あなたのおじい様の戦争体験を教えてat ARMY
あなたのおじい様の戦争体験を教えて - 暇つぶし2ch473:名無し三等兵
03/06/28 19:26
>>470
>ある日異音に驚き飛び出したら「富嶽」だったんだそうだ。

なんでやねん。

474:6
03/06/28 19:26 T8bOppgf

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475:名無し三等兵
03/06/28 22:41 KtLxOqO/
うちは父方、母方とも実家は北海道です。
うちの母方の祖父は大戦末期に徴兵され、陸路で函館まで移動しました。
しかし輸送船の手配がつかないため本州に渡れず、仕方なくそこで援農作業に
従事しているうちに終戦を迎えました。あのままあと3ヶ月ほど戦争が長引いたら
多分南方戦線に送られ戦死していただろうと言っていました。

うちの父の一番上の兄は、釧路で高射砲部隊に所属していました。B-29との
交戦経験もあるそうで、正月に親戚が集まった時など、1機撃墜したぞとよく自慢
していました。しかし当時の高射砲の性能を考えると、いまいちエンジントラブルとかで
落ちた可能性の方が高いような気がするのですが。そもそも飛行時間や建造物
密集度の都合上、北海道はB-29の戦略爆撃ではなく、もっぱら艦載機主体による
ピンポイント攻撃だったということを後日知りました。しかしそれを言うと伯父が気を
悪くするので撃墜したことにしています。

父の2番目の兄は少年兵だったとか。たまたま南方戦線志願者を募った時、伯父は
志願しなかったのですが(ヘタレとか言うな)、その時志願した連中は全員戦死したそうです。

しかし今考えてみると、ウチって父方母方ともあの戦争で誰も死んでいないな。戦死者は
もとより空襲で死んだ人もいないし。

476:名無し三等兵
03/06/28 22:47 Raem8loj
漏れのじいちゃん、内地で終戦を迎えた上等兵だったんだが、
何か軍需物資を持って帰るのが当り前だったのに、
何にも持って帰らなかったため、ばあちゃんにさんざコケにされたそうな。

「嫁は選ばにゃいかんぞ」と、孫の漏れにしみじみ・・・。

477:名無し三等兵
03/06/28 23:03
母方の親戚
終戦後、近所の谷田部航空隊に手ぶらで出かけていき
碇のマークつきっぱなしの軍用トラックに、物資山ほど積んで帰ってきた
中には拳銃・機関銃や弾薬、飛行機の部品まで混じってたそうな

478:名無し三等兵
03/06/28 23:12 xvmy8Ntf
うちのじいさんは歩兵第28連隊で現役でノモンハン事変に参加。
大東亜戦争中は桶川にて防衛任務に当たる。
当方実家北海道、東京在住

479:名無し三等兵
03/06/28 23:21 0CBwLjeh
うちのじーちゃんは砲兵でシナにおったと言ってます。
馬に乗って大砲引っ張ってたらしいでつ

480:名無し三等兵
03/06/29 00:19 IZQTkS6G
亡くなった祖母の話
終戦の前の年の夏、製鉄所を狙いに来たB29に日本の飛行機が体当たり、
おまけに後のB29にも当たって、2機共墜落したのを見て地上で大騒ぎ、
防空壕の上で隣組の人達と万歳・万歳の連呼したそう。銀色のはねが
キラキラ舞い落ちてすごく綺麗だったそうです。
うちのばあちゃん、奇しくも飛行第4戦隊野辺軍曹機・折尾上空体当たり
の目撃者。しかし、万歳って・・20人程の命が失われた瞬間なんだぞ・・
まぁ・・当時はそんなもんかな・・・

481:名無し三等兵
03/06/29 01:48 wmQL5BVu
Hなサイトを発見したでつよ。ここ、すごい。
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美少女のワレメ…(*´∀`*)ハァハァ
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482:名無し三等兵
03/06/29 01:55
>>480
万歳連呼ってのは人命が失われたことを考えれば不謹慎に思えるけども、もしその
パイロットがそうしなければそれ以上の人間が死んでいたかもしれない、しかもそれは
自分だったかもしれない、ってことを考えれば、一命と引き換えに助けてくれた
相手に対し、とにかく何かの行動をしたかった、という気持はうなずけるものがある。

483:名無し三等兵
03/06/29 02:26
>>447
それ本当に金正日の父親の金日成かなあ?
「金日成」ってのは、朝鮮族出身の活動家達のリーダーが、代々襲名
してきた名前だという話。
昔から金正日の父親の功績とされてきた事も、新事実として後から
わかったとされる事も、みんな金日成を名乗った複数の人間がやった事
というのが、事実らしいぞ。

484:名無し三等兵
03/06/29 02:34
シベリアに抑留された人の中にはロスケに媚うった事を孫に自慢するバカもいるんだな
そんな奴からいったいどんなバカな孫が出来ることやら…

485:タ
03/06/29 02:58 0lBTB7wr
おっさんなので、父の話。
父は鉄道省の学生だったが、卒業を一年繰り上げされて召集された。
よく、モウ一年若ければ学徒動員だったな、と言っていた。
出兵先はニューギニア。 学卒だが下士官は辞退したと言っていたので、
えらくは無かったと思います。 なぜ辞退?と聞いたら「兵隊になる為に高専出たわけじゃない」
といっていました。
 そのニューギニアでの話。 あんまり腹が減ったので、仲間2人と共謀して現地人の畑から
芋を盗み出して食べちゃったのです。 すると翌日、現地の村長が隊長さんに抗議に
やってきて、怒られてしまったそうです。
 父曰く、「しかし不思議だ。なぜ俺たちが盗んだとばれたのだろう? あいつら夜目がきくのか?」
すると母が、「あなた、芋を煮て食べたのでしょう? そりゃあ、匂いでばれますわよ」
40年ぶりに謎がとけた、と当時の父は喜んでおりました。
 しかし、40年も悩む問題じゃないぜ、おとうさん。

486:名無し三等兵
03/06/29 05:22
祖父じゃなくて曽祖父の話はどうかな?
もちろん直接逢った事はないんだが。
砲兵第八連隊所属で、奉天会戦、第一次旅順砲撃、第二次旅順砲撃、二〇三高地砲撃に
参加したと記された従軍記が実家にあるです。
うちの地元(当時の村)で発行した当村出身の兵の出征時の記念写真集も出てきました。
全員明治一九年制定の紺絨服着用です。

487:469
03/06/29 07:32 hWGFqcSD
>>473
んー、聞きなれないエンジン音が響いてきて、
機種確認の為に外に飛び出した、と言ってた。
と記憶している。

488:名無し三等兵
03/06/29 08:33 CEDoEUsq
>>477 うちの奴らもやったらしい。イラクのこと笑えんなと思った。


489:名無し三等兵
03/06/29 09:15
うおー、今日は大漁ですね。
みなさん、良い話をありがとうございます。

>>483
447に書いた中国系ソ連兵士を率いていたのは、
国家主席の金日成ですよ。
ペレストロイカで公開になった資料からです。
まさか、北朝鮮が金日成がソ連軍大尉だったとは教えないでしょ。
これが今のところ、一番信憑性の高い金日成の出身ですね。


490:名無し三等兵
03/06/29 12:14 5lZLbcBy
>>489
金日成は、朝鮮に帰還?した際には、年齢は30そこそこだった。
おまけに朝鮮語がへたくそでロクに話せなかったそうだ。
戦前から軍を率いていたなら、幾らなんでも20代の若造がやるのも限度がある。
31独立運動の指導者、金日成を扮するには、少なくとも40や50は越えてないと無理。

満州で戦った金日成を北朝鮮の元首領金日成のことだと言うには、少々無理があるが
もっとも朝鮮に帰還した際も、朝鮮人民から口々に偽物と呼ばれたから。
もともと無理があったが

491:名無し三等兵
03/06/29 13:02
>>490
>満州で戦った金日成を北朝鮮の元首領金日成のことだと言うには、
>少々無理があるが

いや、簡単ですよ。ぜんぜん無理は無いです。
ソ連がソ連軍人の金日成にソ連正規軍を率いて、
満州国内でゲリラ活動せよと指示したのですよ。
この指示されたのが後の金日成と。
ここまでは証言がある様子です。

んで、ここは憶測だけど、
後の金日成は非合法活動をしていたので
「俺はソ連軍人だ」とは言えない。
従って、独立の闘志の金日成と名乗ったのではないでしょうか。
従って、満州で独立運動をしていたのが金日成というのは
何処にも無理は無いですよね?
こんな感じです。

このあたりの説ですね。
URLリンク(www.google.co.jp)

492:名無し三等兵
03/06/29 14:40 7SFT3Xhl
>>486
8連隊って旅順にいたの?
第4師団は第2軍じゃなかった?

後備第8連隊は第3軍みたいだけど

493:名無し三等兵
03/06/30 03:32
俺のじいさんは弱視で徴兵されなかったそうです。
発明家だったらしく、自転車にエンジン積んだりしてたそうな。
(あまり人の役に立つ発明(?)はしなかったらしい)
奇人として名を馳せたが、津波にさらわれてアボン

494:名無し三等兵
03/06/30 04:24
>>493
>津波にさらわれてアボン

うーむ、津波ですか・・・。
御気の毒に。
ちなみに、エジソンも電球を開発するまではただの変人でしたよ。
いい年ぶっこいて、納屋に篭って、家族に食わせてもらっていたそうです。
現に、エジソンの特許は4000だか、4万だかに及びますが、
そのほとんどの発明は意味無いものだそうです。
ですから、おじいさんが特に発明家として
おかしかったと言う訳では無いです。

そういえば、イギリスの知り合いが、
サイドカー付きバイクを改造して、サイドカーから操縦出来るようにして、
無人バイクを作っていました。
アホですけど、発明家ってこんなものです。

495:名無し三等兵
03/06/30 22:16 xEAwUPxu
私の祖父は造船工でね。
木造船を作っていた。
戦時中は物資の輸送手段が船しかなかったからな
(ほとんどがアメリカに撃沈されたけど)
その関係で徴兵は免除されたよ。

496:名無し三等兵
03/07/01 11:31 4+9iWFSo
自分の祖父は、近衛兵だったらしいが、インパール作戦に参加したそうな。
よくわからないのだが、近衛兵って前線にいくものなのだろうか。
誰か詳しいことを教えてください。
祖父は生きて帰ってきたけど戦争の話はしたがらなかったので。

497:名無し三等兵
03/07/01 11:39 XnTYooHF
洩れの婆ちゃんの爺ちゃんは浦賀まで黒船見物に行ったらしい
沖でドカンドカン大砲ぶっ放していて(威嚇射撃?)その音にめちゃめちゃ
びびって、この国はヤバイって心配になったってさ。

洩れは婆ちゃんからこの話を聞きますた
ちなみに婆ちゃんはペリーを『ぺるりん』って呼んでいますた

498:名無し三等兵
03/07/01 11:47
うちの爺さんは瑞鶴のゼロ戦の整備兵で
珊瑚海海戦のときのはしを小さいころ聞いたことがある

翔鶴隊の飛行機もきたために収容しきれず
ほんの少しの破損があるだけの飛行機でも「すてろーー!」って叫びながら
海中投棄したてみたい

当時はふーんと思っていたが
歴史的な珊瑚海海戦に自分の祖父が参加していたと思うだけで興奮する・・・

499:名無し三等兵
03/07/01 11:54 eXgWv1T6
>>493
数奇な人生でつね

500:名無し三等兵
03/07/01 18:18
うちの爺さんは戦地で自分の上官を「敵前逃亡罪」で撃ち殺したらしい
一等自営業先生の「某佐藤」に似た外見だったらしい
「こういう厳つくて、部下を部下と思ってない奴に限ってろくな死にかたをしない
もんだよ
 ヒャハハハハハハ」
と、死ぬ前にいってた

501:名無し三等兵
03/07/01 20:14 2AgeyNcg
うちの死んだ爺さん。横鎮に兵隊にとられました。
訓練後に鴻に信号兵で配属。揚子江で頑張ってたらしい。
あっちの戦闘機、太陽の中から逆落としに突っ込んできて
機銃掃射をするので怖かった、という話をききました。

その後、駆逐艦に乗ってミッドウェイへ。大負けして帰ってきて
体を壊して静養。復帰後、水雷学校?の教官だったらしい。

駆逐艦時代は、信号兵の分際で駆逐隊指令と仕事の上の
ことで散々やりあってたそうで。それでも殴られたことは一度も
なかったとか。ほんとかねぇ。


502:名無し三等兵
03/07/01 21:58 K2KVAvZr
>>501
駆逐艦は所帯が狭いからのんびりしていて
殴られることもあんまりなかったと聞いたことがある
すぐ沈むから一心同体という気がするし


鬼の山城蛇の長門いっそ赤木で首をくくろうかというようなのが
呉佐世保横須賀ごとに別の艦であったらしいからね

503:名無し三等兵
03/07/01 22:06 RMqBZp9D
じいちゃんの兄貴が支那事変で戦死 所属とかは今度きいてみまつ
じいちゃん自体は横須賀あたりの海軍で訓練中に終戦
東京大空襲で遺体処理の応援にいった話よくしてくれます・・・

504:名無し三等兵
03/07/01 22:23 SF/Rk6sH
巡洋艦に乗ってレイテ沖海戦に参加しますた。

505:名無し三等兵
03/07/01 22:32 UwsLBDaP
うちの爺さまは遺品の写真や手帳を見ると輜重兵だったらしい。
輜重兵って評価が低いと聞いたことがあるけどどうだったの?

506:名無し三等兵
03/07/01 22:39
うちの祖父は昭和20年5月頃、ルソン島サンタフェで戦死したらしいです。
祖母によるとそういう知らせだけで、遺骨は戻らなかったとのこと。
墓碑には「陸軍伍長」とありますが、戦死後に特進したものなのでしょうか。

507:名無し三等兵
03/07/01 23:12
ウチの爺さん、戦争の事は聞いても一切語らない人だった。
高知の方に行ってすぐに終戦になり帰ってきたらしいが、
多分何かあったんだろうな・・・。

508:名無し三等兵
03/07/01 23:30 UwsLBDaP
親戚の爺さん、朝鮮鉄道で機関助士してた。
軍用の貨物列車は、馬賊に狙われて危険だったらしい。
半島の荒野は広く3、4時間走っても景色が変わらなかったそうだ。
俺が私鉄の運転士になったとき当時使ってた点検ハンマーをくれたよ。


509:名無し三等兵
03/07/01 23:40
>>502
>すぐ沈むから一心同体という気がするし

この理由が泣けます・・・・。


510:名無し三等兵
03/07/01 23:41
>>508
>俺が私鉄の運転士になったとき当時使ってた点検ハンマーをくれたよ。

ええもん貰ったね。


511:名無し三等兵
03/07/02 00:31
>>507
高知出身なんだけど住吉海岸ってとこに当時震洋の基地が在って
終戦間際に謎の爆発事故で多くの隊員が亡くなってる。
もしやそれと何か関係が…

しかし、みんな貴重な体験談ばっかりだな・・
うちのじぃちゃんはラッパの意味の覚え方や、うんこ我慢する方法とか
あと食い物関係の話ばっかりだw


512:506
03/07/02 00:44
うちも高知です。と言っても
戦死した祖父は善通寺に配属されていたらしいですが。

513:名無し三等兵
03/07/02 01:00
うちの爺ちゃんは軍需工場の事故で片目潰して、おかげで戦地には行かなかったが。
人間万事塞翁が馬っての?

何を作ってたかは聞かなかったなあ。

514:名無し三等兵
03/07/02 13:16
怖くて苦手だったマイジーちゃん。
死後、親(満州生まれ)からジーさんの満州でやっていたことを聞いた。

満鉄の職員で、整備などをやっていたらしい。
戦後帰国の混乱の中で、馬賊狩りをしたり、されたり。
なんて話も聞いた。

戦中は、兄弟で近所のロシア人の家にボルシチの作り方習ったり、
中国人の家で餃子の作り方習ったり。
なんてほのぼのとした生活をしてたそうで、ギャップが激しいなぁと思ったのを覚えてる。

もっと話しきいときゃよかったなぁと、いまは後悔している。

515:名無し三等兵
03/07/02 19:09
うちの爺ちゃんも満鉄職員だったよ。
でも、爺ちゃんはあんまり戦争中のことは話そうとしないので、婆ちゃんに聞いた話。

満州から引き揚げるときの話。
満鉄職員とその家族が優先的に乗車できる引き揚げ用列車があるということで、
住んでいるところから遠い町にある駅まで行くことになった。

まだ若かった婆ちゃんは髪を切り、男装をして爺ちゃんと一緒に歩いていったそうだ。
ソ連兵は女と見るや……と言われていたからね。

で、駅に向かう途中、二人は運が悪いことに、
「ダワイ!」と、二人組みのソ連兵に呼び止められてしまった。

「ああ、乱暴される」と婆ちゃんは思ったそうだが、
なんと、そのソ連兵たちは婆ちゃんには見向きもせず、爺ちゃんを連行していってしまった。
「もうこれで今生の別れ」と思ったが、どうしようもない。婆ちゃんは駅へと向かった。

駅へついたが、列車はまだ来ていない。
仕方なく、そこで夜を明かし、そして翌日。

なんと爺ちゃんが両手にバケツを提げて、生きて駅へとやってきた!

話を聞いたところ、ソ連兵の兵舎へ連れて行かれ、彼らの服の『洗濯』をさせられたのだという。
しかも、それが終わると二つの大きなバケツに一杯のバターを入れたものを貰って、
釈放されたのだと言うことです。

ソ連兵よ、洗濯ぐらい自分で出来なかったのかね?
以来、爺ちゃんは自分で洗濯したことが無いそうです。

516:名無し三等兵
03/07/02 20:44
>なんと爺ちゃんが両手にバケツを提げて、生きて駅へとやってきた!
何かワラタ

517:名無し三等兵
03/07/02 21:01
>>515
少々不謹慎な想像ですが、もしやそのソ連兵は男色家だったのでは。
いくら変装したところで、お婆さまが女性であることは見破られてたような気がします。
(本当に変装が気付かれてなくて男手が必要なのであれば、二人とも連れて行かれたでしょうし)
お爺さまは洗濯もさせられたのかもしれませんが、別なこともさせられたのかもしれません。
それ故、以後、それを思い出すような洗濯を二度としたくなかったのかもしれません。

518:508
03/07/02 22:24 0z3GVzV3
>>510
>ええもん貰ったね。

うん、ほんとにそう思うよ。
いまの運転士は打音検査はしないのでハンマーは使わんのだけど
なんか鉄道員としてのスピリッツを貰った気がする。
ちょっとスレちがいかも、スマソ。

519:名無し三等兵
03/07/02 22:27
>>517
深読みしすぎだろう。

520:名無し4等兵
03/07/02 22:29 i4oDJn1g
神風特攻隊になって突っ込もうとしたのだが
あまりにも燃料が少なくて海に墜落→生還。

521:名無し三等兵
03/07/02 22:37
>>517
俺もそう思ったw 回教徒は自由だもんね。
きっとソ連兵の体のいろいろな所を洗濯させられ、かつお返しに自分も
トラウマになるほどいろいろ洗濯されたんでしょうな。

>二つの大きなバケツに一杯のバターを入れたものを貰って、
ものすごいテクだったようだw

522:名無し三等兵
03/07/02 22:40
>>517.521
オマエラ、深読みしすぎ。
そこらへんの事をつっこむと疑心暗鬼になるから止めてくれ。
そういう経験をした人もいるかもしれんが、
そんな話聞いても嫌な気持ちしかせんからね。

・・・と、けど、そんな事が本当にあったなら話さないか。


523:名無し三等兵
03/07/02 22:45
>>514
自分の父方も満州帰りですが、
話ではほのぼのに聞こえるかもしれないが、
当時も結構大変だったみたいだよ。
確かに、父の話す、ロシア人の子供と石のなげっこしていたと言う話や、
ロシアの女の子はそこらへんで小便する話などを聞くと
ほのぼのした感じだけど、
ばあさんが腸チブスで死にかかって、死ぬのを待っていた話や、
(腸チブスは死病で、かかったらほぼ助からない)
じいさんは3回ロシア人の強盗に入られた話などを聞くと、
やはり死と隣合わせと言う部分があったと思う。

524:名無し三等兵
03/07/02 22:45
ちなみに、523はハルピンでの話です。


525:名無し三等兵
03/07/02 23:12 QOHPiBOn
>>505
有名な歌で
輜重兵が兵隊ならば蝶々蜻蛉も鳥のうち

推してしるべし

526:名無し三等兵
03/07/02 23:51 sp1SuCnB
俺の親父、所沢で戦闘機の整備兵をやってた。
あまりに腹が減るので近くの畑から芋を盗んで、航空燃料で炊いて食べたとか。
落花生は畑に手を突っ込んで、生のまま食べたそうだ。皆は下痢を
したが自分は平気だったとか。お百姓さんにはよく軍に怒鳴りこまれたそうだ。
それでも腹が減ったときは、農家の前にただ立ってたら、芋とかを
めぐんでくれたそうだ。
東京大空襲の時は地平線が真っ赤だったそうだ。これで戦争も終わると
思ってほっとしたそうだ。
おばあさんは、近くの町が綺麗にひかったので綺麗な花火だと思ったそうだ。
お爺さんに"たわけ あれは空襲じゃ"と諭されたとか。
今も昔も米軍は強すぎる。イラクの人々も当時の日本人と同じ気持ちであったに
違いない。ただ日本人はすぐにアメリカ万歳だったけど、あそこは
"目には目を"の国だからなあ・・・

527:名無し三等兵
03/07/03 00:01 rBgo9mW6
>>525
結局その考えが国の命取りになった。



528:名無し三等兵
03/07/03 00:18
>>526
ウチの場合は百姓なので逆。
兵隊さんに食事をもてなしたことがある、
とお婆ちゃんが言ってた。

529:526
03/07/03 00:31 7oZ2RkAe
親父、訪ねていってお礼をしたいと生前よく言ってたな。

530:名無し三等兵
03/07/03 00:34 rBgo9mW6
うちの親戚は兵庫県で歯科医だった。
戦時中(まだ初期のころ)、兵隊さんご苦労さん、と言うことで無料で治療してあげたら
船に呼んでカレーご馳走してくれたそうだ。

531:名無し三等兵
03/07/03 00:38
>>505
引率役なら外見は騎兵と同じだし、馬に乗っての行軍だからお徳な兵科ですよ。
ただし馬の世話が大変。川辺で歩兵が死んだように休息をとっている傍らで
水を布バケツに汲んできて飲ませ、脚をさすってやらなければいけません。
行軍演習で、行き倒れている歩兵を自動車で拾ってあげるのも仕事ですね。

本当に評価の低いのは輸卒のほう、馬に乗らない随伴の人達のことで
背が低いとか、能力的にちょっと劣る人達が回されたそうです。

532:名無し三等兵
03/07/03 00:54 Kric+3Kb
世界がここの住民みたいなヤシだったらな・・。


533:名無し三等兵
03/07/03 02:53
>>531
>行軍演習で、行き倒れている歩兵を自動車で拾ってあげるのも仕事ですね。

ああ!!どっかのホームページで見た
じいちゃんの戦争体験話で、落伍した人が自動車に乗っていたというのは、
このことでしたか!!
いや、一人で納得です。ありがとうございました。



534:名無し三等兵
03/07/08 23:08 VfO//7R8
うちのじーさんが言ってたけど毎日のように風船爆弾が飛んでたのをを見てたって言ってた。
その風船爆弾がいくつ飛んだか数えるとスパイとみなされるらしい。

だれか風船爆弾のネタない?

535:名無し三等兵
03/07/08 23:25
うちのじいちゃんは、武蔵でおにぎり握ってました。

536:名無し三等兵
03/07/09 00:05 EWMihsDS
じいちゃんの知り合いはノモンハンで戦っていた 聞いたところでは日本の対戦車砲は役に立たず 反対に同じ口径のドイツ製のは非常に役に立ったとか じいちゃん自身は訓練中に終戦 家に帰るときにくれた本がノモンハンの夏 よっぽど気にしてたんだろう 

537:名無し三等兵
03/07/09 00:06 EWMihsDS
続き またじいちゃんの話じゃ戦後ウランをつんだドイツの潜水艦と接触しようとしたが失敗 これが成功したら日本も原爆ができたという噂を戦後まもないころ聞いたそうな

538:名無し三等兵
03/07/09 00:08 EWMihsDS
 訂正 続き またじいちゃんの話じゃ戦争中ウランをつんだドイツの潜水艦と接触しようとしたが失敗 これが成功したら日本も原爆ができたという噂を戦後まもないころ聞いたそうな




539:名無し三等兵
03/07/09 00:14
うちのじいちゃんは中国にいて、
血で染まった川の水で米を炊いて、真っ赤なご飯を食べたそうです。


540:名無し三等兵
03/07/09 12:19 OvXi55E/
>>539
ある意味赤飯だな。

541:放棄するにはもったいないので
03/07/09 23:17


534 :名無し三等兵 :2003/07/05(土) 13:31 ID:???
うちのじい様は満州で衛生兵をしていたそうな、弟が橋から落ちて
怪我をしたときも落ち着いて淡々と手当てをしていた。
戦闘では敵の弾が頭に当たったがその弾が縦に回転しながら当たったため
メットを貫通せず失神ですんだとか、終戦になって「戦争が終わったのに
こんな重いものをいつまでも担いでられるか!」と銃も荷物も川に投げ捨てて
しまったと笑いながら語ってくれた。

酒で酔ったときの口癖は
「霧が降りるように銃を構えるんだ」


535 :名無し三等兵 :2003/07/05(土) 18:30 ID:???
>>534
「霜」じゃないかなぁ?


536 :名無し三等兵 :2003/07/05(土) 20:41 ID:???
>「霧が降りるように銃を構えるんだ」
>「霜」じゃないかなぁ?

これって、どういう意味ですかね?

542:放棄するにはもったいないので
03/07/09 23:19


537 :名無し三等兵 :2003/07/05(土) 20:50 ID:???
「引き金は霜の降る如く」引くと言う格言


538 :名無し三等兵 :2003/07/05(土) 21:18 ID:???
>>537
おお、それは知りませんでした。
サンクスです。
すると、静かに確実に引けと言うような意味でしょうか?



539 :名無し三等兵 :2003/07/05(土) 21:34 ID:???
>>538
要するに「ガク引き」するなということでしょう。
漏れは「暁に霜が降りるが如く…」と記憶している。

- - -
手持ち分は以上です。

543:名無し三等兵
03/07/10 00:26
うちの爺さん、海軍信号兵。
国からの支給品である紋付き時計を持って、主に時間を知らせる役割。他にも色々。
で、その時計は紋が付いてるおかげで、何があっても上官から時間について
文句を言われる事がなかった。そこで、爺さんのした事。
○気に入らない上官の休み時間を減らす。
○気に入らない奴の起床時間を30分遅く知らせる(遅刻で上官から大目玉)
○仲間の休み時間を増やす。

せこい。下らない上に、せこすぎる…・゚・(ノД`)・゚・
ってか、お前は本当に戦争に行ったのかと疑いたくなるような馬鹿話まで
何時間にも及び話してくれた。全てにおいて…呆れた…

そんな爺さん、とりあえずビックリした事は一緒の船に乗った高知の兵士。
「酒を呑む量が凄いんだよ…ついていけない。宴会の夜は見張り台に逃げた。」

544:名無し三等兵
03/07/10 01:18
>>543
そ、そんな役職があったんですね・・・。
知らなかった。
ある意味、貴重な話でした。
ありがとうございます。


545:名無し三等兵
03/07/10 21:52
うちのじーちゃん、二次大戦では百式短機の射手だったって言ってたなぁ。
あと、額に敵弾食らったけど、鉄兜の内側をクルっと廻って出ていったおかげで、傷1つ無かったとか。
よっぽど浅い角度で当たったんだろうけど、それで穴が開く鉄兜ってのもなぁ。
一次大戦も、何やったか知らんけど、出兵したらしいし。
ま、死んじゃったし、どこまでほんとだか判りませんが。

546:名無し三等兵
03/07/10 23:10
うちの母方のじいさん、部隊は聞いてないが海軍陸戦隊で終戦までスマトラにいたみたいで12mm?機銃の弾込めとかやってそうで英軍機一機落としたとか。なんでも4発ずつ装填したとか言ってたがどの機銃だろうか?

547:名無し三等兵
03/07/10 23:21
ちなみに戦後英軍の捕虜になった後の方が飯とかいろいろ大変だったとかで収容所?の倉庫の歩哨に金(軍票?)渡して盗みに行くのを見て見ないフリしてもらったとか。

548:名無し三等兵
03/07/10 23:40
>>547
連合軍の捕虜になった後のほうが大変だったという話は珍しいですね。

549:名無し三等兵
03/07/10 23:43
普通に憲兵隊で憲兵してた。憲兵とは名ばかりで、外見はよわっちいので
いつも小突かれたりしてバカにされてたらしい。ある日、お前は背が低いなw
と、言われ大激怒。軍刀振り回しながら追っかけたらしい。他では、死ぬか生きるかの
戦場でギリギリの状態で生きてるのに、こんな事してたんだな・・・。当時の精工舎の懐中時計
を今でも使ってるが、「俺が死んだらお前にやる。ただし、売ったりするなよ!」時計、いらないからもっと長生きしてくれよじいちゃん!!

550:名無し三等兵
03/07/11 01:07
>548
配給が少なくてその日の飯がビスケット?少しだけと言うのが結構あったと、なんかシンガポ-ルで始めて中華を喰った飯の話など戦時中は一切その手の心配はなかったと言ってました。単に恵まれてただけかもしれんが…

551:名無し三等兵
03/07/11 06:34
>>548
スマトラだっけな?
連合軍にスルーされた場所で、自給が出来る場所は
日本軍でも待遇が良かったみたいです。
定期的に爆撃が来るだけで、両方とも本気に戦わないから、
悲惨なことが無く、南方で残された物資も豊富だから、
戦争だかなんだか解らないような部隊もあったみたいです。




552:名無し三等兵
03/07/11 12:12
>>546
>なんでも4発ずつ装填したとか
25mm対空機関砲ではないでしょうか。弾装は5発用ですが1発抜いて4発装填でないと調子悪かったそうです。

553:名無し三等兵
03/07/11 21:11 P3MeTEgA
祖父ではないのですが、祖父の弟さんの話。
何でも千葉のほうの部隊にいたのだが、敗戦の当日、休暇?をもらって実家に帰っていた。
そこに玉音放送があり、慌てて原隊に帰ったら、部隊の将兵たちは勝手に帰郷してしまい、
兵舎はもぬけの殻。部隊の倉庫には、新品の毛布その他多数の資材があったのだが、
それらは先に帰った兵隊たちがみな持ち帰ってしまい、全く無し。仕方なく、僅かに残った
ヨレヨレの毛布を手土産に家路に着いたそうだ。私の親父は子供の頃、その星のマーク
のついた毛布を使って寝たと教えてくれた。

554:名無し三等兵
03/07/11 21:35
おれのじーさんはぁー
ノモンハンでモンゴル人に捕まってー
ロシア兵の弾除けになってー
そいでドイツ兵の捕虜から戦車兵になってー
最後はカレー屋…(PAM!)

555:名無し三等兵
03/07/11 22:07
>>525
俺が聞いたのは

輜重輸卒が兵隊ならば 蝶々蜻蛉も鳥のうち

たいして変わらんか

556:名無し三等兵
03/07/11 22:56
自分の祖父は満州でアメリカ軍の捕虜になったそうです
ミルク粥の味もそこで覚えたとか言ってました
祖母は原爆のキノコグモと陸奥の爆発炎を見たそうです


557:名無し三等兵
03/07/11 23:01 6KA2b8U5
うちのじいちゃんは比島に出征していたそうです.
戦争が始まって召集され,二等兵から軍曹まで出世したらしいです.
終戦間近のとき米軍との交戦で足を撃ちに抜かれ,
復員したとのこと.いまも健在ですが,当時の粗悪な手術のため
いまでも足が痛いと言ってました.

558:534
03/07/11 23:46 W9yLP+MP
>>553
歩兵第五十七連隊?
ひいじいさんがそこだった。
千葉って言ってもたくさんの連隊があるのかな。
歩兵第五十七連隊は佐倉にあったらしいですが。

ちなみにうちのひいじいさんは千葉県のどっかで竹槍を教えてたらしい(w

559:553
03/07/12 15:39 V+pUHJ8z
>>558
申し訳ないがどこの部隊かまでは・・・一口に千葉といってもたくさんありますしね。
ご本人に伺えればいいのでしょうが、話題的に気軽に聞ける話でもないし。

560:名無し三等兵
03/07/12 19:40 xjN8ubpY
祖父でも祖母でもなくてスマヌが、漏れの母方の伯母は、中島飛行機の大宮製作所に
動員されていた事があると言ってた。
ついでに言うと漏れの母親は、姉に背負われて防空壕へ飛び込んだ事がある。
終戦当時四歳なのだが、母に言わせると、「夜空を飛ぶ銀色のB29の姿を
はっきり覚えている」のだそうだ。

561:名無し三等兵
03/07/12 21:20
漏れの婆ちゃんも「銀色でピカピカな飛行機が名古屋の方へ飛んで行ったのを覚えとる」と言ってますた。
やっぱり結構目立つものなんですね。

562:名無し三等兵
03/07/12 23:53 qNgdEfQw
うちのじいさまは,満州でかなり羽振りがよかったそうです。
でも,徴兵で穴掘る仕事(工兵?)やらされてました。
終戦の時,ソ連に連行される途中,逃げたそうです,後ろから機関銃で撃ちまくられたそうですが何とか逃げました。
でも,捜索が執拗だったらしいです。
そのときかくまってくれたのが羽振りのよかった頃に雇ってた従業員の中国の方々。
うちのばあさまが面倒見がよくてそれに恩を感じていた人たちがかくまってくれて無事逃れました。
終戦の時に中国人が日本人に対して・・・なんてのはよく聞きますがそれだけじゃないと思いました。
普段,ちゃんとした関係をもっとけば中国の人もしっかりとわかってくれると言うことだと思います。
じいさまは,7年前の終戦の日に大往生しました。


563:名無し三等兵
03/07/13 04:45
>>562
なんか、うちのじいさんの話とまったく一緒だ。
羽振りがよかったと言うところを除いて。

よろしかったら、前々スレと前前々スレに詳しく書いたので
見てみてください。
役所に勤めていて、土木工事の監督をしていたじいさんです。


564:名無し三等兵
03/07/13 21:02 rlrVDlYV
>>563
申し訳ない。前々スレと前前々スレの見方教えて。
お仕事がちょっと違いますね。建設会社を経営してました。
ちなみに吉林でした。

565:名無し三等兵
03/07/13 21:07 DAoEnCwP
うちの爺さんは上海事変に逝ったと婆ちゃんに聞いたことがある
勲章があるからたぶん本当だと思う
何日も川の中?にいて大変だったと逝っていた


566:名無し三等兵
03/07/13 21:11 z5Sq9a0G
>>562
中国人といっても民族思想色々だから。
避難民の日本人の子供を預かって立派に育てた
人達が大勢いるじゃないか。

567:名無し三等兵
03/07/13 21:13
>>566
まぁ日本人でも自分の子供殺す香具師もいれば
他人の子供でも引き取って育てる香具師もいるしな

568:名無し三等兵
03/07/13 21:42 rlrVDlYV
>>566
そうですね。
逆の話もいろいろ聞かされたもんで・・・表現がちょっと悪かったかな?
あの人たちのおかげで今の自分もあるんだと,母親からもよく言われました。

569:名無し三等兵
03/07/13 21:43
>>562-568
ソコ「あかはた」が喜びそうな話だな。


570:名無し三等兵
03/07/13 21:47 rlrVDlYV
>>562
なんだおまえ?
やめとけよ,そう言う話じゃないだろ。
いちいちそんなくだらないレスつけんな。

571:名無し三等兵
03/07/13 21:48 z5Sq9a0G
>>569
思想とは関係のない人間としての話です。

572:569
03/07/13 21:52
俺は感動したよ、本当に良い話だとおもう。
モニターの前でいま涙が止まらない。

だから「あかはた」と「運命のダダダダーン」に投稿しますた。
採用されたらみんなで鍋でも食おう。

573:名無し三等兵
03/07/13 22:12
最後に来るのは人、なんだろうね。

574:名無し三等兵
03/07/13 22:39
>>569
まぁ中国人でも自分の子供殺して食う香具師もいれば
敵民族の子供でも育てる香具師もいる支那

575:名無し三等兵
03/07/13 23:03
>>574
だから~敵民族じゃないだろ。民族問題と国家問題とは別だよ。

576:名無し三等兵
03/07/13 23:25
日本、中国。之同志的亜細亜民族。ok?

577:名無し三等兵
03/07/14 03:28
>>564
ちょっと待ってくださいね。
時間があるときに探しますです。
ウチはどこかの開拓団で、
戦後はハルピンで帰還までの間暮らしたそうです。
じいさんは役人でしたが、本土の三倍稼げたそうです。
しかし、ばあちゃんが本土に送金せずに、そのお金は没収となりましたが。


578:名無し三等兵
03/07/14 20:06
知り合いの父の話ですが・・・
その人は海兵出身の中尉で、陸戦隊に所属し
メレヨン島で終戦を迎え、終戦後直ぐに救援船が来て復員されたそうです。
メレヨンって米軍の飛び石作戦の為、上陸は無く飢餓の島だったそうです。

579:名無し三等兵
03/07/14 21:38 aVpTwFaA
うちの爺さんは中国戦線に出征。戦争末期食うものに困って連隊長だか大隊長の
馬を仲間と食ってしまったらしい。でも上の人も理解していてくれたらしくばれ
てもなにも言われなかったらしい。

ところでどっかで、徴兵されたら特技は「算盤」若しくは「書道」と答えろとい
うのを聞いたことがある。

580:名無し三等兵
03/07/14 21:45 rQj30vTp
URLリンク(my.dk-net.to)
日韓基本条約で、俺、日本が賠償しているもんだと思ってた・・・ヤバイ・・・

581:名無し三等兵
03/07/14 22:28
賠償って言葉は戦争しないと発生しないよ。
しかも、日本は韓国に残した残留財産があまりにも多いので
賠償ってことになると、日本が韓国にしてもらわないとならなくなる。

582:名無し三等兵
03/07/14 22:33
>>579
>ところでどっかで、徴兵されたら特技は「算盤」若しくは「書道」と答えろとい

これって、会計係りになれるから、前線に出なくて済むと言う事では?
うーん、醤油一リットル飲めば
徴兵検査に落ちるとかそういう類のものでしょう。
やはり、戦争に行きたいやつなんていないと言う事ですか。

583:名無し三等兵
03/07/15 10:45 du8d9Dlo
>>582
日中戦争の頃まで、徴兵よけの神仏祈願があったらしいしね

584:名無し三等兵
03/07/15 19:48
優良スレサルベージ

585:名無し三等兵
03/07/15 21:25
>>582
うちの祖父の兄は前線から早く帰りたくて醤油はガブ飲みするわベッドの下の埃は吸うわ
ありとあらゆる手段を使ったが全く病気にならずに終戦まで南方にいた

それに対し祖父は戦争で生き残る気は全くなかった生粋の職業軍人で陸軍の戦闘機パイロットだったけど
南方に進出したと同時にあっさり病気になって内地送還

人の運命はわからんもんだね

586:名無し三等兵
03/07/16 02:06 2Y+38hU4
うちのお爺さんはたしか30人くらいの部隊で軍曹だったらしい。
フィリピンの山で作戦活動中アメリカ軍の迫撃砲の破片が太ももに刺さった。
週週間すると太ももの傷が膿んできて歩けなくなった。
戦友に肩かしてもらいながら命からがらさまよっていたが、
ある日、数百人をいうアメリカ兵にばったり遭遇
そして捕虜になった。でもアメリカの軍医が太ももの傷の手術してくれた。
アメリカ兵の日本捕虜の扱いは日本兵のアメリカ兵捕虜の扱いより良かったらしい。

でもノルマンディーなどで降伏したドイツ兵捕虜は数十万人に対しては
機関銃で殺し処分した・・・なぜだろう?




587:名無し三等兵
03/07/16 02:49
刀の研ぎや写真が特技だと、連隊本部付になれることが多かった

588:名無し三等兵
03/07/16 05:06
>>586
それは運が良かったね。

>機関銃で殺し処分した・・・なぜだろう?

その話の真偽はしりませんが、戦争ってそういうものですよ。
日本人が殺されたケースもあれますし、
日本がアメリカ人を殺したケースもあります。

589:名無し三等兵
03/07/16 12:31
祖父さんじゃないけど、親父の知り合いの爺さんが敗戦後満州から
逃げてきた時に、母ちゃんがロシア兵に連れて行かれて、妹と2人きり
になって、そのまま妹を中国人に売り渡して自分だけ日本に逃げて来た
って人がいる。 その爺さんTVで残留孤児の話題が出る度にいたたまれ
なくて、TV消して布団に潜り込んじゃうらしい・・・・ 

590:名無し三等兵
03/07/16 12:46
>>589

涙涙涙・・・



591:名無し三等兵
03/07/16 16:02
父方のじい様は、中国出兵。
通信部隊でケーブル張ってたそうな。
後方部隊なんで、安全かと思ったらしいが、
主力が移動した後の空白地域で周囲を囲まれて一晩動けず。
翌朝移動してきた戦車隊に救われた。
南京にも入って、写真を撮ったらしいが、曾爺さまが燃しちゃったらしい。
その後帰国。
南方に行く事になってたらしいが、病気で行けんかったらしい。
じい様曰く、一緒に行くはずだった部隊は、南方で全滅。
「俺は運が良かった」と親父に言ってたとそうな。

592:名無し三等兵
03/07/17 01:40
>>589
今聞くと、ひでえ姉だと思えるけど、
当時はそれが一番生き残る確率の大きかった事かも知れませんね。

ちなみに親父はハルピンで、
ばあさんがチブスで死にかかっていて、
じいさんは仕事中でいなくてどこかをフラフラ歩いていたら、
親切なロシア人の家に孤児と間違えられて泊められたそうです。
じいさんが迎えに行って、中国残留孤児にならずに済んだそうです。
そのときに、映画で見るようなバスタブに入れられた事を
うっすら覚えているそうです。
が、じいさんの手記には、ロシア人の家にいたのは叔父だと書いてありました。
どちらの記憶が間違っているかは解りません。

ちなみに、ばあさんは今も元気です。

593:伍長☆ ◆JGSDF.Z0zo
03/07/17 02:29 qK1Nxjbl
以前書き込んだものですが・・・
うちの爺さんは輜重兵です。
でも、大陸に行って戦闘もやったそうですし(ちょっとだけ・・・)、
銃も撃ったことがあるそうです(捕獲兵器ですけど・・・)。

>531,505
うちの爺さんは、馬に乗って移動したって言ってたから引率役なのかな・・・
でも、上官の「前に行くか?」の問いには、「結構です」と答えたらしい。
しかもその意見が取り入れられて、そのときは前には行かなかったらしい。

でも、揚行鎭か、大揚鎭だったと思うけど、守備しているとき(?)に
銃弾が飛んできて、一緒にいた兵士の股の間を弾が通過したとき、
その兵士が腰が抜けてしまって、動けなくなったという話を聞いたことがある・・・

>562
穴掘りは、八丈島でうちの爺さんもやってました。
工兵に限った仕事じゃないと思いますよ。

以下軍隊手帳より・・・

所管 近衛師団宇都宮 〓〓〓〓〓〓
部隊號 近衛輜重兵大隊第二中隊
兵科 輜
官等級 輜 特 上等兵 陸軍兵長(特・上等兵については線で消されている…)
本貫族籍 栃木縣
氏名 戸主***甥 ***
誕生 明治四拾四年拾月弐拾八日生
身長 一米五七糎九粍
特業住所 栃木縣下都賀郡***村大字******番地ノ*


594:伍長☆ ◆JGSDF.Z0zo
03/07/17 02:30 qK1Nxjbl

戰時著装被服大小區分
帽 六號
衣袴 四號
外套 四號
靴 十文七分

服務年期
二年 自六年十二月一日至七年十一月三十日
實役 自七年十月一日至七年十一月二十五日

善行證書
昭和二十年十一月十五日附典

履歴
昭和七年十一月一日現役兵トシテ近衛輜重兵大隊第二中隊ニ入管
十一月二十五日〓休退管
昭和九年簡閲點呼濟
昭和十一年簡閲點呼濟
昭和十五年簡閲點呼濟


595:伍長☆ ◆JGSDF.Z0zo
03/07/17 02:31 qK1Nxjbl
出戰務
昭和十二年八月十四日動員下令
(長男で近衛兵になって、出征は無いと思っていたところへの赤紙だったそうだ)
昭和十二年八月二十一〓充員召〓ノ〓近衛師〓渡河材料中隊ニ〓召
昭和十二年八月廿六日近工出発
同月廿八日宇品港出発
九月四日呉淑波止場上陸
同月九日迄〓家宅ニ器材ノ運搬
同日第三師團長ノ令化ニ入ル
(普通はもとから師団について行くそうだが、近衛師団自体は戦争に行かないそうで
三師団に配属になったそうだ。三師団は九州の部隊だったらしい)
自九月九日至同月十二日揚行鎭附近ノ戦闘参加
(敵は準備万端で待ち受けていたらしく、味方の航空爆撃があったそうだ
このときの航空機は、複葉機だったとのこと)
自同月三日至十月二日劉定行及〓家宅附近戦闘参加
自同月三日至同月廿七日大揚鎭附近戦闘参加
(この時には単葉機になっていたらしい。そういう話するところを見ると
航空機の攻撃が多大な戦果を上げていたのだろうか…
この戦いの勝利のあと、国内では提灯行列などがあったとかどうとか…)
自同月廿八日至十一月十一日蘇州〓附近ノ戦闘参加
自同月十二日至同月十六日南翔嘉定附近ノ進撃戦闘参加
自同月十七日至十二月一日常(熱)(無)(金易)附近ノ水上機動戦闘参加
(水上機動戦闘って何って聞いたら、あまりよくわからない返事が返ってきたので
敵が対岸から攻撃してくるのに、無理やり仲間を船で渡すの?
と聞いたら、そんなようなもんだ。といっていた
舟には、銃弾の穴があき味方の血も結構付いていたそうで
最初は気持ち悪いと思ったらしいが、すぐ慣れたといっていた
戦場じゃ気持ち悪いなんて言っていられないとのこと)
自同月二日至同月廿五日鎭江附近ノ渡河並ニ江北追撃戦斗参加

596:名無し三等兵
03/07/17 03:13
戦争はDQNもしくは鬼や悪魔になってしまうか、ならなくちゃいけ
ないのだろうか・・・

597:名無し三等兵
03/07/17 03:36 p5LfBd7F
>善行證書
>昭和二十年十一月十五日附典
8/15以降の記録があるのってどうして?

598:名無し三等兵
03/07/17 03:39
陸海軍省が廃止されたのは1945年12月1日だから
それまでは省務が続いてますの。

ポツダム昇進なんかもその時期のこと

599:名無し三等兵
03/07/17 03:57
>>598
そうでしたか、ありがとうございます。


600:名無し三等兵
03/07/17 05:40
>>593-595
乙でーす。
うーむ、貴重な資料ありがとうございます。
じいさん、末期徴兵と、戦後の混乱でそんなもの持ってないや・・・。
あっ、持っていたら、シベリア送りだから、処分したんだろうな。


601:名無し三等兵
03/07/17 11:07
うちの近所ジジイが「ワシは宇宙人と戦った!」ってぬかすんで
ボケたかと思ったけど、留学で行ったアメリカでも「私は○▲星人
と戦っている。」って老人がいたんだよ。
やっぱりいるんだよ、宇宙人。

602:名無し三等兵
03/07/17 18:56 Mpk3fMNX
第三師団って九州じゃなくて名古屋じゃない?

603:名無し三等兵
03/07/18 14:30
大陸か台湾で銀輪部隊だったそうな。


604:名無し三等兵
03/07/18 14:31
>>603
あなたのおじい様の戦争体験を教えて

605:名無し三等兵
03/07/23 05:42 hjQVxde4
親戚のじいちゃん(個人)は、銃弾が飛び交う音が一番怖かったって言ってたな。
離れた銃弾は口笛のような高い音で、近い銃弾はスズメバチのような音らしい。

606:名無し三等兵
03/07/23 05:44
あれれ?また消えた?
補完しておきまする。

606 名前:名無し三等兵 投稿日:03/07/20 19:37 ID:???
戦争体験?

終戦後マッカーサーから青リンゴ2個もらった。


607 名前:名無し三等兵 投稿日:03/07/20 19:49 ID:???
>>606
それ違う板で読んだよ。

607:名無し三等兵
03/07/23 05:45
>>605
>近い銃弾はスズメバチのような音らしい。

これがどんな音だかよく解らんけど、
じいちゃんの時代には一杯いたんでしょうね。


608:名無し三等兵
03/07/23 05:54 nRYFhEyO
☆貴方が見たい娘がイッパイ(^0^)☆
URLリンク(endou.kir.jp)
URLリンク(endou.kir.jp)

609:名無し三等兵
03/07/23 08:58 KJ8ZyQly
祖父じゃなくて伯父ですが。
戦時中に海難事故で死んだ伯父が
士官予備校に在籍していたそうです。

どなたかご存知の方、「士官予備校」が
どんなものか教えていただけませんか。

どうやら、とても優秀な伯父だったようですが、
彼の事故の話そのものが未だに父の世代の
タブーなようで詳しい話をあまり聞いていないのです。

610:名無し三等兵
03/07/23 09:53
>>609
士官予備校じゃなくて、仕官学校ではないかな?
仕官になる為の教育を受ける学校です。

予科連なんてのも、仕官学校になるかな?
ここにいたいじいちゃんに直接話しを聞いたことあるや。
戦争末期にどうせ徴兵されるならと、予科連に入った。
繰り返しじいさんが言っていたのは、
同期がちょうど下痢をしている時にシゴキを受けて、
それが原因で死んだにもかかわらず、
戦病死扱いになっていたと言う事。
ものすごい怒っていたよ。
この方と言う事は無いですよね?

URLリンク(www.st.rim.or.jp)

611:名無し三等兵
03/07/23 14:47 KJ8ZyQly
>610
お返事有難う御座います。
でも、間違いなく士官予備校です。
陸軍には間違いなく有ったようなのですが、
海か陸かは聞いていません。
難易度がとても高かったらしく、また、
士官学校ほど大人数はいなかったようです。

また、ご指摘の方は伯父では有りません。
伯父は海難事故において他の方を助けている
うちに亡くなった、と聞いています。

612:名無し三等兵
03/07/23 18:02
>>610
予科練は士官養成学校じゃなくて搭乗員養成学校。しかも海軍だし。
>>611
陸軍幼年学校のことを言ってるのか?
あと、甲幹が入る予備士官学校というのもあるが。


613:名無し三等兵
03/07/23 22:46
>>612
ありがとうございます。
予科連は仕官学校に含みませんか。
海難だから、海軍かなぁと思いました。


614:名無し三等兵
03/07/23 23:47
>>613
おそらく『海軍予備学生』でしょう。
URLリンク(www.asahi-net.or.jp)

615:名無し三等兵
03/07/24 01:33
皆様、有難う御座います。
伯父が亡くなった時の年齢から行くと(確か10代と聞いています)
幼年学校が該当するのかと思います。何しろ、祖母が「士官予備校」
としか言っていなかったものですから私としてもそれ以上は
判りませんでした。

あと、混乱させてしまいました海難事故の件ですが、
一応ご参考までにかいつまんでご説明します。
当時私の一族(曽祖父、その長男、次男(私の祖父)及びその妻子)
は本土から釜山に移っておりました。そこで祖父は
農水省の地方官僚をしており、なくなった伯父はその長男でした。
(私の父が末子です)本土で件の「学校」で教練を受けておりました
伯父が、曽祖父の葬式のために釜山へ戻り、その帰りの貨物船が
時化で事故を起こした訳です。伯父は泳ぎが達者な人だったので、
泳いで沈みかけている人を引っ張っては船に連れて行く事を
何度か繰り返していた訳ですが、そのうちのおぼれた人が
伯父の後ろからしがみつき、伯父はついにその人に海に引き込まれる
形で日本海に沈んだそうです。
その後の終戦に伴い、私の一族は本土に戻りましたが、
ご多分に漏れず全てを失った上での引き上げになったそうです。

将来を嘱望されていた人間の事故だっただけに、未だに私の家では
この話はあまり語られません。一族の没落の象徴のような事件
でも有るようです。

616:名無し三等兵
03/07/24 18:42 GpGxEkNz
浮上させておく

617:名無し三等兵
03/07/25 04:57 lXrF9hqn
うちのじさまは史上初の空母対空母の戦闘となった珊瑚海海戦にいたよ。

と言ってもじさまは海軍じゃなく陸軍でポートモレスビー攻略部隊の輸送船
に乗ってた。
ラバウル出港後暫らくして掩護艦隊と合流。遠くから4隻の重巡が近づいて
来るのを見た時は非常に頼もしくて、戦艦が来たと思ったそうだ。

敵艦隊出現の報で輸送船団は一時退避することになり直衛の空母祥鳳は目の前
を飛行機を発艦させながら敵に向っていったそうだ。甲板を蹴った飛行機が
いったん海面近くまで落ちてから何とか飛んでいくのを「ああ、落ちる!」って
ハラハラしながら皆で見送ってたそうだ。

しばらくしてから遠くのほうで雷のような音が聞こえ「雷鳴か?海戦がいよいよ
始ったんだろか?」と話していたそうだが、これが祥鳳の最期だったんだね。

祥鳳はあまり目に見える戦果も上げず最初に撃沈された日本空母となったが
輸送船団を護り抜くという護衛の役目は完全に果たしたことを俺は感謝してる
なにせ祥鳳が犠牲にならずに輸送船団がもし攻撃されてたら、じさまも恐らく
は殺られてたろうし、俺もこの世にいないわけだからな・・・



618:348
03/07/25 20:22
家のじっちゃまの戦時中の詳しい経歴がみつかりますた。
結構長くなりますが、見たい人いますか?

619:438
03/07/25 20:23
↑ハンドル間違えた。吊ってくる・・・

620:名無し三等兵
03/07/25 20:33
ウチの祖父(88)は「海軍士官学校卒」ってが自慢だが鉄板で嘘なのか・・・・

621:名無し三等兵
03/07/25 20:45
沖縄戦で曹長として参加。戦死・・・
昭和42年に日本国天皇は~勲八等に・・・とかいう賞状がきた。
勲八等ってなんですか??

622:名無し三等兵
03/07/25 20:53
勲記でしょ。
勲功が認められて勲八等に召されたのですよ。

623:名無し三等兵
03/07/25 20:57
>>622
召された→×

叙された→○

624:名無し三等兵
03/07/25 21:21
うちの爺ちゃんは曹長で重巡洋艦「摩耶」にのってレイテ沖海戦に参加した。
潜水艦に沈められて「武蔵」に救助された。
でも今年死んじゃった。

まだ爺ちゃんが生きてる人は話をしとけ!!
孝行したいときには何とやらだぞ。
おれもしとけばよかった。

625:名無し三等兵
03/07/25 21:51
>>624
>まだ爺ちゃんが生きてる人は話をしとけ!!
ウチの爺ちゃんの体の中には12,7mmの弾頭がずっとめり込んだまんまだったらしい。
爺ちゃんが死んじゃったちょっと後にオヤジから聞いた。

 早 く 言 え よ 、 火 葬 場 で 御 骨 拾 う 時 に 探 し た の に ! 

しょうがないので、その代わりに箪笥の奥から出てきた下士官用刀帯と図嚢を形見代わりに大切に使っている。
(下士官用刀帯と図嚢・バイク乗るとき便利だよ)



626:名無し三等兵
03/07/25 22:24
>618
吊る前におじい様の経歴のUPだけはやって置いてください。
きっと資料としても貴重ですから。

627:621
03/07/25 22:43
>>622
ありがとうございました。
たいした事なさそうですね・・・

628:名無し三等兵
03/07/26 02:03
>>627
たいした事はなさそうかもしれないが
ここの人間の何人が勲八もらえるかということを考えると
やはり大したもんだと思うぞ。

629:名無し三等兵
03/07/26 04:41
>>620
海軍兵学校ならネットで全卒業者の名簿が見れますよ
URLリンク(www2b.biglobe.ne.jp)
あったら本物だね 五省は言えるのかな?

630:名無し三等兵
03/07/26 11:03
40度の熱を出して病院に担ぎ込まれ、入院。
入院四日目ようやく回復の兆しが見えたんで相部屋に移されたときのこと。
その相部屋には80過ぎのご老人がいて、自分と同性だった。
「Tですか? 珍しい苗字なのに偶然ですね」
と私が尋ねると、この苗字は大分県では珍しいが大阪あたりだと結構多いと教えてくれた。
で、そのご老人、朝になると欠かさず体操をするんだけど、背伸びの運動とかしてると何か違和感がある。
両腕の長さがあっていない。片方の腕が短かった。
「中国で憲兵やっちょったとき、迫撃砲くろうてちょん切れたんよ。
軍医にくっつくかわからんがつなげてみようかっち聞かれたけえ、頷いてから気ぃ失うての。
起きたらこげえなっちょった」
とこともなげに教えてくれた。
こんな話よく平気でできるな、と思ってたら、おじいちゃんに面会の人がきた。
なにやら怖そうなじいちゃん方(元ケンペーのじいちゃんよりは若かった)だった。
後でほかのじいちゃんに聞いたところ、ケンペーじいちゃんはここらへんでは有名な「や」のつく自営業の人だった。
私が怖がっていると、
「大丈夫じゃ。本物のヤ○ザは一般人には優しいもんじゃけえ」

……ちょっとスレ違いっぽいけど実体験なんで。

631:名無し三等兵
03/07/27 01:00
以前ここに書いた(移転の際に消えた)台湾の南に駐屯していた祖父に今日話を訊いてみました。
祖父は名古屋の連隊で、戦友たちが餓島やサイパンに送られるなか運良く台湾に送られたようです。
ご存知の通り台湾では戦闘も無く、バナナの早食いをしたり現地人と話したりしていたようですが、
戦局が悪化すると特攻ボート(震洋?)の隊員になったようです。
敵が上陸してきたら爆雷を積んで突っ込むつもりだったそうですが、おそらくその前に機銃掃射を受けてバラバラになるだろう、と言ってました。
あと38式はよく当たるが、99式は当たらない、ピストルは全然、軍刀は全く切れないことはないが生木は切れない、と言ってました。
最終階級は軍曹だったようです。
あと、祖母(ボケてる)の兄についても話を聞いたのですが、その兄は体当たりでB29を落とし、琵琶湖の辺りに墜落したそうです。
戦死後二階級特進して少佐になったそうで、その碑がそこにあるそうですが、詳しい地名を言われたのですがは覚えてません、、
詳細ご存知の方ご教授下さい、、、

632:名無し三等兵
03/07/27 02:53
>>630
う、いい話かな???
ちょっと、うらやましい体験ですな。


633:名無し三等兵
03/07/27 02:55
>>631
それは名前を出せば一発でわかりそうですね。
ただ、ここで出すのはイヤでしょ?
検索を書ければ出で来ると思うし、
該当場所の市役所等に問い合わせれば、教えてくれると思います。


634:名無し三等兵
03/07/27 10:24
>>631
軍から支給される軍刀は大量生産ものだからなまくらだったというのはよく聞きますね。
家に業物がある人はそれを軍刀に作り直した事も多いそうですが、貰った軍刀の柄とか
付け替えても許されたんですかね?

635:名無し三等兵
03/07/27 10:31
>>634
いや、専門の刀装具職人のところで特注だよ、そういうのは

636:名無し三等兵
03/07/27 10:36
>>628
うん勲位階も今年で廃止だしねえ。

637:名無し三等兵
03/07/27 17:40
>>635
じゃ、式典とかで礼装するときはやっぱり貰った軍刀佩くのか。

638:名無し三等兵
03/07/27 17:43
>>637
式典の時は指揮刀佩くんじゃないですかね?二環目の足金具付けて。

639:名無し三等兵
03/07/27 18:49
>>638
いや、それは平時だけ

640:名無し三等兵
03/07/27 22:03
うちのジーさま終戦ちょっと前の陸軍次官だった。
生きてりゃどれだけ面白い話が聞けたことか・・・
俺が産まれる10年以上前に死んじまったよ。

641:名無し三等兵
03/07/27 22:18
うちの爺さんなんて戦後すぐに逝ってしまったから、父ですらほとんど記憶がない・・・

642:438
03/07/28 00:00
では書いてみます。

昭和5年1月10日 第八大隊第一中隊に入隊(重輜兵として)
昭和6年11月23日 帰休除隊
昭和7年3月10日 弘前憲兵隊山形憲兵分隊に編入を命じられる。
昭和8年 一〇七討伐隊配属解除、同年15日帰隊。
昭和9年4月2日 関東軍憲兵隊編成要員として増加配属。
           同日下関出発(旧満州国へ)。
     4月13日 国境新義州通過
       16日 吉林省県境を通過、同17日着隊。
     4月17日より昭和10年10月30日迄、関東省江精県延吉にて満州事変勤務従事。
昭和10年2月2日 延吉憲兵隊附、12月6日秋草討伐隊坂口部隊に配属命ぜられる。
      12月12日 延吉隊着。
昭和11年4月21日 編成改制により延吉憲兵隊附。
昭和12年5月10日 竜井憲兵隊分遺附を命ぜられ、同、16日着隊。
昭和13年4月7日 北支那派遺の命を受け、同日間島省延吉を出発北支へ。
      4月10日 黄河の大鉄橋爆破事件起きる。鉄舟仮橋を渡り済南に着く。
            北京古宮博物館。万里の長城の警備に当たる。

まだ続きが在りますが、疲れたのでとりあえずここまで書きました。
はあ、吊るのは大分先になりそうだ・・・。

643:名無し三等兵
03/07/28 17:35
父方:満鉄の職員?電気技師だった。
引揚者が貰えるという勲章を大事にしてた。
祖母がよく満州時代の羽振りのよさと戦後の苦労を話してた。

近所のじいさん:酔っ払って他人の家に土足で上がりこみ、大声を出す。
頻繁だったが、戦争がえりという理由で大目にみられてた。


644:名無し三等兵
03/07/28 18:20
うちの祖父が以前
「俺は餓島に行くはずだったんだが、途中で船が引き返したので行かなくてすんだ。
言ったらたぶん戦死していた。」
というようなことを言っていたのですが、こういう部隊は実在したのでしょうか?
陸軍の衛生兵で、他にはラバウルにも行ったことがあると語っており終戦はビルマだったかと思います。
祖父は宮城県の出身です。

645:名無し三等兵
03/07/28 20:48 Cc0xdWvn
船団組んでた隣の船が撃沈された、という話なら聞いた事あるなあ。
その話をしてくれたのは、ゼミの先生だった渡辺洋三東大名誉教授。(専門は民法)
その船に乗っていた学友は、皆波間に消えていったそうだ。先生が学徒出陣された時の話。

646:名無し三等兵
03/07/28 20:54
現在、靖国神社の近くの日本料理店でアルバイトしてるのだが昨日開催された
戦友会のジーサマどもが、
「関東軍の参謀将校で731部隊に関わっていて終戦真際にルバング島
の小野田少尉に機密作戦を支持した」
と、宣っていた。
領収書は戦友会のハズなのに「第××期満州青年開拓団」にしてくれっていわれた。

647:名無し三等兵
03/07/28 22:14 0QGL18zG
俺のじいさんは85歳。よくは聞いてないけど上海あたりに行ったらしいよ。
5人くらいの部下と一緒に見張りをしてたら夜襲を食らって、じいさん以外全員
戦死だったって。じいさんの指の間を弾丸がすり抜けたらしく、今もすり傷がケロイド。
じいさん、戦争の話は終戦の日の番組とか見てると「この戦車がまた凄いんだ!」とか
言って饒舌になるけど、戦争映画は見れないみたい。プライベートライアンは序盤の
銃撃戦でリタイヤ、ブラックホークダウンも見れなかったな。やっぱり目の前で仲間が
撃ち殺されたりしたら相当のトラウマだろうね。。。。

ばあさんは、米英の上陸に備えて薙刀の訓練を大マジにやってたってさ。今考えると
大笑いだと言ってる。また、横浜大空襲を経験してるんだけど、最初は「うわ!人が死ん
でる!」とキャーキャー言いながら逃げてたらしいけど、3時間もすると死体を踏んでも
「あ、人間だったんだ」としか思わなくなってたって。
ちょっと前、北朝鮮がテポドン撃って来た時は「戦争は嫌だ、絶対嫌だ!」って本気で怯えて
たよ。切なかったな。

648:名無し三等兵
03/07/28 22:49
>>644
宮城なら第二師団ですかね?
第二師団を増援としてガ島に送ろうとして、米軍との間に『サボ島沖夜戦』が勃発しているので、
一部の部隊を乗せた輸送船は退避しており、おそらくその退避した部隊ではないでしょうか?

649:名無し三等兵
03/07/29 09:07
>644
で、そのガダルカナルで生き残ったのが
中内功前ダイエーグループ会長だったりする訳だが。
飢餓に苦しんだ末に見た幻影が
”家族ですき焼きを食べている光景”
だったそうな。

その後の異常なまでの企業拡張への執念や、
アジア進出への執着や、
食品業へのこだわりは
この辺に原動力がある、と俺は見ている。

650:名無し三等兵
03/07/29 10:20
伯父の話。
中国にいた伯父たちに突然ソ連軍が襲いかかってきた。
目の前では炸裂音が続き、生きたここちはしなかったそうだ。
伯父の隣にいた戦友が「もう、だめかもしれんなあ」と、云った瞬間、すぐそばで爆発があった。
砂埃をはらって隣を見ると、さっきまで話をしていた戦友の首がなかったそうだ。
その後、伯父はシベリアに抑留された。

651:名無し三等兵
03/07/29 14:01 b5Xoga16
うちのひいじいちゃん
明治41年生まれ。
東京帝大でて内務省へ。戦前に警察の業務で
ナチス時代のドイツへ視察団の下っ端として
参加したらしい。
当時のドイツ警察の大物と会合を持ったらしいから
もしかしたらヒムラーとかハイドリヒとかと
会ってるかもしれない
今度聴いてみようと思うが、寝たきりだし目も耳もダメになってる
から何も聴けないかも

652:名無し三等兵
03/07/29 21:11 RgFFxY0v
俺の父方の大叔父は特攻志願したが、まもなく終戦→自殺
俺の母方の曾爺さんは、半島に渡るときに輸送艦を撃沈されて死亡

653:名無し三等兵
03/07/29 21:19
>>651
ソッとしておいて揚げなよ。
寝たきりはかわいそうだぽ。

654:名無し三等兵
03/07/29 21:49 ti5zT61Y
>653
意外に喜ぶかも。
ただ、耳も駄目だったらちょっと辛いか。

655:名無し三等兵
03/07/29 22:14
>>651
低音でゆっくりしゃべればOKだと思う。

656:名無し三等兵
03/07/29 22:42
去年、ヤマトの航海士(当時少尉)だった方の講演を聞いた。
録音しとけばよかったな~。
大和について書かれた誰だったかの著作に、自分の名前が出てきて、
「生意気な海兵出身の少尉」などと書かれており、少し気を悪くしたとか言ってた。


657:名無し三等兵
03/07/30 01:04
戦地体験ではありませんが・・・

うちの祖父は陸軍に徴兵されたものの、終戦時二十一歳で内地にいました。
本気で天皇陛下の為に戦って死にたかったらしい。流石は最強(最狂?)の軍国少年世代。
戦地に行きたかったが、上官に言っても行かせてもらえなかったそうな。
優秀な成績だったらしくて、内地で後進を教育する為に残された(と上官に説明された)と本人は言っておりました。
上官は何か思うところがあったのでしょうか。

軍部として戦地に行かせなかったのは、本土決戦の為と、祖父の次兄が戦死していて長男は家を出ているので、
実家の農業を継ぐ人間を残す為に内地に残した可能性を私は考えています。

658:名無し三等兵
03/07/30 01:12
もう一つ。友人から聞いた友人の祖父の話。

以前何処だったかで、兵隊の数を数える時、掛け算も知らない
ソ連兵に負けたことを知った日本兵の驚きの話がありました。
んでそいつの祖父さんは、シベリアに抑留されたとき、凄く重いものを
動かすのに「てこ」の原理を利用したらしい。それを見たソ連兵は驚いたと言う。
そんで調子にのって「これだから露助は~ピー」みたいなことを言ったら、
投獄されたと言う。

それでも寒さで死ななかったのは、運もあるけど、
仲間が毛布などを差し入れしてくれたからだそうな。ええ話や。

信憑性は謎。又聞きの話ですまんね。

659:名無し三等兵
03/07/30 02:03
>>657,658

おじいさんは運が良かったね。
あまり神様は信じないが、きっと、某かの加護があったのかもね。

>ソ連兵に負けたことを知った日本兵の驚きの話がありました。

これと逆の話で、アーロン収容所にて日本人捕虜が所内新聞を
発行しようとして人数分の紙を収容所側に要求した。
が、収容所側はそんなに紙は要らないだろう、字が読めないだろうという。
そこで、捕虜を集めたときに「この中で字の読めるものは挙手しろ」と言ったら、
全員手を上げて驚いていたという話を読みました。
日本は当時から世界でもかなりの教育先進国だったみたいです。
ある大学の教授さんが、GHQから戦後に識字率検査を受けて
また、読み・書きのテストを無造作に選んだ国民に受けさせたところ、
何回か実施して、一人のおばあさんだけしか、
読み書きの能力の無い人はいなかったと聞きました。
これにはGHQもびっくりして、
テストを改ざんしたのではないかと散々疑われたそうです。
あまり関係無くなってしまいましたが、失礼。

660: 名無し三等兵
03/07/30 03:11
昔、父達から聞いた話なんだけどウチの祖父は
戦闘機の特攻隊(当事18才位)だったそうな。
いざ出撃という時にお腹壊してトイレに行ってるウチに
終戦、となったらしいんだけど。
「自分だけが生き残った負い目があるから
お酒ばっか飲むんだろうね」と父達が言ってました。
>>125
の話を読んでたら当事の集合写真の若い隊員達の顔を
見たのを思い出して、何か無性に悲しくなりました。



661:名無し三等兵
03/07/30 04:07 3u0Uhn69
うちの爺さんは昭和一五年21歳で満州に
行ってその後カンボジア、ベトナムにて機銃で
足をやられるもその後ビルマ、タイと
転戦し昭和二二年に復員。

七年ぶりに故郷沖縄に帰ってきたら五人いた
兄弟も自分一人だけになっていた爺さんは
五人兄弟の次男で長男は馬車に引かれて
死亡、三,四男は防衛隊として沖縄戦を戦い
五男は空襲でやられた、そんな爺さんは
プライベートライアンを観てそれを自分に重ねて
泣いてました、最近数十年ぶりに検診につれて
いきレントゲンを撮ったところ右の太もも以外に
頭の中にも銃弾か砲弾の破片がみつかりました。

662:名無し三等兵
03/07/30 08:44 spSP7F4T
私の祖父は朝鮮と台湾で憲兵をやってました。
最初朝鮮での任務に就いてその後
フィリピンに出撃するために台湾に移動したとか。
朝鮮から台湾に移動するために船に乗ったんですが
その船の貨物室に乗せられてとても狭かったそうです。
そこで寝ていたときに事故が起こって寝るための棚が落ちて
一番下で寝ていた人が下敷きになって死んでしまった。
それで海に流して水葬?をしたそうです。
遺族には事故と言うのはかっこがつかないということで
戦死にしたとのことです。
それで結局出撃することはなく台湾で終戦を向かえたのですが
終戦間もなくは混乱があって倉庫などで略奪をしていた人などを
取り締まっていたそうです。
台湾に配属されなかったらシベリア送りになっていたとも話していました。
最近入院したので不安です。

663:名無し三等兵
03/07/30 18:07 I9TVHmPC
10年くらい前かな。
近所に住んでるアル中気味のじいさんがいて、
近く通るといちいち絡んでくるんで頭きたからナイフちらつかせて
カツアゲでもしてやろうと思ったんだけど、そのじいさん
俺のナイフ見てもちっとも動じないでやんの。
それで急に語り始めてやがった。
「昔、若い頃にインパール行ってきたよ。」って。
それだけを何度も何度もうなずきながら繰り返すんだよね。
でも気味悪かったな。あのじいさんの目。
遠くを見るような感じで。

664:名無し三等兵
03/07/30 18:11
>>663
ほんとの戦争経験者にゃつうじねーだろーなー。
お前のちんけな十徳ナイフじゃ。(ry

665:名無し三等兵
03/07/30 18:12
>>663
死ね

666:名無し三等兵
03/07/30 19:31
戦争の話じゃないけどうちの親戚のひいじいさんはシベリアに行ったけど
上官だったから結構楽な生活してたらしい
シベリア送りになった人でもえらい人は結構楽してたみたいだね

667:名無し三等兵
03/07/30 19:53
>>663
(・∀・)カエレ!

668:名無し三等兵
03/07/30 22:00
>>666
なんか、どこかのホームページでシベリヤでの捕虜生活を
おじいさんと息子さんかお孫さんで紹介しているのを読みましたが、
それなりになれなりの待遇はされていたような感じですね。
ただ、決定的に、周りのロシア人も死んでいくような場所・時なので
どうしようもなかった様な印象を受けました。
場所にもよるでしょうが、今まで受けた印象とまったく違うので
不思議に思った記憶があります。


669:名無し三等兵
03/07/30 22:06
>>668
共産主義を受け入れて「アクティブ運動(?)」とかやって
『日本でも共産主義革命を!米帝に死を!!』
とか模範回答をしたりして露助さんに気に入っていただけると待遇が良くなるそうです。

670:名無し三等兵
03/07/30 22:36
>>669
わはは、それもあるだろうね。
考えてみれば、当時のソ連なんか、
民間人もパコパコ収容所で死んでいた時期だからね。
可愛そうなのが、復員後にも警察に後つけられたり、
就職できなかったりと言う事があったと言う事でしょうか。

671:名無し三等兵
03/07/30 22:55
もう亡くなって10年になるが、俺の爺さんは武専出身で仕官として中国に行ってた。
手榴弾を地面に叩いてから投げつけるって、言ってたのは覚えてる。
あんまり戦時中の話はしてなかったな。
部下が何人も戦死してるから、話したくなかったのかもしれない。

あと、抑留された爺さんの友達は「露助は嘘つきだ」と言ってた。

672:ななし
03/07/31 12:52 lvP6WPPk
妻の祖父がなくなったのですが、妻の祖父の足跡を
たどりたく、情報提供を求めます。

①昭和18年~20年にかけて、海軍岩国基地に勤務されていた人
②岩国基地空襲で、陛下の写真を入れた社が焼失したのですが
 その社の再建式に立ち会った人
③飛行機の風防ガラスで煙草入れについてご存知の人


673:名無し三等兵
03/07/31 14:14
>>672
日本語がおかしいですね

674:ななし
03/07/31 14:43 d6IfC9Ou
673へ

672です、失礼しました。書き直しをします。
妻の祖父が最近84歳で天寿を全うしました。
親戚の方から祖父の思いで話を聞いていたら、
太平洋戦争中、海軍で航空機の整備兵をしていて
特技の彫り物技術を上官に認められて、空襲で焼失した
陛下の写真を入れた社の再建にかかわったそうです。

祖父の足跡をたどりたいと考えています。
そこで次のことについてお知りの方がいたら、御情報ください。


















675:ななし
03/07/31 14:43 d6IfC9Ou
674の続き

①昭和18年~20年にかけて、海軍岩国基地に勤務されていた人で岩国基地空襲で、
 焼失した陛下の写真を入れた社の再建式に立ち会った人。またその経緯についてご存知の方。

②陛下の写真を入れた社についてご存知の方、岩国にあつたというその社についてご存知の方。

よろしくお願いします。




676:名無し三等兵
03/07/31 21:40 jFQJIMW8
自分の祖父の話。。。ですが祖父は自分が小さい頃に亡くなってしまったので生前の祖母に聞いた話。
祖父は一時ラバウルにいたそうです(終戦時は海軍省らしい)。その時の写真を見ると、
当時珍しかったバナナ(着色済み)の前で、格好つけて記念写真撮ってるものなどがありました。
ある日上官に同行しなきゃならん任務があったそうですが、急用があって基地に残ったそうです。
そしたらその上官の乗機はアメリカ軍航空機の攻撃を受け撃墜。祖父は命拾いし、今日の自分があります。
その上官の方は有名な方ですが、この話を祖母から聞いてから、とても親近感を覚えます。


677:名無し三等兵
03/07/31 21:46
>>673
それは良い供養になるでしょうね。
戦友会とかは当たってみましたか?
岩国基地に直接問い合わせるのも手です。

URLリンク(www.google.co.jp)




678:名無し三等兵
03/08/01 12:40
私の知り合いだったご老人では、大東亜戦争中はシナ大陸で憲兵中尉だったそうです。
尤も、復員した直後に占領軍の粛清を警戒して軍服だの身分証明だの
は全て処分してしまったと仰っていました。
案の定、他の方達は証拠品を残していたおかげで
みんな戦争裁判の対象にされたそうです。


679:名無し三等兵
03/08/01 14:57
うちの祖父は、樺太に配属されたそうだ。
新兵教育も樺太で受けたらしい。
「大砲を引っ張る馬も、気性の荒いのがいてね。
 蹄の掃除してる時に蹴られて死んだ初年兵もいた。」

終戦後、シベリアに連れてかれて、シベリア鉄道に関わったそうな。
伐採の時に木の倒れる方向に逃げて死んだ人もいたって
話してくれた。
復員は昭和24年の夏。舞鶴に着いた高津丸に乗ってたらしい。

上敷香と言っていたので…歩兵第25連隊?

680:ぼるじょあ ◆ySd1dMH5Gk
03/08/02 04:11
     ∧_∧  ∧_∧
ピュ.ー (  ・3・) (  ^^ ) <これからも僕たちを応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄〕
  = ◎―――◎                      山崎渉&ぼるじょあ

681:j
03/08/02 14:20 7f8JzBxD
>>676
>>その上官の方は有名な方ですが
 山本五十六?

682:名無し三等兵
03/08/02 14:26
>>679
俺のじいちゃんは獣医少尉で、北満で軍馬の世話をしてた
馬のうしろ脚って2メートルも伸びるそうで、それで腹を蹴られて負傷した
じいちゃんがしみじみ言ってた
「馬の後ろには絶対立つな ありゃ死ぬぞ」

683:名無し三等兵
03/08/02 16:17 oweu5JNR
自分の身内ではないが1991年の八月末、ハワイに行った時にオプショナルツアーで真珠湾に行った時の事。
同乗していたお爺さんが手を上げてガイドさんに質問したんだ。
「私は此処を空襲した時に参加しておりましたが(港の)皆さんは我々を恨んでいますか?」
と聞いた。ガイドさんは笑顔で
「そんなことはありませんよ。尊敬の対象としてみておられる方が多いです。」
と返答していた。車内が静かになった中、そのお爺さんはさらに続けた。
「私は、赤城に乗り込み爆撃をしたんです。」

684:名無し三等兵
03/08/02 16:28 fkDAxlnH
続き
「今まで恐ろしくて来ることを躊躇って来ましたが、せめて死ぬ前に亡くなった方々にお詫びを申し上げに来ました。」
と言っていた。私は、その後気になってアリゾナメモリアルで注視していると戦没者名簿の前で直立し、敬礼をしていた。
まるで映画のワンシーンの様な光景だった。
いまでもこの時期になるとこの事を思い出す。あのお爺さんは御存命だろうか。

685:676
03/08/03 18:41
>>681
らしいです。


686:名無し三等兵
03/08/03 21:05
こないだ靖国神社で、じい様が彗星に向かって土下座して手を合わせてた
孫(たぶん)の若い女の人が少々困惑してた

見ててなんだか涙が・・・

687:第142騎兵旅団
03/08/03 21:50 U0R/Ch+5
今、スレ読んで思い出したが、学校(リア厨)の
歴史の授業で、自分の爺さんは空軍だって言ってた香具師がいた
「日本軍には、空軍はない!!」と 言いたかったが止めた

 ちなみに俺の祖父は、中国戦線で、山砲隊だった
この頃、祖母の家から、祖父が大雪山での重装備行軍訓練の
写真が、見つかった。
 でも、祖父は俺が5歳の時死んだ
 それから、祖父は、シベリアに抑留されて 重労働させられたらしい
私の祖父は、あまり体格が良い方では、無かったらしいです


688:名無し三等兵
03/08/03 22:39 zainBG4O
>>687
じいちゃんの「わしは航空隊(飛行兵)今で言う空軍だな」
という空軍だけを覚えちゃったんだろうね
でもおじいちゃんの言葉をちゃんと聴いてるだけでも偉いかも

689:名無し三等兵
03/08/03 23:01
じいちゃん何度も言わすなヨ
「ソ連」はもう無い「ロシア」だ!!
もう百遍逝った!

690:名無し三等兵
03/08/03 23:23
俺のGさんは憲兵だったらしい。んでその後ソ連に連れて行かれて肉体労働。

でも今じゃ「紙おむつ」を「かしわ餅」と聞き間違えるぐらい耳が遠い

691:名無し三等兵
03/08/03 23:27
>>689
ああ、わかっとるわかっとる!!

ところでソ連の総書記サンはいまはエリチンじゃったの?

692:名無し三等兵
03/08/04 00:16
おれのじいちゃん、戦時中は炭鉱で石炭ほじくってたそうな。

693:名無し三等兵
03/08/04 01:11 6p2jnNCp
母方も父方も既に他界しているが

母方のじい様は山形の農家の7人目。さっくり徴兵されて硫黄島に送られるために
広島まで貨車で移動したが肝心の船がもう無くて帰ってきた。
その後山形で本土決戦だとかなんとか言われてるウチに終戦と話してたな。

父方のじい様は神奈川の藤沢で電話技師。満州から支那方面に電話線
引きまくりの日々。「点と点を結ぶ占領だったから」やたらと電話線切られて
その都度ゲリラに怯えながら復旧工事してたって。

オマケに近所のじい様。
横須賀基地でロケットエンジンやジェットエンジンの付いた飛行機のテストしてた
って言うけどホントかな?
ロケットはダメだったとかジェットはドイツからの図面を必死でトレースしたとか。
軍オタじゃ無いのでよく分からん。横須賀でそんなことしてたのか。

694:名無し三等兵
03/08/04 08:52 xPRv4zhh
うちのじいちゃん
双方他界したのだが

父方
零戦工場で働いてて特に逸話なし。

母方
シンガポールに派遣された陸助
現地のねーちゃん孕ませまくってたらすぃ
シンガポールの従兄弟にあってみたいもんじゃて。
でも、気が狂いそうで自分で意識を保つため刺青してたらしいから
想像を絶する恐怖があったんだろな。

関係ないが昔フリマで軍服売ってたじいちゃんが居たね。
将校用の軍服@サーベル付き売ってたんだが「買う」と言ったら
「思い出が多くて軽軽しく売れん」とかぬかしやがった
売りにきたんじゃねぇのかYOw

695:名無し三等兵
03/08/04 09:33
>>693
横須賀基地、というより追浜飛行場では、日本初のロケット戦闘機
「秋水」の飛行試験が行われているよ。

696:名無し三等兵
03/08/04 10:29
>>694
頭の軽そうなキモオタには売りたくないんだろうよ

697:名無し三等兵
03/08/04 10:36
>>696
へーへー
どうせ女性社員と昼飯食った後にフラッとよっただけのキモオタですよw

698:名無し三等兵
03/08/04 20:27
>>694
花園神社で勲三等旭日勲章売ってた乞食ジジイも
「勲章は金で買うもんじゃねえ!」
とかフザケたことを抜かしてた。

699:名無し三等兵
03/08/04 21:22 EC6lNOYM
私の祖父は戦争中、兵士になるはずだったが、徴兵検査で引っかかったらしくて
徴兵を逃れられたらしいです。
私の祖父はまだご存命です。

友達が「俺の祖父は、戦争中に勲章をたくさんもらったことがある。」と言ってた事があります。

700:名無し三等兵
03/08/04 21:32
「現地の子供を銃剣で刺し殺したよ」 みたいな話は無いのかな。

701:名無し三等兵
03/08/04 22:06 Ek+mt6Us
このスレ見てるとおじい様 おばあ様の世代の苦労がよく分かる。
その苦労があって今の日本の繁栄がある事を我々は忘れてはならない。( i_i)\(^-^ )

702:名無し三等兵
03/08/05 00:48 22KzmU0q
祖父の一周忌に来てくれた戦友と言う人に聞いた話。
戦争中の経歴は聞けませんでしたが、最後は特攻隊員として出撃。
しかし特攻中に撃墜されてそのまま海に。
漂流しているところを通りかかった漁船(現地民?)に助けられたらしいです。
終戦後、復員してきたその方は一足先に帰って来ていた祖父を見て、
「てっきり死んだと思ってたのに、復員してきたら駅まで迎えに来ててなぁ、
幽霊かと思ったぞ。」と言って笑ってました。






703:名無し三等兵
03/08/05 01:21
>>702
ちょっとほっとするいい話ですな。


704:名無し三等兵
03/08/05 05:08
>>697
女性社員とメシ食ったくらいがステータスな憐れなキモヲタ
私が同僚なら会社の昼休みに軍刀買おうとするアホは敬遠します

705:名無し三等兵
03/08/05 05:24
ニューギニアで食料にするために野豚を日本刀(軍刀じゃないよ)で斬りまくってた話なら聞いたことある。
パラオででっかいカタツムリを見て「フランスではこれを食べるんだ」と言って自分で調理して、腹こわして
氏んだ同僚がいたとかいう話も聞いた。
>>700
他にじーさんの同級生の話だが、中国人捕虜に解放してやるといって、真冬の夜中に水をぶっかけて
から外に出していたそうな。捕虜は喜んで外に出ていくが。。。
絶対死ぬにもかかわらず、そんなことつゆ知らずに捕虜が喜んで外に出て行く姿を見るのが面白くて
何回もやってたそうな。
あー、俺の思い込みかもしれんが、この捕虜って、731かなんかで生体実験にされるために
集められてたんだったかも。

706:名無し三等兵
03/08/05 07:24
>>698
そう思うのももっともなことだが、
戦争で活躍して生き延びても、平和な時代を生き延びるために苦労、屈辱を味わわなければ
ならないという業を、そのじいさんの葛藤の中に見出せるような気がして少し切ないね。
単なる売り手と買い手という立場の違い以上に深い断層が横たわっているのだ、たぶん。
誇りや嫉妬や悲しみ、
自分が自分であることの、最後に残った証を「あちら側の人間」に手放さなければならない口惜しさ。
「金で買うもんじゃねえ!」という啖呵には、そういうものが込められているのではないだろうか。



707:名無し三等兵
03/08/05 07:46
>>705
その手の話は意図的に法螺を吹いている場合が多いから気をつけたほうが良い。
多分中国での捕虜生活において「そうやった」と教えこまれている可能性もあるし。
実際には、同じ部隊の他の人にも聞いて実地調査しないとわかりませんからねえ。

708:名無し三等兵
03/08/05 11:43
>>705
>パラオででっかいカタツムリを見て「フランスではこれを食べるんだ」と言って自分で調理して、腹こわして

これと似たような話で、南方で整備兵士が仕官の為に
ご馳走を用意したら、トロロ芋とそっくりな電気芋と呼ばれる
猛毒のイモを食べてなくなった人もいたと読んだことが有る。
その仕官と自分は慕われていて、部下が用意してくれたらしいが、
その筆者は腹を壊していて、泣く泣く食べられなかったので助かったとか。

>>707
同感です。
人間って、例えどんなに悪いやつでも、多少の交流があると
罪の意識無く殺せないと思います。
実は捕虜と付き合う機会が少ない人間が虐待をするの事が多いように感じます。
じいさんも、地元民と付き合いが深かったから、助けたり、助けられたりしていました。


709:名無し三等兵
03/08/05 12:37
>>日本刀(軍刀じゃないよ)
なぜ区別するんだ?
昭和刀や造兵刀の類の粗悪品と区別するんならわかるが
「昭和刀じゃないよ」のほうがよいかと

710:名無し三等兵
03/08/05 22:46 PFMvAYkq
夏休みに実家に帰ったので聞いてみた。
昔、ぽつぽつきいてたが、海軍だったくらいしか知らなかったが、
昨日聞いてみると、
・18で、徴兵されて海軍に。そして、三ヶ月の訓練。
・軍属っていってた。
・駆逐艦に乗って日本を出て、一度上海に行きその後、南京(?)に行き沖縄に。
・沖縄戦だか、終戦だかの数日前まで、沖縄の近くで、作戦についていた。
・その仕事は、どうやら、特攻隊の護衛(?)らしい。
・終戦後、上海か、台湾に艦船を置いてきた。
・その駆逐艦は「比叡」と、言っていた。(祖父は)

・・・余り、戦史とか詳しくないんですけど、事実と違う気が・・・。
(とりあえず、比叡は戦艦では?同名艦があるんですかね?)
個々の艦の行動は、本じゃないと分からないですかね?
誰か、詳しい方が居たら少し教えて下さい。

711:名無し三等兵
03/08/05 22:50
>>710
比叡に似た発音で終戦まで残ってた駆逐艦・・・
難しいな

712:名無し三等兵
03/08/05 23:17 Hrg6RPNl
>>672
岩国は終戦の前日に空襲受けたんですよね。

713:名無し三等兵
03/08/05 23:51
>>710
『軍属』でいらっしゃった、と言う事ですから、民間の輸送船/調査船/漁船などを乗組員ごと徴用する
゛特設艦船(軍属艦船とも)"
の乗組員でいらっしゃったのではないでしょうか?
元民間船なら比叡という船名も有り得るかも。

714:710
03/08/06 16:28 zhnboTSO
>>711
>>713
皆さん色々ありがとうございます。
祖父に聞いた話では、少し聞き取りにくい発音だった上に、
用事が有って少し急いでいたので、聞けなかった部分が、
有ったのかもしれません。
・・・なんか、気になってきたので、
今日の夜にでも、もう一回艦名と、階級を聞きたいです。
あと、少しで実家から帰ってしまうのでそれまでにははっきりさせたいです。

715:名無し三等兵
03/08/06 16:39
祖母ですが戦争中に満州の奉天で仕立屋(洋服じゃなくて和装)をしてたのだが
敗戦後も帰国時期が決まらず2年くらい現地に留まっていたそうだ。ある日、
ソ連軍の将校が祖母の店に土足で侵入し軍服の修繕を命令。肩章の片方が無くな
っていて新しく作れ、と。ところが階級章と同じ赤い生地が無い。随分迷った
が祖母は自分の腰巻きを刻んで肩章を作った、ソ連軍の将校は御機嫌で缶詰めを
沢山くれたそうだ。

716:名無し三等兵
03/08/06 17:49 U10wb2g0
ロスケって不潔で臭い乞食みたいなイメージしかないな

717:山口多聞 ◆b3549jSUig
03/08/06 18:01 cLvjCn03
今、海底で2ちゃんやってます。


718:名無し三等兵
03/08/06 18:02
じーちゃんによるとニューギニアで共食いする馬鹿を引っ捕らえてたってさ。
三八式小銃でジュングル戦は勘弁してくれと。
後、ニューギニアの土人の子供をお供に狩りに行ったんだって。

719:710
03/08/06 18:46
何か、祖父がすでに寝てしまいそうだったので、急いで聞いてみた。
・「比叡」→祖父の知り合いが乗っていた。自分は、
 駆逐艦で、終戦3日前まで沖縄の近くで作戦についていた。
・その作戦は、輸送船の護衛。米の潜水艦で沈められた乗組員の話などを聞いた。
・祖父は、元軍属でその後海軍に。
・船の名前を聞くと、思い出せずに、「宇治・・・じゃなかったなぁ」と。

話をしていたら、戦時中のアルバムが。中には、祖父の知り合いの人が、
陸軍や、海軍と満州国軍の兵装の写真がたくさん。
昔の人たちは、何かカッコイイなぁ、と思いました。
その中に横須賀で船の上での集合写真が。
「昔は、みんなここで写真を撮っていた。」と。
どうやら、名所になっていた所らしいが・・・。
誰か、知っている方とかはいますかね?

720:名無し三等兵
03/08/06 19:00
戦艦三笠だな

721:名無し三等兵
03/08/06 21:18
>>719
>その中に横須賀で船の上での集合写真が。

三笠?

722:名無し三等兵
03/08/06 21:21
うーん、宇治で調べてみたら、日本海海戦に参加していますね。
これじゃないよね???

URLリンク(www007.upp.so-net.ne.jp)


723:710
03/08/06 21:53
どうも、皆さん親切に。
やはり、六十年以上前の事ですので祖父の記憶も曖昧なようです。
明日にでも、図書館で調べて祖父に教えようかなと思います。

一応、ここは「おじい様の戦争体験」スレなので、体験談をひとつ。
輸送船の護衛で着いていったときに、輸送船が潜水艦に雷撃されたときは、
そこでは、救助出来なかったので、丸太を落として「後で助ける」と言って
そのまま行ったそうです。「ほとんど助からなかった」と、言ってましたが。
ただ、一週間も掴まりっぱなしで助かった人もいた、とのことです。
一週間も掴まるなんて・・・出来るんですかね?

724:名無し三等兵
03/08/07 01:10
流れに関係なくて悪いが、うちのじいさんは九十七式重爆に乗ってた。
「九七式重爆隊空戦記」と言う本を出してたんだが、それを見ると航空機乗りの悲惨さがよく分かる


725:名無し三等兵
03/08/07 03:51
>>719
恐らくこの宇治のことではないかと。下から2番目。

URLリンク(hush.gooside.com)

726:名無し三等兵
03/08/07 12:34
>>725
わ、すごい藻前様アリガ㌧、勉強になったYO!
なお、同型艦の橋立なら写真があった↓。
URLリンク(www103.sakura.ne.jp)

727:名無し三等兵
03/08/07 15:49 pECmYsMO
うちの爺ちゃんは近衛師団の第三連隊所属
だったらしいが、戦局の悪化の為、結局一度も
皇居を拝む事無く南方へ、そこで爺ちゃんは
盲腸を患ってしまったらしく、またその夜に
間の悪い事に、アメの空襲があったらしいんだわ。
その中で爺ちゃんは麻酔も満足な器具も無く、真っ暗な
中、爆撃の轟音が迫りくる中で軍医の手術を受けたらしい。

……と言うのを親父から聞いた。爺ちゃんは俺が1歳の時に
肝の臓を患って亡くなってしまった。
だから直接体験談を聞ける事の出来た人が凄く羨ましい。

728:名無し三等兵
03/08/07 21:10
>>725
うわっ、と言う事は対馬丸事件の時の護衛艦ではないですか!!
対馬丸事件関連を調べると、出てくると思われ。


729:621
03/08/07 22:08
>>716
俺の沖縄で戦死したじいちゃん(漏れも)樋江井(ひえい)・・・
場所があってる・・・字が違うが・・・
しかし、こんな珍しい名字は・・・だが日本は広いから別人か?いやだが・・・

730:名無し三等兵
03/08/07 22:23 f1cnl9+v
漏れのじいさんは戦艦「陸奥」乗ってて、爆破事故で沈没して4kmぐらい泳いでたら漁船に助けられて、一回トラック諸島に行ってそこで2ヶ月ぐらい滞在してから戦艦「長門」
に乗って副砲の砲弾の係をやってたそうだ。
で、もう一人は満州に行って、ロシア辺りに部隊を進めてる時、バカな事に銃剣が足に刺さってそのまま病院送り。
でも、その時は戦争終期あたりだったらしく、自分に所属していた部隊が、露助にやられて全滅だそうだ。
ある意味、運がよかったのかな・・・

731:名無し三等兵
03/08/07 22:34
ウチのじじいは原爆食らって死んだピョーン

732:名無し三等兵
03/08/07 22:38
>>730
陸奥の生き残りとは、運が良いですな・・・。
詳しくお話が聞きたいです。
聞いてきてください。


733:名無し三等兵
03/08/07 22:39
折れのじじいは南京で100人斬りしたぞ。                

734:名無し三等兵
03/08/07 22:40
>>733
通報しますた

735:名無し三等兵
03/08/08 00:15
俺のじい様はおばあ様に殺られますた。

736:名無し三等兵
03/08/08 01:30 CU4trWrs
漏れのじいさんは、「陸奥」に乗ってた時も副砲の弾を扱っていたそうだ。で、スパイ工作による爆破事故があったらしく。その時は甲板にいてその時は助かったそうだ。弾薬庫から爆発したらしく、結構みんな吹っ飛んだらしいよ!



737:名無し三等兵
03/08/08 01:32 CU4trWrs
周りの者は手足がないとか~爆発炎上で焼死とか見たそうだ。で、沈没したのだが、重油が漏れだしていて大人数は陸奥と一緒に沈んだが、やはり目の前で重油まみれで溺れて死んでいった者もいたらしい。




738:名無し三等兵
03/08/08 01:32 CU4trWrs
で、泳いで漁船に助けられて、その後は死体回収。みんなドザエモンだったんだって!そこから長門に乗ってトラック諸島に行き、現地の村長に偉く気にいられたらしく村長の娘と縁談の話もあったそうだ。




739:名無し三等兵
03/08/08 01:33 CU4trWrs
で、長門が日本に帰港して その後は退役だそうだ。




740:名無し三等兵
03/08/08 02:35
>>730>>736の爺さんは戦友か!

741:名無し三等兵
03/08/08 02:48 RInLjm8j
俺のジイさんは海軍将校で長年台湾にいたのだが、
終戦と同時に軍隊のことはキッパリ捨てて家族にも何も話さなかった。

普段は遠く離れて住んでいる孫の俺がたまたま行ったときに聞いたのが、
船に乗ったことは無いというのと、中曽根君は総理大臣になってもおかしくない人材だったという2つだけ。

戦後の話は沢山聞いたんだが、いったい軍隊で何をしてたのやら今も気になる。

742:名無し三等兵
03/08/08 02:59 mN53/oTq
福島県出身のじいちゃんが存命中に聞けた話は
フィリピンに出征、部隊内で選抜試験があって
それに合格して司令部付きの通信か暗号の部隊に居た事だけ。
ばあちゃんが言うには戦闘らしい戦闘はなかったと言うんだが、
その後「ルソンの谷間」を読んでしまって鬱・・・。



743:名無し三等兵
03/08/08 11:57 PdWr0r9/
大学4年の20年前、バイト先で一緒だった爺さんに聞いた話。
その人は、外地へ戦争に出た経験はなかったそうだ。
しかし、訓練で冬の大雪山で行軍をやらされた。一晩歩いたら
戦友の三人が死んでしまったそうだ。
"戦争にいって死んだんならあきらめもつくんだろうけど、訓練で死ぬんだから無茶苦茶だ"
といって怒ってた。人の死が紙よりも軽かった時代でした。
リンチ上等兵のアメリカ軍とはえらい違いだ。

744:名無し三等兵
03/08/08 12:34 Jy/LKq5j
すいません、日露戦争時の三笠の搭乗員名簿って有りませんか?

745:名無し三等兵
03/08/08 12:37
>>744
難しいな
負傷者戦死者名簿なら手元にあるが(当時の速報誌の日露戦争実記)

746:名無し三等兵
03/08/08 12:41 Jy/LKq5j
>>745
大友すえじ(漢字はわかんないです)って言う人居ますかね?
曾お爺さんが乗っていたと(親が)言うんですけど。

747:名無し三等兵
03/08/08 12:54
日本海海戦における三笠の死傷者
戦死
一等兵曹太田正太郎  二等兵曹岡本喜代八  一等水兵中井初之助  一等水兵星川高吉
三等水兵松澤利吉   三等水兵穴山謙治
負傷後28日死亡
三等兵曹吉田菊次郎  二等水兵福岡直蔵
重傷
少佐菅野勇七     大尉村越八郎
少尉安野康      兵曹長境吉次郎
軽傷
中佐松村龍雄     少佐飯田久恒   大尉清河純一

748:名無し三等兵
03/08/08 12:55
日本海海戦の戦死傷者のなかにはいなかった

749:名無し三等兵
03/08/08 13:12
>>748
ありがとうございました

負傷者の中にいるかもと思ったんですけど、意外に負傷者少ないですね。
少々複雑な心境です(苦笑)

750:名無し三等兵
03/08/08 13:36 dGtu0QD/
>640 :名無し三等兵 :03/07/27 22:03 ID:???
>うちのジーさま終戦ちょっと前の陸軍次官だった。

おいおい、誰も突っ込んでねえじゃねえか。
陸軍次官だぞ。
終戦ちょっと前ってことだから柴山兼四郎か?
その前の富永恭次だったらぜひ話がしたい。
富永恭次はフィリピンで特攻隊を指揮しながらもマッカーサー上陸を前に台湾に敵前逃亡した有名な人。

751:名無し三等兵
03/08/08 14:27
かなり前に聞いた話なんで間違っているところもあるかもしれんが・・・

最近ボケはじめちゃってる父方のじーちゃん。
大学卒業の直前に真珠湾が起きたので3ヶ月ばかり早く卒業し、そのまま徴兵されて
予備士官学校(?)へ。
卒業後は石川県の部隊に配属後、戦争中のほとんどは内地にいたため難を逃れるも、
終戦直前に北方領土付近の小島(長さ2km、幅50mぐらいだったとか)の守備隊長に
なり、そのまま終戦。周りの部隊がどんどん引き上げる中最後まで残って、結局
ソ連の捕虜になりシベリア送り。
シベリアでは部下の半分が死んだとかでそうとう苦労したらしいが、指揮官は労働
しなくて良かったとかで、元々体が丈夫なのもあって2年半ほどで無事帰国。
最終階級は少尉ですた。
当時の思い出は「とにかく威張れた(笑)」そうな

ところで”予備士官学校”なんてほんとにあったんでつか?
たしかそう言ってたきがするんですが・・

752:名無し三等兵
03/08/08 14:50
>>751
あるよ。ぐぐってみな。

753:名無し三等兵
03/08/08 16:40
おれのひいじいさんの話。
日新戦争・日露戦争と連チャンで出兵し、もう戦争は無いだろう
と安心していたら、第一次世界大戦勃発。
ひいじいさんは、「もう俺は戦争したくね~」と泣き叫んだそうだ。
大変な時代だったんだな。

754:名無し三等兵
03/08/08 16:41 KKruNdW9

×:日新
○:日清
すまん

755:名無し三等兵
03/08/08 22:04 64r5MO9w
>>753
日清日露間には10年あるけど
30代で戦争行ったの?
職業軍人だったのかな?

756:名無し三等兵
03/08/08 22:12
うちの父親のおじさんの話はだめかな?
スレタイはよんだんだけど、最近その話を聞いてびっくりしたもんで

757:名無し三等兵
03/08/08 22:19
>>756
いや、ぜんぜんオッケーです。
聞かせて、聞かせて。


758:名無し三等兵
03/08/08 22:38
>>757
ありがとん
嘘か本当かわからないけど
そのおじさんは八甲田山の生き残りらしいです
眉唾もんなんですが、「片足の松」とよばれてたそうですが
うーん期待に備えずにスマソ

759:名無し三等兵
03/08/08 23:12
>>758
ええっ!?
それが本当なら、かなりの事まで割り出せますよ。
何処のご出身ですか?
つか、そのままズバリがこの寿松さんでは???
足切断と言うのも一致しますね。

URLリンク(homepage2.nifty.com)

760:名無し三等兵
03/08/08 23:24 4hLUiDza
なんか漏れの爺さんは第六師団の砲兵だったらしい
九〇式野砲でM4シャーマンをやったとかいってた。


761:名無し三等兵
03/08/08 23:55 +gKgdqWG
じーさんではないが、亡き父は学徒出陣で中国沿岸部に配属。
とりあえず、地域の住民とうまくいっている部隊だったので、余り戦闘はなかったと言っていた。
(あったとしても、両方とも相手を殺す気がないので、明後日の方向に撃ってたらしい)
なので、終戦後は部隊の殆どの人間(将校兵隊の区別なく)一ヶ月程度で引き揚げ船で帰国。

良く、言っていたことが上海はきれいな町で食い物も上手かった。特に肉饅頭が上手くて、
でも今は共産党なので、町はむちゃくちゃだろうなぁ。。。
でした。


あと、たまーに共産軍がくると本当の激戦になり、白兵戦もしたらしい。(詳しくは話してくれなかった)

で、将来お前が兵隊になったら、これだけ覚えておけと言われたことがある。
白兵戦の時は、銃は横向きにして撃て(反動が上下ではなく、左右になるから押さえ込み易い)
狙う場所は腹を狙え。
銃剣でさしたら、足で蹴ってすぐに抜け、抜けないようなら一発撃てばその反動で抜ける。
生き残りたければ古参兵や、下士官の言うことは良く聞け。

今、思えば余り戦闘(戦争ではなく)の話をしなかったのは余りにもの経験があったからかもしれない。


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