あなたのおじい様の戦争体験を教えてat ARMY
あなたのおじい様の戦争体験を教えて - 暇つぶし2ch719:710
03/08/06 18:46
何か、祖父がすでに寝てしまいそうだったので、急いで聞いてみた。
・「比叡」→祖父の知り合いが乗っていた。自分は、
 駆逐艦で、終戦3日前まで沖縄の近くで作戦についていた。
・その作戦は、輸送船の護衛。米の潜水艦で沈められた乗組員の話などを聞いた。
・祖父は、元軍属でその後海軍に。
・船の名前を聞くと、思い出せずに、「宇治・・・じゃなかったなぁ」と。

話をしていたら、戦時中のアルバムが。中には、祖父の知り合いの人が、
陸軍や、海軍と満州国軍の兵装の写真がたくさん。
昔の人たちは、何かカッコイイなぁ、と思いました。
その中に横須賀で船の上での集合写真が。
「昔は、みんなここで写真を撮っていた。」と。
どうやら、名所になっていた所らしいが・・・。
誰か、知っている方とかはいますかね?

720:名無し三等兵
03/08/06 19:00
戦艦三笠だな

721:名無し三等兵
03/08/06 21:18
>>719
>その中に横須賀で船の上での集合写真が。

三笠?

722:名無し三等兵
03/08/06 21:21
うーん、宇治で調べてみたら、日本海海戦に参加していますね。
これじゃないよね???

URLリンク(www007.upp.so-net.ne.jp)


723:710
03/08/06 21:53
どうも、皆さん親切に。
やはり、六十年以上前の事ですので祖父の記憶も曖昧なようです。
明日にでも、図書館で調べて祖父に教えようかなと思います。

一応、ここは「おじい様の戦争体験」スレなので、体験談をひとつ。
輸送船の護衛で着いていったときに、輸送船が潜水艦に雷撃されたときは、
そこでは、救助出来なかったので、丸太を落として「後で助ける」と言って
そのまま行ったそうです。「ほとんど助からなかった」と、言ってましたが。
ただ、一週間も掴まりっぱなしで助かった人もいた、とのことです。
一週間も掴まるなんて・・・出来るんですかね?

724:名無し三等兵
03/08/07 01:10
流れに関係なくて悪いが、うちのじいさんは九十七式重爆に乗ってた。
「九七式重爆隊空戦記」と言う本を出してたんだが、それを見ると航空機乗りの悲惨さがよく分かる


725:名無し三等兵
03/08/07 03:51
>>719
恐らくこの宇治のことではないかと。下から2番目。

URLリンク(hush.gooside.com)

726:名無し三等兵
03/08/07 12:34
>>725
わ、すごい藻前様アリガ㌧、勉強になったYO!
なお、同型艦の橋立なら写真があった↓。
URLリンク(www103.sakura.ne.jp)

727:名無し三等兵
03/08/07 15:49 pECmYsMO
うちの爺ちゃんは近衛師団の第三連隊所属
だったらしいが、戦局の悪化の為、結局一度も
皇居を拝む事無く南方へ、そこで爺ちゃんは
盲腸を患ってしまったらしく、またその夜に
間の悪い事に、アメの空襲があったらしいんだわ。
その中で爺ちゃんは麻酔も満足な器具も無く、真っ暗な
中、爆撃の轟音が迫りくる中で軍医の手術を受けたらしい。

……と言うのを親父から聞いた。爺ちゃんは俺が1歳の時に
肝の臓を患って亡くなってしまった。
だから直接体験談を聞ける事の出来た人が凄く羨ましい。

728:名無し三等兵
03/08/07 21:10
>>725
うわっ、と言う事は対馬丸事件の時の護衛艦ではないですか!!
対馬丸事件関連を調べると、出てくると思われ。


729:621
03/08/07 22:08
>>716
俺の沖縄で戦死したじいちゃん(漏れも)樋江井(ひえい)・・・
場所があってる・・・字が違うが・・・
しかし、こんな珍しい名字は・・・だが日本は広いから別人か?いやだが・・・

730:名無し三等兵
03/08/07 22:23 f1cnl9+v
漏れのじいさんは戦艦「陸奥」乗ってて、爆破事故で沈没して4kmぐらい泳いでたら漁船に助けられて、一回トラック諸島に行ってそこで2ヶ月ぐらい滞在してから戦艦「長門」
に乗って副砲の砲弾の係をやってたそうだ。
で、もう一人は満州に行って、ロシア辺りに部隊を進めてる時、バカな事に銃剣が足に刺さってそのまま病院送り。
でも、その時は戦争終期あたりだったらしく、自分に所属していた部隊が、露助にやられて全滅だそうだ。
ある意味、運がよかったのかな・・・

731:名無し三等兵
03/08/07 22:34
ウチのじじいは原爆食らって死んだピョーン

732:名無し三等兵
03/08/07 22:38
>>730
陸奥の生き残りとは、運が良いですな・・・。
詳しくお話が聞きたいです。
聞いてきてください。


733:名無し三等兵
03/08/07 22:39
折れのじじいは南京で100人斬りしたぞ。                

734:名無し三等兵
03/08/07 22:40
>>733
通報しますた

735:名無し三等兵
03/08/08 00:15
俺のじい様はおばあ様に殺られますた。

736:名無し三等兵
03/08/08 01:30 CU4trWrs
漏れのじいさんは、「陸奥」に乗ってた時も副砲の弾を扱っていたそうだ。で、スパイ工作による爆破事故があったらしく。その時は甲板にいてその時は助かったそうだ。弾薬庫から爆発したらしく、結構みんな吹っ飛んだらしいよ!



737:名無し三等兵
03/08/08 01:32 CU4trWrs
周りの者は手足がないとか~爆発炎上で焼死とか見たそうだ。で、沈没したのだが、重油が漏れだしていて大人数は陸奥と一緒に沈んだが、やはり目の前で重油まみれで溺れて死んでいった者もいたらしい。




738:名無し三等兵
03/08/08 01:32 CU4trWrs
で、泳いで漁船に助けられて、その後は死体回収。みんなドザエモンだったんだって!そこから長門に乗ってトラック諸島に行き、現地の村長に偉く気にいられたらしく村長の娘と縁談の話もあったそうだ。




739:名無し三等兵
03/08/08 01:33 CU4trWrs
で、長門が日本に帰港して その後は退役だそうだ。




740:名無し三等兵
03/08/08 02:35
>>730>>736の爺さんは戦友か!

741:名無し三等兵
03/08/08 02:48 RInLjm8j
俺のジイさんは海軍将校で長年台湾にいたのだが、
終戦と同時に軍隊のことはキッパリ捨てて家族にも何も話さなかった。

普段は遠く離れて住んでいる孫の俺がたまたま行ったときに聞いたのが、
船に乗ったことは無いというのと、中曽根君は総理大臣になってもおかしくない人材だったという2つだけ。

戦後の話は沢山聞いたんだが、いったい軍隊で何をしてたのやら今も気になる。

742:名無し三等兵
03/08/08 02:59 mN53/oTq
福島県出身のじいちゃんが存命中に聞けた話は
フィリピンに出征、部隊内で選抜試験があって
それに合格して司令部付きの通信か暗号の部隊に居た事だけ。
ばあちゃんが言うには戦闘らしい戦闘はなかったと言うんだが、
その後「ルソンの谷間」を読んでしまって鬱・・・。



743:名無し三等兵
03/08/08 11:57 PdWr0r9/
大学4年の20年前、バイト先で一緒だった爺さんに聞いた話。
その人は、外地へ戦争に出た経験はなかったそうだ。
しかし、訓練で冬の大雪山で行軍をやらされた。一晩歩いたら
戦友の三人が死んでしまったそうだ。
"戦争にいって死んだんならあきらめもつくんだろうけど、訓練で死ぬんだから無茶苦茶だ"
といって怒ってた。人の死が紙よりも軽かった時代でした。
リンチ上等兵のアメリカ軍とはえらい違いだ。

744:名無し三等兵
03/08/08 12:34 Jy/LKq5j
すいません、日露戦争時の三笠の搭乗員名簿って有りませんか?

745:名無し三等兵
03/08/08 12:37
>>744
難しいな
負傷者戦死者名簿なら手元にあるが(当時の速報誌の日露戦争実記)

746:名無し三等兵
03/08/08 12:41 Jy/LKq5j
>>745
大友すえじ(漢字はわかんないです)って言う人居ますかね?
曾お爺さんが乗っていたと(親が)言うんですけど。

747:名無し三等兵
03/08/08 12:54
日本海海戦における三笠の死傷者
戦死
一等兵曹太田正太郎  二等兵曹岡本喜代八  一等水兵中井初之助  一等水兵星川高吉
三等水兵松澤利吉   三等水兵穴山謙治
負傷後28日死亡
三等兵曹吉田菊次郎  二等水兵福岡直蔵
重傷
少佐菅野勇七     大尉村越八郎
少尉安野康      兵曹長境吉次郎
軽傷
中佐松村龍雄     少佐飯田久恒   大尉清河純一

748:名無し三等兵
03/08/08 12:55
日本海海戦の戦死傷者のなかにはいなかった

749:名無し三等兵
03/08/08 13:12
>>748
ありがとうございました

負傷者の中にいるかもと思ったんですけど、意外に負傷者少ないですね。
少々複雑な心境です(苦笑)

750:名無し三等兵
03/08/08 13:36 dGtu0QD/
>640 :名無し三等兵 :03/07/27 22:03 ID:???
>うちのジーさま終戦ちょっと前の陸軍次官だった。

おいおい、誰も突っ込んでねえじゃねえか。
陸軍次官だぞ。
終戦ちょっと前ってことだから柴山兼四郎か?
その前の富永恭次だったらぜひ話がしたい。
富永恭次はフィリピンで特攻隊を指揮しながらもマッカーサー上陸を前に台湾に敵前逃亡した有名な人。

751:名無し三等兵
03/08/08 14:27
かなり前に聞いた話なんで間違っているところもあるかもしれんが・・・

最近ボケはじめちゃってる父方のじーちゃん。
大学卒業の直前に真珠湾が起きたので3ヶ月ばかり早く卒業し、そのまま徴兵されて
予備士官学校(?)へ。
卒業後は石川県の部隊に配属後、戦争中のほとんどは内地にいたため難を逃れるも、
終戦直前に北方領土付近の小島(長さ2km、幅50mぐらいだったとか)の守備隊長に
なり、そのまま終戦。周りの部隊がどんどん引き上げる中最後まで残って、結局
ソ連の捕虜になりシベリア送り。
シベリアでは部下の半分が死んだとかでそうとう苦労したらしいが、指揮官は労働
しなくて良かったとかで、元々体が丈夫なのもあって2年半ほどで無事帰国。
最終階級は少尉ですた。
当時の思い出は「とにかく威張れた(笑)」そうな

ところで”予備士官学校”なんてほんとにあったんでつか?
たしかそう言ってたきがするんですが・・

752:名無し三等兵
03/08/08 14:50
>>751
あるよ。ぐぐってみな。

753:名無し三等兵
03/08/08 16:40
おれのひいじいさんの話。
日新戦争・日露戦争と連チャンで出兵し、もう戦争は無いだろう
と安心していたら、第一次世界大戦勃発。
ひいじいさんは、「もう俺は戦争したくね~」と泣き叫んだそうだ。
大変な時代だったんだな。

754:名無し三等兵
03/08/08 16:41 KKruNdW9

×:日新
○:日清
すまん

755:名無し三等兵
03/08/08 22:04 64r5MO9w
>>753
日清日露間には10年あるけど
30代で戦争行ったの?
職業軍人だったのかな?

756:名無し三等兵
03/08/08 22:12
うちの父親のおじさんの話はだめかな?
スレタイはよんだんだけど、最近その話を聞いてびっくりしたもんで

757:名無し三等兵
03/08/08 22:19
>>756
いや、ぜんぜんオッケーです。
聞かせて、聞かせて。


758:名無し三等兵
03/08/08 22:38
>>757
ありがとん
嘘か本当かわからないけど
そのおじさんは八甲田山の生き残りらしいです
眉唾もんなんですが、「片足の松」とよばれてたそうですが
うーん期待に備えずにスマソ

759:名無し三等兵
03/08/08 23:12
>>758
ええっ!?
それが本当なら、かなりの事まで割り出せますよ。
何処のご出身ですか?
つか、そのままズバリがこの寿松さんでは???
足切断と言うのも一致しますね。

URLリンク(homepage2.nifty.com)

760:名無し三等兵
03/08/08 23:24 4hLUiDza
なんか漏れの爺さんは第六師団の砲兵だったらしい
九〇式野砲でM4シャーマンをやったとかいってた。


761:名無し三等兵
03/08/08 23:55 +gKgdqWG
じーさんではないが、亡き父は学徒出陣で中国沿岸部に配属。
とりあえず、地域の住民とうまくいっている部隊だったので、余り戦闘はなかったと言っていた。
(あったとしても、両方とも相手を殺す気がないので、明後日の方向に撃ってたらしい)
なので、終戦後は部隊の殆どの人間(将校兵隊の区別なく)一ヶ月程度で引き揚げ船で帰国。

良く、言っていたことが上海はきれいな町で食い物も上手かった。特に肉饅頭が上手くて、
でも今は共産党なので、町はむちゃくちゃだろうなぁ。。。
でした。


あと、たまーに共産軍がくると本当の激戦になり、白兵戦もしたらしい。(詳しくは話してくれなかった)

で、将来お前が兵隊になったら、これだけ覚えておけと言われたことがある。
白兵戦の時は、銃は横向きにして撃て(反動が上下ではなく、左右になるから押さえ込み易い)
狙う場所は腹を狙え。
銃剣でさしたら、足で蹴ってすぐに抜け、抜けないようなら一発撃てばその反動で抜ける。
生き残りたければ古参兵や、下士官の言うことは良く聞け。

今、思えば余り戦闘(戦争ではなく)の話をしなかったのは余りにもの経験があったからかもしれない。

762:名無し三等兵
03/08/09 00:24
>>759
まちがいありません
いまびっくりして父に電話できいてみました
おじさんではなくけっこう遠縁のようですが、父の祖父の葬式に
菊の御門の入った手押し車で来たそうです。名前をあげていいかわかりませんが
 「阿部とくえもん」という当時盛岡教育長の親戚らしいです
自分の出身は岩手で父の話では当時その方はひこべというとこにすんでたらしいです

763:名無し三等兵
03/08/09 00:25
すいません興奮して訳わからない文かいてしまいました

764:名無し三等兵
03/08/09 01:38
>>762
759ですが、
うおっ、間違い無かったんですか!?
こっちもびっくりです。

両手・両足切断とあったので、間違いかなーと思って、
他の生存者の方を探していました。
こんなんです。
写真はこっちの方が大きいかな。

URLリンク(toshi-joe.tsukaeru.jp)

その759のリンクの場所には、掲示板もあるので、
実際にご親戚の方と連絡が取れるかもしれませんね。
良いご供養になると思います。

765:名無し三等兵
03/08/09 05:25
行き付けの玩具店の店主のお父様のお話ですが
インパール攻略で先頭の部隊にいたという事でした。

野ブタを捕まえるのに、38式歩兵銃でぶっ叩いたら折れたという事で
英軍からブン取った自動小銃を持って 逃げてきたと、昔お聞きしました。

10年ぐらい前にお亡くなりになったのですが
もっとお話を聞いていればよかったなぁ。

766:名無し三等兵
03/08/09 07:03 j/pxdD5o
スレッドタイトルには「・・おじい様・・」とありますが皆さんの年齢からいって当然ですよね。
しかし、その中で私は当年89才になった父の事を書きます。

父は陸士4x期卒ですがその後不思議?に生き延びたようで、玉砕したアッツ島に行く
はずがひょんな理由で行かずにすみ、その後も前線には配属されず終戦時には千葉で
本土決戦の準備をしていたそうです。しかし、同期は終戦までに半数が戦死しました。
(ちなみに軍の隊編成では半数が戦死という事は負傷者を考えると全滅と認定される
そうです)。ただし、これはまだ良いほうで50期以降の将校はちょうど小/中隊長クラス
だったため戦死率は7割に達した由。
幸いまだ元気ですが、「優秀なやつはみんな死んじまった」、「安達二十三中将は偉い人」
等といっておりました。また、言葉で聞いた事はないですが自分は生き残ったという事に
相当負い目を感じているようで、この気持ちは「生き残った」人たちに共通しているんで
しょうか。とりとめのない話しで失礼致しました。

URLリンク(www.kamou.co.jp)

767:名無し三等兵
03/08/09 17:55
ここまで露骨に宣伝されると削除依頼出し難いなあ

768:名無し三等兵
03/08/09 18:57
>>764
あちで書き込ませていただきます
本当にありがとうございます
>>767
失礼しました
これで消えますので

769:名無し三等兵
03/08/10 06:33
ここ、今読んでたけど「青春の悲劇」と言うネーミングが良い。
短いけど、多数の人の話が書いてあります。
主に中国方面みたいです。
自分の父も満州生まれなので。
時間がある方はどうぞ。

URLリンク(ww32.tiki.ne.jp)


770:名無し三等兵
03/08/10 11:16
何時からこのスレは「自分のブックマークを晒すスレ」になったんだろうか。

771:名無し三等兵
03/08/10 12:52 AtXJqqIj
なんか爺さんが何人かで小銃を一斉に撃ってグラマンを
落としたとか言ってるんですけどできるんでしょうか

772:350mm亜高速プロジェクタイルガンランチャー
03/08/10 12:55
うちのじっちゃんは陸軍でな、
バイカル湖あたりでいっぺん捕虜になってたらしい

773:名無し三等兵
03/08/10 12:57
>>771
可能

774:名無し三等兵
03/08/10 13:04
>>772
ずいぶん北方まで逝ったんだなあ

775:350mm亜高速プロジェクタイルガンランチャー
03/08/10 13:11
>>774
逝ったって言わないで(藁
一応まだ生きてます

776:甲種幹部候補生
03/08/10 13:54 JQT6Zxal
効果の程は當てになりませんが、可能です
ですから我が九九式小銃には對空照尺が付いてゐました
後年の越南戦争でも鉄砲で最新鋭ジェット機を撃墜した例が少からず有りました
精神一到何事か成らざらん

777:名無し三等兵
03/08/10 14:49
>>771
これは「集束弾道効果」といい侮れない効果があります。特に6.5mmではなく
7.7mm小銃の10人~20人単位の一斉射撃が集束した場合致命的な打撃を
与える事ができます。あなたのお爺さんは嘘つきではありません。

778:名無し三等兵
03/08/10 15:27
でも飛んでる飛行機に20人ぐらいで一斉射撃しても
5、6発ぐらい当たればいいところじゃあないのですか?

779:名無し三等兵
03/08/10 15:30
>>778
5、6発で飛行機は無事なのか?

780:名無し三等兵
03/08/10 15:33
>>779
当たり所が悪ければ、その程度の銃弾でも飛行機は落ちる。

781:名無し三等兵
03/08/10 18:31
>>778
もちろんあくまで「集束した場合」です。(極端な事をいえばたとえ一発でも操縦士に
当たれば撃墜できるでしょうがそれは本題と関係ないと思うのでナシとして。)

ですから実際に撃墜できる確率はかなり低いとは思います。しかし、10発の銃弾が
ちょうど焦点があたるようにほぼ一点に集中した場合、翼内の燃料タンクを破るのに
十分な威力があります。

782:名無し三等兵
03/08/10 20:36 +UxrxylT
中2の頃の文化祭で、隣のクラスが太平洋戦争特集やったんだけどさ、
その時、展示見ていた俺に一人の老紳士が話しかけてきたんだ。
「私は昔、疾風に乗っていたんだ」
でも俺そのとき海軍マンセー(というより坂井三郎マンセー)で、
全然話に食い付かなかったんだよ!!
むしろ、疾風?なにそれ?隼しか知らん!てなくらいバカだったわけで・・・・・・
今思えば陸軍、それも疾風のパイロットの体験談が生で聞けたわけで・・・・・
悔やんでも悔やみきれません。
ちなみに、うちの爺ちゃんは中国戦線に二度行って二度帰って来たらしいのですが、
俺が生まれる前にアボーンしてしまっているの、詳しい事はもうわかりません。

783:名無し三等兵
03/08/10 20:41
たしか38式で航空機を撃墜したって例が2つあった

784:名無し三等兵
03/08/10 20:45
>>770
あかまり深く話すつもりは無いが、昔からだね。
過去ログを読んでみるといいよ。
何故、ネット上にある体験談を集めるようになったかも理解できると思う。


785:名無し三等兵
03/08/10 20:46
>>782
うわー、惜しい、惜しすぎる!
でも結構ありますよね、そういう事・・・

786: 
03/08/10 20:48 AtXJqqIj
>>771です皆さんありがとうございます
違う話ですが私の爺さんは砲兵だったようで九〇式野砲
を使っていたそうです、しかし一日五発までと決められていたようです
皆さんそういう終戦間際のジリ貧のお話はありませんか?

787:名無し三等兵
03/08/10 20:49 hrTjW41g
お盆だよー! アダルトDVDが激安販売中
         URLリンク(www.dvd-exp.com)<)
          1枚 500円より


788:_
03/08/10 20:50
URLリンク(homepage.mac.com)

789:名無し三等兵
03/08/10 20:51
>>787
うわ・・・よりにもよってこのスレでこの広告文かよ!
>お盆だよー!
ここは爺さんたちにお参りして偲ぶ連中しかいねえよ バカ

790:名無し三等兵
03/08/10 21:31
近所のお爺さんに(今年7月逝去)にリアル厨房のとき宿題のために聞いた話だけど、

記憶が凄く曖昧だけど、彼はどうやら徴兵で静岡34連隊に取られて
新設の203連隊(だったかな?)に配属されてすぐ中国に送られたらしい。

まず始めに、どっかの平原みたいな所でドンパチやったらしい。
弾が近くに通るとき、ちょうど虫が耳の近くを通り過ぎたときみたいな音がするらしい。
皆同じ体勢で匍匐してるのに何故か、彼には当たらず周りの仲間ばかりに当たって
仲間がばたばた死んでいくところを見たそうだ。

その後、転戦して上海攻略戦だかに参加して・・・


ここから俺の記憶が飛んで


それから(確か)スマトラから、ガダルカナル島に行ったそうだ。
「ガ島じゃ、『兵隊は飯も食えずに飢え死にした』ってのが通説らしいけど、
俺たち隊は潜水艦で運んできた食料なんかを夜に浜に引き上げて、
少ないけど手のひら一杯の白飯を一週間でチビチビ食べていた。」とか何とか言ってたっけ。


そんなこと言っていたお爺さんも、今年お亡くなりになりました。
これから、戦争経験を語れる人たちがどんどん居なくなってしまうわけか・・・

791:名無し三等兵
03/08/10 21:45
>>786
そのものズバリをネットで読んだ記憶があります。
ここの、85才のホームページか、軍隊まんだらだっけ?
どれかです。
ゴメン、忘れちゃった。
中国戦線で、砲兵をしていて、信管を紛失してしまって、
ああ、どうしようってな話とかが書かれていました。
興味があるなら、探してみてくださいです。

URLリンク(www.rose.sannet.ne.jp)

792:782
03/08/10 22:42
>>785
本当に惜しいことをしました。
ちなみに、俺の婆ちゃん(鬼籍)のお姉さんは、
東京大空襲を体験していて、死体だらけの中を逃げ惑ったっと言っておりました。
もっと詳しく聞きたかったのですが、涙ぐんでその先は話してくれませんでした。
もう、それだけで悲惨さが伝わってきて、それ以上は聞けませんでした・・・・・・

793:名無し三等兵
03/08/11 03:39
重複スレにも書いたんだがうちの爺ちゃんは第六三四飛行隊の玄海基地に居たらしい

794:名無し三等兵
03/08/11 03:41
↑失礼、航空隊だった

795:名無し三等兵
03/08/12 01:19 nnh6uTyg
うちのじいさんの話も。

 父方のじいさんですが、>>790さんの御祖父さんが入った歩兵三十四連隊のホームベース
静岡に住んでいたのに、何故か豊橋の連隊に取られたらしいです。しかも薬屋の番頭てだけで
岐阜の陸軍病院に衛生兵で送られたらしい。
 現役と応召の二回中国に行ったらしいけど、そこそこあこぎで気楽な後方生活のような事を
話してました。匪賊のでる島に用事で行って、夜が怖いんで上官おいて帰って来ちゃったり、
自分たちは高梁しか食えないのに軍用犬は肉を喰ってるんで世話係の時、餌を盗んで喰ったり。
 でも、手榴弾の投げ方を実演してくれたり戦地へ踏み込んだ話もしていたんで、戦場経験は
あるみたい。実際に重度の栄養失調で帰ってきたそうですし。
 じいさんが最後に所属したのはマツリ部隊で、インパールへ行く途中、輸送船が撃沈されて
全滅したそうです。ただじいさんは先に病気で倒れて内地送還になったんで助かった。あとで
調べたところ、正式には祭兵団(サイヘイダン)と言うらしいですな。



796:名無し三等兵
03/08/12 01:20 nnh6uTyg
ついでに母方のじいさんの話も。

 こちらは日本軍の人材無駄遣いの見本みたいな戦歴。
 実家が浜松なので航空部隊のお膝元。そこで戦場にでなくても良いように陸空飛行1連隊
(重爆)の付属学校へ行って整備のお勉強。無事修了して召集を待っていたら、来たのは
何故か三島の重砲2連隊への配属。現役を勤め上げ、熱河作戦にも従軍して帰ってきて、
今度は飛行機の風洞実験なんかやる会社へ勤めた。技術者なら取られないだろう、てわけだが、
再度の赤紙は三島の重砲3連隊。現役召集の戦歴を考慮したんだろうか……。
 海軍で教育受けて陸軍に取られたと違いますよ? ちゃんと九三重爆ばらして磨いてたのに
兵隊になったら馬に乗って無線機担いで、主隊の前で弾着観測ですよ? 正規の教育受けた
人間なんて戦前日本じゃいくらいても足りなかったのに。
 終戦時は九十九里浜で米軍の本土上陸に備えてました。戦争が終わって三島に帰る前、
どうせ米軍に押収されるとなけなしの缶詰や毛布を皆で分けて静岡まで担いで帰ったらしい。

 やっぱり辛かったのかどちらも細かい話はしませんね。ただ漏れ聞く話だと、
妻子を田舎の実家に避難させて自分は爆撃されてる都市部でそのまま働いてたとか、
生きていくためにアイデア捻って闇物資をかき集めてきたとか、どうも静かに黙って
座っている今の姿からは想像できないんですよねえ……。

797:asagiri
03/08/12 03:31
嘘か本当かわからないがうちの爺さんは大和に乗っていたらしい。

798:名無し三等兵
03/08/12 03:49
>>797
乗艦者名簿をあたればわかるだろ

799:名無し三等兵
03/08/12 11:42
儀装の為に乗った作業員だったかも

800:名無し三等兵
03/08/12 18:30
親父が子供(戦時中)の頃、現金収入&男手が無かったので、どっかでヤギを買って
きて、ヤギの乳を売って暮らしてた。
乳が出なくなると今度は、首ひねって殺して肉を売ったらしい。

田舎だったから空襲は無かったけど、本土決戦になったら皆で入水自殺しようと言
ってた時に玉音放送が入ったていってたけど、ここら辺はフィクションかw

戦場の話じゃなくでゴメンよぅ


801:名無し三等兵
03/08/12 20:14
>>800
リアリティに溢れた良レスありがとうございます。

802:名無し三等兵
03/08/13 11:55
玉音放送の内容でどうして敗戦って判断できたんだろう

803:名無し三等兵
03/08/13 17:44
うちの爺さんは広島の兵錬所にいたそうだが、
7月の終わりに農業指導員というので帰ってきたそうだ。
上官や仲間に羨ましがられてボコられたおかげで、
顔を倍に腫らして帰って、親父たちを驚かせた。
その入れ替わりに無二の親友であった人が交代で
広島に入ったのだが、その日が8月6日。
仕事とはいえ自分があの日帰ってこなければ…
と死ぬまで悔やんでいたらしい。

戦争体験じゃなくて申し訳ない。

804:↑
03/08/13 20:21 i78jClqP
リアリティに溢れた良レスありがとうございます。


805:803
03/08/13 20:26
いえいえどういたしまして。

806:名無し三等兵
03/08/13 21:02 gI6azsWx

いちおう貼っときます
URLリンク(headlines.yahoo.co.jp)

807:名無し三等兵
03/08/13 21:42 bMBFkKLx
米兵がにやけながら機銃掃射してたって話があったけど、
カーチャンの知り合いが、当時子供で機銃掃射してきた米航空兵と目が合ったんだって。
そしたら、その飛行機は引き返していったって。

808:名無し三等兵
03/08/13 23:10
>>807
2.3日前のNHK,BSの記録映像では、戦闘機から民家とか漁船に
ゲーム感覚で撃ちまくってたよ

809:名無し三等兵
03/08/13 23:14
その辺は今も昔も変わってない。

810:名無し三等兵
03/08/13 23:26
>>808
俺もついやってしまいそうだ。

811:名無し三等兵
03/08/14 01:04
>>810
でも現実になったら、殆どの人が
民家でちじこまってる方の人になるんだよね

812:名無し三等兵
03/08/14 05:40
>>802
よく聞くのが、雑音だらけの内容でぜんぜん解らなかったけど、
周りが泣いているから敗戦だと知ったというのがありますね。
実は前日の夕刊に全文がのっていたという話も聞きました。


813:名無し三等兵
03/08/14 13:35 MFcFFTeB
俺のじいさん、やはり思い出したくないのか戦争のことはほとんど話してくれなかったけど
「南京なんかの入城映像を撮る前にガラクタを掃除するのが大変だった」とか
「夜、歩哨に立つのは怖かった」なんてポツリポツリと漏らしていました。

ずっと足が悪くて、その理由が乗っていた輸送船が沈められた時に怪我をしたらしい。
亡くなって随分経つけど色々思い出したらなんかこう・・・

そういえばじいさんの従兄弟?は長門に乗っていたという自慢話しをしてくれました。
感状もあったので間違いないです。

814:内閣官房長官 福田康夫サル似
03/08/14 16:40
福田康夫官房長官は14日付で、官房長官談話を発表した

(´-`).『「理論的には日本は核武装可能ですが,
    戦没者の尊い犠牲に思いを致し、
    全国民が深く追悼の誠をささげるとともに、
    恒久平和の確立への誓いを新たにする』


815:名無し三等兵
03/08/14 19:23 Q+prdpDW
うちのじーちゃんの話じゃないんだけど、5年くらい前に上京する高速バスで
あるおじいちゃんと同席になった。
そしたらそのおじいちゃん、バスが高速道路に乗り始めてどんどん速度をあげていたら
「私ね、こんな速度どうってことないの。戦争中戦闘機乗ってたから」
って突然私に話し掛けてきた。おじいちゃん「ゲルマン機、何個も落としたよ~」とかちょっと自慢してた。
復員してからの話もしてたんだけど「娘がスチュワーデスで」とか、やっぱり自慢話。
「よかったら遊びにきて」って名刺渡された。有名な窯元の卸やってる社長さんだった。
私はうちのじーちゃんからはその手の話は全然聞いたことなかったんで新鮮だったよ。
もっと突っ込んであのおじいちゃんの戦争中の話聞いときゃよかった。

816:名無し三等兵
03/08/14 19:39
うちのじいちゃんは神風特攻隊だったけど、特攻する前日に戦争終了で
一命を取り留めたらしい。180cmオーバーの、当時にしてはかなりの長身で
90ちょっとまで生きてました。

で、そのじいちゃんの長男は残念ながら戦争でお亡くなりになられたんだけど、
墓石には
海軍機関士 昭和20年3月24日 沖縄にて戦死
ってある。はたして船舶に乗ってたのか、潜水艦に乗ってたのか。または
陸戦してたのかどうかさっぱりわからないけど、時期的に米軍沖縄上陸に近いから
結構壮絶な死に様だったんであろうか・・・


合掌。

817:名無し三等兵
03/08/14 19:42 T7SHcUiD
夜戦で、敵艦の兵士の顔が見えるくらいの距離で撃ち合い。
あたりは照明弾と火災で昼のように明るい。
その巡洋艦が沈みはじめ、海に飛び込む何百ものアメリカ兵を25ミリで撃ちまくったら
海水が真っ赤になったらしい。さすがに上官に制止されたと聞いた。

818:名無し三等兵
03/08/14 19:58
神風特別攻撃隊にいたそうです。
出撃する前に終戦を迎えたそうです。

819:名無し三等兵
03/08/14 19:59
爺さんの話って自慢話と作り話が混じるから判断がむつかしいよね

820:名無し三等兵
03/08/14 20:05
元戦車兵の爺さんが野戦でピストル百発撃ったとかね(藁



821:名無し三等兵
03/08/14 20:33
>>819
うん、そこがまたいいんだけどね。
このスレにも何度も出で来たけど、
「実はシナ事変の原因はワシだった・・・」とか、
「どこそこでドイツの飛行機を見たor助けてくれた」とか。
この手の話は嘘だなと瞬時に解るようになったら、
このスレの玄人です。


822:名無し三等兵
03/08/14 20:38
嘘を嘘を見抜けないと爺さんの利用は難しい

823:名無し三等兵
03/08/14 22:28 ENQZ8oyJ
>>821
「実はシナ事変の原因はワシだった・・・」
は見抜けない奴はいない

盧溝橋事件で下痢をしてた人だけだろう
本当にいるかは知らないけど

824:名無し三等兵
03/08/14 23:29
爺さんは陸軍省に勤務していた。

それしか知らない

825:水兵
03/08/14 23:57 BJ0MTOQy
うちの婆さんの兄は、戦艦山城に乗っていた。


826:名無し三等兵
03/08/15 00:19
小さい頃、爺ちゃんと一緒にお風呂入ってたら、爺ちゃんの
左側のおしりとふとももの境目のところが、直径2cm(記憶あいまい)ぐらい
丸くボコッて陥没していた。
で、これは何かと聞いたら、「鉄砲の玉の跡」だと教えてくれた。
その時はあまりに幼くて、( ´_ゝ`)フーンと聞き流してしまったが、
今考えるとそれってものすごい事じゃないか!!と自分に突っ込み。
爺ちゃーん。゚(゚´Д`゚)゚。

827:名無し三等兵
03/08/15 00:35 XxrUPxvM
うちの爺ちゃんは頭に鉄砲の玉の跡あったなあ。
銃弾が血の跡つきで保管してあって子供の頃見て泣いちゃった。

今日は爺ちゃんの弟がいる靖国へ初めて行きます。
飛行機乗りでギニアで亡くなったということしかわからない…。
林檎になって帰ってきたそうです。


828:名無し三等兵
03/08/15 01:38
>>827
何処の部隊かここに書いていただければ、
可能な限りは調べますよ。
良ければ聞いてみてください。
良い供養になると思います。

829:名無し三等兵
03/08/15 01:54
とりあえずわかるのはギニアではなくニューギニアだということだが

830:名無し三等兵
03/08/15 02:24
爺様は比島への輸送部隊にいたらしい。ふと振り返ると後続の船が魚雷で沈んでいたそうだ。
もう一人の爺ちゃんは年がいっていたので種子島で炊事兵だったそうな。
親戚で空襲で8月14日に亡くなった人がいてやるせない。

831:名無し三等兵
03/08/15 02:32
ちょっとスレ違いだが親父は原爆投下半年前に防火対策で強制立ち退きになり疎開。
おかげで俺がいると思うと運命ってすごい。
戦後広島に帰ったら国民学校の友達はほとんどいなかったそうだ。

832:観てみぬフリ@上田哲 絶叫!『(・∀・)全然知りませんでスタ』
03/08/15 10:11
『(・∀・)全然知りませんでスタ』

833: 
03/08/15 10:44 Cj/6sVDw
なんか生き残って船で帰ってくる途中日本が見えたとき嬉しくて
気が狂って海に飛び込んで死んだ奴がいたと聞いた

834:名無し三等兵
03/08/15 14:39
>>833
大阪の人だろうね

835:名無し三等兵
03/08/15 15:53 KNDk+jmR
戦争体験のある
2ちゃんねらーはおらんか?

836:名無し三等兵
03/08/15 16:14 skTEv9jS
郵便局やってたおかげで戦地にいかずに済んで生き残った。
階級は少尉、一応士官だ。
戦後公職追放されるが、後に復帰。
在郷軍人会の役員を務める。
以上。

837:名無し三等兵
03/08/15 18:22
本当に「天皇陛下万歳!」って死んだんだろうか
死ぬ時ぐらい個人的な事考えるよね、普通

838:名無し三等兵
03/08/15 18:39 xHRch5qI
>>837
死ぬときにもやせ我慢する奴はいる
生きてるときでもやせ我慢もできない人もいる

人それぞれ

839:名無し三等兵
03/08/15 19:00 dsTzpmfx
数年前に死んだ知り合いのじいちゃん。

零戦のパイロット(曹長って聞いた)で重慶爆撃やアッツ?攻略作戦などに出撃したそうな。
2回ほどマシントラブルで不時着。長江と、海。長江では陸軍部隊、海では輸送艦に助けられたらしい。
あと瑞鶴にも乗ってたって聞いたな。終盤は教官をやってた。

そんなじいちゃんでも車で単独事故をおこしってしまった。
やはり年には勝てなかったということか。それ以来車の操縦はやめてました。

840:名無し三等兵
03/08/15 19:03
>>839
海軍の場合「曹長」ではなく「兵曹長」(陸軍の准尉に相当)
搭乗員だから「飛行兵曹長」

841:名無し三等兵
03/08/15 19:18
>>835
全板の中で1人くらいは居るかも。

842:山崎教徒
03/08/15 19:23
    (^^)<山崎マンセ
  ,,.-‐''""""'''ー-.、
     ,ィ"          \
      /             `、
     ,i              i
   r'-=ニ;'_ー-、___,,.ィ‐‐-,,_ __|
    | r,i   ~`'ー-l;l : : : `l-r'"メ、
   ヾ、       `ー‐'": i!_,l_ノ`
    |         ,:(,..、 ;:|/
    |        ,,,..;:;:;:;,/
    /  `::;;.   '"`ニ二ノ なめたらイカンぜよ!
  /7    ゙゙:`-、;:;:;;;:;:;:;;/
,,.ィ"`:、        "/;:`ー-:、.._ fdgsdfgsd
gs
gsfdsfd

fgdsfっっっっっっっっっっっっg
っっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっg

843:山崎 渉
03/08/15 19:58
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン

844:名無し三等兵
03/08/15 20:10
バイトにいった農家のじいちゃん(陸軍)の話

レイテの後、当時アメリカ軍が戦意喪失のためやってた日本語放送で
  『 ・・・今日、日本帝国海軍が地球上から消滅しました・・・ 』
というのを聞いたそうだ。

あと、疾風のことは「ハチヨン」と呼んでたらしい。 

845:839
03/08/15 20:11 dsTzpmfx
>>840
俺にとってはどうでもいい事だが親切にどうも。

846:名無し三等兵
03/08/15 20:32
>>834
劇ワラ。
ものすごいブラックジョークだね。


847:第1騎兵旅団長
03/08/15 23:40
俺のじいちゃんの兄サンは戦死(死に様は知らん)。
じいちゃんはまだ16歳くらいで、赤とんぼと言う訓練機に乗ってた。
出征することなく終戦、残された兄嫁には子供がまだいなかったこともあり
帰還したじいちゃんと結婚して、俺のママンが生まれた

友達のじいちゃんは中国兵に包囲されピストルで自決したそーな


848:名無し三等兵
03/08/15 23:50
帰省して母方の祖父の話を聞いてきた。
祖父は当時のことを物凄く鮮明に覚えていてビックリした。

15歳で徴用。昭和17年、水上機母艦千代田に乗ってキスカへ。
同行していた、あるぜんちな丸の話もしていたなあ。
そこで雨あられと続く飛行場と港への艦砲射撃を山中から眺めていたという。
山の中腹に対空砲が設置されていたため、低空飛行の米軍飛行機には
役に立たなかったそうだ。もちろん地上にも機銃は設置されていたが、
真っ先に狙われあっさり操者は死んでしまったという。
だから、折角の機銃にも危なくって誰も近寄れなかった(らせなかった)らしい。

849:827
03/08/16 00:40
>>828
レスありがとうございます。今日、靖国神社に参拝してきました。
昇殿参拝は緊張しましたが、行ってよかったです。
爺ちゃんの弟に関してはもう少し調べてみまつ。
爺ちゃんもう死んでしまっていて…わかる人がいないんです。
実家帰ったら仏壇調べてみようかと。もし部隊とかわかったら軍事板の方に
質問させていただいてもよろしいでしょうか?
小さい頃から「お前は○○(大伯父)に似ている」と言われていてずっと気になってたので…。
…もっと早く気付いていろいろ聞きたかった…爺ちゃんの話も…「満州で冬の夜
小便したら凍るんだぞ!」とかそんな話ばっかりだったねジイチャン…。




850:名無し三等兵
03/08/16 02:01
>>836
ひょっとして、>>835へのレス?
戦争体験のあるおじいちゃんの2ちゃんねら
なのですか?

851:名無し三等兵
03/08/16 02:05
ずっと過去ログ見てきたけど…
戦争体験のあるじーちゃん達って、死ぬ間際にその頃のことを思い出す人多いよね。
よほど辛かったんだろうと思う。
うちのじーちゃんもグアムだかサイパン行って無事に帰ってきたけど
後年ボケて「天皇陛下万歳!」とか「俺なんてグアム(サイパン)で死んじゃえば良かったんだ!」とか
凄かったらしいよ。まぁ、ボケてたからそうなっちゃったのかもしれないけど。
でも実際そんなじーちゃん見てたら切なかっただろうなぁ。
病気して入院してからボケちゃったみたいで、お見舞いに行きたいって言ったんだけど母に何度も止められた。
「あんな酷い状態のじーちゃん見せられない」って。
私にとってはじーちゃんはカリスマ的な存在だったので、そんな話を聞くだけでもショックだった。
結局会えたのは亡くなってからで、それは未だに凄く後悔してる。
でも「戦争に行く」ってすごいことなんだろうなって、そのじーちゃんの話を思い出すたびに実感するよ。
なんだかじーちゃん追悼になっちゃった。スレ違いになってゴメンネ。

852:名無し三等兵
03/08/16 03:06
>>851
いや、良い話ですね。
それもまた、戦争体験の一つだと思いますです。



853:名無し三等兵
03/08/16 17:17
これは本で読んだ話だけど、
元陸軍中将・宮崎繁三郎が臨終の際、最後に呟いた言葉は、
「参謀、敵中突破で、分離した部隊は間違いなく掌握したか?」
だったらしい。

854:名無し三等兵
03/08/16 17:56 w1JQJ9Ta
うちのおじいちゃんには戦争の話は聞かなかったけど、
最近おじいちゃんんが亡くなって遺品を整理していたら、
戦争に行ってる最中の日記が出てきたよー。

855:名無し三等兵
03/08/16 18:55
もなか

856:名無し三等兵
03/08/16 19:09
>>854
エピソードを紹介してください!
っていいたいけど、それは故人に対して失礼にあたるのかな・・・。

857:名無し三等兵
03/08/16 19:53
>>856
日記は後日、誰かに読まれる為に書かれている。
と、何かの本に書いてあったような。
>>854さん
私も是非知りたいです。
お祖父さんの生前の人格とよく相談して、
あなたが発表しても良いと判断したら教えてください。
また、故人に不利になったり、個人を特定できるようなエピソードは
割愛してくださっても結構ですよ。

858:名無し三等兵
03/08/16 20:21
>>856
うーん、孫がじいちゃんの軌跡をたどるって、
良い供養になるし、じいちゃんの生き様を伝えるのも、
また良い供養になると思います。
けど、やはり、じいちゃんによるかな。
854さん自信が判断する事ですよね。
自分は本音は聞きたいです。


859:
03/08/17 21:04
うちの爺様は満州事変に出征してた。そのときの記念品?御猪口がいっぱいある。
男一人の家だったから、志願していったそうだ。なんでも給金がよかったらしいが。
こん時は帰ってこれたんだが、大戦末期に徴兵され、富山丸で沖縄に輸送中に船ごと沈んだ。
鹿児島から出てった次の日に両親が面会に来たって近所の爺様が言ってた。
もう一人のじいさんも男一人だったから、徴兵は遅く、鹿児島で芋ばっかり作ってたとか。
脳卒中でぶっ倒れるまで、辛い事ばっかりだったけど、
もう一度行きたい、もう一度行きたい、と言ってた。
連れて行ってやれなかったのが残念だ。

近所の軍人さんのお墓に
南京攻略直前に腹に銃創受けて他の人に笑いながら死にますと言って、
天皇陛下万歳と叫んで逝かれた方のお墓があります。

860:名無し三等兵
03/08/20 11:55
うちの爺さんは戦争の話はしたがらないなぁー。
終戦後、食べ物無くて半日歩いて海まで塩やシャコを取り
に行ったりした話とかはしてくれるけどやっぱり思い出したく
ないのかな。

861:名無し三等兵
03/08/20 12:11 ponRpxhA
ウチの祖父さんは、セレベス島とかいうところに居たらしい。
シナにも居たとか居ないとか。

鬼軍曹だったらしく、部下にかなり酷い事をしたらしい。
原住民の酋長の娘と結婚する話もあったようだ。

俺が生まれる前に死んだから詳しい事は分からないんだけど、
部隊名とか、戦歴とか教えて欲しいです。

862:大和搭乗員
03/08/20 12:22 3JKNM4A2
うちのおじいちゃんは呉の軍港で働いていて大和を見たそうです。
B29の爆劇にも奇跡的に助かりいまもげんきです。

863:山崎教徒
03/08/20 13:12
   ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ( ´∀`)< うほっいいやまざき!
  (    )  \_____
  | | |
  (__)_)


864:名無し三等兵
03/08/20 23:47 InbW3xZy
>>862
呉の空襲の話は結構泣ける
最後煙が入ってきて
海ゆかばを歌いながらばたばた倒れていくあたり

865:名無し三等兵
03/08/20 23:54 G8rA61U4
うちの爺ちゃんも海軍に行っていて、油送船の「第二極東丸」に乗船してました。
シンガポールかどっかで大和を見たそうです。
上陸してる間に船が沈められて内地には帰れず、1年間イギリス軍の
捕虜収容所にいました。
なんでも天皇陛下の玉音放送を別の船の通信室で傍受して、そこにいた
一般兵の中で一番最初に終戦を知ったそうです。

866:名無し三等兵
03/08/21 01:24 DCNHTlBw
予科練甲種を不合格(体重が足りないのと親が両方死んで他の兄弟も病死してたから?)
       ↓    
    半年近くブラブラ(弁当持って釣りに行ったり、将棋うってた)
       ↓
地元の町内会長みたいのがとてもうるさいので金沢までいってブラブラ
       ↓
   金沢大学の教務助手のアルバイトにありつく
        ↓
   その参ヶ月後予科練乙種合格
        ↓
九州で教練をうける。モールス信号ばっかりやってた。
        ↓
       終戦
        ↓
        大工
        ↓
       自衛隊

867:名無し三等兵
03/08/21 02:08 m3qd/pAT
みんなの爺ちゃんスゴイな。
もう20年以上前、俺が消防の頃、戦争の話を2つ聞いた覚えがある。
1.
俺 「爺ちゃん、戦争いったと?」
爺 「うん」
俺 「鉄砲持っとうと?」
爺 「捨てたと」
俺 「もったいなか~」

2.
俺 「爺ちゃんもやっぱ、戦争したと?」
爺 「うん、南の島でくさ、大きなヒマワリが現地の人ばいじめとったけん、
   爺ちゃんがそのヒマワリば退治してやったとよ」
俺 「ふーん」

こんだけ。w  俺がガキだったんで真面目な話はしてもらえなかったよ。
今から思えば、戦前や戦中、戦後の話を聞いておけばよかった。 (;´Д`) 

868:名無し三等兵
03/08/21 02:29
>>867
なんか、いいじいちゃんだね。


869:名無し三等兵
03/08/21 13:50
婆さんは「ガルガワ(北海道・札幌市手稲方面)にB29が飛んできて」って話をします。
北海道空襲は艦載機のはずだよ、と突っ込んでも
「そんなもんじゃない。アメリカの飛行機はデカかった」と話しています。



870:名無し三等兵
03/08/21 15:34 eeKYiG96
うちの死んだ婆様の話。終戦直後、家の縁側に醤油の一升瓶を置いてたら、進駐軍の黒人兵が
コーヒーと間違えて売ってくれと英語で話してきた。ちんぶんかんぷんなので近所の新聞記者
やってる人に通訳してもらったらしい。そのとき黒人兵はサブマシンガンをぶら下げていたそ
うだ。

871:名無し三等兵
03/08/21 15:54
>>869
老人の話は後で聞いた話やテレビで観た事も体験談になってるから判断が難しい

872:名無し三等兵
03/08/21 16:07
>>870
わはは、なんか良い話だね。
匂い嗅がせたらわかるような気もするけど。


873:名無し三等兵
03/08/21 19:02 rzsJWYuL
鳥海乗組です

874:名無し三等兵
03/08/21 19:38
すんません。
>>867のおじいちゃんのいう「大きなヒマワリ」って何のことだろう・・・?
わかった人、いる?

875:867
03/08/21 19:47 Dm5zAmnr
>>874
深い意味はないと思います。
俺が小学生の頃の会話ですので、爺ちゃんも適当な自慢話をしたと思います。
大きなキツネでも、大きなヤカンでも何でも良かったんだと思いますよ。w

爺ちゃんは北九州の生まれなので、多分、菊師団か龍師団だったと想像してます。
ビルマで戦ったのかな。 なんか想像できん。w

876:名無し三等兵
03/08/21 20:17
874です。
>>867さん、わざわざありがとうございます。
なるほど、小さなお孫さん相手のたとえ話のようなものでしたか。失礼しました。
・・・大きなヒマワリ、と聞いてリングワールドを連想してしまっていた小生は
SF板に逝ってまいります・・・

877:名無し三等兵
03/08/21 20:59 TudVZFRB
>>869
北海道上空にもB29が飛来していたという記述
を見たことがあります 道東だけど

878:1
03/08/21 21:05 Spm967U/
>>877
B29かどうかあいまいだけど
とにかく爆撃機が道南に爆撃に来てて
撃墜された。

879:名無し三等兵
03/08/21 21:07
>>860
参考にどうぞ。

『水木氏は戦場で地獄をみてきた人です。このような人たちは決して
勇ましい戦場の武勇伝などを語ろうとはしません。例え初期の頃の
「勝ち戦」を経験していたとしても。あのころ軍に入った人たちは誰でも
「戦死」は覚悟していたでしょうが、「餓死」する事になるとは夢にも
思っていなかったでしょう。この責任は完全に上にあります。
水木氏はこの事に関してはらわたが煮えくりかえっているでしょうが、
この人のすごいところはそれを直接描かない事です。「たまたま生き
残ってしまった」者として死んだ戦友に対する目は限りなくやさしく、』

あなたのお爺さんもきっとつらい事があったんでしょう。

880:名無し三等兵
03/08/21 21:17
>>878
北海道は昭和20年7月に結構あちこち叩かれてるけど、ほとんどが艦載機によるもの。
一部は艦砲射撃、それも白昼堂々。
B-29が来てたって話は聞かない。
手元の第20・21爆撃兵団のどちらの記録を見ても、北海道の地名は載ってないです。

881:名無し三等兵
03/08/21 22:27
祖父の兄はノモンハンで戦死したらしい
祖父に聞いても詳しい事は分かんなさそうだから
戦記もので良いのないものか…

>>875-876
大きなヤカンで、"笑うやかん"を連想したので
しばしレゲー板で頭冷やしてくる

882:名無し三等兵
03/08/21 22:30 r+p3Wqpv
航法を間違えて北海道に迷いこんだのでは?

883:名無し三等兵
03/08/21 22:32
>>881
朝日新聞社から出てる、A. D. クックスの「ノモンハン」(文庫版で全4巻)
を嫁。
軍板的には不評な版元だが、良い本だぞ。
作者の人がアメリカ人だから、両軍をわりと公平な目で見ていると思う。

884:名無し三等兵
03/08/21 22:36
漏れのばあちゃん、畑仕事してる時にB-29に機銃掃射されたそうな
搭乗員の顔がはっきり見えるくらいの超低空で、舐めるように銃撃してきたんだと
ばあちゃんは溝に飛び込んで助かったが、近くにいた近所のおじさんは、飼い犬諸共肉片になって葉っぱにくっついていたそうな

B-29っていうのは多分F4UかF6Fの間違いだと思うんだが

885:名無し三等兵
03/08/21 22:43
漏れの伯母さん。
学校帰り、畑のあぜ道を歩いていたら艦載機? の機銃掃射にあって。
あわてて友達と一緒に畑の中に隠れたそうな。
艦載機が去った後、友達を見たら、既に事切れていたとか。

886:名無し三等兵
03/08/21 22:51 gl5pjuTl
戦場、そして空襲や機銃掃射で知り合いが死んだ、と言う話が
当たり前の経験として語られる祖父母の世代は、
やっぱ戦争を知らずに~、の世代とは大きな隔たりを感じるなあ。

母方の祖母の話では、大戦末期、狙うものが無くて牛を撃ち殺していたと言う。

887:886
03/08/21 22:54
日本語おかしい。ごめん。

修正。
アメリカの飛行機は昼間の機銃掃射で
牛を撃ち殺していたという。

888:名無し三等兵
03/08/21 23:00
>874
毛唐のことと思うが?
ちがったらすまそっ!

889:名無し三等兵
03/08/21 23:18
確かリア消防だったか、もう少し前。
爺さんと一緒に風呂に入ったことがあった。腹に一か所、紫色の斑点があった。
漏れ「おじいちゃん、これなあに」
爺 「これか? 鉄砲で撃たれた跡だよ」
漏れ「嘘だあ。鉄砲で撃たれたら死んじゃうんだよ」

それからまもなく、爺さんは呆けてしまい、戦争の話を聞くことはなかった。
銃で撃たれても助かることはあるというのを知ったのは、ずいぶん後のことだ。
他の親戚に聞いた話では、爺さんは戦時中、ずっと大陸にいたらしい。
負傷の話は誰も知らないそうだ。

890:名無し三等兵
03/08/21 23:30 1lKP3CRe
名古屋にいた母方のおじいさんの話。
おじいさんは年齢が40歳を越えていたので徴兵はされていなかったの
ですが、空襲でなくなりました。
空襲警報が解除されたので、家に戻っていったらまだ上空に2、3機いて、
それに空襲され、家とともに亡くなったらしいです。
名古屋は東京のつぎに空襲の回数が多くて全部で68回空襲され、
そのうち、大規模なのが18回だそうです。

891:名無し三等兵
03/08/21 23:50
>>884
年寄りにとって敵機は全部B-29なんだろうな

892:名無し三等兵
03/08/22 00:18 OHOcmYSI
>>891
戦闘機は全部グラマン
爆弾落とすのは全部B-29

893:名無し三等兵
03/08/22 00:25
>>891
銃後の年寄りにとっては、だろ?

昔、忘年会やったときに、偶然隣がどこぞの戦友会で。
「○○さん、確か1式戦の3型乗ってたんだよね」
「いや、1型と2型だけ。その後は……」
みたいな会話が漏れ聞こえてきて、すげー、と思ったことがある。

894:名無し三等兵
03/08/22 13:06 YddSrVEB
家のばあさんは、戦前戦中に台湾で暮らしていて、一度、重巡高雄を見学したことがあるそうな。

895:名無し三等兵
03/08/22 13:34 Or2gjd5k
うちのひーじーちゃんは近衛兵デスタ。

896:名無し三等兵
03/08/22 13:36 +wNw1D13

URLリンク(www.takamin.com)

お絵書きチャットで在日がハングルで暴れてます。
だれか来て!加勢たのむ。
祭り!




897:名無し三等兵
03/08/22 14:40
 うちの曽祖父の弟が青島攻略のとき、伝令兵であったらしく
移動中トーチカから機関銃で撃たれて亡くなったそうです。
 母方の亡くなった祖父は満州に配属されて軽機持たされていた
そうです。ソ連が侵入してくる前に満期除隊、無事帰還。

898:名無し三等兵
03/08/22 15:07 lCR1u/MO
>>890
旧軍の医療体制で腹撃たれて助かったのは相当運がいいよ。

899:名無し三等兵
03/08/22 16:13 AR9r9RCV
父方の祖父はウエーキ島だったんだけど、先日母から聞いた話では上
海の基地にずっといたと勘違いしていた母方の祖父がタラワにいたら
しい。
良く二人とも生きていたもんだ・・・。
で、子供の頃に良く聞いた、餓死しかけてゴキブリを食べたっていう
話は何故か同じ話を両方から聞いた記憶があったんだけど、両方の祖
父から聞いていたんだと、やっと先日になって分かって納得した。
食べ物を粗末にするなっていう戒めの意味もあるんだろうけど、もし
かしたらゴキブリを食べたっていうのは、そうした戒めのために流行
った話だったのかもしれない。



900:山崎教徒
03/08/22 17:34 wvrH0BZx
おまえらに戦争の苦しみはわからない、赤紙を貰い、家族や友人やを残して、不安だがうれしい、そしてみんなから見送られ、勇ましく戦場へ行って人を殺し、苦しんで死ぬ仲間や、即死する仲間の死体を見て、空中から迫撃砲や
500ポンド爆弾が飛んできて、戦車に追われ、攻撃機に機銃掃射から逃げ、一面血の海を見て何のためにやっているのかわからなくなり、女、子どもが暴行され、無惨で死んでいき、その上で町を占領し、国のために
戦って、死んで、けがをして、捕虜になり拷問を受け、仲間に助け
られる、家族に手紙をだし、飢えて雑草を食べて、子どもや妻、親、友
人、隊長、将軍の事を思っ
て生死の境をさまよい、殺した人間のことで眠れなくなり終わりのな
い戦争のことを考え
狂って地獄を見て、戦争が終わり、嬉しさと負けた悲しさで、涙がかれる
まで無き、この後どうや
って生きていけばいいのかとゆ
う不安、戦友の墓に線香を上げ、泣き崩れ、家に向かってみれば家は跡形もなくなっていて、家族を捜す、その見つかった喜び、見つからな
かった、悲しみ、上官に逆らえば、殺される、それで、抵抗できない敵兵を殺して、進駐
軍に捕まり、C休戦版になり、不当な裁判を受け、絞首刑となり、死ぬまで
の時間を待つ、いつ殺されるかわからないのに、俺は悪くないのに・・・助かるかもしれないという希望を持っていたが、それも
無駄だった・・・・・そんな、地獄を見てない奴は戦争を語る資格は
ない
lpgw5おk6い9-00-い6w-w360いおwきすとらにますきてゆいえゆなかゆてい

基地化の邸よ

901:名無し三等兵
03/08/22 18:58 KlKxdvLa
>>890
>名古屋は東京のつぎに空襲の回数が多くて全部で68回空襲され、
>そのうち、大規模なのが18回だそうです。

名古屋に対する空襲は六十三回です。ソースは中日新聞協力・ニュースペーパー「ローズ」
揚げ足レス スマソ


902:名無し三等兵
03/08/22 19:10
今過去帳調べたら、俺んちの分家で爺ちゃんの弟に当たる人が海軍にいたことが判明
海軍上等機関兵曹 武野仁一
昭和20年3月9日 ラバウル基地において空襲の際、直撃弾により戦死

過去帳には何枚かの写真と、部下の大野上等水兵っていう人が戦死の模様を伝えたメモが挟まってた
分家のばあちゃんは10年前に死んで、家が途絶えて詳細は分からずじまい

903:名無し三等兵
03/08/22 21:51
>>902
諦めるな、今はネットという便利なものがあるよ。
検索しただけで、これだけ出てくるよ。
水木しげるさんもラバウルだったような???
もしかしたら、何か見つかるかもね。

URLリンク(www.google.co.jp)


904:名無し三等兵
03/08/22 21:53
>>902
その大野さんは見つかるかも。
この検索のトップに、大野と言う海軍の人が出てくるね。

URLリンク(www.google.co.jp)

905:881
03/08/23 01:08
>>883
Thx!
さっそく探してみます。

一式戦が参加したくらいしか知らない…ダメだな俺。

906:名無し三等兵
03/08/23 11:25
俺のおじいちゃん、中学生時代に彼女がいたらしい。
一緒に手を繋いで歩いていたら、突然空襲ボパーツ。
夢中で逃げて、逃げて、防空壕に隠れて、ふと見たら
その彼女の腕から先がナカッタ・・・。
指がピクンって動いたそうな。でも不思議と泣かなかったんだって。
俺も彼女がいるんだが、もしもそんなことになったら俺どーゆう顔してるんだろう・・・

907:名無し三等兵
03/08/23 12:35
>>906
なんと残酷な・・・

908:名無し三等兵
03/08/23 14:29
>>906
悲しすぎる・・・自分の好きなコがそうなったら俺は発狂するだろうな。

909:名無し三等兵
03/08/23 14:43
ガ━━━∑(゚д゚lll)━━━ン    こんな顔

910:名無し三等兵
03/08/23 16:56
>>906
吐き気してきた・・・

911:名無し三等兵
03/08/24 00:30
クラシックカメラクラブで、この前会員の83歳の人から聞いた話
「僕はね、ソ満国境にいたんですよ」
「アブみたいな飛行機にダダダダーッと銃撃を受けましてね、味方が大分やられたんですよ」
「本当に怖いのは迫撃砲弾ですよ 大砲の弾は家の影に隠れてれば大丈夫ですが、あれは上から降ってくるんです」
「なんせ頭上の木の枝で爆発して、気絶して気がついたら周りの皆がやられてるんです」
「僕はね、駆逐艦「雪風」で復員したんですよ いや、実にきれいな軍艦でした」
「こう、甲板の脇にベニヤ板が何枚も張り出してありましてね、そこで用を足すんです 館内の便所は少なくてね」

雑談だったので詳しくは聞けなかったが、やっぱりこういう証言は貴重だと思う

912:名無し三等兵
03/08/24 00:38 9/HFM35K
お盆に来た住職が
自分が学徒出陣で海軍に入って海防艦が潜水艦に沈められて漂った話とか
特攻隊に行った友達の話しをずっとしていて
漏れは面白く聞いていたのだが
一族みんな興味なくさっさと追い返してしまった。
軍オタだとばれるのがいやで何もできなかったがかなりもったいないことをした。

913:名無し三等兵
03/08/24 01:41 AfurYHrW
この前、NHKでやってた「関東軍は何を検閲していたのか」という番組で、
高齢の日本人女性が証言してて、朝鮮と満州の国境の難民収容所にいて、
半分以上(数千人)が死亡したと言ってたけど、何という町だった?

914:名無し三等兵
03/08/24 03:56
>>912
うちが檀家に入ってる寺の住職さんも戦争体験者のおじいさん。
長身で二枚目のせいか近衛兵?だったらしい。
大陸に渡って、馬に乗っていたとか話してくれた。
荒野の夜は月が出ないと本当に真っ暗で、すぐ前を進んでいる馬も見えなかったそうだ。
そういうときは、馬の蹄が地面の石を踏んで散らす小さな火花だけが前の騎馬の
目印だったとか。ゲリラみたいな中国の兵士に時々襲撃されたという話もしてくれた。
戦争の終わりごろ、ようやくおんぼろの輸送機で仲間と、他の兵士たちと一緒に
日本に帰ることができたらしい。
その時も、離陸した輸送機が高度を稼ぐ?ため、飛行場の回りをぐるぐる、鈍足で
旋回していたとのこと。その時敵機につかまったら、全員、一巻の終わりだと思った
とのこと。
80すぎの住職さんですが、昔の二枚目ぶりを偲ばせる元気でピシッとしたおじいさんです。
これからも、法事の時とかにいろいろ聞いてみるつもり。

915:名無し三等兵
03/08/24 07:27 J+FxJtKn
私の母方の祖父は軍人の家系でした。本人は帝大に行きたかったらしいですが、
曾祖父の死と兄の戦死によって幼年学校に行かされたらしいです。
幼年学校時代、その同期の生徒の妹が祖父に一目惚れになり、付き合い始めたのが
私の祖母らしいです。
 祖父方の曾祖父は陸大首席で最終は中将で退役しております。
日露戦争時には左官参謀をやってました。色々な本に名前が残っているほどなので
詳細は述べませんが、パリパリの軍人だったらしいです。
主婦の友 昭和6年11月号にも曾祖父母が出てきてましたな。
その曾祖母が霊能力者だったという触れ込みらしく、軍人の妻で霊能力者というのは
今で言うと、芸能人が霊を見れるというのと同じくらいの感覚だったのかもしれません。
軍人というのは今の芸能人以上に一般の人から注目を浴びていたらしいですね。

 祖母方の曾祖父はどうもMTシップ(神州丸)に携わっていたようです。
(M田 T中の頭文字を取ってMTシップ)この辺りの資料はほとんどなく、
真偽の程は確かではありません。

 お互い高級軍人の家庭らしく、人の目が厳しかったらしいです。
特に幼年学校時代にはあの辻正信に彼女からの手紙を没収された経緯もあり、非常に
腹立たしい奴と2.3年前に仰ってました。
 ただ、祖母は私の母を昭和16年に生んだ後、昭和20年頃には亡くなってます。
 祖父は太平洋戦争時、陸軍航空 情報技術参謀という役職だったらしいですが、
一人しか配置されなかったそうです。かなり疎まれていたらしいと
戦後上官より述べられた所から、かなり技術的、資金的な事でやいのやいの言いあったの
でしょうなぁ。
 東京芝浦電気に赴き、航空よりリアルタイムの画像受像等の戦術研究をしていたようです。
湾岸戦争の映像を見て、戦争ってのは50年も経っているのに変わらないものだという
一言が心に残ってます。

916:名無し三等兵
03/08/24 14:28
うちの祖母は三部屋しかない家に焼夷弾が四つも落ちてきたと言ってました。
でも、水で濡らしたモップみたいなので叩くとすぐ火が消えるので
特に被害はなかったらしいです。
当時は物資不足で火の消えた焼夷弾の筒(鉄製70~100cm)は
くず鉄として高く売れるが、警察に捕まるので売ったらだめだったようです。
婦人会とかがリアカーを引いて焼夷弾を集めて周り、
警察署に持っていったと言ってました。

長崎に住んでいたので戦艦武蔵建造中は
「三菱で化け物ば作りよる」という噂が流れていたそうです。
造船所の工員がくず鉄屋に売るために工場から太い銅線を腹に巻いて
盗み出そうとしたけど、造船所からの連絡船から桟橋に飛び移るときに
重くて海に落ちてしまい沈んでいったと笑いながら語ってくれました。

917:  
03/08/24 15:23 u9krLGji
うちの婆様は戦艦陸奥の改装前だけど小学校の行事で見学をしたそうな
終わったらおはぎをくれたらしい

918:名無し三等兵
03/08/24 15:46 ArMT+wRJ
エロエロ
URLリンク(z.peps.jp)
URLリンク(z.peps.jp)
URLリンク(z.peps.jp)
URLリンク(z.peps.jp)
URLリンク(z.peps.jp)
URLリンク(z.peps.jp)
URLリンク(z.peps.jp)
URLリンク(z.peps.jp)
URLリンク(z.peps.jp)
URLリンク(z.peps.jp)
URLリンク(z.peps.jp)


919:名無し三等兵
03/08/24 15:48
うちの婆ちゃんは機銃掃射をうけたそうだ
もし死んでいたら俺はこの世に・・

920:名無し三等兵
03/08/25 01:12
うちの父母は、戦時中のことを聞いても
婆さん「うちは漁師だったから、家族が多くても食料には困らんかったよ」
爺さん「うちは農家だったから、食いモンは幾らでもあった。」
ということばかり。爆撃されたことも殆どないらしい。

・・・( ´∀`)田舎だなあ

921:名無し三等兵
03/08/25 09:16
>>920 いや、それが一番だよ・・・

922:
03/08/25 10:05
うちの親戚もお金はなくて貧乏だったが、食べるものはあったと言っていた。
田舎のほうだとこれが普通なのではないだろうか。

都会だとどうだったんでしょう。話し聞いたことがない。
誰か教えて。

923:眠い人 ◆gQikaJHtf2
03/08/25 22:56
>922
うちは少し都会@阪神間だったけど、家の周りの空き地という空き地を畑にして、甘藷植えて
それを主食にしてたらしい。
後、水団は絶対欠かさなかったとか。
他には農家に出向いて、反物と交換に米とかを分けて貰っていたらしい。

戦後の混乱期が一番苦しくて、曾祖父は(まぁ元々贅沢者だったが)それが元で栄養不良となり、
結核になって死んでしまった。

ちなみに、その畑を取潰すときに、市との間に境界争いが起きて、すったもんだの挙げ句、市に土
地を取られたと、ずっと曾祖母がこぼしていたそうな。

924:名無し三等兵
03/08/25 23:49
うちは田舎もド田舎だけど、親父が20年に戦争から復員してすぐの秋に
伯母(父の姉)に子供ができて乳母車を祝いに送ろうと
名古屋まで買いに行ったら、「この一番いい奴は金では売れない。米一斗なら・・・・」
と言われ「うちは百姓だから米はいくらでもあるわ」って喜んですぐに家に引き返し
一斗缶を自転車に乗せて乳母車と交換してきたそう。
しかし片道50kmほどもあるのによく1日で二往復もしてきたもんだよ(笑)
昔の人の足腰は今の若い香具師とは比べ物にならないほど丈夫だ。

925:名無し三等兵
03/08/26 02:58
母方の祖父は昭和16年に招集されて17年から終戦まで
中支戦線の独立歩兵大隊(だったかな?)にいたそうです。
前線交代で移動中に終戦になったんだけど、復員するまで10ヶ月支那に足止め。
移動でも武漢から上海まで揚子江を船で1週間かかったって聞ききました。
結局、故郷に復員できたのは昭和21年の冬だったそうです。
その頃の話を色々聞いたんだけど、部隊内でのしごきがあってキツかったらしい。
蝉のまねとか自転車を漕ぐまねをさせられたりしたって聞きました。
戦闘の話はあまりしなかったけど、銃を撃ってくる敵は蒋介石軍ばかりで
共産党軍とはあまり戦わなかったらしく、むしろ、共産党軍がゲリラ化して村に略奪行為を
したりしていたので村長などから共産ゲリラの退治を依頼されたりしたらしいです。
前線での戦闘で左肩に銃弾を受けて、40日間野戦病院に入院。
肩の前面から弾が入り、後ろから弾を取り出して今でもその傷が残っています。
あと20cmほどずれて胸か頭に当たってたらと思うとぞっとします。
生きて帰って来られなければ、自分はいなかったと思うと怖い感じです。

926:北斗星
03/08/26 13:59 Un8lFt/n
>村長などから共産ゲリラの退治を依頼されたりしたらしいです

 そういう話は良く聞きますが、細部が判然としない伝聞が多く残念に思ってゐました
 祖父上の所属部隊、時期、場所等々、具体的事情をどうぞお教へください

927:hirosima
03/08/26 14:15 m6UonKGb
うちの祖母さん広島市内からは少し離れたとこにすんでた。
原爆落ちたとき窓ガラスがゆれたって言ってた。当然何が起こったかはわかってない。
それから2日後くらいに市内に買い物に行こうとしたら、知っての通りとんでもないことになってて
なにも買わずに急いで帰ったらしい・・・あたりまえだが・・・


928:名無し三等兵
03/08/26 16:27 zvG/amIm
戦争ではないが…
うちの母の兄は海上保安庁に勤めていて
昭和29年か30年頃、舞鶴の海で「戦死」したそうだ。享年27か28。
(このようなケースでも靖国は祀るようですね?)

母いわく、「あの頃は今の北朝鮮みたいだったと思う」って。。
おぃおぃ。。

929:928
03/08/26 16:29 zvG/amIm
↑母は昭和15年生まれなので
洗脳教育を受けてきたと思われます。

930:名無し三等兵
03/08/26 17:45
漏れの爺ちゃんは、輸送船「邦栄丸」の軍属の通信員だったそうだ
明治40年生まれ、開戦の時点で既に34歳だったから赤紙は来なかったらしい
海軍は軍属に対し、将校と同扱いしてくれて実に快適だったと言ってた

フィリッピン沖で輸送船が魚雷3本を受けて沈没、そのときに左腕と家宝の刀を失った
「自分の腕は仕方がないが、家宝を失ったのは痛恨極まりない」と
明治生まれはやっぱり精神が強いと思う(実は96歳でまだ元気)

931:名無し三等兵
03/08/26 18:10
うちの義母は熊本県八代に住んでいたのだが、子供の頃8月の朝ドンという
空気が震える音がしたので炊事の手を止め外を見ると有明海の向こうの
普賢岳の右か左にもくもくとキノコ雲が立ち上がってこれはただ事では無い
と思ったそうだ。長崎の原爆投下の朝だった。

932:  
03/08/26 18:39 YbgIfDLm
>>931うちの婆様も熊本にいた確かに原爆のキノコ雲が見えたといっていた
奇遇だなあ

933:名無し三等兵
03/08/26 22:40 BAnXPMcI
父方の祖父の話ですが、当時満鉄の技術者をしていたそうで、
家族で満州(大連)へ移動。
終戦時にソビエトの強制収容所(シベリア?)に抑留されたが、仲間と脱走し
徒歩などで半年かけて中国領内へ移動。その後引き上げ船にて無事帰国。
おいおい1000キロ以上逃げてきたのかよ!

祖母は、ソビエト軍は進行してきたおり大連の自宅にいたところ、ソビエトの
少年兵みたいなのが家に押し入ってきてラジオやらナベやらを一切合切持って
いったそうだ。そのソビエト兵の両腕には略奪した腕時計を何本はめてたそうだ。
未だにバーちゃんは「ロスケ」ってゆーよなー

戦争体験でなくてスマソ

934:名無し三等兵
03/08/26 23:08 irjUIOV6
露助め、許せん!

935:名無し三等兵
03/08/26 23:13
>928
あのね・・・きみのお母さんの言ってることは、ある意味正しいんです。
戦後発足された海上保安庁は、昭和20年以降、戦争で殉職者という名の
「戦死者」を出している、戦後日本で唯一の公的機関なんです。

昭和29~30年頃というと、ちょうど朝鮮戦争のまっただ中。
仁川への上陸作戦を企図していた国連軍は、北東アジアに存在する掃海艇の
総力を挙げて、事前に仁川港周辺部に沈設された北鮮軍の機雷を除去する
作戦を実行したのです。

ところが、アメリカ海軍が当時極東に保有していた掃海艇は、
そのほとんどが内海型で外洋航行能力のないものでした。
そこで国連軍司令部は、日本の沿岸部で太平洋戦争時の機雷の除去作業に
携わっていた海上保安庁の掃海艇隊に目を付けます。
GHQ司令部を間に挟んだ要請によって、舞鶴を母港とする第8管区
海上保安本部所属の特別掃海艇隊が、仁川をはじめとする朝鮮半島沿岸の
敵前掃海作業を開始したのはそれからまもなくの事です。

派遣中、機雷の誘爆や沿岸からの砲撃により、海保特別掃海隊のこうむった
損害は、戦死79名、重軽傷者28名(磁気機雷に引っかからないよう
掃海艇は木製のため、被雷するとバラバラとなる。重軽傷者が少ないのは
このため)にものぼりました。

戦後30年間、この件は政権内部および海上保安庁における
トップシークレットとして封印されてきましたが、1979年に
当時の海保長官の手記が発刊されることにより公のものとなりました。
時期的に見て、あなたのご親戚は間違いなくこの「日本特別掃海隊」
に所属していたものと思われます。



936:名無し三等兵
03/08/26 23:54 uqvLKHhP
>>928
母親を疑う前に自分の無知を恥じてこれからは親孝行しろよ。

937:名無し三等兵
03/08/27 00:04 PvysIxq6
ジイチャンは海軍で戦艦の武蔵の
駆逐艦に乗ってたっていってたなぁ。船の名前はわからない。
呉だっけ?基地があるの。そこから出航した。
魚雷とかが命中して損傷して戦力にならないから
途中で帰ってきてそのまま終戦。そう聞いた。
もうジイチャン死んじゃったから訊き出せないけどな。
その船の名前知ってたら教えてね。

938:名無し三等兵
03/08/27 00:13 ZRoY63/k
家の爺さんは、衛生兵だったらしいが 戦争後期あたりに
スマトラの薬品工場の工場長の任に就くために、
輸送船4隻中の一隻にのり、駆逐艦1隻に護衛されながら向かったらしいが
途中 敵国の潜水艦に輸送船3隻を撃沈されたらしい・・・
そのときに、運良く残りの一隻に乗っていたことを 
自分に話してくれたな・・・・

939:名無し三等兵
03/08/27 00:14
>>937
意味がよく判らないのだが。
戦艦武蔵の護衛をしていた駆逐艦に乗っていたということ?

レイテ沖海戦の時に最後まで武蔵に付き添っていたのは浜風と清霜だけど、
どっちも終戦までに沈んでるし。

もう少し詳しいこと、判りませんでしょうか?

940:名無し三等兵
03/08/27 00:21
>937
知障?

941:名無し三等兵
03/08/27 00:21 nrZbQhPN
大和の事では?
大和沖縄出撃のときに第二艦隊の駆逐艦に途中で被雷して
帰還した駆逐艦があったそうだ。

942:名無し三等兵
03/08/27 00:22 nrZbQhPN
↑すまん、文おかしかったな。

943:名無し三等兵
03/08/27 00:23 PvysIxq6
とりあえず戦艦武蔵の護衛艦だったことは確実です。
あとセブ島とかいう島にもよってたらふくバナナ食ったことぐらいしか。。。。
もうジイチャン死んじゃったんで詳しく分かりません。ごめんなさい

944:名無し三等兵
03/08/27 00:25 PvysIxq6
>>942
ありがとう、
でも沖縄には行ったことが無いみたいです。
あと武蔵といってました。

945:名無し三等兵
03/08/27 00:46
>ジイチャンは海軍で戦艦の武蔵の
>駆逐艦に乗ってた
もうこの一文だけで非常に作為的なものを感じますが(w
すこし検証してみましょう。

途中で帰ってきてそのまま終戦、ということは、ニュアンス的に
終戦まで間がないということだから、昭和20年と仮定。
また、呉を出港ということは、昭和20年4月の菊水作戦における
第二艦隊の沖縄突入か。
つまりは「ジイチャン」は大和を武蔵と誤認していたか、
あるいは長い年月のために記憶が曖昧となったか。

さて、第二艦隊に所属する駆逐艦は冬月、涼月、磯風、雪風、
浜風、朝霜、霞、初霜の、計8隻。
このうち、帰還したのは冬月、涼月、雪風、初霜の4隻。

ここでもう一度「そのまま終戦」というニュアンスを考える。
この4隻は大なり小なり損害を受けて帰還したが、この内
「そのまま終戦」になってしまうような大損害を受けた艦は
・・・・・・涼月のみ。涼月は終戦までにドックから出ることが
出来ましたが、それは浮き砲台として出渠したにすぎず、
航海科その他の乗員配置は菊水作戦以降は解かれているのです。

「ジイチャン」の乗っていらした艦は、涼月かと思われます。





946:hirosima
03/08/27 00:48 mVzLfRIn
>>944
駆逐艦ではなく巡洋艦かも・・・
うちのじいさんの兄は巡洋艦摩耶に乗ってた
フィリピンのレイテ沖での海戦前に第四戦隊として巡洋艦高雄、摩耶、
愛宕、鳥海とかで米艦を攻撃する予定だったが、
出撃直後に米潜水艦の魚雷を受けて高雄と鳥海以外の艦は撃沈された
摩耶に乗ってたじいさんの兄は戦死。
高雄も魚雷を受けたが自力で帰投、鳥海は無傷だったらしい。
レイテ沖海戦には武蔵も参加してるよ。

947:名無し三等兵
03/08/27 01:39
>>945
すげえ、見事な推理ですな。
いや、検証か?


948:名無し三等兵
03/08/27 03:01
うちのじいちゃんは、Ta152のテスト機に乗って
二機のP-51の追跡を振り切って帰還したよ!

949:935
03/08/27 03:07
945ですが。
いやいや、自分で言うのも何ですが、大ハズレですね。
武蔵の護衛は確実と書いてありますし。涼月は昭和19年10月に
敵潜水艦の雷撃を受けて大破しており、ドック入渠中に武蔵の沈んだ
捷一号作戦が行われています。武蔵の護衛が確実なら、過去にも
武蔵護衛の事実がありませんし、まず間違いなく「ジイチャン」の
乗っていた艦は涼月ではないでしょうね。

問題は、武蔵を護衛したのがいつのことなのか。捷一号作戦のときに
武蔵を護衛したというのなら、必然的に第一遊撃部隊所属艦のうちの
どれか、ということになるのですが、この時第一遊撃部隊はブルネイを
出撃地としていて、呉を出撃した事実はない。

呉を出撃した、という証言を重視するなら、今度は志摩提督率いる
第二遊撃部隊が候補にのぼるのですが(所属艦艇の一部が作戦直前に急遽
呉より合流してきたため)、この艦隊の所属艦は捷一号作戦当時、武蔵を
護衛した事実はない。もし乗っていたのがこの艦隊の所属艦だったのなら、
捷一号作戦より以前に武蔵の護衛任務に就いたことがある、ということ
なんでしょうね。



950:名無し三等兵
03/08/27 06:57
レイテ沖海戦で、「武蔵の護衛についた」と言えるのは、第1遊撃部隊の
第1部隊と第2部隊に所属する駆逐艦ですが、これは全部で15隻。
1隻を除き、すべて終戦までに沈没しています。
で、生き残った1隻は、かの有名な雪風。
これは終戦時行動可能だったので、>>937さんのお祖父さまが乗っていた
艦ということは無いと思います。

それから、>>935さんが示唆しておられる第2遊撃部隊所属艦の可能性で
すが、こちらで唯一終戦まで健在だったのが潮。
こちらはレイテ作戦終了後の11月13日に空襲で損傷、内地回航には成功し
たものの、行動不能のまま終戦を迎えています。
可能性としてはこちらの方が高いですね。

ただ、武蔵護衛時と、終戦時に乗っていた艦が違う可能性もあるわけで、
そうなると涼月の可能性も出てくると思います。

951:名無し三等兵
03/08/27 14:39
そろそろ新スレ立ててよろしい?

952:名無し三等兵
03/08/27 14:55
>>951
よろ

953:名無し三等兵
03/08/27 15:23
スレリンク(army板)l50
新スレ

954:937
03/08/27 16:12
今日調べにじいちゃん家いってきた。お参りもしてきた。
船の写真が額に入って飾ってた。。
こういうのは全員にもらえるのかな?賞状とかもあった。
船の名前はやっぱり書かれて無かった。後のほうにクレーンみたいなの?があって前に大砲があった。
ただ海軍にいた話と、昔ジイチャンが家に遊びにきたときに話してくれた内容は
自分自身の体験じゃないのも入っててあまり関連が無い話だったのかもしれません。
かなりちぐはぐ。バナナ食ってきたのは本当。
ほんとは沖縄にも行ったのかもしれませんね。

955:937
03/08/27 16:18
URLリンク(www.ttmy.ne.jp)
こういう船に、似てるなぁ。>>946のお爺さんと会ってたかもね。
でも、もっと小さかったかな。
ネットで調べたら日本の艦船ってほとんど残ってないんだね。
普通ならとっくに逝ってた可能性が大きかったんだ。。。。。
じいちゃんスゲー
損傷して生きていた船は潮と高尾と涼月あたりに絞られるんですね。たぶんそのどれか。
十分収穫でした。。回答どうもありがとうございます。

それにしても>>945>>949>>950の方って何の仕事をしてらっしゃるんですか??
よく知ってますね

956:名無し三等兵
03/08/27 16:42
>>955
>よく知ってますね

軍事板に来ておいて何を言うねんと小一時間。

957:937
03/08/27 16:45
ハングルとかニュー速系の人たちが多いと思ってたもので。。。。

958:名無し三等兵
03/08/27 18:55
>>957
・・・偏見?

959:名無し三等兵
03/08/27 19:42
>>958
軍事=世界情勢と思い込んでた人なのかもよ。

960:名無し三等兵
03/08/27 20:19
>>954
その写真、うpしたら、艦名判るかも知れませんよ。
あと、賞状の送り主の名前とかも手がかりになるかもです。

961:937
03/08/27 20:51
あ、賞状は
貴方は先の大戦で云々、、、とかかかれてた海部総理の賞状です(w
まぁ、生きて無事で帰ってきて俺がいるのだし、あまり詮索するのもやめたほうがいいかな。
なんかありそうだし(^^;;

俺、もともと叩かれやすい性格なもので、これで。。

962:935
03/08/28 04:13
>937さん
お役に立てずすいません。

ですが、954での貴方の書かれた「クレーン」の存在により、
「ジイチャン」の乗っておられた艦は高雄か、あるいは妙高のどちらかでは
ないかと私は結論します。写真に映るくらい大きなクレーンは、
水上機揚収用デリック以外に考えられず、必然的に駆逐艦ではなく
軽巡洋艦以上のクラスと断定されるわけです。

加えて捷一号作戦当時、武蔵の属する第一遊撃部隊で、被弾により
艦隊から落伍し引き返した巡洋艦は高雄、妙高の2隻です。
どちらもシンガポール港に係留され、そのまま終戦を迎えております。

以上、ご報告までに。それから、先の文で
>もうこの一文だけで非常に作為的なものを感じますが(w
と書いてしまったのは、私の全くの勘違いです。
ここに心よりお詫び申し上げます。


963:名無し三等兵
03/08/28 05:20
滑走路作ってたそうな

964:名無し三等兵
03/08/28 11:12 b2qaYcna
設営隊は(朝鮮)半島人が多かった

965:名無し三等兵
03/08/28 11:27
>>935・936
偉そうなことぬかすな!!ただの薄汚い軍オ他のくせに!!!

966:名無し三等兵
03/08/28 12:27 b2qaYcna
おまいたいどわるいぞ

967:名無し三等兵
03/08/28 12:39
藻前様方、移行よろしこ。
あなたのおじい様の戦争体験をおしえて その2
スレリンク(army板)

968:名無し三等兵
03/08/28 20:12
ではこちらは埋め立てでよろしい?

969:名無し三等兵
03/08/28 23:10
埋め立てというと…


お~い、誰か梅さんの行方を知らんか?


だね?

970:名無し三等兵
03/08/30 03:54 7WRpHlOH
       / /        ./      ,,-" / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ____/ /_____./     ,,-"   | ・・・まもなく新スレ行き列車が参ります。
      / /       /     ,,-"      | 白線の内側までお下がり下さい。
 ──/ /──./    ,,-"       \_______________
 ─. / /── /    ,,-"      ,, - "       Turrrrrr......
 二二/.「 二二二/   ,,-"     ,, - "       ,,,, -
 三 .//.| |三三/   ,,-"    ,, - "     ,,,, -- ""
 ≡// | |≡/  ,,-"  ,, - "    ,,,, -- "         ______
  .//  .| |/  ,,-" ,, - "  ,,,, -- ""            |______
 //   | | ,,-"- ",,,, -- ""                         | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
.// ./ | |                    .┌――┐ .| 「「 「「
.//   | |                           ||      ||  | | l  | l
      | |             _______.||_____.l|_|
 ̄\  | |             |  --,,,__   ||      ||  ""''''-- ,,,,__
   \ | |             |     "''''-、,,,__     ||         ""''
      | |              "''- ,,      "''''-、,,,_
      |_| ∩_∩             "''-,,        "''''-、,,,__
      (    )               "''- ,,         "''''-、,,,__
      /    i ≡≡≡ヽ     ゙-、≡≡≡≡ "''- ,,
      i _   U\三三三三ヽ     ゙-、三三三三三 "'' - ,,_
       し'〃⌒ヽ \ニニニニニニニヽ     ゙-、ニニニニニニニニ   "''
       (___)  \二二二二二ヽ     ゙-、二二二二二二二
あなたのおじい様の戦争体験をおしえて その2
スレリンク(army板)

971: ◆Vtc4h5ikVw
03/08/30 04:39 sBPApLwR
おじいさんちゃうけど
おじさんは大阪に出稼ぎにいってたんだがなにげに大阪大空襲遭遇、
ホウホウの体で軌道沿いに岡山まで逃げてきた、

するとなにげに岡山大空襲遭遇、

なんとか生き残って実家に帰ったときには痩せこけてたそうな。

972:名無し三等兵
03/08/30 06:09 GPmDyNTP
2004年1月1日00:00分、北朝鮮は日本国に対して宣戦布告を行った
その時すでにテポドンが東京へ向け発射されていた



後宜しく

973:名無し三等兵
03/08/30 09:45
>>970
すげー

974:名無し三等兵
03/09/03 11:42 gZxb2XqT
>972
・・・悲しきかな、テポドンの性能ではピンポイントでの攻撃は不可能で有った。
テポドンは野島崎沖15キロの海上に落下した。

もちろん、弾頭が核であったらそれでも致命的である、しかし弾頭に詰まっていた其れは
核廃棄物であった。

きんしょうにちなりに計算を働かせた結果で有った。
--実際の核兵器を使用しては、米軍からの核攻撃の口実になる。
しかし、近隣諸国--特に金づるの日本には舐められたくない。
そして、核開発が虚言でない事を証明したい---

そのような計算の上での、ぎりぎりの判断で有った。



しかし、事態の進展は彼の事情を考慮などしてくれなかった。




以下続く(誰かによって・・・W)

975:名無し三等兵
03/09/03 14:02
手歩ドンの精度は山手線の内側くらいの範囲、と聞いたが・・・

976:名無し三等兵
03/09/03 20:33
その制度は将軍様に報告された精度であり、
実際は野島崎沖15キロに落ちた。
この事件の後日談として、
金日成記念開発局(北朝鮮の核兵器の核ハツ施設の秘匿名)の
チャ・ヘンピ主任が粛清された事実が後にわかり、
北朝鮮は日本本土を攻撃するはずだった事が解明されている。

北はこれを
「侵略国・日本に対する当然に報復。
 過去と現在に対する賠償として、2億ドルの経済援助をしない限り、
 北朝鮮は侵害された正当な権利の回復をする。」と宣伝した。

北の思惑は、停滞した経済を回復させるために、
アメリカとの戦争と核無くして軍事的威圧を高めようとしたが、
思惑から外れて、アメリカは在日・在韓国米軍を増強し始めた・・・。


977:名無し三等兵
03/09/03 23:16 Re7l31Bn
本人は面白いと思って書いてるんだろうけど・・・

なんというかなあ・・・

978:名無し初年兵
03/09/03 23:36
>>972,974,976
まったくのスレ違いです奈。面白味もないし。
ご自分を粛清してくだちい。

979:978
03/09/04 00:20
ああ。
しまった、旧スレの埋め立てでしたか。
誠に申し訳ない。首釣って氏んできます。

ナニヤッテンダヲレハ・・・

980:名無し三等兵
03/09/04 00:45
うちの爺ちゃん。

何万人も行って何十人しか帰って来なかったあの白骨街道の生き残り。
生還できた理由は戦車部隊だったから。
食料をこっそり車内隠していたので、飢え死にせずにすんだ。
何でも味方の基地に到着した時にはもう動けなくて、
物凄く飢えていたのに重湯くらいしか口にできなかったらしい。



↓おまけの恐ろしい戦争話。



さて、殺しても死なない奴ってのはいるもので、
部隊に一人凄く元気な奴がいた。そいつはへろへろの爺ちゃん達尻目にがんがん飯食って、


それが原因で死んだ。



981:980
03/09/04 00:51
追記。

戦後爺ちゃんは鍛冶屋になった。
戦中からずっと薬莢だの鉄板だのを曲げたりして、
小物とか作ってたから。

爺ちゃん自作のマジ薬莢製おしゃれキーホルダーや
マジ戦車装甲製お弁当箱は探せば実家にあるはず。

982:名無し初年兵
03/09/04 01:05
>マジ戦車装甲製お弁当箱

正面装甲でつか?
いや後部・側面の切り出しだとしても、弁当箱にしては、ぶ厚くて重そうな・・・。


983:名無し三等兵
03/09/04 01:18
>>982
多分、加工しやすいエンジンカバーとかどこかでしょう。
流石にかなりの器具が無いと加工できない外板装甲は、
選ばないでしょう。

そういえば、どこかの収容所で米兵相手に手先の器用な兵士が
煙草入れを作って、それを普通では手に入らない、
酒や何かと交換してもらっていて、非常に感謝されたと言うのを
読んだ記憶があります。
もしかしたら、981さんのおじいさんの話かもね。



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