【アンドラ】石井さんを語ろう part2【うなぎ犬】at PAV【アンドラ】石井さんを語ろう part2【うなぎ犬】 - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト2:名無しさん@お腹いっぱい。 03/08/22 04:23 余裕で2ゲト 3:名無しさん@お腹いっぱい。 03/08/22 04:27 与えることの喜び・・・。ドイツの精神分析家のエーリッヒ・フロムは、著書 「愛するということ」の中で与えるという行為について以下のように書いている。 与えるとはどういうことか。この疑問に対する答えは単純そうに思われるが、 実は極めて複雑である。いちばん広く浸透している誤解は、与えるとは、何かを 「あきらめること」、「剥ぎ取られること」、「犠牲にすること」、という思い込み である。性格が、受け取り、利用し、ため込むといった段階から抜け出していない人 は、与える行為をそんなふうに受け止めている。 商人的な性格の人は喜んで与える。ただしそれは見返りがあるときだけである。 彼にとって、与えても見返りがないというのはだまされるということである。 基本的に非生産的な性格の人は、与えることは貧しくなることだと感じている。 そのため、このタイプの人はたいてい与えることをいやがる。 与えることは犠牲を払うことだから美徳である、と考えている人もいる。そうした 人達に言わせると、与えることは苦痛だからこそ与えなければならないのだ。 彼らによれば、犠牲を甘んじて受け入れる好意にこそ、与えることの美徳があるのだ。 彼らにとっては、もらうより与える方が良いという規範は、喜びを味わうより剥奪に 堪えるほうが良いという意味なのだ。 生産的な性格の人にとっては、与えることはまったく違った意味を持つ。 与えることは自分の持てる力のもっとも高度な表現なのである。与えるというまさに その行為を通じて、私は自分の力、富、権力を実感する。この生命力と権力の高まり に、私は喜びをおぼえる。私は、自分が生命力にあふれ、惜しみなく消費し、生き生 きとしているのを実感し、それゆえに喜びを覚える。与えることはもらうよりも喜ばしい。 それは剥ぎ取られるからではなく、与えるという行為が自分の生命力の表現だからである。 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch