06/08/04 04:24:24
以後、石嶺付近に陣地を構え、第24師団22連隊などと共に防衛戦を展開します。
残存戦車6両(おそらく軽戦車主体の混成)は、
石嶺前方の130高地後背でダックインしての戦闘になります。
機動野砲はまだ健在で、かなり健闘したようです。ほか歩兵中隊1が配属。
5月15日、石嶺に米軍が侵攻しますが、撃退。
5月16日、再び米軍の攻撃を受け、残存戦車は、M4との交戦で全滅しました。
米軍は、日本戦車は容易に破壊したが、37mm砲装備でそもそも脅威ではなかった、と評しています。
連隊は、特設大隊1を配属されて抵抗を続け、月末まで固守した後、首里方面へ撤退しました。(以下略)
なお、もう一つの機甲戦力、捜索24連隊も、同時期に攻撃に出ています。
有名な94式軽装甲車の残骸写真は、この部隊が総攻撃時に失ったものと思います。
おそらく、この5月の戦闘で全戦力を失っていました。
Q.捜索24連隊について記述がある資料って、なにかありますか?