決まっていて、「寝台戦友」とも言います。たいてい先輩の戦友は昼間いばっていても、こっそり毛布の下にアンパンなど入れて戦友初年兵の労をねぎらうのが習慣でした。
2年兵が炊事兵だと、時々、腹の減っている初年兵戦友にこっそり余ったトンカツを食わせてくれたりした、という話もあります。このペアは中隊の人事掛が決めます。
どこの聯隊でもこうなっています。戦闘では内務班とは別の編成(分隊・小隊)をつくるので、離れ離れになって別の部署につきます。
たちの悪い古兵(二年兵)から私的制裁を受けていると、ころあいを見て戦友二年兵が仲裁に入り、「まあ、そのへんで勘弁してやれや、俺の顔に免じて」という調子で許してもらえます。
867:843
06/07/31 19:02:51
>>849
祖母も92歳の高齢で、詳細までは聞けませんでした。
が、召集は昭和16年、横浜に集められて後に中国へ。
実戦経験はなかったが歩哨をしたりして(寒いので)
ひどい神経痛を患ったとのことです。戦後60年の
今、こうして孫同士がネットで話し合うというのも
当時は想像付かなかった事でしょうね……。
>>866
私が祖母に聞いても要領を得なかった部分を教えて下さり、
本当にありがとうございます。
女の孫の私がなぜこんな事に興味を持つのかと、92歳の祖母も
仰天していました。
戦後、祖父を訪ねて元部下が奥さんを連れて遠くから
来て最敬礼してくれ、老衰で立てない身体を伸ばして祖父も敬礼。
抱き合って号泣したと聞き、陰惨な印象しかなかった
陸軍にも心が通じ合う「戦友」始め人の情の部分があったと
知り、皆様に深く感謝申し上げます。
868:847
06/07/31 21:29:10
>>866
Thanks.
非常に詳細でよく分かった。
869:名無し三等兵
06/08/01 17:55:32
家の94になる爺さんが、ミッドウェーで撃沈された三隈に出撃の約半月前まで乗ってたそうです。
航空機の整備員の学校?に入るとかで転属になり、見送ってくれた人に幾人も戦死者がでたとか。
870:名無し三等兵
06/08/02 13:27:30 giINzub3
はじめまして.両親とも戦前の生まれですが,
10年前に死んだ島根出身のじい様の晩年に聞いた話しです.
子供の頃,日露戦争の日本海海戦で猛烈な砲声が響いて村中不安だったそうですが,
同じように怯えた魚が浜辺に殺到し,村中総出で編み籠や桶まで持って魚をとったと言ってました.
その後,戦死者の遺体も流れてきて大変だったそうです.(能登半島あたりに大量に流れ着いてたようです)
その後は幼かったわたしの母もつれて満州開拓団として大陸に渡り,
ウラジオ近くで敗戦直前ソ連軍侵攻くらい逃走中に民間防衛隊として徴用されて
泣く泣く家族と別れ武器も弾も無くあちこち連れまわされて最後にどこでか分かりませんが
八路軍に捕まり,戦争は終わりだと食い物を渡されて釈放され,
大連で奇跡的に家族と再会,子供二人亡くしましたがなんとか帰国しました.
もっといろいろ聞いておけばよかったなとしみじみ思います.
では長文失礼いたしました.
871:名無し三等兵
06/08/02 14:58:05
スレリンク(army板)l50
まぁ、知ってる人も多いと思うがスレタイでネタスレと判定して回避してしまっている人のために。
872:名無し三等兵
06/08/02 17:16:29
>>871
知らんかった。じわりときた。
873:名無し三等兵
06/08/03 01:02:53
すごい良スレだな。
というかチャットか。
874:名無し三等兵
06/08/03 11:08:24 TogcQtTk
さっき90歳くらいのおじいさんが道端で血吐いてた(ToT) 戦争経験者ってどんどん減ってくね…
875:名無し三等兵
06/08/03 11:26:06 1nOhaHAV
>>874
自分のおじいさんだとか親戚に経験談を聞く最後の機会かもわからんね。
一回話してくれたら次からは割と色々話してくれるようになる気がする。
おじいさんもちゃんと聞いてくれるなら話をしたくなるのかも。
876:名無し三等兵
06/08/03 14:14:55 hnmSvoe0
俺のじいちゃんはインパール作戦で戦死? したよ
877:名無し三等兵
06/08/03 15:21:10 IWQ53VY5
>>874
助けた????????
878:名無し三等兵
06/08/03 15:32:45
物置掃除していたら、じっちゃが大陸で使ってたポンチョ?と、アンプルに注射器
が出てきた。
ポンチョには名前と、墨で塗り潰された、所属していた部隊名? が書かれていた。
アンプルはまだ薬品が入ってる。
あと、昔は集束焼夷弾の子弾を集めて地面に刺し花壇の淵に利用していたらしい。
879:名無し三等兵
06/08/03 15:42:26
うちの爺様は疾風の脚を作ってたらしい。そんで召集かけられて、遺影を撮りに帰宅したときに終戦だったとさ。
そんな時期に召集ってのは本土決戦かな?
880:名無し三等兵
06/08/03 15:56:01 ArYJplco
俺のひいじいちゃんはこの辺りで一番偉い人だったらしく
天皇から勲章もらってる、今金庫に入ってるけど
で、どっかの島に軍を率いて行ったんだけどそこで、米軍に攻められて
自分の部下に逃げろと命じて自分だけ死んでしまったみたい。だから骨とかもない・・・今はその島は米軍基地になってるようだけど
で、昔一通の電話がかかってきてそのときたまたまでたのが俺の親父だったんだが
ひいじいちゃんの部下の人から電話で無事生還して、あなたのおじいさんはとても勇敢でしたとの連絡を受けたらしい・・・
881:名無し三等兵
06/08/03 18:14:08
うちの曾爺さんは徴兵に落ちたため戦争に行ってません。
その落ちた理由が
「足がでか過ぎるから」
ばーちゃんから聞いたときは冗談と思ったよ。
882:名無し三等兵
06/08/03 21:13:23
うちの爺様は樺太で教員やってたんだが、昭和20年に兵隊にとられたんだそうな。
で、何でも「ガス兵」やってたらしいんだが・・・・・・、当時の陸軍にガス兵ってあったけ?
自決用に手榴弾を渡されたけど、それを使う気にならなくって、クリークに隠れてソ連戦車を
やり過ごしたりして終戦。
ご多分に漏れずシベリア送りだったそうな。
朝起きたら隣の仲間が死んでたとか、ちょっぴりだけど給料が出たからそれで煙草を買って、
部下と分けて吸った(爺様は兵長だった)とか色々聞いた。
ただ、その爺様も、去年の八月に他界。
もう少し聞いてみたかったんだけど、母ちゃんが子供の頃はよく夢でうなされてた、って話を聞
いてたから無神経には聞けず、そのまま。
もう少し聞いてみたかったなあ。
883:874
06/08/03 22:26:12 TogcQtTk
>>877 人通りが多いから平気だと思って通りすぎた。 さっき通ったら血のあととハンカチが落ちてた…。おじいさん大丈夫だろうかorz
884:名無し三等兵
06/08/03 22:55:11 kzvKHn4D
既出かも知れぬが、俺のじっちゃんは戦艦長門に乗ってました。濃霧の中、瀬戸内海に停泊していた時、陸奥が爆沈した時の状況をよく語ってくれましたが10年前に死んじゃった。じっちゃんの口癖は、「日本人は二度と戦争しちゃいかん。その時は世界が滅ぶ。」でした。
885:名無し三等兵
06/08/03 23:01:49 2itK8Xz7
うちの祖父ちゃんは一五で満蒙開拓義勇軍に入隊して満州へ渡ったそうです、その後シベリアで強制労働。
勿論終戦を迎えても祖国の地をすぐには踏めず、毎朝死んでいく仲間を見、大変な思いをしてやっとこさ舞鶴港へ降り立ちました。
まあ今だから笑ってはなせる事でしょうが、その当時ロシア人は九九が出来ずに代わりに祖父ちゃんが計算していたそうです(笑)
満州語とロシア語ペラペラな祖父ちゃん、スゲェ、、
帰国しても暫くはシベリアにまた戻される夢を見て相当うなされたようです。
なんせ食べたくても食べられない状況に、一番育ち盛りの時期に置かれたのだから、その苦痛と恐怖は計り知れません。
革製の製品、草、キノコは全て口にする対象だったそうです。
一度でも、下痢は死を意味するんだそうです。
だから祖父ちゃんはキノコが食卓に上がると「んなもん栄養にならんのに」とちょっとすねます。
そんな祖父ちゃん、大好きですよ。
今の時代がどんなに平和か身にしみました。祖父ちゃん達に感謝です、ほんと。
886:名無し三等兵
06/08/04 00:20:24
>>883
ゴルァ
887:名無し三等兵
06/08/04 11:26:16
数年前にプラモの飛燕作ってたのよ。そんでじいちゃんが、「お、飛燕か」みたいな
ことを言ったので、飛燕がいかに信頼性が低かったかを聞かせたんだ。じいちゃんは
何とも言えない表情で聞いてた。一昨年じいちゃんが死んだときにじいちゃんの兄弟に
聞いたんだが、じいちゃん飛燕乗ってたんだって…じいちゃんゴメン
888:u
06/08/04 12:49:56 j7pgL1ta
>>882「ガス兵」ガス戦の訓練を受けた特技兵。
普通の部隊に何人か割り当てられて訓練受け、ガス主任(将校)の指示で、ガス弾射ち込まれたときの防毒や、
ガス散布などに従事。実際にガス戦とはならなかったので、ほとんど出番はなかった。
889:名無し砲兵
06/08/04 13:19:58
漏れのじぃちゃんは呉の海軍の訓練兵だったみたいなんだが、結局実戦配備される前に終戦迎えたみたいだ
890:名無し三等兵
06/08/04 13:21:13 NUdR2RwK
歯科医だったので、軍医学校で速成教育を受けて軍医として勤務、明野
飛行場で、不時着したりして歯を折ったりする人の治療をしてるうちに
終戦、高価な物資を独り占めにして逃げようとする将校と、ヤクザな下士官
が銃撃戦をやったりするのにビックリして、なんにも持たずに帰ってきたそうだ
891:名無し三等兵
06/08/04 13:48:47
私の母方の祖父は五年ほど前に鬼籍に入ったのですが、陸軍の通信兵でした。
祖父の一家は兄姉含めて五人兄弟、その末っ子だったとの事。
祖父の二人の兄は、長兄は中国で戦死し、次兄はフィリピンで同じく戦死。
祖父も乙種合格で陸軍の通信兵として淡路島に。男兄弟は結局、祖父だけ生き残りました。
同期で優秀だった友人さんは、絶望的な戦局下のフィリピンに輸送船で赴く際、雷撃により千尋の海へと葬られました。
また、父方の祖父(両親結婚前に他界、面識無し)は、戦前上海の商社に勤務後、満鉄に転職。
去年暮れに亡くなった祖母、叔母と二人の男兄弟と共に奉天近郊に住んでいたとの事。
ソ連軍が不可侵条約を破り、満州に侵入した際、祖母や叔母の家もソ連軍によって家財道具や貴金属を根こそぎ奪われたものの、
住宅を明け渡すのを条件に命だけは取られずに済み、着の身着のままで知人を頼りつつ、無事日本本土に引き上げたそうです。
ちなみに、叔母は悪運強く病気もせず終始健やかであった事と、私の父の兄となるはずだった二人の幼子は、いずれも病気で死去。
やむなく、満州の地に土葬せざるを得なかったということを付け加えさせていただきます。
892:名無し三等兵
06/08/04 17:28:40 L4vC+5L8
質問厨ですいません。詳しい方、教えてください。
私の母方の祖父は横須賀鎮守府に軍属として勤務中、昭和18年ごろ
召集されたそうです。うろ覚えですが、当時の写真では軍曹の階級章
がついていました。本籍地が秋田県だったのでそちらの連隊に召集
されたと思うのですが、相当な激戦が心の傷になってらしく、戦争について
祖母や母、私にも多くを語らず亡くなりました。
考えられる戦地はどこだったのでしょうか。また、海軍軍属でも
陸軍へ召集されるということは一般的だったのでしょうか?
祖父は旧制中学卒でしたが、職業軍人ではありません。それでも
当時は簡単に軍曹に昇進できたのですか?
893:名無し三等兵
06/08/04 17:36:08
>>892
頼むから質問の前に、過去ログ読んでくれ、
身内の配属先とかの照会の仕方が載ってるから。
正直うんざりする。
894:名無し三等兵
06/08/04 18:10:20
>>892
それどころか、1度目の現役徴兵の時に海軍だったのに、
2度目の臨時応集の時には陸軍に行かされる、何て事もあります。
(あんまり普通ではないがあった事です)
あと、
貴方のおじい様も、『簡単には』軍曹になってないと思いますがいかがな物でしょう?
895:名無し三等兵
06/08/04 18:37:54
オレの記憶が正しければ、
秋田県庁は県本籍のもとの陸軍軍人の軍歴を保管していない。
896:名無し三等兵
06/08/04 20:11:36
父親からおじいさんの中国戦線での話を聞いてきました。
戦場を転々としながら常に前線で戦ってたそうです。
敵と鉢合わせたとき真っ先にダッシュで前進して寝転んだ人が生き残れるそうです。
一歩でも引いてしまったり、人の後ろから付いてきた人はそのまま撃たれてしまうらしいです。
僕には記憶が無いけれど、体に銃弾を受けた傷があったそうです。
水が不足していて水溜りで水をのみ、そのときボウフラが沸いている汚い水が安全で、
ボウフラが居ないきれいな水は中国軍が毒を入れたものだから飲めなかったそうです。
水を掬いボウフラなど生き物を取り除いてそのまま飲んだそうです。
あと、見張りが居眠りしたり、サボったりしてた部隊は夜襲に合い全滅したそうです。
終戦後生きた帰ってきたけれど、戦争で緊迫した状態が続いたためか、
心臓を悪くして、たびたび手術をして生きていましたが12年前に無くなりました。
まだ小さく話を直接聞けなかったのが残念です。
897:名無し三等兵
06/08/05 14:22:56
父方の祖母は網走の止別という田舎の生まれだが、子供の頃は
艦載機の銃撃が酷かったそうな。列車にのってるとき車両の
間を銃弾が貫き目の前で死者が・・・((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
898:名無し三等兵
06/08/05 18:30:27 CaW3BkHU
草刈手伝いに行った。俺「何人兄弟?」じ「10…11くらいかな」俺「ちょw何人生きてる?」じ「2…3…4くらい」俺「ちょwじいちゃん長男?」じ「うん俺が帝大生の時に何人か戦死したなぁw」俺「!!」じ「俺が中隊長の時下っぱにいたよ、弟、死んだけど」
899:erisuMkII
06/08/05 18:36:01
あのフネがはじめて
出たとき
たたみ
が浮いた
900:名無し三等兵
06/08/05 18:55:21
オレの親父がガキの時に戦争に行ったっちゅう近所のおっさんに聞いた話
そのおっさんは中国戦線に行ってたそうな
で、戦闘後だか行軍中だか、とにかく暑い中、長距離歩いてたそうだ
当然すごく喉が渇く
水筒の中の水なんか皆すぐに飲み干してしまった
そしたら川に打ち当たったんだと
皆よろこんで川岸まで走ってってガバガバ水を飲んだそうだ
皆、元気回復、行軍再会ってことで今度は川沿いに上流側に向かって歩いてったそうだ
そしたら川上にはおびただしい数の死体が浮かんでたそうだ
日本兵なのか中国兵なのか、あるいは民間人なのかは分からなかったそうだ
なにせズルズルに腐ってたらしいから
もう皆、一斉に嘔吐したらしいよ
901:名無し三等兵
06/08/05 20:17:30
うちの爺さんは樺太とトラック諸島に行ってたらしい。
重傷負って死ぬかと思ったけど、這って味方のところまで戻って何とか生還したそうだ。
内臓でて大変だったって言ってたけど、人間ってそれでも生きられるもんなんだなあ。
爺さん寡黙な人だったけど、戦争の話はよくしてくれた。
日本人として誇りを持って戦ってたから孫にも聞かせたかったんだろうな。
902:名無し三等兵
06/08/05 21:27:17 Qtdi0JrF
うちの祖父さんは北海道室蘭で高射砲撃ってたそうだ。
ある日空襲と艦砲射撃があって、あちらこちらに人の破片が飛び散ってたそうだ。
祖父さんは生き残ったが、去年の暮れに死んだ。もう詳しい話は聞けない。
903:名無し三等兵
06/08/05 23:45:57
少々スレ違いなのですが、ここの方たちは相当お詳しそうなので、ひとつ質問させて下さい。
大正九年生まれの祖父の事なのですが、青春時代を海軍でほぼ過ごしたようです。
詳しい軍歴はわからないのですが、佐世保鎮守府の所属で主に朝鮮~中国の沿岸をうろうろしていたようです。
駆逐艦に乗り込んでいたそうです。
終戦まで何年か海南島で過ごしたようです。陸戦隊でトラックの運転をしていたとのこと。
戦時中の海南島の様子や戦績がわかる資料やサイトをご存知の方がいらっしゃいましたら教えていただけませんか?
宜しくお願いいたします。
904:名無し三等兵
06/08/05 23:55:24
>892
うちの爺さんの弟がそのターンだった。
たしか旧制工業学校出て海軍工廠に就職。
技手だったかなんか。
現役入隊が陸軍で乙幹←ここで海軍と陸軍が喧嘩して陸の勝ち
除隊→海軍に戻る→召集→戦死。
905:名無し三等兵
06/08/06 02:40:29
341 :名無し三等兵 :2006/08/04(金) 10:43:30 ID:???
ちょっとすれ違いかも知れませんが、教えて頂きたいのですが。
叔母の昔語りの中で、曾祖父の従兄弟?の”みやけだいたろう”と云う方が
潜水艦のりっぱな艦長として有名だったと云うのを聞いたのですが、どのような
方だったかご存じの方居られないでしょうか?
スレリンク(army板:341番)
906:名無し三等兵
06/08/06 05:14:27 MGu0QsyQ
小学校の平和教育の一環で祖父から戦争体験を聞いて
みんなで考えるという授業があったんだが
うちのおじいちゃんの「何キロか離れたところから広島のきのこ雲を見た」という話をしたら、
先生が「何キロとかだったら被爆してないか?ありえないよ?」と冷笑されてしまった。
うちのおじいちゃんがウソ言ってるとは思えなくて
しかし先生が否定しつづけるので頭が混乱したのを覚えてるw
907:名無し三等兵
06/08/06 07:43:48 UIl4rmRZ
時間にカキコできそうにないので……黙祷
908:名無し三等兵
06/08/06 15:00:46
質問。
終戦数ヶ月前に、家のジー様がFw190D-9かTa152H-1に乗ったと言う取るんだが。
当時日本国内にD-9かTa152って有ったの?
スピードが出るのに扱いやすくて、いい飛行機だったと評価してたけど。
909:名無し三等兵
06/08/06 16:57:13
>>908
瀧沢清峰噴いた。
Fw190Aなら、試験目的で陸軍が購入してます。
(三式戦→五式戦、のエンジン装換の参考になったそうです)
910:名無し三等兵
06/08/06 17:04:55
>>909
Fw190Aか。
いや、昨日から家に遊びに来てるジー様が、居間に飾ってあったハセの1/32・D-9を見るなり
「昔この飛行機に乗ったことがある」とか言い出すもんでびっくりして……。
今しがたA-8の模型見せたら、こっちだと言うので間違いないっぽいです。お騒がせしました。
911:名無し三等兵
06/08/06 17:24:22
>>910
じーさん、テストパイロットか。
すごいな、色々話を聞いてくれよ。
日独以外の機体にも乗ったかもしれないぞ。
912:名無し三等兵
06/08/06 19:25:21
ぐぐったらA-5を一機輸入したってありますね。
是非とも詳しく話を聞き出してください。
913:名無し三等兵
06/08/07 01:37:31
>>906
似たようで違う話だが、長崎の原爆は海の上に落ちたなどという教師が
俺の通ってた小学校にいた。その話を聞いて以来、その教師の言うこと
を信用しなくなった。
914:名無し三等兵
06/08/07 03:04:13
メッサーシュミットがMeだから
B29のBはボーイングのBと言い張ってた先生は、
ジャイアント馬場の足のサイズは十六文だと言い張ってた。
脚がでかすぎてアメリカで靴を作ったら十六インチだったからで
十六文とは関係ないといっても「人間の足がそんなでかい分けないと」信じてくれなかった。
ちなみにイアンソープの脚は42cmあるらしい。
子供のころそういうのあると覚えてるよな・・・。
915:名無し三等兵
06/08/07 07:05:10 CLKRCKzO
>>901
流石に内蔵でたら助からないんじゃ?
ちょっと出ただけで傷が酷くないならまだしも、這って移動したら、
内蔵泥まみれになるし、なんとか内蔵を戻せても感染症とかにかかって助からないと思うんだが
916:u
06/08/07 10:06:16 F3kcSXr7
>>892
軍属は軍人ではないので、陸海軍どちらにでもいけました。陸軍軍属でも志願すれば海軍にはいれたし。
旧制の中学・実業学校を卒業していると、幹部候補生受験資格ができて、二等兵の時に試験に合格すると、幹部候補生用の学校に入って、すぐに下士官以上になれました。
甲種幹部候補生(曹長の見習士官になって、あっというまに少尉になれました)、乙種幹部候補生(伍長になって、その後の進級は一般の兵隊と同じ速度)
917:名無し三等兵
06/08/07 11:23:05
空襲警報が出ると、すぐ逃げられるように立って飯を食ったそうです。
立ち食いが大嫌いな理由がやっと分かったよW
918:名無し三等兵
06/08/07 13:18:23 D6oil5Oh
>>903
参考になるか分からないけど、こんなサイトがあった
URLリンク(www.geocities.jp)
919:名無し三等兵
06/08/07 14:26:16 naEfFGxw
>>916
892じゃないけど幹部候補生用の学校の正式名称ってなんていいますか?
うちの祖父もそうだったらしくアルバムがあるんですが、何も書いてなくて
よくわからないんです。
920:名無し三等兵
06/08/07 16:25:12 W6NEUgh5
ばあさんが「昔は不登校なんていなかったんだけどねぇ」とか言っててふと思ったんだが…。なぜ?イジメなんか今以上にあっただろうに。
921:名無し三等兵
06/08/07 16:41:27
>>919
陸軍士官学校?海軍兵学校?
>>920
今のように不登校でも受け皿が用意されていた時代ではないから。
今なら犯罪者に対する感覚と似ているかな。
それほど世間の目は冷たかった。
922:u
06/08/07 17:28:57 F3kcSXr7
>>919
「予備士官学校」ないし「幹部候補生隊」です。
(外地にあったり、特殊な兵種は学校とはいわずに、幹部候補生隊などといっていた)
教育内容は同じ。詳しくて信頼のおける説明は↓がおすすめ
URLリンク(imperialarmy.hp.infoseek.co.jp)
923:名無し三等兵
06/08/07 18:05:39
>>920
今ほど陰湿なイジメはなかったと思う。
とマジレスするとスレ違いになるので、うちの爺さんの話でもしとく。
とりあえず満州に行ったらしい。クソ寒い中、軍手一枚でネジを締めたとか聞いたが、
何をしてたのかは聞いてない。階級は伍長で大砲をやってたらしい。
満州以外にどこかへ行った話も聞いたのだが覚えてないんだな、これが。
あと覚えているのは酒とタバコは軍隊に入ってから、でもって死ぬ日の朝(享年84)まで酒とタバコはやめなかった。
6、7歳まではよく聞いたんだが、某漫画を読んだお陰で日本が悪いと思って以降は話を聞いてないのが非常に悔やまれる。
長文の割には内容がなくてスマソ
924:名無し三等兵
06/08/07 18:12:13 qLiUSg6M
昔は、小学校や中学校にも配属将校と云う偉そうな軍人が派遣されていて
軍事教練とかもさかんに、鉄拳制裁をくわえて、暴力の限り
終戦後は、学生に逆襲されたりでボコボコの半殺しにされたりとか
軍隊でも上官殺しも多発して、まさに下克上状態の集団リンチなど
特攻隊くずれも街に溢れて、街中でも飛行帽かぶり
通行人などに言いがかりなど付けて、カツあげなどの暴力 おまけにヒロポン中毒
テレビなどでは、よく特攻の話題が悲劇的とか美談にするようなのもあるけど
特攻隊の生き残りのジイサンなどが、歴史の証人とかでチヤホヤされてるけど
特攻隊員は、ほとんどはヒロポン経験者 結構戦後のヒロポンも摘発されたけど
ヒロポン中毒になって、戦後特攻隊員でも廃人になった人間も多数
925:919
06/08/07 18:19:45 naEfFGxw
>>922
ありがとうございます。うちの祖父の年代、写真とつきあわせてみると
隊付で教育を受けたよです。ここのHPはわかりやすくていいですね。
926:名無し三等兵
06/08/07 18:26:30
>>924
確かにここは軍板だが
このスレは爺さんの話をするところだ
お前の資料から組み立てた下らない話は他でやってくれ な?
927:名無し三等兵
06/08/07 18:29:14 OwAf1qts
うちの爺さんは詳しくは語ってくれなかったがどうやら特攻隊員
だったらしい
928:名無し三等兵
06/08/07 19:55:25
じいちゃんは二人とも鬼籍に入ってるので、うちの先生(83歳・現役内科医師)の話を
また投下しておきますね。
「海軍行ったらさ、すごいのよ、食べ物が。タタミ一畳ぐらいの広さにバーンと
食い物がならんでて、『これ何人で食べるの?』って聞いたら、
『ハッ、尉官殿ひとりのお食事です。』だってさ。たまげたね。」
「北支行ったときは寒かったねー。シャツ着て寝ると、汗かいたシャツが凍るんだよ。」
でも先生、この前は陸軍にいたとも言ってたな・・・。
北支の話は陸軍にいたときのことかな?
陸軍・海軍って所属先がどう替わるのか詳しく聞こうと思ったけど、酩酊状態だったので
要領を得ませんでした・・・。
929:名無し三等兵
06/08/07 20:12:57 ETylSziK
>>914
おまえもまちがってる。
アメリカ規格の16サイズを昔のマスコミが16文と勝手に判断したのが由来。
すれ違いすまん
930:名無し三等兵
06/08/07 20:42:27
うちの爺さんは名古屋で看護兵やってたらしい
B29が病院にも焼夷弾落としていったから大変だったらしい
爺さんがいうには焼夷弾って花火みたいに綺麗なんだと
落ちてくる速度も遅くてキラキラ光りながら落ちてきたらしい
931:名無し三等兵
06/08/07 20:49:06 U6H4Tenb
満州での寒さは物凄かったと、電線などに止まっていたスズメが寒さでバタバタ落ちて死んだと
また、隊舎でストーブ焚いてると、煙突に、小鳥が大量侵入
たまに、煙突が塞がり、不完全燃焼で、死人が出たらしい
室内で洗濯して、屋外に出したら瞬間凍結など
銃も動作不良で、不凍液などもまだ少なかったので、使えないから、日本刀が活躍
中国での日本兵の残虐なイメージだと、やたら日本刀を住民を殺すカンジあるけど
拳銃や歩兵銃などが、酷寒の中では、動作不良で使いづらく 日本刀で代用したらしい
中国兵とかいっても軍服もいい加減で、毛沢東の人民服とか蒋介石の国民党軍の軍服など着てるのは、前線には見かけず
もっぱら便衣隊とかの民族服で、民間人と軍人の見分けもつかないゲリラ
おまけに、日本人と同じような国民服や日本兵の軍装のマネしたコピーなどのニセ者も多数
中国戦線での戦闘などは、点と線の戦線で、昼は日本軍 夜は中国人のゲリラ
戦闘でもいい加減な中国人の部隊などは、日本軍が来たらさっさと降伏して
なんと米国から供与された武器を日本軍に売りつけて、トンズラ
932:名無し三等兵
06/08/07 20:51:16
>906
>小学校の平和教育の一環で祖父から戦争体験を聞いて
以前このスレであった「戦争の悲惨さを語ってもらうはずが、重機関銃でチャンコロを云々・・・
という爺さんの武勇伝の話になってしまい、女の子は泣いてるし、先生も引いてるし、
話は終わらないしでまさに地獄絵図・・・」というのを思い出した。
933:名無し三等兵
06/08/07 21:14:02 4qhe5aQo
夏の花火をみるといつも、”顔料を混ぜた火薬を意味も無く空中で散らすのが何が面白いんじゃ
。アメさんの砲火を見せてやりたいわい”それが口癖だった爺ちゃん
934:名無し三等兵
06/08/07 21:43:20
>>930
漏れのばーちゃん、戦時中東京に居たそうだが焼夷弾がキラキラ落ちてくるのが
トラウマになったみたいで花火嫌い。
花火大会になると、焼夷弾が落ちてきて云々とよく話していた。
そんなばーちゃんもボケちゃって、今じゃ漏れの事も判らない・・・つД`)・゚・。・゚゚・*:.。..。.:*・゚
じーちゃんは台湾の高雄に出征していた。
高砂族の人に親切にして貰ったとかーちゃんに良く話していたそうだ。
じーちゃんの兄弟は南方の海で死んだ、としか聞かされて無い。
どうやったら調べられるんだろうか・・・。やっぱ、厚生省に問い合わせ?
935:名無し三等兵
06/08/07 22:25:34 3bXo8F/v
うちのばーちゃん、東京大空襲を疎開先の船橋からみて、
「花火みたいできれい」と言っていたそうだ。
もともと世間知らずの天然なところがあったらしいが、
さすがにこの発言は親戚中から顰蹙買ったらしい
936:名無し三等兵
06/08/07 22:42:35
すみません、ちょっと教えてください。
祖父は自分が生まれる前にフィリピンで戦死したらしいのですが、
どの隊に所属してどの島で亡くなったかを知るには
どこに問い合わせればいいのか教えてください。
母の実家に墓参りに行けばきちんと判るのですが、
なかなか行けなくて。
937:名無し三等兵
06/08/07 23:11:47 i5rdosxw
あんまり関係ないですが、沖縄のお年寄りは介護など受けずに元気で明るいのに
本土のお年寄りは、老人ホームなどに入り人の世話な無しでは生きていけないのは
戦争体験の違いによる部分が大きいのでしょうか?
938:名無し三等兵
06/08/07 23:43:41
>906
中学の校長先生が第二艦隊の死に損ないもとい生き残りで、
平和教育とかで原爆救援の話するところ、天一号作戦の時の話で
盛り上がりすぎて・・・・・。
てな記憶がありまつ。
冬月めさくさかっこえええ~~~、で逆効果。
939:戦湯
06/08/07 23:56:51
豊川海軍工廠の慰霊祭(8月7日大空襲で2500余名死亡)で、
工廠員だった人の話を聞いた。
当時は各地から動員された十代半ばの若い男女数万人が居たが、
連日の激務と食糧不足のため
とにかく腹が減って恋愛や色気まではまったく気が回らなかったとのこと。
940:名無し三等兵
06/08/08 00:09:14 HvCD0ihJ
NHK見てたら泣けてきた。アメリカへの怒りではなく、英霊を愚弄する朝鮮人への怒りだ。
941:名無し三等兵
06/08/08 00:23:20
>>937マジレスすると、絶対数の差だと思うよ。
東京のほうが爺婆多いから同じ割合で介護受けてても施設の数は増えるし、
住宅事情から在宅介護を受けられる人も限られてくる。
介護施設は社交場としての意味合いも強いから通所利用者は意外に元気だったりする。
沖縄の福祉の水準知らないけど、ヘルパー頼みたいんだけど頼む先が無いとか、
逆に近所の誰々がやってくれるからイラネみたいのもあるんじゃないか?
戦争体験より、生活環境と心の健康が体の健康につながってんじゃないかな。
942:名無し三等兵
06/08/08 00:46:17
一般に地方の方が老人は元気だな。
過去に戦争体験しようが人格的にどうしようもない人間は家にもいる訳で…orz
943:名無し三等兵
06/08/08 01:27:38
>>940
あぁ禿同
944:名無し三等兵
06/08/08 01:59:50
英霊量産した人は愚弄していい?
945:名無し三等兵
06/08/08 03:31:46
あの番組みて朝鮮人云々が出てくる奴ってどんな頭の構造してんだろ。
もしかして朝鮮人じゃあるまいか。
946:名無し三等兵
06/08/08 07:57:19
>>936過去ログ読んでから質問しやがれ
教えて君ばかりでもう呆れ果てたわ。
947:名無し三等兵
06/08/08 09:27:25 HvCD0ihJ
これのような事例を見ていると、日本の右傾化が顕著だ。私も同じ日本人であるが恥の心を表さずにはいられない。皆も気をつけろ。極右勢力は掲示板に占拠しているのだから。騙されぬな。
948:名無し三等兵
06/08/08 12:12:38
ウチの親族は北海道の炭鉱に住んでいたし、直接炭鉱に関わっていたじーちゃんは
戦争に行かなくて済んだ(男手がなきゃ採掘できません)ので戦争体験なしだが、
戦地でも酷い状況だったと後々聞いたそうだが、炭鉱での仕事自体も戦争だったみ
たいなものだと言っていたな。小さな事故はしょっちゅうあるし、熟練鉱夫が少な
いものだから見回りや指導が大変だったと言っていたし、中国からの勤労者?が脱
走して会社上層部やその他に迷惑を掛けたこともあるとも話してくれた。
終戦直後は外地の人達が我が物顔に振舞って難癖付けられたり恐かった(夜の一人
歩きは危ないとか)がそれも数日、占領軍が来ると急に大人しくなったと言っていた。
949:名無し三等兵
06/08/08 12:14:18
追加*炭鉱はわりと物資に恵まれていたのであまり生活に不自由は無かったそうだ。
950:名無し三等兵
06/08/08 15:42:30
>>937
鹿児島の老人ホーム訪問したときに、職員の人が「意外と沖縄から入所している人が多い」って
言ってた。沖縄県内は老人ホームに入所する・親を入所させることに対する偏見があるからだって。
951:名無し三等兵
06/08/08 16:42:14 0cChhIWz
神奈川とかで、終戦直後まで、女子挺身隊とかの寮になっていたところなど
1945年の年末くらいまでにはほとんどが進駐軍相手の売春宿化してらしい
終戦の夏まで日の丸のハチマキでも巻いて、工場労働してたのが
45年の年末のクリスマスとかなると、米兵相手に「肉体労働」
結構当時で高学歴の女学校生や看護婦、学校の女性教師や戦争中は国防婦人会のエライ人だった
戦争未亡人なども「売春婦」に転職
男が食えずにウロウロしたけど オンナどもは米軍基地に入り込んで、イイ生活してたようだ
男でも今では無いけど「売血」と云って、血液を売るようなバイトもあったけど
ロクなカネにならなかったらしい
952:名無し三等兵
06/08/08 17:30:33
>>931
資料の丸写し乙
>>951
脳内資料の丸写し乙
953:昭和のこころ
06/08/08 18:49:45
『星の流れに』を口ずさみながら>>951を嘲笑。
954:名無し三等兵
06/08/08 23:15:44
>>938
B-29の恐ろしさを聞くはずが、必死になって迎撃していた航空隊の話に、俺がすり替えた事が有る。
うっかり「迎撃機は見えましたか?」なんて質問したばかりに……。
後から反革命の社会科教師に絞られました。ウラー
955:名無し三等兵
06/08/09 13:10:58 m6QrphfB
勇気を出して元陸軍中尉のじいさんに「おじいちゃん昔の戦争のこと教えて!」と言ったら壬申の乱について語ってくれたorz 実話です
956:名無し三等兵
06/08/09 15:37:19
うちの爺さんは砲術学校行って軍艦の砲兵やってたので
戦後は捕鯨船にスカウトされて乗ってたこともあるってさ
957:名無し三等兵
06/08/09 17:37:09 YWZ3NVFI
終戦後の内地の基地でのドタバタ騒ぎとか、色々あるけど
戦時中は、結構「鬼軍曹」とか云われてたような人とか、
海軍将校とかで、偉そうにしてた人が豹変
司令部とかで、伝令兵とかやって人が、サイドカー付きのオートバイとかを、勝手に基地から持ち出して、脱走
なんと「白タク」行為とかで、一儲け 軍用オートバイを、よく東南アジアで見かける幌付きオートバイのようにして、白タク営業をなんと、終戦の翌月の9月から開始
わずか2週間での大変身 街中で基地にいた将校に見つかるが、敬礼一つしなかったらしい
あとは、部下で所謂「結婚サギ」のようなのがいて、結婚したいけどカネが無いとかで、一人娘を騙して、カネを貢がせてた海軍将校もいて
復員すると思って、女性が、基地を訪ねて来たら、なんと妻子持ちと判明
結婚話は真っ赤ウソと判明 上官も立会いで話あったけど 全く反省せず
上官のジイさんは、ほんと履いてたクツ上で横面を叩きたくなったと云ってた
基地に軍需物資を納入してた業者が、終戦で、代金未払いになりカネ踏む倒されるとかで
大挙して、倉庫に乱入して、物資を強奪 警備してた兵隊も分け前もらってトンズラ
残務整理で、しばらく基地に事務要員で、残っていたらしいけど
夜など警備兵も逃げてるから、民間人の武器持って、物資の略奪で、威嚇射撃などの銃撃もあって
かなり大きな軍事基地だったけど 夜襲が怖くて近くの民家から、通勤したらしい
軍隊も武装解除で丸腰でいたから、米軍の夜間空襲より怖かったらしい
958:名無し三等兵
06/08/09 18:10:26
俺のじっちゃんは疾風乗ってた
959:名無し三等兵
06/08/09 18:17:17
たしかに冬月とかの駆逐艦の勇戦ぶりは凄い
960:名無し三等兵
06/08/09 23:20:00 2405mDeb
もうすぐお盆ですね。
うちは田舎で土地が余ってるせいか、
先祖代々の墓の隣に、戦死者個人のお墓が並んでいます。
先祖のよりもデカイやつ。
田舎ではデフォなんですかね?
終戦二ヶ月前に沖縄、小緑に配属。
海軍航空整備曹長と書いてあったような?
お骨は無いそうです。
961:名無し三等兵
06/08/09 23:39:04
>960
田舎だと、地域によって墓地の作り方が違うからデフォとは言えないでしょ。
集落で一箇所に墓地を作るところとか、家の裏に、家ごとの墓を作るところとかいろいろあるし。
しかし、個人の墓で先祖よりでかいって見たことないな。「忠魂碑」とかじゃないんでしょ?
962:名無し三等兵
06/08/09 23:56:51 2405mDeb
>961
普通のお墓が二つ並んでいるかんじです。
大きさは一回り大きい程度の物で、作りが特別こっているような物ではありません。
その一つに戦死者個人の名前、戦死した場所が彫ってあります。
共同墓地で、ご近所さんのお墓もあるのですが、やはり戦死者のお墓の方が大きく作ってあるようです。
963:名無し三等兵
06/08/10 00:17:16 UoDH6EJn
たまに家の2階くらいまであるような墓があるよね。
田舎の大きな家で。
よく見ると、~~上等兵とか書いてあって、墓ってわかるやつ。
964:名無し三等兵
06/08/10 00:18:49 Y8KO5AQg
「はだしのゲン」を熟読して、全体を理解しましょう!
概要
1972年に「週刊マガジン」の漫画家自伝企画の第1弾として掲載された、中沢
の自叙伝『おれは見た』を元に、脚色を交えて1973年から「週刊少年ジャン
プ」での連載が始まった。
作品の内容、表現等について様々な論議があるが、作者の実体験に基づく原爆
の惨禍や当時の時代背景・世相風俗を良く表現していながら、教育的ではなく
優れたエンターテイメントとしても見せる名作として国内外での評価は高く、
映画・アニメ・ミュージカル・絵本化もされている。
単行本、文庫本などを含めた累計発行部数は1000万部を超える。
また、独特の描写や広島弁を含むセリフなどから、インターネット上で度々
ネタにされることがある。
965:名無し三等兵
06/08/10 00:30:24
私の母方の実家は沖縄で、その地域の昔ながらの墓は亀甲墓と言い、山の斜面などに造る古墳みたいな独特の形をした墓です。
中は比較的広く、戦時中は避難壕としてつかったそうです。
艦砲射撃によって避難民諸共破壊されたり、米軍上陸した折に火炎放射器による掃討もあったとの話も母や祖母から聞きました。
母の一つ上の兄は、避難途中に米軍機による機銃掃射で死んだそうで、そのことについては母も死んだ祖母も重く口を閉ざしそれ以上は話してはくれませんでした。
祖母宅は海辺に位置してますが、幸いなことに沖縄南部でも米軍上陸地点の反対側にあり、惨い被害は少なかったようです。
それでも水平線が真っ黒に見えたぐらい米艦隊によって埋め尽くされたといいます。
966:名無し三等兵
06/08/10 00:37:02
>962
だいたいわかった。言われてみるとたしかに見たことある。
どっちかって言うと、日露戦争の時の墓の方が凝った感じだったり。
あと、墓石の裏の方に結構色々書いてあったりするようなイメージだな。
「○○君は、成績優秀で親孝行で、地元の人間からも非常に信頼されていた
けれども、大東亜戦争においてフィリピン○○島に敵前上陸の際、突如として
敵陣地より重機関銃の猛射を浴び云々・・・・」みたいな。
まあ、金もかかることだし、全員ってことはないと思うんだけどね。
あと、こんなサイトもある↓
URLリンク(boboro-web.hp.infoseek.co.jp)
967:名無し三等兵
06/08/10 00:41:57
>>947
日本じゃテストで悪い点とると赤点とったって言うだろ
それと、とても恥ずかしい事をする赤っ恥をかいたって言うね
そもそも日本じゃ左翼つーのは恥ずかしい存在なんだよ
左翼>共産党>赤
968:名無し三等兵
06/08/10 00:43:14
亀甲墓ってのは子宮を象ったものだそうな。
霊魂の再生を祈っての形状だとか。
>>964
はだしのゲンの優れたところとして、
アメリカ軍への憎悪もストレートに出していたのを挙げる人もいるな。
漏れの親族は海軍の水上機乗りだったが、帰省の際に偶然駅で出会った親戚を
海軍士官の特権で2等車に便乗させてくれたとか。
(親戚はただの学生)
かなりそそっかしい人で、あれで良くバイロットが勤まったと感心するが、
(例*マージャンでは、他人の手牌をごく自然にツモって奪う。こちらが気が付くと小牌)
いまもなお健在なり。
969:名無し三等兵
06/08/10 21:04:27
>>967
それ以前に、俺も共産主義者なんだけどさ。
最近の共産党はヌル過ぎてダメだ。
全共闘は何処行ったのさ?政府転覆計画は?
日本赤軍有志による、あさま山荘やテルアビブの死を無駄にしやがって。
今の反動勢力は死に絶えろ。
970:名無し三等兵
06/08/10 21:07:12 de2gJ0I2
うちは山梨のド田舎のみんな名字が同じような小さな墓場だが軍人の墓は5個くらいあったな。千島、フィリピン、ブーゲンビル、旅順だったかな。 区内の軍人の墓はやたら無縁仏になってるね。何個かつまれてコンクリで固められてた。
971:名無し三等兵
06/08/10 21:30:37 lbmOFvhQ
ウチのじいさんは満州で輜重部隊だったようだが
「(ソ連参戦前に)ロスケの飛行機が飛んできて機銃掃射された。そのとき1人死んだ」
などと言ってた
それを聞いたときはロスケの飛行機?と思ったが、米軍か義勇軍の軍用機は満州に爆撃&機銃掃射していたことがあとで分かった
じいさんの戦争の話はどこまでホントでどっからホラ話か分からん
今月7回忌を迎え、そんなことを思い出した
972:名無し三等兵
06/08/10 21:34:11 uBorLB+u
ホラとかもだけど、やっぱり60年以上だと記憶もこんがらがるじゃないかな?
973:名無し三等兵
06/08/10 21:37:43 lbmOFvhQ
じいさんのそのまたじいさんは日露戦争時に二○三高地で戦ったとも言ってたが、ここら辺までくるともう何がホントなのかさっぱり分からん
二○三高地の生き残りって英雄扱いされたんだろうけど、勲章とかは残ってないようだし確かめようがないわな
974:名無し三等兵
06/08/10 21:47:53 lbmOFvhQ
じいさんではないが、小学校のときの教師(この人も故人)は太平洋戦争中、旧制中学生で軍事教練ばっかりやらされたといってた
行進中に持ってたサーベルを曲げてしまい、指導に来ていた軍人に思いっきりひっぱたかれたとか、大阪大空襲のときはマンホ-ルのふたが飛んできて危機一髪で助かったとか、そんなことを授業中に言ってた
中学校のときの社会化の教師も戦時中は旧制中学生だったが、卒業の年に終戦を迎えたのですぐに大学に進学できて得をしたとか
この辺の年代は戦後の教育改革をうまく乗り切って大学へ行った人が多かったようだ
975:名無し三等兵
06/08/10 21:50:01
あさま山荘事件ってさこの前の大学生リンチ生き埋め事件と同じじゃん
イデオロギーを語ってるだけあさま山荘事件の方がたちが悪い
976:名無し三等兵
06/08/10 23:06:24 NJNEJ6+C
小さい頃聞いた話だから、ウロ覚えだけど。
大和の乗組員で沈むとき船体がひっくりがえりそうになったとか、
今考えるとタイタニックみたいな感じだったのかなと。
足のモモの裏にえらい傷跡が残ってて可哀想だったな。
もっと色々聞いとけば良かった。
977:名無し三等兵
06/08/10 23:40:11
私が通ってた学校の電気課の課長が、大戦中はレーダーの研究をしていたといっていたな
978:昭和のこころ
06/08/10 23:53:16
>>977
八木さん、日本じゃ全く相手にされなかったけど、
欧米じゃ涙が出るほど持て囃された八木さんじゃないか!
979:名無し三等兵
06/08/11 00:06:15
爺さんは日中戦争で中尉だった
中国人への暴行や虐殺なんてありえないといつもこぼしていた。
八路軍は、食料や物資をその辺の民衆から適当に奪って戦闘をしていた。
ついでに農家の若い娘さんも無理矢理味見、みたいな事は日常茶飯事だったそうだ。
だから規律正しい日本軍の近くにいるのが一番安全だ、ということで
進軍しているといつの間にか中国人がゾロゾロ家財道具を引いてついて来たそうだ。
もちろん略奪なんかもしなかったし、
こちらの持っている米と、それら中国人が連れている豚を身振り手振りで交換してもらったり、
中国人が作った饅頭を売ってもらったりと友好そのもので、
万一暴行事件なんて起こそうものなら連隊長は更迭、中隊長は切腹だと言っていた
八光一宇の思想の元、中国民衆は敵国民ではなく守るべき民衆であり、
彼らが戦場にまでついてくるので頼むから帰ってくれと説得するのが大変だったと語っていた
でも戦後、日本軍=極悪・凶悪・最悪みたいな主張がまかり通ってしまい、
中国ではありとあらゆる残虐行為をはたらいたことにされてしまったため、
本当の体験を言える世の中ではなくなってしまった、と悲しそうに言っていた
俺はじっちゃんの名にかけて、左翼・中共の嘘には負けない