03/10/08 14:07
個人という概念が基盤にある西洋型魔術を
日本的共同体(同意!反対!)モデルのなかに持ち込もうとする、
持ち込まざるを得ないところに悲喜劇が生まれる。
それでもユニバーサルななにかにも触れることは可能だろうし、
ぎくしゃくしてきてもアメリカ的なえげつないカルト化に走らない、走れないという
メリットもあるだろう。
労資が推薦図書にあげていた小泉八雲「盆踊り」、
これは内容というよりも視線のことだと思う。
SCGIディスクをIDEに繋いで活用するには、ディスクの内容よりも前に
インターフェイスについての基本的な認識が必要ということか。
コンピュータのインターフェイスは限りなく透明になっていくだろうが、
魔術は本質的に問いと拡張の営為なので、
万人のためのブラックボックス化やデフォルト設定とは相容れない。
どこまでもぎくしゃくといた悪戦苦闘の道でしかあり得ないのである。
というのはどうかな。どうでもいいか。