06/06/24 23:33:05
戦前戦中だって「天龍」を「天竜」と略字で書いたって不思議じゃないけどな。
551:名無し三等兵
06/06/24 23:54:24
それなんて源一郎?
552:名無し三等兵
06/06/25 00:37:37
523の者ですが、祖父の字で「軍艦 天竜」と書いてあったので、そのまま
書きました。勿論、軽巡の天龍である事は知っていましたが、当時祖父
はそう書いたんだなぁと思ってそのまま書いた次第です。
書き方がどうとかより、本人にとっては「軍艦 天竜」で判るんでしょう。
調べるのは子孫の私がすればいい事ですし、私が判ってるんですから、
まぁここは穏便にお願い致します。
553:名無し三等兵
06/06/25 02:10:16
>>549が一人おかしいだけ。気にするな。
554:名無し三等兵
06/06/25 02:26:57
553、548がおかしいだけ
555:名無し三等兵
06/06/25 02:39:38 q7GpCojf
正式には軍艦天龍、通称軽巡洋艦天龍でしょうね。
556:少佐
06/06/25 05:03:23 JoUb9AQh
私の爺さんは中国で国民党軍の陣地に銃剣でバンザイ突撃したらしい。
一応、国民党はチェコ製のいい機関銃も持ってたらしいし、軽戦車や
大砲、飛行機、手投げ弾、地雷、青龍刀もあったのである。
ドイツに指導されたらしい野戦陣地や鉄条網もあっただろう。
共産ゲリラの狙撃やブービートラップもあっただろう。
それで無事生還してるのだから、皇軍兵士そのものだろう。
38小銃と荷物を背負って、ほとんど徒歩で中国大陸を移動しただけ
でも凄いものがある。
557:少佐
06/06/25 05:07:05 JoUb9AQh
もう一人の爺さんは南方戦線に行くものの、現地で病気になって
しまい本国に送還されたらしい。
兵士としては何の役にも立ってないのだが、病気にならなかったら
南方戦線から生きて帰れなかった可能性もあるし、アメリカ軍の
潜水艦や航空攻撃があるなかで護衛の無い船で本国まで帰るのも
それはそれで大変だっただろう。
病気でもそのまま戦わされて死んだ兵士は多いのだからね。
強運、悪運の塊ではないか。
558:少佐
06/06/25 05:12:07 JoUb9AQh
また中国爺さんのほうは戦艦大和を建造する時に現場の作業員
としても働いてたらしい。
一応、小学校も出てない人間が多かった時代に中学は出てたので
インテリ待遇で少しは一般工員より扱いも良かったらしいぞ。
爺さんだけの功績ではないが、あんだけの巨大戦艦を短期間で
作ったのだから大したものだろうよ。
現在では戦艦大和よりも巨大なタンカーもあるが、装甲の厚さや
大砲から重さが全然違うからね。
一応、姉妹艦の武蔵の例を出せば、20発の当時の魚雷、爆弾の
直撃を受けても沈まないほどの能力は持ってるわけだから、タンカー
どころではない苦労があったはずだ。
559:537
06/06/25 09:07:42
>>539
詳しくありがとうございます。
尾崎(ry
560:名無し三等兵
06/06/26 18:51:08 A48Z9/o2
俺の爺さんも通信兵だった、帝国陸軍軍曹で第一航空軍で、機上通信をしていたらしい
業務の内容はさっぱりだが、いまの趣味はハムらしい。
561:名無し三等兵
06/06/27 16:15:08 g/tQGM17
父方の爺さん…地主で資産家の長男だったため兵役まぬがれ。
母方の爺さん…坊主だったため兵役まぬがれ。
父方の婆さん…戦後も戦前と同じように優雅な生活したため財産食いつぶした。
母方の婆さん…尼さんなので戦争あまり関係ない様子。
戦争は私にとって遠い世界の物語…
562:名無し三等兵
06/06/27 17:17:10 xOlK/bRV
うちのオンジーは、大戦中セレベス島でマラリアになり、「もうダメぽ」の直前に現地人に助けられた。
その後現地人が、やたらタバコを欲しがったので食い物と物々交換してやった。
やがて終戦・撤収の際はすっかり神様扱いで島民総出で泣きながら見送られたそうな。
563:名無し三等兵
06/06/27 22:23:26 bwsuNyF3
かくばかりみにくき国となりたれば
ささげし人の ただに惜しまる
564:名無し三等兵
06/06/27 22:53:35
8月15日になんも考えずにテニス。
今年は海外旅行。
先帝陛下が生きておわせばと嗚呼・・・・。
565:名無し三等兵
06/06/27 22:59:10
父方の爺様 特攻機の訓練生
父方の婆様 なにしてたんだろか
母方の爺様 新日鉄社員
母方の婆様 艦砲射撃で兄弟家族アボーン(´・ェ・`)
艦砲射撃 (((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
室蘭港の軍艦が戦艦に滅多撃ちにされてるのみたけど誰も救助に逝けなかったそうな陸上への射撃酷くて
566:名無し三等兵
06/06/28 01:41:36 xGX1tBXk
叔父は海軍潜水艦勤務で、機関士官でした。大戦末期任務は日本近海哨戒だったと伺いました。叔父達のクルーと入れ代わったクルー達は、未帰港となり、兵舎では帰れなかったクルー達に食事を供えたと伺いました。
567:名無し三等兵
06/06/28 02:06:14
爺様の兄が昭和19年中国大陸で戦死。
戦後数年してから戦友だという人が実家に来たそうな、
荷馬車や軍馬の行列に突然敵戦闘機が現れ機銃掃射をはじめてきて
驚いた馬の一頭が列から離れて走って行ったのを追いかけて行った爺兄と馬を
敵戦闘機は何度も旋回しながら撃ちまくって爺兄と馬が動かなくなると
行列本隊に攻撃するように低空で飛んできて羽を振って飛び去ったとさ。
568:名無し三等兵
06/06/28 10:31:28
父方の祖父 満州国で巨利を得るも、敗戦の混乱の中、ハルピン近郊で露助に殺される
父方の祖母 内地にとどまったため死は免れるも、戦後は一家の大黒柱を失ったため苦労する
母方の祖父 大戦末期に徴兵されるも実戦には出ず生還、戦後ヤミ屋で大儲けするも悪銭身につかずw
母方の祖母 戦時中でも丸々と太っていたため、隠匿物資を持っているのではないかと疑われるw
漏れが、デブで金儲けが得意なのはやっぱり家系なんだな
569:名無し三等兵
06/06/28 15:16:22 D+wEuIpA
漏れが高校生のときに英語の教師から聞いた話だから
スレ違いかもしれないけど、ちょっと書かせて。
その先生の父親は「戦艦武蔵」の搭乗員だったらしく階級も大佐だったらしい。
そして武蔵と一緒に沈んだって言ってた。
それ以上詳しい話はしてくれなかったけど
大佐って言ったら艦長クラスの偉さだし
クラスの大半が「なんじゃそりゃ」みたいな顔をしてる中
漏れは猛烈に続きが聞きたくてウズウズしてた
570:名無し三等兵
06/06/28 15:36:55 KYSkvF4i
当方の父方・母方も戦争で失っているので、
良く解らないところが多いのだが。。。
父方の祖父 一式陸攻搭乗員
ラバウル所属。
敵陣地(?)を攻撃の為離陸後
戻って来ず。
母方の祖父 陸軍歩兵として
南方戦線へ。
ニューギニアのどこかで
名誉ある戦死ということらしい。
いずれも、大本営発表っぽいので、
真偽は定かではないが。
571:名無し三等兵
06/06/28 15:42:00
老後の海外旅行はラバウルとニューギニアで決まりですね
先祖の慰霊いってらっしゃい
572:名無し三等兵
06/06/28 16:53:36
じいちゃんは満州だかどこだかに開拓しに行ってたんだがソ連に拉致られて抑留されてたらしい。ただ大叔父さんは戦死した。
573:名無し三等兵
06/06/28 17:28:21 VkjvoHsH
帝大の薬学を出て、教室で研究を続けていたので、陸軍に薬剤少尉で入隊したが
やらされたのは製薬会社や化学工場との連絡将校だったらしい、終戦三日前に、
敗戦を知らされて、玉音放送を聴いたときには、山分けした高価な薬品や歯科材料の
貴金属を梱包して荷造りがすんでおり、勤務先の自動車で帰宅したそうだ
574:名無し三等兵
06/06/28 17:43:11 B4wdymcF
>>573
インサイダー火事場泥棒ですか
575:名無し三等兵
06/06/28 17:48:43
うちのバーちゃん小さいころから髪の毛が赤く
ヒトラーユーゲント出迎えにいってから、あだ名が
ヒトラーユーゲントになったそうな。
漏れの子供の髪が同じらしい・・・
576:名無し三等兵
06/06/28 19:49:57
>>569
搭乗員だったらしく←乗組員が正しい。
階級も大佐←戦死による特進の結果か?大佐として乗り組んでいたか?
577:名無し三等兵
06/06/28 20:23:52
武蔵に乗り込んでて戦死した大佐って特定できるんじゃね
暇なら
578:名無し三等兵
06/06/28 23:32:25
>>576
あぁ、そうか、飛行機じゃないから乗組員か。。
多分戦死する前から大佐だったはず
579:名無し三等兵
06/06/29 00:30:47
>>578
武蔵と一緒に沈んだ大佐って誰だろうか
艦長はこの人。戦死時は少将だね。
> 海兵46期
>猪口 敏平
>昭和16年 5月 砲術学校教頭
> 昭和17年 7月 名取艦長
> 昭和18年 2月 高雄艦長
> 昭和18年12月 横須賀砲術学校教頭
> 昭和19年 8月 武蔵艦長
> 昭和19年10月 少将
> 昭和19年10月 戦死(シブヤン近海) 中将
> 弟 猪口力平(52)は海軍大佐
ちなみに、軍艦武蔵乗組員2399名のうち、生きて日本の土を踏むことができたのは約400名だった。
でも救助時は半分ほどは助かったはずだけど。
たぶんまず間違いなく靖国にいると思うよ。
武蔵沈没時の乗組員リストどっかにないかな。俺探したけど分からなかったから軍板のどこかで聞いてくれ
役に立てなくて御免
580:名無し三等兵
06/06/29 01:24:07
URLリンク(hush.gooside.com)
これ参考にならない?
詳しく読んでないからわからんけど
581:名無し三等兵
06/06/29 09:09:10 5VeHbmrc
素人ですがお邪魔いたします。
戦死した祖父のことを調べています。
祖父は、上海港務部所属の「笠島」という小さな船に乗っていました。
昭和19年1月にアモイ沖で爆撃機の攻撃により戦死しております。
「上海港務部」もしくは「笠島」の戦友会や遺族会、
あるいは生存者を探しておりますが、
なかなか見つけられません。
捜し出す何か良い方法があれば、
ご教示をよろしくお願いいたします。
582:名無し三等兵
06/06/29 18:04:11
>>581
元・救難船『波島』だった雑役船『笠島』↓ですね?
URLリンク(hush.gooside.com)
このスレに何度も出て来ますが、元・海軍の軍人さんについては
『厚生労働省、社会援護局業務課調査資料室』
が軍歴資料を(存在すれば)保管しています。
まずは厚生労働省の代表・03-5253-1111 に電話して尋ねてくだちぃ。
なお、必要書類として
・請求書(書式は自由。戦没状況・軍歴を知りたい旨、およびその理由を記す。戦没者氏名、生年月日、本籍地、判る範囲での軍歴を併記)
・戦没者の除籍謄本のコピー
・戦没者と請求者の血縁関係が確認できるもの(請求者の戸籍謄本のコピーとか)
・請求者の住民票
・請求者の身元が証明できるもの(運転免許証や健康保険証のコピーとか)
が要るらしいですぜ。
583:追伸
06/06/29 18:10:56
>>581
なお、戦友会などについては、
上記の軍歴照会の際に
「戦友会の様なものがあれば合わせてご連絡下さい。」
と頼んでおきましょう。
で、判らない/教えられないと言われた場合は、
『財団法人水交会 URLリンク(homepage3.nifty.com) 』
(水交会は、旧海軍軍人さんの生協の様な存在だった水交社の後身です)
に尋ねてみるなどしてください。
584:名無し三等兵
06/06/29 20:34:23 HHpEXxHj
うちの爺さんは、憲兵だったとか曹長だったとか
聞いたことがある。憲兵が何かよくわからんが・・・。
インパール作戦に参加していたらしい。
昨日、写真が出てきたので見たら「昭和17年南京聯合本部にて」って
書かれたものが出てきた。
でかい馬にまたがって、軍刀ぶらさげてる写真だった。
・・・爺さん、ひょっとして南京逆s(ry
585:名無し三等兵
06/06/29 20:48:08
>インパール作戦に参加していたらしい。
>昨日、写真が出てきたので見たら「昭和17年南京聯合本部にて」って
>書かれたものが出てきた。
>でかい馬にまたがって、軍刀ぶらさげてる写真だった。
>・・・爺さん、ひょっとして南京逆s(ry
>>584
南京に関しては昭和13年頃だから
時期が全然合わないから安心しろ、と言うか
そのくらい少し調べれば分かる事だろうが!!(゚Д゚*)
憲兵と言うのは、軍隊の警察組織みたいなものだよ。
主に軍隊内の反乱分子や犯罪の取り締まり等を行う。
586:名無し三等兵
06/06/29 21:16:33
>>584
>憲兵
URLリンク(www.laterre.co.jp)
>南京大虐殺
一般市民への虐殺/略奪は皆無ではありませんが、
ものすごく少ないです。
(戦争の本質:『味方は殺しちゃいけない、強姦はなるべくしない』)
陥落間際の国民党軍の苦し紛れの強制徴発の方が多いです。
『南京大虐殺』の犠牲者としてカウントされているのは、
上海包囲に失敗して南京に向けて敗走、
その途中で日本軍に補足/殲滅させられた国民党軍の兵士です。
587:名無し三等兵
06/06/29 22:32:37
>>550
竜は龍の略字ではない。だいたい竜の方が古い字だ。
588:名無し三等兵
06/06/30 01:30:48
僕の祖父は海軍で軍艦に乗っていた。
造船所で働いていたから機工兵をしていたと言っていた。
トラック島で戦っていたと言っていた。ドラム缶のいかだで川を渡った話や、
爆弾を使って魚をとった話を幼い頃によくしてくれた。
小学校になって戦争の事を習って祖父に話を聞いた。
サイパンに行った戦友はサトウキビが食べられていいなと話していたら、
サイパン玉砕の話を聞いて驚いた事や、
作戦開始直前で上官から作戦から外れるように言われ船から下りて
その船が敵に撃沈された話。
敵の軍艦に攻撃を仕掛けるために、爆弾を積んで突撃するための
モーターボートを整備した話をしてくれた。
この話を聞いて、人間の運命ってわからないなと思った。
今でも祖父はあの頃の教育が悪かったと言っていた。
本人は今でも元気で、現役で床屋をしている。
589:名無し三等兵
06/07/01 02:26:38
とある介護施設で聞いた話
大陸方面 兵
「あっちこっち行ったけど、のんびりしたもんだったよw」
多分大変だったんだ追うけど、本人がのんびりした人だったのかと
内地勤務 兵
「切羽詰るにしたがって、体内に陰惨な空気が
下士官から日常的に暴行を受けた。」
航空隊 下士官
「要領よく仕官になってようモテた
特攻は送る側だった、ほっとしたような申し訳ないような・・・。」
南方 看護婦
「物資枯渇しまともな医療行為は不可能。
戦後米軍病院の手伝い、
潤沢な食料薬剤、高度な器具を目前に言葉なし。」
590:名無し三等兵
06/07/02 21:49:35
90の爺さん。
軍隊で何かにつけて殴られていたようだが、そのお題目が
天皇天皇だったらしい。
だから、天皇に何かされたわけじゃないけど、やっぱり
いくらかは恨みが向かっていたようだ。無理もないことだと思う。
昭和天皇が死んだとき、ほっとした顔だった。
591:名無し三等兵
06/07/04 02:41:25
むしろ上官が死んだときにほっとしとけばいいのに
592:名無し三等兵
06/07/05 00:12:02
husyuuuululu
593:名無し三等兵
06/07/05 20:55:32
>590
90の爺様なら補充兵や第2国民兵でないかぎり
2年目くらいからは余裕の古兵殿で威張っておられたのでわ。
594:名無し三等兵
06/07/05 21:21:46
>>593
>590では無いけど、何かの体験談で「新兵の補充が無いからいつまでも下っ端だったorz」
というのがあった気がする。
595:名無し三等兵
06/07/05 21:37:13
>>594
水木しげるがそんなことを書いていたな。
596:名無し三等兵
06/07/06 20:08:02
うちの祖母が、「毎日敵機が機銃掃射してきて藁葺きの屋根にプスプス当たった」と言っていたので、
貫通はしなかったのかと尋ねると、
「貫通はしなかった、厚さはこれくらい(指で12cm程の間隔を作って)、
瓦やトタンだったらどうなっていただろう」と言っていた。
瓦を貫通して二階はおろか、一階まで貫通したと言う話はこのスレの何スレ目かで読んだけど、
藁ってそんなに強かったんだろうか?
597:名無し三等兵
06/07/06 21:30:18
>>596
瓦はトンカチで簡単に割れるが電話帳は割れないだろ。
598:名無し三等兵
06/07/06 23:25:28
私のお爺さんは、日華事変の時に中支で馬の世話の為に従軍していました。
帰国後警察官となり、空襲の中住民を避難させるためにかけずり回っていたそうです。
終戦前に、8月24日付けの召集令状が来てたそうですが、その前に終戦。
ところが、「みんなが集まっていたら困るから」と集合場所に行こうとしていたらしい。
うむ、上手く書けないけどお察し下され。
599:名無し三等兵
06/07/07 00:21:48 Sn9mzvlW
>>598
馬丁であるか。
600:名無し三等兵
06/07/07 00:22:27
「私のお爺さん」てなあ…
いい歳してそういう言葉遣いしてて恥ずかしくないのか?
601:名無し三等兵
06/07/07 00:42:02 1n+Bq1qq
父方の祖父 兵役まぬがれるが広島で被爆
母方の祖父 陸軍海上挺進戦隊で、ベニヤの舟で特攻予定。特攻する前に終戦。
特攻に入ったのは「一日、三食ご飯が食べられたから」
母方の祖父兄 陸軍兵士 祖母が言うには硫黄島で餓死。
母方の祖父兄 足が悪く兵役免れるも、広島で被爆。後遺症で死去。
602:名無し三等兵
06/07/07 00:42:21
>>600
中学生ならもっと自覚を持たないといけませんね、ごめんなさい。
603:名無し三等兵
06/07/07 10:59:39
>>600は>598の性別、年齢などのプロフィールを書き込みからだけで見通してしまう超能力者
604:名無し三等兵
06/07/07 13:40:03 RZoqVPqD
じいちゃんから聞いた話。
じいちゃんは特攻隊だったらしい。じいちゃんの飛び立つ日が決まり「これで死んでしまうのか」と思っていたらしい。そして飛び立つ当日、飛行機に故障があり、飛び立つ日は延期に。なんだかんだしてるうちに終戦した。
らしいんだけど本当かな?
605:名無し三等兵
06/07/07 16:29:08
>>600よ
いい歳してそういう言葉遣いしてて恥ずかしくないのか?
606:名無し三等兵
06/07/07 17:31:14 53SM8CMK
ここが言葉使いを添削するスレですか
607:名無し三等兵
06/07/07 17:53:44 KnUSl+31
叔父の葬式で知った話。予科練出て初出撃が小沢艦隊であったらしい。
608:名無し三等兵
06/07/07 17:59:35
>>607
お葬式なら予科連同期の人とかも来ていたのでは?
609:名無し三等兵
06/07/07 18:54:03 951yC6hS
満州で現地人を軍刀で殺したと聞くのですが、これっていったいなんなんでしょうか?
610:名無し三等兵
06/07/07 19:41:13
>>609
スパイ容疑者等を現地処分した、と言う事で別に珍しい事ではないです。
新任士官にいやがらせ的に斬らせる事もよくある事。
URLリンク(www.k3.dion.ne.jp)
611:名無し三等兵
06/07/07 20:51:52
大正元年生まれの漏れのじい様は、満州へ送られ、自動車の運転手をしていたそうだ
あるとき上官と一緒に軍の倉庫へ行き、必要物資を積み込んだあとで
上官「タバコでも酒でも砂糖でも、好きなものを持っていってよし」
と言われてみんなで目の色を変えて、もって帰ったそうだ
一平卒として従軍したにもかかわらず、満州の銀行に何百円可の貯金ができたのは、今考えると横流しをしてたんじゃないかと思うが、死んでしまったので確かめるすべはない
ともかく、ソ連が攻めてくるまではたいした戦闘もなく、わりとのんびりしていたようだ
でも、シベリア送りにされた後の話はあんまり聞かせてもらえなんだ
もう思い出したくもなかったんだろう
612:名無し三等兵
06/07/07 20:54:13 6sDK3M5k
ああっ、もうダメッ!
ぁあ…ウンチ出るっ、ウンチ出ますうっ!!
ビッ、ブリュッ、ブリュブリュブリュゥゥゥーーーーーッッッ!!!
いやああああっっっ!!見ないで、お願いぃぃぃっっっ!!!
ブジュッ!ジャアアアアーーーーーーッッッ…ブシャッ!
ブババババババアアアアアアッッッッ!!!!
んはああーーーーっっっ!!!ウッ、ウンッ、ウンコォォォッッ!!!
ムリムリイッッ!!ブチュブチュッッ、ミチミチミチィィッッ!!!
おおっ!ウンコッ!!ウッ、ウンッ、ウンコッッ!!!ウンコ見てぇっ
ああっ、もうダメッ!!はうあああーーーーっっっ!!!
ブリイッ!ブボッ!ブリブリブリィィィィッッッッ!!!!
いやぁぁっ!あたし、こんなにいっぱいウンチ出してるゥゥッ!
ぶびびびびびびびぃぃぃぃぃぃぃっっっっ!!!!
ボトボトボトォォッッ!!!
ぁあ…ウンチ出るっ、ウンチ出ますうっ!!
ビッ、ブリュッ、ブリュブリュブリュゥゥゥーーーーーッッッ!!!
いやああああっっっ!!見ないで、お願いぃぃぃっっっ!!!
ブジュッ!ジャアアアアーーーーーーッッッ…ブシャッ!
ブババババババアアアアアアッッッッ!!!!
んはああーーーーっっっ!!!ウッ、ウンッ、ウンコォォォッッ!!!
ムリムリイッッ!!ブチュブチュッッ、ミチミチミチィィッッ!!!
おおっ!ウンコッ!!ウッ、ウンッ、ウンコッッ!!!ウンコ見てぇっ
ああっ、もうダメッ!!はうあああーーーーっっっ!!!
ブリイッ!ブボッ!ブリブリブリィィィィッッッッ!!!!
いやぁぁっ!あたし、こんなにいっぱいウンチ出してるゥゥッ!
613:名無し三等兵
06/07/08 01:16:32
俺の爺ちゃんは兵士ではなかったが、ソ連侵攻時には満州にいてシベリアに連れて行かれたらしい。
ソ連軍が通った後は死体がゴロゴロ転がっていたとか、アメリカについて行くこともできたのに失敗したとか話してた。
あと、詳しくは知らないんだけど爺ちゃんの兄は戦死した。仏壇に靖国神社の写真が飾ってあるよ。
614:名無し三等兵
06/07/08 02:07:05 Z0FNkZ4P
>>604
旧日本軍は物資も欠乏して整備もままならない状況だったので
いざというときに発進できない飛行機が多かったので特に珍しいことではない
うちの叔父なんか上昇速度に達する前に
車輪が折れて大破->入院->終戦
となった
しかも同じ部隊で同じ日に5人も似たような事故を起こしたらしいから
まあとにかく酷い整備状況だったみたいだ
615:名無し三等兵
06/07/08 02:12:57
>>601
御父様方の御祖父さんは貴方の御父様が生まれる前に被爆なされたのですか?
616:名無し三等兵
06/07/08 02:19:43 rZg57oAt
ラバウルに置き去りにされ食うものなくて38式で野生の豚とったり
米軍の不発弾利用して魚採って暮らしてたそうだ。
617:夏の新兵
06/07/08 08:09:05 1fKZEDqm
父方の祖父は海軍の医療班だったそうだが、南方戦線では悲惨な物だったんだ
か多くを語ってくれなかった。階級は中尉だが不思議なのは白兵戦を経験して
いるらしい。中国の方にも行った様である。捕虜にはならずに終戦前に帰国し
、傷病者を大量に連れて帰国したみたいだが、あまり話さない。名前を彫った
カノン砲?の薬きょうと米軍のナイフを見せてくれた。幼い頃の私はそのナイ
フを玩具にしてなくしてしまった。そんな祖父は一昨年98歳で他界した。よ
く覚えて皆さんに伝えたい言葉は「中国人もアメリカ人も悪い人ではない、仲
良くなれる。しかしもし戦争するなら勝たなくてはならない。タカちゃん解る
かい?」小学生のできの悪い私は解るはずもないが今はよく解る。
母方はと言うと、二度戦争に行ったが、まあ駄目っぷり。一緒に暮らしてたので
よく聞いた。満州で戦争して、軍銭が使えなくなった話し、水を飲もうとして
川に行ったら女性の死体がそばにあった事。それがレイプで死んだ人だと言うこ
と、盧溝橋事件の前に中国軍による満人朝鮮人日本人の虐殺があったこと、面白
い話しでは中国のあたりでは中国人でも言語の違いからか迫害があり殺害もかなりあ
ったという。日本では考えられない。愚痴はよく上官に殴られたと連射ができない
銃の事。駄目なところは恥ずかしくて言えない。そんな祖父は他にも多くを語り
ましたが、5年前他界しました。そして私は自衛隊に生きます。
618:名無し三等兵
06/07/08 16:01:33
興味深い話なのに、改行してないのが勿体無い。
619:名無し三等兵
06/07/09 01:29:37
先日爺ちゃんが死にました。
徴兵されて、満州~東南アジア~捕虜を経験したそうです。
玉子が焼ける匂いが戦友を火葬した時の臭いと同じだそうで、、、、l
死ぬまで玉子焼き、目玉焼きが食えませんでした。
満州時代の戦友は殆どがシベリアに逝っちゃった、
東南アジアの戦友は殆どが大陸~海~東南アジアの
移動中に海に沈んだと聞いています。
ギリギリの死線を乗り越えて、奇跡的に助かった経験を
一度だけ聞いたことがあるので
(防大に合格したとき聞かされた。結局行かなかったが。。。)
そのうちまとめて文章にしてみようと思います。
俺の知人もここにカキコすりゃいいのに。。。
本当か知らんが曽祖父が石原莞爾だってさ。
620:名無し三等兵
06/07/09 15:59:28
まじっすか!?
621:名無し三等兵
06/07/10 00:49:56
>>619
神降臨キボン
622:名無し三等兵
06/07/10 22:59:40
俺のじーさまではないが、高校の同期がシベリア帰りだった。
隣の席だったが、今でも通信制の大学に通ってるそうな。
どうでもいいが、俺はミリオタで兵役志願者じゃないですよと。
623:名無し三等兵
06/07/10 23:56:08
俺の死んだじーさんは終戦時海軍大尉
田舎は茨城県の阿見で飛行機に乗って出撃したこともあった
と聞いているので航空隊関係だったのかもしれん。
沖縄で地上戦が起きたときにそこに居合わせたらしい。
初期の地上戦で負傷して動けなくなっていたため生き延びて
捕虜になり終戦後しばらくしてから帰ってきたということだ。
右腕は死ぬまで不自由だった。
戦争に関してはほとんど何も話してくれなかった。ただ、空母
大鵬に乗ったときの事はすごくうれしそうに話してくれたこと
を覚えている。
2年ほど前、沖縄に旅行に行ったときに海軍壕跡を見学した。
こんな狭くてじめじめしたところに負傷した体で何ヶ月もいた
って事を知って感慨深かった。
624:名無し三等兵
06/07/10 23:58:20
×大鵬
○大鳳
なのね。ごめん。
625:名無し三等兵
06/07/11 00:58:12
>>623
大尉っつーたら中隊長以上じゃまいか
626:名無し三等兵
06/07/11 21:59:55
>>625
海軍には大隊・中隊・小隊・分隊の概念はありません。それは陸軍です。
627:名無し三等兵
06/07/11 22:11:45
>>626
分隊長(海軍)≒中隊長(陸軍)だからまぁいいじゃん
628:623
06/07/12 01:04:38
どーもです >>625-627
旧帝国軍については詳しくはないんですが、階級については当時の
じーさんのメモを葬式の時に見せてもらった時の記憶です。
昇進した年月日付きで書いてあったんですがそこまでは覚えていま
せん。
親や親の兄弟からの又聞きなんですが、壕から出撃して米軍に攻撃
をかけては退却し、を繰り返していたそうです。じーさんの隊の部
下がまず撃たれて動けなくなったところを助けようと出ていったと
ころ、本人も狙撃されたということらしいです。
ろくな治療も受けられないままじーさんは動けなくなり(破傷風?)
そのまま戦力外。
どれほど悔しかったことか...孫に話をしてくれないのも当然なんで
しょうね。
629:名無し三等兵
06/07/13 14:58:31 KjSu51Wf
爺ちゃんではないが、婆ちゃんの家が馬をたくさん持ってたらしく、陸軍が馬を徴収してかなりお金を貰ったらしい。話によれば、特に白馬は高かったらしい
630:名無し三等兵
06/07/13 17:14:18 j58sLqz0
うちの祖父は牧野学校?から南方戦線に情報士官として赴任。
前線視察とか資金造りなども指導?していたらしいです。戦後に話題になった
日本兵と同窓世いだったみたい。
631:名無し三等兵
06/07/13 17:28:05 tUNNb2mE
俺のおじいちゃんはクラヴマガの達人でアッツ島で獅子奮迅。
632:名無し三等兵
06/07/13 18:14:49
母方の祖父が陸軍飛行学校の教官でした。
子供の頃はおじいちゃんは飛行機の操縦ができるものだと思い込んで尊敬していました。
教えていた課目が国語と漢文だったと知った中3の夏。
633:名無し三等兵
06/07/13 22:38:39
父方のじいちゃんは徴兵されてない。
戦前から何人もの土方を生き埋めにしつつダム工事なんかを請け負ってたらしい。
たぶん金の力で兵役をスルーしてたと思われ。
戦後は進駐軍からドラム缶の修理の仕事を獲得。
底に残ってる油をちびちびと溜め込んで商売していたらしい。
警察の車両でさえ、それに頼ってたので地元の名士扱い。
ちなみに母方の祖父は初期の満州で戦車から転落して足を骨折。
戦中は毎日温泉三昧だったようです。今でも恩給もらいつつ、足を引きずってます。
当時の写真アルバムを見せてもらったことがあるのだが
半分以上は芸者のブロマイドでした。あとは全裸の坊主頭の男たちの温泉集合記念写真。
楽しそうですね。
634:名無し三等兵
06/07/13 23:31:36
>>630
「陸軍中野学校」では?
まあ、関連書籍はネットで検索すれば出てくるでしょう。
635:名無し三等兵
06/07/14 13:30:57 rVf0tcRS
「SS金物・海龍」乗り組みだった祖父によると、訓練が終わり、
いよいよ本土各地の基地に配属、というときに、辞世の短歌や遺書の
作り方を記した小冊子を受け取ったそうで、祖父は戦友らと、その小冊子を
見ながら遺書や辞世の短歌を作ったそうだ。
少年特攻隊員らの遺書などには胸を打たれるが、祖父は、
「半分以上は、あの本に書いてあった例文と同じね。」と言っていた。
636:名無し三等兵
06/07/14 13:57:25 qNsXsp7v
うちのじいさまは80。農業やってた。長男だ。まだ生きてる。
戦争の話すると、必ず検査で失格で戦争にいけなかった事を強調する。
でも今は歳だからあまり動けないが、70代のころはめちゃくちゃ農作業してた。
20代の俺なんかも及ばないほどに。
なんかうまい具合にごまかして徴兵を逃れたんじゃないのかなーとちょっと思ってたりする。
637:名無し三等兵
06/07/14 14:37:27 YnqFRqBP
実家の祖父、以下、全てうら覚え
大正14年6月20日生、 尋常高等小学校卒、上京して、時計・貴金属店に丁稚、その後、帳簿管理まで任せられる。
上京時、列車で地元の山が見えなくなって泣く。店主一家のトンカツを買いに行き、匂いで食べたくて仕方が無くなって泣く。無声?映画など鑑賞する青春時代。
多分、貴金属店店主は軍から貴金属の強制供出や戦況悪化を受け、店をたたんで地元に疎開を決定。
その直後、赤紙を受ける。店主怒る。帳簿を管理していた祖父の徴兵逃れを画策。医者に偽の診断書をもらい身体検査で不適格をもらう。店仕舞いまで勤務。
その後、横須賀海軍魚雷工場に徴用。徴用者(三国人や障害者と間違われ)として馬鹿にされる。大量の魚雷注文のキャンセルで、軍艦の沈没と戦況の悪化を知る。
徴用者としての扱いに堪えかね、志願。本人曰く、戦況が悪化をしっていたため、生き残るすべを考える。陸軍兵として外地に行けば、日本に帰れなくなる。カナヅチのため軍艦にも乗りたくなかった。
海軍工兵として飛行機整備を担当。その間、豊橋で東南海地震を経験。本人は、病床にあったものの見事に病床から逃げ出す。その逃げ足や記憶に無いが周囲が言うには見事なものだったとのこと。
基地不明にて、航空機での空襲を受ける。本来乗るべき飛行機に偶然乗らず、飛行機は撃墜、生存者なし。
終戦は千歳。飛行機にのって木更津に移動、退役。
田舎に戻って、祖母と結婚。3女(1男早逝)をもうける。曾祖父と祖母の性格的問題により、幸せな結婚生活かは疑問。その間、大叔父が、陸軍にてジャングルで戦後数年を過ごし、土人に保護され帰還。
職業、農業、兼、土木作業員。農作業中よく浜松基地からの練習機を見上げ、「軍用レーダーを使っているため、練習機が出ている時は晴天が続く」と当時を偲び今思えば懐かしそうに見上けていたのかもしれない。
その後、アパート経営。約3年前鬼門に入る。
事情により、葬式その他3回忌も欠席した。改めて冥福を祈る。
638:名無し三等兵
06/07/14 14:38:03
>>635
>辞世の短歌や遺書の作り方を記した小冊子
たぶんソレ、無茶苦茶史料価値があるぞ。
639:名無し三等兵
06/07/14 15:02:41 ZTXE13ed
639
640:名無し三等兵
06/07/14 19:39:42 3D0TmF7a
今日、水交会本部に電話したが、HPも会の中身も全然ダメだ。東京ばっかり。
金取る事しか考えてねえのか?
軍歴を聞こうとしたら「当会は少将以上の方ですので、兵曹長ではちょっと…」
と冷たく言われた。
バカヤローーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!
641:名無し三等兵
06/07/14 19:45:06
そりゃもともと水交社ってのは海軍の将校クラブなんだからしょうがねえよ。
642:名無し三等兵
06/07/14 19:54:05
>>640
あそこは貸しホールや貸し会議室をやっているだけで資料とか何にもないよ。
詳しい資料はそれぞれの軍人会とかに問い合わせないと。
643:名無し三等兵
06/07/14 20:49:17 kHc+39su
>>637
うら覚え というのは新しいパターンだなw
644:名無し三等兵
06/07/14 20:51:27
うるうらしちまったよ。
645:名無し三等兵
06/07/14 20:59:02
>>637
鬼門に入る、というのもどうかと思うが。
646:名無し三等兵
06/07/14 21:53:29 51EC3QyS
>>645
そこが笑うポイントですよ。
647:635
06/07/15 13:00:05 EBc59s6W
>>638
「しゅつじんぶ」(漢字不明)という小冊子だったそうだ
648:名無し三等兵
06/07/15 15:01:09
出陣譜
649:名無し三等兵
06/07/15 19:59:09 ANm+UVR0
>>648
出陣賦じゃなくて?
650:名無し三等兵
06/07/15 20:00:37 ANm+UVR0
>>641
舞鶴には「海仁会」って言う下士官の集会所が・・・・・・あったんだ。
651:名無し三等兵
06/07/16 00:00:04 WRWDQ8W5
自分の祖父は沖縄で海軍に所属していて、戦後捕虜になったらしいんですがどこの部隊とかはどうやって調べたらいいんですか?全く戦争の話はしてくれなかったので…
652:名無し三等兵
06/07/16 00:02:26
>>651
旧軍人恩給を受けていたのなら、市町村か厚生労働省の恩給関係の部署に問い合わせればわかる。
653:名無し三等兵
06/07/16 01:40:44
>>651
海軍の軍人なら軍歴は厚生労働省が保管している。
厚生労働省社会・援護局業務課調査資料室に照会するとよい。
>>652
軍歴の保管と恩給の受給の有無は直接関係ないよ。
654:名無し三等兵
06/07/16 16:16:11 8AQxjy8T
>>651
もう調査・照会の話はアホほど出てるんだから、>>651は四等水兵からやりなおしだ!
貴様それでも帝国軍人かっ!足を開け歯を食いしばれ!スレぐらい読め!バキッ!!
655:名無し三等兵
06/07/16 21:16:22
そういや四等水兵って言えばね、前にも書いたかもしれないんだけど、
太平洋戦争の開戦前か直後ぐらいに、横須賀海兵団に入団して直後に訓練中に事故死した
兵士の遺族が「戦没者等の遺族に対する特別弔慰金」を申請したんだと、平成7年くらいに。
そしたら審査する本籍地都道府県が、「海軍四等水兵なんて階級があるわけねえだろプゲラ」
ってんで、「軍人としての勤務がありませんから対象外なので却下」という裁定を出したんだと。
で、遺族がぶち切れて地元のセンセイにねじ込んでナントヤラ、というのを聞いたことがあるような
656:名無し三等兵
06/07/16 21:19:08
自分が子供の頃に、祖父に恩給で重巡高雄の模型を買ってもらった
祖父が乗ってた艦と知ったのは祖父が亡くなってから
ジイチャンありがとな(T-T)
657:名無し三等兵
06/07/17 13:07:32
俺は祖父に零戦の模型買って貰った。
五十二型頼んだのに二十一型買ってきて、文句言ったら、戦死した祖父の兄が乗っていたそうな。
子供の頃の話だけど、怒ってごめんねじいちゃん。
658:名無し三等兵
06/07/17 13:44:41 Qzkf3pdh
657
零戦21型の呼び方は「にじゅういちがた」じゃない。
「にーいちがた」だ。
659:名無し三等兵
06/07/17 18:47:08 KeFKh8kK
へぇー
660:名無し三等兵
06/07/17 19:51:40
>>437
もう激しく遅レスで申し訳ないが
第14軍の田中支隊(田中透大佐指揮)か
菅野支隊(菅野善吉少佐指揮)のどちらかではなかろうか。
どちらも2000名程度の規模だが
支隊の詳細についての資料は持ってなくてスマソ。
台湾の馬公からルソン島北端に上陸した部隊だ。
661:名無し三等兵
06/07/17 20:48:31
妹の友達の祖父はなんと天皇陛下の親衛隊だったそうな
3年前に100歳で亡くなった曾祖母の弟さんは沖縄で戦死したそうだ
日清戦争からイラク戦争まで100年を見つめた曾祖母は一体どのように
戦争の世を生きていったのだろう・・・
662:名無し三等兵
06/07/17 20:52:29
うちのジーさんはフィリピンで一式陸攻に乗ってたらしい。
盲腸で手術することになって(本人は麻酔なしでやったとか言ってるけど多分うそ)
違う人がジーさんの代わりに出撃したらその人の機は帰ってこなかったそうだ。
後十年くらい前にジーさんの教官だった人で撃墜王だったとか言う人がきたけど名前は忘れた。
最近の年賀状でどこかを切断したって書いてあった。
他にもなんか武勇伝ぽいのがあるが書ききれん。
663:名無し三等兵
06/07/17 20:53:02
揃いの蛍光色の法被に鉢巻き締めて、野太い声で
「せ~~~~の、てんーのーへいーかー」とかやってたのか
664:名無し三等兵
06/07/18 00:42:06
俺の大叔父さんは飛行機乗りだったらしいが珊瑚海で散ったらしい。
で、大叔父さんには婚約者がいたんだが、それが俺の祖母・・・。
大叔父さんが戦死しててくれなきゃ俺は今頃いない訳で、自分の存在について考えさせられるよ・・・。
665:名無し三等兵
06/07/18 00:57:04
そういう話はごろごろあるから気にしなくていいと思うよ。
666:名無し三等兵
06/07/18 22:26:57
俺の母方の曾曾じいさんが明治天皇の護兵隊してた
667:名無し三等兵
06/07/19 02:03:01
>>666
しかしその孫である君はダミアン
668:名無し三等兵
06/07/19 02:05:00
>>666
玄孫だっけ?
669:名無し三等兵
06/07/19 07:52:37
俺の曾曾曾じいさんが孝明天皇の(ry ってかただの左近衛大将じゃねーか。
俺の曾曾じいさんが明治天皇の(ry ってかただの兵部卿じゃねーか。
俺の曾じいさんが大正天皇の(ry ってかただの海軍大臣じゃねーか。
俺のじいさんが昭和天皇の(ry ってかただの海軍軍令部長じゃねーか。
俺のおやじが今上天皇の(ry ってかただの宮内庁長官じゃねーか。
で、俺が**宮*子内親王と結婚する訳だが…。
670:名無し三等兵
06/07/19 09:36:59 X0lX8CKL
そういえば祖父が終戦まじかに、近衛師団にいたんだけど当時大きな事件があった
みたいで祖父も参加したみたいだが詳細か足らずなくなった。知ってる方います?
671:名無し三等兵
06/07/19 09:47:52
うちの近所の爺さんの話
海軍に入り満洲に行ってたらしいのだが戦後に恩給?が貰えないらしい。
恩給って従軍すれば貰える物じゃないの?
672:名無し三等兵
06/07/19 10:57:41
>>671
軍属だったのでは(軍属の戦後の扱いは良く解らないけどorz)
673:名無し三等兵
06/07/19 11:31:36
>>658
>零戦21型の呼び方は「にじゅういちがた」じゃない。
>「にーいちがた」だ。
前にも興味深いカキコにおなじネタで難癖つけられて
つづきが聞けなかったorz
674:名無し三等兵
06/07/19 11:59:17
>670
URLリンク(www.google.co.jp)
(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
675:名無し三等兵
06/07/19 13:31:44 lk26mcFo
>>670
そりゃ宮城クーデターだ。
終戦に反対した将校が近衛師団の一部を動かして、
森近衛師団長殺害と、天皇の玉音放送入った、
録音盤破壊した事件じゃなかったかな。
676:名無し三等兵
06/07/19 13:47:21
>>671
もとの軍人が恩給を受けるには、
・下士官兵は12年の勤務年数があること(戦地勤務は1月を3月に換算、とかややこしい計算あり)
・公務に起因する疾病傷害で一定以上の後遺障害がある
のどちらかが基本的に必要。
軍人(官吏)の身分をもたない軍属(傭人・雇員等)や準軍属(徴用者等)については
恩給の対象とはならずに、公務死亡の場合の遺族給付や、公務傷害の場合の
傷害給付のみが「戦傷病者戦没者遺族等援護法」による援護年金としてなされる。
なお、勤務年限未到で恩給が受けられないいわゆる「恩給欠格者(恩欠者)」については、
一定の要件を満たす場合に独立行政法人「平和祈念事業特別基金」を通じて
総理大臣名の書状や銀杯等を贈呈する事業が行われています。
677:名無し三等兵
06/07/19 18:21:51 fYB2ZgTv
えっ祖父の行動は反乱軍じゃないですか?賊軍・・・
ありが㌧です。ショックだ~、だから毎年8・15は宮城に通っていました。
678:名無し三等兵
06/07/19 18:34:31
当時の階級によるがな
679:名無し三等兵
06/07/19 19:35:14 5CzTRcHb
こともあろうに大元帥陛下をお文庫に監禁。あまつさえ機関銃の銃口を向けた大逆人の一味。世がよなら落人狩りの対象w
680:名無し三等兵
06/07/19 19:53:26
>>677
ぜひ『日本の一番長い日』を読んでみたらいいと思う。
映画にもなっていますよ。ビデオショップにないかな。
うちの祖父の場合は近衛一連隊だったので非常呼集を夜中に
かけられたけど、ちょうど、東部軍指令長官(?忘れた)が来て、
止められ、玉音盤の奪取には関わらなかった。
第二連隊が主に関わったようです。結局、失敗したし、
226の時と違って「反乱軍」扱いはされていないでしょう。
迫水久恒の『機関銃下の官邸』にも詳しかったと思います。
681:海軍魂 ◆BrgfwA9w5k
06/07/19 23:32:09 ezmHQsSj
厚労省より、祖父の軍歴来ました!兵→下士官叩き上げの素晴らしい祖父です。
明治45年生まれ(以下、照会文の通り。家族の出生等は省く)
昭和 5年 6月 呉海兵團ニ入團
〃 海軍四等機関兵ヲ命ズ
〃 11月 海軍三等機関兵ヲ命ズ
〃 軍艦韓崎乘組ヲ命ズ
昭和 6年10月 第五十二期普通科機関術(掌機)練習生
トシテ海軍工機學校ニ入校ヲ命ズ
〃 11月 海軍二等機関兵ヲ命ズ
昭和 7年 5月 第五十二期普通科機関術(掌機)教程修業
(即日仮入校)
〃 海軍工機校學校ニ仮入校中、處復歸ヲ命ゼラレ
退校嚴島便乘呉着入團
9月 第十七潜水隊ニ轉勤ヲ命ズ
〃 乘組ヲ伊號第五十二号潜水艦ニ指定ス
11月 海軍一等機関兵ヲ命ズ
昭和 8年 6月 普通善行章一線附與(計一線)
昭和10年 5月 呉海兵團ニ轉勤ヲ命ズ
7月 軍艦大鯨乘組ヲ命ズ
10月 第二種症状ニ依リ呉海軍病院ニ入院
11月 任海軍三等機関兵曹【呉鎮守府】
昭和11年 1月 入院ノ儘呉海兵團ニ送籍
2月 退院帰團
8月 舞鶴海軍防備隊ニ轉勤ヲ命ズ
10月 普通善行章一線附與(計二線)
11月 任海軍二等機関兵曹【呉鎮守府】
昭和13年 5月 刈萱乘組ヲ命ズ
〃 厦門港外ニ於テ乘艦
12月 磯波乘組ヲ命ズ
682:海軍魂 ◆BrgfwA9w5k
06/07/19 23:32:42 ezmHQsSj
昭和14年10月 普通善行章一線附與(計三線)
11月 任海軍一等機関兵曹【呉鎮守府】
〃 天龍乘組ヲ命ズ
12月 舞鶴鎮守府所管に轉籍
昭和15年 4月 支那事変ニ於ケル功ニ依リ勲七等青色桐葉章
第七万二千七百入號及金四百圓ヲ授ケ賜フ【賞勲局】
〃 支那事変從軍記章ヲ授與サル【賞勲局】
12月 昭和十五年勅令第四八入號ノ旨ニ依リ紀元
二千六百年記念章ヲ授與サル【賞勲局】
昭和16年 4月 舞鶴海軍航空隊附ヲ命ズ
昭和17年10月 普通善行章一線附與(計四線)
11月 昭和十七年勅令第六百十號ニ依リ海軍上等機関
兵曹ト爲ル
昭和18年 4月 第一雲洋丸乘組ヲ命ズ
〃 横須賀海兵團ニ仮入團
〃 横須賀第一海兵團ニ仮入團中ノ處ニ於テ横須賀デ乘艦
昭和19年 3月 舞鶴海兵團ニ入團ヲ命ズ
〃 任海軍機関兵曹長【舞鶴鎮守府】
〃 服役延期解止
〃 職務勉勵ニ付特ニ金 圓ヲ賞賜ス【舞鶴鎮守府】
〃 豫備役
〃 充員召集ヲ命セラル
〃 舞鶴海兵團准士官學生ヲ命ス【舞鶴鎮守府】
4月 第二十三号掃海艇乘組ヲ命ス【舞鶴鎮守府】
5月 臨時第二十四号掃海艇乘組ヲ命ス【第五十二掃海隊】
7月 第二十三号掃海艇(掌機長)ヲ命ス【舞鶴鎮守府】
11月 叙勲六等瑞宝章(定例)
12月 給三級俸【舞鶴鎮守府】
昭和20年 6月 給二級俸【舞鶴鎮守府】
9月 任海軍少尉【内閣】
〃 解員
〃 叙正八位(定期)
683:海軍魂 ◆BrgfwA9w5k
06/07/19 23:34:14 ezmHQsSj
舞鶴鎮守府からの賜り金は金額が書いてありません。
所謂「ポツダム少尉」だったんですね。昭和19年が目まぐるしく
忙しいのが判ります。
本当に大変だったろうと思いますし、祖父を誇りに思います。
684:名無し三等兵
06/07/19 23:41:42
>>681-683
善行章4本!
いわゆる洗濯板ですか。
叩き上げの機関科下士官。
日本海軍を支える人材ですね。
685:名無し三等兵
06/07/19 23:43:39
>>673
確かに多いな。みみっちぃ。
ゴウニイだろうがゴジュウニだろうが、細かい事まで気にスンナ。
そう言う奴に限って、A6M2bとか書くとさっぱりな癖して(実際に有った)。
686:海軍魂 ◆BrgfwA9w5k
06/07/20 00:15:38
>>684
ありがとうございます。善行章はヘマをすると剥奪されると聞いたので、
一度も無く善行章四本(洗濯板)は誇りですね。横須賀の工機学校に
行っていたので、普通科特技章も写真ではありました。
掌機ってのが良く判らないのですが、エンジニアみたいなのだと思いま
す。在学中の写真でモーターみたいなのをいじっているのがあります。
あと掌機長ってのも判りませんが、偉かったのでしょうかw
准士官学生を命じられていますし、舞鶴にあった下士官集会所では神様
状態であったらしく、家でも威張り散らして祖母に「家は軍隊じゃないんで
すからね!」と言われていたと聞いていますw
支那事変従軍記章・紀元二千六百年記念記章・旭七・勲六瑞宝と受勲し
ていた事も判りました。三等兵曹から官吏になるので鎮守府記述がある
のがよく判ります。私の手元には機関兵曹長の襟章(両方)と肩章(片方)
が残っています。海兵團ってのは海兵隊みたいなもんで、海軍陸戦隊み
たいなもんですかねえ…。ともかくも、四等兵から下士官としては頂点を
極めて、准士官になってますから、優れた機関兵だったと思いたいです。
687:名無し三等兵
06/07/20 00:46:14
海兵団は新兵の教育機関だよ。
688:名無し三等兵
06/07/20 02:50:27
下士官兵の人事は海兵団が掌握
689:名無し三等兵
06/07/20 08:34:08
>683
さぞ御苦労されたことと、頭が下がります。 敬礼!
>685
ホント、数字房はウザイね。
そんなこた~オタなら皆しってる。
知らない普通の人の話が一番貴重なんだが。
690:名無し三等兵
06/07/20 10:56:19
>>689
激しく同意。
691:u
06/07/20 11:02:14 coWyRiHH
688> ではなくて、鎮守府人事部が掌握
687> でもあるけれど、陸上勤務の下士官兵をプールしておく部隊でもあった。
686> 掌機は、機関科の筆頭部門で、フネのエンジンを操作・整備する。他に罐、電機、補機の各部門があった。
掌機長はその親玉で、現場監督みたいなもの。ベテランの准士官か特務士官がなるポジションで、機関・用具・器材の保管・整備、下士官兵の教育にあたり、機関将校を補佐した。
履歴を拝見すると祖父さまは、いったん潜水艦乗になったけれど、病気になられて、普通のフネの乗組に進路を変更されたようですね。
長年の海上勤務ご苦労さまでした。
692:名無し三等兵
06/07/20 13:13:05
伊52といえば独に向かう途中、大西洋にて壮絶なる最後を
遂げたはず。
693:名無し三等兵
06/07/20 13:29:17 tQMGxHUm
>>689
>さぞ御苦労されたことと、頭が下がります。 敬礼!
>>691
>長年の海上勤務ご苦労さまでした。
戦後生まれの方ですか
それとも戦争体験者の方ですか
いづれにしても・・その気持ちに感謝
694:海軍魂 ◆BrgfwA9w5k
06/07/20 13:31:39 zuXt06bn
>>689>>690>>691様
本当にありがとうございます。
母が(母方の祖父です)が「私達子供(5人)が全然知らなかった、おじいちゃんの事を調べてくれて
ありがとう。孫が調べて自分の生き様を知ってくれて、おじいちゃんも喜んどってやと思うわ。孫の中
ではお前しかおじいちゃんの軍人の頃を知らんのやから、亡くなった人は思い出してあげるだけでも
凄い嬉しいそうやから、お前がこうやっておじいちゃんの事をずっと思ってくれとると、おじいちゃんも
天国で涙流しとるんちゃうかな?」と言ってくれました。
祖父は、私が小学校低学年の頃に亡くなりましたが、祖母は一昨年まで存命でした(享年八十八)。
今頃は祖父が祖母に「お前、やっと来たか」と言って、夫婦仲睦まじく天国で暮らしていると思います。
私は煙草を吸うので、墓参りや仏壇に両切り(フィルターが残らないように)のゴールデンバットや、し
んせいを供えています(愛飲はエコーでした)。祖父も煙草が吸いたいだろうなぁ、と思い供えると、ど
こからか「あ~旨い」という声が聞こえるような気がします。
祖父は解員後は、手に職があったので仕事には困らなかったそうです。幼心にかすかに残っている、
カブで私を迎えに来て、あちこち連れて行ってくれた祖父の横顔を思い出して、図らずも涙を浮かべて
しまいました。軍人の時の祖父なら「男がそんな事で無く奴があるかっ!」と怒るでしょうか。それとも、
孫だから許してもらえるでしょうか…祖父の「男」の生き様に、小生(祖父が良く使ってました)男泣きで
す。
695:名無し三等兵
06/07/20 13:38:48
81になるうちの爺さんの話。
最初小倉の工場に動員されたら空襲にやられて
敵の飛行機に腹が立ち、飛行機乗りになろうと
志願して飛行兵の試験受けて合格したものの、
配属先の三重の基地には飛行機がなく、無線の解読の訓練していた。
その後、配属先が満州、フィリピン、台湾、沖縄、ジャワから選べるから
満州を選び、そこで気球を飛ばして天気の観測したらしい。
その後、そこで棒倒しの時に足を痛めて入院。
入院中にソ連が参戦したからトラックに載せられて逃げたものの
追いつかれて捕まりシベリアへ。
数年抑留してから帰還。帰った時は親は自分の息子とわからなかったらしい。
シベリアの話で印象的な話は「何も食うものないところに葉っぱがあるから
一人が湯がいて食べたらタバコの葉だったらしく倒れて担がれていった。
おそらく死んだだろう。」という話。
696:海軍魂 ◆BrgfwA9w5k
06/07/20 13:46:02 zuXt06bn
あと、一種下士官軍帽(一本線の入ったキャップの様な方です)を被った写真の後ろに、
恐らく祖父の字でこんな事が書いてありました(糊をはがした部分などで見えない所は*)
「*月二十五日*艇内で撮す
十九路軍と間違って***
困るよ、お前の誰か**
顔を見たら、げっそりするだろう」
祖父は一種下士官軍帽をキリリと被り、少し険しい表情で斜め上を見つめています。
唯一残っている祖父の「言葉」です。
697:名無し三等兵
06/07/20 21:01:52
じいちゃんはワシが小さな頃に亡くなったので
直接戦争の話を聞いたことは無いけど軍隊時代の写真集は見たことある。
初めの方は山東省の風景とか地元の綺麗なお姉さんの写真があって
次に行軍中の写真(どういうわけか脱輪したトラックの写真が多い)。
あと天安門広場もあったかな。
なんだかとてもノンビリとした感じだった。
あと、当時の上官がまだご存命で、その方によると
「日本製のトラックはよく故障したがすぐに修理できた。
ルノー製のトラックは滅多に故障しなかったけれど、修理は出来なかった。」
そうな。
ところで、じいちゃんは「自動車隊」というものに所属していたみたいだけど
これは輸送部隊のことですかね?
698:名無し三等兵
06/07/20 23:16:14 SAXDeRtA
うちのじーさん南京陥落の時南京で補助憲兵(上等兵)だった
詳しく聞きたい?
第16師団33連隊3大隊だよ
699:名無し三等兵
06/07/21 00:38:30 6dKHFeI4
日中戦争で徐州で踵を貫通銃創で帰国した軍医だった。
700:名無し三等兵
06/07/21 00:56:44
>>694
お爺様に敬意を払うなら「生き様」などという珍妙な言葉は使うべきではないよ。
「死に様」と「様を見ろ」いう言葉はある。
しかし「生き様」などという言葉は少なくとも日本語にはない。
よしんばあったとしても「死に様」「様を見ろ」に見られるように「ざま」に良い意味はない。
水を差すようだけど、気になったので。
701:名無し三等兵
06/07/21 01:12:45
>>700
普通に使われる言葉だが?
URLリンク(dictionary.goo.ne.jp)
新明解国語辞典によると
『その人の、人間性を まざまざと示した生活態度。[「ざま」は「様」の連濁現象に
よるもので、元来濁音の「ざまを見ろ」とは意味が違い、悪い寓意は全くない]』
とある。水を差すようで気になるのなら、辞書くらい引こう。gooなら無料だ。
702:名無し三等兵
06/07/21 01:14:46
まぁ、言葉は生き物だ。
本来、誤った用い方をしていても、それが普遍的になれば
正しい言葉になっていく。
703:701
06/07/21 01:24:45
>>702
まあそうなんだけどね。でも>>700は「少なくとも日本語にはない」なんて
断言しちゃってる。
21型をにじゅういち型だのにいいち型だの、下らないことでつぶされた例が
つい最近でもあったので釘をさしたかった。
生きた日本語の使われ方を知りたければ、ぐぐればいい。
本来の意味とは違う使われ方をしている場合でも一発だ。
今回の場合、生き様がネガティブイメージで使われているようでもないし、
少なくとも生き様という言葉が存在し定着している事ぐらい分かるだろう。
704:名無し三等兵
06/07/21 01:35:50
>>700
ま、落ち着け。揚げ足とって君は楽しいんだろうけど、俺はシラけるだけだから。
そう言う些細(君にとっては些細じゃないんだろうが、俺にとっては些細)な事は、生温くスルーすべし。
というか、最近はゆとり教育でF6F並に大量生産された、学力遅れが多いんだから。
還って最近は、海外から来た外人の方が、日本語上手い位だ。
>>703
今回は>>700が取った揚げ足が悪かったな。
まぁ、こう言う手合いが2ちゃん用語を大量生産するんだろうが。
そう言う事で、>>694には続きキボンヌ。
705:名無し三等兵
06/07/21 02:10:37 bxI8NOc7
昔、祖父に「じいちゃんは、陸軍やったん?海軍やったん?」と尋ねたら。
少しハニカンダ祖父は『‥‥わしは福知山で弾作ってた‥』とおっしゃりました。
その後『工場はキツイ仕事で手が大変痛かった。』と続けてくれました。
来年13回忌です。
706:海軍魂 ◆BrgfwA9w5k
06/07/21 02:14:05 G5Gmcu9e
そう言えば、前も祖父が直筆で「軍艦天竜」って書いているのに、
「軽巡洋艦・天龍」だ、とかやけにこだわってる人いましたね。
でも、祖父の軍歴照会見てみると、当時でも旧字体使っていない
所があったり、テキトーな所ありましたよ。
要は、意味が通ればそれでいいんだと思いますよ。生死の境で
働いている軍人にとって「竜」でも「龍」でも判ればいいんだと思い
ますよ。
そんな事言ってると「娑婆気満々」って事で制裁されますよw
707:名無し三等兵
06/07/21 02:14:31 ddYqsTD2
家の曾祖父は近衛兵だったようです曾祖父は
戦争とはあまりかかわらなかったようです。
面白い話では祖母は造兵関係の仕事をしていたようですが
そこで工員はうどんとかが多かったようですが祖母はわざと
食券を忘れたりして軍人が食べていた白米のご飯やらおはぎ
をいただいていたようです、要領よかったんですね。
ちなみに祖父は九州で蛸壺作って米軍を待ち構えていたらしい
しかし我が家のトイレにはB29の不発弾(焼夷弾)が束になって落ちてきたようだし
近くにB29が墜落(?)したらしく大変だったようだ(名古屋市です)
708:海軍魂 ◆BrgfwA9w5k
06/07/21 02:16:06 G5Gmcu9e
>>705
福知山は陸軍ですね。今は陸自がありますね。
指令がなんか、イラクかなんかで有名なヒゲの大佐・・・じゃなくて一佐だそうでw
709:名無し三等兵
06/07/21 03:02:29
第十六師團第二〇聯隊
710:名無し三等兵
06/07/21 03:02:47
俺の爺ちゃんは潜水艦に乗って、ウルシーに回天打ち込んだらしい
もう一人は田舎で通信兵やってて、空襲も来ず平和に過ごしたらしい
711:名無し三等兵
06/07/21 03:54:59 gxteHGWj
うちの爺さんは帝国海軍に入ってた。
配属先は何故か三沢基地の守衛になったそうな。
ズーズー弁で
「おら何の拍子か回りは南方へ行ったけど、飛行場の番兵だった、
目が良かったもんだから高射砲でグラマン狙ってた」
「グラマンは羽の形がこうなってたからすぐわがるー」
「やたらめったら、撃ったら駄目だ、
まんず当たらないけど、よーぐ狙えばたまーに堕ちる」
それと、、ABCD包囲網の話を風呂に入った時に良くしてくれました。
もう亡くなって10年は経ちましたが、、セーラー服にドナルドダックの
ような帽子を被った写真が飾ってあります。
712:名無し三等兵
06/07/21 06:48:39
ウチの爺さんは対馬要塞で食事係をしてたらしい。
何せ聞いたのが随分とガキの頃だったから階級とか部隊の話は
さっぱり聞かなかったのが悔まれる。
で、その爺さんから聞いた話でよく覚えてるのは
・対馬要塞の40cm砲(赤城から下ろされた奴)が敵潜を撃沈した(らしい)
・食事に関しては困った事がなく大好きな玉子焼きばかり食ってた
・小船いっぱいの冬瓜を食わされて以来嫌いになったらしく
今に至るも冬瓜だけは食いたくないらしい。
因みに当時婆様は佐世保に居たそうだが、
有る意味こっちの方が恐ろしい話だった。
・自宅は山の上の方にあり、佐世保空襲の時
高射砲弾の破片が家の壁を突き破っていた。
・海軍工廠で働いてた婆様の親父(曽祖父)が昭和二十年八月九日の朝、
南に飛んでいく一機のB29を目撃したそうだ。
それから例の時間、物凄い音がして、その時は雷が落ちたのかと思ったらしい。
B29の話は広島と似たような感じで、やっぱり偵察だと言われてたそうな。
つーか上の話は母方の祖父母の話だが、
父方の祖父母は二人とも被爆者なんだよな・・・
母方の祖父母は食い物に困った、っていう話は全く聞かないが
農家だった父方の祖父母は随分苦労したという話をよく聞く。
713:712
06/07/21 07:08:17
そういえば曽祖父が工廠の仕事仲間から貰ったとかで
昭和十八年十二月一日発行の『海軍作戦写真記録Ⅱ』(定価五円)
というのを祖母が保管してた。
今は漏れが所持。
開くと最初の何も無いページに曽祖父が描いたらしい水墨画がある。
内容は珊瑚海からインド洋までの主な作戦と現地人との交流や訓練風景など、
他に視察中の白い軍服を着た天皇陛下、古賀峯一長官の写真と
山本五十六の戦死を報じる記事(と写真)があった。
なんか物凄く貴重物なんじゃないかとは思うんだけど
いくら孫っつっても曽祖父が大事にしてたものを
投げやりに『やる』とか言ってセッタ吹かすのもどうかと思うぜ婆様よ・・・
714:名無し三等兵
06/07/21 07:24:02
>>696
写真の後ろといえば…
戦友と二人で撮った写真の裏に「二枚目の方が俺」と書いて家に送った私の祖父w
715:名無し三等兵
06/07/21 09:01:07
>712
>対馬要塞の40cm砲(赤城から下ろされた奴)が敵潜を撃沈した(らしい)
興味津々もすこし、おせーて。
716:712
06/07/21 09:46:43
>>715
実は漏れもあんまり詳しい事はわからんとです・・・('A`; スマソ
設置されていた40cm砲についてはそういう資料があるし間違い無いんだけど
敵潜撃沈に関しては爺さんの話だけなんで実際本当かどうかわからない
(だから『(らしい)』)
あとちょっと調べてみたが対馬要塞の40cm砲は土佐の奴で赤城の40cm砲は
壱岐要塞だったみたい。
サイトとか資料によってなんか土佐だったり赤城だったりだけどあんまり
変わらない気もしたりしなかったり・・・
というか爺さまが居たの壱岐要塞だったかもしれない・・・
爺さまの出身地は壱岐だし。
聞いたの幼稚園とか消防なり立てぐらいだったんで・・・ゴメンナサイ(´Д`;
717:海軍魂 ◆BrgfwA9w5k
06/07/21 10:20:34 6bp7YQM5
>>714
ははは、それは面白いですね。うちのじいちゃんは真面目で厳格な人だったので。
でも、そういう「頑固オヤジ」が減って来ているのも事実ですよね。俺らが消防の頃
は、まだ明治生まれが80台ぐらいで元気で、浪曲とか聴いていたのを覚えていま
す。今では明治45年生まれで94、5歳ですからね…昨日、95歳の浪曲師さんの
浪曲をラジオで聴いていましたがw
昭和で言うと、もう昭和81年。大正生まれの方も、もう少なくなって来たのかも知れ
ませんね…。
♪ヲタ~の毒男のにーちゃーんきーんむ 日日祝祭日祭祭! 現代ニート替え歌w
718:u
06/07/21 10:37:08 ZudoRlSB
687> 輜重兵の自動車隊でしょーね。輜重兵には馬輸送のと、自動車輸送の2種類あったので。
719:名無し三等兵
06/07/21 19:52:39
>>716
横レスだが、興味深い一連のレスありがと。
関連の話が出た時、裏付けとなる貴重な話だし
今後も調べて誰かの疑問に該当したら答えてあげて下され。
720:名無し三等兵
06/07/21 21:04:20
父方のじいさんは中国に行ったって小さいとき聞いた。
良く分からないけど戦争で心臓を悪くしたらしくそれが原因で
俺が小学校1年生のとき亡くなってしまったから詳細は分からない。
母方の数年前100歳で亡くなった曾じいさんは小学校の校長先生で
じいさんは工場でなんか作ってたらしい。
721:名無し三等兵
06/07/22 05:16:14
>>718
レスアンカーぐらいまともに付けろよ
722:名無し三等兵
06/07/22 15:38:42 JlzSlRQv
>>706
某有名軍事サイト「戦鳥」でも、
かつて本物の艦攻乗りだった搭乗員に向かって、真っ向から否定し己の知識をひけらかすミリオタもいますからね。
723:海軍魂 ◆BrgfwA9w5k
06/07/22 22:24:08 zfExNaKO
今日は以前に書きました機関兵曹長だった祖父の月命日でした。
仏壇に手を合わせ、祖父の戒名を唱えました。煙草を供えたかった
のですが、あいにく切らしていました。また、両切りのバットかしんせ
いを買って来ますね。大好きなおじいちゃんへ、孫より。
724:名無し三等兵
06/07/22 22:56:24 dnj3EKxR
>>721
夏厨だろ仕方ない。
漏れの家のじいちゃんは戦場に行く船に乗り遅れたから戦争に
行かなかったんだとさ。母方のじいちゃんはサイパン島から生き延びた
人なのに
725:名無し三等兵
06/07/22 23:46:09 Wdj/MXW7
俺のじいちゃんは、訓練の時に朝鮮人の上官に殴られまくって
兵隊が嫌で胃潰瘍になって、皮膚の表面だけの麻酔で手術をされた。
痛すぎて何度も気絶しては、また激痛で目が覚めるの繰り返しで
「殺せー!」と叫んだけど、「貴様それでも軍人か!」と言われたんだって。
んで、そのまま使い物にならなくてご帰還。
喧嘩が嫌いで、ひょうきんで怠け者だけど、敵がいないみんなに好かれて
友達の多いじいちゃんだった。天寿を全うした。
そのじいちゃんの兄は、通信兵でフィリピンのマリキナで戦死だって。(靖国神社で調べた)
しいじゃんの兄のほうの写真を見ると19歳なのに、威圧感のある目をしていた。涙が出そうになった。
帰ってきたじいちゃんの目は、、、、比べるとアホそのものだったw
726:名無し三等兵
06/07/22 23:52:15
俺の爺様はノモンハンを師団本部警衛任務でやり過し、
ビルマ、マレー、レイテをまんまとやり過した強運の持ち主。
一族の運を一人で使い尽くした気がしないでもないw
727:名無し三等兵
06/07/23 00:01:17 uyiSp/bx
俺の嫁さんがたのじいちゃんは特攻隊で、知覧に写真が飾ってあるんだって。
728:725
06/07/23 00:24:42 0bhTt/OE
わずかな麻酔での手術なんだけど、戦後何十年も経ってじいちゃんが年を取って心臓の手術をしたときに
麻酔が効いてるのに「殺せー!痛てぇーー!」と手術中叫びまくったそうな。手術室の外に聞こえるほどの
声で家族が麻酔が効いてるか心配だったと。
麻酔無しの手術がトラウマになって残ってたらしい。
手術後じいちゃんに、痛かったの?って聞いたら、「ぜーんぜん。寝てたからわかるわけがねー。」と言ったそうな。
ふざけたジジイだった。術後は、同室の人たちを笑わせまくったり、部屋の人たちを
巻き込んで大騒ぎして風紀を乱したということで、強制退院させられた。
729:名無し三等兵
06/07/23 10:40:34
>>728
執刀した医者たちは心臓バクバクものだったろうな。特に麻酔医。
まれに麻酔が効かなくて、意識がはっきりしているのに体が動かないという患者がいるらしいよ。
ナショジオか何かでやってた。
730:名無し三等兵
06/07/23 11:55:28
じいさんは痛いかもしれない。だが、わしは痛まない!!
ここが肝要。
他人がどう苦しもうと、全く問題ない。
唯一問題なのは自分の幸福だけ。
ククク。
って医者は思ってたよ。
731:名無し三等兵
06/07/23 15:19:48
私の祖父は戦前、日本郵船に勤務していました。
戦中は大洋丸に乗っていました。
大洋丸は米潜水艦に撃沈されたそうですが、祖父は生還。
その後、神戸空襲に遭って家を失い、故郷に帰ってまたもや空襲に遭って全財産を失いました。
大洋丸には八田與一氏が乗っておられたんですね。
実は最近になって知りました。
祖父はすでに故人となりました。
無くなられた先人たちに笑われないように、強く生きて行きたいです。
732:名無し三等兵
06/07/23 20:18:39 O/DuvbwQ
ばあさんの兄(大伯父)なんだけど、瑞鶴の通信、その後学校に行って鞍替えして大淀の電測
そして、それを知らずに海自に入って電測員になった俺
運命だな、これ
733:名無し三等兵
06/07/23 20:42:26
運命っていうか
キミの家系は電測に向いているDNAをもっているんじゃない?
734:海軍魂 ◆BrgfwA9w5k
06/07/23 22:00:55
>>733
となると、母方の祖父が機関兵曹長、父方の祖父が造船のクレーン技師、オヤジが造船の溶接技師、
母親がミシン工場縫製員の最古参な私は、技師路線を歩めという強烈なDNAなのだろうか!?
でも、中学の時の技術は2、小学の時のネジをつけるだけで出来る折りたたみ椅子も作れなかった私は
実は両親の種では無いのかも!?ちなみに職業は銀行員だから、主計科になるよね。はっ!そう言えば
妹も結婚までは信用金庫に行っていた…従兄弟の一人は先物取引の証券会社にいる。原油では儲けさ
せてもらった…隣の土地が買えたよ。そんな事ではなくw、私の世代から主計科DNAになろうとしている
のであろうか!?病院に言って聞いてみよう…多分精神科に回されると思うがw
735:名無し三等兵
06/07/24 00:43:51 lW9t6faT
うちの墓に日中戦争で戦死した人の骨壺がはいってるんだが、名前はわかるが我が家とどういう関係なのかさっぱりわからない。手続きとかそういう面倒なの無しにその人の詳細とか調べられないかね?
736:名無し三等兵
06/07/24 00:57:47
>>734
いや、あの… お前の自分語りは別に興味はないんだ。
書くんだったら爺さんの話を書いてくれや。な?
737:名無し三等兵
06/07/24 01:02:37
>734
余程面白くないと、長文も嫌われるんだよ2chって。
738:名無し三等兵
06/07/24 02:12:32
うちの母方の方の家系なんだけど、私の祖父(長男)の弟(三男)は、
予科練生で霞ヶ浦航空基地から、 三人乗りの特攻機で硫黄島に
飛び立ったそうです。
確か勲四等だったかな?のメダルみたいなの見せてもらった事あります。
あと、飛行気乗りは軍刀を短く折るそうですね。
739:ポトデン ◆hWRgSJZNdg
06/07/24 05:26:32
私の祖父(曹長)は ビルマにいました。
仕事は主に書き物が中心で食べ物には全く不自由しなかったそうです。
祖父の口癖は「イギリス人は~で~だ」でした。
そんな祖父も2000年に還らぬ人となりました。
今頃 あちらの世界で戦友と酒でも組交しているのではないかと思います。
740:名無し三等兵
06/07/24 07:15:15
>>735
A:「わしゃ、実は孤児で身寄りがないんじゃ。戦死したら、入る墓がないのう。」
B:「なんじゃ、わしの墓に入れちゃるわ(笑」
-----------------------------------------------------------------
B:「(大泣)ううう、なんじゃ本当に死にやがって・・・約束通りわしの墓に入れちゃる!」
※という事は結構たくさんあったみたいです。
通常通り、おじい様の軍歴照会から初めて、旧所属部隊の生き残り古老さんに尋ね回るしかないのでは?
>>738
折らない折らない、最初から短い短刀や脇差から『搭乗者軍刀』を拵えます。
741:735
06/07/24 07:28:35 lW9t6faT
>>740 その人が上海事変で戦死したとき、後に中隊長として大陸に出征した祖父は厨房くらいですから戦友でもなさそうだし、その人が死んだ所で戦っていたのは名古屋の連隊ですが、うちには名古屋には親類はいません。
742:名無し三等兵
06/07/24 13:36:06
>>741
真面目な話寺の坊さんに聞いた方が早いよ
墓の中の事は彼らの担当だから
743:名無し三等兵
06/07/24 16:53:07
みんなお墓参りには行ってますか?
だいたいの墓地には兵士の墓もちらほらあると思います
そうした墓の中にはけっこうな割合で墓石に戦死したいきさつが彫られていて
非常に興味深い物ですよ
ちなみに人んちの墓地に入るのをためらうかもしれませんが大丈夫です
悪い心をもって入るのでなければお墓の中の人は他人でも歓迎してくれますよ
でも最後にはちゃんと手を合わせて心の中でお礼をしましょう
744:名無し三等兵
06/07/24 18:01:03 Bm2crDCj
>724
上海で名古屋ときたらウースン絡みじやまいか。名古屋師団が文字通り玉砕。陸軍は戦闘自体なかったコトにしてすませた。で戦後まで戦死者の墓なんざ建てようものなら憲兵沙汰。
745:名無し三等兵
06/07/24 19:03:35 lM1zLWuf
うちの祖父の話では裏山に米軍の戦闘機グラマンがあるそうd
746:名無し三等兵
06/07/24 21:48:44 lW9t6faT
>>244 スゲー!過去張見たら「ウースンクリークニテ戦死」て書いてあったw
747:名無し三等兵
06/07/24 23:00:52
>744
玉砕?ちょっとオーバーなんじゃ。
748:名無し三等兵
06/07/24 23:02:19 xcH0eUa+
ばあちゃんから聞いた話なんだけど、住んでた町が空襲にあって
ばあちゃんたちは病院でけが人の収容を手伝ってた。
腹が裂けた人とか大勢来たらしい。
腹が裂けて、からだの中に爆弾の爆風というかガスがたまると
もう駄目らしいね。
天皇陛下万歳と言って死んでいく人はいなかったって。
みんな「お母さん」と言ってたって。
749:名無し三等兵
06/07/24 23:11:47 F4hobkM4
私の祖父<台北の旧松山空港>は紫電改にのって沖縄で戦死した!コルセアにやられた
本当に台湾人が中国人だったら、中国人は日本を守ったわけ!矛盾していないのか??
歴史の教科書の内容を訂正すべきだ
750:名無し三等兵
06/07/24 23:26:39
俺の爺さんは日本人のくせに他国の国軍で軍人だったようだ
満州軍というのが当時あったらしくてそこで色々やって
皇帝の溥儀陛下と話したことは一生の思い出・・・だったらしい
溥儀に陛下なんてつけてるのはじいちゃんだけで
「溥儀」ではなくて変な名前(子供の頃なんで忘れた。ごめん)で呼んでたけど
でもじいちゃんの写真には勲三等のメダルが・・・一生の思いではどうなったんだorz
751:名無し三等兵
06/07/24 23:34:32
>750
戦死していないんだろう!
特攻隊と比べられば、大したことはない!
752:名無し三等兵
06/07/24 23:48:45
皆が羨ましいよ。
俺んちは、叔父が3人出征して
3人とも帰ってこんかった。。。
753:かさい
06/07/24 23:53:06 NyvJnJiq
家の祖父は終戦後、シベリアへ抑留されていたみたいです。テレビなどでは、悪いことばかり言っていますが、中には優しいロシア人もいたそうで
754:名無し三等兵
06/07/24 23:53:42
>>751
なぜ特攻隊と比べるかな? そんなに戦死者が偉いのか?
戦死してもしなくても、それは戦ってきた結果なんだから
平等に扱うべきでしょ。中にはのんきにしていた人もいるようだが、
それは配属先の運という奴で、死ぬ覚悟をして出かけていったのには
変わりないでしょうが。
755:名無し三等兵
06/07/25 00:04:53
>>745
裏山C話しやなあ(・∀・)
756:名無し三等兵
06/07/25 00:13:25
神風隊、鉄血勤皇隊、回天隊こそ国の英雄だ!!
757:名無し三等兵
06/07/25 00:16:43
ここで日本人として<神風隊、鉄血勤皇隊>に最高の礼を尽したかったからです
引用:
靖国神社は、神道ですが、ちょっと違うところがあります。
神道の信仰の中で、國や公共の為に、著しい貢献をした方で、その為に、命を捧げた方を神として祀り、この神様が、子孫の幸福を暖かく見守ってくれているとの信仰が神道にあります。
靖国神社は240万余柱のこのような神々を祀る神社なのです。
台湾出身真の方で先の大戦で亡くなられた志願兵、28,000余柱も靖国神社に祀られています。この方達は日本の守り神となったと日本では信じられているからです。
多分、大東亜戦争末期に龍潭から多くの若者が、沖縄の空を目指して特攻に飛び立って往かれたことをご存知の方であったと想像しています。
龍潭は近くの、八塊、観音両基地と共に沖縄に向けての前進基地として、1945年四月から六月まで陸軍特攻隊が連日のように出撃しておりました。
龍潭は一式戦闘機“隼”を使う飛行二十戦隊の出撃基地であったと記憶しております。八塊、龍潭から飛び立った台湾の若者達、そして彼等が出撃までの数日をすごした、大渓と言う町の佇まいは六十余年を経た今でも忘れることが出来ません。
。
758:名無し三等兵
06/07/25 00:18:03
鉄血勤皇隊は特攻隊じゃないし
759:名無し三等兵
06/07/25 00:18:43
>>757
あのさあ、君の言動が死者を貶めてるって気づかない?
760:名無し三等兵
06/07/25 00:18:49
本質が一緒だ!
761:名無し三等兵
06/07/25 00:19:48
>>760
で、そこにあんたのじいさんが所属してたのか?
そうじゃないのならスレ違いだからよそに行ってね。
762:名無し三等兵
06/07/25 00:22:21
靖国神社参拝すべきだ!
763:名無し三等兵
06/07/25 00:25:50 Wlw6fALk
戦争で死んでいないABC級戦犯は靖国から出すべき。
この人たちが入れるなら、戦争に行って帰ってきてあとで病死した人も
靖国神社に入る権利がある。国のために命の危険を冒したんだし。
764:名無し三等兵
06/07/25 00:27:46 Wlw6fALk
ちなみに皆さんのお祖父様方は靖国神社の戦犯合祀について
どういう考えをお持ちです?
765:名無し三等兵
06/07/25 00:31:45
>>750
満州について検索してみるといいよ。
766:名無し三等兵
06/07/25 00:34:39
>764
別のスレ行けよ
767:名無し三等兵
06/07/25 00:38:37
うちのジジイは陸軍中尉だった癖して「威勢の良い奴ほど早く死ぬんだ」とか
ほざいてます。さすがシベリア送りで生きて帰ってきただけあるw
なんでも捕虜収容所で脱走騒ぎがあったそうで、命惜しさにしかとしてたらしい。
今は弱者いじめの小泉死ね、とか真っ赤になって吼えてます。靖国?聞くまでもないでしょ。
まあ生き残った奴はくずですね。皆死ぬべきだった。
768:名無し三等兵
06/07/25 00:49:20
URLリンク(www2s.biglobe.ne.jp)
769:名無し三等兵
06/07/25 00:50:46
何?オマエじいちゃん殺すのか?
770:名無し三等兵
06/07/25 00:51:18
>>768
スレ違いだっての、サイトの宣伝うざ
771:名無し三等兵
06/07/25 00:52:16
>>767
釣れますか?
772:名無し三等兵
06/07/25 00:53:25
7月28日伴修二 中尉(東京麻布獣医)、小森一之一飛曹(県立高岡工芸電気科)、
8月10日水井淑夫 少尉(九大)、中井昭一 飛曹(大阪府立淀川工業校)、
8月12日林義明 飛曹(台南第一中)、発進戦死。
回天一基故障のため発進不能。(生還者、白木一郎)
773:名無し三等兵
06/07/25 00:53:55
>>772
失せろ気違い
774:名無し三等兵
06/07/25 00:58:47
俺はそのじいちゃんが好きだ。
っていうかお前の言い方は絶対に許せない。
死んだ人はかわいそうだがそこで終わりだ。
ただ、残された人はどうなる。供に生きる人を亡くす痛みを思えば、生きて帰るべきだ。
皆生きて帰ってくるべきだった。
それは、米国人も、中国人も、
戦争によって世界中で死んだ人皆がそうだ。
皆、死なずに帰って、息子や孫の顔を胸に刻んで穏やかに死ぬべきだった。
775:名無し三等兵
06/07/25 01:00:18
うん、理想論。
776:名無し三等兵
06/07/25 01:01:19
「あなたのおじい様の戦争体験を教えて」
と書いてあるだろ
お前の意見なんかどうでもいいんだよ
777:名無し三等兵
06/07/25 01:03:46
>>775
皆死ねよりナンボかマシじゃね?
778:名無しさん@胸おっぱい
06/07/25 07:12:00
>750
URLリンク(ja.wikipedia.org)
779:名無し三等兵
06/07/25 07:21:28 gtFuYnPi
てかシベリア抑留って本当に60万か?もっといる気がするが…
780:名無し三等兵
06/07/25 08:43:18
生き残りを一纏めに悪し様に言う
釣りか、さもなくば何故に軍板に居るのか
まぁ緑もどっかでそれに近い事言ってたな
弾の雨をかいくぐって終戦を迎える
特攻の順番待ちで終戦を迎える
様々だろうが皆さん長生きして下さい
781:名無し三等兵
06/07/25 09:36:03 ZfjYt54p
私の祖父はシベリアに抑留されて帰国することができましたがその時の話を一言も語りませんでした。
去年某所で知り合ったお爺さまがシベリヤ抑留体験を話してくれました。
・ロシア人は愚かで毎朝の捕虜の点呼もまともにできなかった。日によって人数が違ったりしていた。
そんな愚民に捕らえられアゴで使われているのはとても情けなかった。
・ロシア人の日本人捕虜に対する冷遇はそれは酷いもので想像を超えるほどの肉体労働に対して食べ物は固いパンがほんのひとかけらだけでワシは骨と皮だけになってしまった。
・ある晩 寝ていると急に日本人捕虜が「ウォ~~~~~」と大声で叫んで上半身だけ起き上がったかと思うとパタっと死んでしまった。
その人は収容所の暮らしで気が触れて死んでしまった。
・わしは毎日ひもじくて毎日怖ろしかった。
などなど。
そして今日話したことは今まで家族にも誰にも一度も話したことがない、と仰っていました。
あまりにも辛い体験だったのだと察せられました。
782:名無し三等兵
06/07/25 12:34:25
爺さんの体験談代筆スレッド
スレリンク(korea板:63番)
よりコピペ
63 名前: ◆buj6R88svw [] 投稿日:2006/07/25(火) 02:57:55 ID:QxoYcewv
>>50さんと同様、ネタ認定とお考えの方はこちらをどうぞ
URLリンク(vipper.jpn.org)
URLリンク(vipper.jpn.org)
>>54さん
たしかに記憶って曖昧な部分がありますね自分も爺さんもそれは否定しませんし、
実際爺さんの記憶も不確実な点はあると思います
爺さんは他の兄弟3人と共同でうpした冊子(冊誌の方が正確かな)
を昭和60年に作ったみたいで、3人それぞれのメモや写真や記憶
やらを頼りに綴ったそうです互いの年月の勘違いがあったりして、
時には戦友に問い合わせたりして出来る限りの精査はしたそうです
それでも誤り、例えばこちら
URLリンク(vipper.jpn.org)
昭和20年の軍人給与の金額や戦艦大和の建造費とかは左下にあるように
あとから追記加筆(と言うほどのものじゃありませんが)されていたりします
なので『いかなる訂正もやぶさかではない』これを強調させていただきます
余談になりますが、兄弟3人の任地はそれぞれが別の戦地で「南方」「支那」
「大本営」でした爺さんは「超極秘施設」だった為、1次ソースとして耐え得るだけの写真等は
ありません(つかむしろあったらおかしいですねw)がそれ以外の掲載写真は
全てオリジナルです決してどこかのサイトからパクッてきたものじゃあないです藁
また、一部文章と写真の下部を藻ありにしたのは、人物や名前が特定されてし
まうのを避ける為と写っておられる方のご遺族への配慮によるものです
>>60さん>>61さん
そちらへ移動したほうがよろしいでしょうか?
とりあえず今日はこちらに貼らせていただきますね
783:海軍魂 ◆BrgfwA9w5k
06/07/25 14:08:49
>>781
話したくないの、何か判るよ。露助は本当にひどい事をしたね。それでも復員・解員された方に、心から
敬礼を奉げたいと思う。
昔、勤務先で仲良くなったお爺さんがいた。戦争体験を嬉しそうに話してくれた。誰もそんな事聞きたが
らないそうで…。内容は惜しくも忘れてしまったが、最後に必ず「あれだけの事をやらされて来たワシら
じゃから、ちょっとやそっとの事では死なん」と言っておられたのが強烈に印象に残ってる。
日本が急激に高齢化になったのは、医療の進歩もあるだろうけど、戦前・戦中世代の方は、そのタフ
さだと思う。戦後世代は医療の進歩の恩恵だけだと思う。
仕事を放り出してまで、聞きたかった戦争話。上司には怒られたけど、そのお爺さんは僕の肩を抱いて
「**さんはな、ワシの友達や!」と満面の笑みで、苦々しい顔の上司にそう言ってくれました。勤務先
に現れると、一目散に僕の所へ。敬語は絶対ダメで「友達に敬語使うヤツがおるかいな」…そりゃそうだ。
で、それから毎年暑中見舞いと年賀状を出して連絡は取り合っていたそのおじいさんは、一枚目の年
賀状が届いた後、次の暑中見舞いの間に癌で亡くなっていました。今でもそのおじいさんの奥さんと、お
孫さんがパソコンを使えるそうで、毎年綺麗な印刷で送って来てくれています。又しても、目頭が熱くなり
ました。
784:淀川長治
06/07/25 14:34:05 xNlVGHhv
ハイ、コンバンワ。
みなさん、今日の映画。こわいよー。
今までサメが出てくる映画、たくさんたくさんありました。
ジョーズ、こわかったね。シャークシャークシャーク、これもこわかったね。
でもねー、今日の映画、もっとこわい!
太平洋戦争の末期、日本に落とした原爆。これをB29の基地まで運んだ
巡洋艦がいたんですね。巡洋艦、大きな大きな、アメリカの重巡洋艦。
原爆を運んだあと、母港へ帰ろうとしてたんですね。
そこへ!潜水艦。日本の潜水艦がやってくるんですね。潜水艦、敵艦を
見つけて魚雷を発射します、シャーって。魚雷が来る魚雷が来る、でも
巡洋艦は気が付かない。魚雷が。ダーン!て。当たっちゃうんですねぇ。
巡洋艦が沈む、SOSを打つ暇も無く夜の海に沈んでしまう。こわいねー。
でもね。本当にこわいのは、ここからなんですよ。
さめ。大きな大きなサメが、やってくる。それも、たくさんたくさん、
やってくるんです。海のうえに投げ出された乗組員達、このなかに
まぁあの恐ろしいサメが群がっていくんです!一人、また一人、あっちでも
こっちでも続々とサメの餌食になっていくのね!でも助けは来ない、
いつまで経ってもやって来ない。乗組員達の恐怖、恐怖、たまりませんねぇ。
どうやってこの危機を乗り切るのか。最後まで、こわくて目が離せませんよ。
じゃ、後でまたお会いしましょうね・・・。
スレリンク(wild板)l50
785:名無し三等兵
06/07/25 17:21:56
>>783
ささやかなツッコミ。
>で、それから毎年暑中見舞いと年賀状を出して連絡は取り合っていたそのおじいさんは、一枚目の年
>賀状が届いた後、次の暑中見舞いの間に癌で亡くなっていました。
毎年じゃねえじゃん。しかも暑中見舞い爺さんからは来てないじゃん。
786:781
06/07/25 18:42:52 ZfjYt54p
続きを思い出したので書き足します。
・あまりにひもじかったので見張りの目を盗んで抜け出し町で(自分の)ふんどしを売ってお金に代えた。
そのふんどしはもちろん使用済みのものだがなぜかそれがロシア人女性に人気で、ワシのふんどしを頭にこうしてターバンみたいにして巻きよった。w
・シベリアから帰国船に乗りこんだところ、何日かしてものすごい台風に見舞われた。
そうして気付いたら船が北海道の北の先端におったんや。つまり大阪(その方の故郷)に向けて進んでいた船がまたロシアのほうに戻っとったんや。
これには二人で大笑いでした。
・やっとの思いで大阪に着くとワシは必死で隠し持っていた金で女の人を買いに行ったんや。
そうしたらもう久しぶりの事やろ。すごくいい思いしてわしもう一回買いに行ったで。
この二つの話の時にはそのおじいさまは笑顔でした。
787:名無し三等兵
06/07/25 19:13:56 YK+8Okv0
さっきばあちゃんにひいじいさんの弟の話しを聞いたのね。
その人は結婚も決まってて、戦争から帰ってきたら結婚して幸せに暮らすはずだったらしい。
ニューギニア戦線?だかで飢え死にしたらしい..どなたかこの戦線について詳しく教えてもらえるでしょうか?
自分のひいじいさんは体があまり強くなかったから戦争には行かなかったってばあちゃんが言ってた。
5年前に死んじゃったじいちゃんは軍隊の学校だかいってて普通だったら一等兵>二等兵だかに昇格するのを?いっきに隊長だかになることをやってたらしい。戦場にはいってないみたいです。
小学校のころ戦争の話をじいちゃんに聞いたときは穴掘ってるところを戦艦の大砲が頭の上を真っ赤にしながら飛んでいって耳がつんぼになりそうだったとかって話を聞いた覚えがあります。
ちなみにおばあちゃんはこの戦争のことを大東亜戦争と言ってます。
788:名無し三等兵
06/07/25 20:20:31
>>787お前さん、歳幾つだ?
どう見ても歳取ってそうだから釣りだろうけど
あえて釣られて言えば、大東亜戦争位、常識だろう。
後ニューギニア戦線と言っても、ピンからキリまで色々ある。
陸海軍っちの兵かと、いた地域・所属部隊名を書いとけよ。
789:787
06/07/25 20:34:08
年は22です。部隊名とかはおばあちゃんでも知らんとです。
790:名無し三等兵
06/07/25 21:10:44 K8KGEuCI
>>788
大東亜戦争は単語としては常識であっても
太平洋戦争を使うか大東亜戦争を使うかで論争になったり
軍国主義者だ、いや左翼思想だ、の踏み絵とすらされる言葉
この事情を理解すれば、>>787の最終行の意味もわかるはず。
軍事知識もいいが、その経緯もわかって使わないと恥かくよ。
791:名無し三等兵
06/07/25 21:23:27
うちの爺さんは、学校出てすぐ少尉だったそうで
同じ歳くらいの水兵が、一曹などたいした事ない位の人達に虐められてるの見て不憫に感じてたようです。
下士官は、腐った連中が多く学校出たての少尉にはへこへこしてる癖に
水兵にたいしては、鬼のような存在だっと言っておりました。
終戦後の話ですが、下士官や兵だった奴等が仕官の軍服を着て街を歩く姿をよく目撃したそうです
よほど仕官になりたかったんだなとも申してました。
792:787
06/07/25 21:24:13
>>790さんありがとうございます。なるほどそうなのですか。自分は韓国はなぜ反日か?って言うサイトをみてから歴史とか戦争、政治に興味を持ち始めました。
そのサイトでは大東亜戦争と言ってました。自分の中学校のときの教科書には太平洋戦争とのってました。
それでおばあちゃんは大東亜戦争といってたのでやっぱ違うこと教わってきたのかなと...
なんか意味不明かつスレ違いすいませんです。
793:787
06/07/25 21:37:03
あなんか自分宛のレスではなかったようですね。すいません
794:名無し三等兵
06/07/25 21:47:47
>791
下士官は、腐った連中が多く、ですか・・・
ちょっと悲しいですね
795:名無し三等兵
06/07/25 21:54:51 1n2+A+3E
日本は一般的に下士官が優秀で将校が無能だと思います
796:790
06/07/25 22:07:47 K8KGEuCI
>>793
直接はあなた宛のレスではないけど
最後の一行に鋭いものを感じたので、その後の常識云々にレスしたんで
無関係レスではないよ。まぁ気にしないで。
その他じゃ憲法に平和憲法と枕詞をいれるとか、用語の使い分けはかなり
深い意味合いを持ってるので、さらに調べれば面白い事がわかるよ。
自分こそスレ違いなのでこのへんで。
797:名無し三等兵
06/07/25 22:13:01
ぼくのひいじいさんは竹やりでB29を撃ち落とす名人でした。
798:名無し三等兵
06/07/25 22:14:51 sCWtsgfM
終戦の年、伊丹飛行場で陸軍3式戦闘機「飛燕」の
整備兵をしてたとか。
階級差でとてもパイロットとは話ができなっかたらしい。
799: ◆hH0An03gvE
06/07/26 00:43:22
こちらに書き込んでる方のおじいさまの中には
硫黄島(や父島)に行かれた方はおいででしょうか?
本の出版準備(私ではなく友人の)として今、あちこち探してる所です。
アド入れときましたんで、どんな情報でも結構です、教えてください。
800:名無し三等兵
06/07/26 00:50:33
>>799
メール業者さんアド収集はお止めください。
801:名無し三等兵
06/07/26 01:38:59 uVAncO4O
祖父はなんかトラックんの部隊でフィリピンあたりに行ってたみたい、
上空から見ると敵から丸見えなので飛行機の音するとみんなでトラック
から降りて木陰等に避難したって。終戦後捕虜から解放されて帰ってきたら
しいけどその隊で帰ってこれたのは数名だったとか。
どこに所属してたかとか調べてみたいが手がかりないもんかな、
802:名無し三等兵
06/07/26 01:55:01 wgFQsN4e
このスレは良スレなんで下記のようなものをテンプレに入れたいんだがどうかな?
できればテンプレとして長く使えるようにまとめたい。
軍歴照会のしかたはさんざんガイシュツでこのスレでも2~3回見た記憶がありますが、
・もとの陸軍の軍人については、退職時の本籍地を管轄する都道府県庁の援護担当課
・もとの海軍の軍人については、厚生労働省社会・援護局業務課調査資料室
が軍歴資料を(存在すれば)保管しています。
陸軍と海軍の区別くらいつくでしょうから、該当するほうに電話するなり手紙を書くなりして
ご照会ください。
このスレに何度も出て来ますが、元・海軍の軍人さんについては
『厚生労働省、社会援護局業務課調査資料室』
が軍歴資料を(存在すれば)保管しています。
まずは厚生労働省の代表・03-5253-1111 に電話して尋ねてくだちぃ。
なお、必要書類として
・請求書(書式は自由。戦没状況・軍歴を知りたい旨、およびその理由を記す。戦没者氏名、生年月日、本籍地、判る範囲での軍歴を併記)
・戦没者の除籍謄本のコピー
・戦没者と請求者の血縁関係が確認できるもの(請求者の戸籍謄本のコピーとか)
・請求者の住民票
・請求者の身元が証明できるもの(運転免許証や健康保険証のコピーとか)
が要るらしいですぜ。
803: ◆hH0An03gvE
06/07/26 16:14:51
>>800
> >>799
> メール業者さんアド収集はお止めください。
大真面目な話です。
804:名無し三等兵
06/07/26 17:00:26
>>803
匿名掲示板で素性も知らない奴に、
メールしてくれと言われて、はいそうですかと
メール送ると思うか?常識で物を考えろ。
805:名無し三等兵
06/07/26 17:59:11
>>803
・・・取材を全くせずに(=努力をせずに)メールを送らせてネタをパクッて本を書く、
恥ずかしい行為だと思います。
806:名無し三等兵
06/07/26 19:15:42
俺のじいちゃんは最初は長門に衛生兵で乗ってたそうだ。なんでも製薬会社に勤めていた関係で。
そののち空母赤城に乗ってミッドウエー海戦で赤城が沈んだのでビルマ戦線に参戦。
行軍中に敵の攻撃があって部隊がバラバラに・・・
行方不明となってその後戦死となったそうだ。
おふくろはひょっとするとまだ生きているかも・・・とテレビでビルマが出ると食い入るように見ている。
807:名無し三等兵
06/07/26 19:24:29
衛生兵は敵から攻撃されないはずだよ
808:名無し三等兵
06/07/26 19:30:12
>>807
じゃぁ、俺のじいさんだけ攻撃されたのかな?
809:名無し三等兵
06/07/26 19:43:24
>>808
条約で病院と病院船と軍医と衛生兵と看護婦は攻撃しちゃいかん事になってる
米軍も広島と長崎と釜石と沖縄以外では病院を攻撃目標にはしてない
流れ弾や誤爆はあったかも知れないけど
そもそもB29の乗組員に、病院を避けて原爆を投下しろと指令が出てた
810:名無し三等兵
06/07/26 19:45:23
__ ヽ l //
〈〈〈〈 ヽ ― ・ ー―― ← >>809
〈⊃ } // | ヽ
∩___∩ | | / / | ヽ
| ノ ヽ! ! / | .┏┓┏┳┓
/ ● ● | / ,,・_ .┏┛┗┻╋┛
| ( _●_) ミ/ , ’,∴ ・ ¨ .┗┓┏┓┃
彡、 |∪| / 、・∵ ’ ┃┃┃┃ ┏┳┳┓
/ __ ヽノ / .┗┛┗┛ ┗╋┛┃
(___) / ...┗━┛
811:名無し三等兵
06/07/26 20:08:03 OZYe3EKR
自分の祖父は、ビルマの竪琴を見ると
遠い目をします。ビルマに奥さんもいたらしいですが・・
戦争の悲惨さは教えてくれません、ただドイツがホロコーストしただ・・
スターリンは悪魔だとか言うが、日本も証拠隠滅をしただけで
ドイツ人の方が、文献が残ってるだけ良心があると言ってた。
また戦犯を受ける階級でなくて良かったと言ってる。
軍事恩給と年金で、今は悠々自適。
812:名無し三等兵
06/07/26 20:17:47
>>811
ちみは在日でつな?クマー
813:名無し三等兵
06/07/26 22:06:09
>>812
在だったらもっと日本語上手いでしょ。
814:名無し三等兵
06/07/26 22:37:31
各々方、夏は日本語が少々不自由な者が常にも増してどのスレにも現れる
誤字脱字、変文はスルーでよろ
俺も日本語変だな・・・・・吊ってくる
815:名無し三等兵
06/07/26 22:45:35
>>811
戦犯に階級は関係ないことを知らんようだ
816:名無し三等兵
06/07/26 23:02:30 Pri4lpdV
>812
ビルマの奥さんを、捨てた?
817:名無し三等兵
06/07/26 23:21:18 NIpEqMjR
じいさんというか俺は年が10代だからじいさんは戦争にいっていないが、知り合いにたくさんいますよ そういう人
親戚類からあたると、じいさんのおじさんは大和の機関員で、水上特攻のときに大和にのって死んだとききましたし、もう一人のおじさんは駆逐艦に乗っていてフィリピン沖で撃沈されて沈んだらしいです。
ばあちゃんのおじさんは満州に行って戦ってたみたいなんですが、母親が恋しくなってわざと足怪我して本土に帰ったりだとか、でもばあちゃんのおじさんたちは全員生きて帰ってきたそうです。
あと、しりあいに、大村の海軍基地で月光の偵察要員してた人もいますし、戦艦「金剛」に乗った人もいますし、戦艦「霧島」に乗った人もいました。(どちらとも戦前に乗った。)
3人ともその後 海自・空自 にはいって今は引退してます。
大村基地にいたおじいさんは、その後レーダー技術を取得してエレクトロニクスを専門とした分野を幅広く取り扱っていました。空自の階級は2等空佐だったそうです。
とまぁ、長々と書いたけど、結構います
818:名無し三等兵
06/07/27 00:57:56
>>806
うちの亡くなった祖父も海軍の看護兵だった。
本人から昔聞いた話だと、フィリピン方面の島で塹壕掘ってたら、
米軍機の爆撃にあって、祖父ともう一人だけ助かったそうだ。
祖父は逃げ遅れて思いっきり機関銃狙い撃ちされたのに奇跡的に助かり、
先に防空壕に避難した人たちは直撃受けて全滅。
そこにいたのは医療チームだけだったのに。
819:名無し三等兵
06/07/27 07:23:12 xEPt29TB
俺の爺ちゃんは満州だったけど、病棟は兵舎より少し遠くに設けてたみたいだが、中国兵はそれでも平気に病棟にも実弾を撃ち込んでだらしいよ。ヒドス
820:名無し三等兵
06/07/27 11:53:45
ビルマの竪琴をまともに読んだこともない人が多いよね。
あれ、児童文学だって知ってて持ち出してくるんだろうか?人食い人種が
登場したり、現地の娘とのラブロマンスがあったりする話だぞ。
821:名無し三等兵
06/07/27 11:56:13
>>806
>ミッドウエー海戦で赤城が沈んだのでビルマ戦線に
はて?海軍さんはどこを行軍したんでつか?
822:名無し三等兵
06/07/27 12:05:35
>>787
>5年前に死んじゃったじいちゃんは軍隊の学校だかいってて
>普通だったら一等兵>二等兵だかに昇格するのを?いっきに
>隊長だかになることをやってたらしい。
2パターンが考えられる。
(1)赤紙で召集され、新兵訓練を受け、二等兵になり、兵役中に
一等兵。除隊するころに、一等兵のままで除隊する人と、上等兵に
なって除隊する人がいる。実は上等兵と一等兵の差は結構、大きい。
(例えて言えば、亀有公園前の両さんと大原部長ぐらいの違い。)
上等兵になって故郷に帰ると英雄だよ。戦地にいって伍長・軍曹にでも
なれば、叩き上げ。軍隊階級と警察階級を比べると、巡査部長・警部補
クラスが上等兵~曹長に相当する。ま、警察より軍人の方が人数が多いしね。
(2)士官学校に行って、無事に任官。いきなり少尉で小隊長。
要はキャリア。踊る大捜査線の柳葉俊朗。
823:名無し三等兵
06/07/27 16:14:42
>>821
赤城で検索汁
824:名無し三等兵
06/07/27 19:31:09
>>821
ビルマのイワラミ川で爆撃にあったのが最後だ。
クズ。わかったか?
825:名無し三等兵
06/07/27 20:29:20
>821
ビルマの海軍と言えば第13警備隊深見部隊が全滅しとるな。
826:824
06/07/27 20:37:25
>>825
ありがとう
827:名無し三等兵
06/07/27 22:00:56
>>826
事実を述べているのに、
浅はかな考えで疑われると腹立ちますよね。
828:名無し三等兵
06/07/27 22:07:32
粘着してるヤツもうっといけどな。
829:名無し三等兵
06/07/27 23:02:15
>>826
とは言ったものの、貴様も
『ビルマにも海軍基地とかあったんですよ。』
と言えば済んだのではないか?
830:名無し三等兵
06/07/27 23:09:17 b86PMrKh
たった3年でシベリアから帰ってきたじいさんは全くアカではなかったが…何故だ?反動分子とか言われると帰国が遅くなったと聞いたが…
831:名無し三等兵
06/07/27 23:19:00 Yy/rWF+X
祖父はソ連兵にあとからもっと元気なのがくるおと言って逃げたそうな
832:名無し三等兵
06/07/28 00:37:10 mAfOMztJ
そういや祖父の戦友…満州で列車から飛びおりて脱走…60年後…孫が偶然友達だった…不思議なめぐりあわせだなぁ…
833:名無し三等兵
06/07/28 00:45:04
祖父はイースター島で終戦を迎えたそうです。
何でも乗ってた輸送船が撃沈されて、気がついたらイースター島にいたとの事
戦争が終わった事を知らずに、イースター島に2年もいたようです。
そもそもイースター島周辺で海軍が、軍事行動をしてたのですか?
モアイのある島って本人が言ってましたから、間違いなくイースター島だと思いますが
834:名無し三等兵
06/07/28 00:51:16
>>830
アカ教育をされたのは、洗脳しやすい10代の若い人間が多いって聞いたことある。
835:名無し三等兵
06/07/28 01:51:50
>>833
イースター島以外にもマリアナやポリネシアにも巨石文明はあって
石像がいくつも残っているよ、それをモアイと思いこんでいるのかも。
836:名無し三等兵
06/07/28 02:16:25
家のジサマも満州に行ったり空母に乗ってゼロ戦の整備をしてたらしい。
爆弾懸架フックの調整や、機銃の撃発装置とプロペラの同期を取る機械の整備をしたとか言っていたが、
話を聞くたびに機銃の口径が変わるから信じていいものかどうか・・・。
837:名無し三等兵
06/07/28 04:34:55 lvdgWIkq
俺の爺は陸軍の予備役で終戦迎えたとのこと。今80歳
婆は神戸大空襲の生き残り
838:名無し三等兵
06/07/28 06:58:55
>>798
飛行第56戦隊の整備ですね。
中村中尉とかご存知なのでしょうか?
839:名無し三等兵
06/07/28 13:59:20
三年前に亡くなった祖父は終戦後、捕虜としてシベリアに抑留させられていた。
軍医だったことと、ロシア語に精通していたことで(そのせいでスパイの疑いをかけられた)
結構優遇されたらしい。
過酷な肉体労働は最初のうちだけで、
半年を過ぎた頃にはロシア人を手伝って
病人の看護にあたっていた。
ある朝、帰国の日を告げられたのだが、ロシアの軍人が「あと三か月残って助けてくれないか」と迫った。
あんまり必死なもんだから祖父も折れて、「三か月だけなら」と承諾した。
ところが、三か月たち半年になり…ロシア人たちは何も言ってこない。
それどころかとぼけた素振りをみせる。
恐ろしくなった祖父は「とにかく帰してくれ!婚約者が待ってる!(祖母のこと)」
と訴えた。思わず号泣してしまったらしい。