03/10/16 12:48
現実を変えるには、「更新性」が保証された確固たる(これ大事ね)世界観がないとな。闇雲に変化起こすたってアアタ、なんとなく気分でテーブルクロス変えてみましたレベルを出ないっしょ。
■Chaos=古い物語の破壊というか、実は物語力そのものの復権
■Thelema=宇宙を宗教的な真実ととらえ、新時代の芸術表現
嗚呼! 花の魔術談
更新性の保証なくして何が魔術の実践か。と漏れは思ってるもんね。
毎度毎度出てくる「伝統」にしても、実践者が見出さんことには何の意味もない訳で。今的見出し方ってのを否定されたんじゃ、古物商にでもあるしかないっしょ。
(その意味で、「サロンカルチャーとGD」って面白い切り口ね)
例えばタロットなんてどうだ? 「見い出し・受け取る」センスが皆無な人にとっては、何だこんなヘタクソな絵を何十枚も・・・て単にそんなもんでしかないでしょう。
で、このへん好き好きだから押し付けようとは思わないけど、人格に問題があったからといってクロウリーを拒否するのはもったいない気がする。
「ジミヘンはドラッグで死んだから駄目」と同じぐらい。
一個のイデオローグとして見た場合、作品だけ切り取ってうんぬんすることが難しいのは分かる。「意識のスペクトルを拡大していくことに並々ならぬ興味をもっていた男」ジミヘンのあの音楽!
というふうに、大切なものを読み取り受け取っていくセンスでしょ。重要なのは。見るセンスと、見出した大切なものを、本当に大切にしていく誠実さというか。漏れ的にはシンプルに、そう考えてる。
ちょっと飛躍するけど、NUITの具象化がBABALON である。てのがあるでしょ。で、現実のBABALONを依り代として壊れるまで使い倒すというクロウリー的方法論を更新し、大好きな○○ちゃんのうちにNUITを見る。とかね。その方が社会道徳的にも軋轢少なそうだし。
NUITの顕現というより、もう、NUIT偏現自在!