06/04/17 17:37:14
うちのお爺さまは沖縄特攻に行った「やはぎ」と聞いたことあるんだがどんなだったんだろう?
61:名無し三等兵
06/04/17 17:48:28
軽巡「矢矧」は第二水雷戦隊に所属
他に磯風、浜風、朝霜、霞などが沈没。
ちなみに第一遊撃部隊は「大和」
合計4000名以上が亡くなった。
62:名無し三等兵
06/04/17 17:57:23
うちの婆ちゃんは戦争末期、木で戦闘機を作ったそうだ。
そこは北海道の製紙会社で、飛行機作りは初めてだった。
エンジンは本州から送ってもらい、木製飛行機とくっつけたそうだ。
飛行場も町村牧場(元町村外相の実家跡)につくり
試験飛行もうまくいって、さあこれから生産だと言うときに
戦争が終わったそうだ。
63:名無し三等兵
06/04/17 18:04:57
これだね↓王子の名もある。町村牧場は江別市だね。
URLリンク(www.asahi-net.or.jp)
64:名無し三等兵
06/04/17 18:24:38
>>62作ってた飛行機キ―106?
65:名無し三等兵
06/04/17 20:29:02
>>60です
>>61
教えて頂きありがとうございました。ちなみに「やはぎ」は矢作かと思ってた…orz
また詳しい話わかる方よければ教えて下さい!
66:名無し三等兵
06/04/17 20:31:31
>>65
軽巡洋艦矢矧
URLリンク(hush.gooside.com)
67:名無し三等兵
06/04/17 20:34:58
昨日の特番でもちらっと出てきたな、矢矧。
泣いちまったよ。
68:名無し三等兵
06/04/19 22:10:18 JLTJId9s
おじさん(元陸軍大尉幹候上がり)から聞いた話ですごく印象に残っている話は復員船で、
散々目下の兵隊たちをいじめた意地悪な古参兵達がいじめられた兵隊達に荷物を海に放り込まれ、
さらにその古兵たちを海に落とそうとするのを何とかやめさせるのに大変だったらしい。
特に意地悪だった古兵は散々殴られて血塗れになって「お願いだ。許してくれ~っ」て叫んでいた
のを「てめえらなんか日本に生きて帰れると思っていやがるのか」って大学の柔道部
上がりの兵隊が散々受身をいれていたり、別の兵隊がスコップで顔を殴ったり。
食事の時はその古兵の分はなかったり。あるいはねずみの死体やゴミを無理やり食わせたり。
「もう戦争終わったんだから許してやれ」っておじが言っても一瞬はやめるけど目を離すと
すぐにリンチが再開だった。ある兵隊に「大尉殿だって初年兵時代はやられただろう。
自分達の気持ち分かるでしょう。」って真顔で言われたりしたそうだ。
69:名無し三等兵
06/04/19 23:30:17
じいちゃんは召集されて中国へ行って、食料担いだ馬を引く役をしたらしい。
子供や嫁さんいるから、さっさと帰れる仕事を選んだとかなんとか。
でも、必要だけど、馬鹿にされる仕事だったとのこと。
人づてに聞いた、すんごいあやふやな情報なんですが、
どんな仕事か、上記の情報で分かる方いらっしゃいますか?
70:名無し三等兵
06/04/19 23:41:22
いわゆる、輜重兵ですね。
輸送を軽視する日本軍では、「輜重兵が兵隊ならトンボチョウチョウも鳥のうち」と
揶揄されてました。
が、軍を支える重要な役割でした。
71:名無し三等兵
06/04/20 00:02:22
>>70
ありがとうございます。
もし、じいちゃんが生きていたら、いろんな話が聞けたかもしれないな
と、このスレを見て思う、今日この頃。
72:名無し三等兵
06/04/20 00:39:25
>>70
輜重輸卒、ではなかったか?
73:名無し三等兵
06/04/20 01:37:16
ぐぐってみたら、輜重輸卒でも輜重兵でも、
トンボも~のくだりはあるみたいです。
蝶々や蜻蛉が鳥になったり、電信柱に花が咲いたり、と
ろくな見方をされてなかったんですねぇ。
じいちゃん、戦争の話はしなかったけど、大変だったんだろうな。
74:名無し三等兵
06/04/20 02:05:24
「輜重輸卒が~」じゃないと語呂が悪いだろう。
75:名無し三等兵
06/04/20 08:27:36
>>68
こういう話も山ほどあるよな
お礼参りじゃないけど、やられて当然なことしてきたとはいえ
終戦まで生き延びたのに、同じ日本人に殺されるとは
夢にも思ってなかっただろうな
こういう場合、戦死扱いになるの?まぁ、「リンチで殺されました」とは
誰も言わないだろうけどね
76:名無し三等兵
06/04/20 22:07:27
>>69
うちの爺さんも戦時中は中国にいました。わたしはそこから興味を持って
当時のことをいろいろ調べたり、話を聞いたりして記録しています。
うちの地元(大分)の郷土部隊戦史の本から、輜重兵に関する記載を
下記のURLに転載しましたのでご参考までに。
スレリンク(korea板:301-304番)
77:名無し三等兵
06/04/22 13:15:21
うちの死んだ爺さんは元外務省系特務機関員。
シナの山奥の部落で現地人に化けて潜んでた。
何をやってたのかって聞いたら
「アーメンの宣教師と同じだよ。普段は保健衛生の指導がほとんどだった」
キリスト教宣教師と聞いて「花の慶次」の
カルロス神父を思い出した俺はアフォでつか?
78:名無し三等兵
06/04/23 02:57:52
>>76
ありがとうございます。
79:不知火
06/04/24 02:06:34 2vQuijdQ
私のおじいさんではないのですが、おじの父親が駆逐艦不知火の最後の
艦長でした。どなたか関係者いらっしゃいますか??
生存者はわずか3名だったそうです。
80:名無し三等兵
06/04/24 02:34:51 BE:237800197-
じいちゃんはビルマにいた砲兵で下士官だった
戦争軍事歴史に興味持つようになった2年前に死んだ
母親が小さいときにじいちゃんから聞かされていた
じいちゃんの戦争の結末しか話は知らない
もうちょっと早く興味湧いていればもっと色々なことが聞けたのに
81:名無し三等兵
06/04/24 19:56:50
このスレ好きなんだけど、身内に敬称・敬語を使う僕ちゃんどもが多くてたまにイライラする。
82:名無し三等兵
06/04/24 21:19:30
死んだ祖父から聞いた話。徴兵されて満州に行っていた兄が、病気になって
姫路の病院に入院していた。当時まだ少年だった祖父は、ゆで卵をたくさん作って
兄嫁と一緒に夜行列車で引き取りに行ったそうだ。衰弱しているであろう兄に食べさせようとした卵は病院の入口で全て没収されたって。
83:名無し三等兵
06/04/24 22:37:55
>>82
>卵は病院の入口で全て没収されたって。
防疫の関係でしょうね。食中毒はかなり恐れられていましたから・・・。
84:名無し三等兵
06/04/24 22:55:55
でも、その当時でのゆで卵没収は悔しいだろうなあ
85:名無し三等兵
06/04/24 23:54:30
昔、近所のじー様に海軍の白い服と肩章(紫の線があったと思う)
貰ったけど(今は行方不明です・・・)造兵って言ってた。
グルグルしたら下記のサイトに似た色と色がありましたが
どんな仕事をしてた方だったのでしょうか?
URLリンク(www31.ocn.ne.jp)
86:名無し三等兵
06/04/25 07:12:40
>>85
“ 造船 ” で『船を造る』という意味という様に、
“ 造兵 ” で『武器・弾薬等の兵器を造る』という意味になります。
製造管理だけでなく、新兵器の研究などもします。
87:名無し三等兵
06/04/25 21:20:49
>>85
> (今は行方不明です・・・)
探すんだ
そしてうpるんだ
88:名無し三等兵
06/04/25 23:00:46
>白い服
ただの煙管服だったりしてな
(それはそれで貴重w)
89:85
06/04/26 23:17:45
>>86
ご教授有難う御座います。
私の母親が、じー様が軍隊時代は良かった?
と言ってた事を記憶しています。
更にぐるぐるましたら、大尉でした。
新兵器・・・ひょっとしたらすんごい方だったのかな。
>>87
子供のころ貰った物で・・・いまごろ夢の島でしょうか。
この板見まして記憶しか残っていませんが、せめて故人の記録でも
判ればと思い書きました。
>>88
煙管服?ってどの様な物でしょうか。
白い学ランみたいな物でした。
90:名無し三等兵
06/04/28 18:56:49
>>85
本物で美品ならかなりの価値があると思われ。
死ぬ気で探せ
91:名無し三等兵
06/04/28 23:04:03
>>90
>かなりの価値がある
でもないでしょう。
92:名無し三等兵
06/04/29 17:52:09
>>91
馬鹿か、歴史的価値だよ
何でも金額で計るな
93:名無し三等兵
06/04/29 23:01:10 9ckQeEo5
この前は母方の田舎の爺ちゃんが死んで、
現代も防寒着として使っていた戦前のコートを貰った。
カーキ色でごわごわした硬いフェルトみたいな生地で出来ており
どうも軍用らしいとの事だが、爺様は足が悪かったので、
召集されていないから軍用なのか不明です。
コートの裾には昭和13年広種検定と書かれてあったけど、
これってサイズの事なのかな?
直田舎にはまだ当時の国民服もあるらしいので貰おうかと思ってる。
94:名無し三等兵
06/04/29 23:44:08
大陸にいたころ、空から女の子が落ちて来て、彼女を助けたところ、なぞの機関に追われて、(中略)
最終的に古代超文明の魔の手から地球を救ったらしい。
95:名無し三等兵
06/04/30 00:05:23 4H+/j/A8
>>94
空飛ぶ城か
96:名無し三等兵
06/04/30 00:24:49 AbE3nBiA
風の谷の豚だろ?
97:名無し三等兵
06/04/30 01:27:41 AbE3nBiA
あっ、今帰省中なんで、祖父が満州で撮った写真や、戦時中のアルバムなんかをうpしたいと思います。
98:名無し三等兵
06/04/30 01:41:49 7/dqvA9Q
どう考えても中国が世界の王になるよ。あと30年かからんだろう。
世界史上何度も何度も隆盛を繰り返せるのは中国だけ(必ずしも中華民族に限らない、あの地域にできる国がということ)。
多くの地域・民族が有史上1度は世界トップレベルになれるが、世界最高レベルの隆盛を何度も繰り返せるのは中国だけ。
ローマ帝国しかり、オスマントルコしかり、古代エジプトしかり、ソビエト連邦しかり、モンゴル帝国しかり、
アッバース朝しかり、大英帝国しかり、大航海時代のスペインしかり、こないだまでの日本しかり、ね。
このことは世界史上最大の謎といわれています。なぜ1度だけか?なぜ中国だけ例外なのか?
ちなみに日本史上最大の謎は、①あの天皇一家がなんで延々滅びもせず続いてきたかというのと、
②鎌倉時代になぜ新興宗教が一気に勃興したかの2点だそうです。
・・・中国が再び世界のトップになるのは歴史の必然です。おかしいことでもなんでもない。
日本が再びJAPANアズNO1になるのが希望薄なのも、同様に煽りぬきで歴史の宿命です。別に悪あがきもいいけどw
石原慎太郎とかって歴史に詳しいらしいけど、アホだよね。こういうダイナミックな長期の視点を知らずに、
わずかここ100年かそこらの短絡で中国を見下してる真性アフォ。
日本がここ100年だけ特に勃興した事がむしろ「異常事態」であって、中国中心できたアジアの歴史的な秩序を壊し、
この100年間の各種不幸や軋轢を招いているという見方の方がむしろ真をついてるんです。
日本はたった一度の機会を使い切ってしまったorz アーメン†~
※GDP世界2位は、既に日本ではなく中国です。
米CIAの各国経済力ランキングも、購買力平価GDPの方を採用しており、中国が2位。一方日本は3位で半分。
URLリンク(www.cia.gov) (内容は2005年の最新数値)
ページトップに「GDP」と明記されているのに注目。(purchasing power parity 購買力平価PPP)
今どき名目GDPの方を拝んでいるのは、日本ぐらいです。アメリカと欧州は購買力平価GDPが基準です。(wikipediaのGDPも参照)
数百年のスパンで大隆盛と、それがゆえの沈降・混乱期を繰り返す中国が、再び隆盛の時期に入ってきましたにょ。
99:↑
06/04/30 10:23:04
ハイハイ
じゃ次
100:名無し三等兵
06/04/30 11:01:28
>>98
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・) < はいはい中原の鹿中原の鹿
`ヽ_っ⌒/⌒c
⌒ ⌒
101:名無し三等兵
06/04/30 22:30:19
祖父の兄の話ですが、
・駆逐艦「白雲」に乗艦
・海軍陸戦隊員として上海事変にて従軍
・巡洋艦「衣笠」に乗艦
・一時退役の後再度召集されました。
・徳山で高射砲の指揮官?だったそうな
・外地転勤(詳細不明です)。雑役船で移動中撃沈され戦死。最終階級上等兵曹?だそうです。
102:名無し三等兵
06/04/30 22:47:44 pPymp3UT
自分の祖父ではないが、先日知り合った老人から
色々な話を聞いたその帰り際に帽子を頂いた。
歴史的なものを俺なんかが頂くのに躊躇したが是非にというので預からせて貰った。
帽子の裏に消えかかっているが土浦海軍航空隊と書かれてある
やっぱり返そうかと思うんだがどうしよう
103:名無し三等兵
06/04/30 22:51:04
>>102
そのご老人の気持ちなんだから、しっかり受け止めてやれよ。
不吉なことをいうようで申し訳ないが、そのご老人もそれほど長くはないだろうし、
理解のない遺族によって処分されてしまうことの方が怖い。
104:名無し三等兵
06/04/30 22:53:46
>>103
そうか、ありがとう。
その人は当分お迎えには縁がなさそうなほど元気なんだけどなw
105:名無し三等兵
06/04/30 22:56:04
>>104
それは何より、また訪ねていって、いろいろなお話を聞かせてもらってきてくれ。
本人の了承が得られたら、ここでもその一端を披露してもらえるとありがたい。
106:名無し三等兵
06/04/30 22:57:48
うん了解。今度会ったらそうさせてもらう
107:名無し三等兵
06/05/01 00:58:50
うちの母親の叔父、地主の息子で慶応大学に在学中に召集
大学生だったんだけど兵卒として銚子の海岸にいた部隊に配属され、
毎日塹壕や蛸壺掘ってるうちに終戦になったそうだが、
所属していた部隊では百式短機関銃が結構な割合で配備されてたそうな。
108:名無し三等兵
06/05/01 01:35:04
憲兵で中国大陸へ行く航空機を護衛して上海で終戦したこと以外不明。
飛行帽、軍刀、拳銃、ブーツ、写真が家にあるらしいが
婆さんが捨てたかもしれず行方不明。
もう一人の爺さんは広島の原爆の片付けに行った。
婆さんは遠くの空襲の火がみえて怖かったこと以外つらかった
ことはなかった。
109:名無し三等兵
06/05/02 20:39:34
私のおじいさんのお父さんの時代に日本はアメリカと戦争したそうです。
ちょっと信じられない。おじいさんのお父さんは兵隊さんで硫黄島というとこで戦ったそうです。
それ以上わかりません。
110:名無し三等兵
06/05/02 22:21:11
>>109
信じられないかもしれませんが本当なんですよ。
硫黄島ですか。
凄まじい戦闘が行われた所です。
111:名無し三等兵
06/05/02 22:54:31
>>109
URLリンク(www.iwojima.jp)
112:109
06/05/02 23:34:23
何で友好国のアメリカと戦争したのですか?
私のおじいさんのお父さんは右腕が無かったです。
戦争で失ったのかなぁ?
5年前のお葬式のときに棺に右腕代わりだと
おじいさんがダンボールと包帯で腕を作り
一緒に火葬しました。詳しいことはおじいさんに聞きます。
113:名無し三等兵
06/05/02 23:40:32
世代を重ねる大東亜戦争のことは燈し火に変わるんだね。
淋しいけど伝えようよ後世に。
114:109
06/05/02 23:43:54
大東亜戦争って韓国と北朝鮮の戦争ですか?
115:名無し三等兵
06/05/02 23:48:50
>>112
釣りじゃないのなら、中学校の教科書を読み返せ。
116:名無し三等兵
06/05/02 23:49:35
つ)大東亜
満州事変って知ってる?
ノモンハン事件って知ってる?
シンガポールやカムチャッカ半島が日本領だったってしってる?
北海道の北の島も日本領だったって知ってる?
半島は無視して良いけど。
117:名無し三等兵
06/05/02 23:50:52
>>114
URLリンク(ja.wikipedia.org)
118:名無し三等兵
06/05/02 23:51:15
おまいら、釣られすぎw
119:名無し三等兵
06/05/02 23:52:18
>>116
いや、シンガポールもカムチャッカ半島も日本領だった事ないし
120:109
06/05/02 23:52:27
中学に入ってからじゃ遅い気がするので
GW中におじいさんに聞きます。
121:名無し三等兵
06/05/02 23:56:30
>>119
シンガポールは昭南市。カムチャッカ半島にも日本の軍港があった。
たしか幌むしり?樺太生まれの親父から聞いた。
122:名無し三等兵
06/05/02 23:59:32
>>121
幌蓆のことだったら、カムチャッカではなく千島だが。
カムチャッカには日本の軍港なんてねえよ。
123:名無し三等兵
06/05/03 00:03:37
カムチャッカ半島に日本の軍港は有ったよ。
幌糠?か、幌尻だったような名前。そこかからキスカ・アッツに攻め入ったんだ。
昭南市は俺でも知ってるさ。
124:名無し三等兵
06/05/03 00:06:54
自作自演でないとすれば、カムチャッカと千島の区別が付かない馬鹿が二人もいるのか。
125:名無し三等兵
06/05/03 00:17:21
カムチャッカに日本の軍港はありましたよ。
3人目w
一分千島列島はロシア領です。榎本武揚が特使でその仕事しましたね。
カムチャッカの軍港から、キスカ・アッツでしたね。その通りです。
>>124馬鹿とは言わないが勉強不足です。
126:名無し三等兵
06/05/03 00:27:34
頼むから日本語で書いてくれ。
カムチャッカが日本領だったことは一度もない。
127:名無し三等兵
06/05/03 00:35:04
カムチャッカに大日本帝国の軍港はありました。
カムチャッカそのものは領土では無くとも(半分領土のときもありました)条約でロシアが日本の軍港を
駐屯することを許諾しました。
128:名無し三等兵
06/05/03 00:37:46
もしかしてカムチャッカと樺太と千島の区別が付いてないのか?
129:名無し三等兵
06/05/03 00:45:53
付いてると思うよ。
俺の中学校の資料集にも当時、日本の勢力地図1982年度版にも
カムチャッカの南半分が黄色。樺太の南半分が日本と同じ赤。
北半分が黄色で記されてる。
130:名無し三等兵
06/05/03 00:50:03
あっち(北の方)は不明確な領土線だったからしょうがないんじゃない?
131:名無し三等兵
06/05/03 00:52:12
引っ込み付かないのはわかるが、いい加減間違いを認めればいいのにw
132:名無し三等兵
06/05/03 00:54:50
昭南って戦時占領下では?
戦時占領も日本領って言うんですかね。
やっぱり領有権の問題だから戦時占領では日本領とはいえないのではないかな。
あとカムチャツカと樺太と千島の区別はついてないっぽいけど・・・
カムチャツカですよ?
千島列島よりも先ですけど・・・
133:121
06/05/03 00:55:53
樺太では日本人の牧場内でソ連兵が演習していました。
満州みたいに5族とは言わないが、共存していたのは間違いないです。
満州で生まれた父から聞きました。
134:121
06/05/03 00:58:07
133訂正
樺太で生まれた父です。
135:名無し三等兵
06/05/03 00:58:42
>>121
おぃおぃ
親父さんは樺太生まれじゃなかったのかい?
父方と母方で樺太と満州ですか?
136:名無し三等兵
06/05/03 00:59:24
>>133
それは樺太(サハリン)だろ?
南樺太が日本領だったのは確か。
しかしカムチャッカが日本領だったことはない。
137:121
06/05/03 01:28:59
怪しくなってきたな。本人に聞いて見るしかない。
樺太はロシア人も住んでいたことは間違いないのは、父さんの母親からも聞いてる。
カムチャツカの問題だな。
138:名無し三等兵
06/05/03 01:29:45
>>137
カムチャッカが半島なのはわかってるよな?
139:109
06/05/03 01:38:11
ほんとに日本とアメリカは戦争したんですか?
140:名無し三等兵
06/05/03 01:39:32
>>139
しました。昭和16年(1941年)12月8日開戦、昭和20年(1945年)8月15日敗戦。
141:121
06/05/03 01:39:40
ロシアとも戦争しました。2回。
142:名無し三等兵
06/05/03 01:41:25
>>137
聞くまでもねえよ、カムチャッカに日本の軍港なんて存在したことはない。
日露戦争のあと、沿岸の漁業権は獲得したが、軍港を置く権利なんて得ていない。
143:121
06/05/03 01:44:50
>>147
そうだね。幌むしりググッテおかしいと思った。
144:109
06/05/03 01:46:23
何でアメリカが攻撃してきたのですか?
145:名無し三等兵
06/05/03 01:48:00
>>143
多分それは千島列島の幌筵(ほろむしろ又はパラムシル)島のことだと思う。
上の方でアッツがどうとかって書いてあったが、アリューシャン攻略作戦の起点になったのはここだし。
146:名無し三等兵
06/05/03 01:48:13
>>144
逆、日本から攻撃した。
147:121
06/05/03 01:48:25
>>142
だった。
148:109
06/05/03 01:52:13
>>146
何でですか?自衛隊は専守防衛と聞きましたが。
149:名無し三等兵
06/05/03 01:54:15
>>148
その頃はまだ自衛隊はないし、憲法も今のと違う。
大日本帝国という国名で、陸軍と海軍を持っていて、外国と戦争ができた。
150:109
06/05/03 01:57:27
国名は知ってます。軍隊を持っても戦争してよかったんですね。
なら、韓国と戦争になりそう。
151:名無し三等兵
06/05/03 01:59:39
>>150
その頃の韓国は日本領。
つか、ここは歴史のお勉強スレではないのだが。
派生議論スレ4
スレリンク(army板)
にでも移動しようか?
152:109
06/05/03 02:01:43
スレチガイですいません。も少しロムして勉強します。
153:名無し三等兵
06/05/03 02:04:21
>>152
何年生だ?
154:109
06/05/03 02:06:31
3年生です。
155:名無し三等兵
06/05/03 02:08:30
まだ日本の歴史とか習ってないのか
その割には2ちゃん用語には詳しいなw
156:109
06/05/03 02:10:44
2ちゃん用語って?何ですか?
157:109
06/05/03 02:12:56
防衛大学目指してます。チラシ裏ですが。
158:名無し三等兵
06/05/03 02:18:35
チラシ裏wロムwスレチガイw
159:名無し三等兵
06/05/03 02:26:37
ここはひどい釣り堀ですねw
160:名無し三等兵
06/05/03 03:00:50
>>157
小学三年生だよな?
まさか、中学や高校の三年生じゃないよな?
161:名無し三等兵
06/05/03 04:01:44
藻前らもちつけ、四季折々に春厨や夏厨などがいるが
ゴールデンウィークにも当然GW厨がいてもおかしくはない。
109はGWに2chデビューして浮かれているんだから
生暖かい目でヌルーしてあげよう。
162:名無し三等兵
06/05/03 05:50:09
干涸びたイソメ以下のえさですな
163:名無し三等兵
06/05/03 09:30:19
小学生をいじめるなw
164:109
06/05/03 11:25:57
やさしく教えてくれた人、ありがとうございました。
おじいさん、おばあさんにアメリカとの戦争の事聞いたら
驚かれました。
私が興味を持つことがに不思議だった見たいです。
おじいさんのお父さんが硫黄島で戦ってるとき
おじいさんは疎開してたそうです。
おばあさんはまだ生まれてなかったそうです。
2chデビューは小学2年で去年です。
軍板見たのは昨日がはじめてです。
釣りになってすいませんでした。
165:名無し三等兵
06/05/03 11:29:10
俺が小三のとき、筋肉マン消しゴム集めていたが最近の子はませてる。
カリビアンコムとか見てるのかな?
166:名無し三等兵
06/05/03 11:35:50
>>165
俺は漢字読めない幼稚園児の頃から『戦場まんがシリーズ』見てて軍ヲタでしたがなにか?
(読む、ではない/漢字読めないもんねw)
167:名無し三等兵
06/05/03 12:06:58
>>166
俺も幼稚園児のとき、共産党事務所にインティファーダしてたがなにか?
168:名無し三等兵
06/05/03 14:16:32
>>167
嫌がらせで泣き喚いたり、う○こ漏らしたりしてた訳か...
169:名無し三等兵
06/05/03 14:53:33
俺も小1のころ、学研漫画日本の歴史を読んでたっけ。
ヒトラーがかっこよく書かれてたの覚えてる
170:名無しさん@そうだドライブへ行こう
06/05/03 15:02:27
>>168
公明党の選挙ポスター貼った家などは、ピンポンダッシュしたが。
いたずら書きもした。幼稚園時代。なつかしい。
171:名無し三等兵
06/05/03 15:25:01
>>170
俺は選挙ポスター落書きで幼稚園のころ逮捕されたw
警察署の廊下で捕縛された犯人とすれ違った時にはマジ泣いた
スレチスマソ
172:名無し三等兵
06/05/03 20:11:08
>>164
小学校2年生だと戦争世代は曽祖父曾祖母になるんですね。
おじい様おばあ様から話を聞いたら、また軍板へおいでください。
173:名無し三等兵
06/05/03 21:26:10
>171
詳しくw
174:名無し三等兵
06/05/03 22:42:11
>>171
園児が逮捕されるなんて・・・いったいどこの国だ?
175:名無し三等兵
06/05/04 01:07:53
アニメンタリー決断見て軍ヲタになったのはおらんのか
176:名無し三等兵
06/05/04 09:06:46
>>164
防衛大学入れるといいな!応援してるぞ!
177:名無し三等兵
06/05/04 09:08:07
戦争の話とは、ちょっと違うけど
俺の親父は、戦前、ブラジルで生まれた。
戦争が始まってから、船で、日本に来たらしい
戦争中にどうやって、ブラジルから日本に来れたのか?と疑問に思い
戦前じゃ無いのか?と、聞いても「戦争が始まってからだ」と
言い張っていた。親父は去年、亡くなったのだが
あの戦争の最中、日本の船が単独?で太平洋を横断出来たのだろうか?
因みに戦中は岐阜に住んでいた。
178:名無しさん@そうだドライブへ行こう
06/05/04 09:24:05
>>177
戦中ブラジルから日本にこれましたよ。
ブラジルが汚いのは、日本が無条件降伏する寸前で敵国宣言したことです。
179:名無し三等兵
06/05/04 17:37:05
>>178
有難う御座います。レスが遅れてしまい御免なさい・・
180:名無し三等兵
06/05/04 21:35:22
沈められなかったのは、ブラジル船籍だからジャマイカ。
181:名無し三等兵
06/05/05 10:19:23
うちの爺ちゃんは大学進学で徴兵免除。
学徒動員がかかる前に予備士官に志願して、
主計課少尉として任官。
内地の空襲が激しくなる頃には満州にいて、
ソ連が満州に侵攻してきたときには日光の山奥で
本土決戦用の物資の管理を担当し、その地で終戦。
戦争中も敵兵はおろか敵機もろくに見たことが無いという、
とてつもない強運の人。家族も栃木の片田舎に住んでいて、
これといった戦災はうけていない。
しかも、戦後は基地の物資をトラック一台分、トラックごとがめて、
戦後の食糧難もなんなくのりきったw
182:名無し三等兵
06/05/05 19:11:52
10年以上前に他界したうちの母方の爺ちゃんは、
体に戦争に行った時の銃弾の痕があった。
(幼い時一緒に風呂に入って、「ホラここだよ」ってニコニコしながら教えてくれた)
また、幼い頃、お正月のあいさつ回りに、爺ちゃんの友達とその家族が
来てくれたのを、ちょっと見かけたことがある。
その男の人は、足が一本義足(というか一本の棒)になってて、松葉杖をついていた。
(自分はそれを初めて見てビックリして怖くて(なにぶん子供だったので…)
すぐに引っ込んでしまった)
今思うと、あの男の人はもしかしたら爺ちゃんの戦友で、
足を一本無くしたのは戦争のためだったのではないかと思う。
爺ちゃんの子供である母や叔父は、戦争体験を全く聞かされていない。
本当に何も知らないし、興味も無いみたいだ。
自分が「爺ちゃんはどこに出征したのか?海軍だったのか陸軍だったのか?」などと
尋ねると、逆に、「どうしてそんなことを知りたがるのか」と
すごく不思議そうにされて、なんだか恥ずかしい思いをした。
婆ちゃんも他界してしまったし、戦争に関する遺品も残っていないし、何も手がかりは無い。
183:名無し三等兵
06/05/05 19:12:28
>>182の続き…
このスレを前からずーっと読んで、辛い体験をした人程、
それを語りたがらない傾向にあることが分かった。
もしかしたら爺ちゃんが自分の子供に戦争体験を語らなかったのは、
語りたくないほど辛い体験をしたからかもしれない。
それか、自分の母はバリバリの共産党員wなので、
娘に冷たい目で見られるのがいやで語らなかったのかもしれない。
どちらの理由にしても涙が出てくる。
またこのスレで、「軍歴証明書」なるものを取り寄せれば、
ある程度爺ちゃんの軍歴を知る事ができることも分かった。
それを取り寄せてみたいけど、なんとなく、爺ちゃんの過去を勝手に
暴くような気もして踏み出せない。
爺ちゃんから直接話を聞く事ができたこのスレの住人達がうらやましい。
私は爺ちゃんがどこで何をしたのかまったく知らない。
でも爺ちゃんが日本を守るために体を張って戦った事は知っている。
それでいいかな。
でもいずれ、詳しいことを調べてみたいな。
長いチラ裏スマソ
184:名無し三等兵
06/05/06 07:07:20 xqeX+HXP
>>183
ここに書かずとも
調べておいた方がいいんじゃない、
家族としてそう言った記録は知っておくべきだと思うぞ
誰にも知られず埋もれていくのも、寂しい話だし。
185:名無し三等兵
06/05/06 09:28:04
おれの戦争体験
鼎 鼎 鼎 鼎 鼎
鼎 鼎 鼎 鼎 鼎
鼎 鼎 鼎 鼎 鼎
鼎 鼎 鼎 鼎 鼎
・ ・
・ ・
凹 □ _ □ □
凸====
186:名無し三等兵
06/05/06 09:29:33 6+a4nFi7
時系列は別として、、、。
台湾、沖縄、スマトラ、フィリピン、ルソン等々と渡り歩いたそうな。
輸送機にて、スマトラから台湾に戻る途中、
アメリカ軍の戦闘機に撃墜されたそう。
んで、パイロットは最後まで操縦桿を離さず、乗り込んだ乗員を救うために
海に着水させて飛行機とともに、沈んでいったとの事。
んで、爺さん含め10名近くは、輪になって海に浮いていて
通りかかった漁船に助けられて、台湾に無事に戻ったと。
あと、クリスマスの日にゃ、米軍も日軍も、空に向けて
テッコウ弾?を打って、互いに祝ったとの事。
凄く、綺麗やったね~と言ってたねエ。
しかし、現在、病院に入院していて、
昔の出来事と現在が入り交じっているらしく、
「薬莢がそこに3発ある!早く持ってこい」「フィリピン人(ゲリラ?の事か)は怖い」
「後から撃たれるのが一番、嫌だ」「みんな、分かっていたんだよ」などと、うわごとを聞くと、
やっぱ戦争ってのはトラウマに残るものなんだとオモタ。
戦後、トラウマが残っていても、声を大にせず、静かに生きてきた元兵隊さん達に感謝。
187:名無し三等兵
06/05/06 11:46:53 YcmGDyS+
age
188:名無し三等兵
06/05/06 13:32:00 ZyljHVKO
ちなみに、北海道と京都、奈良の一部は空襲を受けていないので、逃げるにはもってこいとの体験談です。
189:名無し三等兵
06/05/06 15:20:12
近所のじっちゃんが「ワシは昭和17年から海軍飛行隊の搭乗員になって
終戦まで生き残って全部で4機撃墜したんじゃ。何回か特攻任務も与えられたが
そん時は全部悪天候か敵が見つからんで生き残ったんじゃ。」
と言っております。4機って凄いんですか?
190:名無し三等兵
06/05/06 15:28:36
>>189
一般的に5機撃墜するとエースの称号が与えられる、
その一歩前でも17年から生き残ってるんだから結構凄いと思うぞ。
しかし、4機の撃墜機の内訳が何なのかも気になるな?
191:名無し三等兵
06/05/06 15:35:11
>>190
詳しくは知らないんですが、ある時編隊で爆撃機(一式陸攻?)を護衛してたら
ひょっこりコンソリ(なにこれ?)が一機で表れてそれをじっちゃんが襲ったら
運良くコクピットに弾が当たってそのままきりもみ状態で落ちていったとか。
192:名無し三等兵
06/05/06 15:49:49
>>191
多分コンソリデーテッドPBYカタリナ飛行艇か、
B24リベレーターの事だと思う。
大型機1機撃墜確実みたいだね。
193:名無し三等兵
06/05/06 16:22:07
うちのじいちゃんは戦死しちゃったから聞けないし、ばぁちゃんは戦時中食い物に
困った話ぐらいしか話さなかった。最近家の中の整理をしててじいちゃんの写真
や手紙を発見。じいちゃんは支那派遣軍で色々大陸を渡ってるみたい。
輜重兵だったらしく、s15年頃の写真には野球大会や綱引きしてる写真があって
賞品はビールだった。他の兵隊さんと違って後方にいるからか、みんなで撮った
写真もなんかほのぼのしてる感じ。 日本軍は支那で色々悪いことしたと
いう人もいるけど、じいちゃんは支那の人から書を書いてもらってる(じいちゃんの名前入り)。
一つは山西省、もう一つはなんとか陽懸の人。けど達筆すぎて自分では判読不能。
あと般若心経を書いた掛け軸ももらってる。なんでだろう?
ばぁちゃんが入院した時、自分の兄貴の顔見て死んだ弟の名前を呼んで泣いたことが
あったけど、その場にいたばぁちゃんの妹は驚いてた。ばぁちゃんが泣くのを初めて
見たらしい。自分の夫は船で戦死、ばぁちゃんの姉の夫も戦死、妹の夫はニューギニア
弟1はガタルカナル、弟2もどこかの海で戦死。ダメダメ長男だけが生き残ったってさ。
194:名無し三等兵
06/05/07 00:45:48
ウチの実家のおじいさんの話ですが・・・
36師団224連隊の機関銃部隊の中尉でした。
ニューギニアで終戦を迎え、昭和21年に帰還。
細かい軍歴を書くと異様に長くなりますが・・・
需要アリですか?
とりあえず印象に残った話
・92式重機関銃は異常に重かったが、俺は中隊長だったから持たなかった。
・ニューギニアで初めてブルトーザーを見てびっくりした・・・(米軍の)
・昭和18年の中国戦線で知り合いになった、アメリカ生まれアメリカ育ちの日本兵(軍曹)に「日本は負けるよ。」と言われた。
それでウチの祖父は「生まれ育った米軍と戦うのは忍びないから軍医にかけあって残留手続きしようか?」といったそうですが、
「日本に戻り、中隊長らと友達になり、いまさら離れるなど考えられない。」というような事をいったそうで、ニューギニアにともに向かったそうです。
祖父は「アメリカ育ちでも心は真の日本兵」と言っていましたが、ニューギニアの入江山?の防衛中に戦死されたそうです。
・中国の共産党軍や国民党はネズミで日本軍はネコ、米軍はトラや獅子だと思った。
・機関銃部隊は重宝がられるし、需要があったため大体、転属が多く、ウチの爺さんも千葉出身だが、東北の部隊に回されたとの事。(32師団→36師団)
いくつかあげてく上で、コテハンにした方がいいでかねぇ・・・
195:名無し三等兵
06/05/07 00:48:48
興味深い話ではないですか。
しかし、日系一世の人を一兵卒にしておいたのは勿体無いですね。
196:194
06/05/07 01:06:19
194です。
今日、GWだったので実家に行ってました。
じい様は、「どんなことでも後世に語り継ぐべき。」と行ってじい様の町の人たちの戦争体験記をまとめた
本をくれました。(じい様は20pにもわたりかいてあります。)
今その本が手元にあります。
それをみると、どうやらその軍曹の父君はアメリカにのこったようで、その軍曹のみひとり山形に帰ってきたそうです。
軍曹の父君が「アメリカの兵隊になるより日本に帰って日本の兵隊になれ」と言ったそうです。
階級は軍曹のままでしょうが、どうやら「重機分隊長」をしていたそうです。
・・・ちなみにこの本買えるのかな??
一応ISBNコードがありますが、発行元が爺さんの地元の睦沢町教育委員会なんですよね・・・
195様へ
日系一世は通常は士官以上なんですかね??
197:名無し三等兵
06/05/07 01:17:13
>>196
>日系一世は通常は士官以上なんですかね??
あ、そのような意味ではなく、対米戦に疎い陸軍としては貴重な情報提供者になりえたのでは?
という意味です。捕虜の尋問なども出来ますし。
198:194
06/05/07 01:36:20
>>196
なるほど!!
そういった所での価値ですね。
米軍捕虜の話は聞かなかったですが、米兵を一人撃った後リュックサックを奪ったそうです。
中に「牛肉とポテトの煮込みの缶詰」、「コーヒービスケットの缶詰」、「大きな分厚いチョコレート」があったそうで、
みんなで少量ずつわけあったそうです。
かなり美味かったらしいです。
199:194
06/05/07 01:37:17
ぐわっ
アンカーミス!!(>>198)
>>197でした。
200:194
06/05/07 01:48:06
ウチのじい様を始め、町内の方々の戦争体験をまとめた本??
其の中の他の方で
「武蔵でレイテ作戦に」(第2集)
「ミッドウェイ海戦で空母が撃沈されるのを見た」(第2集)
「秋水の開発に関わった」(第3集)
等
軍版的におそらく「イイ」的なものがありました。
まだ全部見ていないので・・・
一応
ISBN4-944093-19-1 C3021 P1000E(第2集)です。
1000円なのかな??
第3集まであるようです。自分の手元には第1集が無い状態です・・・
睦沢町歴史民族資料館に問い合わせれば買えるのかな???
電話番号上げてもいいのかな・・・
201:名無し三等兵
06/05/07 02:14:49
まあ、こういうところでリンクを貼る方もいますから問題ないでしょう。
なかなか貴重な体験談が載っていそうな本ですね。
202:194
06/05/07 02:46:07 hC+rVHYs
んでは
「睦沢町民の戦争体験」
編集元:睦沢町立歴史民俗資料館
URLリンク(www.town.mutsuzawa.chiba.jp)
発行元:睦沢町教育委員会
Tel:0475-44-2509 FAX:0475-44-1729
ホントはじい様のところだけ詳細を書きたいですが、文章をまとめる能力が・・・
203:名無し三等兵
06/05/07 06:09:38
うちのじいちゃんは北支派遣軍岡田中隊だったかどこやらかにいて中原作戦に参加したそうな
そこでの話は聞いてて非常に鬱になる話だったから割愛するが
その後の仏領インドシナでのハノイかどっかの基地攻略戦ではハリウッドもびっくりな戦果を上げたようである
でその内容というのは
四万の敵軍がこもる基地を二千の日本軍が包囲した
昼間に直接攻撃したら負けることは明白だったため夜間攻撃をすることになった
で各小隊から10人ずつ志願してそれを二つに分けて特攻隊(後の神風じゃなく特殊部隊みたいなものらしい)を編成した
基地に五人で一列に並んで侵入、最後尾の一人が基地の敷地内に入ったところで打たれて倒れた。
その時祖父は前から二番目。で目的に建物に近づく。まずは四人中二人が正面から建物の正門にダイナマイトを
仕掛けるために突撃。しかし失敗。二人は戦死
そこで正面から近づくのは不可能と見た祖父はぐるりと建物の周りを迂回するようにして正門に接近ダイナマイトを
仕掛けて見事正門破壊成功。
そして二人で背中合わせで基地内に潜入。基地内には臆病穴とよばれる銃丸が無数にあいていたが。どこからも銃撃なし。
で指揮官がいると思われる部屋を発見。扉の上の臆病穴から敵将校を確認。手榴弾を2つ臆病穴から押し込んで離脱。
爆発が起きドアが破壊されると戦友に背中を守ってもらいながら、現地語で「ここは日本軍が包囲した。逃げ場はないから降伏しろ」
みたいなことをいったら敵指揮官(中佐)が降伏。(実際は包囲はしていない)でその指揮官をつれて建物から脱出。捕虜を後ろ手で縛るとうまく走らせることができないので
前でくくってはしらせたらしい。建物を少し出たところではったりに気づいたのか敵が撃ってきた。戦友が倒れる。祖父は必死で走りぬいて
生還することができた。しかも敵の中佐というおまけ付き。
最初は作り話かと思ったがうちの呆け老人が何度も何度も同じこと繰り返し話すのはやっぱり実体験してるからだろうか。
駄文スマソ
204:203
06/05/07 06:19:53
その後はなんかほのぼのしてる
サイゴンでバナナ買おうとお金出したら現地民が木を丸ごと一本切り倒して
もって帰れといわれたとか
自称山田長政の子孫のちょんまげ現地民酋長に俺が守ってやるから軍隊やめてここで住めといわれて
大あわてで断ったとか
憲兵の人が入院したから予備憲兵に抜擢されて周りからうらやましいといわれたとか
歩哨にたってたら幽霊が出て調査したところ妊娠中に撃たれて生き埋めにされた女の人の死体が見つかって
あまりに気の毒だから隊のみんなで供養したら出なくなったとか
あとじいちゃんの話を聞いてるとびっくりするのが、じいちゃん含む歩哨にたってた兵隊さん全員マジの幽霊見たのに全然怖くなかったらしい。
鉄砲持ってる敵兵と先任ビンタの方が怖いとのことらしい。
205:203
06/05/07 06:24:15
こうやって書いてるとじいちゃん、ほんとに日本のために体張ったんだなって思う。
腕撃たれてるし、爆弾の破片受けてるし。
呆け老人なんて書いてごめんよ(つnT)
206:名無し三等兵
06/05/07 09:10:30
>>204
そういうのみるとさ、ベトナムが日本軍に食物を供給したせいで、餓死者が出たってのは、
やっぱり共産勢力のプロパガンダなのかな?とか思うんだけどね。
207:名無し三等兵
06/05/07 11:53:05 4xNVqPGI
死んだ叔父は海軍にいた。
たいした艦じゃなかったらしいが、2回もボカチンを食らったのに
まったく無傷で救助された。
子供の頃は「船が沈んだら泳げば助かるに決まってるじゃん」と思ってて、
これがどれだけの体力と幸運が必要なことか分からなかったよ。
208:名無し三等兵
06/05/07 14:11:47
うちの爺さまは満州の奉天守備隊所属。職業軍人として騎兵科に入り、最終階級は中尉。
戦闘経験は匪賊討伐とノモンハン事件。連隊長が極楽トンボだったので苦労したらしい。
爺さま自身は真面目な人だったけど、騎兵ってのはとかくプライドが高くて向こう見ず、洒落っ気が多くて
振る舞いが派手だったので、歩兵科なんかからはあまり好かれてなかったとか。
で、爺さまは兵科対抗の剣道大会でナントカ流の達人を破って表彰状をもらったりして、一目置かれてたらしい。
匪賊討伐やノモンハンでの戦闘の詳細については退屈だろうから省く。軍歴の最後は終戦間際のソ連軍満州侵攻。
ロスケが裏切りやがったと毒づいてから、まず民間人を避難させ、次に自分の家族を、最後に自分自身が逃げてきたとのこと。
今90歳だけど、もう一度満州に行って馬を走らせてみたいと言ってる。でも婆さまがいい歳して戦みたいことはやめろと
止めてるので、今のところ実現してない。
209:名無し三等兵
06/05/07 15:13:17
”睦沢町民の戦争体験”のことを睦沢町立歴史民俗資料館に問い合わせてみました
取っておいてもらおうと思ったのですが、曰く「取り置きしなくても大丈夫ですよ」とのことでしたw
来週の土日に突撃して3冊ともGETするつもりでおります・・・たのしみだー
210:名無し三等兵
06/05/07 15:15:59
爺さまの話……と言っても、戦争経験と言えばカボチャ持ってて
捕まったぐらいです。
ただし、父親が大阪に出稼ぎに行って、空襲で死んだそうです。
破片?が肩から腰に貫通したとか。で、佐藤栄作首相の時に
戦死者全員に勲章を渡すというのがあってその勲章はあります。
ちなみに、爺様の母親が遺族年金をもらっていたせいで、爺様は
ろくに働かず、婆様がずいぶんと苦労したそうですorz
211:名無し三等兵
06/05/07 17:08:52
ただし、婆様には戦争経験はありまして……。
昭和二年生まれ。終戦しばらく前に勤労奉仕で兵庫に行くところ、
家の手伝いができなければ困るということで
町で女工を斡旋していた人に頼み込み、地元の工場で
ボルトを作る作業ができることになりました。
ちなみに兵庫の工場では待遇が悪く、食事もあまり出なかったとか
いう話を聞いていたそうです。これはうわさで、真偽のほどは分かりません。
さて終戦間際、空襲警報があり近くの竹林に逃げたそうです。
最年長で班長を任されており、逃げ遅れた者がいないか
確認していたため、避難が最後になりました。そこを
艦載機のグラマンに機銃掃射されたそうです。
バリバリバリという音で、ものすごく怖かったというのを今でも覚えているとか。
もっとも、そのときの艦載機は双翼機だと言い張っております。ありえないんですけどね。
212:名無し三等兵
06/05/07 17:10:09
もう一つは、隣町に行ったときの話で、当時の国鉄は乗る人の数が決まっており、
切符を売り切ると窓を閉められたそうです。夕方で渡し船もなく、
仕方なしに鉄道の鉄橋を友人と渡って帰ることになりました。
そこで汽車が来て、作業員用の足場に移動して汽車をやり過ごそうとしたときでした。
米軍機が現れ、汽車に機銃掃射を仕掛けたのです。
鉄橋の柱にしがみつくしかできず、ものすごく怖かったそうです。
もちろん友人共々無事でしたが、汽車がどうなったかは聞いていません。
二度も機銃掃射を受けて生き延びられ、ものすごく運がよかったと言っております。
灯火管制やら電力不足で、灯りを手元にまで持ってこないと針仕事もできなかったとか
(電力不足は戦後かも)いろいろ大変だった話は聞いています。
芋のツルを食べるのはデフォルト。カボチャの種がおやつだったという話も
聞きました。
ちなみに、近くに南京戦に参加した人がいます。
南京では酷いことをした、と言っていたようです。
酷いことの中身は知りません。聞きたいのですが、
本人が忘れたいらしいので、無理には聞けません。
あまり親しくもありませんし。
ところで遅レスですが。>>45のお話、英軍ではなく蘭軍ではないのでしょうか。
213:名無し三等兵
06/05/07 17:56:26
>>211
双翼機って何か分からんのだが。P38じゃなくて?
日本侵攻時、イギリス軍が軽空母を派遣していたらしくて、
シーファイアが撃墜されている。
ソードフィッシュ(複葉機)が搭載されていても不思議はないんだけど。
214:210,211,212
06/05/07 18:32:40
>>213
失礼いたしました。複葉機です。上下に二枚羽根があった、と申しておりました。
以前初心者スレで質問したことがあるのですが、
シーガルなる複葉機を米軍も所持していたらしいです。
ところが私の祖母が襲撃された場所は京都府南部なんですよ。
いくら末期でもそこまで複葉機が来るのか? 角度で尾翼と主翼が
二枚になっていたように見えたのじゃないの、という答えでした。
沿岸部ならあり得る話なんですけどね。>複葉機
215:194
06/05/07 19:04:53
>>209
おおっ
買えるんですね?
お気をつけて向かってください。
お昼に行くのであれば資料館の近くに、大通りから見にくいですが、
「中村寿司」という寿司屋が安くて美味いと評判です。
すいません・・・スレ違いですね。
じい様の手記のなかに、「P軽爆」という言葉があるんでうSが・・P-38ですかね?
じい様曰く「双発で、10発爆弾落とした後、機銃掃射していく」と言ってました。
>>191
ウチのじい様も「コンソリデットの哨戒機」と言ってました。
216:213
06/05/07 20:55:56
>>214
シーファイアの撃墜は千葉だったと思うからイギリス軍ではなさそう。
角度上の見え方や記憶の変化かもしれんね。
ただ東京方面に飛来した艦載機はまちがって長野の方まで迷い込んだ
というから艦載機が来たのは沿岸部だけとも言えない。
東京方面に行く攻撃機は琵琶湖を目標に飛び、
琵琶湖を起点に各地方に行ったらしい。ただし大型機の話だけど。
だから航空機はそれなりに見た地域だと思う。
>>211
>兵庫の工場では
おそらく噂。配給制度だったから、そんな事はないはず、と思いたい。
兵庫は中小の工場が多い地域だが、部落があるから
悪いイメージと噂があったのかもしれんね。
「サーカスの人さらい」が素朴に信じられていた時代だから、
その手の噂がまことしやかにささやかれていたんだろうと思う。
>>212
>南京戦
南京戦以降に南京に駐留した部隊の人によると
その手の噂は聞いた事がなかった、と言っていた。
こういう事(当時は手柄にあたる)は戦場では語り継がれるそうだが。
217:210,211,212
06/05/07 23:12:08
>>216
脱線気味ですが、司法に関わる者が法を破ってはいけないと、闇米などを
取り締まっていた検事だか裁判官だかが配給以外の物を口にせず、
栄養失調で死んだという事件がありますよ。
祖母も配給だけでは足りなかったと言ってました。
ただ、住んでいたところが田舎ですので、実家にいればなんとか食べてはいけたようです。
なので、親元から離れると食糧事情が心配ということはあったようです。
祖母は兵庫に行かずに地元に行ったはずなので、正確な兵庫の工場の食糧事情は
分からないはずです。ですが、もしかしたら兵庫が嫌で帰ってきたというような
話だったかもしれません。退院したら聞いてみます。
南京に関しては、中国共産党が言っているような内容かどうかは
分かりません。多分、あそこまで無茶な内容だとは思えません。
ただ、本人が酷いことと言っているということは、
恐らく手柄話にはできないことなのだろうと思います。
亡くなった爺様の知り合いなので縁遠いのです。話を聞いてみたいとは
思っているのですけど、機会がないです。それに、うかつなことを聞いて
機嫌を悪くされると、近所づきあいもありますしね。
218:213
06/05/07 23:45:29
>>218
>配給以外の物を口にせず
それは知ってる。脳内解釈で誤解を招いたな。
配給品をピンハネして食事が悪いと噂されていたのかな、と思ってさ。
殺戮が手柄話なのではなくて、首都入城(重要拠点陥落)の苦労話
は一般的に手柄話(「一番乗りした部隊は・・・」)になるって意味。
誤解させてスマソな。
219:名無し三等兵
06/05/08 00:22:56
自分の爺さんのことじゃないけど、
「画家・藤田嗣治の20世紀」って番組見て日本の画壇の爺たちがいかに腐ってたかってわかったな。
フランスで人気画家になった藤田をさんざん腐しながら、
戦争画家として共に日本で活動したあとには「有名なあんたが一人で戦争画家たちの戦争責任かぶってくれ」ってw
朝日新聞なんかもこんな調子で戦争責任を政治家や軍人におっかぶせて
自分は巻き込まれた被害者でございますってな変節に走ったんだろうね。
戦争画にも最後まで誇りを持っていた藤田が、道理で日本のメディアに軽視されてきたわけだ。
番組中に紹介された藤田の戦争画はすごい迫力だった。
220:名無し三等兵
06/05/08 03:22:39
配給分しか食べなくて云々って戦後の話じゃなかったっけ??
221:名無し三等兵
06/05/08 12:54:56
>>219
今も十二分に腐ってるけどな、日本画壇は
戦後の腐れ具合は、アサピーが高潔に見えるくらいだからなぁ
222:名無し三等兵
06/05/08 13:06:09
>>221
そんなに酷いのか?((((((;゚Д゚))))))ガクガクブルブル
223:名無し三等兵
06/05/08 13:43:44
>>219
三宅翁ほどに禿同。
224:名無し三等兵
06/05/09 01:54:15 GG6brGVE
戦争画では、もしかすれば史上最高!
225:名無し三等兵
06/05/09 10:41:51
サイパン玉砕の絵はフランスのオパイ丸出し女神が率いる有名な戦争画に匹敵する名画だと思うよ。
226:名無し三等兵
06/05/09 12:20:02
なんだかすごい人なんだね~と思いググって見ると
東京国立近代美術館で展覧会やってるね。いってみるか
227:名無し三等兵
06/05/09 14:12:57
マジ?今度行ってみるよ。
228:名無し三等兵
06/05/09 14:26:05 bXNMx4eT
靴が大きすぎますって言ったら貴様が靴に合わせろだってさ
229:名無し三等兵
06/05/09 14:45:34 YIvsB8US
最後の一年志願兵らしい、少尉で再召集されて内地で軍需工場と砲兵工廠
の間を調整する連絡将校をやってたらしい、随分いい目にあったって話だ
230:名無し三等兵
06/05/09 15:32:29 V6P3urJG
昔知り合った人でさ。
大和特攻の際に、それに随行した駆逐艦の機銃手だった人。
そのときのお話・・・
機銃をバリバリ撃っていたら、向こうから急降下爆撃でポッと爆弾を落としてくる。
「あんな遠くから落としてもあたらないよ」と思っていたら、見る見る爆弾が迫ってきて次の瞬間
キーン
気付いたら甲板に倒れていて、戦友も死亡。また空を見上げたら急降下爆撃機が。爆弾が見る見る大きくなり
キーン
(続く)
231:名無し三等兵
06/05/09 15:35:16 V6P3urJG
気付いたら、海の上。艦は沈没しかかっていた。
あわてて漂流物にしがみつく。
目の前を大和が進んでいる。
「大和。おまえ頑張れ!」
声援を送るも、立て続けに攻撃をくらい、沈没。
その人はそのまま漂流物にしがみつき、海の上を漂う。
(続く)
232:名無し三等兵
06/05/09 15:38:52 V6P3urJG
その木材(だかなんだか)にはもう一人しがみついていた。
海上は沈没した艦の重油が厚さ10センチにもなっていたそうで
揮発するその匂いで失神しそうになる。
お互いに励ましあい、そのまま漂流。日が沈む。
急速に体力が商務していくのが分かる。
(続く)
233:名無し三等兵
06/05/09 15:42:01 V6P3urJG
失礼、「消耗」ね。
木材にしがみついていた相棒は
「このままではジリ貧だ。泳いで助けを呼んでくる」
その人は止めたが、制止を聞かず泳ぎ始める。
しかし重油の溜まった海では、いかほども泳ぐことも出来ず
10メートルほど泳いだだけで沈んでしまう・・・
「もうだめだ」
死を覚悟するその人。
(続く)
234:名無し三等兵
06/05/09 15:48:28 V6P3urJG
しかし、暗闇の海の中、大声をあげるとそれに応える声がする。
姿は見えないが、近くにもう一人漂流している男がいるのだ。
お互いに励ましあい、漂流は続く。
だが、その人の呼びかけに対し、相手の方は元気がなくなってくるのが分かる。
「頑張れ!」
励ますその人。
235:名無し三等兵
06/05/09 15:51:44 V6P3urJG
そのとき。救助のポンポン船がやってきた!
限界直前で救出されるその人。
「向こうにも生きている人間が1人いる。助けてやってくれ」
しかし船長は
「だめだ。エンジンが焼け付く寸前だ。」
そのまま舟は回れ右をして帰ってしまう。
すぐ近くに漂流している、お互いに励ましあった戦友を海上に残して・・・
(続く)
236:名無し三等兵
06/05/09 15:55:55 V6P3urJG
その人は自分の体験を「沈没大学」と呼んでいたよ。
正規の大学は出ていないし、学は無いが
一連の体験をしたことで、人生の生きる意味や無常観を味わい
ありえない経験をしたと。
どんな難関の大学を卒業するよりも教えられたことは大きいと。
復員してからもすごい体験してる。
ちなみに柔道7段。小柄だけどスゴい強い。
237:名無し三等兵
06/05/09 16:13:51 v25Qr8Xy
ウチのじいさんは工兵だったよ。
線路作ってたって・
238:名無し三等兵
06/05/09 16:23:34
>>188
俺の実家(北海道東部。当時は村)だったが、港と灯台があるために戦争末期には
度重なる空襲と艦砲射撃を食らっていたそうな。
そのときの被害写真と詳細な記録も残ってるぞい。
海に面した灯台のある崖を穿り返すと、今でも機銃弾やら何やらがポロポロ出てくるそうな。
もっとも、そこには通常の手段では行けないんで俺には探せないんだが……。
戦後、不発弾もいくつか掘り返してるらしい。
北海道も意外と危険だったと言う話。
英語ベラベラのインテリじいさんの話(俺の同級生の祖父)。
南方(場所の詳細は忘れた)で、味方部隊とはぐれて彷徨っていたら、
斥候の米兵とばったり出くわした。
お互い数秒見つめあった後、超至近距離で同時に発砲開始。
共に左足を撃ち抜いて、地面に転がりながらも素手で殴り合い。
そのうち疲れて、二人とも地面に転がって冗談言いあって笑ってたんだと。
やがて、米軍の本隊が到着して、捕虜になったそうな。
お互いに射撃が下手だったのが良かったな、と豪快に笑っておられました。
どこまでホントかはシラネ。
結構、人を食ったじいさんだったから。
ちなみに見せてもらった銃創だが、左足の太もも外側の肉がごっそりと抉られておりました。
239:名無し三等兵
06/05/09 16:32:57 V6P3urJG
>>238
いい話だねえ
240:名無し三等兵
06/05/09 19:32:27
>>230-236もうちょっと文章纏めろ。
1回で足りるじゃねーか、無駄にスレ埋めやがって
241:名無し三等兵
06/05/09 20:27:44
オヤジが近衛師団だか連隊にいて、習志野あたりで「今日もとどかねーなー!」とかいいながら高射砲撃ってたようだ。
近衛と名が付くだけあって、戦中に食い物で苦労したことは全くなかったそうだ。
242:名無し三等兵
06/05/10 00:36:40
>>238
なんか松本零士のシリーズにありそうな話だ。
>>240
携帯からの書き込みかもしれん。
そうカリカリしなさんな。
243:名無し三等兵
06/05/10 00:45:19
こないだ喫茶店でパソいじってたら
80前後くらいのジイ様に話しかけられたので(パソが珍しかったみたい)
逆に戦時中の事を色々と聞いてみた
最初は海軍航空隊配属だったが後に海竜に乗ることになったそうな
「訓練ばかりで珍しい(面白い?)話はないよ」との事だったが
「回天じゃなくて良かった。一人ぼっちな上にメクラなんて俺には扱い切れん」
とおっしゃってました。
だけど当時の事はあまり話したがらない様子だったので
早々に切り上げました
酒巻少尉と同じ会社に勤めてたそうなので
その事も聞いておけばよかったと後悔しきり
もっと詳しく聞いてみたかったなぁ・・・
244:地域密着団体
06/05/10 03:50:37 TjiqZqz6
奈良県認証・特定非営利活動法人「戦争体験保存会」
URLリンク(www.sensou.com)
奈良では上記のような団体が講演会を主催しています。
ちなみに次回は5月21日(日)の13:30より
「なら100年会館・小ホール」(JR奈良駅より徒歩すぐ、
近鉄奈良駅より徒歩約15分)で開催とのこと。
近場で興味のある人は行ってみてはいかがか?
245:名無し三等兵
06/05/10 16:31:57
このスレが中心となって戦争体験保存会をつくるべきではないか?
246:名無し三等兵
06/05/10 19:29:43 CiNJPvdM
ちょっと質問なんですが、うちの祖父は太平洋戦争で現地で農業をやるんだか、
現地で農業を教えるとかで南方に行ったらしいんですが、それって何兵なんでしょうか?
247:名無し三等兵
06/05/10 19:33:51
>>246
現地で自活する為に派遣されたのかな?
248:名無し三等兵
06/05/10 19:35:41 T3ZygFs1
軍属ではないですか?
技術を教えるということであれば。
農業技術を日本の兵隊に教えるということは
寡聞ながら知りませんが
おそらく南方の占領した国の政府に教えたということではないでしょうか?
249:名無し三等兵
06/05/10 20:18:13 sAeuzEC/
国鉄の助役試験に受かってから召集されたので鉄道工兵で初年兵教育をすっとばして
大陸へ持って行かれ上等兵で小さな駅の駅長をやらされたらしい、この辺の事情は
通過部隊の将校下士官も承知の事らしく、みんな駅長さんと呼んで大事にしてくれたって
言ってた
250:名無し三等兵
06/05/10 20:51:52
戦争の真っ最中に召集解除なんてあるんでしょうか?
うちのじいさん途中から工場の指導をしていたみたいなんですが
251:名無し三等兵
06/05/10 22:10:45
僕の爺ちゃんは高崎の連隊で支那の大原に駐屯してたって聞きました。
それから一旦内地に戻って来て再召集が掛かったんですけど、部隊の大部分は南方戦線へ送られる途中で、輸送船もろとも海の底だったみたいですが、
何故か爺ちゃん他一部の将兵は居残り部隊?
に成り死なずにすんだって言ってました。
居残り部隊なんてあったんですかね~?
因みに爺ちゃんの階級は曹長か兵曹長だったと思います。
帯刀が許されるのが曹長からだったかな?
僕が小さい頃、軍刀が飾って有りましたが親父が指紋付けて錆させちゃたみたいです。
指紋を付けてほったらかしにしてたら錆るんか?
252:名無し三等兵
06/05/10 22:39:40
>>250
ありますよ。
熟練工を根こそぎ召集してしまい、現場が混乱してました。
ので、召集解除しました。
253:名無し三等兵
06/05/10 22:42:40
>>251
刀を触ったら保護していた刀油が取れちゃって、そこから錆びが発生したのかな?
>四~六ヶ月もたつと油は乾燥してしまい錆の原因になります。三ヶ月に一回は新しく油を塗りかえてください。
って刀剣屋さんも言っているくらいだから、こまめな手入れが必要みたいだね。
254:246
06/05/11 00:29:10 dvs/+GqV
レスいただきありがとうございます。
祖父は召集されたらしいのですが軍属も召集されるのですか?
南方に行くときにシンガポールによってそこで英軍からのぶんどり品のコンビーフの缶詰がうまかったらしいです
255:名無し三等兵
06/05/11 00:55:33 IH0bqHCQ
祖父は研究所で……本人は決して詳細は話してくれなかったけど、戦争の話しは「話したくもない」と亡くなるまで言ってた…。そのまま墓まで持っていくなんて…まさか例の部隊の生き残りだったのか…
256:名無し三等兵
06/05/11 01:38:55
>>246
厳密に言えば、徴用ですが、以前徴用された方にお話を聞いたときには、
召集という言葉を使っておられる方もいました。
軍属といっても色々な職種がありますし、雇用形態も様々で、
時期によっても違います。
軍の募集に応じた人たち
特定の職能を持った人を徴用するため、徴兵同様役場の兵事係が本人に連絡した
あなたのおじいさまは後者のケースだと思います。
日本軍の軍政は海軍と陸軍で地域を分けて担当していました。
シンガポールに立ち寄られたのでしたら、陸軍の南方軍軍属で、
ジャワ、スマトラあたりに行かれたのかな。
257:名無し三等兵
06/05/11 01:38:57
俺の爺ちゃんはいつも叱られる時、「申し訳ありません」と言ってたらしい。
ある日そういって謝ると上官が「お前、誰に申し訳ないと思ってるんだ」と言われたので
爺ちゃんはひらめいて、姿勢をぴっと正して
「天皇陛下であります!!」と言ったらその上官は驚いて許してくれたらしい。
258:246
06/05/11 02:18:34 dvs/+GqV
>>256
そうですかありがとうございます。
あと南方の話ですがあなたの言うとおりでニューギニアの西にある島に行ったそうです。
日本からシンガポールに行くときかシンガポールから島に行く時かわかりませんが
その際、乗っていた輸送船がアメリカの潜水艦に沈められて一晩中海に浮いていて翌日ぐらいに駆逐艦が助けにきてくれたそうです。
259:名無し三等兵
06/05/11 03:37:54
うちの父方の曾爺さんは第二次が始まる前くらいに満州に渡ったらしい
しかも現地で女郎郭(娼館?)を経営して結構な財を築いたそうだ
しかし終戦頃にこちらに戻って来る途中金銭の類はほとんど無くなってしまったらしく
戻ってきてからは刑務館になったらしいが・・・
そう言えばつい最近父方の親戚筋の人達に合ったのだが、
目つきがどう見てもカタギのものではありません本当にありがとうございましたw
まぁ普通に考えて向こうで一山当てようなんて輩の中で真っ当な人の方が少ないわな
特に満州帰りのおっさん方はその気質をもろに受け継いで気合の入り方が違うと言うか覚悟完了してると言うかw
就いてる仕事は普通なのに眼光が普通じゃないのが印象的だったなぁ
でもやっぱりこういう事を生業にしていた人も戦争を食い物にしてたことになるんかな?
260:名無し三等兵
06/05/11 03:48:01 5aH/TZp4
内の母方の祖父(故人)は終戦から十年ぐらいまでインドネシアから帰って来なかったみたい、母親にその理由を聞くと祖父は婿養子だったらしく肩身がせまかったらしい、何をしてたか聞くと現地の人と一緒に何かしてたらしいけど詳しい事は母親も知らないみたい、何してたんだろ?
261:名無し三等兵
06/05/11 06:14:28
>>260
バリ島のビーチの夕暮れが素晴らしくて帰りたくなかったんじゃね?たぶん時間を忘れるほどケチャダンスを踊ってたんだよ
262:名無し三等兵
06/05/11 09:25:44
家の祖父はシベリアに抑留されてたらしい。詳しくないからわからんが、【第なんとか師団シベリア抑留なんかとかかんとか本】が棚にあった。
シベリアってどうだった?って訊いたら「つらかった…」と。
それ以上は訊けませんでした…
263:名無し三等兵
06/05/11 11:21:47 RMzSrLjp
叔父さんが満州から帰るとき、もちろん軍人。ソ連兵に捕まったらしいが、着けていた高級時計を渡したら許してくれたらしい。
中学校の先生のおじいちゃんは、沖縄戦で腹が減って、米軍キャンプに盗みに入ったところ、捕虜になった。
彼の部隊は全滅したらしい…
264:名無し三等兵
06/05/11 11:45:19
任務を離れてxxをしている間に部隊全滅って話は、たいてい創作。
265:名無し三等兵
06/05/11 13:24:01
>>260
きっとインドネシアには、あなたそっくりの・・・
266:名無し三等兵
06/05/11 13:55:33 wg4Eqzbr
昔、バイト先のおばちゃんは、若かりし頃、爆心地付近で原爆のファイヤーを見たらしい。
が、今も元気な鉄人女傑。やっぱり 戦前の人間は違う。それとも嘘か?
267:名無し三等兵
06/05/11 14:14:52 jrZ0gmfr
>>266
いや、爆心地ちかくでも運良く助かった人はいるはず。
塀のかげだったり、爆風や閃光の射線上に
障害物があった場合は助けるケース、あったみたいですよ。
あとは放射能だけど、被爆しても100%白血病を発病するわけではないし。
可能性が飛躍的に高いというだけで。
とはいえ、その人は強運の持ち主であることには変わらない。
268:名無し三等兵
06/05/11 14:24:44
爺さんから聞いた話に似てるので転載。
↓
日本のエンジンは部品レベルで交換がきかない。
なぜなら、工作機械の貧弱な制度により、一機一機が「京都の職人さん仕事」のように
各々の部品のすり合わせで丁寧に仕上げる事で完成するからである。
したがって田中さんチームが仕上げたエンジンと、山田さんチームの作ったそれは、例えばピストンリングを交換すると動かなくなる。
やがて戦地で修理の必要が発生したりするとさらに事態は悪化する。
現地の整備員チームが合わない部品の現物合わせを行い、さらに現地「大竹さんチームアレンジ」がなされる事でやっと動作するようにしなければならないからである。
こうして「xxさんチームアレンジ」が何回も何回も繰り返される事で部品の「当初精度」はどんどん劣化していき、
もはやカタログスペックの維持すらできなくなっていくのである。
合わせ目につけるゴムのシールがお粗末だったり、
現物あわせで、ヤスリ倒さなければ隙間だらけになるってんで
ヤスリすぎたシリンダーカバーが、今度は高さが足りずにピストンと干渉するから
内側を削るなどそれはそれは苦労したらしい。
それでもオイル漏れは中々直らない。
戦地で部品交換したエンジンでまともなものは殆どなかったらしい。
269:名無し
06/05/11 15:06:14 G6tTD/GF
はじめまして 当方の無くなった祖父ですが、海南島で終戦を迎えたそうです。 サイドカー付きオートバイ?に上官を乗せたり、偵察をしていたそうですが、当時の所属部隊などを調べる方法がありましたらお教えください。
海軍所属、本籍は徳島です。 宜しくお願い致します。
270:名無し三等兵
06/05/11 15:47:09
>>269
旧海軍の軍人の軍歴に関する資料は、戦後、厚生労働省に引き継がれています。
照会は厚生労働省社会・援護局業務課にどうぞ。
271:名無し三等兵
06/05/11 18:58:33
あげ
272:名無し
06/05/11 19:15:47 G6tTD/GF
名無し三等兵様 ありがとうございます。 さっそく、問合せをしてみます。 ご親切に対応していただき、感謝いたします。
273:名無し三等兵
06/05/11 21:21:32 /cAZOQ1m
>>260
終戦後約十年間インドネシアで帰ってこないって…
あなたの祖父は凄い方ですね。
「インドネシア独立のために戦ったのです」
「ムルデカ」でググッてみてください。
274:名無し三等兵
06/05/11 23:41:50 MFMzVQRi
私のおばあさんは、学徒動員で広島の日立造船因島工場で、爆撃に遭い、防空壕に逃げ込むときに、みんな、われ先で人間の醜さを知ったそうです。今でも、汚い捕虜の白人にいい思い出がなく、外人とくに白人が嫌いらしく、握手するときは露骨に嫌な顔をします。
特攻隊に若者が行かされて、大人は生き残ったと、目を据えて当時の大人の卑怯を呪詛しています。
275:名無し三等兵
06/05/11 23:56:30 5jo3t+dj
俺のひい爺さんは海軍の輸送機乗りで、バナナやパイナップルやさとうきびを積んで沖縄と台湾を往復していたらしい。
いや、ただそれだけなんだが。
276:名無し三等兵
06/05/12 00:25:53
>>260
「ムルデカ」は映画にもなってるでよ。
277:名無し三等兵
06/05/12 00:44:06
俺のじいさんは、呉で商いを営んで女性を多く雇っており、空襲の際に
みんなで防空壕に逃げ込むにあたり、”壕の壁ぞいに居るように”との
指示をだして、雇っていた人は全員助かったそうです。
ただ、壕から出るとき倒れた人たちの上を「堪忍ね」と泣きつつ踏んで出たそうです。
278:名無し三等兵
06/05/12 02:16:56
>>277
なんで真中の人は倒れちゃったの?
279:名無し三等兵
06/05/12 07:02:51
>>278
しりあいの軍人さんに、「防空壕に避難するときは壁沿いに」と教えられ
そのとおりにしただけらしい。なぜかはわかりません。
280:名無し三等兵
06/05/12 08:12:11 LcmIVjS6
260です、ムルデカくぐってみました、インドネシアで独立戦争に参加した日本兵のことみたいですね、どうりで祖父が話したがらなった理由がわかった気がします、母方の実家は戦後暫くたって○価に改宗しましたから。
281:名無し三等兵
06/05/12 08:35:23 s+M8gWnH
>>268
少数生産品や特注品ならば、工作精度が飛躍的に向上した現代でも、そのようなことがあるけどね。
ウチの会社なんかはそれ。設計も製造も〇〇スペシャルだらけで、各担当者が居ないと大混乱。
ただでさえ混乱してる戦地で、部品の組み合わせ・すり合わせをするのは多大な労力を強いられますね。
282:名無し三等兵
06/05/12 08:59:36
>>269
支那方面艦隊 海南警備府ですね
開戦時の部隊でしたら、 第1水雷隊 鴻(おおとり) 隼(はやぶさ) 鵲(かささぎ)鵯(ひよどり)
横須賀鎮守府第4特別陸戦隊(横四特)
舞鶴鎮守府第1特別陸戦隊(舞一特)
佐世保鎮守府第8特別陸戦隊(佐八特)
第15・16警備隊
海南通信隊
その他警備府直轄
四国は佐世保の所轄です
軍歴証明 で検索をかければわかるのですが、270氏の言うとおりです。
そのほかにも手がかりはたくさんあります。
たとえば、
陸軍でも、海軍でも、部隊名が暗号で、軍隊内の住所や通信のコールサインに
なっていました。これがわかればすぐに解決します。
家族も手紙のあて先になるので知っていることがあります。
自分の聞いた限りでは、末期の国内決戦師団以外の本人は全員
覚えておられました。陸軍の部隊暗号については全国の県立図書館で調べることができます。
海軍なら私で説明できます。
283:名無し三等兵
06/05/12 11:27:11
今でも大学教授を務める義理の父(嫁の父)。
今の学生は、戦争前の日本の生活水準が 『現在の日本』 と同じように、
当時(1940頃)のアメリカと殆ど変わらないと思っているって驚いていた。
とんでもない誤解だが、これも戦後教育の「近代史は適当カリキュラム」のお陰だと嘆いていた。
284:名無し三等兵
06/05/12 16:31:39 fPz8wpR9
うちのじいちゃんの家族全員、じいちゃん以外、
結核でアボーン。
親戚の奇特なおばあさんに一人、ひきとられる。
溺愛されながらそだてられるも、15になったらオリも
戦争にいくよと言って親戚のおばあさん(ひいばあさんっていっちまってもいいかな)の制止「アンタが死んだらアンタの
ウチ終わりだよ」も聞かず予科練甲種うけにいくも家族状況とか
体格で案の定落ちる。ショックで他の県でブラブラしたあと
帝国大学で給仕みたいなことやってすごす。それから一年、学問ちょっとやってメシ喰って、
遊んでたら太りだして体格も良くなって、予科練乙種になんとか合格、
あこがれの制服姿をきた生意気そうなボウズ頭の青年の写真をいまだに家宝のように大事に持ってる。
モールスの才能があったので九州の基地にいって2ヵ月後戦争終結。
その後、警察予備隊、陸上自衛隊で教官やったあとちょっとえらくなってデスクワークがふえてつまんなく
なったからっていって帰ってきた。戦争とか戦闘機とかの話はよくするけど自衛隊の話はあまりしない。
無反動砲撃って部屋ほどの的壊したときの快感をよく話していた。
自衛隊やめてきたのは、たぶん人間関係でなんかトラブったなと俺は踏んでる。
285:名無し三等兵
06/05/17 04:07:11
保守
286:名無し三等兵
06/05/18 19:31:38 xW4n6lbe
保守上げ
287:名無し三等兵
06/05/18 23:04:38 m+oJbNXX
大東亜戦争に出征した祖母の弟(故人)の話
彼は中国大陸の青山に出征した。
戦時中に一度もアメリカ軍の飛行機を見た事が無かったし
自分で鉄砲を撃った事も一度も無かったらしい。
天国に近い状態だったらしい。
他戦線の惨状を聞いた事がある漏れとしては信じられない。
288:名無し三等兵
06/05/19 01:02:44
>>287
まあ、山東半島みたいな後方ならそうじゃない?
289:名無し三等兵
06/05/19 09:07:43 Q3/o8ZeF
華北戦記という本があるが、おもろい!山東半島でのものがたり。
290:名無し三等兵
06/05/19 10:29:10 iiCi6lLV
>>280
インドネシア独立のために戦ってたのでは?
うちの祖父母は、ロミオとジュリエットみたい…っていうか、
爺さんオランダ人よ。
291:名無し三等兵
06/05/19 11:48:51 3ILzIDny
クオーターか。いいなあ。
おまいイケメソなのか?
292:名無し三等兵
06/05/19 12:26:37 iiCi6lLV
>>291
ガ━(゚Д゚;)━ン
女ですが何か
(>_<)
ちなみに、オランダとの混血はあんまり外人フェイスにはならないと思う。
293:名無し三等兵
06/05/19 13:49:32
15年ほど前にくたばっちまった父方の婆様
死ぬ直前に何度か錯乱状態になって、「周りが燃えてる!」と叫んで
暴れそうになった事があった。
医者が言うには今までの人生で強烈な印象として残った記憶がフラッシュバック
しているのではないか?との事だったが婆様の人生で隣近所が火事になった事は
たった一度しかなかったのでおそらくその時の記憶なんだろうと普段弱音を一切
吐かなかった婆様だけに特に親父兄弟はしんみりしていた。
名古屋空襲の中、親父(当時3歳)や生まれたばかりの親父の弟を抱きかかえて
必死に逃げ延びたんだろうなあ。
294:名無し三等兵
06/05/19 14:56:41
>>293
くたばっちまいまちたか。
295:名無し三等兵
06/05/19 16:00:10
この間じいちゃんにきいてみた
「このえ」とかをやってたらしい
296:名無し三等兵
06/05/19 17:21:20
>>295
「近衛」ですな。
297:名無し三等兵
06/05/19 17:26:46
すごいジャマイカ
298:名無し三等兵
06/05/19 17:37:32 iiCi6lLV
びっくりした。
近衛文麿を殺ったのかと…
299:名無し三等兵
06/05/19 17:46:30 mT3wO6nt
うちのじいちゃんは、満州でなんかの隊長でシベリアにずっと行ってたらしい
300:名無し三等兵
06/05/19 17:53:20 IxoIhNAZ
うちのじいさんは特攻隊ですた。鹿屋に居たみたい。
じいさんのお兄さんは隼に乗ってて中国で戦死。
301:名無し三等兵
06/05/19 19:37:21
私は遅くに出来た子供なので、祖父ではなく父に従軍歴があった。
予備士官学校をでて歩兵小隊長。北京近郊に駐屯していたらしい。
今度戸籍謄本を取り寄せて、軍歴を調べてみようと思う。
302:名無し三等兵
06/05/19 20:12:38
>>293
。・゚・(ノД`)・゚・。
303:名無し三等兵
06/05/19 20:15:17
>>298
むしろ姦ったのかとオモタ
304:名無し三等兵
06/05/19 21:03:03 RWPdrzOr
うほっ
305:名無し三等兵
06/05/19 22:06:23
オレの爺ちゃんは当時、電気技師だったのと徴兵検査に落ちて、ずっと東京の工場
で勤労奉仕してたらしい。それで東京大空襲で工場が焼け落ちたので、親戚のいる
いる茨城に疎開した。そこでマルクス主義にかぶれてしまい、村の人達に共産主義
の素晴らしさを説いてたら、案の定、憲兵に目をつけられ、逮捕される寸前で終戦
になった。
そんな爺ちゃんでも祝日には必ず家の前に日章旗を立ててたなぁ
306:名無し三等兵
06/05/19 22:28:02 nDGl3oGb
>>305
>>そんな爺ちゃんでも祝日には必ず家の前に日章旗を立ててたなぁ
戦争が終わってしばらくしたらマルクス主義を捨てたのでは?
307:名無し三等兵
06/05/19 22:37:06
>>306
うーん、そうかも・・・
もっといろいろ話聞きたかったのに去年の冬に逝っちゃったからなぁ・・
やっと政治とかについて話が出来るような歳になったのになぁ・・・
308:名無し三等兵
06/05/20 00:28:41 AR0EMwQp
つい先日、ある老夫婦から仕事上の依頼があり、お宅へうかがった。
仕事の話は割りとすぐに終わり、夫婦の地元の昔話で盛り上がった。
夫婦とも戦前から茨城・水戸に住んでおり、街の変わり様を驚くほど
克明に覚えておられ、非常に興味のある話をして下さった。
そのうちの一つとして、昭和20年8月の水戸の空襲より数ヶ月前、
西原町(当時の常磐村)に米軍機が墜落した話をお聞きした。
飛行機が墜落した話自体は私の義母から聞かされていたが、それが
日本軍機との格闘戦で墜落した米軍機であり、パラシュートで操縦士が
脱出し、憲兵隊に身柄を拘束・連行された...という話まで、
この老夫婦から聞けるとは思わなかった。
偕楽園の芝生には無数の不発焼夷弾が刺さっていたこと、常磐神社に
逃げ込んだ友人達は皆焼死してしまったことなど、8月の空襲の様子も
細かく教えていただいた。
老夫婦からお聞きした話は、その夜、自分の子供達にも話して伝えた。
309:名無し三等兵
06/05/20 02:25:56
俺が学生時代に亡くなってしまった祖父の話だが
零戦のパイロットだったそうだ
零戦の各型の事をよく聞かされたな
21型は腕次第で相手がなんでも低空なら生き残れるんじゃ
52型は棺桶じゃ…マトモに飛ぶのも運がいるわい(たぶん製造精度かと)
あと、紫電改に乗る前に終戦なったって言ってた。
310:名無しさん@そうだドライブへ行こう
06/05/20 04:39:09
アメリカと戦争したってフラグだろ?
同盟国だよ。
311:名無し三等兵
06/05/20 07:07:19
>>310
フラグ→フラッグ→flag:旗、旗状の細長い物、主義主張。
{コンピューター用語}:実行中のプログラムの状態についての情報を示す変数や指標。
ブラフ→bluff:はったり、こけおどし、ウソ、そしてそれらはったりの様な事をする時の態度。
【用例】「―をかける」
312:名無し三等兵
06/05/20 12:55:07
>309
似たような話なら・・・。
鹿屋まで21型で出てきた特攻隊から飛行機供出させて52型で出撃させたとか・・。
313:名無しさん@そうだドライブへ行こう
06/05/20 14:54:18
また小学生?が出現ですね。
昭和と言う時代にアメリカとガチンコ勝負して負けました。
そのことについて、あなたの教員に聞かない方が懸命です。
偏ったオトギバナシになるので。
70歳前後の親類に機会があれば聞いて見てください。真実はそこにあります。
314:名無し三等兵
06/05/20 15:01:39
>>306-307
愛国心とマルクス主義が衝突するとは限らん。
まあドグマティックな共産主義者は、日の丸反対、天皇制反対だろうが、
本質は労働者を搾取から解放することでしょ。
だったら、日の丸と天皇制のもとで、
共産主義的経済を構築したってかまわんはず。
・・・て、軍部主導の統制経済が、ちょうどそんな感じか。
315:名無し三等兵
06/05/20 18:19:54 cvlfqqWS
うちのじいちゃんアカだけど、昭和天皇の例の帽子ぬいでカメラ
目線で笑ってる写真を部屋の一番みえるところにデカデカと張
っているぞ。
316:名無し三等兵
06/05/20 20:21:50 9L0Pwk5e
アカにも右寄り団体と左寄り団体が存在しているのかなあ。
「アカ=反皇族」と一概に言う事が不可能みたいだね。
317:名無し三等兵
06/05/20 21:30:46
団体ではなく個人として存在する
318:名無し三等兵
06/05/20 22:22:36
街宣右翼の元祖みたいに言われる故・赤尾敏とかは、
右翼だけど、天皇家は象徴として残して、国の運営システムを
社会主義的な弱者保護や福祉重視でやるべき、みたいな主張だったよね。
319:名無し三等兵
06/05/20 22:25:19 iQVCmQNO
「赤い宮様」なんてのもいたしねえ
320:名無しさん@そうだドライブへ行こう
06/05/20 23:30:03
>>319
kwsk
321:315
06/05/21 00:24:48 o4Onh3+P
うちのじいちゃんは個人的に昭和天皇が好きで尊敬しているって
いうのもある・・。家族の写真でも無く、額縁にいれて飾られている
のはその昭和天皇の写真だっていうことに小さいころ違和感を感じていた。
だけど今ではあたりまえだけど、天皇がマスコミの前で国民に脱帽して
微笑んでいるのは「当時」を生きた人間からすると尊敬するべき国家のシ
ンボルとして映るんじゃないだろうか?
たぶんじいちゃんの思うところをまとめると
318さんの考えみたいなのになると思う。
322:名無し三等兵
06/05/21 00:25:42
>>320
三笠宮殿下について調べてみるよろし
323:名無し三等兵
06/05/21 04:31:39
身長が高いと海軍だったらしい。
324:名無し三等兵
06/05/21 11:29:06
うちの婆さんも昭和・平成天皇の写真居間に飾ってて年末に皇室カレンダーを
知り合いに配りまくってる。
でも天皇を中心とした大日本帝国の復活を夢見てる電波な婆さんなんだよな。疲れる・・・
325:名無し三等兵
06/05/21 11:54:23
俺のじーちゃんは父方、母方ともに存命なんだが、母方のじーちゃんの話は凄かったな。
山梨生まれで、多分地元で召集されて陸軍に入隊したらしいが、南方面の戦線に(詳しく言われたんだが忘れた)行ったと聞いた。
船を3度乗り換えて、敵の潜水艦を避けながら進んで、やっと任地について一月もしない終戦を迎えたらしい。
で、ここから先が凄い話で、15日の終戦を知らず、25日だか翌月15日まで、現地の連合軍と撃ち合っていたとか。
どうやって終戦の知ったのかは話して貰ってないが、その後は2年ほどイギリス軍の捕虜に。
やっと日本に帰って来れた時は、感無量で船の上で泣きまくったと言う。
ちなみに数年前のGW中に、俺がサバゲに行こうと準備してたら、俺の持ってた電動ガンや装備にえらく関心を示してた……。
一通り説明を聞いて、ぽつんと「こんなのが日本にあったらなぁ」と呟いてたのが印象に残ってるな。
父方の方は詳しく知らないけど、海軍航空隊(霞ヶ浦に志願したと言ってたので、多分そう)で訓練を受けたとか。
訓練修了が終戦の1~2週間前で、もう少し遅かったら特攻隊に行かされる筈だったとも。
ところでこの中で、戦時中ドイツに行った潜水艦って何隻あるのか、ご存知な方いらっしゃいますか?
数年前に他界した、自分の書道の先生が戦時中、空技廠に居てドイツにジェットエンジンを貰いに行ったと、聞いた事があるので。
326:名無し三等兵
06/05/21 12:44:35
>>325
ドイツとの往復に成功した潜水艦は、イ8の1隻のみ。
シンガポールやペナンまで帰ってきたところで撃沈された潜水艦が3隻ありますが。
URLリンク(yokohama.cool.ne.jp)
ジェットエンジンを入手に行ったのなら、イ29だと思います。
資料の大半はイ29とともに失われましたが、一部の資料はシンガポールで降ろして、
飛行機で内地まで運んでいるので。
327:名無し三等兵
06/05/22 00:43:09 DL8tfpc0
うちの爺様は駆逐艦夕雲にのっていたらしい。しかし沈没時に病気で入院し下船していたため命拾い。次は何のってたかしらんが、潜水艦の雷撃?で沈没。しかしうちの爺様は無傷で救助されたらしい。10年前に亡くなりましたがもっと聞いとけばよかった。つたない文章スマソ
328:名無し三等兵
06/05/22 02:39:10 yDUBk2gX
うちのじいさんの兄貴だけど、職業軍人だったらしくて海軍の下士官だった。
空母とかいろいろ乗ってたらしいけど最後は駆逐艦「朝霜」にのって菊水作戦で大和と一緒に
沖縄に特攻する途中に機関のトラブルで落伍して艦載機に撃沈されて戦死
329:名無し三等兵
06/05/22 10:15:37 Fn1Os1j+
家のじいちゃんは虫垂炎になって戦場には行かなかった
330:名無し三等兵
06/05/22 13:45:31
うちの爺さんは徴兵を逃れるために検定前日に醤油をがぶ飲みしたがなんともなく
屋根から飛び降りて骨折を試みたが異常なし。
それを聞いた隣人から
「そんなに頑丈なら死なないからとっとと言って来い!」と突っ込まれたそうです。
案の定甲種合格で海軍へ。
なんやかんやで案の定生還し、私の父を含む6男2女を儲け、まだ健在です(78歳)。
331:名無し三等兵
06/05/22 14:56:30
うちの祖父(今年84歳)は歩兵連隊で東南アジアに行ってました。
仲間がどんどん死んでいってかなりキツかったそうですが、なかでも
普段から冗談を言って隊の雰囲気を和ませていた人が死んだときは
部隊の空気が沈んだそうです。
332:名無し三等兵
06/05/22 15:22:26
>>330
兵役法による徴兵年齢は大戦末期に一番下がったときにも19歳なんですが。
333:名無し三等兵
06/05/22 17:02:49
>>332
突っ込み最もだが、ジサマの年齢を正確に覚えてる孫が居るかどうかのほうが難しいんじゃね?
許してやれや。
334:名無し三等兵
06/05/22 17:58:27
>333
予科練かなんかに志願したんちゃいますか?中学から学校推薦で。
で
335:名無し三等兵
06/05/22 18:53:44
>>332
78歳なら甲種予科練十五期ですかね
当時の空気で志願はしたが試験場から逃げ出したり
入隊後に脱走した人もいたそうだし
志願はしたが入隊前に考えが変わった人もいると思いますよ
一次試験から入隊まで二ヶ月もあるんですから
336:名無し三等兵
06/05/22 21:45:00 db5q+rYd
>>328 マジかよ凄いな やっぱり朝霜は生存者皆無なのかね…
337:名無し三等兵
06/05/22 22:26:54
>>328>>336
「朝霜」は第21駆逐隊司令小滝大佐、艦長杉原中佐以下、
乗組員326名全員が戦死しています。
最後の模様も米軍側の写真が公開されるまで不明だった・・・
338:名無し三等兵
06/05/22 22:59:32
駆逐艦なのに300人超って乗りすぎでは?
339:名無し三等兵
06/05/22 23:13:03
>>338
大戦末期は普通。機銃操作要員が大幅に増えてるから。
340:名無し三等兵
06/05/22 23:50:01 Dhh0hDnm
沈没当時はまだ生存者はいたんだろうね。
潮に流されて全員が助からなかったのだと思う。
341:名無し三等兵
06/05/22 23:55:35
>>339
機銃などの要員が増えているのはわかるが開戦時の2倍とは。
居住性なんて考えたくないなぁ。
342:名無し三等兵
06/05/23 03:52:12
父方の爺は憲兵隊だったそうだが話を聞く前に死んでしまった。
母方の爺は輜重隊で馬を牽いて物資輸送してた。
中国、ビルマと転戦。
夜間輸送中にイギリス軍と遭遇してしまい、
馬ともども川の中に浸かってやり過ごしたといってた。
途中で部隊交代のため日本に帰ってきたが、
船の中ではいつ潜水艦にやられるかとずっと不安だったそうだ。
戦争は嫌だ、戦争だけはこりごりだ。
とよく言ってた。
本年88歳。
343:名無し三等兵
06/05/25 01:42:43 ZxVBDEGr
嫁のじいちゃんは、陸軍航空士官学校の中隊長をやってた人です。
あと満州でノモンハンにも参戦したみたいで、そのときも中隊長みたいです。
結婚するだいぶ前に亡くなっているので直接はしていませんが、
嫁や婆ちゃんから聞いた話で興味を持ってしまった。
家を壊すんで、戦友会とかの冊子をいただいてきました。
今狙ってるのは、出征前の遺書です。
親族でじいちゃんの戦争中の足跡に興味を持つ人がいなそうなので、
俺がこれからいろいろ調べようと思います。
344:名無し三等兵
06/05/25 05:00:23
うちの祖父は高射機関銃分隊の分隊長で階級は曹長でした。
当時24、5歳なんですが、そんな若くて曹長になんかなれるんですか?
345:名無し三等兵
06/05/25 05:56:06 9Qs43QGQ
明治43年生まれの祖父は11年前に天寿を全うしました。
関東軍鞍山独立守備隊にいて、昭和10年代?に上海でカメラを買って帰国。
その後、また大陸にいたらしく、昭和20年頃南方への派遣を控えて一時済州島で待機。
その時肺結核を患い、そのまま終戦を迎えて南方へ行かずに済んだ。
その後長崎の南風崎に復員したが、息も絶え絶えだったらしく、
祖母が1000km近くも列車に乗って迎えに行ったとのこと。
その祖母も今は90歳。
祖父が元気な時にもっと色々聞いておくべきだったと後悔していますが、
私が成人してからは癌との闘いで、とても話を聞ける状態ではありませんでした。
私が中学生の頃、酔った時など、戦場の話を喋っていたのを思い出す。
中国で、軍靴で蛇を踏んづけて皮をめくって、食べた話や、疲労困憊していた時に、
小銃を構えて立ったままでも寝てしまったことなど、断片的に話は聞いています。
軍隊の非人間的な待遇など愚痴ることもありましたが、近所に戦友もいて
思い出話はほんわかしていた気がする。
ところで、祖父の軍歴を調べるのは、厚労省?で具体的にどうすればいいのでしょうか。
遠く別居している祖母も高齢ですので、この1年以内を目標に、
私のルーツでもある祖父の足跡を何とか辿りたいと思います。
おじいちゃん、家族の為、日本の為、ほんとに、ご苦労様でした。
346:名無し三等兵
06/05/25 07:03:59
>>345
ガイシュツですが、
陸軍の場合の『軍歴照会』は、御爺様の御本籍地の県庁で恩給・援護関係業務の担当部課に尋ねてくだちぃ。
御本籍地の町や村が、まだ昔から残ってる場合は、
そこに兵事係関係の資料が残ってる場合もあります。
347:名無し三等兵
06/05/25 12:12:50
今、厚労省に軍歴照会をしている者です。
それを知るまでが大変だったんですが…まあ、なんとか。
母方の祖父が職業軍人(海軍)でした。明治45年生まれで、
昭和56年に亡くなりました。
先日、母の実家から海軍機関兵曹長(薄紫の兵科線が入っていたので)
と思われる肩章(片方)、と襟章(両方)が出て来て、孫の自分が頂きました。
母の話によると、水兵服でスケートをしている写真等もあるそうで、兵からの
叩き上げだと思われ、伯父・伯母達もよく覚えておらず、軍歴を照会する事
にしました。
一昨年亡くなりました母方の祖母の話によると、相当威張っていたらしく、
食事とかも豪華な者を食べていたそうで、家に帰っても威張り散らしていた
ので「ウチの中は軍隊じゃありませんよ!」と怒ったそうです(笑)。
以前、少尉の任命状などがあった記憶があるので、その事も合わせて、
母とも相談し、可愛がってくれた祖父の事を忘れない為にも、軍歴照会を
する事にしました。
軍歴照会は「厚労省調査資料室資料第三係」が行っているそうです。
長文失礼致しました。結果が出て、書き込みたいと思いましたら、また
書かせて頂きます。
348:名無し三等兵
06/05/25 13:19:17
スレリンク(army板)l50
349:名無し三等兵
06/05/26 04:59:45 UCZU5kRL
>>346
アドバイスありがとうございます。
母方の祖父ですが、軍歴照会はスムースに行くのでしょうか。
>347厚労省に照会ですか。
やはり、文書での問い合わせでしょうか?
具体的にどのような作業だったのか、参考までにご教示下さいませんか。
350:名無し三等兵
06/05/26 07:12:23
>>349
>>347さんの例は海軍の軍人さんの場合です。
(陸軍→各都道府県 / 海軍→厚生省、と扱いが違うのです)
『軍歴照会』、都道府県によって 若 干 対応は違う様なので、
該当の都道府県にとにかく一度お尋ねくだちぃ。
351:名無し三等兵
06/05/26 11:12:28
>>343
>今狙ってるのは、出征前の遺書です。
京本正樹を思い出した。
352:名無し三等兵
06/05/26 11:59:27
>>349
私の場合>>350さんが言われるように、海軍ですので厚労省です。ちなみに、問い合わせ辿り道は、
「市役所」→「市内にある海上自衛隊総監部の広報」→「厚労省」でした。
私が住んでいる所は、旧軍港(鎮守府・工廠・海軍某学校・海軍病院まであった)なので、調べる
のが簡単でした。
私も母方の祖父を調べているので、軍歴照会の時は母の名前で請求しました。というのは、孫の自分
の代まで提出すると、厚労省の場合請求者と被照会者が肉親である証明を添付しなければならないの
で、戸籍謄本が2ついるので費用が嵩むからです。
ちなみに、海軍の場合で厚労省に言われた事は…
1.軍歴を照会したい、という事を書く。
2.被照会者の姓名・本籍・生年月日
3.判る範囲での軍歴や手がかり
4.請求者と被紹介者の関係が証明出きる公的書類(亡くなっていたなら、それが証明出きる事)
5.請求者の免許書等本人確認が出来る物のコピー
これを厚労省に送れば、数ヶ月(その時の忙しさによって違うようです)で、軍歴が「あれば」厚労省から
送ってくれるとの事でした。返信用封筒や切手はいらないとの事です。
353:名無し三等兵
06/05/26 14:33:16
>>350
「若干」ていうか、そもそも軍歴を保管してない都道府県もあるし。
さすがに「捨てちゃいました」というのは聞いたことがないけど、
「昔、県庁が火事にあって焼けちゃったんです」ってのは確か複数ある。
354:名無し三等兵
06/05/26 15:05:12
>>352の者ですが、ちなみにですが総監部広報によると、最近は個人情報保護がうるさくなって、
以前にも戦友の軍歴照会の問い合わせがあったそうですが、個人情報保護の観点から拒否さ
れたそうです。まあ、この世相では悪事を働く不逞者がいますから仕方が無いとは言え、何とも
やるせない気分になりますね。古き良き日本は戻らないでしょうね。
355:名無し三等兵
06/05/26 15:06:24 nwp+vQV+
消防のとき聞いた話なので、記憶違いがあるかも知れんが・・・
北方にて任務についていた俺のじーちゃん。(千島列島のことかな?)
まあ北方だからあれさ、たいしたことなく終戦を迎えたらしい(ってことは占守島じゃないな、いたトコ)。
部隊は本土に帰ることになり、ある日、輸送船が来た。が、俺のじーちゃん寝坊したか何かで置いてけぼりにされたらしい。(俺にもその遺伝子が・・・ orz)
次の日、別の輸送船にのりこんで、「ヤッター帰れる!!」とばかりに船上で仲間と大はしゃぎ。見しらぬ人とも肩組んでさわぐうち、一人が叫んだ。「おい!何だあれは?」指差す先、霧の向こうに黒い塊が・・・
何だったと思う?
それは、昨日乗り損ねた輸送艦の艦首部分だけが浮いているものだった・・・ (触雷したらしい。)
霧の中、まるで艦首だけでも本土に帰ろうかとするその姿は、怖いとかそういうのを通り越して乗っていた人の執念すら感じたらしい。
拙い文章スマソ
356:名無し三等兵
06/05/26 16:04:42
>>354
「悪事を働く不逞者」がいたから「個人情報保護がうるさくなった」んですけどね
元々「古き良き日本」はフィクションでしかないのですよ
357:名無し三等兵
06/05/27 09:46:51 2MEVQR93
ヒストリーチャンネル 「戦記ドキュメント 20世紀の記録」
URLリンク(www.historychannel.co.jp)
19:00-19:30 戦記ドキュメント『日露戦争から第一次世界大戦~世界強国の行方~』
19:30-20:00 戦記ドキュメント『ナチスドイツと第二次世界大戦~世界強国総力戦~』
20:00-20:30 戦記ドキュメント『太平洋戦争史』
20:30-21:00 戦記ドキュメント『戦後の冷たい戦争』
21:00-21:30 戦記ドキュメント『列伝・戦争と英雄』
21:30-22:00 戦記ドキュメント『戦うニッポンの素顔』
22:00-22:30 戦記ドキュメント『戦うニッポン皇軍』
22:30-23:00 戦記ドキュメント『20世紀の兵器』
23:00-23:30 戦記ドキュメント『戦後の日本~国破れて山河あり~』
23:30-00:00 戦記ドキュメント『戦後の世界~超大国米ソの狭間で~』
ついでに。
17:00-19:00 映像の世紀『世界は地獄を見た』
第二次世界大戦のナチスによるユダヤ人の大虐殺、そして原爆という地獄の日々ををカメラは克明に写しとっている。
358:名無し三等兵
06/05/27 15:22:44 6QYXX2Xd
うちのじーちゃんは海防艦の水測員で鎮海湾を拠点とし連日潜水艦狩りをやっていたそうだ。
爆雷落としたあと沢山魚が浮いてきたんで喜んで獲って食ったら魚の身が爆圧でボロボロで滅茶苦茶不味かったそうだ。
俺が海自に入り九州の田舎から横須賀教育隊に入った年、突然体を壊し入院。
見舞いに行くと固太りの大男だったじーちゃんは見る影もなくやせ細っていた・・・
それでも冗談交じりに「ついにお前にも赤紙が来たか」と笑い、「横須賀で水測の学校にいたことがあるが、海が綺麗だぞ。下士官になるのは三十人に一人、厳しいが頑張れよ。」と励ましてくれた。
横須賀の海は汚かったし下士官になれる割合も今と昔は違うのだが嬉しかった。
実は入院前のじーちゃんとは仲が悪く余り話した記憶が無かった・・・それから十年近い時が過ぎ俺は曹の階級を手にした。
奇しくもじーちゃんの言うとおり曹昇任の倍率は高かった。
じーちゃんの励ましのお陰か下士官としての第一歩を踏み出したと思う・・・少しは恩を返せたのだろうか・・・?
長文本当にスマン。初書き込みです。
359:名無し三等兵
06/05/27 15:23:43
あ
360:名無し三等兵
06/05/28 23:10:07
>>358
全海自が泣いた。
361:名無し三等兵
06/05/28 23:15:34
うちのじーさんは三菱の水島の工場で検査員技師長だったらしい。
複葉機を作る部署にいて毎日多くの部品を作らねばならず
ある日無茶な生産を命じられて怒って上司の部屋に怒鳴り込んだらしい。
そのとき上司に一緒にいた日ごろえらそうにしていたお目付け役の軍人が
一言「よろしく頼む」といって頭を下げたのが印象に残っていると
酔ったときよく言っていた。
友人の親戚の爺さんは暴れん坊で近所の嫌われ者で働くとこがなく
軍へ。そこでけんかに強く体力もあるので出世して大和の甲板長
に。沈没したが持ち前の体力と強運で生還。戦争が終わった後は
ニコニコ笑う優しい爺さんになったんで近所のものは驚いたそう。
しかししばらくは近所のものは乱暴物が帰ってきたといって
道をよけて通ったらしい。
友人が大和の事を聞いたときは「世間で言われているほどいい話じゃないよ。
おえらいさんは全員途中で逃げ出したしな。」とポツリと一言
言っただけだったという。
362:名無し三等兵
06/05/28 23:30:36
親戚の家庭教師のおじさん(若く見えるが結構年だった)
は陸軍で満州へ。大戦末期で食糧事情が悪く一緒に居た嫁さんが
流産するなど大変だったらしい。終戦時にシベリアへ。
そこで九死に一生を得て日本に。帰ってきたばかりのときは食い物も
職も無く大変なときに姉(母方の婆さん)助けられ死ぬまで
感謝していた。
(母親3人兄弟に「俺が死んだら星になって見守ってやる」と言ってた)
戦後は勉強して教師になり教員免許を大切にしていた。
363:名無し三等兵
06/05/29 16:27:00
>358
若い時には気がつかないが、
子や孫が自分と同じ道を歩み出したときは、
最高に嬉しいだろうな。
と親不孝者が言ってみる。
364:名無し三等兵
06/05/29 20:45:43
358です。
363さん、そう言っていただけると嬉しいです。
じーちゃんもばーちゃんも生きてるうちに恩を返せなかったので今になって悔しいです。
ここで色々話を語り継ぐのも恩返しのうちだと確信してはおりますが・・・
365:名無し三等兵
06/05/29 21:40:20
うちのおじさん(父方の婆さんの兄貴)の話。
陸軍幼年学校出の中尉。
ビルマ戦線で戦ったとのこと。
戦後英軍の捕虜となったらしいが、その後現地で行方不明に…。
当時家族はずいぶん心配していろいろ調査をしたけど
結局行方知れずになった。
小隊だか中隊だかを率いてたらしいからそのときの
部下だった人にも話を聞いたらしいけどやっぱり
よくわからなかった。
現地人に殺されたかもなんて聞いたらしいけど、やっぱり
真偽は不明だった(アーロン収容所の会田雄二さんの本を
読む限りビルマ人がそんなに凶暴には見えないけど…)。
おじさんに何があったんだろうか?
因みに九州の小倉の人です。
366:名無し三等兵
06/05/30 02:00:36
身内のかたにこういう事を言うのは失礼だとは思うけど
その経歴を見ると
若年の将校が古参兵相手に威張り散らして
収容所や帰還船でリンチを受けるって話は良く聞くな。
なんて、思いが頭をよぎります。
367:343
06/05/30 02:09:55 sx9IgLgS
遺書確保してまいりました。
あと、士官学校時代の同期会のアルバムや
直筆で書いてある自刃のしかたのメモ書きやらです。
大収穫でした。
おかげさまでちょっとずつ分かってきました。
満州時代(S13~)は野戦重砲兵連隊所属だったみたいです。
嫁はマニアックな俺に呆れ顔です。
じいちゃんから直接話を聞いてみたかったな。
368:名無し三等兵
06/05/30 05:18:45
うちのじいちゃんは南昌攻略のための修水河渡河戦で戦死したんだけど
中尉から大尉への一階級特進だった
二階級特進の少佐になれば恩給額が上がるって
ばあちゃんが言ってたw
369:名無し三等兵
06/05/30 07:15:13
>>366
よく聞く噂ですよね…実際あったと思いますけどね。特に陸軍では。
ウチのジーサマも相当威張り散らしていたようだったけど、叩き上げ
だったから大丈夫だったのかな?